はてなキーワード: 学生寮とは
★人間、選択肢が10個以上あると、かえって逡巡して行動ができなくなる傾向にある。
「首都圏以外の43道府県が選択肢」となって、選択肢多すぎて決断できない、という
状況に陥っているような気がする。
「東北のどの県を支援するか、予め決めておく、カウンターパートナー方式」を取ったように、
「世田谷区だと岩手県を紹介、杉並区だと山形県を紹介」のように
首都圏人から見ると、山形と青森、いずれも自然が豊かなんだろうが、
「山形も青森も、自然が豊かなのはわかったけど、どっちがいいの?
今度の旅行でどっちに行けばいいの?
迷っちゃって面倒だから、旅行取りやめ」てなことになりかねない。
ビジネスも同じ。
その点、韓国と相対する福岡県であれば「日本で一番韓国に近い都市」ということで、
北海道は「日本で一番ロシアに近い都市」ということで、差別化が可能。
青森が「ロシアとの交流」を標榜しても、地理的関係では北海道に負けるし、
大分が「中国との交流」を標榜しても、地理的関係で長崎に負ける。
であれば、多少「こじつけた理由」で、他国(非英語圏が望ましい)と
「A国のことなら、B県に聞いてしまえ」というまでにのぼりつめればいい。
例えば、大分県の「こじつけ理由」として、大分県は地熱発電が盛んである。
であれば、地熱発電が盛んなインドネシアと、カウンターパートナーとなる。
具体的には、
・大分空港からジャカルタへ直行便、ジャカルタ以外の複数都市にも直行便
・大分銀行が、日本企業(県内企業)のインドネシア進出サポート
・大分県内のNHK/民放で、インドネシア語のバイリンガル放送
・県内図書館にインドネシア語書籍、インドネシア関連書籍揃える
・インドネシア系企業・商店が集積する「インドネシア村」の設置
「インドネシアに強いかどうか」ということで、明白に差別化できる。
在京企業もインドネシアビジネスしたい場合には、大分に行ってビジネスした方が
他県も、こじつけでいいから、外国とカウンターパートナーの縁を結ぶ。
鳥取は砂漠研究が盛んだから、中東の例えばサウジアラビアと縁結びする。
りんご栽培が盛んな青森は、中国アメリカに次いで世界3位のリンゴ大国のポーランドと縁結びする。
さくらんぼ栽培が盛んな山形は、世界1位のさくらんぼ大国のトルコと縁結びする。
多少こじつけでもいいから、その地域の「強み」が生きる相手国と
縁結びするのである。
こうすれば「青森と山形、大同小異、どんぐりの背比べ」じゃなく、
「青森はポーランドビジネスの拠点、山形はトルコビジネスの拠点、日本国内でオンリーワン」となる。
非英語圏諸国は、英語が通じない、通じづらい、というハンディを抱えている。
そのハンディを、カウンターパートナー先の県が、教育・マスコミ総出で
解消してあげるのである。
この構想は、今47都道府県にばら撒かれている「各県インフラ4点セット」を、
逆に利用してやれ、という発想である。
各県インフラ4点セットとは、空港・国立大学・地銀・県紙(テレビ)である。
明治以来150年の歴史を誇る、47都道府県の4点インフラを有効活用しないのは、
いかにも惜しい。
少し長い文章になってしまいましたが、高専の特徴とその後の進路、メリット・デメリット(高専に向いている人、向かない人)をまとめました。
6/1追記・想像以上に多くの方が読んでくださったようで、嬉しく思っております。その中のコメントで数点ご指摘を頂きましたので、訂正および追記をいたしました。少々見づらくなってしまいましたが、ご了承ください。コメント及びご指摘をしてくださった方々に感謝いたします。
まず、高専はご存知のとおり普通高校とは違い5年間の学校です。ですが、普通科高校+短大のような学び方をする学校でもありません。エンジニアを育てるという目的をもつ高専では、入学した年からすぐに数学や英語、国語のような一般科目の他に、その学科の専門科目の授業が始まります。
もちろん専門といってもいきなり高度なことをするのではなく、中学校を卒業してすぐの学生(高専では「生徒」ではなく「学生」と呼ばれます)でも出来る内容から始まるので、入学前からなにか特別なこと(例えばプログラミング、電子工作、製図など)ができないといけないという訳ではありません。
ちなみに私のいた学科は情報科だったので、簡単なプログラミングや簡単な電子回路を学ぶ授業(というよりも「体験」に近い)が1年目からありました。中学生の頃からパソコンが好きだった私にとっては専門科目は楽しい授業でした。
この専門科目は高学年になるにつれて増えてゆき、4、5年生のころには一般科目よりも多くなります。
一般科目はどのような事を学ぶのかと言いますと、1〜3年生で学ぶものは「基本的には」普通の高校(理系)と同じです。数学や英語、国語はもちろん、物理、化学、生物、地理、歴史なども学びます。しかしここで注意して欲しいのは、良くも悪くも高専生には大学受験がないという事です。5年制ですので3年生が終わっても4年生になるだけです。地理や歴史、古文や漢文などは普通の高校よりも低いレベルまでしか学べません。高専生は英語が苦手、と世間ではよく言われるのですが、それも大学受験がないためでしょう。
逆に専門科目に直結する数学や物理、(物質・材料系の学科では化学)は3年間で高校生よりも高度なところまで学びます。
高専の目的は「5年間でエンジニアを養成すること」ですので、そのための勉強をするというわけです。
専門は学年が進むごとに時間も増え、内容も高度になります。また毎週のように専門の実験・実習があり、レポートを書くことになります。これによってかなりレポートの書き方、まとめ方を鍛えられるのですが、この力は卒業してからも非常に役に立ちます。実際に内部生(普通に大学受験して1年生から大学にいる人)よりも、高専を卒業した編入生のほうがずっと良いレポートを書いているように思います。
また高専では専門や高校よりも高度な数学や物理を学ぶわけですが、その内容ゆえに学校の他に勉強を教えてくれる、いわゆる「塾」のようなものはありません。そのため自分でしっかりと勉強する、分からないところは友達や先生に聞く、という自立学習の習慣がないと厳しい環境だと言えます。
高専はやはり普通の高校とは異なった環境であり、個性的な学生が集まっています。
6/1追記・高専生はオタクだ、と言われることがあります。しかし、高専生=オタクというとこれにはかなり語弊があるので、個性的な学生、と表現しました。もちろんアニメ、フィギュアなどの趣味を持っている人もいます。しかしながらそういったものに興味がない学生ももちろんたくさんいます。”どんな趣味も否定されることはない環境”と言えば分かりやすいでしょうか。音楽、プログラミング、サッカー、アニメ、工作、麻雀、カメラ、銃、ゲーム、バスケなどなどいわゆる”オタク趣味”を含めた様々な趣味を持った学生がおり、こういった学生らが高専の自由な校風を作り出しているとも言えます。
またエンジニアを目指す学生が集まるところですので、どうしても女子の数は普通高校よりもかなり少なくなります。男子と女子の比率が1:1、ということはまずありえないと思ってもよいでしょう。(6/1訂正・学校や学科によっては1:1もありえるそうです。高専のホームページで確認してみてください)機械系の学科では男子38人、女子1or0人、などということも珍しくはありません。
クラス編成は学科単位なので、5年間クラス替えはありません。(6/1訂正・学校によっては混合クラスの編成もあり、クラス替えがあるところもあるようです。)ですので確かに刺激は少ないのですが、クラスメイトとはかなり親密な仲になります。
また大半の高専には学生寮があります。学校によっては全員が必ず入るところもありますし、学校によっては希望者のみ、あるいは1年間は必ず入る、などのルールがあります。ちなみに私は寮に5年間入っていましたが、一晩中友達と部屋で喋ったり、勉強会をしたり、週末に談話室で夕飯を作ったりと楽しい環境でした。
6/1追記・高専によっては寮が厳しいところもあるようですね。ちなみ私の高専の寮では1年生から基本的に自由で毎日楽しく過ごしておりました。ただ挨拶と消灯に関しては厳しく、1年生のうちはきちんと挨拶をし、消灯時間には寝るよう指導されました。また風呂掃除などの当番も基本的に1年生の仕事でした。2年生になると当番や消灯の拘束はなくなりました。いわゆる「寮のルール」は高専によってかなり差があると思いますので、知り合いがいれば聞いておくとよいでしょう。
部活動もちゃんとあり、3年生までは普通の高校の大会にも参加できますし、高専大会では4、5年生も参加できます。
高専卒業後は就職するか進学するかの二択になります。このご時世でも高専の就職率は非常に高く、ほぼ100%を維持しているところがほとんどです。高専からの就職は基本的に「推薦」という形で行われるので、大学生のように就職活動をする必要がありません。企業の方から来た求人と学生の希望を担任の先生が調整してくれるのです。これが高専が高い就職率を維持している理由でもあります。
自分で行きたい企業に応募する(自由応募といいます)ことも出来ます。(ただし、自由応募で就職する人はほとんどいません)また、人によっては公務員試験を受ける人もいます。(地方上級、国家二種、三種など)
しかし、ここで注意して欲しいことは、高専卒はあくまで高専卒であって、大卒とは違うということです。高い就職率ではあるものの、給料や昇進の面からみて高専卒が大卒と同じように扱われることはないようです。
さて、進学の方はといいますと、基本的に高専が設置している専攻科へ進むか大学3年への編入するかのどちらかです。
専攻科とは高専が作ったさらなる専門の学習機関で、2年間あります。基本的には自分がいた高専に設置された専攻科に進むことが多いです。卒業後は学士(4年制大学卒と同じ学位)がもらえます。
もうひとつは大学3年次(大学によっては2年次)編入です。地元の国立大学に編入する人もいますが、東京大学や京都大学をはじめとした旧帝大のような難関校への編入も全く珍しいことではありません(もちろん受験勉強は必要です)。高専によっては毎年かなりの学生を東大や京大に送り込んでいるところがあります。(各高専のホームページの進学状況を見てみるといいでしょう)ちなみにどの大学でも高専からの編入生は優秀だと言われるそうです。
6/1追記・普通の大学入試とは違い編入試験の日程は大学ごとに異なっており、そのため日程が被らなければ何校でも受験できます。(例えば、6月に広島大学を受けて、7月に筑波大学を受けて、8月に大阪大学を受ける、など)複数の国立大学を受験できるのも高専の大きなメリットの一つです。ただし、大学によっては「入学確約書」の提出や「(入学金を振り込むなどの)入学手続」を求められるところがあるので、この期限を確認して受験することになります。
・圧倒的な就職率
・自由な校風
・就職や進学の場で、普通の人とは違う、というアピールポイントになる
・学んでいる専門が嫌いになると非常に辛い
・留年、という普通高校ではほとんどありえないことがそれほど珍しくない
・女子学生が少ない(6/1追記・学校によっては女子学生が多いところもあるようですが、ほとんどのところが少ないと思われます)
・5年間クラス替えがない(6/1追記・学校によってはクラス替えがあるところもあるようです)
・普通高校が羨ましくなる
・大学1、2生が羨ましくなる
これまでの説明で高専がいかに普通高校と違うかがわかっていただけたと思います。この違いを楽しめる人が高専に向いている人といえます。
高専は5年間で一つのパッケージになっているため、3年で退学して大学入試に挑むことも可能ですが、やはり普通高校に比べると難しくなってしまいます(一般科目の学力が足りない、など)。大学編入でいい大学にいけるから、という理由で高専に入るのはやめた方がいいでしょう。5年間ずっと専門を学びますし、特殊な環境なので一度嫌になったらかなり辛い場所です。毎週のようにレポートがあり、テストで求められる点数もそれなりに高いので、留年するということが普通高校ほど珍しくありません(もちろん、普通に勉強していれば大丈夫ですが)。遊びすぎたり、無気力になって留年や退学していった人を何人も見ました。
しかし逆に、専門が好きでエンジニアになりたい、という人にはとても良い環境だと思います。先生も個性的で距離も近いので、親身になって教えてくれます。
当然ながら高専への合格基準は明確に示されているわけではないので、あくまで参考として読んでください。
推薦は中学校の内申点と面接、作文などが評価されます。出願には一定の成績(5段階評価の平均が4以上、など)が必要なところもありますので、推薦を狙う人はきっちりと定期テストで成績をキープしておきましょう。作文では専門に関すること(例えばインターネットの将来を予想しなさい、自分の住んでいる街の良いところと悪いところを説明しなさい、など)をテーマに出されるところもあるので、普段からいろんなことを観察したり本を読んだりして視野を広げておきましょう。
中学生に専門知識を求められる事はないはずなので、面接では自分がどうして高専に行きたいのかということを明確にしていれば大丈夫でしょう。
学力試験は過去問が7割程度解ければ良いと言われています。高専の問題は普通高校の入試問題とはすこし変わっているので、過去問は絶対に解きましょう。学習指導要領を超える難関私立高のような問題は出ないので、基礎をきっちりと押さえておけば大丈夫だと思います。
こんな質問をされることが高専生(あるいは卒業生)の間で必ずあります。即答で「うん!」という人はあまりいないのですが、なんだかんだで入ってよかったと思っている人は私の周りでは多いです。私自身、在学中は「普通高校に行っておけばよかった」、と思うこともしばしばあったのですが、卒業して大学に編入してから振り返ってみると実はいい環境だったんだな、と思います。大学に入ってから高専出身の人と出会うと仲間意識が芽生え、「高専トーク」で盛り上がりますし、高専卒というのは自分の中のアイデンティティにもなっています。
中学3年生の人はそろそろ進路を決めなければならない時期かと思いますが、高専のことが気になる人は夏のオープンカレッジにぜひ参加してみてください。高専の雰囲気がよくわかると思います。
繰り返しますが、高専に進学するという選択は良くも悪くもかなり特殊な選択です。しっかりと自分の将来を考え、情報収集をし、保護者の方ともよく相談して決断してください。
今更なネタで何番煎じかもわからないくらい。入学手続は今日という状況だ。地獄の細道あるけど頑張れよ!
酔った勢いで投下。
参考・ネタ元:
http://anond.hatelabo.jp/20100217113611
http://d.hatena.ne.jp/m-bird/20100217/1266393981
http://blog.goo.ne.jp/light-music/e/3f2b9834b2482faa45ff2b396354c746
なんか「名大受かった」とか言ってる奴いるし、もしかしたら需要あるかもしんないんで。
1.住居
近い方がいいが、直近は避ける。これヴェスト。たまり場になると不可の嵐は目の前だ。
本山・田代・八事あたりがオススメ。川名だと若干遠いかも知れん。
自転車・徒歩で行ける距離でなければ、バス停・地下鉄駅の位置と相談しろ。
学生寮は色々とキツい面があると聞く。新歓飲み会は吐いて呑んで吐いて呑んでの繰り返し(女の子は知らん)。会合などの出席も義務であり、欠席すると白い目で見られるとか。でも確かに安い。八事周辺であの値段はマジ破格。考えてみる価値もあるだろう。
パソコンは買っておけ。東山キャンパスにはパソコン使える場所は色々あるけど、ログインが必要であったり混んでたりで意外と使いにくい。夜には閉まっちゃうしな。
だからマイパソコンは結構重要。ノートかデスクトップかは好きにしろ。基セミとかあるけど、基本的にノートPCであることを要求されることはない。
生協パソコンにするかは、他とよく比較してから決めろ。持ち運びには便利だがな!
プリンタはあると便利だけど、なくても困らない。全学サブラボでは年間500枚まで無料で刷れる。情文に至っては情文ラボで印刷し放題らしい。私は情文ではないのでホントかどうかは知らないが。なお、大幸キャンパス(医学部保健学科)では印刷に金がかかるらしい。これも友人に聞いた話だ。
名大はかなり地元生の割合が高い大学だ。下宿生は周りに知り合いがいなくても、地元生は周りが友人だらけだったと言うことがザラにある。
サークルや部活の新歓に出といて、早めに知り合いレベルでもいいから作っておけ。
基セミも知り合いを作るチャンスだが、少人数を強制されるので苦手なやつにはきついかも知れん。
宗教では名大ジャーナル(統一教会系)・親鸞会、左翼では某学部の自治会が有名だ。
下宿してると近所のスーパーで「名大生の方ですか?」と言い寄ってくる若いやつがいるから気をつけろ。私はすぐ逃げてるので確証は持ててないが、ネットの話を総合すると奴らも宗教系だ。下宿生を狙ってアパート訪問することもあるので、マジ注意。
文化系サークルをまとめてる文化サークル連合(通称、文サ連)は、対当局行動をよくやらかすが左翼団体ではない。体育会は、そもそもそんな活動をしてないはずだから安心しろ。
5.ノートは取れ
学部によって難易度が違うから全学部に言えることではないかも知れないが、基本としてだ。
名大にもダメな教授はいるだろうが、全体的にそこそこ名の知れた人が多い。せっかくの勉強の機会をみすみす逃すようなことはするな。
文・情文は友人の話を聞くに、あまりノートをとらなくても単位は何とかなるようだが、学生としての本分を忘れるな。
6.ブラックリストを過信するな
入学前の新入生にも何故か有名なブラックリスト。
基本的にアレは、取れた人の成功体験か取れなかった人の恨み辛みが書いてあるだけだ。最悪の講義を避けるにはいいかも知れんが、そこそこの講義だと評価が二分されたりしてわけわからんことも多い。
あくまで参考程度にしとけ。主観以上のモノはほとんど手に入らないからな。
あれはトヨタの協力で出来たのは間違いないが、豊田(とよだ)氏にちなむので「とよだこうどう」が正解。これ豆な。
毎年必ず何人…いや何十人単位でホールの外からありがたい話を聞くことになる。
お前だけじゃないから安心しろ。確かに端から見ると惨めだが、いじけるな。
私もそうだったんだから。
友人が会社でよくお菓子を配っているのだが、これは出費面から見ても労力面から見ても、大した努力ではない。
それなのに、よく気が利く人ということになっている。
誰も気付かないようなところ・誰もやらないようなところで優しさを発揮すると、とくに目立った優しさとして受け止められる。
こんな例もある。大学生の時に学生寮に住んでいたのだが、居住する部屋から少し離れたところに銭湯があって、
学生たちは片道3~8分ほど歩いてそこに通っていた。すると、カミソリや歯ブラシを忘れて取りに戻るのが大変だったりするわけで、
貸してもらうわけにもいかず困ったものだった。ある日、銭湯に行くと、銭湯の券売機の隣の机に使い捨てのカミソリや歯ブラシが沢山
積まれていて、「どうぞお使いください」と手書き文字の紙が貼ってあった。最初管理人がやったのかなと思ったが、
そうではなくて誰か学生がやったらしかった。
我々はこういう善意に慣れなくて、反射的に気持ち悪いと思ってしまうところがあるが、これはなかなか発想し行動には移せないなと感心した。
どんな人がやったのか知らないけど、多くの人が彼に感謝していたと思う。
気を回す余裕さえあれば、努力無しに感謝されるのだから楽なものだとも思う。
その点では、おべっかばかり言って、媚びへつらっているような人は、努力は認めるが、ずいぶん効率の悪い優しさだな、
頭が良くないなと思う。
小1の時。おじいちゃんが死んだ。
なぜ死んだのかは知らない。正直興味もない。
だっておじいちゃんの記憶は何にもない。
優しかったのか怖かったのかすら覚えてない。
小2の時。お父さんが死んだ。享年42才(くらい)。
B型肝炎。数十万人に一人の割合で発症するらしい。
助かる可能性はとても低かった。
お父さんの記憶はちょっとだけある。
まだ父が元気だったころ。
夜、布団に入ってからなかなか寝付かない私のところへ来て、目の上に手を載せて「もう寝ろ」と言われた。
蛍光灯の反射で暗くて顔はよく見えない。
大きな手だったのを覚えてる。
発症してから。
一時帰宅していた時祖母宅にて。
布団の上でぐったり顔を覆ったまま動かない父。
大人たちは皆忙しそうに険しい顔をしていた。
その一時帰宅の後、お父さんは遠く離れた都会の大きな病院に入院した。
お母さんは看護のためお父さんについていった。
なので私たち姉弟3人は父方の祖母のところにしばらく預けられていたらしい(覚えてない)。
ある日、私たちはお見舞いに行った。
病室に向う廊下で母に「爪を噛むのをやめなさい」と言われた。
当時のひどい癖だった。(今でもストレスがたまると噛んでしまう…)
ベッドの上で上体を起こしていた父はガリガリにやせ細っていて、体が異常に黄色かった。
そして「○○子か…」と言った。弱々しくかすれた、老人のような声だった。
自分がなんと答えたかは覚えていない。
今思うと、もう助からないから最後に会わせた的なお見舞いだった気がする。
それでも当時の私には父が死ぬとは予想できなかった。
ただただ、父の変貌ぶりにショックを受けていた。
父が死んだ時。これはけっこう覚えてる。
私は学校にいた。休み時間だったと思う。教室にいた私を先生が廊下から呼んだ。
「この前お見舞いに行った時、お父さんは元気だった?」
「…? いや、わからないです…」
「いいかい、すぐに帰りなさい」
「???? はい…」
当時私は父が死ぬとは全く想像してなかったので、その時は何を言われているのかわからなかったが、
とりあえず帰ることにした。
祖母宅までの徒歩10分を歩く途中でハッと気づいた。
「たぶん、お父さんが死んだのだ」と。
誰に聞いたわけでもなかったけど、妙な確信があった。
祖母宅には小1の弟がすでに帰っていた。
もう1人の一番下の弟はまだ2歳だった。
親戚の大人たちが集まり始め、騒々しい雰囲気になっている。
子供である私たちはほっとかれていた。
唯一ひいおばあちゃんが「○○(父)は死によったぞ、わかるか」みたいなことを言ってきた。
「死」というものがどういうことなのか、私は理解していた。
黙ってうつむきじっとしていたら、泣いてしまいそうだった。
私は弟にいった。
「外行こう」
弟は「うん」と返事をした。
手をつないであてもなく歩いていた。
6歳と7歳。
私たちは幼なすぎた。
「お父さん、死んだんだよ」私が言う。
涙が溢れてきた。弟も泣いていた。
もう何か言おうとしても涙しか出なかった。
ワンワン泣きながら、手をつないで歩くのは止めなかった。
そこで記憶は途切れる…。
小3の時、父方のおばあちゃんが死んだ。
優しくて好きだったので悲しかった。
小4の時、母方のばあちゃんが死んだ。
母が泣き崩れていたが、私はあまり会ったこともなかったので
いつも通りボーッとしていた。
とにかく小学校の時は葬式やら法事やらばかりでほとんど想い出がないし思い出せない。
母は資格もない、商売の才もない、ついでに免許もない何の変哲もない高卒だった。
私は母が実際何をしていたのかあまり知らない。
母は言わないし、私も聞かなかった。だがとにかく、忙しそうにしていた。
その頃の私はとにかくぼへーーーっとした覇気の無い子供だった。
暗くおとなしい子だった。
とにかく読書が好きで、ヒマさえあれば本を読んでいた。
人と居ても本を読み、家にいても本を読み…本さえあればそれで良かった。
外で遊ぶのは大っきらいで運動神経は驚くほどなかった。
お金がなかったので何度も何度も同じ本を読んだ。
本を読む以外の事はすべてにおいてめんどくさかった。
なので"おかあさんは大変だから家事をしよう"とかは一切思わなかった。
ただ、"おかあさんは大変だから金と自分の事で迷惑をかけてはいけない"という気持ちだけは強かったが。
ある意味では何もせず、本をむさぼり読み、自由気ままな暮らしっぷりだった。
こういう子はたいていいじめられ体質だ。
とは言っても特に激しいいじめはなかったし数少ない友達もいたが、基本的には家にいた。
ある夏の日、母についに「あんた友達いないの?頭おかしいんじゃないの?」と言われた。
私「○○ちゃんと遊んだりしてるよ」
母「あぁ、あの子とあんまり仲良くしない事。あの子のお母さんはナンタラカンタラで評判が…」
私「…」
私は少しずつ違う友達を優先するようにした。
○○ちゃんはありえないくらい優しくていい子だ。(今では優しい旦那さんと結婚して2児の母。今でも大好き)
幼いころから優しく包容力のあるお母さんキャラという感じだった。
いつも「私、●子大好き!」と笑顔で言ってくれた。
私も当然○○ちゃんが大好きだった。
でも、母が言うことは絶対だったので、少しずつ離れていった。
母の言うことに疑問など持ち得なかった。
そして思春期。
いない父の代わりに1つ下の弟のことが無性に気持ち悪くなり、無視ばっかりしていた。
存在するだけでむちゃくちゃ腹が立った。
今思うと弟は「ねぇちゃん遊ぼうよぅ」といつもどおりだったのだが、私だけが近寄るなオーラを出していた。
こればっかりは今思い出しても胸が痛む。
その頃、我が家は少し険悪な雰囲気になっていた。
私は反抗期なりに何とかせねば、という思いが多少あった。
とりあえず、皿を洗ってみた。
ろくにやったことがないので、割ったり泡が残ったりひどいもんだった。
母に「余計なことをしてくれた」と罵倒されたので、もうやらないことにした。
次に、何かの本で読んだ知識であろう「家族で交換日記をする」事を提案した。
それを聞いた母は「おまえは家族をメチャクチャにする気か!!」と鬼の形相で罵倒してきた。
私は意見を言うのもやめた。
友達と服を買いに行けば「ナマイキだ。何考えてるんだ」と言われた。
部屋が散らかっていれば「おまえは頭が変だ」と散々溜息を吐かれた。
そういう風に言われても、別に母のことは好きでも嫌いでもなかった。
すでに私は何も感じていなかった。
一度罵倒タイムが始まるととにかく長いので、心を閉じて無にした。
ただひたすら終わるのをじっと待った。
母に言葉で逆らうことは無かったが、すぐに母をイラつかせる自分がダメなヤツだとも全く思っていなかった。
とにかく、黙っていればそのうち怒鳴り疲れてくれるのでそれを待っていただけだ。
本好きが高じて成績はよかった。答えがあるものは楽だった。
高校の進路相談で都会の進学校を進められたが、金がないので断った。
母は「行きたいなら行ってもいいんだよ」と言ったが、行くわけがないだろ、と思いながら黙っていた。
この頃から学校の先生や友達から「あんたは何を考えているかわからない」と現在も言われるようになる。
中学の時、相変わらず仲良くしてくれていた○○ちゃんが入院したことがあった。
住まいから離れたご実家の病院に入ることになり、そのことを母に告げると、
「妊娠でもしたんじゃないの?あの子は素行が悪いから」(嘲笑)と言った。
さすがに腹が立ったが、黙っていた。
私は○○の母にそれをチクった。
「うちのオカンが妊娠じゃないの?なんて言うんすよーw愚かな母でサーセンwww」的な軽いノリで。
それからすぐに悲しい顔になり「お母さんは愚かなの?」と言った。
どうやら、○○の母は自分の娘がクソビッチ呼ばわりされたことにムカついたらしく、
(その場では何も言わなかった)私の母にクレームの電話を入れたようだった。
私は初めて父の死以外のことで母の前で泣いた。
泣きながら母の問いには首を振った。とんでもないことをしたぞ、と思った。
その頃の母は夜の外出(ママ友達と遊び)が激しくなってきたので
「でも家にもっといてほしい」ということだけをなんとか言った。
家にいる時間は多少増えたが、わたしへの風あたりは当然強くなった。
16歳になった頃、もう母に必要な要件以外言うことは何もなかった。
ただ、衣食住を供給してくれるので家にいるだけだった。
険悪でもなく、仲良くもなく、
母はもともとよくはしゃぐ明るい性格なので、それに適当に付き合っているだけの関係だった。
高校に入ってバイトを始めた。家に金を入れようとは微塵も思わなかった。
このころにはもう子供たちの手もかからなくなっていたので、割と毎日ご機嫌だった。
私も学校ではそれなりに明るくなっていた。
とにかく長いものに巻かれろ精神で適当に調子を合わせておけば、ハブられることもなかった。
部活をやったり好きな先輩がいたりと、とにかく普通の地味な高校生だった。
金のことだけは私はシビアだった。
だが自分で稼ごうとも思わなかった。思いつきもしなかった。
ただひたすら、現状を受け入れガマンしているのが、母との関係の上で自分なりの最善の策だった。
進路の時期、高校出たら働くと言ったら、鬼の形相で「大学は絶対に行け。ただし浪人・私立は行かせられない」と言った。
私は勉強だけは相変わらず得意だったので、けっきょく都心の国公立に入ることになった。
母の元から離れたかった。家が嫌いでも好きでもなかったが、とにかく息苦しかった。
まぁ結局母も私も自分のことしか考えていなかったのだ。
母は口では信用しているから好きにやらせているといいながら、本心では自分が解放されたかったのだと思う。
高2の時、先輩に連れられてバイトを休んでいじめに悩んで不登校になっていた後輩の家に行った。
その子は暗くて太めでメガネで、とにかくいじめられる要素満載だった。
でも私は別に好きでも嫌いでもなく、学校に来るきっかけになればいいなくらいの気持ちで遊びに行ったのだ。
良いことをした、とまでは思わなくても、悪い気持ちではなかった。
家に帰ると母が鬼の形相だった。
どうやらたまたま私のバイト先に行ったようだ。運が悪すぎて笑えた。
「バイト休んで何やってたの」
「友達の家にいってた」
「!!!!!!!!!!!!!!(激昂タイム)
母に説明する気はさらさらなかった。
要約すると、母は自分が恥ずかしい思いをしたこととわたしを信頼していたのに裏切られた、やっぱりあんたは最悪だ、ということを言っていた。
私はまた心を無にして時間が流れるのを待っていた。
そのころにはもう私は自分の意見や好きなこと、嫌いなことを人に言うという行為を失念していた。
ただモヤモヤしたものだけが心の中に渦巻いていたが、表面上はとにかく無気力だった。
大学で私は生まれて初めての何とも言えない開放感を味わった。
ネチネチ言う人は誰もいない、すべてが自分の自由である。
入学金と学費は家庭環境から免除、生活費と学生寮費は奨学金とバイトでまかなった。
最高の気分だった。
私は一気にヤリマンになった。
(見知らぬ人は怖くてデキないヘタレでした)
みんな優しくて明るかった。
私はうれしくて家事をしたり、尽くしまくった。
だがそのうち面倒くさくなったり浮気をされたりで悲しい思いをすることも多かった。
でも、なんだか生きてる感じがした。
女としておしゃれをしたりメイクをしたり、何をしてもネチネチ言ってくる人はいない。
従わなければいけない人がいないというのはこんなに楽しいものかと思った。
この頃から他人と自分の家庭の違いに気付き始めた。
続き
http://anond.hatelabo.jp/20090414170900
もうお腹いっぱいかと思いますが、ここ数日の在日コリアンの増田エントリーに触発されたので、おいらもいっちょ書いてみます。
つれづれに書くからねー長くなるかもだよー。
国籍は韓国です。旦那は日本人です。子供はいません。兄弟はみんな既婚で、配偶者は全員日本人です。
両親は朝鮮学校に通いました。父は右寄りでも左寄りでもない感じで、母はクソ真面目の右寄り(?)です。両親はハングルペラペラ(これは大人になってから自発的に学びなおしたからで、朝鮮学校に通っていたからペラペラなわけではない)ですが、自分は数十個の単語を知ってるくらいです(主に親戚を呼ぶ時と挨拶程度)。
自分は日本で生まれ、日本で育ち、日本の学校(高校まで)に通い、日本人の友人に囲まれて青春を謳歌し、今は派遣社員として日本の企業で働いています。
親戚以外で在日の知り合いはいないです。帰化した親戚もいますが、みんな仲良くしてます。
通名(名字だけ。名前は1つかないス)を使ってますが、新しく知り合う人には割りと早い段階で在日であることを言ってます。なんでそうするかって、とーちゃんがそうしているからです。親のしていることを真似するもんなんだよね、子供って。在日だと告げることですごいイヤな思いをしたこともありませんでした。残念ながら私はお勉強は苦手だったので高校は上中下でいう下の県立バカ高校で、そこで知り合った友人ももちろんお勉強のレベルは同等。もちろん在日ってのがいまいちよくわかってない。「外人?スゲー。どこ生まれ?韓国語話してみて!!!」みたいな感じw
違うんだ、国籍が韓国なんだけど日本生まれ日本育ちでね、ハングルは話せないよ、っていうと「なんだ、じゃあ日本人じゃん…」って、なんでガッカリか、コラwww
こんな感じで良くも悪くも私が在日であることは興味をもたれなかったです。20歳になってからの市長選挙かなんかときには、おまえ誰に入れるの?○○さんよろしくね、みたいなこと言われたことあったなぁ。だからー選挙権ないからー!
在日であることを告げてひどく考えさせられたことが1度だけありました。20代はイギリスに留学してました。通っていた大学はいろんな国から学生がきていて、もちろん韓国からきた学生もいました。私は普段から在日であることを隠したりしてなかったので、同じ学生寮いた韓国人のピ(仮あだな)さんにも在日であることをいいました。それはそれは普段話すように軽いノリで。そしたら、在日はコリアンとは認めないし、本国(韓国)では嫌われてる、というような主旨のことを言われたんです。我々にひどいことをした日本に住んで暮らしている在日は裏切り者だ、ということらしいです。すごいショックでした。
私は父から、朝鮮人であることは恥ではない(誇りを持てとはちと違う)から隠すこたぁない、民族の結束は大事だし助けあうもんだ、と常々言われていました。民族の結束については実感なかったけど、自分が在日であることは特別というより話しのネタくらいの感覚で、隠すことではないと思ってました。もちろん、朝鮮半島が自分のルーツであることを否定もしてない。なので、コリアンと認めてもらえないことをどう処理していいいのかわかりませんでした。
ピさんの発言はあくまでも韓国にいる韓国人の一つの意見に過ぎないし、そう思っている人もいれば違う考え方をしている人もいるでしょう。ただ、事実としてこういう意見はあるという現実。まあ、ハングルも話さなければ朝鮮半島のことも知らないので当然なんですが。日本に住んでるからいけないのか。でも生まれたときから住んでるし、もっといえば日本に生まれることを選んだのは自分ではないし…。朝鮮学校に行かなかったからいけないのか?今から韓国に行けばいいの?ハングルを話せばいいの?韓国で生活をすれば受け入れてくれるの?でも私にとって韓国は外国だしなぁ。
この「コリアンとは認めない」発言で、私は自分が存在してはいけないのような気がしました。私は自分が在日であることをあまりにも軽く考えすぎていたのではないか。なんてバカな自分。もっと真剣に向き合わなくちゃダメなんじゃない?いわゆる、アイデンティティ・クライシスでした。
冷静になって考えると、頭の中が完全に日本的でハングルも話せない自分が「韓国人でーす」とか言ってもうさんくさいよな。確かに「おまえはコリアンじゃない!」って言いたくなる気持ちもわからないでもない。そんな自分はさておき、日本で朝鮮半島式のしきたりを守り続けているうちの両親・親戚も韓国人とは認めてもらえないのかしら。でも日本に住んでるから裏切り者なのかな。
イギリスで、ああ、これはいいなって思ったことがある。中国系(イギリス生まれ、イギリス育ち、英語・広東語)のイギリス人ポール(仮名)君に「君は何人?」って聞くと堂々と「イギリス人だよ」って言う。あたりまえなんだけど、堂々と言えるってことがすごいいいなって思ったの。日本にいて「何人?」って聞かれることは99%ないけど、外国にいると聞かれる機会が多い。そんなときなんて答えたらいいのかすごい迷うんだよね。韓国人ですっていうのはウソがないが、「あ、韓国語知ってるよ。アニョハセヨー」とか言われても笑ってごまかすしかない。でも、日本人ですって答えるとウソなわけじゃん。ウソ言ってるってことが自分の中でなんか気持ち悪いんだよね。かといって、初めて会う人に「韓国人ですが日本生まれで日本育ちで日本語しか」って長いじゃん。それトゥーマッチインフォメーションじゃん。今考えれば、聞いてる側は私の国籍じゃなくてどこに住んでるのかを聞いている場合がほとんどだろうから、日本から来ましたって言えば済んだ話なんだけどね。丁度ピさんの発言とかで敏感になってて、冷静になれてなかったね。
で、ポール。ポール君と普段の会話してると、話の内容によっては「自分はチャイニーズじゃん、そんで家では中華料理がうんぬんかんうん」とか「みてわかるじゃん、おれはチャイニーズだよw」みたいな発言もあるんだけど、国籍はどこかっていうと断然迷いなくイギリスなわけ。イギリスにはインドあたりからの移民もたくさんいるのですが、サリー着て見るからにインド人のおばちゃんもきっと堂々とイギリス人ですって言うと思う。サリー着てかなりお年を召したおばあさんがたとえカタコトの英語しか話せなくても国籍はイギリス。そっかぁ、国籍=民族じゃないんだね…っていうことを痛感したわけです。民族性を保持しつつ、在住する国の国籍を有するっていいなぁ。それなら自分は朝鮮系日本人っていう存在になれたらスゲーいい!と思ったわけ。
本名で帰化だ!それで丸く収まるよ!そんな話を母親にした。もっと賛成してくれると思ったのに、どうも反応がイマイチ。そもそも帰化することが納得できないらしい。おかーちゃん、帰化する=朝鮮を捨てるじゃないんだよ、私の国籍がどこでも私が朝鮮民族ってことは変わらないじゃん?って何度も説明したけど、やっぱり受け入れられないらしい。ちなみに、この人は朝鮮と韓国が別の国であるということさえも納得いかない人なのです。朝鮮半島は朝鮮民族の土地であり、もともと1つの国よ?ってな。それはさておき、帰化の話があんまり通じないから、国籍に頼る民族性なんてクソくらえだ、ばーか!みたいなこといってケンカになったこともある(しかもソウルの電車内でw)。
なんでおかーちゃんは頑なに帰化したくないのか?それの一つに教育の違いがあるんだろうと思った。朝鮮学校で何をどう学んだのかは知らないが、私が日本の学校で学んだこととは違うんだ。帰化することは民族を捨てるって思想なんだろう。最近は、自分は帰化しないが、あなた世代は日本人と結婚する人も多いから帰化するのも理解しないといけないと思う、にだんだん変わってきたようだ。でも内心は帰化に対する負の感情があるのがわかる。母親に帰化の話すると、なんともいえない怒りというか悲しみというか、非常に複雑な表情を見せるんだよね。親にそんな思いをさせるのかと思うと帰化は非常に躊躇する。
ま、ただでさえ帰化は時間と金がかかるし。ブクマコメを見てると、帰化の手続きが大変なんだって知らなかった人も多かったみたいですね~。そらそうか。昔はものすごいイジワルな面接官がいて、その面接でキレて帰化できなかったか途中で投げ出したかした人もいたとかいないとか聞くよ。今は随分改善されているらしいです。
とりあえず自分は帰化は今は見送り。両親がいなくなったら考えるかも。
ニュースをみててふと思ったことがある。もし自分がボランティア活動でアラブの国に行ったとして、誘拐されたら?日本人が誘拐されたときは日本政府の介入がありましたよね(具体的なことはわからないですが)。もし韓国籍の私がアラブで誘拐されたら韓国政府が介入する…んだよね?そんで無事に救出されたとしてどこに戻る?…日本に戻ったら韓国人は怒るよね?あたりまえだよな。でも日本政府が在日韓国人を助ける義理はないよね?もし助けたとしても、日本国民は納得いかないよね?じゃあどっちの政府も無視するかな?…されたとしても文句は言えないなぁ、この辺はどうなるんだろうなと疑問に思った。あ、私はボランティア活動してるわけでもないし、この先もその予定はないですよ。ただ、国籍が重要なときってあるんだよなって思ったのです。在日韓国人として日本に住んでいて不便も不自由もない(そりゃ役所関係ではコマゴマとありますけど、たいしたことない)のでこのままでオッケーみたいなところがあるんですが、そんな軽いノリで問題を先送りにしていいのかって思わなくもない。
本国にいる韓国人もさまざま、在日もさまざまです。私のようにちょっとおバカな在日だっているんです。一世、二世、三世でもかなり違うし、学校教育や家庭がどんな環境だったかで意識は違うと思う。みんなそれぞれに悩んだり悩まなかったりしてるはず。どっちが正しくて、どっちが間違ってるなんてことはないと思います。
それから、在日ってことで悩んでばっかりいたわけでもなくて、在日ゆえのおもしろい話とかもたくさんあるんですよ。ネットで公開できる話かどうかわからないので書けないですけどw
…ハゲるほど悩んだわけでもないですが、現時点では「場合によって韓国人でもあり、場合によっては日本人でもある」ということで自分の中で決着をつけ、今はのほほんと暮らしています。
5年後、10年後はどういうふうに変わっているかわかりませんけどね。
ごめん、この増田の言ってる場所、特定しちゃったと思う。
自分も近所に住んでる人間で、その猫おばさんと話したことがあるから。
猫が居たので写メ撮ってたら、話しかけられた。
猫の身体に悪いエサ撒くやつが居るらしく、その犯人だとちょっと疑われたw
猫が可愛かったから写真撮ってました、と言うと、猫好き認定したらしく、ボランティアで野良猫去勢させてるとか、里親探ししてるとか、大学寮の猫に毎日自腹でえさやりをしているとかの話を誇らしげにしてた。
冬は勝手に大学寮の敷地内に侵入して段ボール置いてるとか言ってたので、表面上はにこにこしながらも腹の中では
(不法侵入・不法投棄じゃんよ、タチ悪いなー)
と思ってたんだけど、さらにこんなこと言ってた。
1 ●大学(その大学寮の)は大学構内の犬の散歩が禁止。こんなの全国でも珍しい。とても冷たい大学だ。
2 (野良猫たちの縄張りの)空き地と学生寮の敷地を管理しているおじさんは、猫が嫌いで猫の寒さ避けに置いた段ボールを撤去した。悪魔のような男だ。
……というようなことを私にグチってから去っていったけど、これってすごく勝手な言い分なので、呆れた。
まず1ね。
第一に、大学のキャンパス内は公園じゃないので、基本的に「関係者以外立入禁止」。
うるさく言ってないだけで、訪問者は門の所の守衛さんに身分を告げるという規則もある。
ていうか、キャンパス内でペットの散歩を禁止している大学のほうが一般的。
許可されているのはキャンパスそのものが観光地となっている東大とか京大くらいだそうだ。
それから2。これは大学所有の土地なんだから管理人の仕事として当然のこと。
管理人さんが猫嫌いなら、嫌う権利だってあるでしょ。むしろ、保健所呼ばないだけ猫に優しいくらいじゃないかと。
なんというか、私の大嫌いなPETAやシーシェパードに通じる、自分勝手で傲慢な動物愛護精神を感じた。
里親探しや野良猫の去勢とかは、増やさないためにも立派だと思う。自腹でやってるらしいし。
当然、無用な動物虐待もすべきではない。
でも、実際に野良猫に迷惑をかけられている人がいるなら、人間優先にするのが当然。
大学寮だから野良猫に開放すべき、なんて理屈はおかしい。大学の土地は公共のものではない。
おばさんと話したのはけっこう前だし、当時はおばさんの言うとおり「猫はここの学生に迷惑かけてない」って言うのを「そうなのかなあ」と思ってたけど、
増田の言うように迷惑かかってるんなら、野良猫を保護したり飼育(恒常的えさやりは飼育とみなされる)したりする前に、
大学側の許可を取るなり別の場所に移すなりすべきだろう。迷惑かかってるなら許可はおりないだろうけど。
そういう筋を通す前から我が物顔で色々やってるから問題なんだよね。
日本人学生10数人が酒を飲んで騒ぎ、これに抗議した中国人学生と衝突し、中国人学生2人が殴られて重傷を負ったことがネットの書き込みで分かった。現在、中国の新聞網サイトはこのニュースの報道を禁止している
日本人留学生が鉄パイプで中国人学生を殴り、2人が負傷したとの情報もあるが、確認されていない。
総領事館や目撃者らによると、校内にあるバーの店長を務める日本人留学生ら数人が学内で騒いでいたのに対し、中国人学生がペットボトルを投げ付けるなどして抗議、小競り合いとなった。
日本人留学生が学内のバーで酒を飲んでいたところ、中国人大学生が「うるさい」とペットボトルを路上に投げた。バーは中国人学生寮の一階にあり、以前から、「深夜まで騒々しい」とトラブルになっていた。
酔った日本人留学生が店内にあった鉄パイプを振りかざしたところ、興奮した中国人学生が寮を飛び出し、けんかに発展。留学生寮に逃げた日本人を中国人が追いかけ、「小日本」「日本へ帰れ」と叫び、瓶などを路上に投げつけた
(※ソース原文はおそらくこれhttp://news.iqilu.com/other/20081023/53997.html)
午後10時ごろ、10人ほどの日本人留学生が学校構内の広場で酒を飲み、騒いでいたという。彼らの騒がしい声は校内に響き渡っていた。
この騒がしさに不満を募らせた学生寮の9階に住む中国人学生が、日本人留学生たちに対して抗議の意を込めて水を撒き散らしたというのが事件の発端である。
水をかけられた日本人たちは、中国を罵る言葉を叫びながら中国人学生の部屋に押しかけ、その部屋の中国人学生たちに重症を負わせ、病院送りにしたのである。日本人たちは派遣された特別警察によって連行されたほか、広場には数百人もの愛国心を持つ学生たちが集結した。
そのほか、秩序維持のために十数台のパトカーも広場に集まっていた。パトカーと学生による20分ほどの対峙があった後、学生たちは日本に対して抗議を行うため、中国国歌を歌いながら外賓館に向けて歩き出した。
僕はここ八年ほどずっと寮に住んでいる。実をいうと、一年程前に意を決して寮を出たのだけれど、たったの三週間で夢の一人暮らしは終ってしまい、また寮生活を送っている。これだけ長く寮に住んでいると世の中には色んな人がいることを思い知らされる。いや、思い知るには一年もいらないのだけど、僕自身学生寮と会社の独身寮のいくつかを渡り歩いてきたからいろんなパターンをみることが出来たんじゃないかと思う。
最初に入った高専の寮は、もちろん住んでる人たちも凄かったのだけど、それ以前に寮自体も凄かった。二年程でもうすっかり馴染んでしまったけど、人間の適応能力というものについて考えさせられるところだったと思う。テレビの持ち込みが出来ないのは仕方のないことだとしても、午前零時を過ぎると電気が使えなくなるなんてところが日本にあるとは思いつきもしなかった。ご飯に関しては僕はあまり不満はなかったのだけれど、材料のわからない料理はさすがに勘弁して欲しかった。
就職して会社の独身寮に入った時には、ただ一点を除いて不満という不満はなかった。電気が落ちることもないし、寮のご飯は美味しいし、洗濯機は争奪戦に勝たなきゃ使えないのは、まぁ一緒だけどそれはしょうがない。一点の不満というのは、その部屋が相部屋だということだった。何が悲しくて成人もとっくに迎えた大の大人が男二人同じ部屋で暮らさなければいけないのだろう。
その次に入った寮はさらに快適だった。当然電気が落ちることはないし、ご飯はそこそこで、なんと洗濯機の争奪戦もなかった。それに何といっても一人部屋である。さらに元々二人部屋であったらしく、一人で暮らすにはもったいないほど広かった。この寮には一年ほどいて、それから三回ほど引越しをして現在に至るわけだ。
今の寮にも変な人、いや特徴的な人がいる。もちろん一人ではなくて何人かいるのだけれど、あえて一人だけを引き合いに出そう。この人を一言で表すなら多分、潔癖症ということになるんだろう。医学的な意味で言ってるわけではないから、もしかするとその範疇から外れているのかもしれないけど、兎に角僕の感覚で判断するならそうなる。
この人はよく風呂で見かけるのだけど、風呂に入る為にコンタクトを外している僕でも一発で見分けがつく。脱衣場で普通ならみんな素足なんだけど、この人だけはスリッパを履いているのだ。そして、そして服を脱いでそれでもスリッパは履いたままで、引き戸の上の方を掴んで開けて浴室に行く。これは僕の予想だけれど、引き戸の上を掴むのは多分他人が触ったところは触りたくないんだろう。
この人、浴室に行っても当然大人しくはしていない。アライグマだってそんなには丁寧じゃないだろうって位にスリッパを一生懸命洗ったり、洗面器を一生懸命洗ったりしている。他に潔癖症の人をみたことはないから、この人以外は伝聞での判断なんだけど、潔癖症の人は自分さえよければいいみたいなところがあるような気がする。こういう人は、決定的に寮に向いていない。
当然寮にいる人が皆一癖持ってるわけじゃない。実社会と同じで、ほとんどの人は一般常識からずれていない。つまり普通の人だって事だ。顔も見たことがないからわからないけど僕の隣の部屋の人だって多分そうだ。そうそう、一つだけ言い忘れていたことがある。今いる寮で一番気に食わないのは、壁が薄いって事だ。並大抵の薄さじゃない。テレビの音だって聞こえるし、テレビで笑っている声も聞こえる。下手すると、電話で話してる内容まで聞こえるかもしれない。それくらい薄い。で、隣の人なんだけど、この人にはよく電話がかかってくる。でもマナーモードにしているんだろう。着信音が聞こえてくるわけではなくて、「ブーッ、ブーッ」と振動しているような音がしている。そして、隣の人は電話に出ない。眠っているんだかなんだか知らないけど、定期的に振動音がするにもかかわらず、一向に電話に出て話す気配がない。それが毎日、今でも続いている。
僕は、最近になってこの真相に気付いた。真相というと大げさかもしれないけど、隣の部屋で何が起こってるのか見当がついた。僕がずっと携帯電話のバイブの振動だと思っていたのは、実は隣の人のいびきだったのだ。実は、いびきはいびきで五月蝿いと思っていた。僕のベッドの位置の関係だとおもうんだけど、僕がベッドに入るとちゃんといびきに聞こえる。けど、テレビを見てるときとか、パソコンに向かっているとかそういうときには、疑いようのないほど振動音に聞こえる。今でもたまに勘違いするくらいだ。
相手に悪気があるわけじゃないんだろう。それに寮にいるんだから、これくらいは我慢しないといけないのかもしれない。けど、これだけは言っときたい。寝るときは、携帯電話の電源を切ってくれ。
原作のシナリオから自分が気になった所だけを抜粋したので、他の人が作ればまた別の物になると思います。2話以降で後付けで説明されたり、回想の形で挿入されたり、時間軸をずらして取り入れたり、というのも当然あると思います。京アニが、この長大な作品の、何を描いて何を描かないのかという取捨選択の趣向を見守っていきたいと思います。
また、あとから追記するかもしれません。→少し追記しました。
やたらと自然が多い町。
山を迂回しての登校。
すべての山を切り開けば、どれだけ楽に登校できるだろうか。
直線距離を取れば、20分ぐらいは短縮できそうだった。
代わりに「売地」が写される。
【女の子】「それでも、この場所が好きでいられますか」
………。
【女の子】「わたしは…」
【朋也】「次の楽しいこととか、うれしいことを見つければいいだけだろ」
【朋也】「あんたの楽しいことや、うれしいことはひとつだけなのか? 違うだろ」
【女の子】「………」
そう。
何も知らなかった無垢な頃。
誰にでもある。
【朋也】「ほら、いこうぜ」
最後の地の文が抜けている。
何も知らなかったから言えた台詞、無垢だったから言えた台詞。
自分はこの町が嫌いだというのに、この場所を好きでいたいと考える女の子。
自分は変化を求めているというのに、変化を恐れている女の子。
ちょっとした反感から口を滑らせた、聞き覚えのいい正論。
ネタバレ(文字白色):いずれ「変わって欲しくないもの」を手に入れて、そして失ってしまったときに、この言葉は自分自身に跳ね返ってくることになる。
ちなみに、アニメでは地の文の「………。」の箇所で、朋也が視線を落とし、次のシーンで朋也の顔が隠れることで反発を表現している。
母を亡くしたショックでだろうか…残された父は堕落していった。
アルコールを絶やすことなく飲み続け、賭け事で暇を潰す生活。
少年時代の俺の暮らしは、そんな父との言い争いにより埋め尽くされた。
けど、ある事件をきっかけにその関係も変わってしまった。
俺に暴力を振るい、怪我を負わせたのだ。
その日以来、父親は感情を表に出さないようになった。
そして、俺の名を昔のように呼び捨てではなく、『朋也くん』とくん付けで呼び、言動に他人行儀を感じさせるようになった。
それはまさしく、他人同士になっていく過程だった。
まるで殻に閉じこもっていくように。
今と過去との接点を断ち切るように。
突き放すならまだ、よかったのに。
傷つけてくれるなら、まだ救われたのに。
怪我についての描写はアニメではまだ無かった。
うちの学校は特に部活動に力を入れているため、地方から入学してくる生徒も多い。
そんな生徒たちは親元を離れて、ここで三年間を過ごすことになるのだ。
関わり合いになることもなかったが、こんな場所にあいつ…春原は住んでいるのだ。
春原は元サッカー部で、この学校にも、スポーツ推薦で入学してきた人間だ。
しかし一年生の時に他校の生徒と大喧嘩をやらかし停学処分を受け、レギュラーから外された。
そして新人戦が終わる頃には、あいつの居場所は部にはなかった。
退部するしかなかったのだ。
【春原】「はい、ここ、僕たちの席ねーっ」
【春原】「とりあえず学食いったら、誰かいるだろうからさ、ジュースでもおごらせようぜ」
【朋也】「そんなのばっかだな、おまえは…」
【春原】「よし、じゃ、いこう」
やることもなかったから、ついていくことにする。
【春原】「ねぇねぇ、ジュースおごってよ」
春原が後輩を捕まえて、そうせびっていた。
【春原】「百円じゃなくて、二百円」
【春原】「ふたりぶんだから。あっちの人も」
【春原】「うん、君、いい奴だねぇ。なんかあったら、僕たちに言っておいでよね」
【春原】「僕たち、学校の外ではぶいぶい言わせてるからさっ」
他の男子も、何事かと窓際に集まり始めていた。
…鬱陶しいこと、この上ない。
あの中にいたら、むかついて誰か(主に春原)を殴っていただろう…。
暇つぶしには最適。
一日の授業を終え、放課後に。
春原の奴は最後までこなかった。
結局、今日俺が話をしたのは、朝に出会った女生徒だけだった。
【朋也】「好きにしてくれ」
見捨てて、ひとり坂を登り始める。
ただ…
そんな不良に見えなかったから、話しかけてしまっただけだ。
それだけだ。
【女の子】「あっ、待ってください」
どうしたものだろうか…。
遠慮なく、話を聞きすぎたような気がする。
気にならないといったら、嘘になるが…
気にしないよう、務めよう。
これからは、あいつ一人で頑張るしかないことだった。
三年で、ここに来ているのは俺たちふたりだけだった。(智代登場のシーンふたりは春原・朋也)
【朋也】「友達、作ればいいじゃないか、また新しく」
【女の子】「時期が時期ですから、みんなそういう雰囲気じゃないです」
【朋也】「三年生だったか…」
三年といったら、もうクラブも引退寸前なのに…
それをこれから頑張ろうなんて…他人の目にはどう映ってしまうんだろうか…。
新入部員だと言っても、三年生だと知れば、部員たちの反応は当惑に変わるだろう。
ひとりでも知り合いがいれば良かったのだろうけど…。
アニメでは代わりに、同級生が朋也と春原の事を噂している描写と、委員長が不良生徒に話しかける珍しい事態に周りの生徒が注目している描写が入る。
【女生徒】「見て、あの子」
【女生徒】「ほら、あそこ」
窓際にいた女生徒が窓の外を指さして、隣の連れに話しかけていた。
【女生徒】「ひとりで、パン食べてる。なんか、一生懸命で可愛い」
【女生徒】「どこのクラスの子だろ。あんまり見ない子だね」
【女の子】「頭の手は…なんですか?」
【朋也】「いや、別に」
【女の子】「そうですか…」
【朋也】「ああ」
しばらく彼女は呆然と、俺はその後ろで彼女の頭に手を置いて、ふたり立ち尽くしていた。
端から見れば、おかしなふたりだっただろう。
【朋也】「俺はD組の岡崎朋也」
【朋也】「あんたは?」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
遅すぎる自己紹介。
ふたりだけは、出会いの日の中にあった。
【古河】「………」
【古河】「それで…」
【朋也】「よろしく」
【古河】「………」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【古河】「………」
【朋也】「よろしく」
【古河】「はい、よろしくお願いします」
【朋也】「よろしく」
【朋也】「ひとりで帰れるか?」
【古河】「はい、もちろんです」
【朋也】「ハンバーグでも食って、元気つけろよ」
【古河】「え?」
この箇所は原作でも印象的なシーンであり、電撃G'sマガジンで連載中のCLANNADの第一話も、ここをクライマックスにしていたため、この描写が抜かれたことに違和感を感じる人は多いようだ。
ただ尺の問題上「お連れしましょうか」のシーンを第一話のクライマックスにする事に決めたとしたら、
といった理由で、かなり難しいのではないか、と思う。
こんなところに来て、俺はどうしようというのだろう…
どうしたくて、ここまで歩いてきたのだろう…
懐かしい感じがした。
ずっと昔、知った優しさ。
そんなもの…俺は知らないはずなのに。
それでも、懐かしいと感じていた。
今さっきまで、すぐそばでそれを見ていた。
それをもどかしいばかりに、感じていたんだ。
………。
「もし、よろしければ…」
代わりに、電灯のついた部屋を見上げる。
一面、白い世界…
………
雪…
そう、雪だ。
今なお、それは降り続け、僕の体を白く覆っていく。
ああ…
僕はこんなところで何をしているのだろう…。
いつからこんなところに、ひとりぼっちで居るのだろう…。
………。
雪に埋もれた…僕の手。
それが、何かを掴んでいた。
引き上げる。
真っ白な手。
女の子の手だった。
ああ、そうだった…。
僕はひとりきりじゃなかった。
彼女の顔を覆う雪を払う。
穏やかに眠る横顔が、現れた。
そう…
この子とふたりで…ずっと居たのだ。
この世界で。
この、誰もいない、もの悲しい世界で。
完全なネタバレ(麻枝准の他作品のネタバレも含む)なのでここから文字を白色に(匿名ダイアリーは続きを読む記法が使えないようだ。キーワードリンクも消せない。)
ゲームでは、開始時点は幻 想 世 界編であり、そこから始まる本編は長い回想のようなものだと解釈できる。
(もっとも幻 想 世 界では時間が意 味がなさないので『回想』という表現は相応しくないかもしれない。)
麻枝准が自ら企画した作品は最初のシーンに後から繋がる、戻ってくる、という話が多い。
- ONEという物 語の構 造は主人 公が、幼い頃の悲しい出来 事が原 因で思い描いた「えいえんのせかい」から始まり、そこで各ヒ ロ インとの学園でのエピソードを回想することによって、元の世 界に戻る動機 付けを見い出して回 帰する話である。学園エピソードの前半ではそれが回想だと気付かない作りになっている。(より正確に書くと,メ タな位置にいるはずのプレイ ヤにとってはリアルタイムの出来事が、作品中の主人 公にとっては回想になっている、という捻れた構造になっている。)
- AIRのゲーム版では、OPムー ビーの最後から繋がるシーンで、ラス トシーンの少 年が呟く「さようなら」という言 葉を国崎行人が夢うつ つに聴いている。(この時点では何のことが分からない。)これはアニメ版では抜け落ちてしまったが、代わりにアニ メではEDの少 年に「昔の事を思い出していた」という台詞を言わせている。A I Rのプロローグ「我が子よ、良くお聞きなさい。これから話すことは大切な事、これから・・・」のシーンも、クライマ ックスで再び使われている(これはアニメ版でも一緒)。このシーンはプロローグで使われたときは国崎行人と,その母 親を想起させる( 注:「力」を持つ者に課せられた、はるか遠い約束,というフレー ズに基づく)が、クライマッ クスで使われたときは「最初の翼 人」が自らの子 供に語りかけた台詞になっている。
- 智代アフターが回想なのは自明なので省略。
アニメ版ではプロローグを省いているため同じような仕掛けはやらないつもりなのかもしれない。
(仮に、アニメでも本編が回想である、という前提に立てば、アバンの『二人が出会った瞬間「光が揺らめ」いて彩度の上がる演出』は
朋也の思い入れ(「今思えばあの頃から俺は・・」的な)の反映とも解釈できる。)
しかし回想は積極的に使われていて、視聴者は、作中人物である朋也の主観的な時間軸を行ったり戻ったりする。
(書きかけ)
メモ: CLANNADがMAD的である理由 静止画MADムービー(静止画とテクストの断片と、音楽のシンクロ)、葉鍵系MAD全盛期(訴訟警告前)、動ポモのMADムービーに関する記述(トレンド:パロディ→原作の感動の再現) 音楽とキャラクターが、世界の連続性を担保しているー断片の羅列が世界を表現する 麻枝准の執筆方(音楽のイメージが無いとシナリオが書けずCDを延々と探している)、「ゲームの音楽は1/3」という麻枝の発言 「キャラ」が連続性を担保している(テヅカイズデッド) ADV形式ゲームの記号性(動ポモ) CLANNADのシナリオに対する二つのアプローチ:エクセルによる時間管理(監督:石原達也) 全エピソードのカード化と、パズルのような組み合わせ(脚本家:志茂文彦) ハルヒの成功がもたらしたもの: キャラクターのメタ物語性の確認:SFもミステリーもギャグもロマンスも同じキャラクターで可能である。(昔から。フルメタだってギャグとリアルだし、FFのようなRPGだって、(何故日本の作品にはシリアスな作品にもギャグがあるのか(ask john)),麻枝准は何故シリアスエピソードで笑いを入れるのか(ONEのバニ山バニ夫、Kanon舞エピソードのウサ耳、CLANNADアフターの風子参上、リトバス最終エピソードの丁寧に伏線まではってある筋肉大増殖) 時間軸を各自の脳内で再構築できる視聴者層が、商業的に成立する規模(DVDの売り上げがトップクラスになる程度には)はいた事の発見 「仕掛け」れば見つけてくれる視聴者と、その情報が直ぐに広まるネットワーク。 キャラ紹介の波線の演出は智代アフターだよね、白地の背景で「朋也の後を渚が・・」ってとこも智代アフターのOPかも? EDのウサギはONEのバニ山バニ夫。EDのだんご大家族の映像がNHKっぽいのは、当然だんご三兄弟のパロディだから シーンのトランジションがワイプなのはゲームのADVのパロディ? 猫。幽霊。 智代登場シーン。不良サングラスにギャラリーが映り、顔から汗がたらたら流れる→闘いたいわけじゃないけど、ギャラリーがいるから後に引けなくなってるのかな。不良が持ってる武器がフライパンってことは、ゆきねえの取り巻きかな、みたいな解釈話も含めて