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契約書袋綴じを指示されて和書の袋綴じをして怒られたって棘がバズってるけど
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いや、元々契約書の綴じ方も和綴じの袋綴じをしていて今でもやる場合があるのだ。そして昭和の契約書やら判決文、戸籍謄本などの法的文書は和綴じの方の袋綴じがされている。
そもそも現代の契約書の綴じ方には「袋」になっているところがない。なのに袋綴じと言われるのは和綴じから変わったからなのだ。
なんで平成中期というか1990年代前半に替ったかというと、コンピュータの出力法が変わったせいなのだ。
契約書などには割り印をする。ページの差し替えをされない為だ。そして契約時点で書面の内容に異存なしという意味で双方のハンコをページにまたがる形で押す。また背表紙の封紙と表紙にも割り印をする。
ページの割り印の仕方は、上の余白で折って隣のページとまたがる様に押印する。
でもこれちょっと無理やりだと思わない?
実は1990年代までは今のように両面印刷して製本するのではなく、原稿用紙のような升目用紙(内容証明用紙のようなの)に手書きで書き、それを半分に折って重ね袋綴じしていた。綴じるのに使うのは布の「こより」で、千枚通しで穴を開けてから紐を通す。河野太郎が廃止させたやつだね。だから千枚通しはオフィス用品だったのだ。
そして袋綴じされた紙を膨らませて片側のページを山型に折ってそこに割り印をしていた。
「ワープロ」を使うようになっても同じ。片面印刷して袋綴じにして割り印をする。
なんでパソコンじゃなくてワープロなのか?これは後で説明する。
戸籍謄本などはやはり手書きで同じように袋綴じされて割り印され渡された。
そもそも「謄本」と云う言い方をするのは、昔はコピーが無かった(青焼きはあるがコストが高くナンセンス)ので手写しであり、書面の中身を全部写したのが謄本で、労力が大変なので必要な部分だけ写したのが「抄本」だった為だ。今でも閉鎖謄本/抄本を請求するとこの形式で出てくる(流石にコピーを使うが)。そして和綴じ式の袋綴じで割り印されている場合がある。
こより綴じの方は昭和後期には省略されてホチキスになり、これは市役所や弁護士が先行したようだ。だが契約書類はこよりorこより+封紙+割り印が使用されていた。
コンピュータで印刷するというのは今では当たり前で、印刷するのは白いオフィス用紙で、一枚ずつ印刷される。
だが嘗てはコンピュータで使われるプリンタはラインプリンタが主流だった。ページプリンタはDTPなど特殊分野でのみ使用され、一般的なOA機器メーカーはラインプリンタしか製造していなかった。
ラインプリンタの用紙というのは、両側に穴が沢山開いてて薄緑などで罫線が引かれていて、ミシン目が入ってて切り取りが出来る連続用紙の事である。
ラインプリンタの場合、印刷の区切りが一行づつになっていて、プリンタに印刷指示が送られるとそのテキストを印刷して改行の必要がある場合は改行しそこで終了する。ミシン目まで行送りするという事は無い。
だから票として一枚ずつ切り離す場合は、ミシン目が来るところまで行送りを行って停止するという印刷指示を組んでおく。
また、嘗ての標準出力の延長でもあるのでコマンドラインとの相性も良く、リダイレクトやパイプ(|)でデバイスファイル(lp、PRN)にテキストを流すとそれが印刷されるという簡単さであった。
ラインプリンタはページプリンタに押されて無くなったかに見えるが、実はPC POSで印刷されるレシートはラインプリンタの生き残りだ。
プリンタの印刷方法はインクをしみ込ませたインクリボンを活字で叩くというのが主流で、日本語圏だと沢山のピンを弾いて打つ、ドットマトリックス方式が主流だった。これだと一字のドット数が16*16くらいが限界なので、細かい漢字は打てない。
だからカタカナ+数字しか出力されない伝票などの使用が主で、ページプリンタは普及しなかった。
一方、ワープロ専用機は最初からサーマルプリンタを備えていてページプリントが前提であった。だから普段のオフィス業務はコンピュータ+ドットマトリクス、文書の清書はワープロというのが一般的だった。
これで法的文書もワープロで作成し、縦書きで出力して手書きと同じ袋綴じにするというのが増えてきた。
今でも弁護士の文書で表題に倍角文字が使われたりするのもこの名残だ。
これがWindows95が普及するとページプリンタの普及も進み、イントラネットに接続される複合機が普及するなどで印刷=ページプリントとなったのだ。そしてやがて法的書類も両面印刷して製本するという形になった。
その時に本来の袋が出来る袋綴じは過去のものとなって袋が無いのに袋綴じと言われるようになった。故に今の袋綴じ方が当たり前になったのは20年位かと思われる。
因みにワープロより早くから、またワープロと平行する形で和文タイプというのがあり、これで升目用紙に、または白紙に升目用紙と同じ字の間隔で印刷するという方法もあったのだが、和文タイプというのはとても時間が掛かった。
この人は流石に遅過ぎなのだが、タイプするのが超絶大変な代物で、行政書士、弁護士など気合が入った士業と法務局、裁判所など気合が入った役所、気合が入った大企業の契約書など、兎に角気合が相当入ってないと使われない清書用アイテムだった。ある意味、100kgぐらいの巨大複合機より気合がある。
というわけで袋の部分が無いのに袋綴じという謎かけみたいな名前の背景にはオフィス史とコンピュータのプリンター史が隠れていたのであります。
昭和日本ではオフィス用紙も法的文書も原稿用紙も、B5だった。ずっとA4より小さい。会社でも役所でも裁判所の判決文でも全てB5だ。
だが1990年頃に役所関係の書類をA4にするというお触れが出た。これは国際化の一環で、ISOに定めれているのはA列だけでB列は日本独自規格。困ったことに当時一番の貿易相手国だったアメリカはアメリカンレターサイズをN倍したANSIという独自規格なのだが(またですか)、まぁレターサイズはA4に近いしA4を標準化すれば万事うまくいくでしょとの見込みだ。
これに数年遅れで企業も倣ったのでB5というのはパージされることになった。
世の中全部B5からA4に変わったのに、大学ノートだけはB5が主流のままだ。あれは何でなんでしょね?小さいと使いにくいのに。
今はオフィス用紙として白くてある程度の厚みがあるものが使われているが、これはコンピュータ印刷が一般化するまではとても薄いペラペラでテカテカつるつるしている紙が使われ、これが「公的な場所で使う」紙だった。
先述の手書き&ワープロの升目用紙も全てこの極薄+つるつるの紙である。両面印刷して製本されなかったのもこれが理由の一つだろう。
これは「カレンダー紙」で、紙を押しつぶす鉄製のカレンダーロールの間を極圧で通して押しつぶし、薄くする。
トレーシングペーパーやクッキングペーパーと同じだ。
また、請求書類の封筒は中の請求書の名前住所が見えてあて名書きを省略してあるが、あの透けた部分が透明ビニルじゃなくて透けた紙である場合もある。この透ける紙もカレンダー紙だ。
公的書類でカレンダー紙が使わるようになった理由だが、増田は羊皮紙の代替ではないかと考えている。羊皮紙は中世の欧州から使われていた「紙」で、羊やその他の皮膚の薄い動物の皮を剥ぎ、石灰水で皮下脂肪を除去して薄く削いで引っ張り、紙のようにした。 https://w.wiki/7FnV
鞣しをしないのがポイント。これは高額なので貴族の手紙や証文、聖書の写本など「公的」な書面に使われた。
これの代替の紙としてカレンダー紙が使われ、それが「高級紙」として日本に輸入されて、ペラペラなカレンダー紙を契約書や判決文に使うようになったのではないか?と推測している。
こういう訳で、昔の契約書やら公的書類などはやたら薄いのが特徴だ。破れそうで怖いのだが、そっとめくるだけなら破れない。
なお、トレーシングペーパーやクッキングシートは長期間放置するとバラバラに崩壊してしまう。これは硫酸で晒しをする為に酸性になっているからで、昔のペラペラ重要書類はそうはならないので、硫酸晒しをやってないのではないかと考えられる。
私は千葉県酒々井町で生まれ育ち、千葉県立佐倉高等学校を卒業し代ゼミから一橋大学商学部に入るまでは安穏と過ごしていた。在学中ストックホルム商科大学に留学し、ローベン島の離宮で行われたパーティーで知り合った貴族達と関わるうちに彼らの有色人種虐殺計画を知った。一橋大学商学部卒業後に神戸大学医学部医学科と医学研究科にてストックホルム貴族達の陰謀を暴くため研究に打ち込むも怯えた教授達から医局と学会を追放。サナトリウムにて亥鼻の工作員たちから拘束される屈辱を受けた。
現在、ストックホルム貴族達との決戦を決意しリクスダーゲンに向け、私をベルナドッテ王朝に代わるスウェーデン国王に推戴するよう働きかけている。
数日前に諸事情があり東京へ赴いた。ストックホルム貴族達による有色人種虐殺計画に対し、国王陛下の行政府がどのように対応しようとしているのか、或いはしていないのかを確認するためであったが、結果的にペールエリック・ヘーグベリ大使閣下にお会いすることは叶わなかった。急に伺ったこちらにも非礼はあるが非常に残念である。
せっかく東京まで来たのにこのまま帰るのはあまりにもつまらない。六本木の蔦屋にて東京医学社と慶應義塾出版会の雑誌や書籍を数冊買い込むと、そのままタクシーに乗ってしばらく東京を流し、面影橋のあたりで降りた。
かつて日本女子大学の女性と交際していた学生時代、雑司ヶ谷、早稲田、高田のあたりをよく散策したものである。
しばらく神田川沿い、目白通りをふらついてからリーガロイヤルホテル東京に向かいガーデンラウンジで買い込んだ雑誌を読むことに。
もうすぐクリスマスじゃないですか?
私はアメリカンヤンキーじゃないのでお恥ずかしながら今更It's a Wonderful Lifeを見たのです。(かなり時間を空けて飛び飛びに)
最初に時代を感じる宇宙っぽい背景からデウスエクスマキナどころか機械仕掛けでない神の介入でクリスマスプレゼントが確約されてLife is beautifulとは違うぞ!と安心して見れるわけです。
だからか、主人公の人生はまぁなんともぬか喜びから夢を挫くを徹底的に繰り返す。徹底的に繰り返す。主人公で日本刀か三不粘でもつくるおつもり?
正直、名作と褒められるほどなの?と思うぐらい満腹より沢山喰らいましたわ。残していい?あ、ここ中国じゃないっすか。アメリカンサイズ。
でもねぇ、いい主人公なんですわ。
他人の人生を背負い、愛する人に愛され理解され支えられる。町人だって気が悪いやつらじゃあない。悪役にすら非常に味がある。ラストの金ポッケないないはもうひとひねり欲しかったけど。
パワー!
がある。
だからこそ見続けたし最後の「報い」は何なのかな?と気になったのです。
オチはあれです。「自分が頑張っても辛い世界だったが自分が居なければ周りの人はもっと不幸になる」逆ボトルネック。
「今、マイナスだと思ってる?今が0で君がいるからギリマイナスを防いでるんだよ」
おーん?おん。お…ん?
え、マジか。天使が来たりてブラック企業の上司みたいなこと吹聴してる。今、ここが一番マシだって。ここは悪くないって。
幸せに…しないの?
自殺するほどの自分の人生はさておき周りの人が息災である。こんなに嬉しいことは無い。ってニュータイプぅ~ニュー植者の価値観なのぉ?
彼の夢が叶うとか、これは冗談として神からチートを授かるとかさぁ。ないのかぁ。
あなたが不幸を背負ったおかげでみんなの不幸を回避できました。これからも頑張ってね。
いやいや、これまでの人生が地続きで行くとなるとこれからも彼の人生は夢の光が一瞬瞬き直後に真っ暗になることの繰り返しだよ?それが人生…ってコト!?
自分の周りの人たちの人生を人質に生き長らえろって天使から暗に言われてるとしたらキッツー。
いやーわかってんだよ。彼の人生の報いが周りの人たちから与えられるのにその前に自殺したらアカンからそれを防いだ演じるエンジェルマジ感謝。直接的なギフトじゃあないんだよ。
素晴らしき哉とまでいえるかぁ~~~~~~~~!?
融資や寄付額はすごいけど今までの総括とこれからのどうせ起きる苦難をひっくるめて素晴らしいとまで採点、先生できんなぁ~!一瞬を切り取りすぎじゃね!?素晴らしさの薄皮の下には彼自身の人生の諦念がたっぷり(は言い過ぎか)あるんよ!?
嫌われる勇気とか他人を変えるな自分を変えろとか。他人に期待するなとか。仏教系のヤツとかライフハッカーのやつらがいうこういう全ての問題に対して思考を変えろで解決策を示したつもりになるやつが嫌いなんですよ…!いや今回だけに限れば解決したけどね!
おまんらがそんな口先だけのっ!下卑してる人間と同じ行為をされたらっ!
ある意味キリスト教型かぁ~?らしいっちゃらしいかぁ~?ヤハりカインとアベルするようなヤツだからな。
主人公が苦しんでるのもきっと楽しんでるだろうさ。
結論、素晴らしき哉は言いすぎです。あるいは自己暗示の類なら許せます。
もっと彼自身にフォーカスしてください。周囲の幸せを願ってきた善良な男が周囲の幸せが彼の幸せだと洗脳された風に少し感じてしまうのです。
それはそれとして映画は素晴らしいものでした。見てよかったと思います。
かしこ。
ヒーハー。
私の彼は短小×ふにゃチンだ。
しゃぶってもふにゃふにゃで、しゃぶっていてこれで入るんだろうか。。中折れしないだろうか。。と心配になるくらいにふにゃふにゃだ。
サイズ感と柔らかさは例えるとしたら何だろうか。。と考えていたら、そうだ、これはカニカマだ。カニカマを口に含んでいる感覚に似ていることに気づいた。
挿入する直前に「ちょっと待って・・」と、いつも膝をついた姿勢で一人高速でシコリ出す。
「乳首触って・・」と言われるので、仰向けの私の股の間に、膝をついた姿勢でしこっている彼に向かって、手を伸ばし乳首をいじる。
この姿勢が体がそこまで柔らかくない私には厳しく、腹筋をプルプル震えさせながら彼の乳首をいじってあげる。それでもチラッと目を下に運ぶとふにゃチンは依然ふにゃふにゃのままだ。
これが5分ほど続き、私の腹筋がそろそろ限界に達しそうなところで、彼のティンコはほんの少し固さを帯び挿入に至る。
固いと言ってもアメリカンドッグの中のぼそぼそしたソーセージくらいだ。
ほー、これで挿入できるんだ、と感心するが、そんなことはもちろん口に出せないので、気持ちいいふりをして「んん・・あっ、あぁ~」と喘ぐ。
でも自分でも不思議なのだが、そんな短小・ふにゃチンでも気持ちがよいのだ。
気持ちがよいというか、満足感が非常に強い。
挿入した時、彼は目を細め眉間にしわを寄せ恍惚な表情をするのだが、その後一変し、目力が強くなりオスとして自信に満ち溢れた表情をして腰を突き上げてくる。な、なんてイケメンなんだ。
そんなふにゃチンでよく自信を持てるものだな・・本音では感じつつ、自己肯定感というのは人間を形成する上で重要なんだと彼とセックスをしていて思う。
ピストン運動をしているときも、「増田好きだ!」「増田めっちゃ可愛い!」「増田愛してる!」と毎回同じフレーズを言ってくれるのだが、これも地味にうれしい。
先日の全力!脱力タイムズで、銀シャリの橋本が、相方鰻のボケに「俺は好きやで」ツッコミ皆和んでいたが、これとちょっと似ていると思う。
心を許している人からの「好きだ」という言葉は最強クラスの受け入れ表明だと思う。
私も感謝を込めて、このイケメンのティンコがもっと大きくなれ~、もっと固くなれ~~!と私も私で祈祷するかのように一緒に腰を振る。
彼の快感がピークに近づき、突き上げも強度を増してくると、私の脳内も霞がかかった感じになり、どんどん下半身が足の方向に沈んでいき、ふにゃチンと一緒になろうと自分から膣の奥へ奥へ入れようとする感覚にとろけそうになる。
そして、彼が昇天し、温かい何かを膣内に放出されるのを感じると同時に、先ほどまで自信に満ち溢れたイケメン男子がどこかいなくなり、優しそうで憎めないあほ面がいつも以上にブサイクになって戻ってくる。
けどそれもそれでいいな、と思う。またセックスすればイケメンに会えるわけだし。
てなわけで、今回ふにゃチンの不満を書き連ねようと思って書き出したのだが、ふにゃチンとのセックスに満足している内容になってしまった。
あまりにふにゃチンで、デカチン×硬マラだったらなあ・・と妄想にふけってみたり、バイアグラを提案することもたまによぎるのだが、関係性がこじれるのは怖いので実際に行動に移すのはやめようと思う。