はてなキーワード: 明後日とは
職歴無し35歳無職ヒキワイ、明後日が乙4の合格発表日でやんす。
というわけで自宅から5㎞地点にある夜勤募集中のセルフスタンドに徒歩で行ってみたぜ。
けっこう寒いぜ。調べてみると外気温4.3℃ぐらいらしい。でも歩いてると汗かくぜ。
なかなか冷たい風に世間を感じつつトコトコ片道55分、往復約2時間。自転車だと往復1時間ぐらいか?
セルフ夜勤の勤務時間は11~12時間。夜勤で客が来ない間は節度を守りつつ好きな事ができるとはいえ、そんだけ拘束された上に1時間の通勤時間はさすがにキツイもんがあるぜ!
3.5㎞圏内に6件ぐらい24時間セルフがあるんでやっぱそれらが募集始めるまで待つかな・・・
歩くと実感するが徒歩だと3.5kmを超えたあたりから遠いわこれ感が明確に出てくる。
徒歩通勤は3㎞がベストだな、往復6㎞で一日に丁度良い運動量だし。
狙いのセルフで募集が始まるまで繋ぎのバイトが要るな・・・事情を踏まえた上でパッと辞めさせてくれるバイトが見つかるかしら。
にしても10km歩いただけでだいぶ疲れた。帰りに寄った閉店間際のドラッグストアを出た瞬間はあ~疲れた!って言っちゃったわ。
タイトル通りです。以下は惚気です。
ッッッッハア〜〜〜〜〜最高の15日間だった!!!!!!!!!!!!!!!!
みなさんは好きな人、いますか?シャープペンシルを握る右手の人差し指に触れてみたいとか、ふとした拍子にチラリと見えた控えめなピアスに目が釘付けになったとか、委員会も部活もゼミもサークルも部署も会社も違うけれど、これまでの人生で一度だけ交差したことがあって、ただその交差はわたしにとっては交差だけれども向こうにとってはただのすれ違いで、それでもいい、それでもいいから好きなんだ…………。と片思いし続けて早7年の爆美女と、ついに、お泊まりしました(??????????????)
いや急転直下すぎるな、ソシャゲの公式がおかしくなって投下した期間限定イベントじゃねえんだから。もうちょい流れ、しっかりしてんだろ。
えー、筆者は25歳北の限界労働系女子。朝から晩まで働けません。普通に無理です。限界です。気が狂ってたまに業務用コンドームとかむちむちバキバキ本格ディルドとか買ってます。最近は居住地区のラブホテル全館全室制覇を目指して深夜残業に勤しんでます!
そんな限界労働者ことわたくしにも心優しい友がおり。大学で出会った友人のうち数人とはいまだにやり取りをする仲なのですが、その中に、筆者が7年間恋焦がれた美女が、おるの、で、ございます。あ、あーーーーーーーーーーー、好き。
ほいでね、ある日美女とLINEをしていたところ、彼女は資格取得のために勉学に励んでおり、アルバイトやらなんやらに追われないところでじっくり勉強したいと。そいで、わたしはなんの気無しに「そしたらうちおいでよ!」と送ってしまったわけですよ。来るはずねえよ、だれが津軽海峡渡ってまで勉強しにくんだっつー話よ。したらば返信これ。
「お邪魔じゃなければ25歳労働者ちゃんのお家で、作業してもいいかな?2週間くらい……迷惑だよね……?」
はよ来い!いま来い!すぐに来い!!!
と叫びたくなる衝動を抑えて、いいよ^^と返信し、日程などを調整し、お客様用布団を揃え、お部屋を掃除し、車も洗い、いざ迎えにゆかん空港へ!
危うくひれ伏して神に祈りを捧げるところだった。危なかった。アッラーだかヤハウェだか天照大神だかカムイだかわかりゃせんがとりあえず半径1000キロ以内に存在するそこかしこの神と名の付くものすべて引っ張り出してきて松明に火を灯し三日三晩寝ずに踊り狂うところだった。
空港から帰宅後に始まった彼女との半・擬似同棲生活はもう、幸せでした。と言いたいところだがここで一つ。
わたしは、彼女への想いを伝えたことがなく、彼女もまた、わたしについてどのような感情を抱いているのか、確認すらしたことがなかった。
ジーザス。神は試練をお与えになる。
でも乗り越えられない壁はないってイチローも言ってたし!いざゆかん!斬り込み隊長!
社畜女「えーと、彼女ちゃんって、あれだよね大学のとき彼氏がいたとかなんとか。恋愛しなさそうだったから、なんか意外だったんだけど」
美彼女「ああ、懐かしい話だ。別れたよ、うん。なんか恋愛っていうか枠組みっていうか、微妙かもしれないなって気付いたんだよね」
社畜女「そうかー。ちなみにだけど、その枠組みには男子も女子も入る感じ?」
美彼女「入るね。入るけど、入ったらもう、しんどくなる気がする。だから入らなくてもいいなって思ってる、今は」
おかわりいただけただろうか………🍚
ごはんいただけただろうか………🍚
ンマア、そんなこんなで幕を開けてさっさと閉じかけた半擬似同棲生活。こちらとしてはかなりかなりめちゃくちゃ本当にどタイプで顔も見た目も内面も知性も趣味も彼女を構成するものすべてを吸収して逞しく生きているさまを見るだけでわたしはもう、なにか触れてはいけない神々しさの間近にいるような感覚になってしまうのですが。
神は恋愛については下界へ降りてこられることはなさそうで、25歳北の労働者はあっけなく振られました。結構ストレートに告白したつもりだったんだけどね?!だめでした。
でも告白した次の日も普通に2人でスーパー行って洋梨買って肉買って塩買ってラップ買ってトイレットペーパー買ってアイス買って帰ったよ。たまにドライブもしたよ。わたしの運転で神が酔ってしまわないか若干の心配をしつつ、ハンドルを初心者ばりに握りしめながら北の大地を東奔西走したわよ。楽しかったな。本当に。
夜眠るとき、彼女はお客様用のお布団で寝るのよ。わたしはベッドで。ただの友達だったら女の子同士だし小柄だしってことでベッドで一緒に寝ますけれども今回は事情が事情っていうかわたしがガチすぎたので布団は分けました。正しい判断だったと思います。
彼女がいる間、隙を奪えば手や唇のひとつやふたつ、なんならそれ以上だって踏み込めたはず。優しさのふりをして抱きしめることだって。でもそれをしなかったのは、彼女と構築していきたいのは刹那的かもしれない恋愛としてではなく限りなく永続的な人間関係を続けていきたかったから。
過去の話をする中で、お互い同性同士の恋愛に躊躇いがないことは確認できた。にゃるほどね。そしたらもう、あとは、わたしのことを好きになってもらうしかなくて、でも好きになってもらうために何かするとかは愚かな行為で、きっとわたしがわたし然としていればいつか彼女の目に留まるはずなのだ。そしてそれは彼女の目でなくとも、わたしとのすれ違いを交差だと感じてくれた誰かの目にも、映るはずなのだ。だからわたしは今日も明日も明後日も、美しく軽やかに、確固たる意志を持って、あるべき場所へと戻る人々を空港から見送る。
現状男女で役割に偏りがあってそれに応じた「男性特権」や「女性特権」が生じているのは事実で、多くの人はそれを受け入れて生活してるわけじゃん
「別にそれは良いけどそのためには相応の犠牲が伴いますよ」って現実性の観点から指摘されているわけでしょ (下方婚or女をあてがえ論、社会的責任や労働時間の増大、危険労働への従事 etc.)
なぜなら多くの男性には家計を支える役割があって、人生の多くのリソースを労働に費やしているために、社会的地位や役職、給与等の点で男性優位に偏るのが当然だからだ
(ちなみに仮に同一労働した場合の男女賃金格差は既に解消されている、男女を理由に格差をつけるのは違法なので)
同様の理由で政治家も男性に偏るし、そもそも社会的信用や権威は経済力や社会的地位によって担保されるものなので、必然的に男性優位社会が形成されることになる
フェミは何度言われてもその現実を受け入れられずに、女性が見下されているせいだとか、ありもしない被害を捏造して騒ぎ続けるからバカにされている
でも現実的な解決策を提示されてる(男性は実際にそれを受け入れて生活している)のに、それを受け入れるのは許容できないわけでしょ
なんなら女をあてがえ論なんかは「なんで弱者男性のためにそんなことをしなければいけないのか」とか明後日の方向から批判されている
20代後半、軽いメンヘラ。人に危害を加えたりとかはしない、一人で落ち込んでセルフネグレクトする方向のメンヘラ。
回避型で人付き合いに消極的だが、承認欲求は人並みにあるという面倒くさいタイプ。
自分は割と人の機嫌が気になる人間で、嫌われる=死みたいな認識がある。前の職場では上手くできずにいじめられて辞めた。そこから2年ぐらい貯金尽きるまでニートしてたような人間である。
結婚してからまた仕事を始めて、まあ当然周りの人の行動や好感度が気になる。
同じ時期に入った人のほうが好かれてるんじゃないか?私が話しかけたときだけ機嫌悪いような?なにか気づかないうちにやらかした?さっきの言い方良くなかった?あの子とは笑い合ってるのに私には冷たい?親切なあの人から仕事を押し付けられてたらどうしよう?みんなで裏で私を笑っているのでは?
(そんなことより仕事に集中しろってのは至極真っ当な指摘だと思うんだが、自分の意志関係なく映像の再生が止まらないのでどうしようもない。ニートのときは奇声を発して止めてたけど会社では無理だし……)
『これを夫がやっていたらブチ切れるが、会社の人だしいっか』って思って笑えるようになった。
それだけで心の安定度が段違いだ。しかも会社から帰ったらその旦那が家にいて一緒にご飯を食べる。家で落ち込んで座り込み会社の出来事を反芻し続けることも少なくなった。
ただ、朝布団から出る前に夫に抱きついて『私のこと大好き?』『愛してる?』をエンドレスで問いかけ続けているので、夫は迷惑しているかもしれない。
https://togetter.com/li/2247033
いや、分かるよ? 江國香織の『犬とハモニカ』とか名作だと思うよ?
でも、そもそも私たち普段そんなに色々考えながら生きてない。玄関で靴紐を結ぶとか、飛行機が着いてから空港を出るまでとかの僅かな時間に何ページ分も思考が去来したりしてない。精々バスの時間みたいな単一かつ関係ないこと考えてるか、あるいは単にぼんやりしてる間に通り過ぎてる。
たまに何かを感じ取れたとしても、それは記憶に残らない。ある友人が卒業式で凄く印象的な台詞を言っていたけど、数年ぶりに会った時本人はそのことを全く覚えていなかった。きっと私にもそうやってなくしてしまった瞬間が沢山あったろうし、あの時感じた悲しい気持ちさえそのうち忘れてしまうのだろう。
そして、瞬間で終わってくれる物語と違い、私の人生はその後も延々と続く。人生最高と思える瞬間が来ても、次の瞬間からそれが刻一刻薄れるのを感じながら生きていかなきゃならない。どん底に陥った姿は傍から見れば美しい悲劇かもしれないけど、私自身は明日も明後日もそれに耐えて生きていかなきゃならない。
瞬間を切り取った物語は、生身の人生に存在しないものを書き留めているから面白く、美しいのだろう。それを読んで虚しい気持ちになるのは、物語と人生どちらが虚しいからなのだろうか。
連絡が来ない。
なんとなく、今日は久しぶりの男とセックスするつもりで、朝もシャワーを浴びたし、下着を選んだのに。
リモートワークの日なのに、珍しくブラジャーをつけるわたしに、訝しげな視線を向ける夫に、見て見ぬ振りをしたのに。
でも、連絡がないんじゃしょうがない。
においが強いから、食べないでおこうと思っていた3日目のカレーの残りに、手をつけようとおもう。
思えば腐れ縁になるのか。
最初はわたしが恋したのだけど、思いを告げたら、距離を置かれた。
わたしはフラれたと思っていたのだけど。
半年後になって、「びっくりしただけ。そんなふうに見てなかったから。よく考えたよ。もう一度、あの日の続きをさせてください」と言い出した。
この子への恋心はすっかり忘れていた。
「ごめんなさい。今は弟のように思ってるよ」
と言った。
今思えば、あの頃のあの子は就活の時期で、ひと足先に社会人になったわたしに甘えていたのかもしれない。
その後もポツポツ連絡がきていた。
一度目は、当時の彼氏と別れた時。
別れたことを聞きつけたあの子から「会いたい」と言われた時、断る理由が見つからなかった。
「今も弟と思ってる?」と聞かれたから、「うん」と言った。
「弟とはセックスできない?」と言われたから、「それは、試してみないとわからない」と言った。
自暴自棄になっていたわたしは、「仕返し」をすることで溜飲を下げようと思った。
連絡したら、すぐに来てくれた。
会うのは数年ぶりくらいだったけど、まるで毎週くらいは会っている友人のように。
奥様としなさい、と言って断っていた。
たまに面倒になることもあるけれど、
わたしにとって、共通の知人が全くないあの子は、誰にも言えない悩み事やもやもやを聞いてもらうのにぴったりだった。
今年に入って、夫とセックスレスになった。
誘っても断られる。
触れれば無言で振り払われる。
「疲れている」「眠い」「気分じゃない」
一昨日、あの子からメッセージが来た。いつも通り、もう数年は会ってないのに、まるで毎週会っているかのような、軽いノリのメッセージ。
いつもみたいに「会いたいなー」と言っていた。
こわいから。
でも、今回は、なんとなく、いいかなと思った。
あの子は、「会いに行く」と言っていた。
そして今日。結局連絡はない。
朝は、なんとなくの期待をしていたと思う。
楽しみ、ワクワク、好奇心、そのような。会ったら何をしてあげよう、どうしてもらおう、いろんなことを考えながら、シャワーを浴び、身体を手入れした気がする。
でも今は、ああ、これで不倫をしなくて済む、と思っている。
なんだかホッとするところもある。
自分の心なのに、つかみどころがないわ。
つまりわたしは、あの子を無碍に扱う勇気もなければ、応じる器量もない、卑怯な人間なのだと思う。
何もかもに言い訳が必要で、そこに整合性や正当性は必要なくて、自分が納得できれば良い。
カレーを食べよう。
カレーのにおいを纏ってしまえば、もし午後に「寝坊したわ」などと連絡が来ても、断る理由になる。
夫が帰ってきたら、めげずにセックスを誘ってみよう。
それでもまた断られたら、離婚を考えていること、きちんと話そうと思う。
ここ数日、衝撃的な映像が駆け巡った。
そうしたなかで地味だが印象深い報道を読んだ。
イスラエルでは献血のために人々が集まり、2時間3時間と献血するために待機する人々が当たり前のように存在しているということだ。
この行動は、何なのだろうか?
突き詰めれば、パレスチナ問題とはここにたどり着く。
そしてイスラエルが国家を自衛する行動も、この悲惨さを知りぬいた上でのものだ。
彼らはホロコーストの経験を経て、強く強く思い知らされたのだ。
世界中のユダヤ人がいつでも安全に暮らせる場所を絶対に作らなければならない守らなければならない。
そのことを。
今日起きて、仕事に行き、帰宅して寝る。そして明日も起きて仕事に行き、帰宅して寝る。明後日も…
こんな当たり前のルーティンをただ繰り返している。
それが現実世界であると、常識であると認識している日本とは異なる世界だ。
国家は国家として存立させるためにその構成員が参加しなければならない。
それは戦争に行くことであったり血液を提供することであったり、方法は様々だ。
そうした行動をすることで、我々は我々自身を守ることが出来るのだ。
そう彼らは知っている。
それは逆説的で悲しいことだ。