はてなキーワード: 今敏とは
今敏は好きだ。
でも傑作は千年女優だけであとは佳作ってところか。ストーリーは。パーフェクトブルー好きだけど。
それだけの理由で、東京タワーに1600円出して登ってきたのだが、
低い方の展望台に、ライブイベントのための小さいスペースがあって
毎週日曜に生ライブをやっているらしいのだが(調べた)、
一度行ったきりの地下アイドルで見たような原色蛍光カラーのフリフリドレス、
当然肩は剥き出しで、下の丈も短かった。
俺の乏しい知識で言えば、百合漫画で元アイドルのアシスタントが主人公のオクターヴや、
今敏監督の作品を遡って観て、アイドルがVシネ、おっぱい、更にと墜ちていく姿に
初見はショックで立ち直れなかったパーフェクトブルーみたいな、
そんなレトロでフェミの方がカンカンに怒りそうな男性の消費コンテンツとして
絶滅危惧種感すらあった。
最初の曲がラムちゃんのテーマ曲だったのも加速感の原因だろう。
自分の歳を二倍にする前にやっていたアニメの曲を歌う女の子たちは、それでも客先のステージに立てて、ユーストで全世界に生ライブして嬉しかったのだろうか。
このおっさんの気持ちを知れば、吐きたくなるだろうに…分かってるのだろうか。
幸いだったのがライブの上手で、ずっと振り付けを真似していた幼稚園ぐらいの女の子。
ステージでくるりと回れば、その娘もくるりと回って、その時だけ周りも和らいだ。
その娘を除けば、偶然立ち会わせた俺のようなおっさんか、駆けつけたおっさん。
当然だ、ここは何処だ?
居た堪れなくなって途中で失礼した。
近所の公園でお茶を飲んで、やっと早まっていた鼓動が収まった。
ふと見上げれば鯉のぼりだ。。。死にたくなった。
今敏監督のイメージは「千年女優」で、というかこれしか観て無かった。
かなり昔に観たのでほとんど忘れてしまっているが、イメージは固定されていた。
なんなんだろうなこの作品。と、物語が動き出すまで、結構序盤が長い。
それでも、一切ダレること無く、疾走感や浮遊感で引っ張る映像はやはり凄い。
正直、感情移入することが出来なかったけれでも、最後までついていけてしまう。
せっかくここまで出来るのに、どうしてこうしてしまうんだろう。という作品の人。
一般的には、脚本やストーリーが弱いとか言われてしまう感じの。
女優って女優を演じてるよなあ、監督が。という感想ばかりが残ってる。
こういうのが好きな人は、好きなんだろうなあ。と積極的に観たい。という人では無かった。
パプリカも、たまたま大きなスクリーンで観れる。という理由だった。
夢を題材にした作品だと知ってたので、ぐっちゃぐっちゃぐっちゃにして、
丸投げにして好きな人は好きだよね。俺マニアックだから、という作品だろうと思っていた。
が、まるで違った。夢を扱った作品なのに地に足が付いている。悪い意味に聞こえそうだが正反対だ。
導入も抜群にうまい。こういう作品をここまですんなり説明しきるのはすごい。
ストーリ展開も夢という構造を活かしながらも、複雑にし過ぎず分かりやすい。
例えば、現実だと思ったら夢だったという、多重構造ももちろんあるのだが、
それが既に意味として使われているので、根幹の土台を崩すような乱暴はなく、観客を混乱させない。
ここは現実なのかしら。をここまで丁寧に使う作品ってあんま無い。
疾走感/浮遊感のある映像は健在で、丁寧なストーリーに刺激的なアクセントを加えつつ、全体をうまくまとめあげてしまう。
ストーリーが難しい。という感想が多いのだが、夢という舞台装置に引きずられすぎてる思う。
刑事に関する話やパプリカの正体に注目すれば、伏線やセリフ、それに一見不明瞭な映像も適切に消化されている。
正直、ちょうどよすぎるほど後味が良く終わる。
パプリカを観て、今敏監督に対するイメージが大きく変わった。そして、非常に惜しくなった。
マニア受けかと思ったら、ぜんぜん大衆娯楽映画みせてくれる人じゃん。
そうそうみたいのはこんな感じなんだよ。なんだこりゃもったいねえ。と。
分かってないつーのはあれにしても、最近のアニメをかたくなに認めようとしない人って、ロボ系つか1980年代と90年代の一部を崇めている傾向があると思う。
ネットのアニメ評論家さんたちのヒエラルキーもそうなってて、いかにそこの時代知っているか、
富野についてどれくらい語れて(あるいは出崎含む)、ガイナックスについてどの程度喋れるかが一種の指標化しているのはなんとも画一的。
とりあえず、彼らは、日本アニメは手塚が作ったらしいという認識があるけど、特に興味なく(当然ディズニーにも)、
アトムでコンテ切ってた富野こそアニメの始祖だ、それ以前はどうでもいいんだ的な感じで(ヤマトくらいは見ているにしても)、
以降の1980年代を崇め奉って、90年代はガイナックス、幾原、渡辺信一郎、押井的なものは最高、
2000年代からはもう残りかすみたいな扱いで、今敏が死んでアニメは終った!(あるいはハウルの動く城以降)
みたいな感じで捉えている気がする。
アニメが終わったんじゃなくてお前らがついていけてないだけなんだよ、と言いたいんだけど、それは心に隠しておいて、
おまえがどれだけ有吉の穴に突っ込みたいかの意気込みは充分に伝わってくるがもうすこし整理してくれ
まず千原ジュニアが多幸感というところから有吉が与えてくれる笑いが多幸感と繋げているようだが
千原ジュニアの例は「自分が笑いを人に与えている例」で有吉の例は有吉が与えている本人として得ている感覚ではなくそれを観た一般人の「笑いを得ている」反応予測だろ?
全然違う事だろ?
次に基本的にあっていることを可笑しくとか言ってるが基本可笑しいこととはありえない事を言ってるわけじゃないだろ
「熊がうしでピンクで道路の井戸が平原に繋がる花火の境界線に」
とか少しも面白くないだろ 今敏なら面白くしてくれるかもしれないレベルだろ
豚が空を飛んだら とか 飛ばないことを前提にしている 知っている あたりまえ あっていること を面白くするためにありえない話をつけている
有吉だって 「それってありえないことじゃないですか」とかいう 仮想のありえない話や それを自分にあてはめたときといったありえない話をつけるだろ
つまりchikirinが ありえる話 をしていて面白いと思っているならそれはあたりまえの風な顔をして言っている事が「ありえないこと」だと感じていて
それをさもありえるようにしていることが多幸感を感じるってことだろ?
トイレットペーパーの代わりに一万円札つかうんだよねー みたいな話は紙であることその価値があることをしっていてなおかつありえないシーンをつくる
それがふつうに言えちゃうって立場を想像する 想像できることをツボにしてるんだろ
未開の土地にすむ民族に一万円札わたしたら紙にされたって話と 根本的に違うだろ 結果が同じでも違う話だろ
自分の書いたことに隙を突かれると致命的だと自覚してコメント封鎖してるような人間の正論は楽しみ方としてそうあるべきだろうけど
反論が存在しないからこれは正論だって導き方はおかしくないか?
おもしろい話をしている人間っていうのは 基本的に話が聞きたいっておもわせる人間の話は「わかっていることを組み合わせて解らない形にしてくれている」事だろ
「あっていることをおもしろく短く言う」と感じるということは 基本的に大手メディアが流している潮流をかいつまんでるだけ その前後に俺はとか奴はとかつけたら論者っぽいってだけだろ
けもの道や道なき道を踏みしめて道にしていったり途中で怪我をしたり命を落としていった先人は「バカなやつだ無茶しやがって」といいのけ自分はその先人がつくった道の真ん中で正論らしきものを唱える
たしかに今ある道がどれだけ安全で安心かって宣伝するにはそれは充分な効果だしいま恩恵を受けているやつはそれに金をはらっても惜しくないと思うだろうよ
思考実験とか データに基づいた予想 とかいうのが面白いって話をする人間がいたとしたら その周りにいる人間の笑いのツボって 宗教に近い意味不明な欲求を持ってるじゃないか?
まわりを良く見てみろ
最後に政治家とか引き合いに出しているが 多人数が意見の集約として代表を選出する比喩だろうけど それはなにか代表や自分達のなにかを取りまとめてくれているという点がどこにあるんだ
たとえば
「連日の夜更かしで無免許運転したやつが子供を何人もひき殺すなんてのはどんな言い訳があっても許されるものじゃない」
とかいうのは誰がどういっても そのとおりだろ 俺がいっても俺に票があつまらないのはなんでだよ
それは先頭に「俺が思うに」が付いてないからだろ
その「俺」がどこのだれだか 明日はちがうハンドルネームになってたりとかしない 固定的なだれかであることが必要なんだろ
経歴や個性で変えよう変わりようがない人間 デブとかテレビの命令になんでも従ったことがあるとかいう固定的なキャラだからだろ
つまり言論のバックボーンをイメージで補正してるんだろ 保釈金みたいに「ここまで出したらさすがに逃げないだろ」って担保を感覚的に持ってるだけだろ
人が人を好きになるのはしょうがないことだしそれは個人差のあるもので どれだけ好きで何を貢いでもそれは個人の自由だし 好きにしたらいいと思う
http://anond.hatelabo.jp/20130906122206
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20130906122206
sima_pan
個人的には、「クレヨンしんちゃん」「河童のクゥと夏休み」の原恵一に、一票入れたい
rutomoru
subaca
マスコミが「庵野秀明は宮崎の弟子」とデマを撒き散らす事すら腹立たしいのに。(庵野の本当の師匠は板野一郎なのは周知の事実)
こういう馬鹿どもは宮崎・高畑・押井・富野・原・今・細田と、その辺りしかジャパニメーション(笑)ではないと信じ切ってんのが糞むかついてしゃーない
それ以外のアニメ(爆笑)は低俗でポルノで日本の恥、と本気で思ってやがんだ
そういう連中に対する皮肉がこの記事ね
■[アニメ][身辺雑記]これがジャパニメーション! たった1日で全て見終わることができる、知っておけばアニメファンに一目を置かれる10作品
日本のアニメが文化として足りない点は、オールタイムベストが成立しないことだと思っている。
名作ランクでもキャラクター人気投票でも、ゴールデンの懐かしのアニメ番組はともかくファン投票をしたらここ5年以内の作品が大半を占めると思う。
なぜそうなってしまうのか考えると、アニメはたくさん見るのに長すぎる、というのが理由ではないかと思った。
1クールアニメでさえ、一話23分として4時間かかってしまう。
名作とされている、例えば初代ガンダムのTV版を見るには43話なので約16時間半(ガンダムは劇場版があるけど)。
自分はかつて富野アニメフリークだったのでザンボットとかイデオンとか色々見たけど、ふつうの人はそんなことしない。
それに新作アニメをチェックしていたら旧作を漁る時間なんてないだろう。
そんな、どの作品もやたらと長いアニメというのは、小説で言うとグイン・サーガとかペリー・ローダンに似ている。
熱狂的なファンはいるが、万人に受けないどころか、そのジャンルの愛好者でも相手にしない者は多い。
その流れでマクロスやメガゾーン、ぴえろ魔法少女や首藤剛志脚本作品など80年代アニメを追ったのだが、
大学のアニメーション愛好会に行ったら、アイドル天使ようこそようこと言って誰にも通じなかった。
文学愛好家なら必ず抑える小説があるし、映画愛好家だって、自称するならば押さえたい作品はあるだろう。
はじめにオールタイムベストが成立しないことが問題と書いたが、
アニメの問題は愛好家に、時代を追う、批評家意識がないことだと言い換えても良い。
アニメ オールタイムベスト で検索して出てきた2011年のTIME誌掲載ランキングでは、
http://www.allcinema.net/prog/news_details.php?NsNum=6003
まあ、劇場用長編を前提で考えると、宮崎・押井・大友・今敏、あとは今後細田くらいだろう。
日本のアニメがこれまでテレビアニメを前提で来てしまった以上、
ここで、アニメ業界の人達が駄目な制作進行を笑いのネタにして、はてブの皆さんがそのブラック業界っぷりや去っていくものを笑い者にする構図にドン引きしていますが
ふと思った、制作進行という仕事にこういうブラックなイメージを決定付けた元祖ってこれじゃないかと。
http://www1.parkcity.ne.jp/s-kon/record.html
これが書かれたのは、まだまだインターネット黎明期の97年頃。
大地丙太郎監督の「アニメーション制作進行くろみちゃん」とかが作られるのはこれから数年後の事だ。
今監督自身も「妄想代理人」の第10話で制作進行が主人公の回を作ったのはさらに数年後だ。
それまで、アニメ業界全体を捉えて過酷だ、悲惨だ、みたいな記述はアニメ誌などでも何度も書かれてきたと思うが、だいたいがアニメーターや演出家など主体の内容で、制作進行というポジションにここまでスポットを悪い意味で当てたものは無かったんじゃないかな(あったら教えて)。
出来の悪い制作進行に歪なあだ名を付けて、その出来の悪さをとことんあげつらって笑いを取る内容は、現在の我々が見たらどのように映るか。
(もちろん今監督にそこまで書かせるほど辛い現場だったんだろう、というのもあるが)
未読の人は是非一読あれ。
特に「その13」「その17」「その22」辺りがすごいよ。
はてブとコメント欄の反応まるっと含めて、アニメマニアの縮図をことごとく見せつけられた気がする
このラインナップの意図がわかってる奴はニヤニヤするし、わからない奴はマジレスする
しかしマジレスの量が半端じゃない。しかもみんな決まりきって挙げるのがうる星やつら2だったりオトナ帝国の逆襲だったり今敏作品だったりと紋切り型過ぎる
それらに対するカウンターとしての作品群がこのラインナップだろうに、躊躇せず反芻するように「こっちのほうが相応しい」とばかりに挙げてくる。それらだってお前、どっかで誰かが褒めてたから見たんじゃねーの?
その様子を見て、既に心の濁ったマニア群はまたニヤニヤとする。ビバ円環関係。
何故緑の巨人伝じゃなければならないのかなどと、欠片も考えずに脊椎反射する自称ドラファン
よっぽどトラウマとして深く刻まれたのだろう。はやく少年期でも聞いてダメージを回復しなさい。
コメント欄で前述の「ドラえもんファン」から「ワンピースファン」「京アニファン」「今石ファン」と見事にオチがついたのに
前後も見ず『オマツリ男爵」良いじゃん。原作者が関わったストロングワールドより数倍マシだわ。』と、コメント返しされるのも相当痛い。
つかオマツリが最高なのは当たり前過ぎるだろ、ストロングワールドより数倍マシとかマシじゃないとかのレベルじゃねえよお前デッドエンドでも見てろ。(心が濁ってる)
とにかく脱力させられる。
俺もかつてハックル記事改変の「作画を体系的に理解するための7作品」http://anond.hatelabo.jp/20091127174928を書いたけど
その時も心に残ったのは虚しさだけだった。
実は昨年10月に会社の健康診断で、胆嚢に怪しい影があったらしい。
その場で問診医に紹介状をもらったのだが、そのまま放置してある。
なぜなら(これはチャンスだ)と思ったから。もちろん死ぬチャンスと云うこと。
これなら誰憚りなく、堂々と死ねる。
堂々と死ななきゃならない理由が幾つかあるので。
死にたい理由は…そんなもの40代後半になれば誰だって一つや二つはあるだろう。
そういうありがちな理由の幾つかが僕にもあって、それに抗いながらこの先生きて行くと云う事に、あまり意義を感じなくなった、と言う事。
ここ数日腹部に軽い鈍痛を感じるようになった。
これは当たりかもしれないと思い、とりあえず日記でも残しておこうと筆をとった。
って何のことかと思ったけど、これか?
y_arim life 創作者なら1秒でも長く生きて創作しろ、という創作者としての価値観に基づく記事だと思ったけど違う? 2010/08/27
http://b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena.ne.jp/ssig33/20100825/1282722071
気ッ持ちわりい。お前がなにをのうのうと「創作者としての価値観」とかぬかしているのか、というのはおいたって、
創作者だって創作者である前に一人間だろうが。死を受け入れて、できるだけことさら騒がずにしよう、ここまできたら無理な延命はあきらめよう、というのが何か悪いのか。
死を迎えようとする中での日記を見ればいい。今敏は時間を創作のためだけには使わなかった。残る人間のために動き、自身を回顧した。
そして、それはそれで「採るべき道」だ。
「創作者なら1秒でも長く生きて創作しろ」というのは、構図としては「社会人なら1秒でも長く生きて労働しろ」「帝国軍人なら1秒でも長く生きて戦闘しろ」というのとなにも変わらない。
まとめエントリを作ってみました。
あわせてお読みいただければ幸いです。
まあ、どのくらいの数のアニオタがそういう彼女をゲットできるかは別にして、
「オタではまったくないんだが、しかし自分のオタ趣味を肯定的に黙認してくれて、
その上で全く知らないアニメの世界とはなんなのか、ちょっとだけ好奇心持ってる」
ような、ヲタの都合のいい妄想の中に出てきそうな彼女に、アニメのことを紹介するために
見せるべき10本を選んでみたいのだけれど。
(要は「脱オタクファッションガイド」の正反対版だな。彼女にアニメを布教するのではなく
相互のコミュニケーションの入口として)
あくまで「入口」なので、時間的に過大な負担を伴う3クール、4クールのアニメは避けたい。
あと、いくらアニメ的に基礎といっても古びを感じすぎるものは避けたい。
映画好きが『カリガリ博士』は外せないと言っても、それはちょっとさすがになあ、と思う。
そういう感じ。
彼女の設定は
アニメ知識はいわゆる「テレビまんが」的なものを除けば、ジブリ劇場用アニメ程度は見ている
サブカル度も低いが、頭はけっこう良い
という条件で。
まあ、いきなりここかよとも思うけれど、「エヴァ以前」を濃縮しきっていて、「エヴァ以後」を決定づけたという点では
外せないんだよなあ。長さも2クールだし。
ただ、ここでオタトーク全開にしてしまうと、彼女との関係が崩れるかも。
この情報過多な作品について、どれだけさらりと、嫌味にならず濃すぎず、それでいて必要最小限の情報を彼女に
伝えられるかということは、オタ側の「真のコミュニケーション能力」の試験としてはいいタスクだろうと思う。
アレって典型的な「オタクが考える一般人に受け入れられそうなアニメ(そうオタクが思い込んでいるだけ。実際は全然受け入れられない)」そのもの
という意見には半分賛成・半分反対なのだけれど、それを彼女にぶつけて確かめてみるには
一番よさそうな素材なんじゃないのかな。
「アニオタとしてはこの二つは“映画”としていいと思うんだけど、率直に言ってどう?」って。
ある種のSFアニメオタが持ってる宇宙への憧憬と、JAXA監修のオタ的な考証へのこだわりを
彼女に紹介するという意味ではいいなと思うのと、それに加えていかにも谷口悟朗な
「童貞的なださカッコよさ」を体現するハチマキ
の二人をはじめとして、オタ好きのするキャラを世界にちりばめているのが、紹介してみたい理由。
たぶんこれを見た彼女は「ルパンIII世だよね」と言ってくれるかもしれないが、そこが狙いといえば狙い。
この系譜の作品がその後続いていないこと、これがアメリカでは大人気になったこと、
アメリカなら実写テレビドラマになって、それが日本に輸入されてもおかしくはなさそうなのに、
日本国内でこういうのがつくられないこと、なんかを非オタ彼女と話してみたいかな、という妄想的願望。
「やっぱりアニメは子供のためのものだよね」という話になったときに、そこで選ぶのは「あらしのよるに」
でもいいのだけれど、そこでこっちを選んだのは、この作品にかける原の思いが好きだから。
断腸の思いで削りに削ってそれでも2時間20分、っていう尺が、どうしても俺の心をつかんでしまうのは、
その「捨てる」ということへの諦めきれなさがいかにもオタ的だなあと思えてしまうから。
クゥの長さを俺自身は冗長とは思わないし、もう削れないだろうとは思うけれど、一方でこれが
宮崎や富野だったらきっちり1時間40分にしてしまうだろうとも思う。
なのに、各所に頭下げて迷惑かけて2時間20分を作ってしまう、というあたり、どうしても
「自分の物語を形作ってきたものが捨てられないオタク」としては、たとえ原がそういうキャラでなかったとしても、
親近感を禁じ得ない。作品自体の高評価と合わせて、そんなことを彼女に話してみたい。
今の若年層でコナン見たことのある人はそんなにいないと思うのだけれど、だから紹介してみたい。
ナウシカよりも前の段階で、宮崎の哲学とかアニメ技法とかはこの作品で頂点に達していたとも言えて、
こういうクオリティの作品がテレビアニメでこの時代にかかっていたんだよ、というのは、
別に俺自身がなんらそこに貢献してなくとも、なんとなくアニメ好きとしては不思議に誇らしいし、
いわゆるジブリ劇場用アニメでしか宮崎を知らない彼女には見せてあげたいなと思う。
押井の「目」あるいは「絵づくり」をオタとして教えたい、というお節介焼きから見せる、ということではなくて。
「終わらない学校祭を毎日生きる」的な感覚がオタには共通してあるのかなということを感じていて、
だからこそアニメ版『らき☆すた』最終話はビューティフルドリーマー以外ではあり得なかったとも思う。
「祝祭化した日常を生きる」というオタの感覚が今日さらに強まっているとするなら、その「オタクの気分」の
源はビューティフルドリーマーにあったんじゃないか、という、そんな理屈はかけらも口にせずに、
単純に楽しんでもらえるかどうかを見てみたい。
これは地雷だよなあ。地雷が火を噴くか否か、そこのスリルを味わってみたいなあ。
こういうジュベナイル小説風味の恋愛をこういうかたちでアニメ化して、それが非オタに受け入れられるか
気持ち悪さを誘発するか、というのを見てみたい。
9本まではあっさり決まったんだけど10本目は空白でもいいかな、などと思いつつ、便宜的にハルヒを選んだ。
エヴァから始まってハルヒで終わるのもそれなりに収まりはいいだろうし、YouTube以降のアニメ時代の先駆けと
なった作品でもあるし、紹介する価値はあるのだろうけど、もっと他にいい作品がありそうな気もする。
というわけで、俺のこういう意図にそって、もっといい10本目はこんなのどうよ、というのがあったら
教えてください。
「駄目だこの増田は。俺がちゃんとしたリストを作ってやる」というのは大歓迎。
こういう試みそのものに関する意見も聞けたら嬉しい。
追記
私だったらタイトル選んで紹介されるより、一緒にツタヤ行って「どのへんいけそう?」とか聞いて自分で選ばせてほしいな。
何選んでもバカにしないで、内容解説してくれたら彼を尊敬する
最終的に狙うのは、まさにその状態ですね。
このセレクションのキモって、「エヴァンゲリオン」のところで書いているように、あくまで
「オタクが非オタのためにどこまでオタ臭を出さずにアニメを説明できるか」
『脱オタクファッションガイド』と方向性は真逆だけど、狙っていることは同じ。
それができそうなのが私の場合この10本ということであって、シチュエーションとしては彼女の方が
「ちょっとアニメのことが聞きたいんだけど、何を見たらいい」と聞いてきた場合を想定しています。
そこをディープさを感じさせずに見せられなかったら、なんのためのオタクだよと。
『千年女優』は頻繁な場面転換が人を選びそうなので、それよりは正統的なカット割りのゴッドファーザーズを。
女性原作者のファンタジーアニメはいいと思うんですね。守り人は最終候補に残しましたし、『彩雲国物語』も
チャングムとの比較という点で、長くなければぜひ入れてみたかった。
(10本目から守り人を外したのは、07年テレビアニメで一番非オタにとっても見応えのあるものだと思うがゆえに、
逆にここに入れなくてもいいかなという理由で)
あえて『ハルヒ』以外は原作のないアニメを並べたんですけどね。
プラネテスも時かけも押井うる星も、オリジナルの範疇でしょう。
だからハルヒに乗り気じゃなかったのかな俺は。
連続ものについては、なにも短期集中でなくともいいと思う。
興味がなくなれば自然と見なくなるし、逆に興味が出れば自分からみたがるもんだろうし、
そこそこなら忘れないうちに続きをゆっくり見ればいいんだし。
後段については、それ故に「彼女の方から言い出した」という設定にしているというのもありますね。
彼女が積極的に興味のないものを、いかにオタ的暑苦しさ鬱陶しさを抜きにして、かつ
オタ世界の魅力をあっさりと受け入れてもらうか、そのセールストーク的コミュニケーション訓練が主眼ですから。
基本は「脱オタ」方向なんですよこれ。
これってまさにその確認をするための作業なんですよね。
もしそこで「差がない」と思いこんでしゃべったら、たぶん破局一直線だろうし。
むしろ、差があることを認めてこそ、オタと非オタが相互に肯定しあってうまくやっていけるんじゃないかと
そういう期待はあるんですけどね。脱オタとは、オタをやめることではないと思ってます。
そいつは素敵すぎるぜベイベ。その狂気に触れ共感しつつ、あくまで正気を保ちたいぜ。
そんなパーフェクトジオングみたいな珍妙な生き物居るわけ無いでしょ?
10本程度では酒に慣れる程度で酒の味が分かるようになるかというとどうか?
普通に好奇心が強いだけなんだけどな。そして染まりはしないが理解しようという気はあると。それだけの話だよ。
それに、誰も10本で酒の味をわからせようなんて言ってはいない。だから「軽く紹介」なんだし、きっかけ、入口。
『美味しんぼ』で偏食を直したカツ丼みたいなもん。あるいは今の漫画なら『神の雫』。
基本目が細くて等身が細めのアニメが中心だな。
まあ、萌えに踏み込む必要はないしね。後半はそれこそ「おめでとう」だよな。
お勧めされると逆に引く
いや、レコメンドでは全然ないのだけれど。
「オタが考える非オタのためのアニメ十選」っていう企画じゃない。
……なんでハルヒ?
カリオストロの城くらいで。
つーかムリにアニメなぞ媒介にせんでもええやん。
だからハルヒじゃない10本目、いいものあったら教えてくださいと書いたわけで。
カリ城はどうしても「ルパン」という枠があるので、先入観のないものを。
別にアニメでなくとも、漫画でもなんでもいいと思います。今回はたまたまアニメだと。
…(^ω^;) ((((((^ω^)
そう言いたくなる気分はわかる。けど、ここで目指しているのはそこからの脱却。
可能か不可能かはこの際おく。できると思ってるから書いた。
b:id:fuldagap 愚の骨頂
オタ世界的読解を捨てるわけじゃない。けれどそれは俺個人のもので、彼女にそれを知ってもらったり
まして共有してもらう必要もないだろ。
けれど、彼女がそういう俺の存在を許容してくれるなら、彼女に理解できる範囲で、俺という人間を
彼女がオタじゃあ意味がない、けれどせっかく自分と違うものの見方をしてるのに見守ってくれてるだけじゃ勿体ない。
彼女の感性を汲み取り、俺のコミュニケーション能力を向上させたい。
それくらいの貪欲さは持っていたいものだなと思ってる。
結果として彼女によって俺のコミュニケーション能力が引き上げられたらいいな、という期待を
もつくらいには貪欲でありたいなと思っている。
(tekitousphere - wideangle Weblog 2008-07-23「コミュニケーションの目的は……!」ということ。
での御指摘を受けて、改めました)
むしろそういうほうがアリかも。ありがとうございます。
あと、http://anond.hatelabo.jp/20080723070944にお返事を書きました。
http://twitter.com/wideangle/statuses/865446462
うへー……。
http://twitter.com/wideangle/statuses/865447639
結局「俺の」「能力」なのか。
お気持ちはよくわかります。私の書き方が悪かったですね。
そこで期待しているのは所詮は反射的効果に過ぎません。
そこに期待してもいいだろう、程度のもので、それを得ようという強固な目的意識まではない。
そこであえて「これってSF読みが女の子に贈ってしまう地雷なんだよね」と前置きして贈るってのは
どういうもんなんだろうなと。
そこでそういう風俗を面白がることのできる人もいるだろうけど、それがどういう面白がり方かと
考えてみると、あんまりいい結果になりませんよね。
全部好きな作品からのチョイスですよー。
「勉強のため」だったら『天使のたまご』が確実に入るし、そんなリストはそもそも表に出せるものじゃないです。
種明かし……だよね?天然で書かれたものならあまりにも狂気。ネタ文なら種明かしなしの方が完成度高い。
この場合、どちらともとれるような書き方がいいのかなと思いまして。
そりゃそうです。だから「俺の10本」でしかあり得ないし、「他人の10本」が知りたいです。
そして、女の子が主人公のアニメで女の子が感情移入できるものって、かえって少ないような気がしています。
そこの議論こそ、大切ですよね。
全くです。返す言葉もありません。
だから、見せることなく脳内に入れたまま墓場まで持っていくアニメのリストに結果としてなってしまってもいいんです。
順番に意味はないって書いたじゃん/あんなもん「話せばわかる」なんて思ってるやつの方が希少でしょ。
あれこそ正に「見て感じてしゃべる」ためのアニメだし。だからここに入ってるんだし、話せそうもないなら打ち切ればいいだけ/