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はてなキーワード: 心の問題とは

2021-03-10

anond:20210309175404

敢えてキツいこと書くけど、

現実を見てないのは庵野氏の方なのではないのかなあ、

と俺は思ってるんだけど

まあ、自分は未見なんで勘違いしているのかもしれんけど…

というか、宮崎駿氏にしても坂本龍一氏にしても安易に、原発なくせ、だの「たか電気」だの、

人類なんか滅びちゃえばいいんです、だの、コンピュータとかゲームは頭がおかしい人が作ったもんなんです、だの、

マクロスアクエリオン河森正治氏も地球少女アルジュナみたいなエコロハスでスピな新興宗教アニメ?みたいなの作っちゃうし、

そういうのにどことな違和感を感じることがあったのだけど

例えば、オネアミスとかロケットの話だけど、やっぱり庵野氏というかガイナックスというかアニメーターなわけで、

自分のような理系視点から見た宇宙ロケットの壮大さに対する感動とは同じようで異なっているのではないか

まり、彼らは理系というより文系視点というか、センス・オブ・ワンダーなところに惹かれているのであって、

からピラミッドのレンガを積み上げるような泥臭い本当の開発現場感が、

アニメーターはアニメ制作に関しては当然あるのだろうけど、別の世界のそういう地に足のついた視点には欠けていて、

というのも、リアル研究や開発を脚色なく描いてもドラマがないというか物語として面白くなくなる可能性がある

まり天才的な科学者とか理系女性が登場したり、こんなこともあろうかとミラクル超兵器がいつの間にか登場したり、

実際の研究や開発は、たしか歴史的天才偉人と呼ぶべき人々も存在するのだけれど、

ほとんどは凡人、サラリーマンの集合であって、地味でつまらない日々の仕事ベースになっていると自分は思っていて、

ちょっとした思いつきや閃きで壮大な宇宙艦隊戦の形勢が逆転したりとか、そんなことはありえないと思うのです

三国志だってフィクションを多く含むはずです

でも、リアルすぎる研究や開発、リアルすぎる戦争を描いても面白くならない

からビジュアルとして美しい部分だけを切り取るのはアニメというか映像を作る側としては当然の選択なわけです

しかし、敢えてキツい言い方をするなら、アニメ作ってる人もスタジオの中に閉じ込もって、その世界しか知らないのではないか

恐れ多いのだけど、宮崎駿だってから晩までスタジオにこもってアニメを作ってる

もちろん、通勤の途中に障害のある人に出会って云々みたいな話もあった気がするのだけど、

でも、これは個人思想とか価値観問題でもあるのかなあ、

電気なくても構わないか原発なくせみたいな主張をされても、電気なければアニメは作れない、作曲や録音もできない、

アルジュナには水中分娩の話があるらしいけど、なんの資格もない助産師が水中分娩をさせて死亡事故が起きたりしてたと思うのだけど、

まあ、理系でも同じなのかなあ、現代社会に疲れてるのかなあ、

そういった左翼的というか、極端な自然回帰というか、そういったエコロハススピリチュアルなのに走っていってしまうのは

そういえば最近だと膣にパワーストーンだのジェムリンガだのもあったけど、膣の声に従って、仕事辞めて、孤島に集まってしまうとか、

SFというか、どちらかというとSF寄りのファンタジーを描いてる人たちってオウムみたいなのと親和性がある気がするんだよなあ

SF寄りのファンタジーって何のことを言ってるのかというと、スターウォーズ、そしてガンダムのことだったりするのだけど、

宇宙宇宙船が登場してるけど、一方で超能力とか、それが宇宙空間で開花するとか、

こういった話はLSDとかアイソレーションタンクとかアルタード・ステーツとか、ジョン・C・リリーティモシー・リアリー

それとジョン・レノンとかヒッピーメリープランクターズ、フラワー・チルドレンとかサマー・オブ・ラブとか、

LSDのような幻覚剤がなにか人類の発展に寄与するのではないか、そういう時代背景だったというのもあるけど、

結局は理系研究者でさえ幻覚剤に溺れ、なんでか自然を超常的なものとして扱うスピリチュアルな方向へ走ってしま

人間には何か根源的にそういうところがあるのだろうか

考えてみればユナ・ボマーことセオドア・カジンスキー天才的な数学能力がありながら、

世捨て人のように山奥で自給自足生活を送るようになり、しかしながら当然その生活は長く続かず、

将来的にテクノロジー人類破滅的に不幸にすると思ったこから

だったら将来性がある科学者爆弾で○せば、悲劇的な未来回避できるんでないの?と考えたんだかどうなんだか定かでないが、

これはターミネーター2ストーリーベースになっているが、フィクションなら面白いが、現実なら単なる爆弾魔の犯罪である

話が大幅に脱線したが、エヴァは終わっても就職氷河期が救われない、というのは言い得て妙であって、

エヴァリアルタイムで放映していたとき就職氷河期近辺ではなかっただろうか

その時期に庵野氏は、今は飽食時代なので心の問題を描いた、アニメではなく現実を見ろ、みたいに語っていたわけだが、

こちとら現実就活戦線は異常ありというか悲惨な状況だったわけで、

庵野氏はエヴァを作っているときちゃんニュースとか新聞とか世相を眺めてましたか

なんだかんだ、バブル世代自分価値観アニメを作ることしか考えてなかったんじゃないですか?

と恐れ多いながらも思ってしまうのが正直なところであって

まあ、たしか現実を見ずにアニメだとかフィクションに没入しているだけの人というのもいるのかもしれない

というか、そういう人たちに人生出会たこともあるが、自分がいうのもなんだが、たしかちょっとおかしいというか、

差別的になるけど軽度の知的障害ケーキを切れない非行少年少女?みたいなタイプも多かったし、

そういうところで昨今のDQNヤンキーの方がアニメ親和性がある状況というのを理解できる気もする

自分で言うのもなんだが、昔は良かった話みたいになるが、

SFとかサイエンスフィクションなわけだけど、どちらかというと理系との親和性というか、

理系からするとそのフィクションに野暮なツッコミを入れるのがネタとして話が盛り上がるというか、

自分大学時代にみんなで誰かの家に集まって、アニメとか映画の上映会というか、

どちらかというと映像を流しっぱなしにして、各自やりたいことを黙々とやるみたいなことをやってたわけだけど、

テレビに映ってるアニメ登場人物女性が、

「このディスクには地球誕生からの全てのことが記録されてます

とか言うと、「すっげー、どういう原理だよw」みたいにツッコミを入れる奴が現れ、

その後に真面目な記録媒体の話とかネタが続いたりするという、そんな日常だったわけだけど、

多分、大阪芸術大学とか偏差値も低いし、そういう視点では観てない気がするんだよなあ

やっぱり根底にあるのはビジュアルとしてのセンス・オブ・ワンダーであって、それはチャイナさんみたいなもんであって、

電子工学科、情報工学科、機械工学科、バイオなどのオタクが集まって話すツッコミとはちょっと異なるのだと思う

まあ、ストーリー本質技術ではなく、結局は人間関係なわけで、

今回のケンケンアスカではないが、そういうところにツッコミを入れるのは理系文系偏差値関係ないのだけど、

まあ、でも、やっぱりなんか違う世界に生きてるんだなあ、

当たり前だけど、恐れ多いけど、庵野氏と自分の関心の距離感みたいなのがあるとしたら、

リアルタイムでエヴァを観ていたときは近いのかと思っていたのに、

シンエヴァは未見だけど、シンゴジラ観たときでも、意外と遠いというか、同じものを見ているようで違うものを見ていたのではないか

まり庵野氏と自分が同じ赤いバラを見ているのに、互いに赤いと認識しているのに、脳内の赤はまったく異なっていた、

みたいな、まあ、勝手自分が同じような価値観を持ってるのかな、と思って勘違いしていただけなんだろうけど

そんな感じで、最近自分アニメゲームへの興味が皆無になりつつあるし、

アニメとかフィクション現実が完全に追い越してしまった、

それは東日本大震災だったり、原発事故だったり、コロナだったり、自分個人的な人生イベントだったり色々なわけだけど、

そう考えると、シンエヴァは未見だけど、同窓会みたいなもんなんだろうかと思ったり、

同窓会と考えるとやっぱり劇画オバQだよなあと思ったり、

自分は死んでも大学大学院以外の同窓会には出ないと心に決めてるので、

大人になれよって言われても、同窓会でしみじみしはじめたらもう老人だと思うし、

老人になってもゲーテみたいに二十代女性に振られたり、若いつもりで技術趣味に打ち込んで、さっさと死にたい

2021-03-02

内心の自由最近流行りの価値観アップデートってどっちが大切なの?

価値観100%心の問題であって両立不可と思うんだけど。

内心の自由差別の表明が別の問題って本気で言ってるの?

いやいやいやいや

社会的少数派を「(内心で)嫌う自由」と「(偏見に基づいて)嫌いだと口にする自由」は全く別のことだよ。

この手の切断処理をよく見るけどこれまじで言ってるの?全然別のことじゃないと思うけど。

そもそも内心の差別を解消するには他人対話するしかないでしょ。内心で差別してるから差別を表明したりするんだから心の問題解決しないとだめじゃん。内心で差別心を持っていることも問題でしょ。当たり前だけど。なんで内心で差別してるのは問題じゃないって話になってんの?ダメでしょ。

いつどうやってその差別が爆発するかわからないんだから相模原事件とか忘れたの?

個人がどう思ってようが自由だけどそれを言ったら差別だよ」と金言みたいに言われてるけど誰かに言わなきゃそれが差別かどうか本人にはわかんないじゃん。相模原犯人みたいに社会正義とまで思ってるやつも現実にいるんだから。内心の問題を解消しない限り差別心が爆発する潜在リスク社会は抱えたままになるよ。その内心を改めるには誰かと対話して修正するしかなくて、その過程において対話相手差別を表明することが必要になる。「私はこう思ってるんだけどどう?」と会話してはじめて差別だと気づいたりする。みんなそういう経験あるでしょ。これは人に言っちゃ駄目な言葉だとか、これは人を傷つける可能性がある言葉だなとか。そういう対話の積み重ねで自分価値観差別心を修正していくんだから内心の自由差別価値観)の表明は完全に地続きでしょ。

差別(仮)を表明することで他人に諫められて自分の考えが差別だって気づくんだから。まあネット差別を解消するインターフェースだとは思わないけど、一般差別の表明と対話による修正と内心は相関してるよ。普通に考えて。話さなきゃわかんないでしょ。あたりまえだけど。ましてや内心なんてものを変えようと思った時には。

その相関を考えないで内心の自由差別の表明は別だと言うのって自己責任論と同じにしか見えないぞ。竹中平蔵け?おまえは

https://anond.hatelabo.jp/20210302093544

anond:20210301102544

口に出したら戦争だろ。

内心の自由は許されるが吹聴して回ったらその時点でもう内心の問題ではない。

2021-02-26

「決められた時間に決められた作業淡々とこなす」みたいなすげー簡単なことができないのは

気持ち問題か?習慣の問題か?性格問題か?

他人が関わる仕事ならそれができるのに

自分一人でやる勉強では全くそれができずいつも適当に過ごしてしまっているのは自制心の問題か。

2021-02-22

anond:20210222025541

いかどうかは当人の内心の問題であってしょうがないんじゃないの

問題はその内心が膨れ上がって無辜な人を叩いてしまったりすることだな

2021-02-01

anond:20210131233101

なんだかんだ心の問題にとどまらないテーマをやってる心理学も割とというかかなりある気はする。

かつての蛸壺バンザイ時代は「考えないことにする」でよかったのかもしれないけど、

多くの学問で「分野横断」が叫ばれるようになった結果、分野横断のために設定された独立学問とある学問を捉えることは

厳しくなっていく可能性があるのではないかと感じた。

2021-01-31

anond:20210131185600

それは全くその通り。社会学である必要はないというか、現にさまざまな学問社会についてやっている。

 

社会学内部でその問題は、各学問と各学問の間に必ず発生するスキマを埋めるための学問社会学だとされているな。

心理学が「それは個人心の問題ではないとで考えないことにする」とか、経済学が「それは金の問題ではないので考えないことにする」とか、政治学が「それは政治問題ではないので考えないことにする」とか。その全部から零れ落ちる部分を含めて、社会全体を研究したいね、ということになっている。

2021-01-29

anond:20210129231336

GBTは心の問題であって認知障害じゃないじゃん。発達障害は脳そのものに異常があって事実を正確に把握する能力が欠けているんだから余計なことに口出すべきじゃない。

2021-01-03

anond:20210103183953

海外場合は、重要仕事につくまえに、どうして健康診断にいっとかないんだ?というのと同じで

体と心と 健康診断もしないで 健康だと言う人間管理職には不適切といわれるが

日本場合は、心の問題精神科医にかようと、なんというか、危険人物というか、障害者手帳もってきてといわれるだろう わからんけど

2020-12-25

anond:20201225114933

自分も壁打ちと近いけど

はてなブログ(非公開)なり、チラシの裏に書き残すことで未来自分同意してもらえる

はてなブログと似てはいても、増田は閲覧性が悪くて検索できないしタグもつけられないしなにより返答がうんことかだからへこむ

あと、ググることで過去におなじことを(しかももっとひどい状況で)悩んだ人はでてくるでしょ

自分心の問題

仕事人間関係の悩み

病気の話

どれもそう

こうやってインターネット相談することがリアル人間愚痴ることより有利なことっていっぱいあるよ

1.友人などの時間をとらせないですむ

2.自分相対的強者だったばあい愚痴っても愚痴ではなく自慢になって相手を傷つける

から強者こそインターネットをつかうといいとおもう

みんなには本音を話したり相談できる存在がいるの?

自分心の問題とか、仕事人間関係の悩みとか、病気の話とか、そういう話って普通の人は友大とか親とか兄弟かにしてるのかな

よく考えたらそういう話を人間相手したことないんだけどコミュ障からかな。

友達が親に電話愚痴聞いてもらってるって言っててびっくりしちゃった

私は持病の話も仕事で困ってる話も精神科に通院するメンヘラであることも増田ツイッターに壁打ちするだけじゃ

まりにも壁打ちすぎて誰かに話を聞いてもらいたかったので精神科カウンセリングをお願いしたがこの使い方でいいのかわからない

みんなどうしてるの?おっさんレンタルの人とかだと話聞いてくれるのかな

2020-12-16

anond:20201216092917

言いたいことめっちゃ分かる。どうせ大した内容じゃないんだろうな~と思いつつも覗いてみると

自称インテリみたいなのがつらつらと長文重ねて「私は正義です」って自己紹介してるだけ

心の問題について触れてる人間ほとんど居ない。そもそもツイッターかいう烏合の集まりで叫んで何が変わるというのか

お祭り騒ぎで騒いでるようにしか見えないから、主張には同意できても活動内容に賛成だったことは微塵もない

2020-12-03

人生二重苦で苦しい

人生二重苦で苦しい。

どうあがいても幸せになれるビジョンがない。

正直今にでも死にたい

俺の負っているどうしようもない二重苦を聞いてくれ。

二重苦の一つ目は、俺がADHDを持ちだということ。昨今ネットでよく見る「ネット診断に当てはまるのが根拠自称ADHD」ではない。

時代大人ADHDというもの一般に知れ渡り始める黎明期新卒入社した会社で周囲との関係業務事務的な部分でどうにもこうにもうまくいかなかった。例えば会社電話がなったら新卒自分が出なければならないのが常識だけど、俺は業務に熱中していると電話の音に気付けず電話をとることができなかった。その他にも事務的書類の不備多数だとか、自分では普通に人と接しているつもりなのになぜか不快感を与えてしまうだとか。当時、新卒入社から数ヶ月で俺の悪評は社内中に知れ渡ったらしい。そんな部分が重なり精神的に鬱になり産業医相談をした結果、ADHD可能性を指摘され専門医の診断を受け晴れて正式ADHD患者となった。俺はどう足掻いてもこの障害を一生抱えながら生きていかなければならないのだ。またADHDは35歳限界説などという噂がまことしやかに囁かれているの希望がない要因だ。

二重苦の一つ目は、俺が同性愛者だからだ。昨今、海外ではようやく同性婚というものが受け入れられ始めてきたが、日本ではまだ同性愛というもの文化的に受け入れられていないと言える。令和の時代になってもいまだに「同性愛を認めたら足立区は滅びる」と言い出す人種がいるだ。まぁ彼の人はその発言によって大炎上したのだが。日本現在でも同性婚程度の制度の改変で二の足を踏むのは同性愛に対する根本的な差別意識根付いているかなのだろう。別に同性婚を認めろと言っているわけじゃない。仮に明日同性婚日本で認められたとして、明日から日本人全員が同性愛に対して寛容になるとは思わないからだ。受け入れるというのは制度ではなく心の問題なのだ。じゃあ、数年後、数十年後日本同性婚が認められるのは?そこから同性愛一般的になり日本人一人一人に受け入れられるのは?俺が生きている現代から途方もない時間流れる必要があるだろう。それが達成できた時俺は何歳ですか?

ヨボヨボのゲイの爺が日本で受け入れられてもあと死ぬだけじゃんか。いや、下手したら死ぬまで受け入れる土壌が育たない可能性もある。

とまぁ、主にこの様な二つの生きにくい生まれつきの咎の様なものを背負いながらこの先も生きていかねばならない。

この二重苦で幸せになれる自分想像できない。

ブサイク人生詰んでるわワロスw」とか言ってる陰キャのチー牛!

お前らノンケの健常者に生まれた時点ではっきり言って人生バラ色なんだよ!

何だったら変わってくれよその素晴らしい人生

あぁ、死にたい

2020-11-28

友人や家族がいると人生が楽になる

最近、家庭の事情心の問題人生がうまく行っていなかった人が、25歳で難易度の高い大学入学生活を立て直したという話を聞いた。自分も似たような人生を送ってきたが、そのとき自分と同じ境遇の人や応援してくれる人が近くにいたら楽だった思う。ネット他人共感を求める人の気持ちがようやくわかった。

2020-11-19

anond:20201119092631

少なくとも「夫婦同姓」自体は男女に関して平等制度なので「女性抑圧」ではない

親族世間圧力ガーとかいう話ならそれは個々の家庭や個人の内心の問題であるので選択夫婦別姓の論点ではない

選択夫婦別姓を導入したところで日本人全員を洗脳するわけではないのだから「妻は夫の姓に変えろ、子は夫の姓にしろ勢力は残り続けて解決にならない

2020-11-08

anond:20201108195823

どこに行っても「お前は責任重大だぞー」って脅してくるので、

最終的に責任を感じるかどうかは自分心の問題にしないとどうしようもない気がする。

anond:20201107222616

おい増田カップ麺オナニーって知ってるか?

カップヌードルの底に穴を開けてオナホにするんだ

もし日清社員の目の前でカップヌードルジョークグッズとして使ったらどうなる?

怒られるよな

たぶんうちの商品をそんな風に使わないでください、とか言うだろう

イメージ大事にする企業ならそれが普通

で、だ

今回のは日清公式カップヌードルでシコろうキャンペーンをするようなもんなんだ

「世の中にそういう見方がある」のと「公式がそういう見方肯定する」のには大きな差があるんだ

追記

文盲のために書いといてやるが上記の指摘は下記引用への反論

たとえば「これを機にタイツエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。

女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツけが例外だったとする認識おかしい。セーラー服ハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである

タイツエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きいただきましたので性的まなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだアツギが種を撒いたことにはならない。

まり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。

2020-11-07

タイツキャンペーンがほどよくフェティッシュだった問題

https://anond.hatelabo.jp/20201107053636

今となってはあれを「タイツ屋のキャンペーンとして適切だった」と考えている人は少ないと思うし、元増田もセーフとは言っておらず批判するなら理論武装したほうがいいよと言っているに過ぎない。

それなのに「そんなことをしてやる義理はない」「理路など必要ない、ひとりひとりの言葉にできない不快感と向き合え」といった感じのブコメ散見されて暗澹たる気持ちだった。そういう人たちは「不快気持ちにさせて申し訳ありませんでした」という謝罪文が引き出せれば満足なのだろうか? 1件1件の炎上で都度スカッとしたいだけならそれでもいいんだろうけど、そうではないよね。

口々に好き嫌いという気分を述べているだけではただの人気投票であって、そんなもの何万票集まったところで「このキャンペーンはウケなかったな」「フェチ燃えるね」くらいの限定された結果しか導けないでしょう? 一企業の一通の謝罪文まりで発展性がない。

そうではなく、社会を変えたいならば、つまり女性社会的地位の向上とか生きづらさの解消とかを本気で目指しているならば、問題をきちんと一般化して「こうしたキャンペーン手法女性全体にとって、ひいては社会一般にとってマイナスである」というセオリー確立したほうが効果的(=説得力・影響力がある)だと思いますよ、というアドバイスなんだけど、大きなお世話なんですかね……。

説明されなきゃわからないのか」。

説得力を完全に放棄たこの手の言説をいわゆる「はてフェミ」たちが口にするのをしばしば目にしますが、自分には誠実な態度とは到底思えないんですよね。もっと女性意見を聞けと言うわりに肝心の対話は拒絶するんだから。たとえばブコメにもすごい境地に行き着いた意見あった。

なぜそんなに偉そうなの?討論するために声を上げた訳ではないのですが。

自分(たち)が上げた声は常にすべて正しくて無検討で聞き入れられるべきだという態度のほうが数万倍偉そうでしょう。せめて話し合いましょうよ。まあこれは極端な例でしたが、「お前は馬鹿なのでわかっていないようだが自分にはわかっている(説明はしないがな!)」というスタンスコメントはほかにもいくつもありました。

どんな議論でも同じだけど、たくさんの意見の中には問題の核心に迫るものから取るに足らぬくだらないものまで色々あって、種々雑多、玉石混交。その中からノイズをより分けてポイントを整理して論点明確化していくのは不可欠なプロセスだと思う。そこから全速力で逃げようとするのは「女には理屈が通じない」「論理的な話ができない」っていうジェンダーステレオタイプ自己強化してしまう結果を招きかねない思いますよ。余計なお世話かもしれませんけど。

一例だけど、様々な批判の切り口の中に「タイツエロアイテム扱いするのはけしからん」というテーマがある。この主張にも数々の派生バリエーションがあるが、その中には検討に値しないものもあると思う。

たとえば「これを機にタイツエロアイテムとして認識されるようになってしまったじゃないか! 日用品なのに!」という意見の、「これを機に」の部分とか。「これを機に」ではなく、もともとそうだったでしょ、と。

女性の着衣でエロアイテム化を免れ得ないものはない。男性の両脚の間にある妖怪レーダーは(個々人により異なる指向性を持つものの)総じて感度はたいへん優秀なので、どんなものにでも男は欲情するしタイツとて例外ではない。タイツとは厚みが異なるだけのストッキングの中には男の劣情を喚起することに機能を絞ったものすらあるわけで、今までタイツけが例外だったとする認識おかしい。セーラー服ハイヒールがそうであるように、みんな性的にまなざされていることは薄々知りつつ着用していたはずである

タイツエロさを感じる資質を備えた紳士であれば今回のキャンペーンなどなくともとっくに目覚めていたはずで、今回のキャンペーンによって「お墨付きいただきましたので性的まなざし始めます」みたいな男はおそらくいない。そんなことは内心の問題なので、まなざすやつはもうとっくにまなざしていたはずなのだアツギが種を撒いたことにはならない。

まり、今回のキャンペーンを契機にタイツに対して“新たに”注がれることになった性的まなざしは(考慮必要なほどには)増えてはおらず、強いて言えば「タイツ絵」という絵画表現の魅力に目覚めてしまう人はいたかもしれないが、そのことが今後「じろじろ見られる」「タイツ着用者の性犯罪被害が増える」などといったかたちで実社会に直接的な影響を及ぼしていくとはちょっと考えにくい。

ちょっと身も蓋もないことを書くけど、もともと男性が異性を見るとき、「審美的まなざし」と「性的まなざし」をきちんと切り分けてはいない。「素敵だなあ」と「そそる」の間はグラデージョンというか入り混じっていて、「ここから純粋、ここからスケベ」というきっぱりした線は引かれていないのだ。結果として、女性審美的な魅力を高めようとすれば多かれ少なかれ性的な魅力も勝手に高まってしまう。これは女性本人が異性の目を惹くことを意図していなくてもそうなる。オシャレとは本質的にそういうものではないだろうか?

追記

議論が深まっ太郎

2020-10-23

機械のように生きられない自分

仕事私生活の場面でそれぞれに求められる態度というものがある。それを機械のような正確さで実行すれば周囲からの評判が上がり年収も増える。頭では分かっているのだが自分にはそれができない。適応力がある人は心の問題をどのように解決しているのだろう。

2020-09-29

anond:20200929101911

関係自然消滅したと思って次の女を見つけようとしているところ

でも思考を少しフラットにして、吐き出す前に一呼吸するだけで随分と楽になるもんだよ。試してみてほしい。

心の問題は本人の心の持ち方が重要だと思っていて、他人にもそれを薦めようという屈託のなさがあるため

他人迷惑を感じた風の態度を示してもおそらく気に病まない、頓着しないのではないかという疑念を抱いた

2020-08-25

VTuberキャバクラとか言われるの嫌だなぁというお気持ち表明

色々なオタクお気持ち表明しているのを見るので、VTuberを追っかけてる自分も長文お気持ち表明と言う奴をしてみる

 

まず、そもそもセクハラじゃない?

誰かの仕事活動について、キャバクラ呼ばわりするというのは、普通に考えてセクハラだと思うんだけど、違うだろうか?そういうコメントをした人や、それに対して☆を押した人の中の倫理ではOKな行為なんだろうか?どうです?

キャバクラ嬢の人としても釈然としないのではないかと思う。恐らく専門的な技術が少なから必要仕事だろうし、実際にVTuber達がキャバクラで働いても多くは上手く行かないんじゃないだろうか、どちらにも失礼な話だ

他者に対するリスペクトが無い

 

また、矛盾を感じるというのもある

キャバクラである」という揶揄揶揄として機能するのは、キャバクラ女性をモノ化し商品化するものであり、かつそれが悪い事だと考えるからだと思うが、揶揄するあなた達はそう言う価値観ちゃんと持てているのだろうか?

もし持てているのなら、VTuberセクハラして平気な心性とどのように両立するのだろうか?矛盾していないか

それとも持てていないのだろうか?ではどういう根拠で「キャバクラ」を揶揄として用いるつもりなのだろう?

もしや、他者揶揄する際に、その前提となる価値観がどのような物であるか、考えた事が無いのだろうか?それは少し、浅くないか

他者人格を持った人間扱いしないという事が「キャバクラ」の揶揄の要点であるなら、他者セクハラしつつそのような揶揄を行う様に、風俗に行きつつ風俗嬢に説教する様な無様なこっ恥ずかしさを感じるのは自分だけであろうか?

 

また、実態との乖離問題だろう

今回VTuberスパチャ額が話題に上がるきっかけとなった以下のランキングにある通り、VTuber以外も含めたスパチャ累計額の世界一位はホロライブ所属桐生ココである

https://gigazine.net/news/20200824-youtube-superchat-runking/

で、桐生ココがキャバクラ的なVTuberであるかどうか、彼女活動を追っている者ならすぐに分かる

彼女を一躍有名にした代表的コンテンツと言えば「あさココ」であるが、その内容は毎朝6:00からニュース番組形式でホロライブ内の出来事面白可笑しく紹介したり、ホロライブメンバーによる英語裏社会に関する知識を紹介するというもの

まぁ普通に考えて「キャバクラ」という言葉還元できる様な活動ではない

また桐生ココが世界一位となった大きな要因は、海外視聴者からの人気であろう。redditでのmeme化とそれを自分配信で取り上げた桐生ココの活動に起因する人気まで「キャバクラ」と形容するのは、些か「キャバクラ」と言う言葉意味を拡大し過ぎではないだろうか?そこまで広い意味にとった時、果たしてあなた仕事活動は「キャバクラ」でないと言えるだろうか?

 

実態との乖離桐生ココだけではない

VTuber界でホロライブと双璧を成すにじさんじから件のランキング10位以内にランクインしているのは男性ライバーの葛葉のみである

その後も15位の叶、17位の加賀美ハヤトと男性ライバーが続く

業界王手にじさんじスパチャ累計額において必ずしもトップではないというのは、そもそもVTuberにおいてスパチャが収入源として最重要視されている訳では無いという証左と言えるだろうし

しかにじさんじ内のスパチャ累計額トップリーはいずれも男性なのである。「キャバクラ」という言葉が如何に実態乖離しているかあなた方が自分に頑張って言い聞かせない限りは分かるだろう

代わりに「ホスト」という言葉を使いたくなるかもしれないが、彼らは男性視聴者も多く抱えている。私も最近男性VTuberの視聴がメインになってきて久しい

性的な魅力のみを頼みに活動しているVTuberは実のところ少ない、と言うより、そう断言できるVTuberを私は知らない

(ちなみに、にじさんじ象徴的なVTuberである月ノ美兎はなんと60位。彼女スパチャどころかボイス等による収入も重視していない。恐らく収入の多くは企業案件ライブイベントが占めている。何度も聞くが、これが、キャバクラ?)

要するに、「キャバクラ」等と言うのは所詮一部をいっちょ噛みして知った気になっているか、または何も知らずにイメージだけで語った人々の脳内にある幻想に過ぎない

そんなものに☆を押して、まったく御大層な事だ

程度が知れる

 

ところで、先程ホロライブにじさんじを「双璧」と言ったが、それは規模や登録者数という尺度で考えればの話で、VTuberという文化全体をそれら企業勢のみを見て判断する事には多くの反対の声が上がるだろう

個人勢や、登録者数の少ないニッチVTuberもそれぞれ魅力を持ち、また業界の幅を広げている

そうした幅を「キャバクラ」という言葉還元して無かった事にしてしまうのは、一体何の為だろう?何の役に立つのだろう?何が嬉しいのだろう?

ひょっとして、ただあなたが嬉しいだけでは?それ以外に何の役に立つのか、考えてみ・・・なくて構わない、時間無駄から

 

キャバクラ」という形容については他にも色々ツッコミ所が有り過ぎてキリが無い。今まで挙げた物もほんの一部である(気が向けばいくつか更に追記するかもしれない)

そもそもキャバクラ」という言葉を敢えて使いたがる人はVTuber双方向性に夢を見過ぎである。実際に配信を見れば分かるが、「キャバクラ」と言えるほど視聴者とのやりとりは無い

例えばゲーム配信ではゲームプレイしながらコメント欄を確認すること自体難しい。1万円以上のスパチャ(所謂「赤スパ」)も特に気付かれずスルーされる事はざらであり、それでいいのだ

気付かれたり、名前を呼ばれる事が目的では無い人は恐らく少数派ではない、そもそもスパチャをしない視聴者が大半を占める(これをキャバクラに置き換えて考えてみる事が可能だろうか?)

実態を知れば知るほど、むしろキャバクラ」との共通点を探す方が難しい

まぁ、別に反論したいならすればいいのだけど、ブコメ文字数ではこれまでの指摘それぞれに反論する事は不可能だろう。トラバでやるにしても結構な労力だ

これまで挙げたツッコミ所はそれぞれ独立している為、1つ2つ反論した所で意味が無く、他が残っている限り結局「キャバクラ」は的外れという事に成る

全てのツッコミ所に反論する、それだけの労力を払ってまで「キャバクラ」と呼びたいなら、むしろその熱意・欲望がどこから来た何なのか考えたほうがよっぽど有益だろう

どうしてあなたVTuberを「キャバクラ」と呼びたいのだろう?

もし本当っぽい答えを思い付いたら、是非教えて欲しい

 

追記

どうしても「キャバクラ」と呼びたいならでびでびでびるの3D披露配信を見ると良いと思う

あれを「キャバクラ」と言われれば・・・違う、気はするが私は強くは否定できない

猫カフェの方が近い気はするが・・・

あ、猫カフェも「キャバクラ」だったりします?

 

追記2:

猫カフェキャバクラっていうのは割と同意を得られそうって事は分かった(ブコメ等で)

そこで提案なんだけど、どうしても言いたいなら「VTuberキャバクラ」じゃなくて「VTuber猫カフェ」にしたらどう?

猫カフェVTuberと同じ理由で(愛嬌を振りまいてお金を稼ぐからとか?)「キャバクラ」ならば、「キャバクラ」の代わりに「猫カフェ」と呼んでも問題無い筈だよね?

勿論これまで説明した通り、「VTuber猫カフェ」も同様に的外れなんだけど、ただ嫌な気分になる人は減るだろし、反発も少ないと思うよ

それでも何故か「猫カフェは嫌だ、どうしてもキャバクラと呼びたい」と言うのであれば、それは「キャバクラ」呼びでないと実現できない何らかの拘りや欲望侮蔑的意味合いを込めたいなど)が有るって事で、

それはあなた心の問題なので、VTuberどうこう言う前に自分の事を一回見つめ直した方が良いと思うよ

 

あと、スパチャの実態についてはVTuberを追ってない人は想像しにくいんじゃないかな?とも思った

その辺りはこの増田が詳しく書いてくれてるから読むと良いと思う

https://anond.hatelabo.jp/20200825103218

 

で、スパチャによる収入の高額さがVTuberに馴染みの無い人には目に付くと思うんだけど

まず想像力を働かせてみて欲しい、スパチャによる収入と言っても、その収入は当然配信によって波が有る

高額に到達する為には、特に高額スパチャの多い配信があった、という事に成る

で、そういう配信の様子をイメージして貰いたいんだけど、高額スパチャが大量に飛ぶって事は、そのスパチャが埋もれる、って事でもあるんだよね

実際、そう言う配信っていうのは大きなコラボ企画型の大会だったり、3Dお披露目等の記念配信だったりするんだけど、みんなスパチャするからまず目で追える速度じゃないの

まりそういう高額を得られる配信であればあるほど、スパチャはVTuberに読まれないし、スパチャする側もそれが分かった上でスパチャするんだよ(後で読み上げとかはあることもあるけどね)

なので、よく言われるVTuberに反応して貰う為のスパチャって言うのは、実の所無視される前提のスパチャに比べると一部に過ぎないと思うよ(この辺りは自分観測範囲にも依るので、推測でしか言えないけどね)

こういう部分はやっぱり実際に配信を見ている人じゃないとイメージ出来ないんじゃないかな?と思ったので追記してみた

で、じゃあ何の為に?って思うと思うんだけど、まぁその人がVTuberを続けられるよう支援のつもりだったり、記念のお祝いだったり、ライブイベントを見て良かったと思ったかチケット代代わりに、ってのが多いんじゃないか

 

追記3:

ブコメ見て思ったんだけど、猫カフェじゃなくて「猿回し」でも怒らない人は多分居るよ(怒る人もいるかもしれないけど)

そこに悪意が無いならしっくりくるVTuberいるからね

バラって言うんですけど・・・

 

追記4:

ごめん、VTuberに馴染みの無い人に対しては一番重要かもしれない情報に今気づいた

冷静になって今一度数字を見直してほしい

スパチャ累計額世界一位の桐生ココは累計額が約8820万なんだけど、チャンネル登録者数は約56万なんだよね

 

8820万円÷56万人=157.5円/人

 

一人当たり200円も行かないのよ。トップでよ?

当然実際はスパチャをしないもしくは少額の人が大半で、一部の人が高額スパチャをしてるんだが

スパチャをしないもしくは少額の人が大半」のコンテンツの不健全性を高く見積もり過ぎじゃない?と思うし、そんなキャバクラある?と思う訳です

 

追記5:

キャバクラを見下しているのでは」というコメントがいくつかあったので返答しますが、見下していません

何故見下していると思ったのか教えてもらえますか?そしてその条件にあなた自身も該当してはいいか確認してみて下さい。

また、そもそも「他の職業活動を「キャバクラだ」と形容するのは、対象キャバクラ双方に失礼」という話です

キャバクラキャバクラ嬢は他の職業活動に置き換えられない固有性を持った職業であり、それを他の職業形容する為に用いるのは、キャバクラ固有性を無かった事にする行為です。分かりますか?

まして他の職業活動揶揄侮蔑する目的で「キャバクラ的」だとした場合、それは明確にキャバクラへの侮辱です

さて、あなた揶揄侮蔑する目的で「VTuberキャバクラだ」と言いましたか

YESならキャバクラを見下しているのはあなたです、これは明らかですね

NOなら、では何故「猫カフェ」や他の例えではなく「キャバクラ」を用いなければならないのでしょう?

既に私は「猫カフェ」で代替する事を提案していますよね。では解決ですね。よかったです!

(尚、「猫カフェ」を用いた場合も今度は猫カフェ固有性無視する事には注意が必要です。そもそも、ある職業を別の職業で例える事は、双方の職業に対して失礼だし的外れなんですね、それだけの話です。なので、そういうことはやめましょう)

(まぁただ、例え表向きとは言え、「キャバクラ」という形容揶揄侮蔑意図しないものとしてしか出来なくなったなら自分からすると進歩ではあるので、それは良かったです。そうですよね、揶揄なんかしていないですよね。良かったです)

2020-08-23

感想文が苦手だった人間気持ち

https://anond.hatelabo.jp/20200821200053

https://anond.hatelabo.jp/20200821141701

私もまた感想文は苦手だった。

感想を書いて自分の内心を外部に晒す苦痛恥辱、弱点を晒す、言質を取られる、そんな感情を伴う。

今でこそ「内心の自由侵害であり、黙秘を許さぬ虐待しかない」と言えるが、年端も行かぬ小学生にそんな抗弁もできようハズがない。

しかもこれは理由の一端である

他にも、どんなアドバイスを受けようとも「それは自分言葉でない」「自分はそんな事は言わない」という、

頭の引き出しの中になにもないクセに、外から来るすべてを拒絶するという性質があった。

何故なら「自分で書いたモノ」と自己が切り離されず、そのような外から来た言葉を混ぜることは

アイデンティティ喪失意味するため、拒絶するしかないのだ。

初めて「なんか適当にそれっぽいこと書いて、意識高い感じ出しとけ」と出来たのは大学1年生のときだが、

思ってもないことを書いた反動で、以来その講義レポートは2度と出せなかった。

感想文苦手の子も、思っていること、考えていることは沢山あるだろう。

でもそれを表現するには、上述の文章くらいは自分で書ける程度の土台が必要だ。

考えというもの言語化できて初めて認識されると言って良い。

から言語化するには複雑だったり多くの言葉を費やさなければならない感想であると、

時には面倒だから、或いは困難だから、「感想はない」にならざるを得ない事もある。

そもそも、ほぼそういう物語があったんだという事実認定で終わるだけで、「ふーん」だけが感想場合もある。

からおもしろかったです(本当は別に何も思わなかった)」しか書けない。

「ふーん」だけではなく「ふーんそうなのかー」と思った行を見つけて何か書いておく、そうやって字数を稼ぐのが私の感想文だった。

それでも字数が足りずに行き詰まることも多々あった。

ダラダラと書いて最終的に何を言いたいということもなく、

どういうオチを付けるのか、締め方も分からなくなっていき、

まるで自分で意義を認められないものが出来上がった時、書いたものすべて消しゴムにかける。

増田は称賛されているようだが、こういう私のような人間には何一つ響くものがない。

書けない人間とはどのようなものかも知らず、

どこからともなく冗長で軽薄な言葉を湧かせ、

読む相手蔑ろにしなければ出来ないであろう、嘘を並べ立てる不真面目な虚言家として軽蔑する。

そんな反感を、少なくとも高校生くらいまでなら覚えていただろう。

端的に言うと、感想文を書かせるのは無理だ。

無い袖は振れない。上述でいうところの土台がない。

出来るのはせいぜいニュースなど折に触れては親の考えを植え付け、

子ども大人になって「吐き気を催す」と捨てられるまでの間、引き出しの中身としてやることだ。

2020/08/23 追記

この感想文が書けているのは、第一には土台があること。

言葉概念思考技術、さすがにもういい年なので、それなりに備わった。

第二に、ふーんでは終わらない内容であること。

書けないのは何より心の問題だった。

乾いたスポンジに、まだ数滴の目薬しか垂らしていないのに、一体そこから何が絞り出されるのか。

真に琴線に触れたのならば、心から滲み出たものをそのまま文にしたためることも出来ようが、

何とも思わなかった物語に対して、架空の心を生み出して代弁させるのに必要精神機能は、

一体心の発達段階の何歳頃であれば可能なのだろうか。

テンプレートの穴埋めから感想文を書くという手法もある。

だが、仮に「アメリカは〇〇人の国である」という穴埋めがあったとしよう。

白人黒人アジア人……いずれも当てはまらず、書けない。

感想がないこと、言い表せないこと、それが混沌状態であっても「そのままであること」が物語の正しい姿であるのに、

100%正しい表現ではない言葉で決めつけてしまうと、自分の心の中にある物語が壊れ、損なってしまう。

子ども心にそれは悲しいことで、感想を書けなかった記憶もある。

もはや感想というよりは随想であるが、元増田のように書くには余程精神が活性でなけれれば出来ないだろう。

から見れば亢進ともいうべき状態で、余人の真似出来るところではないように思える。

私がスポンジに吸収したものから言葉を出しているのだとすれば、元増田は溢れ出る泉のようだ。

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