「元ネタ」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 元ネタとは

2020-02-27

[]某ゲートさんの元ネタを探すために海外ニュース翻訳アンテナ

https://f1internews.com/

国内F1ニュースってあんまり情報量が多くないので、海外情報しりたいなーって思って作ってみた

Google Newsの各国版(RSS配信してる)のタイトルを同じくGoogle翻訳を利用して翻訳

気になった記事リンク開いてchrome翻訳かければだいたい読める。

サーバ代はかかるけど趣味のものから別にお金かけてもいいやぁって感じで。

現段階ではこれ以上機能を追加するつもり無いのでこそっと公開。

罹患羅漢と書く人がいる」という話を聞いて「流石に間違わんやろw」と思ったけど、読み仮名の間違いが本質らしく自分も間違えて読んでた。恥ずかしい。

罹患」と書いて「ラカン」と読んでしまうのは何か元ネタがあって影響受けてるのかしら。

2020-02-26

みんな添え物

何かの流行に乗っかって話すことは格好悪いと思っていた。

厳密に言えば今も推奨はしてない。

かつて絵画では聖杯やら聖骸布イメージさせるものを描いていれば、

後は自由表現していい、という暗黙のルールがあった(日本画家山口晃の言)。

これは別段教会がそうしろといったわけではない。単純にクライアント需要問題からだ。

同じ様に現代二次創作者もなにかの元ネタから自分画力を添えて表現する。

キャラ愛という言葉で修飾されているものの、おそらく6割以上の人間二次キャラを閲覧数のために使っている。

増田ダベリTwitterやTogettarから流れてきたおこぼれを消化する形で伸びる。

自分という主体性を隠しながらメインの防弾チョッキを着て戦場を走り抜けてゆく。

死体には目もくれない。

別に死体を見ろと言いたいわけじゃない。

ただ、添え物ってのは単なる方法論だから許容するしかないんだろうと。

そうまでして二次的な主役になりたいのだ、みんな。

2020-02-25

[]ミソる

突然嫌な思い出がよみがえってうあああああああああってなること。

元ネタは、2004年ごろに、夜中の公園で「サボテンビクビクッ」と叫んで通報された人が、あとでその時のことを思い出して「ミソッミソッ」とつぶやいたこから

2020-02-24

大脱走観た

面白かった

ショーシャンクであった砂の捨て方は元ネタこれか!

それぞれキャラが立ってて覚えやすかった

100mもあんな狭いトンネルを掘るなんて気が狂いそうに思うな

最後ドイツ軍に捕まるかゲシュタポに捕まるかで末路が違うのか

なかなかハイルヒトラーを返さない所長が面白かった

2020-02-23

[]『武士道精華 山中鹿之助』簡略版

前書き

真田十勇士はまだしも知られてるけど

その元ネタだったらしい「尼子勇士」って

メンバー名前すら知られてないよな

どんな話だったんだろうと思ってググってみたところ

立川文庫の『武士道精華 山中鹿之助』という本が

国立国会図書館デジタルコレクションで読めたので

その内容を簡単にまとめてみることにした。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/891033

Wikipediaによると

勇士人物像について始めて具体的に記述された史料は、文化8年(1811年) - 文政4年(1821年)にかけて刊行された『絵本更科草紙』である

この書は、幸盛の母である更科姫と、尼子勇士による活躍を描いた物語である。書と共にこの話は全国的に広まったようであり、この後には、十勇士を題材にした浮世絵の描画や歌舞伎の上演、また十勇士が描かれた絵馬神社奉納されるなど、世間一般にこの話が浸透していったことが分かる。

明治時代に入ると、先の『絵本更科草紙』と同じ内容で、表題を『尼子勇士伝』とした書が刊行される。明治44年1911年12月、『絵本更科草紙』の内容を簡略化し、大衆向けに噛み砕いた文で表した書、『武士道精華 山中鹿之助』が立川文庫より発行されると、尼子勇士の名は一躍有名になる。

というわけで簡略版の簡略版ということになるが、

わりと長くなったので短く分けてトラバに書いていく。

ラブライブパネルを見て

A「このスカートの皺と影の表現下半身が透けているように見えるんだけど……」

B「どれどれ……うーん、これはスカートの動きで生まれた皺と影だから、透けて見えるように書いたわけじゃないよ。でもアニメを見慣れていない人にはそう見えるのか……もしかしたら、アニメ以外の多くの人が目にする場では、誤解を生んでしまうかもしれない表現なのかな」

こうならないで、

A「このスカートの皺と影の表現下半身が透けているように見えるんだけど……」←まずこの元ネタ発言確認してない

B「スカートは透けているのではなく、皺と影を描いたもの」←こう発言するならわかる

でも

B(なんで皺と影を透けていると勘違いするんだ?)←考える

B(そうだ!ラブライブが気にくわないか文句をつけているに違いない!)←決めつけ

B(自分の好きなアニメを潰したいと思っている敵から攻撃だ!)←思い込み

B「フェミ乙!ラブライブが標的にされている!」←思い込みから被害妄想

C「またフェミか!あいつらまたオタク攻撃してる!」←事実確認せずに、他人からの伝聞を鵜呑みにして拡散

別の人が

D「別にラブライブ攻撃されているんじゃなくて、このスカート表現公共の場だと誤解する人が生まれから、一度考えたほうがいいってことじゃないの?」

BC(俺たちの意見に反対している!あいつは敵だ!)←議論をせずに敵認定

BCフェミがなんか言っている!ラブライブは既に世間に認められているというのに!」←もう要点と関係ないことを言ってる

パネル撤去される(この対応が適切だったとは思わないけど)

BC「またフェミアニメを潰した!!!

E「許せねぇ!俺フェミアカウント潰してくる!」←妨害行為

BCE「フェミは敵!フェミアニメを潰す!フェミ差別的!」

以下ループ

地獄だなこれ。

2020-02-22

想像上の敵と戦っているのはどっちなんだ

元ネタ自分確認しないで、他の人が的外れ批判をしているのに、さらに乗っかって的外れ批判を上塗りしてるぞ

2020-02-21

anond:20200221075645

少なくともギャグ漫画だったはず。

まあそのギャグ自体がその手の「あるある」ネタにしてるわけで、「元ネタ元ネタ元ネタ」まで行くとそういうのになるんだろうけど。

これの更に元ネタってなんだっけ?ポプテピピックか何かだった気がするのだが。

元ネタ

見て!

○○が××しているよ

かわいい

みんなが見るので○○は××するのをやめてしまいました

お前のせいです

あ〜あ

みたいな感じだった気がする。

anond:20200220210924

朝顔打擲する勢い

ってのはどこから出てきたんだw

どこかに元ネタがあるのか、或いは腐女子文としては定番表現なのか

と思ってうっかりぐぐったけど特にそれっぽいの引っ掛からないし、元増田オリジナル

2020-02-19

寧ろ検閲宗教思想絡みのもの民間のものも多い

本当こいつら過去に学ばないんだなw

そもそもレーティング等の規制民間(一部の思想団体政治団体、そして宗教絡みも多い)から出てくるものなのは散々指摘されている事だし、映画に関しては元ネタとも言えるアメリカ自主規制検閲なんてものはそれこそモロにカトリック矯風団絡みだったりするのになw

多分こんなもん調べればすぐに出る事だと思うぜ?

しかしこうしてみるとあの当時からこの手の連中のお気持ち押し付け行為手法は変わっていないのだなと思う。

ある意味綺麗ごとや詭弁弱者権利道徳悪用する分ヤクザなんかより遥かに性質が悪いよ。

オタク強度が上がる三大作家

虚構推理を観てると

ほうほうと興味深く観ている夫の隣で、

「あー、ペルソナ2で噂システムあったなー」

とか

名前を付けるとやべーってのは諸星大二郎妖怪ハンターであったなー」

となるわけですが、

(※だからといって虚構推理陳腐作品とは全く思いません、どう料理するかが作家の腕の見せ所なので。今の所とても気に入ってるアニメです)

年を取ればとったオタクであるほど、

こういうネタ、前にもあったなーと思いだす事が多くなるのは当然ですが、

その強度が上がる三大作家となると、

藤子不二雄

手塚治虫

星新一

ではないかと思います

星新一ちょっと全集かじったくらいだし、

藤子不二雄メジャーアニメしか見てないかホント印象だけども

私は筒井康隆ファンなので…

諸星大二郎先生結構いい線行ってると思う

上記3者がSF寄りなので日本伝承部門だと諸星大二郎先生が来るね

荒木飛呂彦先生はむしろネタを新たに作り出す方だし、

でも、アイディアインスパイアされてる側だし(映画ネタ多い所とか)、ちょっと違う


クトゥルフ系はどうなんだろうなーという感じ

元ネタその物だしなぁ

履修していて損はないジャンルではある

山田風太郎先生はこれまた1人1能力物バトルの元祖系ではないかと思いますが、

もついてこれてないので…

能を極めるとその時代の人になりきるから能はタイムマシン装置になる!!とか誰が付いていけるか

でも、甲賀忍法帖でいきなり能力反射、能力無効化、不死身、変身が出てくるあたりやっぱ天才だよね

しかも変身キャラが一番活躍するのが神

みんな山田風太郎を読もう

2020-02-18

東方心綺楼じゃないほうの蜃気楼

全然オタクじゃなかったころ、東方と聴いてマルコポーロがどうしたんだと思ってた。

そもそもネタも含んだ二次派生が多かったので、東方という膨大な何かが非常に2ch的で不気味な存在に思えていた時期もあった。

例えばゆっくりなど。東方というでかい蜃気楼の街があって大きな闇がうごめいてるような。

フリーゲーム系にも二次派生していたのでますますからなくなり、わかってきたのはPixivあたりで二次絵のキャラたちが描かれるようになってから

しか元ネタ弾幕シューティングだと知るのはもう少し先。

そうえいば、何かが廃れたら東方描きに戻るのが通例、という界隈もいまは昔だな。

そういえばミクを知る前にシテヤンヨを知ってしまった人はこういう感じだったんだろうか、など。

2020-02-17

anond:20200217153323

歴史ではないが似たような分野が好きで似たような思いしてるから

つーか「自分が好きなもの勝手魔改造されてズリネタにされていたら不愉快」ってのは普通に幅広い人が共感できる感情だと思うし

そういうオタク検索汚染したりガチ元ネタファンコミュニティに入り込んで荒らしてったりして迷惑かけてるケースも多いか

嫌われるの当たり前だと思うんだが

そういうのが理解できないのって、普段からズリネタになるもの以外全く興味関心ないんだろうか

anond:20200217152606

歴史を題材にしたオタ向け魔改造モノのファンガチ歴史ファン死ぬほど嫌ってるのは今に始まった話じゃないしな

しかもその中でも女体化って大抵下品元ネタへのリスペクトもないし

anond:20200217152108

そういう女体化とか擬人化とかを無邪気に楽しめる人は、結局ヤンキーなんだよ。

その元ネタに対する強い興味関心やリスペクトが元々あったガチオタク気質の人々な訳じゃなく、ただ暇つぶしに絵柄とかにホイホイつられて始めてきたゆるい人たち。そういう人たちのための娯楽を、そういう人たちに親しいマインドな人々が作ってる。ソシャゲ屋とかアダルトビデオ屋とかがね。

まじめに相手する必要のあるような大層な趣味じゃないよ。

2020-02-16

anond:20200216073726

男性のほうが下方婚を許容するというデータをどこかで見たけどどこだったっけ...

とりあえず、こういう記事はあるよね。

https://toyokeizai.net/articles/-/185987

Noteを見たり、巷間で取りざたされる話を見た感じおおむね納得かな。

女性妊娠出産育児いくらの対価を払うべきか?というのが男女の収入格差元ネタなんだろうけどね。

そこにそれなりの対価を払うべきとなったら、女性収入が上がれば上がるほど経済補填をできる人が減るから女性社会進出は未婚を生みだすよね。

この辺を追究していくと「地球へ」に出てくる生みの親と育ての親が分かれているディストピアしかないんじゃない?

2020-02-14

前田建設ファンタジー営業部観た

この増田を見かけて(anond:20200213214854)ちょうど時間も合ったのでさっそく行ってきた

元ネタの話については一切知らなくて、マジンガースパロボで知ってる世代

社会人としての見識があんまりないので、上司とかトイレとかあるあるってポイントらしきものがあまりからなかった

でも実際現場に行ってみると楽しくなっちゃうのはぼくも経験があるのでそこだけはわかった

途中で仕様変更というのも幸運なことに経験がないし

社会って大変だな

けっこう笑ったので面白かったです

しれっと永井豪出てるからみんな事前に顔を確認しておいてくれよな

2020-02-13

anond:20200207185501

 今更だけれど思ったこと書くね。

 エンタメに飽きたら、世界史勉強をするのがいいんじゃないかな。

 この元増田の言っていることの全部が正しいとは思わないんだけれど(たとえば「海外ドラマはお子様向けを卒業した十二歳向け」みたいな表現ね)、娯楽をある程度摂取するとパターンが見えてきちゃうのは本当だと思うし、たくさんの作品を鑑賞していると、脚本術について詳しくなくても、「この場面で伏線を張っているな」とか、「今このキャラクター物語をたたみに向かってるな」とか、何とはなしに見えてきちゃうよね。

 それに、月9ドラマなんかだと作業しながらでもそれなりに理解できるようにストーリーを作っているので、まどろっこしく感じちゃうのもよくわかる。自分全然見ない。映画なんかも、友達と付き合いで行く以外は、こじらせ芸術映画をたまに見る程度。なんでかっていうと、アート映画脚本術に従っていない、従っていたとしてもあからさまじゃなくて、どういうストーリーになるかほとんど予測がつかない。そこが楽しいから

 で、この増田勉強することにしたみたいだけれど、なんだかんだ言って、教養を得ることに向かうってのは、いい考えなんじゃないかな。

 自分なんかは、世界史をざっくりと勉強してみると楽しかった。ちょっと古い本だけれど、中央公論社から出ている「世界歴史シリーズ全三十巻を、数年前に読んでみた。正確には、学生時代に流し読みをしたものの再読だ。

 世界史を知っておくメリットはいくつかある。ニュースを流し読みしても大体のことが頭に入ることだ。でも、それとは別にそもそもすごく楽しいってのがある。いろんなファンタジーとかゲームとかの元ネタを見つけるとわくわくするし、遠い国の人たちの暮らしを知って空想するだけでも、毎朝の通勤時間が豊かになる。

 それと、このシリーズは、歴史地域ごとに分かれて書かれているので、ある出来事複数の巻で重複して触れられることがある。たとえば、モンゴルによるバグダッド破壊なんかはイスラームの勃興期と遊牧民を扱った巻にそれぞれ出てくるし、トルキスタンで起こったムスリムの反乱は、近代イスラームの巻と清朝末期を扱った巻の両方に出てくる。

 それの何が面白いかっていうと、同じ出来事見方によって評価全然違うってこと。当たり前なんだけれど、ある国では救国の英雄だけれど、別の国では冷酷な侵略者になっていることなんてざらだし、時代が変化することで評価が逆転したり、忘れられていた人に急に光が当たったりする。チンギス・カンモンゴルではヒーローだけれどほかの国では災厄以外の何物でもないし、バッハフェルメールといった人物も、忘れられていた時代があった。この世界史シリーズも著者によってバイアスがかかっていて、そこがかえって読みごたえがあるんだけれど、モンゴル担当した人が個性が強くて、「遊牧民文化は定住民のせいで低く評価されすぎ!」みたいな本を出していて、おかげでモンゴル残酷行為が若干省かれちゃっているのが難点。

 これってまさに芥川龍之介の「藪の中」みたいな感じで、互いの証言矛盾しているから頭を使わないといけなくて、下手な娯楽よりもずっと面白い。いや、自分現在起こっている日本中国韓国との証言の食い違いは、あまりいい気持がしないんだけれど、それがたとえば何百年も昔のことだと、それがとてもロマンチックに感じられる。聖地奪還の情熱燃えていた十字軍も、アラブから見れば「なんか辺鄙なところから蛮族が来たぞ」みたいな印象しかない、みたいな話だ。

 話がそれてしまったけれど、自分が言いたかったのは、頭の中に複数物語を併存させておくことで、自然物事に対して客観的になれるメリットがある、ってこと。しょっちゅう増田表現の自由だとかセクハラだとかいろいろと炎上したりしているけれど、ある人の意見絶対視しなくて済むようになる。Aという視点ではこうだけれど、Bという観点からだとこういう意見が当然出てくるだろうな、ってのが読めてくる。読めてくると、「この人ならこういう反応をするだろうな、この専門家ならこういう発言をするに違いない」ってのがわかってきて、こっちも必要以上に感情的にならなくて済む。元増田は「悪化する大衆メンタリティ」という表現で、そういう荒れがちな場をちょっと下に見ている感じもないではないけれど、議論にすらなっていない議論から距離を取ることができるようになると、余計なストレスを感じなくて済むのは確かだ。

 それに、複数見方ができるようになると、例えばムスリムから世界史を見たらどう見えるだろう? 女性史の観点からならどうだろう? って、多くの人に受けいれられている歴史見方を疑ってかかれるようになるので、やっぱり楽しい

 他にもいろいろメリットがあって、基礎的な知識があると、ほかのことを勉強していてもすごく楽しい古典文学を読んでいてもすごく面白いし、百年前のあの憧れの人と同じ本を手に取っているって興奮できる。文豪たちと同じ詩を読んで感動するのはいものだ。科学医学歴史についてざっくりとでもいいので学ぶと、自分生活は先人のものすごい技術的蓄積の上に成り立ってるんだなって思うし、自然科学の基礎的な素養があると、ぽっと出のインチキ治療法には引っかからなくなる。哲学史について軽く触れるだけでも、学生時代にしたような哲学的思索は、ギリシアインドが二千年前にとっくに通過した場所だってわかってはっとする。女性地位がどう変化したかをたどってみると、「女性は『常に』被害者だった」みたいな極端な意見には大きな疑問符をつけることができる。

 それと、こうやって三十巻ざっと読んで思ったのは、自分歴史観はバイアスがかかっていたんだなってこと。たとえば、ギリシアローマ歴史は一巻にまとまっていて短すぎるって思ったし、中国歴史ももう少し細かいところに触れてほしいって思ったけれど、たとえばムハンマド時代からアッバース朝滅亡までが一巻ってのはちょうどいいって感じられて、これってつまり自分イスラームのことをまだまだ知らないってことだよね、って思えたりして、バランスが悪いなあって。自分の考えは、ちょっと偏っているかもしれないって、疑えるようになるってのもまた、勉強する楽しさの一つだ。

 あと、いろんな知識が増えると、いろんな人が自分よりも前に書かれた本について言及しているのをたくさん見つけることになるんだけれど、この世界がまるで巨大なシェアードワールドみたいな感じがして面白い自分古典を読むのが好きな一番の理由がそれかもしれない。さっき述べた、互いに矛盾するような証言でさえ、この世界がどれほど「作りこまれいるか」、いいかえると複雑なのかを教えてくれているみたいで、興奮する。

 自分通勤時間と昼休みしか読書をしないエンジョイ勢だけれど、こういう勉強ってのは一生やっても飽きない気がしている。娯楽を馬鹿にするわけじゃない。でも、「娯楽の場がぎすぎすして嫌だな」ってときには、ほかに楽しいと思える遊び場を持っておくのは、いいことなんじゃないかな。

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