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2011-01-26

青い鳥はいなかった』とサリドマイド児の親コピペについてもう一度

親が障害を持つ子供権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。


  サリドマイド児の親のドキュメンタリーだったのだが。

  生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。

  「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。

  さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。

  が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。

  「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地旅行に行きたかったのに」

  「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか

  どれだけ、危険屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。

  で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。

  一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」

  「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」

  「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。

  養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」

  「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」

  結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」

  「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。


上手い「コピペであると思う。

サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたか現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである

既に

http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html

といった記事で述べられているように、このコピペ真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ飯田 進)』というものがある。

上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。

にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。

ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文から引用を交えてネット上に残しておきたい。

なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。

http://www.amazon.co.jp/%E9%9D%92%E3%81%84%E9%B3%A5%E3%81%AF%E3%81%84%E3%81%AA%E3%81%8B%E3%81%A3%E3%81%9F%E2%80%95%E8%96%AC%E5%AE%B3%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E4%B8%80%E4%BA%BA%E3%81%AE%E8%A6%AA%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%8E%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%82%B0-%E9%A3%AF%E7%94%B0-%E9%80%B2/dp/toc/4835032993

この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。

目次

わが内なる罪

父母の会創設

国際的な連帯を求めて

噴出する矛盾と内部対立

理念現実のはざまで

集団訴訟をめぐって

親の止まり木を目指して

裁判有利の展開のかげに

疑惑の根源

裁判の終結

和解の落とし穴

父母の会の解散

息子伸一の死

実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。

青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないか想像するが、どうだろうか。

「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。

しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。


  まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)

  たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)


「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。


  知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)

  彼は結婚前もその後も、しばしばタイインドネパールチベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行はいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)

  いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)


さらに終章では

  伸一は母子感染C型肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎ウイルスが混入していたのである。(312頁)

  もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)

  事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)


青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。

飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペ元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。

障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別ネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペ「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別である

最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。


  「サリドマイド裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えいであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]

  「つまりサリドマイド裁判薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)





※に関する追記

サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学卒業する時期もある程度類推が可能であるコピペ記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。

30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペ記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるか就職に有利であった時代に「普通学級で大学いかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。

コピペに「危険屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある

2010-08-15

CASSHERN~なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 なぜキャシャーンは人を激怒させるのか?

 単に、紀里谷和明監督への嫉妬か、妬み・嫉み・恨みなのか。

 しかし、例えば僕などは日記をみてもらえれば判るようにキリキリ監督尋常ではないレベルの妬み・嫉み・恨みを抱いているが、それとこれとは別で、「CASSHERN」という映画じたいは素晴らしく面白い!と手放しで絶賛してるし、一発目でいきなりこんな凄い映画を作れてしまう紀里谷監督リアルに天才なのでこれからも凄い映画を作り続けてほしいです!と応援してしまうのである。

 つまり嫉妬の要素というのは、この際、さほど重要ではない。

  CASSHERNは、人間感情の、何かこうクリティカルな部分を直撃する映画なのだ。それゆえに、そのクリティカル・ヒットを受容できる人はハマるし、受容できない人は切れるのだろう。(受容はできるけど、もうこの手の話は飽きた、という人もいるだろう。しかしそのような人は、呆れ果てることはあっても、切れたりはしない)

 CASSHERNクリティカルさというのは、そう、ブライセリフに集約されている。

「つまり、憎しみとは、人間也!」

 さらに、キャシャーンキャシャーンで、「人間が生きていることじたいが、人を傷つけることになる」という意味モノローグを語っている。

人間の性は、悪だ(人間性悪説

人間は、生きていることそれじたいが罪悪だ(原罪論)

 これはキリスト教的な「罪」の論理であり、無神論が主流の日本では受け入れられる余地の少ないテーマといえる。性善説ベースとなっている日本でいきなり「お前の存在じたいが罪だ」といわれれば、切れる人が多いのも当然だろう。しかもこれ、漫画映画である。「敦煌」とか「砂の器」じゃないのである。アニメだよ、キャシャーンだよ。なんで漫画映画で、そんな説教されんといかんねん!という人もたくさんいるはずだ。

 しかも、紀里谷は、これらの作品のテーマを、役者にセリフとして語らせてしまうのである。これがまた、この類のテーマを受容したくない人にとっては、許しがたい行為なのである。セリフで語りさえしなければ、スルーできたはずだからだ。人間は、自分の見たいものしか認識しない。従って、通常、映画を観ていても自我を脅かすようなテーマが提出されても、その部分を認識せずにフィルターをかけて消してしまうことができる。しかし、「言葉」で投げつけられてしまうと、そうはいかない。紀里谷は確信犯的にこの映画を観た全ての人間

「憎しみとは、人間也!」

 というテーマを強制的に植えつけることによって、この映画テーマを曲解される可能性をふさいでいるわけだ。

 このテーマを容認できない人にとっては、監督独善、ということになるのだろう。

 

 さて、この映画は、キリスト教的な救世主の受難を描いている。

 伊勢谷友介が演じる東鉄也は、一度死ぬが、LCLのようでもあり命のワインのようでもある赤いプールに肉体を沈められることにより、再び復活する。この赤いプールの中で行われる復活劇は、あたかもパプテスマのヨハネによる洗礼儀式のようでもある。この復活により、鉄也は自らを救世主キャシャーンと名乗ることになる。もちろん、上月博士三橋達也演じる老医師、鉄也の母みどりの幻影などが、復活した鉄也に「君の復活には、何か意味があるはずだ」「この街を守れるのか」「人々の争いを止めるのです」と、鉄也を救世主の道へと導こうとアシストするわけである。

 しかし、鉄也は救世主キャシャーンとなっても、奇跡を起こすことはできず、人々はみな挫折して死ぬ。そして鉄也自身も傷つき、血まみれとなっていく。鋼鉄の扉の隙間からバラシンに刀で心臓あたりを抉られるシーンは、あたかも十字架にかけられたイエスのごとくだ。

 しかもキャシャーン抽象的に人類の業を贖罪するという存在ではない。鉄也自身が生前、殺人という罪悪を犯しているのだ。「反戦映画」ともうけとられがちなこ映画は、実は、戦争だけに反対している映画ではない。「人間存在そのものが罪だ」というテーマをもっとも端的に表現できる場こそが戦争という極限状態なので、戦場における戦闘の結果としての殺人という光景が何度も繰り返されるのだ。

 最後に鉄也は戦場で犯した自らの罪業を認識して、懺悔する。

 が、この映画の恐ろしいというか念入りなところは、懺悔したはずの鉄也がさらにダメ押しともいうべき父殺しという罪を背負うことである。母親を寝取り、父を殺すというのは、いうまでもなくエディプス・コンプレックスなのだが、鉄也は最終的に父殺しを達成することによって、人類の原罪をことごとく背負って自殺することになる。

 では、鉄也の懺悔無駄だったのか? そう、無駄だったのだ。この映画テーマは「憎しみとは、人間也!」なのだから。従って、鉄也は、キリストの如く原罪を背負って血に塗れ、死んでいくしかないのだ。キリストと違う点は、人類の原罪を肩代わりしたのではなく、自ら原罪を犯して死んでいくという点だけだろう。もちろん鉄也は単なる殺人犯というわけではなく、「戦争」や「愛する人を殺した殺人犯への復讐」といったどうしようもない事情がある。決して、悪意で殺人を犯したわけではない。人間存在そのものが悪なのだから、生きる限り、どうにもならない、どうしようもないのだ…したがって、救世主になるべくして復活させられた鉄也の地獄巡りは、ドアーズ「The End」の如く、母を寝取り、父を殺して完結する。「地獄の黙示録」を参照するまでもなく、フロイトの絶対的な影響下にある現代のキリストは、エディプス・コンプレックスの持ち主でなければならない。フロイトによれば、エディプス・コンプレックスこそが、人類の原罪意識の大本にあるのだから。

 さらに、鉄也の父親・東博士が下層階級の出身であったことも最後に明らかになる。東博士は下層階級出身でありながら、政府側について少数民族を抑圧する側にまわり、最終的には鉄也の最大の敵となる。このあたりも、なにやらイエスキリスト物語を髣髴とさせる。

 だから、キリスト教圏では、この映画日本からやってきた現代の救世主譚として評価されるかもしれない。

 過去に、日本アニメ映画では似たようなテーマが何度も描かれている。いうまでもなく「イデオン」と「エヴァ」がそれだが、エヴァでは、主人公のシンジ救世主となるべく人類の原罪を背負う……という流れの物語だったはずが、最後にシンジ人類の原罪を背負わずに話が途切れてしまった。「エヴァ」は、「人間の性は、悪だ」という自らのテーマに向き合うことができなかったのである。キャシャーンは、エヴァと非常に似た構造映画であるが、主人公の手を父親の血に染めさせることによって、エヴァが途中で放棄したテーマを完結させた作品であるといえる。

 もう一つ、近作で似たような映画がある。それは「マトリックス」だ。この作品は3部作だが、それぞれ救世主ネオ誕生・生・そして死を描いている。ネオもまたキリストの如く、一度死んで復活する。だが、最後には人類の原罪を背負って死ぬ道を選ぶのだ。終盤、ネオは目を焼かれて失明し、エディプス王の如く盲目となる。機械触手に支えられて死んでゆくシーンは、やはり十字架にかけられたイエスを髣髴とさせる。

 ただ、マトリックスは「何も語らない」「観客に考えさせる」というスタイルを貫いたのに対して、キャシャーンは「全てをセリフで語りつくす」「観客に議論の余地を与えない」というまったく逆のスタイルで作られている。このスタイルこそが、一種の押し付けがましさ・説教臭さ・青臭さ・傲慢さと受け取られ、反発される一因になっているのだろうと思う。だが、この説教臭さ、愚直なまでの必死さこそが、かつての邦画ひとつの魅力だったのではないだろうか。邦画黄金時代には、説教映画が多数製作されていた。「新幹線大爆破」の宇津井健のウェットな説教や、「ノストラダムスの大予言」や「人間革命」で丹波哲郎が繰り出す強引極まりないオレ流説教。かつて、日本人はこれらの説教映画で感動して泣いていたはずである。みんな、かつては馬鹿だったのだ。

 80年代以後、邦画から泥臭さが消えていくとともに、邦画の魅力は失われていった。特に、角川春樹逮捕ホイチョイ・プロダクション的なテレビ局誘導の企画映画のブーム化以後は、有能な監督には集客力が無く、大作はどれも質を伴わない、という状況が長らく続いていた。例えば、世界レベルで評価されている黒澤清三池崇史が、「デビルマン」を監督させてもらえないのである。宇多田ヒカルの夫であるということ以外、ほとんど映画界では実績が無く、世間にもあまり知られていなかったPV監督が従来の邦画システムとはまったく無関係なところで突然作り出した「CASSHERN」は、そういう硬直した邦画とりまく閉塞構造をいきなり破壊した作品といえるのだ。

 無論、システムの面だけではなく、愚直なまでに真剣かつ本気というそ姿勢もまた、古くて新しいスタイルではないかと思われる。むしろこちら(熱さ)のほうが重要で、80年代から長らく続いていたシラケ世代は2001年あたりを境に終息しつつあり、70年代を最後に滅んでいたはずの愚直な熱さが求められる時代が復活しているのだ。アントニオ猪木が「馬鹿になれ」というフレーズカリスマ化したのも単にジャイアント馬場がいなくなったからというだけではない(主にプロレスと関係ない人たちに猪木が評価されているのだから。むしろ保守的プロレスファンは旧来のプロレスシステム破壊する存在である猪木を嫌っている。このあたり、CASSHERNの評価とも重なってみえる)。「馬鹿になれ」という熱くて愚かで泥臭い姿勢こそが、閉塞しつつあった日本の気分にマッチしていたのではないか。

 従来なら「大人げのない幼稚な愚直さ」と嘲笑のネタにされるような熱いキャラクターカリスマ化していく作品としては、「最強伝説黒沢」というコミックもある。この漫画の主人公の黒沢は、中学生と本気で決闘するようなどうしようもない中年なのだが、その必死さ、熱さが、周囲の人間(主に、シラケきった若者世代)の心をわしづかみにしていく、というストーリーのようだ。

 すでに我々には、冷笑や嘲笑で生きていけるほどの余裕が無いのだろう。すべてから距離を置き、自我を脅かすものすべてを嘲笑して生きていくライフスタイルは、「勝ち組」「負け組」が明確化されてしまった現代日本ではもう限界なのだ。そうなれば、道は二つ。「感動など、無い」「自分には何の値打ちもない」という悲惨な現状に気づいて、馬鹿になり、泥にまみれて足掻く道。もう一つは、「自分がこうなったのは、すべて、外部に責任がある」と犯人探しの旅に出る道だ。

 僕がCASSHERNを支持するのは、紀里谷監督製作姿勢そのものが、前者の道を示しているからだ。紀里谷の才能を持ってすれば、もっとソツなく、映像美とアクションに徹した娯楽映画を作ることだって可能だったはずだ。だが、あえてこんな熱くて泥臭くて人に嫌がられる映画を作ってしまった。というより、作らざるを得なかったのだろう。その過剰ともいえる熱さが、CASSHERN賛否両論喧々諤々と騒がれる原動力となっていることは疑いない。こんな熱い邦画は、しばらく見なかった。いったい、いつ以来なのだろうか。

 そしてこの映画テーマもまた、後者の道…「犯人探しの旅に出る道」を遮断するべくして設定されている。そして紀里谷は、それでも「犯人探しの旅に出る道」への抜け道を探そうとする人間に、抜け道すら与えない。テーマをそのままセリフとして喋らせることによって。つまり紀里谷にとっては、作品の映画としての完成度よりも、テーマを訴えることのほうが重要だったわけで、紀里谷はここでも熱い。

 このCASSHERNがどうしようもなく発散させている愚直さ、熱さこそが、実は人々に求めらていたのではないか、と思われるのだ。この映画は、冷笑させることを観た人間に許さない出鱈目な熱さを持っている。いやまあ突っ込みどころはあまりにも満載なんですが…あちこち破綻しまくってるし。だが、それだけでは絶対に済まされない映画なのだ。だからこそ、嘲笑で片付けられる人間よりもマジ切れする人間のほうが圧倒的に多いわけなのだ。僕は紀里谷監督に、もっともっと熱い映画を作り倒してもらいたい。僕自身は、熱さは持っていても、作品を作る社会的能力が皆無なので……。

(04/5/1 本田

2010-08-09

アニメ漫画にある「女の子物語」の主人公は、大雑把にいって2種類である。

説明のため、ひとつタイプの名を、仮に社交型とする。


特徴

・皆から愛される人気者。社交的。

・食べる事が好き。空腹になると不愉快になる。

・集団の中で、無意識にいいポジションにいる。

・好き嫌いがはっきりしている。

・判断の基準が「好き・嫌い」 清濁合わせ飲むタイプ

感情の起伏は激しいが、後に残らない。

アイドル顔。

・原色やパステル系の色を好む。

など。


もうひとつタイプの名は、仮に神秘型とする。


特徴

・控え目。自分意見より、人の意見を優先する。ゆえに病気ストレスなど、生理的な影響を受けやすい。

・生活感がない。

自分の嫌いなものははっきりしているが、好きなものは曖昧。たとえば、「何を食べたい?」と聞かれても答えは返ってこないが、「これは食べたくない」は、すぐ答える。

・ ほっそりとしている。

ファッションセンスがよい。

・清潔か不潔か、自分なりの価値ラインをもち、不潔については、過剰に反応する。

・「あんなことをさせてしまった私が悪い」「こんなことを気にする私が悪い」と、言いがち。

・人の感情の波を和らげる力がある。

など。


こういった女の子が、主人公や、主要登場人物になりやすい。もっとも、中学生向けあたりから、そう単純にはいかなくなるのだが。

社交型と神秘型は、陰と陽である。


話はそれるが、例えば綾波レイ長門有希など、なぜか神秘型は、「男の子物語」に、登場することが多い。

神秘型の女の子に引かれやすい男の子タイプがある。仮に職人型とする。


特徴

・集中している感覚が好き。

・独断と偏見が強い。自分の中にある善悪概念で白黒つけるため、敵味方がはっきりしている。

・完全主義者。過剰なこだわり。

・こだわりが非常に強いが、自分に興味のないものは、まったく興味が持てない。オール・オア・ナッシング

・面倒見はよい。頼られると嫌いな人でもほっておけない。仕切り屋。

・執着心や持続力が強い。

睡眠は短くて深い。

・狭い場所を好む。


神秘型というのは、自分感情を廻りの人物、特に主人公に流されやすい。自分自分感情を、よくわかっていない、ともいえる。

彼女の事を、もっと知りたい」と職人型が思っても、女の子本人も、自分の事を、よくわかっていない。それゆえ職人型の男の子は、神秘型の女の子にハマる。


話を元に戻す。

アニメ桜蘭高校ホスト部」の話をする。原作漫画の方ではない。アニメの主人公は女子高生藤岡ハルヒ。他に6人の男の子が登場する。この作品、主人公のハルヒが、何を思い、何を考えているのは、ほとんど描かれない。彼女について考えたりするのは、廻りの6人である。主人公の女子高生藤岡ハルヒは神秘型である。彼女内面が描かれたと思われる「不思議の国のアリス」を連想させる回があった。あそこまでしないと、自分の願望がわからない、と捉えると、少し可哀想な気もする。

アニメでは、須王環と鳳鏡夜とハルヒ常陸院光と常陸院馨とハルヒ、の三角関係を描く事が多かった。それ以外の組み合わせだと、恋愛というよりコメディー色などが強くなっている。

須王環と鳳鏡夜は友人である。

常陸院光と常陸院馨は兄弟である。

埴之塚光邦と銛之塚崇は君主と臣下である。

最後の2人は、傍観的な立ち位置にいたので省くが、三角関係を描く時、「どちらを選んでいいか、わからない」「どちらを選んでも、おかしくない」という人選にしないと、うまくいかない。このアニメ場合、「友人」と「兄弟」の二つを使って、三角関係を描いた。

三人の関係ではあるが、須王環と鳳鏡夜、常陸院光と常陸院馨、対照的に描かれていた。太陽と月、昼と夜、どちらが正しいとか、間違っている、などではない。藤岡ハルヒと他二人は、恋愛一歩手前の関係ではある。が、友人対女の子兄弟女の子、といった関係でもある。おまけにハルヒは、自分感情を、よくわかっていない。だが、自分はわかっていないが、他人のそれは、わかるのである。

どのような最終回を迎えるのか、見ていて非常に興味があったが、ダイナミックな一回転で終わった。上から見ると、一回りしただけにも見えるが、横から見ると、一段昇ったのである。らせんうずまきのように。

もっとも、このアニメを、男装した女の子が、男子高校生に囲まれて、学校生活が楽しくなってよかったね、という話で捉えても、何の問題も無い。これはアニメだ、おとぎ話だ。

とはいえ、である。

私はフェミニズムジェンダーの人ではない。けれど、あまりに男にとって都合のよい女として描かれている。男装をしているため、女の友達がいない。ドラえもんの、しずかちゃん状態である。男装をしていると、特権階級の一員として扱われるが、普段、女の子の格好をしている時は、貧乏人である。こうして文章にしてみると、楽しいものではない。

父親はニューハーフであり、バイセクシャルである。典型的オカマ口調であり、女性連想させる。弁護士だった母親とは死別ている。が、回想シーンなどで登場する時の姿は、まるで父親のようである。その母親の後を追うように、娘のハルヒ弁護士を目指している。これが、父親と母親を逆転しただけなのか、別なものなのかは、今は触れない。

想像というより妄想ではあるが、ハルヒ性格を考えると、恋愛よりも、進学、卒業して働くこと、喰いっぱぐれない事を優先しそうな気がする。「お金持ちだから」という理由はあるものの、男の子達の意識に、そういうものがあるのだろうか。私には見えない。彼らに稼ぐ能力が無い、といっているわけではない。「お金はあって当たり前」と思っているように見える、といっているのだ。けれど、「結局女の子は、最後は王子様と結婚するものさ」とのん気に思っている男の子の側と、「それよりも、まずはひとりで食べていけるようにならなきゃ」と思っている女の子の側の、深くて暗い溝が、ぼんやりと見えるのは考えすぎだろうか。

この作品は、「女の子物語」ではあるが、「女の物語」ではない。女の子は、いつかここを卒業していく。いかねばならぬ。

神秘型を物語に登場させた場合、本人よりも廻りの人物が、彼や彼女について、多く語る。自分が語らない事で、キャラクターとしての内面が描かれる、という使われ方が多いように思う。さらに、神秘型の人物を語ることで、その人物は神秘型の彼/彼女を、どう思っているか、がわかる、という仕組みになっている。神秘型にモノローグは似合わない。させるとするなら、ポエムとして、だろうか。神秘型は、謎にしなければならない。

2010-03-11

今さら?「ハート・ロッカー」のダメなとこ。

ネタばれ注意!】

テロリストの描写が全然できてない

「なぜ」「どのような思いで」彼らがテロをしているかが、映画を見ていてもさっぱり分からない。行動原理が不可解。

爆弾が処理されるのを手をこまねいて眺め、処理されたら慌てて目の前で逃げるお茶目さん。

・丸見えな場所でこれ見よがしに遠隔起爆スイッチを操作して怪しまれるお馬鹿さん。

・手の込んだ場所に起爆装置を隠した割にはジェームズがえんえんと探しまわる間何もしないうっかりさん(じゃあ何のために隠したの?)。

・やたら神がかった命中率を誇る砂漠の狙撃手は、サンボーンが撃ち手になった瞬間から一発も弾を撃たない。弾がジャムって出ないトラブルの間も辛抱強く待ち、おまけにサンボーンの狙撃の命中率が結構高いことが分かってからも体丸出しで狙撃しようとする。

・せっかく山羊の群れまで率いて背後から挟撃を図ったテロリストは、棒立ちのエルドリッジが発砲許可らしきものを求めてる間ずっと何もせずに待ってあげる(彼が自分に気づいて銃を構えているのが見えなかったはずはないのに)あげくの果てに撃ち殺されるまで何もしない。

彼らはまるで、映画途中でエルドリッジが遊んでた戦争ゲームの敵兵みたい。悪いジョークだ。



映像づくりやカメラワークが下手

「衝撃的な絵」がつくりたいのか(爆破シーンとか)、「印象的な絵」がつくりたいのか(夕焼け電話シーンとか)、「前衛的な絵」がつくりたいのか(夜の探索シーンで真っ暗闇が5秒ほど続いたときは、締め切り間際の漫画家の手法かよと思った)、「リアルな絵」が欲しいのか(最初と最後だけ少しドキュメンタリふう、あとはふつう映画ふう)……統一がなく調和もないので、何をやりたいのか分からない。監督の頭の中で事実妄想趣味と実益がごっちゃになって整理がついていないのだと思う。

特にひどいのは、物語り終盤のジェームズサンボーンの会話シーン。

最初の隊長が死んじゃったくらいの爆発に見えるのに、なぜか鼻血だしただけのメイク普通にいつもの車で帰還するジェームズにも腰が抜けたけど、会話をえんえんと顔のアップ(交互)でやられたのには参った。安いTVドラマでも今時やらねーぞあそこまで。しかも会話の内容がだるい。三行でまとめれば

「お前考えすぎじゃね?」「お前が馬鹿すぎなんだよ!」「そーか、困ったな」

で終わる程度の底の浅い会話。


○登場人物の描写がダメ

人物がダメ、なのではなく(彼らはそれぞれ、それなりに愛すべきキャラクターだったと思うし、俳優も頑張って演じていた)、描写がダメ。これはかなりマズい点だと思う。

・エルドリッジ:繰り返し出てくるダメダメカウンセリングでも、エルドリッジがこれまでどんな人生を送ってきて今どう感じてるという歴史が全然見えない。「怖いー、死にたくねー」と言わせてるだけ。だから、最後にヘリに乗せられるシーンでも、彼が悪態つきながら少し成長した演技してるのに、それを生かせない。軍医が死んで錯乱するシーンも、嘘っぽく見える。

サンボーン:諜報部出身というキャラを生かそうと、落ち着いた考え深い演技を俳優がしてるのに、最後のダメ会話シーン(上記参照)で台無し。おまけに最初は主人公ぽく出てきたのに物語ラストでは一顧だにされてないかわいそうな人。彼はどうなったの?マジで

ジェームズ子ども好きだったり純粋だったりそれでいて戦争の犬っぽくなった彼の「過去」について、ガラクタでもって語りかけたところでサンボーンがけなす、でもってジェームズが軽くマジギレしかけて…ってとこで、俳優はあのひょうひょうとしたジェームズに、結構深みのある顔をさせてた。おお、ここでジェームズがようやく描かれるのかー…と期待したら、あっさり牡同士の疑似ホモシーンに興味を移す監督ダメすぐる。おまえは腐女子か。大体、登場人物の内面を、答のない対象をあいてとしたモノローグ(犬とか猫とか、木とか、そして赤ん坊とか)で描くとか、今どき自主制作レベル映画でも恥ずかしくてやらないと思う。


ストーリー破綻

回収されない数々の伏線意味が分かりにくいシーン

・最初に現場から逃げたテロリストと、壁につながれたコード。何?もう少し説明してよ。

・結局、こっそりDVD屋を脅して進入した家の教授は何だったの?

砂漠で我慢比べのシーン、エルドリッジが撃った奴以外に、結局敵はいたの?いなかったの?

・廃工場軍医が死んじゃう話、最初は「不発弾処理のための出動」って言ってたのに、いつの間にアジト捜索ミッションに変わってたの?そんなミッション軍医(しかも大佐?)を連れてくなよ。

・廃工場テロリストはなぜ死体爆弾を隠したの?たばこには火がついていたのに、死体はすでに死後硬直もとけて腐っている状態?にもかかわらず遠隔爆破したのは軍医の横においてあった袋とか、わけわかんねえ。

・ちなみに廃工場のシーンで、流れ的に全くスルーされてたけど、部屋の中にビデオカメラがあって、「まさかこれで見てるとか、そういうのか?」と思ったけど、全く意に介さないし、物語にもなんも関係なかった。あと、生活空間の壁の旗は「アジトっぽい」と言えばそうだけど、あんましリアルではなかったね。

・深夜の追跡は明らかに逸脱だし、最初はあのミッションも「爆発の原因を調べる」ためじゃなかったか。命令された仕事をせず、命令外の出来事に勝手に部下を巻き込んで怪我させて…ちょっと軍法会議ものじゃないかと思う事件がスルーされるのは納得いかない。一体彼は、部下の怪我の原因をどう報告したの?

・「残り2日」、から、舞台の別れのシーンもなく、いきなりアメリカで買い物してるシーンに飛ぶ……なら「あと○○日」ってえんえんと書いてきたのはなんだったんだよ!と個人的には思った。シリアル買うシーンは、ちょっとおもしろかったけど。


まあ、そんなわけで、現在進行形アメリカの人とは全然違う感想になるんだろうけど、一本の映画としてみたときにはちょっと完成度の低い映画だなあ、と思いました。まあ、ディレクターズカット版だとまた違うのかもね、とは思うけど。

2010-02-08

ハルヒ消失

長い。長いうえにアクションシーン皆無だから、眠くなりがち。ついでに言うと解決編ですらテンションがそんなに上がらない。

もともとの展開が遅いうえに眠たいモノローグびっしりだから、エンターテイメントとしては最悪の部類。ハリウッドお約束ラストチャンバラなんて存在しないよ?

そんなに大掛かりなCGを使っていないため、良くも悪くもテレビクオリティに収まってる。あれ、なら結局テレビシリーズにしておいた方がいいんじゃないか。

俺は平気だが、三時間の退屈な映画エコノミー席で縛り続けられるのは拷問以外の何物でもないかもだぞ。

2010-02-06

劇場版 涼宮ハルヒの消失 ネタバレ感想

劇場版 涼宮ハルヒの消失 ネタバレ感想


ネタバレといっても原作読んだ人間に対してネタバレになるようなことは殆どない。

演出は強化されているが、基本的には原作に忠実な映像化である。

原作を読んで映像化を今の今まで待ち望んでいた人たちはきっと満足出来るはず。

印象に残った演出は二点。



キョンの選択が可視化されているところと、屋上での約束のシーン。

キョン長門理想ではなく現実ハルヒSOS団を選びとったことが、栞と入部届と言う形で可視化されている。

思えば、どちらも長門から与えられた紙切れ一枚である。

キョンの自問自答の精神世界の中ではスポットライトが照らされてわかりやすく対比されているし、

入部届を消失長門に返すときに、ポケットから滑り落ちた栞を掴み直すシーンにも現れている。

力を込めて握ったのでシワが付いた栞と、綺麗に折りたたまれた入部届というのも対照的だった。

キョンがただの巻き込まれた一般人から、世界を自発的に守るメンバージョブチェンジした瞬間が視覚的に描写されている。



ラスト、屋上でキョン長門に何かあってもお前を取り戻すと約束するシーン。

原作でもそこだけ切り取れば愛の告白にも聞こえるシーンだったが、演出が強化されたせいで余計そう感じた。

長門の手をとり跪いて約束し、多分寒さなんて何でもない長門に対してコートをかけ自分病院パジャマ一枚になり、

挙句の果てには「ゆき…」と下の名前を言う(嘘)。

コレが恋愛映画なら間違いなく二人はくっついて終わるのだろうが、生憎これはSFっぽい何かだった。

キョンがえらんだのは長門本人ではなく、あくまで長門がいるSOS団である。

おそらくは長門もそれで満足したのだろうが、見ているこっちとしてはひたすらに悲しい。

最後の選択を委ねたキョンは、長門理想を選んでくれなかった。

見た目は告白だが、その実意味的には振られたも同然である。



あと、杉田は本当にお疲れ様。長門キョン物語なのに長門はさっぱり喋らないため、案の定2時間モノローグ込で喋りっぱなしである。

エンドレスエイトのガッカリ感を吹き飛ばしてくれる素晴らしい映画だったが、原作があんな調子では涼宮ハルヒシリーズ映像化はこれで最後かもしれないと言う予感もする。

京アニさん、ここは一つ一応キリよく終わっている学校を出よう!アニメ化(ry

2009-11-02

http://anond.hatelabo.jp/20091102101146

増田だが、女の書く文章の場合、もう少し被害者っぽさというか自己弁護っぽい部分が出てくる。自分に酔う女は多いけど「私って悪いオンナ」みたいな酔い方するのはレアなんだよね。

ゆえに、これは男が見た「自分に酔ってる女」の文章に見える。もっというとラノベの主人公のモノローグ臭い。

2009-11-01

ゲイ漫画ボーイズラブ本質的な違い

誰得だけど。

ゲイ向けの漫画小説腐女子向けのBL本って、どっちも男性同士の恋愛を描くって意味で同一視されがちだけど、本当は全然違うものなんだ。

以下ではA/Bの相違について考察する。

性嗜好 本人の性 恋人の性 男同士 男女 女同士
ゲイ 男性 男性 [A]ゲイ作品 - -
ノンケ男性 男性 女性 - 美少女漫画とか 百合
ノンケ女性 女性 男性 [B]ボーイズラブ 少女漫画とか ?(*1)
ビアン 女性 女性 - - ビアン作品(*2)

*1 女性百合作品を読むことはあるんだろうか?ないとしたら、対称な表になるね。

*2 レズビアン向けの漫画小説には全く詳しくないのだけど、本稿の趣旨が正しければ、百合とは別物のはず。

1.目線の違い

ゲイ作品は読者が体験したいシチュエーションを描くけど、BLの読者は体験したいわけではなく、見ていたいだけ。

このことが具体的にどういう違いになるかというと、例えばノンケが誘われてゲイに目覚める話があった場合、ゲイ作品では普通ゲイ側が主人公になる。BLではノンケ側が主人公になることもあり得る。

2.リアリティの違い

BLは「現実を思い出させないこと」に価値があるから、大富豪とか、御曹司とか、現実離れしたシチュエーションでの作品が成立する。

ゲイ作品は「現実あったらいいな」と思わせることに価値があるから、少なくとも主人公は普通人間になる。

3.肉体か精神

相対的に、ゲイ作品は肉体に、BL精神に重きを置くらしい。

むしろ、関係性に萌えるのがBLと言ったほうがいいのか。ゲイ漫画に好みのキャラが一人出てきただけで萌えられるけど、BLでは必ず二人以上のキャラクターがいなければならない。

4.二者のキャラづけ

ゲイ作品にはタチとウケ(凸/凹)の2種類しかないが、BLでは攻めと受けの他に、誘い受けとか鬼畜攻めとかの属性がつく。

で、ゲイ作品では基本的にタチが積極的な態度を取るのに対し、BLではどちらが積極的かは決まってないようだ。

積極的 消極的
攻め 俺様鬼畜 ノンケへたれ
受け 誘い受 小悪魔 健気受 姫受

属性の例。参考資料 http://www12.atwiki.jp/dh_bl2/pages/33.html

5.過剰な愛情表現

BL漫画愛情表現が濃い。「俺はお前が側にいなきゃ駄目なんだ!」と口に出して言ってみたりとか。

ゲイ漫画では、クサい台詞はリアリティがないから、モノローグとか表情・仕草で間接的に描写される。

6.友情と愛情

BLでは、プレーンな友情が恋愛感情に発展したりするが、ゲイ漫画ではそういうシチュエーションはない。

現実ゲイの視点では男性が「恋愛可能」と「恋愛不可能」に最初から分かれてしまうので、愛情が育つことはあっても、突然発生することはない。

7.男性の描写

当然だがゲイ作品にはゲイが好む男性が登場するのに対し、BLには腐女子にとって好ましい男性が登場する。

だからBLでは体毛はあまり描かれず、「綺麗な足」みたいなフレーズが登場したりする。

まとめ

同じテーマを描くように見えても、質的には、ゲイ作品は美少女漫画に近く、BL百合に近い。

2009-10-18

僕らの音楽PVが欲しい

僕らの音楽を見るたびに思うんだが、音楽シーンだけ纏めてPV集にしてくれないかなぁ。

レアコラボとかカバーも多いし、映像の見た目も好きだ。

はっきり言って、本来のPVよりよっぽど良いと思うものもある。

PV集と書いたが、出来ればDVDとかBDとかよりも1曲単位電子媒体で購入できるのが良い。

フルHDで1曲350円位なら、毎月10曲位は買ってしまう気がする。

これが1曲500円超えとかになると厳選しまくって月に1曲買うかどうかも怪しいが。

放送時点で、会話やモノローグを一切被せない仕様に変えてくれるのが一番安上がりで良いが、そこはしっかり儲けて貰って構わない。

どーですか、ソニーさん!

2009-05-10

http://anond.hatelabo.jp/20090510203808

そっかー一見同じレイプ(女が弱者)だけど

実は男を徹底的に女に都合のいい「モノ」として描いてるんだね。

そう言えば殴る蹴るもほとんどないし、肉便器系の暴言もない、

キモ男だと寸止めだったり、後にイケメンが全力で支える為のフラグだったりするしね…。

なんて都合のいいw

実況中継・おねだりとモノローグの対比はすごく新鮮

自分前者にめっちゃ冷めるけど男性後者萎えるのか…面白いなー

http://anond.hatelabo.jp/20090510203808

横だけど、モノローグ重要ってのにすげー目からウロコだ。そういえば初めて男性向けエロ漫画見たとき、え、なんでこの男主人公顔がないの?と思ったことを思い出した。(全部が全部そうじゃないんだろうけど)

http://anond.hatelabo.jp/20090510191159

それは女性嫌悪感を抱かせないように「作られている」から。

男性向けでは珍しくない、キモ男にヒロインが陵辱されるという

屈辱的なシチュエーション女性向けでは見かけないように感じるがどうか。


典型的女性向けエロ漫画レイプもののストーリー

イケメン金持ちというのがお約束

見目麗しい彼らはスネ毛すら生えていない。

しかも殆どの場合ヒロインベタ惚れしている。

レイプ相手に嫌悪感を抱く要素が殆ど無いことが重要……なのではないだろうか。


漫画の技巧的にはモノローグ存在が大きいように思う。

モノローグをすべて取り払って、セリフで実況中継+おねだり+大げさな擬音を入れたら

少女漫画のような絵柄でも男性向けに近くなる。


連中エロ漫画モノローグ萎えるらしい……と聞いた。

男じゃないからよくわからんがそういうものなんだろうか。個人の嗜好の範囲か……?

2009-05-05

http://anond.hatelabo.jp/20090505104332

本筋とは全く関係ないんだが、

オタクイコールアニメオタク。みたいに言うのはやめてくれないか。と洋ゲーオタクが言ってみる。

という俺自身も、昔はそういう認識を持っていて

「そうか、俺はオタクなんだからアニメを見なきゃならないんだな。」と

自分に合わないアニメを無理に見てたりしたんだ。



しかしアニメという娯楽自体が自分には合わなかったらしく、

小説漫画、それとゲームなら自分のペースで読み進められるが、

アニメだと、漫画なら2秒で読み終わるようなモノローグ

30秒くらいかけて 長々と読み上げられるような演出を押し付けられ、

見ていてイライラしてしまう。だからといって早送りして飛ばしたら話がわかなくなるし。

それでも頑張って見てたよ。俺はオタクだからアニメに詳しくなければならないんだ、という強迫観念に追われて。



別に、オタクだからってアニメの話についていけなくても良いんだ。ということに気づいたのはそれから数年後。

今ではゲーム一筋に生きている。今期のアニメがどうこうとかいう話をされてもさっぱりだ。

しかし、あのアニメに費やした無駄時間で、一体どれだけの名作ゲームを味わうことができたのだろうか、と考えると頭を抱えるしかない。

2009-03-10

いまの福本伸行/アカギにおきていることは鷲巣巌版通夜編ではないか

連載でだらだら読んでいるだけで、特に最近うろ覚え回込みなので的外れかもしれませんが。普通赤木vs鷲巣の麻雀勝負からシームレスに移行したのでいまひとつ転換が周知されていないですが、実はそういうことなのではないかと。天ラストの、赤木茂個人の人生総括と価値観の提示というエピソードを、そのまま鷲巣に変えて行われているのではないだろうか、という。

今の赤木で凄く不自然なのは、鷲巣の視点が異様に多いこと、またアカギがほとんどピンチにならないことです。前者はもちろん"アカギが勝つ物語"なら、アカギの思考=種明かしをそのままだしてしまうことは致命的なのである程度仕方ないですが、それにしても周りには驚き役もたくさんいるわけであるのに、あまりにも鷲巣視点のモノローグ等が多すぎる。そして後者は完全に今までの「アカギ」の物語作りから外れています。圧倒的不利をその才知で覆す、というのがアカギのであったはずであり、ここにきて大幅な枠の転換が起きているのです。

で、それはなぜかというと、今(ここ数年。六回戦開始ぐらいから?)の福本伸行先生が"書いている"こと、そして"書こうとしている"ことは、アカギ物語ではなく、鷲巣巌の人生の総括と価値観の提示、つまり鷲巣版「赤木通夜編」なのではないでしょうか。どちらも触媒として「死」が絡んでおり、同じ老境でありながら赤木と鷲巣では状況が真逆(死を選ぶ/強制される、死に向かう/拒否する、等)という中で、福本先生は再び傑出した個性が死にゆくとき何を想うのかを、書こうとしているのではないだろうかと――。特に鷲巣がそろそろ"死にそう"なこれからの展開は、なかなか興味深いです。

ちなみに細かいことをいくつかいうと、だからクソ長くなるんですよねー。思考に頁をとられてしまうのは福本先生自ら認めていることなのですが、必然的に、という感じで。あと「ここからは麻雀やらないで人生語りやるね!」と区切ってだした天の通夜編が不評だった?ことへの反省から、今度は麻雀勝負の流れの上で書こうとしたのかなあ、という邪推。それが成功するかはわかりませんが。

2008-12-12

http://anond.hatelabo.jp/20081212225235

読者は絵だけを見ているわけではありません。

コマ割り、セリフモノローグすべて合わせたものが『漫画』だと私は思う。

省略されたコマとコマの間にどれくらいの動きがあるのか、時間が流れているのか、

すべてが個人の読み方にかかっている。映画や絵画なら皆が見ている映像は同じだけど、

漫画はコマとコマの間に1人1人の神秘の物語があるんですよ!

漫画独立した優れたメディアだと思います。

2008-09-18

よしながふみヤマシタトモコは似ている

自分が作品について思いつく限りでは


・絵柄が主流BLのそれではない

 ……ここ15年位の流れを見ても、どちらともメインストリームではない絵柄

・フキダシ&モノローグに文字入れすぎ

 ……言っていることに深みはあるのだがくどくなりがち。画という媒体で表現したほうが感心する。

ハッピーBL純愛ロマンチカ系)があまり取り上げないようなテーマで作品を書く

 ……中身もハッピーエンドで終わらないケースもある。端的に言ってしまうと説教臭い。


くらいなのだが、読めば読むほどそんな印象を受けてしまう。



余談として、ヤマシタトモココミックスあとがきは何を意図しているのかわからないが、あまり良い印象は受けない。

2008-07-18

割りを喰った世代のモノローグ

オレは1972年産まれ。ロスジェネ世代をささえる中心的世代。

バブル崩壊から、受験戦争就職氷河期をなんとか乗り切って、泥のような生活をしているけど、

仕事は辛くとも楽しんでいる。というか、つらくとも仕事は楽しく取り組むというのがオレの信条。


仕事広告代理店で、クライアント制作会社上司と部下のW板挟みにされるのが仕事

主にイベント関係をやっているけど、この10年間あまりいいことはなかったなー。

おじさん達は何かあれば、万博の月の石があればなーっていうけど、

それだけ集客を集めるモノはもう21世紀以降はないんじゃないかなって思っている。


たまに思うことがあるのは、高校の同級生のこと。

オレのいっていた高校は地方の進学校だったけど、友人が進学せずにNTTに就職したんだよ。

まぁバブルがちょうどはじけた時とはいえ、進学しないってことを当たり前のように思っていたので非常に驚いたんだけど、

「頭があんまよくないし」って理由で働くことを希望したそう。

今から思えばその後の氷河期のことを思うと、いい選択だったよなと素直に関心する。


さて、最近は泥のような毎日を送ってきたせいで、泥から抜け出すことを忘れてしまったようだ。

残業も一月に100時間は優に超えているし、自分の時間も全くないんだけど、非モテながら結婚し、

ここまでなんとかやってきた。忙しいってことだけで、充実している日々を送った気になっているけど、

本当はもっとぐうたらしたかったんだよねーって振り返る。


そうそう、思い返せば、卒業文集の寄せ書きに「楽して生きたい」って書いてから、

辛い人生が始まった気がするな。

あの時に戻れるなら、せめて「苦しまずに生きたい」って書き直しとこ。

2007-12-20

増田

増田には意味があったのだろうか。

私は、増田とはすべからくモノローグであるべしと思っていた。すなわち、増田を読むとは、まさに増田である私の書いたものを読むという体験でなくてはならない。あるいは、増田に書くことは、増田である私に問いかける声を聞くことでなければならない。

しかし、この理念を実現させる事は、残念ながら出来なかったようだ。今や増田はありふれたカオスという以上の何者でもない。

このあたりが、神としての、私の限界なのかもしれない。

2007-11-27

Re: つか

なんというか「のだめ」がキャラクターとしてかなり個性的に立っているため、読者は女主人公である「のだめ」にはとても感情移入できない

これは作者がそのように意図してやってるみたいだね。

だから千秋にはモノローグがあるけど

のだめにはモノローグがまったくない

2007-08-21

ハチミツとクローバー』を読み終えた。

モノローグ森博嗣っぽいな、と思った。

2007-07-10

最近少年漫画

丁寧に描かれてるとは思うんだけど、心理描写(モノローグ含む)に傾注しすぎてたり、1シーン1シーン(スポーツなら1試合1試合)を丹念に描きすぎて

展開がじれったいというか何というか・・こういう部分って、編集力なのか?

2007-04-13

喫煙者だけに煙に巻こうかと

非常に判りにくい。

http://anond.hatelabo.jp/20070413194853


冗談はさておき。

発話者の数と方向性の問題ですよ。

  • di=ジ(英語読みでダイ)=対。双つ。
  • poli=ポリ=多数
  • mono=モノ=ひとつ

ってのは判りますよね? で、logueローグまたはログで話。


つまりさっきの結論としてはanondダイアログ=対話、また対話における気遣いを求めるのはお門違いってこと。それはなんでかって言うと読み書きする人が、実体の見えない大きな何か(増田とか愛煙家とか)の押しつける意見=モノローグに対抗して話してる気になってしまうから。つまり「マス対コア!マス対コア!」という感じになっちゃう。(実在しない)大きな存在に対する恐怖から、けんか腰。

実体はポリローグ=井戸端会議で、いろんな人がいろんなこと言ってるだけなのにね。増田コワイコワイヒー><


まだわかりにくい? 神経逆なで?

知ってるよ。だってお金ももらってないのにわかりやすく書くつもりなんか無いモン! 書きやすく書くモン!



追記

そうか。増田は祈りにもなりうるんだ。

http://anond.hatelabo.jp/20070413192910

「非嫌煙家の恐怖」については逆も言えそうだね。

全く周りを気にせずタバコを吸う人は、吸わない人の煙を吸わない権利をあっさり侵害している。

さらに、喘息なりなんなりで煙が即有害な人が居た場合、普通にその場にいる権利すら奪われる。

普通の人でも、程度は低いにしろ確実に肺が汚染されている。(それをたいした事無いと思えるかどうかはその人次第)


結局どちらも自分の権利の抑圧に恐怖してるだけ。それを譲り合えないから、非コミュと言われてしまったのではないかと。

(相手に配慮できない人は軽度の非コミュみたいなもんだし)


ダイアログポリローグ・モノローグ

については、"増田だから"ではなく、お互いの言い方が悪すぎたから発生していると思う。

相手を煽る単語が一つも無かったら、その後ろは続きようが無い。


で、読んで思ったんだが、相手にわかりにくい単語を使いすぎなのが、相手の神経を逆なでしている要因になっていると思う。

ダイアログ=対話=意識

ポリローグ=井戸端=実体

モノローグ=単声=誤解

双声

複声

単声

これらの項目名に使われている単語すべてがぐぐっても国語辞典を引いても、内容との関連を見出せる意味が出てこない。

不特定多数が参加する増田でさらに誤解を招いている要因にしかなっていないように思える。

(と言うか何の用語なんだ?)

ばっさり言わせて貰うと、かっこつけてしゃべろうとしすぎ。非常に判りにくい。

なぜanondタバコ論議は炎上するか

ふー。昼ごはん食べて一服して落ち着いた。

つまりそれは灰皿に水が入ってないからだよ!ΩΩ Ω<な、なんだってー


……ハイ。いいかげんしつこいですね。


サマリ

anond匿名システム

  1. ダイアログ=対話=意識
  2. ポリローグ=井戸端=実体
  3. モノローグ=単声=誤解

の流れの中で恐怖を産み、自主的テロリズム炎上を産む。

嫌煙家の恐怖

嫌煙家はなんであんなにヒステリックな応対になってしまうかというと(すくなくともおれは)、嫌煙家の中に差別主義、って言い方はちょっときついか。すくなくとも「自分が正しければ他人を避難してもかまわない主義」が見て取れるから。

喫煙旧大陸に入ってきた当初から非モラル側のアイテムだったわけで(「喫煙聖書によって禁じられてなくてよかった」とかいう冗談もあるくらい)、タバコを飲む人は、オルタナティブに寛容であることを好むように思う。

ところが嫌煙家は「間違ってるから」という理由で喫煙を許容しようとしない。ここでもうひとつつまらない冗談を言うと「ヤツらはタバコを禁止しようとしている。この次はきっと酒とセックスだぜ。最終的には隣人に笑いかけることも禁止されるに違いない」。つまり「それがタバコだけにすまない」ということを妄想してしまうがために非嫌煙家は恐怖してしまう。これがヒステリックな反論文を書いてしまう原因なんじゃないかな。

もちろん、ここで「そこまで恐怖することもないじゃん」と意見するのは当然だと思う。1対1なら説得するなり、目の前で喫うのを控えたりすればいいだけの話だからだ。実際、嫌煙家のだれかと喫煙者であるおれが、面と向かってここまで罵り合うことなんか想像もできない。つまり「私を気遣え」の百年戦争は非コミュがいる限り終わらないの「非コミュ」なんか、そうそういないんだと思う。そうではなく、「非コミュしているのは誰か」、という問題を考えたほうがいいんじゃないのかな。

ダイアログポリローグ・モノローグ

双声

これは明らかに「はてな匿名ダイアリー」だから発生しえた状況だ、と思う。

自分を例にすると

の流れでおれは会話した気になってた。つまり対話=ダイアログを想定していたわけだ(まぁずいぶんと好戦的に文体を変えてくるモンだな、とか思ったけどw)。ところがご存じの通り増田で初噛みつかれで明かされたのは「それ私とちゃいまっせ」ということだった。

複声

つまりanondにあるのは多声的=ポリフォニックな議論なのか。烏合の衆衆愚衆愚。井戸端井戸端。まあそれが正解なんじゃん。

と思いきや。どうやらおれの奥の方の意識はそう受け取ってなかったようだ。

単声

idキャップなどで個体の識別ができる(とされている)ほかの匿名の場と違い、anondにおいては一切その手段がない。もちろんidなり固有名を名乗っても良いが、それはかんたんに騙れてしまう以上、誰もその有効性を信じていない。もちろんだ。つまりそこを読む個人であるおれに見えるのは「はてな匿名日記」という一つの声だ。もしくは「嫌煙!」と叫ぶたった一つの声。それは(バカらしいことだが)かんたんに「世間の声」のモノローグと誤解されてしまう(あくまで潜在した意識のレベルね)。

だから非嫌煙家は恐怖した。

だって、誰も「自分の後ろを歩いてるあのおっさんも目の前から来るあの兄ちゃんもが『喫煙者は市ね』と思ってる」とか、いろんな意味想像したくないでしょ。そんな世間、全力で拒否したいでしょ。声を大にして反論したくなるでしょ。


そう。喫煙者フレームアップしたのは、ある人物に自分が罵られたからじゃない。世間が自分たちを排除しようとしている/ある集団を「不正義だから」というだけの理由で排除しようとする世間になりつつある、この2つに恐怖したからだ。まあそれはanondというシステムが生み出した、くだらない誤解なワケですが。

喫煙者嫌韓厨なみの嫌嫌煙家っぷり

http://anond.hatelabo.jp/20070413160741

いやホント。よく似てるよ。

じゃあ嫌煙家は?

タバコがお嫌いなみなさんは?

何に恐怖してるんだろう。

健康

逸脱?


これは煽りじゃなくて、本当に興味がある。

あなたは何を恐怖しますか?

蛇足

もっともタバコを愛しているのは恋する人と兵士だ。

「いずれ来るドデカい一発」を待望し続ける人たち。

詠み人知らず。

2007-01-27

スロースタート引きこもり更生NPOドラマ)前編観た。まとめた。

基礎データ

俺が感じたテーマとかいろいろ

  • ちゃんとシステムを作れば引きこもりを救う?対策も立てられると提案?
  • その経過の具体例をドラマ中で示してみてるのだろうな
  • テクニックやノウハウも大切
  • 父親の無関心で母親が抱え込んだりする
  • やりたいことの無い人間にとって自由は苦痛
  • 開放的な家庭、近所付き合い的なおせっかいの重要
  • 感情を表に出すのが大事で、「サビつき」を落とせば戻る
  • スタッフも情が移り、どうしても入れ込んでしまうもの
  • いろんな相手とのコミュニケーションを体験するのが大切
  • ノンバーバル(非言語コミュニケーションも大切
  • いろんなタイプ引きこもり、それぞれの個性に合わせた対応が必要
  • 状況に何かしらの動きがあることが大事で、状況自体が変わらずとも効果がある
  • なにかに依存している場合、それを断ち切ると動けるようになることがある

流れ(以下長文。別にそんなに読む価値ないかな。)

導入
  • 引きこもってる部屋の外からミチルがひたすら話しかける
  • 引きこもりがキレて部屋の中で暴れる
  • 親が「なんてことするんですか」
  • ミチル「たとえ怒りでも、感情を表したときがチャンスなんです」
  • 映画を観に行く約束をした引きこもりが4時間遅れて待ち合わせ場所に来て、笑うミチル
設定
新人に説明
  • 意味ない、無駄や、と主張する新人
  • ミチル唐突に「ラーメンだとトンコツ醤油どっちが好きですか?」
  • 新人「醤油や」→ミチル「醤油のすっごいおいしい店知ってるから今度行きましょう」
  • このように“外に連れ出すきっかけ”を作る
  • 外に出られるようになったら、NPO若者寮か、一人暮らしして日常的に外と接する環境にする
シンゴについて
シンゴへの接触の流れ
  • まず手書きの手紙を出し続ける。「自分宛の封書は少しは心を動かす」
  • そのあと電話する、拒絶される、を一ヶ月くらい繰り返す
  • そのあと、手紙で予告した上で会いに行く
  • 部屋の外から一人で喋り続ける。自己紹介
  • フテ寝してるシンゴ
講演会
  • NPOの所長が語る
  • 半年や一年かけて自分の意思で出てくれるよう働きかける
  • スタッフは専門知識なし
  • 親たち「それじゃ任せられない」
  • カウンセリングや診療ではなく、近所のおせっかいさんのつもり
    • 自分の子の問題を自分たちだけで解決しようとする必要はない
  • 親たち「自分の子の問題はよそさまに任せることじゃないでしょう」
  • 親が自分で殻に閉じこもってたら、子が閉じこもっても仕方ない
シンゴへの接触つづき
  • 夜までねばり、しゃべり続けるミチル
  • 「辛いものってやっぱり…」「今日はもうこれくらいにして帰る」
  • 部屋の中で物音:シンゴトイレ我慢してて限界だった、飛び出すシンゴ
  • ミチル「こんなに粘るつもりなかったな」
NPO事務所からシンゴ母への報告電話
  • ミチルは直接親と話をしない
  • 別のスタッフが話の内容などを報告する決まり
回想
  • 父親と口論、「わかってもらいたくもない!」と言い放つミチル
  • 携帯電話の着信音に何か反応を見せるミチル
新人に車で送ってもらうミチル
  • ミチル「送ってもらわなくてもよかったんですけど…」
  • 運転手にさせられて不満げな新人
  • ミチル車から降りる、自転車見つける、新人「サビてるが油差せばまだ乗れそう」
  • ミチル「人間の感情もサビる、感情を表さないと能面みたいな顔になる」
  • 昔は“勝手にすれば”と思っていたが、引きこもりと接したらその考えが消えた
別の日、シンゴに部屋の外から語りかける
  • 担当引きこもりが一人、寮から消えた
  • シンゴ、ドアの下から「かえれ」と書いた紙をすっと出す
  • ミチル、「何かしてみたいことない?書いてみよう→『   』」と置き書きして帰る
  • 「初めて自分の感情を自分の言葉で伝えてきた」
  • シンゴ置き書きを読んで震える
  • 大学機械系の研究室の回想
    • 周りが一緒に楽しそうに機械を組むなか、一人でそれを眺める
    • シンゴぉ、何もしてないじゃんかよ、しっかりしろよー」と笑う周囲(陰湿ではない)
寮の夕食風景
  • 新人、映画に行った元ひきこもり寮生に酔っ払って絡む
    • 「俺だって死んだばーちゃんに会いてぇよう」
    • 「別にぼくの祖母は死んでないですよ」と返す寮生
    • 女性スタッフ「大丈夫ですかねぇ」と不安がる
    • 所長、「ああいうのも人生経験になる、ほっほっほ」
  • 電話が鳴り、ミチル呼ばれる:シンゴが家で暴れた
ふたたびシンゴの家
  • 新人とメガネも一緒
  • 暴れた形跡、部屋が家具も小物もぐちゃぐちゃ
  • ミチル、「入っていい?」「入るよ」「電気つけるよ」と確認しながら行動
  • 男ふたりは母親と一緒に別のところに控えさせ、ひとりで入室
  • モノローグ:彼はなぜ追い込まれたのか?
居間で親と話すふたり
  • メガネ「僕も昔、引きこもってたんですよ」
  • 「焦れば焦るほどうごけなくなるんです、よくわかる」
  • 「僕の担当もミチルさんだった、いつの間にか横に居るんですよ」
シンゴの部屋
  • ミチル、黙々と部屋を片付ける
  • シンゴ、空腹で腹が鳴る
  • ミチル、チョコ差し出すが無反応。「ここに置いとくね」
  • ガツガツ食べるシンゴ
  • 黙々と部屋を片付け続けるミチル
  • シンゴ椅子を直すなどし始める
  • モノローグ「人と人をつなぐのは言葉だけじゃない、この仕事に正解はない」
仕事でのさまざまなシーンを回想
  • 大仏のように無反応な人も居る:寝たまま何も動かない太った人
  • 饒舌な人も居る:世界がどーたらだからアナタがやってることも無駄、とか話すオタ風男
  • 個性を踏まえて訪問するのだ
回想ふうシーンだが、シンゴと触れ合うシーン
海に行くため車でシンゴを迎えに来た
事務所でミチル、新人、メガネ女性スタッフ
  • 新人「挫折ができないって何だ」
  • メガネ「挫折はやりたいことがないとできないんですよ」
  • 新人「マジメすぎる、負けても良いのに。俺なんて負けだらけだった」
  • 女性「負けが許されない雰囲気の世の中だしなぁ
シンゴ訪問、経過
  • シンゴ、背を向けてベッドに寝ている
  • ミチル「私もこの仕事がほんとにやりたいかわからない」
  • 携帯電話を持たないで許されるからやってる。携帯につらい思い出がある」
  • シンゴくんが無反応なのもつらいよ」
  • 一ヶ月くらいこの調子が続いた、と
  • 母親に「シンゴくんをひとり家に残しましょう」と提案:母親が「心配」と拒否
夜にひとり悩むミチルに所長が語る
  • ミチル「振り出しに戻っちゃった」
  • 所長「一歩進んで二歩下がったら、それは三歩だ。動くのが大事」
  • 「Noの中のYesを信じろ、100%のNoは無い」
  • 「心のどこかに隠れているYesを感じ取ったことがあるんじゃないのか」
  • ミチル、海でのやりとりに思い当たるフシ、「そうか」
  • 所長「つらいぞ、できるか」ミチル「仕事ですから」
シンゴ訪問
  • 強い調子で部屋に入り、「起きてるんでしょ、話があるの」
  • 布団をはぎとり窓から投げ捨て「ここを出て寮に入ろう」
  • 「この部屋を出ても生きていく場所があると知ってほしい」
  • シンゴ「僕はここで死ぬまで生きるんだ」
  • ミチル「親が死ぬ、友達もいない、生きていけない」
  • シンゴチョコくれたじゃないか、あんたが友達だろ?」
  • ミチル「友達とか思ったこともない」
  • シンゴ、キレてミチルを強引に追い出す
  • ねばるミチルに花瓶の水をかける、驚く母親
  • 母親「私たちにも私たちの人生がある、お前が出て行かなきゃ私たちが出て行く」
シンゴ宅、引越し
  • 母親「家は売る」と泣きながら玄関を出る。
  • 残されたシンゴ、何も無い部屋でねっころがる
  • しばらくしたのち事務所電話、「寮に入れてください」
車で迎えに来るミチル、新人、メガネ
  • 軽く気まずそうにしながら、ミチル「さ、乗って」
  • ミチルは乗らず、車が出る
  • 車内でシンゴ「なんか軽くなった、失うものが無いって気持ちいい」
  • ミチルモノローグ「たとえ私の心にちいさなキズ残っても、意味がある」
次回予告
  • 荻原聖人が理屈っぽい引きこもり、ミチル「手ごわい」
  • なんか荻原が自殺するようで、親「信頼した自分たちがバカだった」
  • 辞めようとするミチル、それに怒る新人
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