はてなキーワード: 伊藤英明とは
伊藤英明のクズエピソードで、リッツカールトンのレジデンス棟での横暴な振る舞いというのが出てきてるけど、そもそも彼はマジックマッシュルーム事件の前からロクな話を聞かなかったので、さもありなんと思った。
小山田圭吾は言うに及ばず、松本人志の性癖もある程度公然と語られていたわけだけど、実際世に出てニュースになると、その事実を知らない人の方が圧倒的に多いことに驚く。まあ総人口と、自分の周りの人間の数を比べれば、当たり前なことではあるんだけどさ。
ところで関東の大物コンビ芸人のKの手癖の悪さというか、楽屋とかから色々なものがなくなるという噂は何人かから聞いたことがあり、おそらく本当なのだろうと思っているけど、大物お笑いコンビの流れで誰か告発してくれねえかなと思っている。
https://service.smt.docomo.ne.jp/portal/special/life/entertainment/src/drama_89.html
ここに名前が出ている俳優をドラマの主要格と見なし年齢を調べてみた
二宮和也(40)中谷美紀(47)大沢たかお(55)江口洋介(55)中川大志(25)
おいしい給食 season3
市原隼人(36)大原優乃(24)六平直政(69)高畑淳子(69)小堺一機(67)
橋本環奈(24)沢村一樹(56)佐藤二朗(54)松本まりか(39)JP(40)
ミワさんなりすます
松本穂香(26)堤真一(59)恒松祐里(25)片桐はいり(60)高岡早紀(50)
けむたい姉とずるい妹
栗山千明(39)馬場ふみか(28)栁俊太郎(32)桜田通(31)雛形あきこ(45)
Maybe 恋が聴こえる
大和奈央(16)橋本涼(22)醍醐虎汰朗(23)坂本彩(15)木村昴(33)
君が死ぬまであと100日
髙橋優斗(23)豊嶋花(16)咲耶(23)新井舞良(22)井上瑞稀(22)
家政夫のミタゾノ
松岡昌宏(46)伊野尾慧(33)桜田ひより(20)余貴美子(67)平田敦子(60)
大奥 Season2
時をかけるな、恋人たち
くすぶり女とすん止め女
相棒 season22
コタツがない家
ぼさにまる
いちばんすきな花
帰ってきたらいっぱいして。
君となら恋をしてみても
キス×kiss×キス~LOVE ii SHOWER~
うちの弁護士は手がかかる
アオハライド Season1
きのう何食べた? Season2
たそがれ優作
ゼイチョー~「払えない」にはワケがある~
ギフテッド Season2
単身花日
泥濘の食卓
あたりのキッチン
猫カレ -少年を飼う-
どうする家康
たとえあなたを忘れても
フィクサー Season3
を観てきた。
主演の伊藤英明のビジュアルと、数年前の大河ドラマ『麒麟がくる』における伊藤氏の役どころが素晴らしかったため、今回もそれを期待して行ったわけである。
あらすじは公式ホームページにあるが、
https://stage.parco.jp/program/aviewfromthebridge
ステレオタイプなジェンダーロールに拘泥し家長として振る舞うエディ(伊藤氏)とその妻ビー(坂井真紀)、妻の姉の娘でエディが愛してやまず、成長してなお家に縛り付けられているキャサリン(福地桃子)、そして妻の従兄弟でありイタリアから不法移民としてやってくる兄弟、マルコ(和田正人)とロドルフォ(松島庄汰)の物語である。
で、何が書きたいかというと、よくわからない観劇体験をしてしまったという話。
冒頭は、狂言回しの弁護士(高橋克己)の澱みないモノローグで始まる。その後幕が開き、幸福な頃の一家の姿が描写されるが、伊藤氏が口を開いた瞬間に強い違和感が襲ってくる。
棒読みだ。
言葉の一つ一つが、『セリフ』として意味を持たず流れ落ちていく。
キャサリンは帰宅した叔父の胸に飛び込み、絡みつくように抱き合う。不穏さを感じさせる、目に焼きつくほど無邪気な愛の光景と共に、低音で棒読みのセリフが流れ落ちていく。
劇が進行し、過保護に育てられ男を知らないキャサリンは、初めて目の前に現れた若い移民の独身男性・ロドルフォに一目で恋に落ちる。エディはロドルフォが『カマ野郎』(ママ。70年も昔の戯曲なのだ)であると言いがかりをつけ、そんな男に姪が奪われてなるものかと旧知の弁護士の元へ駆け込んだ。「法にできることはない」と窘める弁護士に激昂した口調で激しく詰め寄る。激昂した口調で激しく詰め寄っているのにも関わらず、セリフは相変わらず流れていく。会話が成立していないのだ。
高橋克己演じる弁護士は、本能的かつインモラルな嫉妬に駆られた男を前にした常識人というより、意味を持たない言葉の奔流の前に、言語の限界を知って戸惑い立ち尽くすインテリといった様相を呈してくる。
ビーを演じる坂井真紀氏は、妻として夫に寄り添い、あるいは向き合う姿そのままに、崩れがちな家庭の場面を立て直そうとしていたが、やはり圧倒的に流れていく主演のセリフ量の前には勝てない。
ロドルフォとキャサリンとの会話は慣れてくれば違和感がなかったが、おそらく物語の構造上、その若き二人は、そもそも一人の人間として彼に見られていないためだ。だから会話が成立しなくても大丈夫なのだ。
しかし今度はそのせいで、二人がエディに向ける愛や憎悪、困惑に一切の重みがなくなってくる。あの純粋に不可解な言語の羅列に対し、何を真っ当に苦悩しているのだ、という感じがしてくる。
そしてその異様な不協和音を抱えたまま、劇は終盤の悲劇へなだれ込んでいく。
失礼なことばかり書いてしまったが、伊藤英明氏はおそらく演技が下手なわけではないと思う。「演技の適性がピーキーすぎる」だけだ。正直動きだけで言えば他の役者の方が怪しいところもなくはなく、伊藤氏がそれをカバーしていたところもあった。
エディのくたびれた労働者の姿態、日常的に男らしさを意識しつけた一挙手一投足、戯れにロドルフォにボクシングを仕掛ける時の軽やかで悪意を秘めた動きと笑い、嫉妬を滾らせて部屋の隅に沈み込んでいる姿の不気味さ。舞台映えしないとは決して言わせない長身も相まって、エディという男そのものを見事に、しかも色気と悲哀を横溢させて表している。
ただひとたびセリフを発すると、演劇空間の位相が容赦無くズレ出してしまう。
パンフレットを買えなかった(持ち帰る袋がなかった)ので薄い理解ではあるが、アーサー・ミラーの脚本は、シンプルに受け止めれば、移民への差別意識問題と女性の自立・連帯の問題をからみつけつつ、家父長としての姿にこだわる男の自尊心と、その体面の下に押さえつけられた欲望を鋭く抉り出したものだろう。
ただそんな真っ当な狙いを外れて、主演のセリフの大半が機能しない状況で、この舞台は圧倒的な不条理劇として立ち上がってくる。冒頭の弁護士のモノローグで、ギリシア悲劇的な『条理』は示されているにもかかわらずである。
繰り返されるエディの「尊重されたい」という言葉は発されるそばから空疎になり、なんの意味も持たずに空を彷徨う。圧倒的な空疎に対して周囲は嘆き、怒り、困惑し、愛を語り、そして悲劇を止められないことをなぜか勝手に悟る。
そしてその空を彷徨うような言葉で表される自尊心に怒りを掻き立てられ、エディはあまりにも無意味で不可解な死へと突っ込んでいくのである。伊藤氏の怒りの演技は見応えのあるものであるが故に、その怒りの根源が空虚でしかないという不条理性はいや増していく。
そして唐突に死んだエディを、役者たちは無表情で見下ろす。我々の中に紛れ込んでいた全くの異分子がやっと去った、という解放感さえ浮かべて。
それはとりもなおさず、エディが脚本上囚われていたすべてのものの虚しさを示す、メタ的かつ正確な表現に他ならない。
あるいは、棒読みの彼こそがリアルな人間であり、周りの役者たちを「芝居がかった偽物たち」と捉えることさえできる。
人間の感情を言葉で表すことなど到底無意味であり、根底にあるのは超言語的な(本能的な)愛と嫉妬、憎悪だけだ。それでも周囲の「芝居がかった偽物たち」とエディは、無意味で空疎な言葉でコミュニケーションする他ない。そして彼は己のものでない空虚な言葉で己を取り繕い、縛り、孤立し、ついには偽物たちに殺されてしまう。
この姿が、あらゆるイズムに囲まれた現代人の戯画でなくてなんだろう。
つまりこの劇を伊藤英明の演技が不条理劇に昇華することによって、今回の舞台は一応の成立を見ているのである。
幕が降りた後、私はいい観劇体験をしたのかどうか一考した。期待していたものではなかった。しかし無ではない。あのエディは間違いなく、ただ達者な役者が演じるよりはるかに深みのある造型をしていた。よくわからない観劇体験だったが、今私にこれほどの長文を書かせるほどの体験ではあった。
そんな感情を抱いたのは小さい頃からだった。クラスで読み聞かせられる絵本や道徳の授業で、登場人物が困っていたり悲しんでいたりしても何も思わなかった。むしろ、なんで登場人物は感情を昂ぶらせることができるのだろうと不思議でなかった
けれども、それが普通でないことは直ぐに気づいた。それはそうだろう、自分が何も思わない時に周囲は頬に涙を垂らし、中には嗚咽を上げる人もいた。周りの人間の感じることなんて全く理解できなかった。でも、大半が同じような人ばかりだった。だから、自分の方が少数派であり、おかしいのだと分かった。
それからというもの、普通の人間のように振る舞った。学習材料は、家族や友人が見るドラマや漫画、アニメなどの物語からだった。自分には面白さが全く理解できなかったけれども、どのポイントで人が感動するか理解した。だから、日常会話や体育祭などのイベントごとでは困らなかった。
なんなら、皆の感情を高まめるためにワザと泣いたり、指揮を取ったりもした。その時の感覚はゲームのようなもので、ただただ感情のツボを探して押せば周りが笑顔になったり悲しんだりしていた。面白かった。人間は単純で、ある意味機械的な動物なんだなということを知った。
中学生の頃に見た映画が、生活を一変した。『悪の教典』と呼ばれる2012年に公開された伊藤英明主演のサイコホラー作品である。内容をざっくばらんに説明すると、教師が学校で生徒を無慈悲に殺しまくるというものだ。これを観た時、衝撃が走った。生徒を殺して楽しそうな教師を見て、「いいな」と思ったのだ。
それからというもの、「人を殺してみたい」という欲望で頭が一杯になった。何度も殺してみようと思ったことがあった。部活帰りの暗い夜道で、前を歩く体の細い子を気づかれないまま首を絞めてしまおうと思ったり、同級生の家の近くにある小池に誤ったフリして落とそうと思ったり。少年法では罪が重くならないから、未成年の内に一度殺しを行った方が後々の為になるのではと考えたりもした。
とにかく、毎日人を殺すことを考えた。そして、その度に決まって勃起した。僕は家や学校の臭いトイレでスッキリさせることで、殺人への欲も発散させることができた。はけ口があったから、僕は今まで人を殺さずに生きてこれた。
そして、今年の4月から放送開始された「あなたの番です」を視聴していた。見ていない人はググったりして欲しいが、ざっくり言うと連続殺人ものである。最終回は元乃木坂46の西野七瀬演じる黒島沙和が、黒幕であることを語り、人殺しを愛してるというサイコパスぶりを顕した。SNSではこの常軌を逸した行動に理解できない人が多かったが、僕はそうでなかった。大体のシーンを殺し側目線で楽しみ、共感した。そして、勃起した。
特にオチはないが、世の中にはこういう人間もいるのだと覚えていて欲しい。殺しを我慢して日常生活を送っている人がいるのだと。僕は人殺しの欲を別の方法で昇華させることができるが、中には上手く行かずに悶々としている人もいるかもしれない。もし、そういった人の相談を受けても否定しないで欲しい。欲望をコントロールすることは本人でも難しく、下手に矯正しようとすれば過剰なストレスを溜め込むことになるだろう。だから、下手に刺激せずにそっとして受けとめて欲しい。お願いだ。
なにしてんだよ?
タイムラインの暗闇の中でそうやって腰かけて待ってたって何も始まらないよ
TLの中はいつでも空っぽなんだ
そこに集まっている人達だってあんたたちと同じように何かに待ちくたびれてんだなぁ
「なんか面白いことは無いかってさ」
そっちとこっちが違うのはそっちは人間関係気にするだろ
だけどこっちは自由なんだよな
まぁタイムラインの暗闇の中でかっこよく堕落しようなんて思ってんだったら、そんな行儀良く呟いてたってダメだよ
ほらぁ、隣のフォロワーに手を伸ばしてごらんよ
ちょっとなぁ、引用して呟いてちゃったりしてさ
失敗したってまだあんたの名前なんて知らないしさ 誰も俺の名前なんか知らないし
だって名もなく貧しく汚いしさ
すごいつまんなくて辞めちゃったよ
誰も俺の名前なんか知らない
一度ボクサーになろうと決心して、三日ジムに通ったらもう怖くなって逃げ出しちゃって、一晩中自分の血の滲んだ包帯見つめていた意気地なしだったもんな
誰も俺の名前なんか知らない
伊藤英明が大暴れした映画のあとなんか、まるで自分が二、三人救ったような顔で、肩をいからせて映画館を出て行ったおまえ、
そうおまえよ。あの時おまえに何が起こったんだ?え、何が?・・・・・・
誰も俺の名前を知らない
失敗続きの人生に
公衆便所の壁に
町中のいたる処に
俺は呟きまくる
さぁもう一度しか言わないから覚えていてくれよ