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はてなキーワード: 心の問題とは

2021-10-26

anond:20211026113511

心の問題かよ。そんならそうと、わかりやすい書け。

「どうやって注文していいかわからん。」などと明確に書くから、注文方法がわからないのかと思われて当然。

anond:20211026070342

そういう問題じゃねえんだよなあ。

なんならぶっつけでも注文方法で困ることは無いだろうって理解はしてるんだよ。

でも「なんとなく分からない」から入りづらくなるんだよな。

頭じゃなくて心の問題なわけ。

わかる?

2021-10-23

全盲でありながら耳も全く聞こえないし話すことも全く出来ない知的障害まで負っている。

そのため親に介助して生きていたという人が親に先立たれたも、まず親の死を認識できないかもしれない。どこかに出て行ってしまったと思うかもしれない。

さて数日経って不審がった大家通報を受け警察がやってくる。

ここから弱り目に祟り目としてこの障害者に待ち受ける悲劇は三つ。

これがシングルマザーの子供(5歳)という立場でその母親が亡くなったという場合なら、その子供は十分な哀れみのもとで保護されることはあっても「被疑者として」事情聴取を受けることはありえないだろうし、実名報道されたり被疑者として自由を奪われることもないだろう。

見た目で子供判断して被疑者扱いしないのであれば、同じように見た目で到底親の死が認識できないレベル障害者判断するなら被疑者扱いするべきではない。

子供かどうかも結局は戸籍書類と照会しないと確かなことはわからないのだろう。小人症かもしれないし。

でも引きこもりで親が死んで死体遺棄逮捕されている事例が多数ある。なかに障害者ゆえに引きこもりというカテゴリーに収まるしかない人もいるだろう。

それでも見た目で子供と分かる場合以外では逮捕してしまう。日本逮捕されると即報道機関FAXが送られるシステムになっているため逮捕とは同時に報道対象になるということである

子供に見える場合と同じように「逮捕前に」障害者手帳の有無とか調べてあげるべきなんじゃないの?

八尾市母子餓死事件別に子供犯罪者として報道されてはいない。死んでるからかもしれない。

しかしそうだとすると、親の死後即座に通報できないような障害者に与えられている選択肢は、死ぬ代わりに犯罪者の誹りを受けないか、生き延びる代わりに一瞬でも実名顔写真報道されて一生近隣等に陰口を叩かれるような立場に立たされるかの二つに一つであるということになる。

まり逆にいえば八尾市事件の子供がもし餓死する前に発見されていたら普通に犯罪者として実名報道されていたかもしれないのだ。理不尽このうえない。

なんか事件があったら近隣住民でも事情聴取を受けることはある。事情聴取イコール被疑者であることを前提として事情を聴いているのではない。

しか死体遺棄に関する同居人に対する事情聴取というのはまずはなから著しくこいつは被疑者である可能性が高いと見積もってきてるわけだろう。

個人個人犯罪者と疑われることに対してまで問題視してはきりがない。それはもう単なる内心の問題なのだから

しかし打ち切った事件に対して一捜査官に本当は犯人なんじゃないかとか思われるようなことじゃなくて、こういった事例に対して警察組織の正式意思として捜査官たちに疑われるようなことがあるならば、それはそういう仕組みに問題があるものとして糾弾改善がされるべきだと思う。

たとえば10月13日静岡県死体遺棄事件として引きこもり逮捕されている。

8日に引きこもり自ら119番通報し、発覚しているということで、逮捕までに5日の期間がある。

死後4日経っているという報道内容があったので、これはその5日間の間に調べたこなのだろう。

まり警察ははなからこの引きこもりを疑ってかかり、検死の結果4日経っていたということがわかったので放置とみなし逮捕したということだろう。

しかし4日程度逡巡としてありえるものとして見逃してくれてもいいものではないだろうか。もう弱い者いじめして実績あげたいだけなんじゃないの。

だいたい死体遺棄お題目というのがまず「国民一般的宗教的感情」の社会秩序としての保護かいうのであるのだが…

世の中でどれぐらい引きこもり死体遺棄があるのか、報道されたもの以外については調べること自体できていない。

まり報道されてはじめて国民存在認知されるようなものしかないのに、その国民感情保護するとはどういう論理なのだろう。

保護したいのならば報道しないようにする、つまり埋葬義務者が死体放置していたということについて警察発表を行わないようにするだけでよい。

わざわざ犯罪として定義したり裁かなくても保護することはできるわけだ。

それ以前に感情と秩序を結びつけてるのも引っかかる。何かについて人々がどう思うかというのは時の経過で自ずと変わってくるものだ。

保護するというのはそういった変質に対して人為的に介入して防ぐということである。「保護」してなければ死体遺棄に対する国民感情はとっくにポジティブになっていたかもわからない。少なくとも火葬散骨以外の埋葬方法(剥製にするとか)にも許容するような気質になっていたかもしれない。

感情を秩序として保護、という名で管理するから、いたずらに旧守され何も考えない人や老害ばかりが居心地よくそうでない人が息苦しさを感じる世の中になるのではないか感情保護するから、罰するべき基準となる感情自体が変わらない。これは、その時代時代に応じて多くの人が不快に感じるものを罰するというのとは訳が違う。多様性に対する強い規制に他ならない。(規制の仕方の構造刑法175条と似たところがある)

価値観多様性理解できない独裁者法律なのであるタイムスリップできるならばこんな条項作った人に文句言いたい。

衛生上の意義もあるという学説もあるが、それだったらまずごみ屋敷煽り運転とかと同じく法制化して罰するようにしないと公平じゃないと思う。

死体遺棄も罰してごみ屋敷の罰するならまだ筋が通るというわけであるしかそもそも死体放置して具体的にどんな病気のもとになるというのだろう。別にコロナ並みの感染症流行るとかでもないんじゃないのか。悪臭不快になるという話ならまず豚とか育ててる農家の近くに住んでる人はみんなその農家を罰してほしいと思ってもおかしくないな。ようは何が言いたいかというと衛生面でみても死体遺棄は罰するほどのことじゃないと思うわけ。

せいぜい立ち小便と同じ軽犯罪格下げしていいんじゃないの。

2021-09-08

anond:20210908103417

そりゃメディア問題…って言っちゃうとなんでもそうだもんな

邪魔じゃなきゃいいとは言ったけど、もちろん健康になってくれればそれに越したことはないよ

でもそういう人って太ってる人よりももっと深い心の問題だと思うんだよ

ここで「不快から痩せるのやめろ」って言ったところで変わることはない。痩せることがいいことだと思い込んでるから

太ってる人は太ってることに多少なりとも嫌悪感を抱いてるから発破をかければ動いてくれる。途中で諦めちゃったりしても、動こうという気持ちが大切なんだと思ってる

拒食症の人に対して俺ができることは何もない

病院に行ってくれと言うしかない

から邪魔にならなければいい

2021-08-14

anond:20210814201622

それは違うな。「上手い」っていうのはプロ風俗嬢技術とは違う種類のことだ。もちろん、プロ風俗嬢は、

仕事として、疲れないように、トラブルがないように、お客が満足するように工夫された技巧を使うので、

勉強して損はないが、家庭の味とはまた異なる。

個人的関係で「上手い」というのは相互に反応が良い、感度が良いということで、それは毎日少しずつ訓練すると

向上する。最終的に触って触られて気持良いと感じるのは脳や神経なので、心の問題でもある。

官能問題なので、味とか手触りとか香りとか音とか音楽とか色とかそういう要素もある。

お腹が減ってるかどうかに関係あるので、その前に食べる食事なんかも関係あるんだよ。

2021-08-13

自分の「怒り」と「我慢」に対する自己分析もどき

 短気のくせに我慢しまくり問題我慢してないor我慢できないときもあるけどね

 短気だからこそ「我慢のはじまり」が早い、がマジで問題


 我慢のはじまりが早いってのは、短気ゆえに「怒り」を抱くのがとても早いことが原因の大きなところ。とはいえ、短気というのはコミュニケーションを妨げる分かりやすい「害悪であるので、短気だからといって即なんでも表に出して怒っているわけではない(これは良識ある人類ならみんながそうしてるよね案件)。

 ちょっとしたことで「は?」となるものの、それをすぐに外には出さない(ようにしている)けど、すでに「怒り」は感じているので、「ちょっとしたこと発生→は?→我慢開始!」がマジで人より早いんだろうなという自己への解釈がある。


 少し話はそれるけど「気になることはその場で指摘」っていうのが人間関係を円滑に進めるために大事だなぁと思うところなんだけど、その、自分の「気になること」っていうのが他人にとって「それは別に気にしなくてもよくない?」という案件だったとき、そう返されるのって不愉快なっちゃますよねって話で、これはまぁ、

 「気になることその場で指摘」に対して「それを言い出すこと自体が気になることなのでその場で反論」という構図が出来上がると、いや〜これはもうね、ここで短気なところが出るんだけど「私が不快だと思ったので不快なのですが?」という気持ちなっちゃって、「それセクハラですよ!やめてください!」つった相手が「別にこれはセクハラじゃなくない?」って返してくるのと同じじゃない?って話。

 「お前ガッツリ、ケツ揉んできたやん」ってこっちは思ってるわけ、でも相手は「腰の下の柔らかい脂肪を掴むことくらい、コミュニケーションの一環では?」って返してきたらもう社会的地位抹殺でしょこんなのって話なんだけど。

 すみません、いま「怒り」出て、自分がさも「正しいこと」を言っているかのような、極論を出して正当性を異常にアピールしていたきらいがありますねこれは。


 いやこれねぇ「被害者意識」高いってのも、あるのかもって感じましたね、「いま胸…見てましたよね?…ドコミテンノヨォ〜〜〜〜〜!!!!!!!」みたいな所が自分にはある、あると思いつつ、「そういうところ、人とコミュニケーションを取る上で邪魔になることがあるから我慢しようね」って言い聞かせてるところもある。

 なんなら「他人自分に対して我慢をしているところがあるのだから自分も何かしら我慢をすべきなのだ」とも、言い聞かせています

 地球上でみたら自分の怒りはまぁまぁだよ、何者かに故郷の村を焼かれた少女とかの怒りに比べたらさ、こんなん「イチャモンレベルなんだわ、と自分をしつけている節はとってもあります


 でも半径10㎝以内で1番怒ってんのはアタシなの!!!!!!!!!!!!

 アタシが!アタシの感じた不快で!アタシが怒ることを!何と比べる必要がある!?という「アタシだってつらいんだから理論も、まぁ持ち合わせています、悲しいことに。


 コロナ跋扈する昨今、ウイルスへの恐怖よりも「コロナ禍なのに【そぐわない行動】をしている人間」を見る「とても我慢をしている人間の目」の方が怖い。

 自分が「我慢」というものを知っている(と思い込んでいる可能性もあるけど)からこそ、他人我慢配慮というか、気を使わなくてはいけないのでは?という強迫自分自分にしている。


 自分が「怒りにつながる事象」50で「我慢できネェ〜!コイツ、殺っちゃっていいッスよねぇ〜?」ってなってるとして、「怒りにつながる事象」150でさえ「我慢我慢気持ち落ち着けて…」って深呼吸してる人もいるかもしれないと思うと、その150を自分が与えている場面もあるのでは?と思うと、自分我慢が足りてないのではないか?と疑ってしまう。「実はこの人は、我慢をとってもしているのでは?」と他人を疑う上で、自分はどうか?と自分審査してしまう。


 短気かつ繊細ゆえに、ものすごく生きづらい人生なのかも、と自分自分を憐れむようなきらいもあり、「自分我慢をいっぱいしているからえらい」と勝手に思い込んでるようなところもあり、「短気じゃなければ我慢自体をしなくていいのでは?」という気持ちも、あり…

 何か大きなバックボーンがあれば、いちいちクヨクヨしなくていいのにな〜と思うので、「毎月口座に10億円振り込まれ人生」とかだったら「まぁ毎月口座に10億円振り込まれからアタシはその程度じゃ怒らないけど〜♪」みたいな人生になりたい気持ちがフツフツと湧いてきましたね。

 繊細な心の問題!と思いつつも、毎月10億円が心の余裕につながるんじゃね!?と思ってしまうところは、きっと私が俗物からなのだろうと思うと、解脱ってぇモンをしてみてェ〜!!!!!!!!!!!!!!!!!と感じました。おわり。

2021-08-10

anond:20210810111944

また的外れ皮肉だな。

黒人差別差別する側の心の問題、あるいは社会的構造問題だけど、犯罪女性が狙われるのは物理的な問題なんだよ。

肉体的に弱いから狙われるわけ。もっともっと原始的で、だからこそ変えがたい問題

それは「男女差別意識を変える」とかでどうにかなる問題じゃないの。

肉体的に女性の方が弱いのは(傾向として)変えられない事実で、犯罪者がそこを狙うのも自然

黒人差別フェミサイド全然話が違う。

2021-07-28

考えていることを文字にするのは大切だとわかっているけど、自分自分思考が幼いとか、いわゆる中二病くさいとか、そういう恥ずかしさもあって、なかなか実行できないでいる。それでさら心理的ストレスというか心理的な状況が悪化して、手がつけられないような状況になることを繰り返している。今も悪い。

外形的な環境関係なく心理状態が悪いんだ、と自分自分に言い聞かせているが、けっしてそんなことはないことは自分が一番良くわかっている。もし今とてもたくさんお金を稼いでいて、しかも人から尊敬されるようなことをしていたら、もし今文句のつけようのないような奥さんとか家族なんかがいて、幸せ暮らしていたら、自分の心は決してこのような文章を書くような状態には陥っていないと思う。

オリンピックを見ていても何をしていても、結局は現実逃避をしていて、その結果現実さらに悪くなるということを何回も繰り返している。なんとかならないかなーと思いつつ、自分アクションを起こさないことにはなんともならないことはよくわかっている。それができないでこの一年間、心は一時期に比べてストレスが少ない状態であったにもかかわらず、やはり一定うつ状態からは抜け出せずにひたすら苦しんでいた。

人と会っていないし人の情報を得てもいないのに、嫉妬し、執着し、落ち込むことばかり繰り返していた。人と劣等感優越感で勝負しても必ず負けて心がとんでもなく傷つく。そしてそれをわかっていながら何もできず、やはりうまく生きられない。

極度の人に対する気の遣いようというか、臆病さがあり、それによって配慮をすることで得をしてきた面ももちろんあるが、自分に余裕がない状況になるたびに人からの連絡を無視したり、不義理をしてすべき連絡をできなかったりという面で損のほうがよほど多い。もっとしぶとくならなければ生きていけないとわかっているが、自分性質なのでなかなか治すことができない。

この世に対して深い恨み、無力感絶望感を抱いているのに、死ぬこともしない。

死ぬことができないのには2つ理由があって、1つ目には家族が気の毒ということと、2つ目には一度自殺しようとしてできなかった経験から少し自分自殺能力に疑問があること。自分が死んだあとには自分にとっての世界存在しないか家族ことなんて考えても仕方ない、と頭ではわかっているが、やはり自分が死んだことを知らされる親、姉、祖父母、おばのことを考えると、さすがに申し訳ないと思ってしまい、極限のストレス状況ではない今の状況ではなかなか踏み切るところまでいかない。家族はみんな、自分東京出世することやお金持ちになることを望んでいるわけではなくて、単に元気で暮らしてくれたらいいと思っているだろう、ということもある。もし出世お金持ちになることを希望しているのであれば、それは明らかに自分能力では不可能ことなので自殺したほうがいいということになるが、そうではないのであれば、生きていたほうがいいということになる。自分としてはもちろん、生きていることそれ自体が本当につらく、耐え難い苦しみの連続しかないので、死ぬほうが百倍楽なのだが。家族が、自分に対して元気に暮らしてくれればいいと期待すればするほど、自分自殺に踏み切れず元気がなくなり、不幸が重なっていくという一種パラドックスというか皮肉的状況にある。

常に強い劣等感に苛まれ、かつ何をしても絶対にうまくいくことはないという強力な固定観念があるので、生きることはただ辛い。どれだけ辛いかは本当に筆舌に尽くしがたい。生きているだけで、針の山を無理やり歩かされているような気持ちがする。自分としては、生きるのに向いていない遺伝子個体というのもやはり一定割合エラーの一つとして生物群の中に出てくることはまったく不自然ではないし、それが自然淘汰として自殺することも合理的と思う。それができないからつらいのだ。毎秒毎秒、塗炭の苦しみ。それも何にもつながらない苦しみだから余計に苦しいと感じる。何か成功に向けての苦痛とか終りが見えている苦痛ではなくて、ただ出口のない、無駄な、理解もされない苦痛

高校とき倫理の授業で「絶望死に至る病」という本を習ったが、自分はそれを聞いて、机に落書きで「死に至らない病」と書いた。そうかんたんに死ねいか絶望というのは更に強いのだ。もし死ねるなら、絶望はそこまでひどくはない。元の本の趣旨は、絶望というのは人を死に追いやるほどの強力なもの、という意味が込められていると習った。しか自分感覚としては、死ねいからこそ絶望は更に深まりもっと強力に襲ってくる。夜が明ける前が一番暗いし、日が沈む前が一番太陽が輝いているように、死を手前にしたところが一番しんどいのではないかと思う。勇気があって飛び込んでしまえる人はいい。その度胸もなく、かつ自分うつ状態から引き戻す力もなく、絶望的なリンボー永遠に苦しみ続ける感覚。それが16歳か17歳のときだっただろうから、少なくとも12,13年以上、自分絶望にかこまれ死ぬより苦しい思いを毎日、これでもかというほど味わって生きてきたことになる。もちろんそんなことは自分だけではないからそれを美化するつもりはない。また、幼い心で何か死ぬことを美化していたという面があったのか、と今振り返って反省してみるが、けっしてそんなことはなかった。死ぬことは当時から最悪の選択肢であり、人生における敗北であり、弱者の逃げでしかないことはよく理解していた。それでもなお、あまり人生は辛く、とにかく敗北でも弱者でも逃げでもなんでもいいか死にたい。考えというよりも、感覚として死ぬことを求めている。のどが渇いたり、性欲がたかまったりするのと同じように、本当にもう無理でつらすぎるから死にたい、なんでもいいか死にたい、という強い希死念慮。それが間断なく、24時間365日襲ってくる。もしそれが抑うつ状態や軽度のうつ病の症状であったとするなら、12歳頃の子供の時から今まで、人生の大半、3分の2程度まではうつ状態であったということになる。自分としてはこれがうつ状態とは思っていない。それが平常。

主に外形的な要因で、時折、希死念慮が薄くなる躁状態ときがあったが、これがまともな人間普通状態にあたるのだと思う。自分にとってはそれは本当に数少ない異常状態で、絶対に長続きすることはなかった。神様が慌てて帳尻を合わせてきて、その小さな成功を取り消して、その後には2倍、3倍の失敗と苦しみを必ず与えてきた。

心の問題から離れて、外形的なほうで、なぜ人生は常にうまくいかないのかという点について。人生がうまくいきさえすれば、外形的になにもかもが思い通りに行けば、自分心の問題はかんたんに解決すると思う。劣等感でひどく歪んだ性格や強い希死念慮うつ状態が平常状態というおかし心理的特性を考えてもやはり、希死念慮に至るきっかけは常に外形的なことだったと思う。例えば部活もっと活躍できれば、体育で体がもっと動けば、受験もっとうまくいけば、就職が失敗しなければ、もっと女の子モテていれば、もっと友人に恵まれていれば。外形的な、というのはそういうことを指している。

もともと自分能力も低く、外面から見てもさほど恵まれていないし、それらを磨くという努力も怠ってきた。それが一つの原因としてなにもうまくいかない、という無力感絶望感をコツコツと毎日休みなく蓄積してきた。そもそも自分は長期的な努力が苦手だ。かんたんに言えば怠惰だ。それにもともと持っている才能や外見やスキルもないから、当然うまくいくはずがない。世の中は持って生まれもの勝負しないといけないという意味で公平で、結果においては公平公正ではないから、当然勝者は常に勝ち続け、敗者は常に負け続ける。有るところにはなんでもあるが、ないところには、本当に、徹頭徹尾、なにもない。本当に何もない。もちろんそれが世の中のあり方だし、みんなそれを前提に生きている。それに文句をつけるのは筋違いだ。

また、2つ目の理由として、何かしらの才能のかけらとか持って生まれものがあって、そこの上にきちんと努力をして、成功確率を5割とか、ある程度のところまで高めても、運によってそれが左右されることももちろんわきまえている。運というのはなかなかくせもので、見た目上の確率が5割でも、実際には10割負け続ける、いわゆる持っていない人も世の中にはたくさんいる。そしてこれまでの人生から統計的に考えて、自分がその一人であることも疑いようがない。絶対に、何をしても、うまくいくことは有り得ない。少しでもうまくいきかけると、神様が慌ててやってきて失敗にする。それだけを繰り返してきた。でも、もちろんこれも同様に世のあり方だから、それに文句を言っても仕方ない。それはつまるところ天に唾するということであって、この世そのもの、というのは変えようがない。世の中すべて、というのはそれを感覚で捉え、見ている自分自身そのものから、この世のあり方に文句をつけるのは自分の命に対して文句をつけるのと一緒。

そして自分は、何をしても、決してうまくいくことは絶対にない、ということを何度も味わった失敗からかんたんに学び取り、また世の中のあり方に文句をつけることは自分自身に対して文句をつけることと同じであることもまたかんたんに学び、その場合死ぬことが唯一の正解だということも学んだ。死ぬことが一番の正解という考えに最終的に至ったのが16歳か17歳のときだったはず。その時の絶望は今でもよく覚えているし、また残念ながら今でも考えはなんら進歩しておらず、その後何回もの挫折や失敗を繰り返して、むしろ確信は深まっている。

死んだ人だけが良い人間で、生きている人間はみんなどこかおかしい。頭がとても悪いか、人のことをなんとも思っていないか、とにかく人の心を持っていない人間。本当に良い人間はみんな自殺してしまった。狂ったような響きだが本気でそう信じている。

自分のような人間は生きていても何も為すことはないのだからさらっと死んでしまうのが一番なのだ本生まれてきたのが不幸だったと割り切るしかない。なにかうまいことや響きのいい言葉を言おうという意図ではなく、本心から、生まれてきていいことは何一つなかった。

人生で得たもの毎日のようにやってくる鈍くて絶対に消えない心理的苦痛と、死ぬことが唯一の解決なのに死ねない無力感、というか絶望感。

2021-05-24

anond:20210524013538

随分とキツい状況のようだ。

何度も不満や気持ちを思い切って伝えているにも関わらず、相手がそれに対して対応してくれておらず、根本解決に至っていない。

自身も優しさからくるものか、相手にも不快感を与えたかもしれないと若干自己嫌悪に陥っているようだ。

見てみると段階がある。

第一段階は、なぜセックスができないのかの疑問だ。これは解決している。

第二段階は、第一段階を踏まえた対処だ。ここが滞っている。

第一段階。

客観的に見ればセックスに応じない妻に対して夫の不機嫌は当然の反応なのだが、

夫が思い切って客観的に妻がセックスに応じられない明らかな理由を問いただしたところ、

「もう、セックスをする気になれない」との回答が得られた。

これをちゃんと伝えない妻も世の中にはいて、ここで拗れることは多々あるのだが、

この夫婦はその段階はクリアしている。

しかも数次にわたり「する気になれない」との回答が得られている。

ここで、夫がセックスを諦められたのなら一件落着だ。

だが夫は、夫婦生活においてセックスは欠くべからざる要素であるという認識だ。

「妻がなぜセックスに応じてくれないか」については「もう、セックスをする気になれない」の回答が得られており、これは妻の偽りのない状況である

今度は、夫が「それでもセックスがしたい」という次のコンフリクト対処に焦点が当たる。

第二段階。

妻側も、「セックス以外は」夫側に譲歩しようとする姿勢が見て取れる。

夫は、それに対して感謝はあるものの、一番の目的であるセックスが慎重にかつ確実に逸らされていることがわかるため、満足に至ることはなく、むしろ不満が鬱積し抑圧されている状況だ。

夫は自分が最も大事にしたいセックス蔑ろにされており、妻はセックス以外は夫に何とか対応しようとしてくれているため、感謝と怒りが綯い交ぜとなっており、混乱している。

セックス以外は」順調であるがため、なおさらセックスが満たされない焦燥が肥大化しているように見受ける。

そして困ったことに、夫側の主張によればそのセックスは単純な性欲ではないため、性風俗産業の利用といったいわゆる外注では解決できない。

妻その人とセックスできなければ満たされないのだ。

まあ浮気不倫といったリスク排除されるためこの観点からは良いことだが、

妻側の意思の変更以外には解決がなく、現状打破の解決策の狭隘という意味ではむしろ手詰まり感は更に強い。

(余談だが、「お前だけを愛している」という感情は、無条件の愛ではなく、むしろこうしたコンフリクトを生じることがままあることを社会は知る必要があると感じた)

気になるのは「大事な話だからまた話そうね」という妻側のセリフである

気休めならこんなセリフは言わない方が良い。

本当にしたくないなら「する気になれない」を繰り返せば良いだけである

或いは妻側も、「大事な話を繰り返せばセックス要求を諦めてくれる」ことを暗に期待しているのかもしれない。

それであるなら大事な話はすればするだけ亀裂を深めるだけである。(両者の気持ちが不変であることを前提)

心の奥底では、これ以上踏み込んだら「破綻」も覚悟するような賭けに出なくてはならないかもしれない予感を無意識に感じているのかもしれない。

お互いに。

ではこのままで良いかというと良いわけがない。

夫婦生活にはセックスが前提であり、これに応えない場合は応えない方に責任があるというのが、法的側面も含めた我が国社会解釈である

だが責任問題として争いをすることも夫の望むところではないだろう。

愛し合っているはずだし、夫婦生活もうまくいっている。

だが、一番求めているものが、お互いの間ですれ違い、もつれていく。

もし妻が浮気しているのならここまでダラダラ書いたことは完全にムダだが、

そんな片鱗すらないというのなら、

単純にセックスレスの問題ではなく、

お互いの最も望むものが噛み合わず、つらく、くるしいという人間関係コミュニケーションのものなのかもしれない。

吐き出してスッキリしないのなら、

このままの現状を維持することが夫側の目的ではないと思われる。

行くところまで行かなければこのすっきり感は得られないだろう。

ツライ選択である

そしてこれは心の問題であり、

形式的に「夫が諦める」を選択しても「妻がセックスに応じる」を選択しても、

そこに心が本当に存在していなければ、どちらにしてもどちらの「スッキリ」も得られないだろう。

上辺だけ、形だけ、その場しのぎのことをやったとしたって、

夫も妻もそれは必ずわかってしまうだろう。

現に夫は形式上諦めようと試みたが、あらゆる心の反応が嵐のように起き、諦めることは(今のところ)できないことは証明済みである

「夫が本心から心の底からセックスを諦めてくれた」とは到底言えない状況だったからだ。

同じように、妻がたとえセックスに応じてくれたとしても、そのセックスの反応、満足度等々から

「妻が本心から心の底からセックスに応じてくれたとは到底言えない状況」がセックス最中セックス後に感じて取れてしまったら、

妻がたとえ何百回セックスに応じてくれてもこの問題解決しない。

「わかった、セックスは諦める」

「わかったわ、セックスしましょう」

これは言葉だけでは、形だけでは、そして実際にそうしてみただけでは、どれほど意味がないかがわかるだろう。

だが自らの心を偽ってツライ選択排除し続ければ、

たとえ他人からはどれほど幸せに溢れた夫婦生活家族生活が営めたとしても、

『自らが本心から望む人生』において永遠の飢渇に苛まれることは疑いがない。

………或いは、この世界において、心の底から望むものなど決して叶うことはないのだと思い知ることも必要なのかもしれない。

周囲を見回してみれば、そうした選択をしている大人は数限りなく数え切れないほどおおぜいいる。

どちらを選ぶのかは夫の選択であり、

そして、妻もこの選択に参加しなくてはならないだろう。

2021-05-21

弱者男性問題の前に

ネット上では弱者男性比較対象となるはずの、未婚貧困女性発言が、ジェンダーに関する論争の中で少なすぎるように思う。

ネット上で女性差別を訴える人の大部分は、既婚女性の「旦那家事育児自分のこととして考えない」とか、正社員女性の「体育会系男性基準仕事のやりかた」や「女性というだけで重要仕事を任されない」ことだったりする。kutooについても、ヒールパンプスを履く機会の多い正規労働者が中心の問題であり、その機会すらほとんどない非正規貧困女性とは無関係である。それはそれで切実な問題だけど、「非正規or無職未婚」(あくま自称だが)の「弱者男性」とは社会階層的には明確に上位であり、お互いに話がすれ違うのは当たり前である

統計的には多くいるはずの、年収100万円台の非正規未婚貧困女性の声がもう少し上がれば、「弱者男性」側も共闘することも可能なはずだが、そうした女性の声はなぜかあまり出てこない。この理由は何故だろうか。


追記

自分の仮説は、男の場合は「モテない、金がない」ことが笑える自虐になるのに対して、女性場合は「モテない、金がない」が全く笑えないというジェンダー差の存在だと考えている(なぜ笑えないのかはまた難しい問題だが)。「弱者男性問題というのは「弱者女性」に比べて「笑える」という優位性があることは、「弱者男性」界隈の人たちも自覚した方がいいように思う。

2021-05-17

[]

日曜日何も出来なかった

ひたすら横になっていた

やる気の問題

心の問題

結果として何も出来なかった

2021-05-01

飯なんてその辺のコンビニでかっぱらってくればいい

捕まったところで衣食住が保証されるならそれでいい

人を殺したわけじゃないんだから悪びれることもない

日本で生きるなんてどうにでもなるんだ

割り切れるかどうかでしかない

心の問題なんだ

2021-04-22

オタク趣味友達の作り方がわからない

昔、二次創作サイトを持ってた。サイトって言うなれば自分の城で、好きなように色を変えて、好きなようにコンテンツを置いて、好きなようにデザインできる。嫌な事言う奴はアクセス禁止にして、強制的排除だって出来る。

好きな二次創作テキストサイト管理人感想を送ったり、「尊敬してるサイト様」としてリンクを貼ると、相手アクセス履歴から辿って、私のサイトにたどり着いて、相手認知される事がある。そこからTwitterで繋がったり、感想を送り合う仲になったら、個人的には友達になれたと思ってた。相手がどう思ってるかは知らないけど、少なくとも私はね。

それが大体10年前。

10年経てば好きなジャンル流行りのジャンルだってかわるし、個人サイトよりもpixivが主流になる。

サイトだと自分しか可視化されなかったいいね数と、ブックマーク数がpixivだと一気に大っぴらになる。

流行りのジャンル渡りくその人のブックマーク数がどの話も1000users10000usersを超えていて、いつのまにかTwitterフォロワーは4桁になっていた。文章しか書かない人なのに。

ああ、すごいなあ、旬だからなあ、話は万人受けする訳ではないけれども豊富な語彙量と話の運び方でねじ伏せてるし、ブックマーク数が伸びるのも当然だよ、くらいに思ってたんだけど、対して私は……と考えると、自分ちょっとみじめになった。対等だと思ってた相手は対等じゃなくて、自分が思っていた以上に雲の上の存在だったらしい。

数字で"好き"を計ってるみたいで、ちょっと嫌になって、pixivにはあまり近寄れなかった。なのでサイトをやめてからあんまり書いてない。二次創作は突き詰めても趣味以上のものにはならなくて、続けたところで何かがある訳でもないし、その人が数字を鼻にかけて特別変わった訳でもない。ただ私が一人でその人と比較して、勝手にみじめになってるだけで、私の心の問題から

その人には私の心のモヤモヤを伝えた事ないし、これからも伝えるつもりもない。


それとはまた別に半年前、ハマったジャンルpixivお話をあげた。好きなジャンルだったから、自分が読んでて、いいな、好きだな、と思ったお話には返信不要積極的感想も送った。

感想を送ったうちの一人から、返信がきた。私が書いたお話感想まで含まれていて、既に何度も読み返しており、すごい好きなお話なのだという。嬉しかった。

私が友達ほしくてTwitterアカウントをそのジャンル用に取得した事を、新しくあげたお話キャプションで書いたら、この人もTwitterを始めてくれた。嬉しかった。三ヶ月くらい、毎日DMで話してた。既に完結したジャンルなのに、こんなに話すことあるんだ…!ってびっくりするくらい楽しかった。

Twitter、はじめは私の方がフォロワーが多かった。ちょっとだけね。

次第にこの人の方がフォロワー増えてて、いいね数も増えてた。

今は新書ページメーカーで書いた話をTwitterにあげるのが主流らしく、閲覧垢が多く存在する事をそこで知った。

もちろんこの人の書くお話は私も好きだし、とても上質で、話のつくりも描写も丁寧で、豊富な語彙量から繰り広げられる世界はこの人の目にはどんな風に世界が映っているんだろう、って思えるくらい、素敵なお話ばかりだった。もし一次創作をしていたなら、賞だって取れるんじゃないかな。

どこまでいったって、私は自分に自信がなくて、人と比較してしまって、勝手に自滅するだけなんだな、って今回気づいた。

みんなどうやって友達になるんだろう。

好きなものを好きなように話したかっただけなのに、どうして自分相手比較してしまうんだろう。そんなの無意味なのに。

2021-04-21

anond:20210421191718

俺を信じるか?

1週間まいにち1個は、カロリーメイトの白を食え。そしたら、すこし体調が変わる。

そしたら、神社で祈れ、そうだな、シャネルルージュちょっと禊をしてから、厚めに引いて、祈ってこい。デパートで、いいやつが売ってる。事情を話せば初めてでも特別に分けてくれると思う。

不安ならカロリーメイトをくって禊をしてから神社でかるくいのってからシャネルに言ってこい。そしたら、いいルージュを選んでくれる。

それで、神社でがっつりいのってこい。祈りは、大事だ。思いのちからってあるからよ。朱だぞ。色は大事カロリーメイトの白、みそぎ、シャネルの赤い新品のルージュキーワードチャント揃えて心の問題だけでもまず解決しとけ。

2021-03-31

anond:20210331124626

その頃に出来ないことが多すぎると自信失ってさらにやらなくなる悪循環になるから

とにかく何かできることからはじめて自信持たせることに集中した方が良さそう

子供の頃は効率なんかより心の問題のがはるかに影響が大きい

2021-03-20

anond:20210320012632

ももっと気楽に人に「興味ない・寒い」といっていいんだよ

自分の内心の問題から誹謗中傷には該当しない

2021-03-18

デスマーチ男のロマン

心の問題を抱え込み、問題が膨れ上がり炎上

その炎の燃え上がりっぷりが男らしい。

要件定義はすればするほど女々しい!

交渉言い訳

anond:20210317182955

ゲイが祝福されない云々はともかく、

定説は考えようによってはそんなに悪いものではないと思う

資本主義キリスト教プロテスタンティズムからまれたとも考えられている

宗教改革におけるカルヴァン思想は、より徹底した聖書中心主義であり、神は絶対的権威をもち、人間原罪キリストの福音によってのみ救われるというものであった。その神による救済は「予(あらかじ)め定められている」であり、それを定めるのは絶対権限を持つ神だけである、したがって「人間はすべて平等に創られてはいない。永遠生命にあずかるもの永遠の劫罰に喘ぐのも、すべて前もって定められている」とした。そのような人間がどのようにして神への絶対的服従を示すことができるかというと、現世の天職を与えられたものとして務めることでしかできない、と説いた。このようなカルヴァン派の信仰西ヨーロッパ商工業者中産階級)に支持されていった。そしてこの西ヨーロッパ商工業者の中から近代社会を出現させる資本主義が生まれてきた。→『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』

いずれにせよ、神は最初から私を救うか救わないかという正解を持っているが、それは私が死んで答え合わせがあるのであって、

私が死ぬまで正解は分からない、正解はCMのあとではなく死んだあとである

からこそ、目の前の仕事を全うするしかないし、仕事がないとしても人生謳歌するしかないとさえ私は考えている

その、仕事を全うする、人生を楽しむ、といったことも神は最初から計画されていることだし、

もっと広く考えるならば、この世界のすべてが神が計画されていることである

まり自由意志があるようで自由意志がないわけであるが、個々人にとってそれはどうでもいいことなである

なぜなら、我々人は、神様が何をお考えになっているのか、知りようがないかである

そして、それを知ることができるのはイエス・キリストのみであり、それ以外の預言者は偽の預言者である

人は神様が何をお考えになり、これからどうされようとしているのか、知る方法はないはずだからである

から別にキリスト教信仰しろ信心深くあれ、不信心は許さん、とはまったく私は思わないが、

人は機械ではなく、ロジックのみで動作するわけではなく、必ずしも論理的科学思考が正しいとも言えない存在であり、

特別信仰はなくても、頭のどこかに神というか、なにか見えないものを信じる必要性さえあるように私は考える

それは星の王子さまの、大切なものは目に見えないだったり、

水木しげる氏の、見えないものを信じる、にも似ているように私は思っている

キリスト教宗教を悪と考える人たちがこの世界に多く存在することも事実である

しかし、本当に宗教必要ないのか、人の心に平安を与える唯物論的ではない何かが必要ないのか、

個々人がそれぞれ考えておく必要があるように思う

そういえば庵野氏の昔のインタビューの中に、今の庵野氏の心情とは大きく異なっている可能性はあるが、

飽食時代から心の問題を描いた」みたいな発言があったが、

しかにそれはある側面では正しく、それがオウム真理教のような終末思想カルトを多く生み出した

しかし、当時の庵野氏が言う、飽食時代でなければ明日食べるもののことだけ考えるから心は問題にならない、

これは本当だろうか

もちろん、明日食べるもののことだけしか考えられなくはなるだろう、自分もそうなるだろう

しかし、エヴァで例えるなら、その極限的な状態シンジにとってのゲンドウが死ぬシンジにとっての周囲の人たちが死ぬ

でも、自分が生きてるからそれでいいや、みたいに思えるものだろうか

しか他人に対して思い入れがない、思い入れがない他人であればそうかもしれない

極限的な状態であれば、食料のために親が子を食べる、子が親を食べる、人が人を食べる、殺し合い奪い合う、

そういうことが起こっても不思議はない

しかし、人であるならば、どこかで我に返ったとき考えてしまうのではないだろうか

これでいいのか、何か間違っていないか

そういった考えが人にあるからこそ、道具を発明したり、農業発明してきたのではなかったのか

もし、人がそうでないのであれば、今でも殺し合い奪い合っているはずである

なぜなら、それで勝者は生きていけるからである

しかし、そうならなかったのはなぜなのか?

そして、こういった万物すべてを神様計画なさっている

悲しいことだが、大切な人が無残な死を迎えても、これも神様がご計画されていたこである

神様役割は、お賽銭のような賄賂をもらって人の願いを叶えることではないし、

すべての人類一人一人が不自由なく幸せになることでもないかである

逆に考えても、すべての人が幸福世界なんてありえないとしか思えないわけで

あくま個人的解釈だが、まず聖書は寄せ集めの書物という考え方もあるわけで、

キリスト教の中にも聖書無謬であり絶対的に正しいという考え方と、

いや、聖書にも間違いがある、本質的には神が絶対であり神を信じることである、という考えもある

色々なキリスト教があるし、キリスト教以外の宗教もある

からあくま個人的解釈だが、自分としてはキリスト教的に、

ゲイの人だから神に救済されないなどということはないと考える

それよりも最初に書いたように予定説で考えるならば、

ゲイであれノンケであれ関係なく、すべての人たちが救済されるか救済されないか、という問題を抱えており、

それは神様最初から決めているわけであるが、我々人は死ぬまでそれは分からないのである

からこそ、一日一日を大切に生きていくしか、人にはそれぐらいしかできないのである

人は思い上がりやすく、この世界宇宙をすべて悟ったつもりになりがちである

鋼の錬金術師フラスコの中の小人ではないが、神に思い上がるな、と言われるまで人は自らの思い上がりに気が付かない

そして、人は基本的怠惰であり、その思い上がりから歴史的にも多くの悲劇を生み出してきた

神を信じなくてもいいが、自らが思い上がっていないか、常々肝に銘じておく必要があるように思う

神を信じなくてもいいが、星の王子さまの、大切なものは目に見えない、水木しげる氏の、見えないものを信じる、

といったような考え方を非科学的だと馬鹿にするのはどうだろうか、と自問自答する必要があるように思う

2021-03-17

結局エヴァにさえ見捨てられてしまったおたく

エヴァが、おたく達へのメッセージとして結局、「普通にしてさえいればいいんだよ」ということしか言えなかったのが悲しい。そりゃ俺も、きっとほとんどの大人も、他に何も思いつかないわけで、だからこそおたくは、どうしようも無くおたくな訳だけど。

あんまり拗らせずに、ただ普通にしていればいい。普通にしていれば、普通力学がはたらいて、普通に周りの助けを借りて、あるべき所に収まることが出来る。心配しなくても、あなたの出番、あなたしか出来ない仕事というもの絶対にやって来る。それも、誰の目にも、もちろん、あなたの目にも明白な形で、やって来る。」っていうメッセージは、悩み一般テーマにした物語の結末としてはよくあるし、実際、ほとんどの”元・拗らせてた”大人は、そういう結論を通って、まともになったんだと思う。

うそういう結論しかエヴァを終わりに出来なかったって言うのも分かるし、庵野新劇場版を始めた意図全然違うところなのかもしれないけど、やっぱり26年おたくを待たせておいて、最後最後でいつもの「納得感」をフルスクリーンで叩きつける、っていうのもどうなんだろう。

アスカケンスケとのあれこれだっておたくを舐めているとしか思えない。アスカケンスケと過ごして居心地良いのは納得できるけど、ある一つの言葉アスカを救ったような描き方をするのは辞めて欲しい。エヴァは「人を劇的に救う、核心的な一言」みたいな安いドラマアンチテーゼではなかったのか。

安易な「この世界の片隅に」みたいな場面も、本当にエヴァでやる必要があったのか?どんな状況でもしたたかに暮らす人々の力(に触れたアヤナミ)でしかシンジを立ち直らせることは出来なかったのか?エヴァは「人をやがて救うのは、時の流れと日々の暮らし」みたいな、安いドラマアンチテーゼではなかったのか?

庵野、結局お前さえ結論を出せなかったせいで、おたくたちは今でも、どこで聞いてきた言葉なのだろうか、”他者の痛み”がどうだとか言ってエヴァを語っているぞ。おい見ろよ、「ガフの扉」だとか「ゴルゴダオブジェクト」だとかの話は凄く厳密に考察できるのに、心の問題になるといきなり、曖昧言葉でなんとなく語ることしか出来ないおたくありさまを。心の問題は、「絵コンテにはこう書いてある」だとか、「ウルトラマンオマージュだ」だとか、とにかく情報を集めていけば解明できるような事じゃなく、おたく自身がその”他者の痛み”とやらにしっかり向き合って、「普通に自分の心を見つめ直していかなければいけないのに、おたくはそれが分からないんだよ。そもそもシンジだって、そういう面倒臭い奴として描かれていたのに、結局、じゃあそんなシンジが(そしておたくが)どうすれば救われるか、庵野、お前にも、結局分からなくて、急遽シンジ一定時間黙らせて、それから人格シンジやらせることにしたんだろ。それであんなに、シンジの心の動きが追えないような造りになってしまったんだろ。庵野あんまりじゃないか庵野ほとんど前田真宏が作ったって言うのは本当なのか、庵野。本当にあれで、シンジシンジのまま救うことがないままで、いいのか庵野

2021-03-16

anond:20210314183940

痴漢されたら犯人逮捕してもらって裁いてもらうのがスジで

痴漢してないけど犯人と同じ「人種」だからって八つ当たりするべきではないよね

性的消費に苦しむって要はそいつ心の問題なんだよ

頑張って理論武装して社会問題だと自分に思い込ませてるけど

自分心の問題赤の他人にぶつけて反撃されてる

まあ仕方ないね

2021-03-10

anond:20210309175404

敢えてキツいこと書くけど、

現実を見てないのは庵野氏の方なのではないのかなあ、

と俺は思ってるんだけど

まあ、自分は未見なんで勘違いしているのかもしれんけど…

というか、宮崎駿氏にしても坂本龍一氏にしても安易に、原発なくせ、だの「たか電気」だの、

人類なんか滅びちゃえばいいんです、だの、コンピュータとかゲームは頭がおかしい人が作ったもんなんです、だの、

マクロスアクエリオン河森正治氏も地球少女アルジュナみたいなエコロハスでスピな新興宗教アニメ?みたいなの作っちゃうし、

そういうのにどことな違和感を感じることがあったのだけど

例えば、オネアミスとかロケットの話だけど、やっぱり庵野氏というかガイナックスというかアニメーターなわけで、

自分のような理系視点から見た宇宙ロケットの壮大さに対する感動とは同じようで異なっているのではないか

まり、彼らは理系というより文系視点というか、センス・オブ・ワンダーなところに惹かれているのであって、

からピラミッドのレンガを積み上げるような泥臭い本当の開発現場感が、

アニメーターはアニメ制作に関しては当然あるのだろうけど、別の世界のそういう地に足のついた視点には欠けていて、

というのも、リアル研究や開発を脚色なく描いてもドラマがないというか物語として面白くなくなる可能性がある

まり天才的な科学者とか理系女性が登場したり、こんなこともあろうかとミラクル超兵器がいつの間にか登場したり、

実際の研究や開発は、たしか歴史的天才偉人と呼ぶべき人々も存在するのだけれど、

ほとんどは凡人、サラリーマンの集合であって、地味でつまらない日々の仕事ベースになっていると自分は思っていて、

ちょっとした思いつきや閃きで壮大な宇宙艦隊戦の形勢が逆転したりとか、そんなことはありえないと思うのです

三国志だってフィクションを多く含むはずです

でも、リアルすぎる研究や開発、リアルすぎる戦争を描いても面白くならない

からビジュアルとして美しい部分だけを切り取るのはアニメというか映像を作る側としては当然の選択なわけです

しかし、敢えてキツい言い方をするなら、アニメ作ってる人もスタジオの中に閉じ込もって、その世界しか知らないのではないか

恐れ多いのだけど、宮崎駿だってから晩までスタジオにこもってアニメを作ってる

もちろん、通勤の途中に障害のある人に出会って云々みたいな話もあった気がするのだけど、

でも、これは個人思想とか価値観問題でもあるのかなあ、

電気なくても構わないか原発なくせみたいな主張をされても、電気なければアニメは作れない、作曲や録音もできない、

アルジュナには水中分娩の話があるらしいけど、なんの資格もない助産師が水中分娩をさせて死亡事故が起きたりしてたと思うのだけど、

まあ、理系でも同じなのかなあ、現代社会に疲れてるのかなあ、

そういった左翼的というか、極端な自然回帰というか、そういったエコロハススピリチュアルなのに走っていってしまうのは

そういえば最近だと膣にパワーストーンだのジェムリンガだのもあったけど、膣の声に従って、仕事辞めて、孤島に集まってしまうとか、

SFというか、どちらかというとSF寄りのファンタジーを描いてる人たちってオウムみたいなのと親和性がある気がするんだよなあ

SF寄りのファンタジーって何のことを言ってるのかというと、スターウォーズ、そしてガンダムのことだったりするのだけど、

宇宙宇宙船が登場してるけど、一方で超能力とか、それが宇宙空間で開花するとか、

こういった話はLSDとかアイソレーションタンクとかアルタード・ステーツとか、ジョン・C・リリーティモシー・リアリー

それとジョン・レノンとかヒッピーメリープランクターズ、フラワー・チルドレンとかサマー・オブ・ラブとか、

LSDのような幻覚剤がなにか人類の発展に寄与するのではないか、そういう時代背景だったというのもあるけど、

結局は理系研究者でさえ幻覚剤に溺れ、なんでか自然を超常的なものとして扱うスピリチュアルな方向へ走ってしま

人間には何か根源的にそういうところがあるのだろうか

考えてみればユナ・ボマーことセオドア・カジンスキー天才的な数学能力がありながら、

世捨て人のように山奥で自給自足生活を送るようになり、しかしながら当然その生活は長く続かず、

将来的にテクノロジー人類破滅的に不幸にすると思ったこから

だったら将来性がある科学者爆弾で○せば、悲劇的な未来回避できるんでないの?と考えたんだかどうなんだか定かでないが、

これはターミネーター2ストーリーベースになっているが、フィクションなら面白いが、現実なら単なる爆弾魔の犯罪である

話が大幅に脱線したが、エヴァは終わっても就職氷河期が救われない、というのは言い得て妙であって、

エヴァリアルタイムで放映していたとき就職氷河期近辺ではなかっただろうか

その時期に庵野氏は、今は飽食時代なので心の問題を描いた、アニメではなく現実を見ろ、みたいに語っていたわけだが、

こちとら現実就活戦線は異常ありというか悲惨な状況だったわけで、

庵野氏はエヴァを作っているときちゃんニュースとか新聞とか世相を眺めてましたか

なんだかんだ、バブル世代自分価値観アニメを作ることしか考えてなかったんじゃないですか?

と恐れ多いながらも思ってしまうのが正直なところであって

まあ、たしか現実を見ずにアニメだとかフィクションに没入しているだけの人というのもいるのかもしれない

というか、そういう人たちに人生出会たこともあるが、自分がいうのもなんだが、たしかちょっとおかしいというか、

差別的になるけど軽度の知的障害ケーキを切れない非行少年少女?みたいなタイプも多かったし、

そういうところで昨今のDQNヤンキーの方がアニメ親和性がある状況というのを理解できる気もする

自分で言うのもなんだが、昔は良かった話みたいになるが、

SFとかサイエンスフィクションなわけだけど、どちらかというと理系との親和性というか、

理系からするとそのフィクションに野暮なツッコミを入れるのがネタとして話が盛り上がるというか、

自分大学時代にみんなで誰かの家に集まって、アニメとか映画の上映会というか、

どちらかというと映像を流しっぱなしにして、各自やりたいことを黙々とやるみたいなことをやってたわけだけど、

テレビに映ってるアニメ登場人物女性が、

「このディスクには地球誕生からの全てのことが記録されてます

とか言うと、「すっげー、どういう原理だよw」みたいにツッコミを入れる奴が現れ、

その後に真面目な記録媒体の話とかネタが続いたりするという、そんな日常だったわけだけど、

多分、大阪芸術大学とか偏差値も低いし、そういう視点では観てない気がするんだよなあ

やっぱり根底にあるのはビジュアルとしてのセンス・オブ・ワンダーであって、それはチャイナさんみたいなもんであって、

電子工学科、情報工学科、機械工学科、バイオなどのオタクが集まって話すツッコミとはちょっと異なるのだと思う

まあ、ストーリー本質技術ではなく、結局は人間関係なわけで、

今回のケンケンアスカではないが、そういうところにツッコミを入れるのは理系文系偏差値関係ないのだけど、

まあ、でも、やっぱりなんか違う世界に生きてるんだなあ、

当たり前だけど、恐れ多いけど、庵野氏と自分の関心の距離感みたいなのがあるとしたら、

リアルタイムでエヴァを観ていたときは近いのかと思っていたのに、

シンエヴァは未見だけど、シンゴジラ観たときでも、意外と遠いというか、同じものを見ているようで違うものを見ていたのではないか

まり庵野氏と自分が同じ赤いバラを見ているのに、互いに赤いと認識しているのに、脳内の赤はまったく異なっていた、

みたいな、まあ、勝手自分が同じような価値観を持ってるのかな、と思って勘違いしていただけなんだろうけど

そんな感じで、最近自分アニメゲームへの興味が皆無になりつつあるし、

アニメとかフィクション現実が完全に追い越してしまった、

それは東日本大震災だったり、原発事故だったり、コロナだったり、自分個人的な人生イベントだったり色々なわけだけど、

そう考えると、シンエヴァは未見だけど、同窓会みたいなもんなんだろうかと思ったり、

同窓会と考えるとやっぱり劇画オバQだよなあと思ったり、

自分は死んでも大学大学院以外の同窓会には出ないと心に決めてるので、

大人になれよって言われても、同窓会でしみじみしはじめたらもう老人だと思うし、

老人になってもゲーテみたいに二十代女性に振られたり、若いつもりで技術趣味に打ち込んで、さっさと死にたい

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