はてなキーワード: SEXとは
気持ち悪いのは、男性優位で女が全く気持ち良いとは思わないSEXテクニックだからである。
気持ちよくもないテクニックを披露されて、相手が満足してるのを見るとむなしさを感じる。
愛されていても、その日によっては女は排泄の道具でしなないんだろうな。
「感じるだろ?」
お前はマッサージ師か?
「体が反応してるぜ」
いや、あなたに気を使った上での演技だし。
演技して意識して、自分のモチベーションを上げたら出るもんでるし。
激しくこすったり、ぐにょぐにょぐにょぐにょ揉んだり、ひっくり返したり、
学生時代から社会人五年目の今に至るまであらゆる場所に溶け込めず、自分の何がダメなのかずっと悩みながら生きてきた。
中学の時は周囲が悪いんだと思っていればよかった。
田舎の公立中学でとても荒れていたから教室には不良とそれから弾かれたオタクの二つのグループしかなく、俺は不良でもオタクでもないんだからどっちにも入れないのは仕方ないと思っていた。高校に入って普通の人達に囲まれれば何かしらのグループに入れるだろうと思っていた。皆に変わってるといわれるのは俺が頭がいいせいだ、こいつらが馬鹿なんだ。
進学校だったから周りには不良も居らず明るい良い人ばかりなのに俺の居場所はどこにもなかった。
コミュニケーション能力に問題があるのではないかと思い、心理学や自己啓発、催眠術に手品の本を読んでみた。
見た目が悪いのかと疑い、バイトをしていい美容院に行き高い服を書い、ナンパの本を読み、隣の県に電車で二時間かけて行って実際にナンパをやってもみた。
話す程度の友人も彼女もセフレもすぐに出来たが結局俺はどこに行っても浮いていた。
相手の手を開かなくさせても引いたカードを当ててみせても付き合ってキスしてみてもSEXしても結局何も変わらなかった。どの女の子にも変わってると言われたし普通じゃないと言われ続けた。
修学旅行のグループで何処に入るか悩むのも仲が良いと思っていた人達が知らない間に旅行に行っているのも全部ここが田舎なせいだ、変だと言われるのも皆が馬鹿なせいだ、皆馬鹿なんだ、俺は違う、都会に行けば俺を受け入れてくれる何かがあるはずだ、俺が変なんじゃない、だってもうやれることは全部やったはずだ。
そして都内の大学に入ったが結局一人だった。サークルにも三つ入ったがプライベートで大学の人たちと遊びに行ったことは一度もない。今となっては名前を覚えている人も一人も居ない。インターネットで知り合った人達と遊んだり女の子を口説いたりしているだけで四年間は終わった。そのインターネットで知り合った人達も俺の知らない間に皆で旅行に行ったりしていたようだ。高校時代と全く同じだ。俺が自分から参加しない限り何かの場に呼ばれることは遂になかった。
俺はようやく自分が変なんだと思い知った。何処に行っても居場所がないのは俺のせいだと受け入れた。コミュニケーション能力だったり見た目だったりそういった表面上の事ではない、俺の人間性が異常で魅力がないんだ、俺がおかしいんだ、俺がダメなんだ。
発達障害やアスペルガー症候群だったりするのかと思い病院に行ってみたが診断結果は違っていた。医者によると俺は普通の人間らしかった。
人格障害かもと疑い、精神科にも行ってみたがそれも当てはまらなかった。
人間性がイカれていても表面を磨き続ければいつか好かれるのではないかと思い、営業職についてみた。
しかし五年経って営業のトップに立ったが結局何処にも馴染めないのは変わっていない。
俺の何が問題なんだろう?
こういう、「全ての人間は恋愛体質」「恋愛成就が人生の目的」「常に相手を探して当たり前」「いい年して彼氏・彼女がいない奴は人間としておかしい」「美人の処女はいない、いたら性格に問題がある」みたいな決めつけは、どうして起こるんだろう。メディアなんかによる洗脳の結果だろうか。単に頭が悪いのだろうか。
酒や煙草を飲まない人がいるのと同じように、SEXしない人だっていることが何故わからないんだろう。他人は全部自分と同じと思ってるのか。自己中か。
恋愛なんて出会いが必要なんだから更にハードル高いのに。たまたま良い出会いがなかっただけの人は一定数必ずいるのに、そんなこともわからないのだろうか。
俺の親戚から風に聞いた話だが、昔のド田舎中のド田舎では「地元の風習」なんて高尚な物じゃないが、SEXに関してフリーだったみたいだな。
昔つってもそんなに昔じゃない。1960~70年代ぐらいだな、親戚の話から考えれば。まあ山に囲まれた排他的領域とかじゃなくて、普通に建物とか立ってた所だ。都市部からかなり離れた、今でも時間が止まってるみたいに開発が進んでない地域だよ。
単に若い奴らが盛りあってただけの物で、ネット上で聞く夜這いみたいな糞みたいな風習って訳でもないんだが。苦労した女の子も結構いたらしいな。
いやぁ悍ましい悍ましい。整備が行き届いていない田舎ってだけでもこれなのに、山中の村落とかどういう状況なのか想像もつかんな。
学校で「どの女子がええと思うよお前?」みたいな話題すら時たまでしか無かった俺にとっちゃー刺激の強すぎる話だぜ。世代が上がっていくごとに下半身で物を考える奴らが多いような気がするが、そこまで行くと偏見かもな。
1年半付き合った彼女と別れてもうすぐ一週間。
今まで恋人とは別れるたびに病んでたけど今回は何故かそういう事はない。
今まで一番美人だし器量もいいし間違いなく最高スペックな彼女だったんだけどな。
価値観とか元々住んでいた環境の違いって自分が思っていた以上にでかいみたいだわ。
だって自分は間違いなく今でも好きだし寂しいけども、未練は無いどころか納得さえしている。
全くもっておかしな話だ。
まぁ正直な話、常に自分はどう思われているのか不安に付き纏われていたから
正直疲れていたんだと思う。虚勢を張るのに疲れていたんだと思う。
ただただ突発的に来る寂しさが悲しいだけで後はなんら変わらない日常。
とりあえずSEXしたいわ。
まだ個人情報保護法が制定されていない位の大昔、俺はインターネッツで「テキストサイト」と呼ばれるようなものをやっていた。
アクセス数は一日50人いれば御の字で、時々テキストサイト管理人同士で気が合えば会ってみたり、オフ会に出たり大学で得られない友人関係をインターネットで築いていた。
侍魂が有名になるずっとずっと前の話だ。
理由はあまりに失礼なメールをもらったから晒し者にしたくなって俺のサイトにその内容を掲載したからだ。
俺も悪かったと思う。
失礼なメールの内容というのは、なぜか知らないけど俺に一方的にメールを送ってきて自分のSEX体験を赤裸々に語るような内容のため童貞の俺は頭に血が上った。
女からだったら喜んで読んだだろうが、相手は男だ。
それで怒りにまかせた勢いから俺のサイトに「失礼なやつからメールが来た」とメールの文面を掲載した。
わざわざ文面をそのまま載せる必要はなかったのに。
そのメールを送った相手がそれを見てファビョって、俺のサイトを2chで晒した。
メールをそのまま載せられた、性格が悪い、著作権法違反だと騒がれた。
俺は悪くないと思っていたが、俺の思いとは裏腹に2chでは俺が悪い事になってどんどん炎上していった。
嬉しい事に当時付き合いのあったサイトの管理人がそれを見て「そいつは悪くない」というように擁護してくれたが、やはり「本人乙」としかならず擁護するような意見が書きこまれれば火に油を注ぐように炎上していった。
当時インターネット上を探しても個人情報などは見つからないような時代だったが、個人情報の管理について企業側が甘かったので「こいつを訴えるから住所名前を教えろ」とレンタルサーバの会社に連絡され、全てばれて2chに載せられてしまった。
おまえらならその後の流れは解るだろう。
スネークとは呼ばれるものの隠れる気が全くないような行動力あるオタクが俺の家に突撃し、ピンポンダッシュをしたり、窓をドンドン叩いたり、家の前でクラクションを鳴らして、名前を叫ばれた。
俺の存在は完全に「悪い事をしたから何をやってもいいおもちゃ」状態だった。
俺が仲良くしていたサイトも荒らされまくり、親しくしていたネットの友人にもかなり迷惑をかけた。
サイトは閉鎖し、メールアドレスも即座に解約、携帯電話もいたずら電話がかかってくるので解約した。
外に出るのが怖くなり、数日学校を休んで家でじっとして2chの俺のスレを見て鎮火していく様子をチェックしていた。
俺の個人情報を漏らしたレンタルサーバの会社に文句をつけようと電話したが電話に出ない。
クソが。
それでも夜になると俺の家に凸するやつが数日いたので警察には相談をした。
だが個人情報保護法がなかったせいなのか、レンタルサーバの会社のことを話したがとくに相手にはしてもらえなかった。
当時インターネットはアナログ回線で普及していなかったが、外の様子を見計らいつつ学校に行くとあの炎上しているサイトの主が俺だとバレたらどうしようという被害妄想にも陥った。
何の知名度もないただの大学生である俺ですらかなり追い詰められた。
幸いなのは写真なんてものをアップしたことがないので、顔写真のようなものは公開されなかった。
とにかく俺が言いたいのは岩手の議員がどうではなく、炎上はヤバいという事だ。
FBは意外と全体公開しているヤツが多いが、ビジネスライクで利用しているのでなければ公開範囲に気を付けた方がいい。
ネットにはキャッシュというものがあるから、炎上した時に消しても遅い。
みんな炎上には気を付けろよ。
【追記】
ネタっぽいというコメントがあったが、実話だとだけ言っておく。
当時「乙」とか「スネーク」という単語があったかは覚えてないが。俺の今の感覚で説明しているだけなので細かい事は気にしないでくれ。
まだ草が生えていなかったという事だけは覚えている。
また、ISDNというのはそれほど普及してなかった。というのはADSLのリリースが見えていたのと、ISDNは月額が高く工事費もかなりかかるので親元を離れて暮らす学生にはとうてい引くことのできない富裕層向けのインターネット回線だった。
学生でもISDNを使っているヤツは親が金持ちとかだった位なので、学生や若者にとってダイヤルアップがまだまだポピュラーだった時代の話である。
本当に家に突撃されるけれど、俺が一番つらかったのは仲良くしていた人のサイトが全て荒らされまくった事だった。
周りの人に迷惑がかかることが一番痛いって解ってて、わざとやられるからな。
本気で気を付けろよ。
http://anond.hatelabo.jp/20130619231753
モテるとかモテないとかではない。ただ無価値であり無碍に扱われることだ。
他人に価値がないのは誰だって同じだろう、ようはSEXしたいんでしょw、よく飛び交う言葉だが、まあそのとおりで、子供の頃の話だよ。
大人になればどうでもいいさ、社会的な我々は誰だって平等であり、自分の価値をアピールしなければ他人に関わることすら出来ないのだから。
強制的に半日、30~40の人詰めの箱のなかに閉じ込められて、共同生活を強いられる。社交辞令も保身も知らないために残酷で、動物のように群れを作る子供な。
居ただろ。何かにつけてキモいと言うやつ。
子供の遊びで、イジリだったのかもしれないけども。
黴菌扱い。触らないで、菌が付くからw
申し訳ない、存在して。
給食配らないで、触らないで、なんでそんな酷いことするの?
誰だってやっただろう。私だってやったと思う。清廉潔癖ないじめられっ子なんていないんだ。
確かに笑わなかった人もいたが、黴菌はクラスか学年に1人くらいなので、消毒される側から見れば誤差なのだ。
思春期。
だいたいルールがわかってくる。私のような人間は、人格の自由度が低いのだ。
気持ち悪い、存在が不快、デフォルトではそのように扱われている。
自然な成り行きとして、一等低く無碍に扱われる。
仕方ない。これはそういうことになっているのだから。別に差別でも偏見でもない。
従って私は、妖怪人間だった。
外形的な気持ち悪さから来る性的価値の低さという、社会性におけるディスアドバンテージを抱えているので、埋め合わせなければならなかった。
思春期同年代が構成する市民社会からの排斥を受けないために、彼らに要請された私を演ずる演技。
今で言うリア充、一段下げて一般的な未成年が、同年代の中で取る態度。
人並みに感情を表に出したり、遊んだり、色気づいたり、あるいは恋愛について話したり。
残念ながら、私の行うそのような態度は、思春期同年代にとって異物であり、共感の外である。
思春期とは性的な時期であり、それを通じて社会性を育む性徴期。
思春期の社会的な関わりにおいて性は重要であり、だからこそ保健体育は古くよりあり、最近では日本社会でもセクマイ概念などが教育に取り入られ始めているわけだが、しかしながら、セクハラ概念が示す事実は、自身の性的身分を超えた性的な態度は嫌がらせである。
運動会のフォークダンス、遠足の二人組、給食当番、席替え、班作り。
社会性も、性愛観念も未熟な時期に、同級生が露骨に示したその態度。
それは社会の要請であり、学童期よりも幾らか高度化した義務教育課程で学ぶ、ひとつの実習だった。
必要なのは、性的に老いること。オッサン臭いというか、ババアというか。
老人ではない。老賢とは別物だ。
完全に枯れているわけでもなく、しかし肉体は老いており、故に独特の醜さを発露する。
気持ち悪い性欲の象徴としての中年。
自らの不快さを理解しているからこそ、弁えを知り、抑制されて、節度を保った憐れな中年。
私は老いてはいなかったが、印象的に気持ち悪かった。
それに思春期らしい子供の欲求を捨てきれず、また賢さもなかったので、老人にはなれなかった。
明るく溌剌と多感な周囲について、人並みに感心はあり、またそう有りたくもあったが、表に出してはいかんのだ。
私には分相応な態度、人格が決められている。
私がどのような人間なら、理解しうる人間としてシンパシーが得られるか。
声に出す者も居たし、出さないものも居た。
やがてどうでも良くなる。
人間関係という蜘蛛の網に絡み取られて、私に向けられた他人の視線が、あるべき態度を規定する。
必要に応じて演じた態度が、人格として身についていき、成人する頃には私という人間性が確立される。
根底に身についたのは諦念であり、どうでもよさだ。
しかしながら、それでも時々思うのは、性的価値が人並みにあるものが羨ましい。
凡夫であり、賢くもない、一般的成人である私は、人生を冷徹に見つめる達観も得られなかった。
もちろんSEXに興味はあった。
だが、それより今は思うのは、子供の頃に子供らしく過ごしたかった。
思春期の頃に平均的な思春期らしく自分の日常を過ごせれば、もう少し、何か違ったかもしれない。
いや、私は平均的なのだろう。
私が送ってきた人生こそが、実にありふれた性的無価値者の日常だった。
幼児期から始まる社会での私の立ち位置が、私の内面を擦り減らし、予定された枠組みに相応しい人間性を形成したのだ。
あの頃諦念に師事しなければ、もう少し何かが違ったのかもしれない。
現実が過ぎ去り記憶になると、もっとうまく立ち回れたのにと後悔することがあるにはあるが、まあ、それよりも、私は随分頑張ったと思う。
はっきり言って、重苦しかった。
あの頃の私にはそうする他なかった。
これこそ単なる諦念なのかもしれないが、常に近くにあったが決して得られなかった同年代の日常は、私にとって眩しかったが、あれこそ他人の物であり、これが私の人生だった。
内面と演技のアンバランスの抑圧にフラストレーションを沸き起こしていた精神も、加齢によって安寧となってきた。
何かをこじらせているわけではない。
こじらせ系とは似て非なる、直道だった。
ただそれだけなのに、恋人がいないのは人として欠陥がある、だとか、
http://anond.hatelabo.jp/20130616070129
中身が未熟、欠陥がある(原因)だから、童貞(結果)じゃないっすよ。
「中身が未熟、欠陥がある」ってのは言い過ぎかもしれないけれど、人間という主は動物なんだから生殖して子ども残さないと滅びちゃうわけですよ。また人間社会は氏族とか婚姻制度を社会構造の中核に据えて発展してきた歴史があるわけですよ。それらの是非は横に置いておいて、とにかくいままではそうだった。童貞とか恋人作らないとか結婚否定とか、そういういままでの機構にNoを突きつける存在なんだから「お前は俺たちの仲間じゃない」と排斥されて当然なんすよ。これまた、その排斥の是非は別として。いまはシステムの変わり目だとしても歴史の圧力というのは甘んじて受けるしかない。
また、結局Sexというのは経験なわけです。圧倒的多数が経験していることを経験してない個体が社会にいたら、格下に見られる、性能が下に見られるのはもうこれはどうしようもないでしょう。たとえば、いま30歳ジャストの日本人男性の中で、大学卒業をしてない人間は相当少ないわけです。彼らは大学という経験をしていない。で、周囲から軽んじられてる現実があるわけです。童貞も似たようなものです。
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? を紹介します。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている証拠もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
”博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。 ←誤り、追記にて訂正しています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701 ←論文
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0
※Protect Actでは児童ポルノがパソコンで作られたCG、あるいは、人の写真をデジタル加工したものであると判明した場合でも違法となる。
実際には存在しない児童ポルノを嘘をついて提供とするといったときでさえ違法とする法律です。
――初はてな初増田ですので、読みにくい個所、変なところがあればご指摘お願いします。
この駄訳がこんなにも読まれているとは。少し戸惑っています。
日本での児童ポルノ規制法改正、アメリカでは児童ポルノ規制はどのように論じられているのでしょうか?
著名なシカゴ学派の経済学者であるミルトン・フリードマンの息子、
経済学者デイビッド・フリードマンのブログ、「Ideas」から、
2012年7月1日の記事、Are Child Sex and Child Porn Substitutes? の要旨、コメントを抄訳しました。
↓原文URL
http://daviddfriedman.blogspot.jp/2012/07/are-child-sex-and-child-porn.html
本文を読んでみると作者の提案に日本との一致もあったり.....。
個人的には、アメリカでのポルノ法規制の地域によっての違いや、
チェコでポルノ法が緩和されており、実際に性犯罪発生率が大幅に下がっているということがコメント欄からわかり、
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
というコメントがしっくりと来ました。
日本はわざわざ通らなくてもいい道を通ることになるのか・・・。
また、一度児童ポルノを法規制してしまうと、緩和を唱える政治家は現れないであろうということも問題ですね。
※抄訳です。
本文もコメント欄も面白いので原文で是非両方とも読んでください。
本文要旨
”私は最近ニュースで、児童性愛は(おそらく生物学に基づいた、そしてまたおそらく変更できないであろう)
子供を守りたければ、人々に児童性愛を持たせないようにするのではなく、
児童性愛の行動を起こさせないようにするのが明かな結論だろう。
一つの方法としては子供との性交を罰する、ほかの方法としては、
簡単に手に入る代わりの物を作ることだろう。
この世には、かわいい女の子とセックスできない若い男がたくさんいて、
インターネットからのポルノ視聴が増え、レイプの数が減っている?証拠※もある。
児童性愛者も児童ポルノを見ると、実際の行為に及ばなくなるのではないだろうか?
もしそうならば、今の厳しい児童ポルノ規制は、実際には子供の危険を減らすというよりはむしろ増やしているのではないか?
そのような法律の言い分としてはは児童ポルノの商品そのものが児童への性的虐待であるというものだ。
―だが必ずしもそうではない。
児童ポルノは実際の年よりものすごく若く見える女優をパソコンの技術の助けも使って作ればよい。
間違いなく、そういうポルノを合法化すると児童性愛好者(好みとしての)は増えるだろうがね。
まあ、私の見る限り、法案を提出する真剣な政治家は一人もいないようだけどね。
少なくとも、もしまた立候補するのを予定している政治家なら。”
むしろ、漫画やアニメで児童ポルノを見ている分、より先進的ですね。
また、児童性愛が先天的な特徴であるというのは十分に論理的であると思います。
児童性愛が先天的な特徴であると論じている人は僕は日本のニュースでは見たことはないですが。
これに対してのコメント(16件)は様々で、
いいアイデアだと思えないと言っている人が、
大麻の議論ととても似ているという風に感じてしまう自分の自由主義者の資格が危険だと言っていたり、
私は特に日本では普通だと思いますが、アメリカでこういった発言をブログでするのでさえ思い切ったことなのですね。
清教徒による性への規制にはうんざりだという意見もありました。
反対派の人は
児童性愛が普通と言うならば、あなたの子供を性的虐待で苦しませることに同意するのだろうな
という過激な意見もありました。
博士の学位をとるために検閲とインターネットについての論文も出した身で言うと、
”児童ポルノ”の定義は州で違うし、町が違うだけでさえ異なる。
いくつかの地域では年齢表示のない写真は合法の年齢の人であっても児童ポルノとして検閲されるし、
ハリーポッターとドラコ・マルフォイのBL(文章のみ)が、子供の性交を描写しているからとして
検閲される。またほかのいくつかの地域では棒人形を書いて”5歳のヌード”とラベルを張ると逮捕される。
君の言うように、再選したい政治家はそういう法案を提出しないだろうね。”
また実際にアメリカではないですが、オーストラリアでは棒人形で逮捕されています。
http://www.slate.com/blogs/humannature/2008/12/16/is_this_child_pornography.html
また、他のコメントでのチェコにおける性犯罪とポルノについての論文の引用では日本も挙げられています。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21116701
”児童ポルノが手に入ることと、児童への性的虐待の発生率の低下が関連付けられている論文が少なくとも一つある。
「特筆すべきは(チェコのポルノ法規制緩和後)、デンマークや日本のように児童ポルノの所持が
違法ではない国と同じく児童への性的虐待の発生が大幅な減少が見られたことだ。」”
ポルノと性犯罪の関係性の真実より、私たちはポルノを認めないというシグナルを出すほうが大切。”
また、オハイオ州最高裁のCGによる児童ポルノ合法であるとする2007年の判決が引用されているコメントもあります。
http://www.dispatch.com/content/stories/local/2007/07/26/CHILDPORN.ART_ART_07-26-07_A1_SF7CML1.html
しかし、2008年には連邦の最高裁判所が2003年にできた法律、 ”Protect Act”を維持すると宣言しています。
http://www.nytimes.com/2008/05/20/washington/20scotus.html?_r=0