はてなキーワード: 性的志向とは
「障害者は生まれてくるべきではない」を読んだ。元増田の意見とコメントがかみ合っていないようなので、一言言う。
まず、【一人の人間を生育するコスト(a)は、その人間が将来生み出すメリット(b)に相応するか?】。
コスト計算、そしてどこまでをメリットとカウントするか、とてもじゃないけど計算しきれない、と思うかもしれないが、ざっくり言えばプラスであることはほぼ確定している。なぜなら、現時点で人類は滅びてないからだ。つまり、a1+a2+…+a何百億(かは分からないが、とりあえず人類創生からの総数)=Aとし、同じくb1+b2+…+b何百億=Bとすると、現時点の人類の総資産はB-Aだ。これがトータルでプラスになっているということは、平均して後者は前者より大きいということだ。ここまではいいよな?
そして、個々人で見れば、当然bxの値がマイナスの人間は、それはいるだろう。これは否定しない。
そして、元増田の意見は、仮にb1+b2+…b何百億を、健常者によるもの(b')と障害者(b")によるものに分けたとして、
(1)前者(b'1,b'2…)はすべてプラスであり、後者(b"1,b"2,…)はすべてマイナスである
(2)少なくとも、前者の平均値はプラスだが、後者の平均値はマイナスである
普通に考えて、(1)は明らかに間違っているので(健常者が全員プラスはありえないし後者もしかり)、元増田の主張は(2)だろうと推測されるわけだけれど、後者だってとうてい証明できないと思うんだ。元増田は自分自身の狭い体験をもとに、そこを自明としてるようだけど、さっき書いたように人類史で見れば、一人の人間の価値(期待値)はプラスなんだぜ。もちろん、そん中にはすごい天才も含まれるが、すごい犯罪者や悪人も含まれているわけだぜ。元増田がすでに人を二、三人殺してますとか前科何犯ですとか(それだって、取り返しがきくかきかないかはまだ分からない)ならまだしも、現時点で超悪人でもなければ超偉人でもないとすれば、障害があろうがなかろうが、言うほどとびぬけた存在だとは思えないんだけど、それなら平均してプラスの中に入ってる…少なくとも入ることができると予測できると思うんだけどね。
たとえば、オレは性的志向が人とは少し違うかもしれない。具体的な内容は伏せる。けど、それはそれとして一応社会適応して暮らしているし、社会になにがしかプラスを与えているんだろうと思っている。オレの性的志向は、それだけを取り上げてみればたぶん社会的にはマイナスだろう、親の期待をとは異なる人生を生きているだろうという自覚もあるしな。でも、それがなければオレじゃないし、オレは今のような形で社会に対して何かを与えていたかどうか分からない。証明のしようもない。仮にいわゆる「まともな性的志向」で生まれてきたとして、それこそ犯罪者になっていた可能性だってゼロではない。
もちろん、今の自分の状況については、社会の寛容度があがったこと(あるいは寛容性の高い社会に生まれたこと)も、素直に感謝すべきところだと思っている。ただ、言えるのは、オレだって社会に適応するために「それなりに」は頑張った。「それなりに」しか頑張らなかったから、「それなりに」しか貢献できていないというのもまた事実かもしれないけど、それでも、努力して、そしていわば「負債を払うような気持ちで」、感謝しながら日々を生きてる。けどなー。それって誰でもそうだし当たり前のことなんじゃないのとも思う。何も、オレとか元増田が「特別」なわけではなくて。誰だって負債を背負って生きてるわけだし、みんな「それなりに頑張って」負債を返そうとして、返したり返せなかったりしながら生きているんじゃないのか。その中で、一体誰が、あるものは生まれるべきではなかった、とかしたり顔で、しかも生まれる前の段階で言えるんだろう、ってこと。生まれてみないと分かんねーよ、そんなこと。
まあ、少しだけ元増田の意見に寄り添うとすると、元増田の意見…というか感想というか…は、たぶん、もう少し科学が進んだら、悩みとかではなく「実証的なデータ」を背景にした社会学的議論にゆだねられるんだろうな、とは思う。つまり「○○の障害をもって生まれた人間の一生を統計的に処理すると○○となります」みたいなことが、たぶんもうすぐできるしされるようになるだろう。まあ、その前に、例の「犯罪へとつながりやすい遺伝子的特性」みたいなものや「遺伝病や遺伝しやすい病気の発現リスク」みたいなものの研究が先なんだろうけど。そして、同時並行で、遺伝子操作…いわゆる「デザインベビー」づくりなんかも進んでいくんだろうな。そのとき、増田の小さい悩みなんかよりもっと大きなレベルで「生まれるべき存在とは何か」という議論が、人類全体にのしかかってくると思うんだよ。たぶん、近い将来。オレにも君にも、社会で生きていく限り、この問題には決して無縁ではいられないと思う。
そんなわけで、増田があーだこーだ言うのも、そういう「人類史的な大きな流れ」の中の末端の末端…で、意味のある悩みなのかもしれない。増田の書き込みを見て、共感したり反発したりする人の中から、将来そういう研究にかかわったり社会的議論をリードしたりする人が出てくるのかもしれない。だから、増田のしたこと…あるいは生きていることそのものが、今の時点で、人類にとってプラスかマイナスか、誰にも全然分からない。いや、いつまでたっても分からないかもしれない。
だから、増田もいじけてないで、「オレが生きてる意味とかあるのか」とか思ったときはやっぱり思い出した方がいいと思う。誰でも普通に生きてるぶんには大体プラスなんだと。じゃなきゃ、とうに人類は滅びてるはずだ、と。あと、近い将来、君の悩みにはたぶん答えが出るだろうから、それまではとりあえず頑張って生きるしかないねー、と。(笑)
当方リアル書店勤め。といってもコミック販売メインだから、本当の書店員の人には鼻で笑われる存在なんだけど(偏見)。
それに、はてなー的には、「電子書籍とネット通販こそ正義。売上ランキングを上から並べるだけで何の面白みもないリアル書店滅ぶべし、慈悲はない」って感じなんだろうから(偏見)もうブラウザそっ閉じ案件かとも思うんだが、備忘録的に書く。別に面白い結論も新たな知識も発想もないよ。
先日他の店に手伝いに行く用事があってさ、そこの店員氏にお薦めのコミック聞かれて、
「弟の夫」(田亀源五郎/双葉社)が発売したばっかだし面白かったからそれ薦めたのね。
そしたら「え?何?××さんホモなの?(半笑い)」っていうからかい気味のリアクションを受けたわけ。
自分の性的志向は同性愛じゃないので、そこは普通に否定して、「弟の夫」が家族のあり方を考える漫画として普遍的な面白さがあるし(学術書じゃなくてエンターテインメントなんだからここは大事だ)、かつゲイの問題提起として示唆に富んだ漫画なので、お薦めだよって話をしてその話は終わったんだけど。
後から考えると、これって「お前はホモという異常者ではないよな?」っていういささか差別的なニュアンスをはらんだ踏み絵的質問だったんだなーと気付いたんだよね(当人はそこまで考えて言ったわけじゃないだろうけど)。
そう言ってきた人は、少なくとも自分よりは頭の切れる人で、間違っても普段から差別意識をばら撒くようなタイプの人ではないし、接客業やってて、自分の言動が意図しない意味に受け取られてクレームになった経験がない人なんていないんだから、その人もそこは慎重になる習性がついてる。
そういう人でも社会的常識と癒着した無自覚な偏見からは逃れられないんだ、と改めて思ったのね。
そもそも、自分もその質問されて動揺がなかったかといえば嘘になるから偏見から自由とはいいがたいなって思ったりもして。
で、「弟の夫」ってこういう事例を踏まえて書かれているんだと、改めて心の隅っこの方に重石を置かれた気分になったわけ。
西原理恵子の漫画でも、死んだパートナーがゲイだと親戚にカミングアウトしていなかったため、パートナーじゃなくて友人としてその死を見送らざるを得なかったゲイの方の話が描いてあったけど、
そういう人が感じている社会の圧力って大きさは全然違えど多分自分の心のに置かれた重石と多分同質のものなんだろうね。
重石を置く側の人たちも、全く悪気があるわけじゃなくて、だからこそ自覚も改善も難しい。
そんな人の何人かにでも「弟の夫」というよくできた素晴らしい漫画が届くといいな
(何度でも言うが、そもそも漫画として面白いのだ)、と心底思った。
だから、「弟の夫」を少しでも売れるよう微力を尽くすよ。しつこいようだが漫画としても面白いしね!
もちろんそれ以外の漫画も売らないと店がが回らないし、
それ以外の漫画を求めるお客様にちゃんと面白いと思ってもらえる漫画を買ってもらうのも
みんな、「弟の夫」読んでくれよな!
http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
また伏見憲明氏の『欲望問題』から引用する。伏見憲明氏はゲイ・コミュニティについて以下のように語っている。
ゲイはまだ被差別記号としての意味合いも強く残っていますし、多くの異性愛の人たちが結婚をして家庭を作っていく中では、人生を共に生きていく仲間をゲイ共同性に求めていく志向もあると思います。(中略)そこそこ被差別性を帯びた共同体を差し挟むゆえに、茫漠とした社会の中で他者と集い、共感を得ることができる、ということです。
続いて、たまごまご氏の『オタクが融解した、「げんしけん」二代目が、つらい』というブログ記事から引用する。
とても明るくて、幸せあふれる恋愛マンガとしての「げんしけん」
楽しいです。
楽しいけど、読んでいて辛い。
そこにさようならを告げられて、若い世代でよろしくやりますよ、という流れになってきた。
http://d.hatena.ne.jp/makaronisan/20141225/1419531038
このつらさとは、「オタク」が被差別記号では無くなったことへの寂しさなのではないだろうか。『コンプレックス・エイジ』について、「こっちのほうが読んでいてほっとする」というコメントされているが、この作品で描かれる「歳を食ったコスプレイヤー」は被差別記号としての意味合いが未だ強い。というより、ここでは「被差別者・被抑圧者であるという自意識」の有無が重要に思える。
「被差別性を帯びた共同体」が社会に受け入れられることで、被害者意識や鬱屈・屈託の無いプレーンな「共同体」となっていく。セカオワが大人どもに叩かれるほどセカオ輪は強固になり、セカオワが大人どもに容認されるほどセカオ輪はユルくなるだろう。否定・拒否・攻撃してくる共通の外敵が居なくなる分、「被差別性を帯びた共同体」にはあった「弱者であるお互いを守りあう」という意味合いは無くなる。その分、共同体単位の結びつきの濃さは薄れていき、個人単位の結びつきになっていって、相性の良いもの同士が共同体の外で個人的に関わるようになっていく。共通の外敵を持つ「被差別性を帯びた共同体」でなら、魅力に恵まれない個人でも、その共同体意識の強さによって人と繋がることが出来たのに……。男性を敵視するフェミニスト・コミュニティを見ていても、彼女たちの目的は男女同権ではなく、男性を共通の外敵に設定して、女性同士の繋がりを強固にすることのようにしか思えない。そのようにしたがるのは、彼らの個人としての魅力が弱く(あるいは魅力に自信を持てず)、「被差別性を帯びた共同体」の力を借りないと人と繋がれないからではないだろうか。仮想敵にされる側からすればいい迷惑だが。
現代日本の,というかぶっちゃけて言うとオタクのあいだで言われる「ロリコン」って,ぶっちゃけファッションであってそんな切実な性的志向じゃないだろ! と思うことが多々あって,もちろんガチのペドファイルのひとたちがある程度いることは間違いないだろうけれど,雷ちゃんかわいいとか響サイコーとか薫ちゃんにせんせえと呼ばれたいとか言ってるひとが同時に愛宕萌えーとか加賀さんかわいいとかしぶりん結婚してくれとか言ってるの見てると,それもうロリっぽくデザインされたキャラに萌えてるだけで実際は小児性愛者でも何でもないようにしか思えなくて,そして肌感覚としてそういうひとたちの方が多数派なように思えるので,そういうのを見ているひとが「何お前らがセクマイ気取ってんだよ!」みたいに言うことも,まあ,よくわかる.
http://anond.hatelabo.jp/20150116015211
「三次元はクソ」だの「女子大生はババア」だの散々言っておきながら、女子大生の彼女が出来ると何事も無かったように「シーパラ行ってきてさ~♪」となる自称ロリコン自称オタクの男子大学生を何人も実際に見てきた。ハンコ絵ならぬハンコ人格と言えるありさまであった。自称ロリコンの大半はそのような「なんちゃってロリコン」なのだろう。真性の小児性愛者は小児にしか欲情できないため事態が深刻化しがちだが、「なんちゃってロリコン」は同年代にも欲情可能なため──むしろ同年代への欲情がメインで、ロリに向かうのは上手く手に入らない同年代への当て付けかと思うこともあるくらいだが──それなりの年齢になると恋人を見つけ、結婚し、社会に容認された多数派としての人生を歩むことができる。「上がり」である。
そして『欲望問題』に戻る。
コミュニティ活動や、ハッテン場や、ゲイメディアなどさまざまな場で、日々ゲイという共同性をめぐる動向を肌で感じているぼくは、いまではそれを解体すべきものとも、抑圧的な記号だとも思っていません。もちろんゲイ=自分ではありえませんし、ゲイ共同性の中のある種の傾向や指向に違和感をもたないでもありません。自分自身とそれの間には多少のズレや距離があるのが当たり前ですが、一つの足場として利用価値があると思いますし、自分にとっては大きな人脈資源だと実感するのです。ここ数年、ぼくは、ゲイだからゲイ・コミュニティに属する、という見方ではなく、自分が豊かな人生を歩むのに、ゲイ・コミュニティというフィクションをいかに創造し、それを利用するのかというスタンスに移行しています。
ゲイ・コミュニティの被差別性は徐々に融解しつつあるようだ。表現規制者に弾圧されている「ロリコン」や、恋愛至上主義に抑圧されている「非モテ」は、「オタク」という属性の被差別性が融解して宙ぶらりんになった「被差別者・被抑圧者であるという自意識」を持つ人間の受け皿となるラベルだったんじゃないだろうか。被抑圧者になるためのラベルとしてのロリコンと、小児性愛者は別物であり、深刻度も別格だ。
最近では、ふと気がつくと、街で好みの少年のあとをつけていたり、もう少しで声をかけそうになっている自分にハッとします。それと同時にぞっとします。いったい私はどうしたらよいのでしょうか。なんとかならないものでしょうか。本当にもう子供に手を出してしまう寸前なのです……。
http://anond.hatelabo.jp/20150128232843
多くの自称ロリコンは、現実の子供に手を出しそうになったことがない。ロリコンを自称するのは、「被差別者・被抑圧者であるという自意識」を持つ人間とつるむこと、そして強者の愚痴を言うことが目的なのだ。
最近あちらこちらで「ロリコンはセクマイ」という主張を目にすることが増えて,それに対する「とうとうこいつらロリコンはセクマイとか言い出したよwwwwww」という反応も目にすることが増えてきたんだけど,なんというか,どっちも正しくてどっちも間違ってると思う.
前者は一般論としては疑う余地なく正しい.小児にしか性愛の感情を抱けないひとは一定数いる.それは変えられない.同性としか恋愛できないひとがいる,自分は違う性の身体に閉じ込められたひとがいる,というのと同じ次元で,彼らはセクシャルマイノリティと言われるべきだし,彼らが現実の子供に手を出さない限り彼らがそのために迫害されたり「治療」の対象になっちゃいけないと思う.
http://ja.gimmeaqueereye.org/entry/1531
実際に↑のような迫害を受けているひともいる.彼らはどう考えてもセクマイだ.
しかし後者も一定の理があるというか,現代日本の,というかぶっちゃけて言うとオタクのあいだで言われる「ロリコン」って,ぶっちゃけファッションであってそんな切実な性的志向じゃないだろ! と思うことが多々あって,もちろんガチのペドファイルのひとたちがある程度いることは間違いないだろうけれど,雷ちゃんかわいいとか響サイコーとか薫ちゃんにせんせえと呼ばれたいとか言ってるひとが同時に愛宕萌えーとか加賀さんかわいいとかしぶりん結婚してくれとか言ってるの見てると,それもうロリっぽくデザインされたキャラに萌えてるだけで実際は小児性愛者でも何でもないようにしか思えなくて,そして肌感覚としてそういうひとたちの方が多数派なように思えるので,そういうのを見ているひとが「何お前らがセクマイ気取ってんだよ!」みたいに言うことも,まあ,よくわかる.
もちろんオタクの中にも,本当にセクマイとしてのペドファイルはいるだろう.でも,大学に行っても自分は7歳くらいの女の子しか好きになれないんだ,と絶望したことのない俺のような「マジョリティ」に属す人間が,第六駆逐隊に萌えているという理由だけで「俺たちもセクマイだ!」と叫ぶことは醜悪だと思う.
セクマイは,多分,そんな軽い在り方じゃない.
「性的志向と性的嗜好には貴賤があるんだろうか?(スカトロジストとしての自己)」http://www.open.sh/entry/20141031/1414716284 (id:netcraft)
と、そのコメントや反論記事を読んでいてどうしても言いたかったのでここで書きます。。
まず
>「スカトロはいわゆる「プレイ」だから性的指向とは全く別の問題だろ。幼少期から糞尿そのものが性対象なの?」
っていう意見について…、
私の場合は嗜好の内容はそれとは違いますが、9〜10歳ごろの性への理解とほぼ同時に、自分の性的な特性を自覚しました。
それも、そういう内容の広告を見て、「ああなるほど、私は『これ』だったんだ」という認識でした。
つまり傾向自体はそれ以前に漠然と認識しつつ、そのときに名前を与えられたという状態でした。
大人になってから「選択」したわけではなく、幼少期から自覚する性的嗜好によって、それに悩み、矯正を試みてもやはり駄目で、人には相談できず、自己の存在に疑問を持ち続けるということがあるという事を、できれば知って欲しいです。
(三島由紀夫のたしか「仮面の告白」はこれがテーマじゃないでしょうか。幼少期の糞尿汲取人への思いからの自己の正当性への葛藤。三島の場合は男色がメインの「告白」ですが、サディズムとスカトロジーも、言えない欲求として存在しています)
>「嗜好は秘めやかに楽しむ」…
もちろんLGBTの方々よりも日常生活における問題は少ないですし、それゆえ公にする必要はないと言えます。
また、嗜好によっては安全面、倫理面などに問題があって、実践そのものが不可能な場合もあります。(ロリコンの問題もそうよね?)
だから多くの少数性的嗜好者はそれを特定のパートナー(全然出会えない)や、想像や、小説やイラストだけで満足させて、他ではおくびにも出さず、きちんと現実社会と折り合いをつけています。
しかし、自分が「生得した」傾向は、どんなに悩もうと矯正できない…。
そんな中で、それをお笑いのネタにされたり、人々に無条件に嫌悪されたりするのは、仕方ないと分かってはいても辛いものです。
この点はLGBTの方々と共通するんじゃないかなと思っています。一緒にして欲しくはないかもしれませんが…。
折り合いをつけられなかった場合(神戸児童殺傷事件の少年Aがその例です:「少年A 矯正2500日全記録」 が大変参考になります)には「治療」が必要です。
しかし折り合いをつけて生活が出来ている限りは「それは単に病気じゃないの?ちゃんと治したら?」という意見も、なんというか、悲しいだけです。「そうかもしれません」としか言えません。
それを簡単に「治療」してくれる相手もほとんどなければ、それをしなくてはならない理由は(社会生活との折り合いをつけられている限りは)ありません。
元記事のさいとうさんがどんな人か知らないし、普段からおちゃらけているのか、どんな社会的立場の方なのかも知らないですが、記事にはとても共感しましたし、問題になったブコメも私と同じ気持ちでつけたんだろうなと思いました。
その性的嗜好を本当に親しい人にはカムアウトしてきた、その結果距離をおかれたこともあるとの記述がありました。
自分という存在の中で大きな割合を占めるもの、本当の自分を語るには避けて通れないものを、本当に親しい人にもずっと隠して生きていかなければいけないのは、やはり悲しくて、辛いことです。
私は女性なので、大きな誤解も招きかねないですから、現在はダンナ(どノーマルです)以外にはカムアウトはしていません。
ダンナとは普通のことしかしませんから、本当は実現できるパートナーの方が良かったのかとも思っていますが、そういったパートナーに幸か不幸か恵まれなかったこと、子どもが出来たのちにそれが何らかの形で悪影響になってはいけないと自分で思っていたこと(注・このことは「その嗜好がやはり悪徳じゃないか」という証明にはなりません。現在の社会規範から外れていることが問題だからです)から、現在わたしは自分の性的嗜好を現実に満たしてはいません。
今後も、忘れたことにして胸の内だけでたまに思い、その人生を選んだのは自分だと言い聞かせるだけです。
先般のSMバー問題の報道において、「政務活動費で補われるものであったかということは問題だが、SMという性的嗜好自体を問題とするのは、よくないのではないか」といった言説を複数目にして、「すごい、時代は変わっている、嬉しい」と感動していた矢先のことで(そしてそれはLGBTの方々が社会に受け入れてもらえるように活動し、それが認められてきたことに付随するものだと感じ、感謝しています)、立て続けに考えさせられたので、ここに書かせてもらいました。
「アニメに深く熱中・没頭している人」だったものを、そういう人のステレオタイプから言葉に逆輸入して、「アニオタ」を「アニメに深く熱中・没頭している人で構成される、特定の文化を共有する集団」という意味であなたが使っているだけだと思うよ。その文化を共有しないけれどもアニメに深く熱中・没頭はしている人からは反発を受けるのが普通かと。
それに、ああいう快楽主義とか刹那主義はやっぱりいかんよな、っていう反省があったからこそそういう考えのゲイもいるってことなんじゃないか?
君が偏見の塊であることはよくわかったよ。そういう考え方をするようなら、元増田の意味もよーくわかった。ネットにはいろんな人がいるしね、これ以上は何も言わない。
「大違い」のくだりはまあ大体理解できたけどw
でもやはり、なにがそんなに大きく違うのかしらん。というか、
「おいおいソッチの方向に『大きく違う』といろいろヤバイんじゃないの」っていう感じだ。
巨乳女子は、「自分の意志と関係なくヘテロセクシャルであることに」などされていない。
会話主である男の性的興味の対象になっているだけで、巨乳女子がヘテロであるかどうか、恋人がいるかどうかは、問題とされていない。要するに、ソソる異性か否かという話。
(中略)
「対象の性的志向その他を抜きにして、単純に男である自分から見て、ソソる異性か否か」(つまり性的興奮を覚える対象か否か)
「対象の性的志向・対象にパートナーがいると規定した上で、そのシチュエーションがそそるか否か」
前者は、対象の性的志向や人格を一切考慮に入れず、単に外見が好みかどうかの話。
後者は、対象の性的志向やパートナーの有無を、話者が「勝手に」規定した上での話。
後者の方がより悪質。
絶対この「後者の方が悪質」論が来ると思ってたけどw
何を以てして「より悪質」なのか、基準が理解できない。
ある人間をモノ扱いする方が、ある人間が他の人間を好きなのだと妄想することよりも悪質さの度合いが低いとはとても思えない。
「より不快」とは言えると思ってたけど、でもそれ主観だからwって退けられたら終わりだからね。
例でちょろっと書いたけど、これ「ある人物がホモセクシュアルであると妄想する」行為じゃなくて、「ある人物が別の同性の人物をなんか一線越えてるかのように好きすぎると妄想する」行為ですからね。
ああ、やっぱりバカだったか……。バカに関わった責任として、丁寧に説明するから、感情的にならずにきちんと読んでね。
増田は匿名だからわかりにくいけど、それを書いたのは私じゃないです。私が元増田に返信したのは、
http://anond.hatelabo.jp/20111026162504
だけです。
ただ、あなたの書き込みを見て、頭が悪いんだな、と判断しただけです。
それがあんまり強烈に巨乳でピタTで美人だったら、酒の席かなんかで話のついでに出して好みがどうのこうのって盛り上がること、ありえるもんね。
それと一緒だ。
…と、いうようなことを、知り合いの男に力説してみたんだけどなんか話が通じてないっぽいんですよ。すげえ嫌な顔する。
「一緒」じゃないのは理解出来るかな?。
ヘテロセクシャルな人間(君の話でいう所の、男)が、「酒の席か何かで好みがどうのこうの(巨乳話とか)と盛り上がる」というのは、
君が、「ホモセクシャルかどうかわからない人間とホモセクシャルかどうかわからない人間とのカップリングで盛り上がる」というのとは、違うよね?
巨乳女子は、「自分の意志と関係なくヘテロセクシャルであることに」などされていない。
会話主である男の性的興味の対象になっているだけで、巨乳女子がヘテロであるかどうか、恋人がいるかどうかは、問題とされていない。要するに、ソソる異性か否かという話。
対して君の「ホモを見いだす」というのでは、確かに「自分の意志と関係なくオカズ扱い」されているという点では同じ。
だが、「ホモセクシャルかどうか」「対象に恋人がいるかどうか」を、君(話者)の方で規定した上で、性的興味の対象として語っている点が、大違い。
全く理解していないみたいだけど、「欲望したいけど、されるのは嫌」という話ではない。
「対象の性的志向その他を抜きにして、単純に男(話者)である自分から見て、ソソる異性か否か」
を話すのと、
「対象の性的志向・対象にパートナーがいると規定した上で、そのシチュエーションがそそるか否か」
を話すのは、全く違う。
前者は、対象の性的志向や人格を一切考慮に入れず、単に外見が好みかどうかの話。
後者は、対象の性的志向やパートナーの有無を、話者が「勝手に」規定した上での話。
後者の方がより悪質。
あとそれ仮に「全然違う」として、何か変わることあんの?
えーwちょっと何言ってるのかわかんないですねwww
つうか「同レベル」の話をしていたのに、何で「違うよ。ぜんぜん違うよ」みたいな話にシフトしてんのwww
話が全然繋がってないしわかりづらいよwwwどこが「丁寧な説明」なのwww
まず、「『女なんて男に寄生してニートすることしか考えてないんだよ』とか言うキモオタ」という例が何に係ってるのか。
これは性的志向についてじゃなくて異性に対する偏見の持ち方に関しての記述なんだから、その点において「同レベル」だという例えなんでしょ?
それに関しては、「偏見かもね~」というレベルで自分は「ある意味同類」。これが結論ね。
当然ここまではオーケーだよね?
話はそういう事じゃないらしいけどw
君が言っている「ホモを見いだす行為」は、そもそもセクシャルマイノリティでない人間の性志向を勝手に規定した上で、勝手にカップルを作っている状態。
その人らが「セクシャルマイノリティでない」とは限らないんですよ。
早い話「バス停でいちゃいちゃはしゃいでいた見知らぬ男性二人」みたいな状況だとセクマイかどうかなんてわかるわけないでしょ。
自分がオカズにされるかどうかではなく、自分の意志と関係なくホモセクシャルであることにされた上に、自分の意志と関係なく恋愛関係であるとされている点が、全然違う。
巨乳Tシャツ女子は自分の意思と関係なくヘテロセクシャルであることにされて、自分の意志と関係なくオカズ扱いされてんですよー。
なにがちがうのかしらん。ああ、妄想の主である男がより主体的に被妄想側に関わってこれるところとかかな。
というわけで、やっぱり「同レベル」だし、違うところなんかないよね。
なのに、欲望したいくせにされるのはイヤだというのはどうかと思うんですけど。どうなんですか?
あとそれ仮に「全然違う」として、何か変わることあんの?
全然一緒じゃない。
どうやら君はバカみたいだから、丁寧に説明しないとダメっぽいけど。
これは、異性への興味、性欲。
>普段あれだけ巨乳がどうこう貧乳はアカンとか何とか所構わずエロネタ振りまいてくる
これは本人の性的志向のアピール。
君が言っている「ホモを見いだす行為」は、そもそもセクシャルマイノリティでない人間の性志向を勝手に規定した上で、勝手にカップルを作っている状態。
全く違うのが理解出来るかな?
>普段あれだけ巨乳がどうこう貧乳はアカンとか何とか所構わずエロネタ振りまいてくるくせに自分がオカズにされんのは拒否反応とか都合良すぎンだよカスが。
自分がオカズにされるかどうかではなく、自分の意志と関係なくホモセクシャルであることにされた上に、自分の意志と関係なく恋愛関係であるとされている点が、全然違う。
巨乳美人の例で言うなら、巨乳美人がレズビアンだと宣言していないにも関わらず、勝手にレズビアンだと規定して、更に実際にはそういう関係でないにもかかわらず、別な友人と恋愛関係であると決めつけ、話をするようなもの。
全く違うのが理解出来るかな?
おしっこかけられたい、という程度のささやかなパートナーの希望を叶えることで、一体何が失われるのかよく分からない。
まずはお風呂で、相手の背中から近づいて肩に座る(またがる)ような感じで自然に…というあたりから始めれば抵抗は少ないと思う。シャワーをすぐ浴びられるし、そもそも尿それ自体は、病気でもなければ、臭いがあるだけで不潔ではない。
ただ、注意しなくてはいけないのは、彼が「そういうプレイを好きでない女の子を説得して、いやがらせ恥ずかしがらせながらそういうことをさせる」のが好きであった場合で、その場合、あなたはずっと「慣れ」てはいけないことになる。これはなかなか大変だ。
まあ、人間一度は自分の性的志向と向き合っておく必要があるので、そういう機会にきちんと考えておくことは割と重要だと思う。すくなくともおにぎりのことよりは重要だ。
1.あなたの二次元児童ポルノ嗜好の原因はなんだと思いますか?
2.自分が二次元児童ポルノ愛好者なのだと初めて判断したのはいつですか?
どのようにですか?
3.二次元児童ポルノ嗜好は、あなたの発達の一段階ではないですか?
4.二次元児童ポルノ嗜好なのは、成人を恐れているからではないですか?
5.一度もセックスをしたことがないなら、なぜ、二次元ロリショタの裸(おしっこ)の方がよいと決められるのですか?あなたは単に、よいセックスの経験がないだけなのではないですか?
6.誰かに二次元児童ポルノ愛好者であることを告白したことがありますか?
その時の相手の反応はどうでしたか?
7.二次元児童ポルノ嗜好は、他人にかかわらない限り、不愉快なものではありません。それなのに、なぜ多くの二次元児童ポルノ嗜好者は、他人をも二次元児童ポルノ嗜好に引き込もうと布教しようとするのでしょうか?
8.子供に対する性的犯罪者の多くが二次元児童ポルノ嗜好者です。あなたは自分の子供を二次元児童ポルノ愛好者(特に教師)と接触させることを安全だと思いますか?
9.二次元児童ポルノ愛好者はなぜあんなにあからさまで、いつでも彼らの性的志向を見せびらかすのでしょうか?なぜ彼らは普通に生活することができず、公衆の面前で「○○たん萌えー!」とか叫んだり、キャラグッズをはめるなどして、二次元児童ポルノ愛好者であることを見せびらかすのでしょうか?
10.二次元キャラと俺たちとは肉体的にも精神的にも明らかに異なっているのに、あなたはそのような相手と本当に満足いく関係が結べますか?
11.二次元キャラとの恋愛は、完全にご都合主義なサポートが受けられるにもかかわらず、今日では、一年間に「結婚」するご主人様の半分がやがて宗旨替えするといわれています。なぜ二次元キャラとの恋愛というのは、こんなにうまくいかないのでしょうか。
12.このように、二次元児童ポルノ嗜好が直面している問題を考えるにつき、あなたは自分の子供に二次元児童ポルノ愛好者になってほしいと思いますか?セラピーで彼らを変えるべきだとは思いませんか?
http://yuichikawa.blog28.fc2.com/blog-entry-1434.html
http://d.hatena.ne.jp/nodada/20090418/p1
において紹介されていた文書の改変。まず判ってくれるとは思うが、
決して元記事の意図それ自体を茶化すものでないことは特に記しておく。念のため。
http://anond.hatelabo.jp/20081223010218
まとめると、前提として、「幼児性愛者と、幼児性愛行為による加害者は全く別物」というごく当然の常識を置いた上で、
a.合意形成した場合の、合意主体間の非対称性の問題と、
c.他のセクシュアリティよりも、性犯罪に至る実質的な危険性が高い
の問題の3つの要因から、ロリコンは他のセクシュアリティとは区別されるべきである。という話な。
性行為そのものに同性愛全般や、異性愛全般よりも、当事者間に非対称性が発生する可能性が高く、それが問題となりうる可能性が高い、というのはその通りだと思う。
ただまあ、ロリコン一般ってもけっこう含意がひろいからある程度、グラデーションなのよね、そこは。
性行為については「被害者」「加害者」のくっきりとした色分けが難しい場合があるからなぁ
a1.相手が性行為について十分な知識と判断能力を持ち、かつ行為を行った相手に対して一定以上の性的欲望を抱いていており、合意した子の場合。(これはOKではないか、と)
a2.相手が性行為について十分な知識と判断能力を持つが、行為を行った相手に対して合意をしていない相手の場合。(これは大人のレイプと同じ扱い)
a3.相手が性行為がどういうことであるのか、理解が中途半端な場合。(いちばん微妙)
a4.相手が性行為の意味を理解していない場合。ただし、被性行為に対して被害者感情を抱かず、実質的な被害(妊娠など)がまったく起こらない子の場合。(これも扱いが微妙)
a5.相手が性行為の意味を理解しておらず、かつ、被性行為に対して被害者感情を抱く、あるいは実質的な被害(妊娠など)が起こる子の場合(これはわかりやすくアウト)
現行の社会通念や、法律との衝突さえなければ、「a1」に関してはOKだと思うけどね。
「a3」「a4」はめんどくさいけど、まあ、グレーだから、黒ということにしたほうがラクなので、1と2の間で、白と黒の境界線を引くのがいいかなぁ。
「現行の法秩序に反する」からダメ、という議論については以下のような反論がありうる。
「現行の社会通念にはまったく反しない(むしろ推奨される)が、現行の法秩序には残念ながら反する」行為があった場合、それは法秩序のほうの変更が要請されると思われ。「法的にまずいから、まずいんだ」式の議論は、個人の利得を考えた上での行動基準としては妥当だと思う。だが、一般論としてそれを言ってしまうと、いかなる悪法もそれが法である以上、それに背く全ての議論がだめだと言うことになってしまうのできまずい。よって、「法に反するから」はそれ単体では責めを追うべき十分な理由とは言えない。
同様に「社会通念に反する」からダメという議論については以下のような反論がありうる。
現行の社会通念に反するとしても、様々なことを鑑みると、社会通念からするとよくないことになってしまうが、社会通念から外れた考え方をしたほうが、意外とみんながみんな幸せになれる解決法に近いもの、というのがある。よって、社会通念に反するから、ということだけでは十分な理由とは言えない。
ただ、もちろん。「十分な理由」ではないだけで、「一定程度、説得的な理由」だとは認められるべきではある。考慮されるべき指摘ではあるが、それで議論をすべて終了させてしまえるほどに強い理由ではない。
まあ、そのことを確認した上で
[a]で確認したグラデーションは、どうやって認定するのか、という問題がある。たとえば、
b1.年齢
b3.周囲の大人10名程度
b6.一般的な知能検定
などが考えられる。いずれか一つかの認定基準だけでは、不完全だと考えられる場合が多い。
(例えば、IQ160で性知識豊富な15歳の女の子が、1年以上悩む期間を与えられた上、あきらかな自発的合意の上で行為に至ったと認められる場合に、子の親が被害届けを出したとき)
現行は、「1:年齢」の基準が適用されているが、
あたりまえだが、年齢という基準だけでは、「a1」「a2」に類する事例も含んでしまうので、現在の法システムはかなり不完全ではある。なので、「ほんとにまずいロリコン」と「別に実質的にたいして問題がないと考えられるロリコン」とがかなりおおざっぱに放り込まれている。よって、「ロリコンは悪いのか」といったとき「ロリコン全般」の問題が迷路に迷い込んでしまう。「現行の法的基準上、問題になってしまう」ということではおそらく、議論が難しい。
わからん。
c1. じゅうぶんに妥当と認められる程度において小児への性的「犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の小児性愛志向を有する者の全て
c2.じゅうぶんに妥当と認められる程度において同性愛への性的「犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の同性愛志向を有する者の全て
c3.じゅうぶんに妥当と認められる程度において異性愛への性的「犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の異性愛志向を有する者の全て
c4.じゅうぶんに妥当と認められる程度において両性愛への性的「犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定の両性愛志向を有する者の全て
c5....じゅうぶんに妥当と認められる程度においてその他の性的「犯罪」を犯した者の人数 ÷ 一定のその他の性的志向を有する者の全て
の割合を比べた場合に、c1が、c2,c3,c4,c5...と比べて有意に高いと言えるのかどうかを調査した研究があればそれに従う。
しかし、グーグル・スカラーでさらっと論文検索してみても、この問題をきちんと正面から調べてるっぽい研究みつからず。
確かに、理屈的に言えば、13歳以下のロリコンの人とかは、13歳以下と行為に直接に及ぶというのが最大の性欲求達成行動にはなる。
しかし、チャイルドポルノ、ロリコン向けエロマンガ等による代理的機能がどの程度でかいかも、わからず。結論:わからない。
よって、たぶん、現在までのところ、「ロリコンが異常で犯罪に及ぶ率が明らかに高いセクシュアリティである」は出ていないと思われる。
あるいは、たとえ、ロリコンが他のセクシュアリティよりも、多少危険だったとしても、
「酔っぱらって、レイプしちゃうオヤジ」とかの危険率を上回るかどうかとかいう議論に応じて、議論にはかなりグラデーションが出るはず。
ということで全体の結論:
改めて議論をまとめると次のようになる、
1.深刻な小児性愛者の一部が、他のセクシュアリティの持ち主よりも、当事者の合意を得ない性行為を行ってしまう可能性はある。だが、そうでない可能性ももちろんある。
2.現在の小児性愛者犯罪を認定する法的基準がじゅうぶんに妥当であるとは言えない可能性がある。
3.小児性愛者は、他のセクシュアリティの持ち主よりも危険であると推測される理由は存在するが、実証的に示しうる根拠はない。
つまり、
小児性愛者が、他のセクシュアリティの持ち主よりも危険である可能性はありうる。
だが、ほんとうに危険かどうかはさっぱりわからないので、それは可能性の議論にすぎない。
小児性愛者を犯罪予備軍として扱うのに十分妥当と言いうるだけの根拠はない。
よって、
小児性愛者を犯罪予備軍として扱うのは早計であるばかりでなく、セクシュアルマイノリティへの妥当ではない社会的差別や抑圧として働く可能性がある。
少なくとも現時点では、小児性愛者全般を、深刻な犯罪を犯す可能性が高い人々だと考えるのは積極的には認められるべきではない。
はあると思う。
ロリコンの人全体が非難されるべきではないけれども、
1.レイプやセクハラが防止されるべきなのと同じ理由で、その運動は妥当な運動である
2.しかも、レイプやセクハラよりも、被害を受ける側がより一方的に無力な被害者となりうる可能性は高い。
なので、レイプやセクハラよりも重点的に行われるに足る理由がある
しかし、
3.子供を性犯罪から守る運動が、小児性愛者を抑圧する形で展開された場合、それは過剰な社会的差別や抑圧として働く可能性がある。
子供を性犯罪から守る運動が、小児性愛者への攻撃として行われているのはなんともなぁ。
この記事では、ロリコン、ペドフィリア、小児性愛者といった用語をあまり厳密に区分して使っていません。すみません。
fromはてブ
「家庭内DVみたいなものとして、ロリコンが問題になりやすい」点も要考慮とのことです。
これは、統計とかで出してくるのが難しいからなぁ…
ただ、これも「ロリコンをセクシュアリティとして禁止すること」によって積極的に解決ができるタイプの問題というよりは、「非公共圏(親密圏)における暴力の解決」という枠組みで処理したほうがいいように思われる。セクシュアリティそのものを抑圧しても、問題が目に見えなくなるだけで被害は増えると思うので。
非公共的な空間における暴力発生メカニズムについては、最近まで積ん読して放置しておいた内藤朝雄の『いじめの社会理論:その生態学的秩序の生成と解体』は評判通りけっこうおもしろかった。でも、どういった介入が効果的か云々って話はむずかしいよなぁ。そこから先は専門家の領域になるんだろうなあ。ただ、「専門家」においても、ロリコンを、セクシュアルマイノリティとして認めるよりも先に、「犯罪者予備軍」的な先入観から入る人が多いから、なんかあんま会話にならない場合とか多いよね。この領域こそ、まさしくフーコー的な話の出番っつーか、いや、まあ専門でやってる人たちはおそらくそこのディスコミュニケーション状況とかにとっくにげんなりしたままはや数年とかっていうような世界なのだろうけれど。漏れも、知り合いの福祉関係の仕事やってる人にロリコン擁護的と受け取られる発言するたびに、白い目で見られるものなぁ。
あと、人に教えてもらったがこのページも問題提起的ですた
http://www7.plala.or.jp/vitamin/p/sub01.htm (昔懐かしの、トップページでいきなり音楽がながれるページなので要注意)
→続き的なエントリを書いたよ。
「ロリコン」の論点整理2
あなたは自分のエントリが意外と他人を傷つけているということを自覚すればそれでいいです。同性愛者に限っても人口の1%いるのですから、たとえば東京には10万人のゲイ・レズビアンがいるわけですよ。学校に通っていたなら400人や500人は知り合いがいるでしょう。その中には確実に4??5人ゲイやレズビアンの人がいたんです。彼ら彼女らはあなた方と性的志向が違うからといって、あなた方を「気持ち悪い」なんて言いましたか? それどころか彼ら彼女らは「気持ち悪い」と言われることを恐れて、まるで自分が悪いかのように自分で自分を否定しながらあなたの周りでひっそりと生きていたんじゃないでしょうか。だって学生時代に身の回りで同性愛者に出会うことなんて、正直なかったでしょう? それが当然だと思っていましたか? それはあなたが単に油断していたというだけのことにすぎません。
多様性に眼を閉ざしていたからこそ、多様性に出会って戸惑っている。神様は時に残酷で、多様性から目を閉ざしていたあなたの、もっとも大切なものの一つを失わないために、それに多様性を付与したのでしょうね。
あなたがもし彼のことを本当に大切に思っているなら、本屋なり図書館なりに走って「そもそも同性愛とは何なのか」をきちんと勉強すればいいでしょう。そうすれば、神様の気まぐれはあなたの人生への素晴らしい贈り物になりますし、たかだかそれだけの手間を惜しむなら神のイタズラに振り回されてあなたは人生の悲惨を味わうでしょう。
というわけで、こんなエントリ立てるより、すべきことは沢山あると思います。今すぐ。
そ、そこまではおらは思わないっす!
だって人の性的志向を平気で「気持ち悪い」とか言う?
気持ち悪いって言うよ!
ロリコンもストーカーも覗き魔も痴漢も正直みんな気持ち悪いよ!(むしろゲイやレズより)
気持ち悪いと思うこと自体は仕方がない話デスヨ。元増田さんの生まれ持った性的嗜好がゲイを気持ち悪いと思うんでしょ。
それを治したいとか「正常」になってほしいとか言うことと気持ち悪いと思ってしまうこととは別の話で、そこを否定しちゃあ。
http://anond.hatelabo.jp/20070528200545
また余計なことを言う。どんだけー