はてなキーワード: 車社会とは
某記事と同年代のUターン就職の俺が田舎の工場の良さ教えたる、後半は工場関係ない。
それもそのはず生き物みたいに配置が変わり続けてるから。
例えば〇〇製造部と会議しまーすとか言って抜け出したら早めに切り上げて、工場の奥地の休憩所でサボっててもまず見つからない。
休憩所や食堂では若い女が作業着でスルメかじりながらインスタ見てたり、Apexだのゴルフだのインデックスファンドがどうだの、
色んな話が盗み聞きできる。小遣い万歳の駅みたいな遊び方ができる。ドキュメント72hとか好きならおすすめ。
PC持って帰れないので、工場で何が起こっていても何もしなくていい。持って帰れても持って帰らないけど。
4.優待券みたいなのが転がってる
新人でもベテランでも同じようにできるように設計されている工程はちゃんと見ると色々感心する。
6.車社会っていいよね
車が一番楽。買うものが決まってるなら商店街なんていらないでしょ。
都会人様も休日にはくら寿司とユニクロにごった返してるのを俺は知ってる。
ぶっちゃけ電車なんて面倒だろ。駅近は高いし、新宿なんて乗り換えでどんだけ歩かされんだよ。
田舎の図書館は広いし勉強席も十分あって借りたいものは大体借りられる。無料駐車場もある。
都会の図書館は俺の知る限りでは狭いし謎に分散してる、欲しい本もブームがさった後でも借りれなかったりする。駐車場は当然ない。
私は大阪の田舎生まれ。皆さん大阪の田舎を想像しにくいかと思うけど、田園風景広がってて、コンビニも近くにない、車社会。
社会人になって家を出て、横浜に住んでいたこともあるけど、今住んでるのは地方都市。
地方都市と言っても、田舎県の三番目に栄えている市で、繁華街と言われる場所まで出るのに、公共交通機関使っても車でも1時間以上かかる。
公表されているコロナ感染者は現時点で片手で数えられる程度なので、毎日そんなに怖くない。スーパーですら、人との距離は2メートル以上空いている。
外で飯を食うにしても、行く店を選べるぐらいには店があって、飽きることもない。
最寄駅のエリアには大きなショッピングモールもあって、映画館もある。最近やっとKALDIが入ったので、さらに繁華街に行く気が起きない。
市役所も警察署も通勤経路(車)にあって、転入時は本当に助かった。図書館も大学もあるので、読書が趣味なら何も怖くない。近所付き合いも回覧板くらい。
ネットで注文した物もすぐに来るし、田舎で映らないテレビ番組もネットでも見ることができるし、夜空を見上げたら天の川が見えるし、同僚と「ほぼ仕事と家の往復だけど、出る気力が湧かないくらいに充実してるよね」と言っている。
大阪の田舎に住んでいた頃は、学生だったこともあり、毎週末に繁華街へ出ていた。
横浜に住んでいた時も、なぜか毎週末出かけたくなった。電車でわざわざ日本橋まで行って、電車で揉まれて疲弊して帰ってきた記憶がある。
夜、コメダに行った
所用のために外に出て、その帰りの道すがらに寄ったので店内に入ったのは21:00頃になる
年末調整の提出書類や今年も駆け込んだふるさと納税の申請書、生命保険の契約内容確認や積読本などが溜まっていたのでそろそろどこかで片付けたいと思ったからだ。
正直ここのコーヒーは美味しいと思わない。
この時間にあのハイカロリーな食事も摂ろうとはいささか思えない。
ただ自宅では捗らないのは自明であるためどこか作業場所が欲しかった。
ここは地方都市だ、夜遅くまで営業している店の多くは居酒屋かチェーン店になる。
ファミレスはもとより検討外だった、田舎にとってファミレスはその名の通り『ファミリー向けのレストラン』であって、一人で訪れる場所ではない。この時間でも家族連れの顔見知りに会う可能性は充分にある。
だからコメダを選んだ、コメダはこの近辺に何店舗かあるのだけれど、車社会のこの土地で立地と駐車場にやや不便さを感じるこの店は恐らく知り合いと遭遇する可能性は低いと踏んだからだ、とても消極的選択だった。
それでもまだ21時台なので、きっと店内は賑やかなのだろうなと想像していたのだけれど入り口をくぐると店の中は驚くほど静かだった。
店内に客はいるのだけど、タブレットで読書をするサラリーマン、参考書を広げる女子学生、会話もそこそこに眠たそうに寛ぐ部屋着の男女、みな静かに自分の時間を過ごしているようだった。
店の一番奥の2人がけの席に座った、壁を隔てた向こう側ではイヤホンをした女性が何やら書き物をしている。しばらくすると穏やかなそうな女性の店員がお冷を運んで来てくれた。
メニューを開く、前言撤回をして珈琲を飲みたかったのだけど、この時間にそれを飲めばカフェインに弱い私は確実に眠れなくなるのでホットミルクを頼んだ。
以前東京を訪れた際、夜遅くまで営業しているカフェに入ったことがある。薄暗い店内に間接照明、洒落た内装、店内中央に置かれた一枚板のカウンター、ハンドドリップで淹れる珈琲。
ひとり観劇の余韻に浸るには整いすぎた空間だった。珈琲一杯の値段にとても驚いたのだけど、この空間を買ったと思えば決して高くはない。嘘だ、ちょっと格好つけた。伝票の値段を見た時、田舎者の来る場所ではなかったのだと思った。入り口でこの値段を見ていたらきっと私は気後れしてこの店には入れなかっただろう。
とはいえ、こんな場所が地元にもあれば良いのにと都会の街をとても羨ましく思ったのだ。
木の温もりがある内装、程よい固さのソファー、音量を最小限に絞ったBGM、穏やかな店員、手元の良く見える明るい店内、他人に興味を示さず思い思いの時間を楽しむ見知らぬ人々、何もかも完璧だった。ここのドリンクも決して安くはないけれど、あの三茶のカフェに比べれば破格だ。あそこでは深煎りコーヒーを頼んだのだけど、正直味は覚えていない。
しばらくすると注文したドリンクと一緒に小さな袋が小皿に乗って運ばれてきた。セットの豆だと店員は言う。そうだ、コメダは久しぶりで忘れていた。
マグカップの横に置かれたちいさなホスピタリティに少し目頭が熱くなった。思えば最近は仕事に忙殺され一人暮らしの私の生活は荒れていた。こんな心遣いを受けるのは久々だ。この値段でこれ程素晴らしいおもてなしを受けられることに感動した。
豆をつまみながら飲むホットミルクは格別に美味しかった。暖かさを保ったままのマグカップを両手で持ち背もたれに寄りかかる。今私はこの時間を買っているのだと思った。
夜コメダは最高だ、この静かな感動を書き留めたくて机の脇に置かれた紙ナプキンを一枚取り出しボールペンで文字を綴った。こんなことするのは学生以来かもしれない。紙のスペースが足りなくなったので、こんどはここに文章を打った。おかげで雑務は全く捗らなかった。
このまま朝までここにいたいのだけど閉店時間が近づいてきたので会計を済ませ店を後にした。
店の外にでると冷たい風が肌を撫でた
大きく息を吸った。静かだ、完璧すぎる夜だ。
暗闇の中で少し寂しそうな車が私を待っていた。
どこに停めたかすっかり忘れていた、私は真逆の方向に向かおうとしていたらしい。
なんてことを考えながら車の待つ方へ私は踵を返すのだった。
魅力度ランキングって、前から思っていたんだけど単に自分が住んでいる場所から遠い県を魅力的に思うってだけじゃないの?
首都圏や近畿圏の人間からすれば、北海道や沖縄は遠いから「どんな場所なんだろう?」と期待も込めて魅力的な場所だと想像する。
逆に茨城や栃木のような、首都圏や阪神圏の近隣県は興味を持たれにくいので魅力度が下がるだけ。
冬は寒い、低気圧が来ると地吹雪になる、土地は安い、札幌の一極集中で一人勝ち、鉄道は壊滅寸前、本州以上の車社会で交通事故も多い、核のゴミの処分場候補、アイヌという民族問題も抱えている、夕張の次に財政破綻する自治体はまた北海道から出ると思う。
なぜしたくないのか。
今からとんでもなくバカなことを書くが読んでもらえると嬉しい。
俺は車社会をこう捉えている。
腕組みした人が数人立って、無慈悲で冷酷な目でこちらを見ている。決して険しいとか怒りに満ち溢れたという感じではない。「才能のないものは切り捨てる」そんな意思を感じる目。
そういう人たちが映ったポスターを思い浮かべてほしい。
「法定速度に合わせた運転?甘えるな。『流れ』を見て運転しろ。」
「検定試験に落ちたことがある?なるほど。今すぐ免許を返納しろ。お前に“資格”はない。」
これぐらい厳しく、怖い世界だと俺は思っている。
人の命がかかっているから当たり前だ。でも、法定速度に則った運転が許されるわけでもない。
運転が下手な奴に対しての怒りも
「このヘタクソがぁぁぁぁ!」というタイプの怒りではなく、
冷酷で無慈悲な感じ。
なにをバカなと思われてるだろうし、俺も思ってる。
車無し生活をして数年経った
大きい荷物を度々運びたくて車を買った
車で県内の海とか山とかに行って気晴らしもできるといいなと思った
やっぱなんかいらない気がしてきた
荷物は運びたいんだけど
毎日乗るわけじゃないからカーシェアとかでもいいかなと思ったけど
もともと車興味なさすぎというか
むしろ嫌い
コストかかるのはもちろんだし
本当に危ないと思う
車社会なのが災いして歩行者無視して横断歩道曲がってくのとか日常
こんな中どんなに気をつけて走っても事故もらうに決まってる
本当に憂鬱になる
自転車だと夕日がきれいな時はちょっと止まって眺める事だってできる
車なんて普及させるより公共交通機関を編みの目のように充実させた方がいい
公共交通機関を今よりもっと充実させれば自ずと満員電車なんかも解消する
今まで自殺願望なかった多くの人が交通事故で死んでるわけだから
これが正しい未来への道だと思うんだけど
電車は一時間に一本の車社会。コンビニは近くになくて車で行くほどだ。その代わりに天気が良くて海と山がある。当の私は都内勤務の神奈川住みで、大型連休には毎回帰省していた。東京で働いているけど地元が好きだ。
コロナが流行り、地元では感染者の情報が早く広まることが分かった。感染者は地元にいるのが居たたまれなくなり引越したとの噂もある。どこの家の子供が帰って来たなどの情報も早い。そんな話を聞くと帰るに帰れないなと思った。私が帰省すると家に引きこもり確定、家族は世間に気を遣う羽目になる。
だが、私の周りでも帰省しようする人はいる。理由は地元でも感染者が増えてるから帰る、新幹線もガラガラだからと言う。そういう人達の大体は地方都市出身でGWも帰省している。
帰省すると村八分状態の私はどうしても妬んでしまう。私は我慢しているのに、私だって帰りたいのに、自分が保菌者だったらどうするんだ。ずるい、ずるいと自分の黒い部分が溢れてしまう。それと同時に人は人、自分は自分と思う自分もいる。
私も帰りたい。家族に会いたい、友達に会いたい。寂しい。もう30近いのに子供みたいに泣いてしまう。本当は今すぐに帰りたいけど、自分のエゴで誰かに何かがあったら嫌だ。だから私は家にいる。妬む自分を抱き締めながら。