はてなキーワード: 死体とは
また、周りの評判を聞いて、好景気のときは起業がうまくいった話を聞いて、じゃあ俺もとなる。不景気のときは起業で失敗した話を聞いてじゃあやめとことなる。
この起業と好景気の相関を、逆に見て、「起業が多いと好景気だ!だから、馬鹿をおだてて死体を大量に増やそう!そうすれば景気が良くなる!」というのが日本。
基本起業ってのは、なにか世の中に足りないものをこういうやり方なら満たせて「俺が儲かる」という話だから。
そこで死体を増やせば景気が良くなるという理屈からやってるからふわふわとしたガキンチョの遊びにしか見えないものばかりなのが起業。
良い子は絶対真似しちゃいけないよ!
自己紹介ホームページ開設ブームなどを見ればわかるとおり、人間には、自己をアピールしたい、「私」を語りたい、という欲求があるわけです。
しかし、それには他者とは違った才能が必要であり、そして才能を得るためには努力が要求される。
飲み会で注目を集めるために「明日原爆を作って国会を破壊する!」とブチあげても、それには、発言が真実味を帯びるだけのリアリティが要求されますよね。
発言した人が理系の人間であるとか、裏ルートに通じているとか。
ライセンスがいるわけです。
だったらライセンスが要求されない……たとえば「明日パチンコに行く!」なんてことをアピールしてみる。
しかしこれはアピール度が低い。で、「自殺する」「手首を切ったことがある」というわけです。
自殺にはライセンスはいらないし、生き死にの話題なのでアピール度も高い。
このところ殺人や死体写真などのサブカルチャーが幅を利かせているのも、競争相手の多いメインカルチャーのなかで浮上するのがしんどい、という側面があると思うんですよ。
スノーボードがうまい私という個性を自分特有のものとして確立するのは難しいけれど、死体写真を集めている変わった私という個性は簡単に完成するわけです。
同じように、自殺したい・手首を切ったことがあるというのは、ゼロから生むことができる、安易かつ強力な武器であるわけです。
まあ、精神的とか経済的にネ、追い詰められて、真剣に自殺を考えている人はいるわけなんで、あまり軽々しくは言えないんだけどネ。若いのがネ、死ぬとかナントカ言うのはネ、要するにネ、ボクラが若い頃、哲学や政治にハマったのと同じですよ!
まあ実家を超えることはないと思うなあ
喧嘩が耐えない家庭で、高校合わないから辞めたいって言ったら、否定され、大学行きたいって言ったら、家には金が無いとか言われたし、結局寮付きの国立大学を第一志望にしたら、受験期に片親が自殺して、その死体を見て、この家庭に生まれた時点で人生ってクソだなあと思ったり、PTSDになったりして、高校行けなくなって、それでも第一志望に受かった。
今思えばもう少し息を抜いて生きていけなかったかなあと思う。
就職は理系の修士行くからまだなんだけど、社会で自分を見失わないようにするわ。
こう書き表したいのは、最近ストーナーという小説を読んだからです。
超ざっくり話すと、主人公は田舎の少年から始まり、大学教員になったけど、私情を挟みすぎる妻や立場上の上司に嫌がらせを受けて、社会でも家庭でも立場が悪くなって、人生こんなもんだなあと死んでいく小説です。
むかし、初見のチェチェンの首切り動画で、吐かないまでも血の気が引く感じがしたのを覚えている。あれが進んでいくと、吐くのだろう。
バイオレンス要素のある作品で、殺しやグロ死体の初体験キャラが吐くシーンというのがよくある。それに対するベテランキャラの「なんだお前、こういうの初めてか?」とか「俺も最初はそうだった。そのうち慣れるさ」的なフォローまでがセット。
弱肉強食の世界で、人以外の動物が病気や食中毒以外で吐いているのはあまり想像できない。すると、やはり「自分もこうなるかもしれない」的な心の働きが吐かせるのだろうか。しかし、吐くことで人体的に何のメリットがあるのだろうか?
やれ、夜中0時にそこに入ると女の霊がいるやら、このトンネルは事故で多くの人間が亡くなったのでその死体を食べるために鬼が出るやら、カップルで入ると近い内に不幸が起きる、そんな曰くつきのトンネルが。
小学生の時、友人の田中と、橋田と俺の3人でそのトンネルで肝試しをしようとしたが、トンネルに着くまでに人に見つかり「絶対に行くな!」と強制的に連れ戻された。田舎だからそこらへんのおっちゃんおばちゃんっていうのは全員知り合いだ。
この体験が俺や田中や橋田にとって「あのトンネルは絶対になにかあるんだ」と印象づけた。その一年後、隣に作られていた新トンネルが開通し、そのトンネルは封鎖されることになった。
自分たちが大学生になった頃。久しぶりに俺と田中と橋田、そしてこっちに遊びに来ていた田中の大学の友人の井口と相川で遊んでいた時、ふとそのトンネルの話になった。
「絶対なにかあるんだべ。」
「行ってみる?」
といった感じで話してその場は終えた。大学生になった頃にはそんないわくを信じてはいなかったが、わざわざトンネルを男5人で見に行ってキャーキャー騒ぐのもよくわからないからな。
「前言ってたトンネルってどんな噂があったの?」
「案内してくれないか?田中は行こうと言っても行きたがらない。」
自分も、その頃ソーシャルゲームにハマっていたので「いや、俺はいかんよ。噂は、女の霊が出るとか、鬼が出るとか、あとカップルで入ると不幸が起きるとか。そういや、高校の時の友達の森本君が彼女連れて入ったから彼女はその後交通事故にあったよ。」(森本君の彼女が事故にあったのは事実)という話をしたのを覚えている。
橋田のところにもかかってきたようだが、橋田は県外に出ているので噂だけを伝えたそうだ。
それから、そんな事を教えたのもすっかり忘れてた30手前の時。
「君って○○町出身なんでしょ?○○トンネルの噂ってしってる?」
あのトンネルの話だった。
「えぇ知っています!女の霊が出るとか、鬼が出るとかいうやつですよね。高校の時の森本という友人が彼女と一緒に入ったら彼女がその後交通事故にあったんですよ。」
と話すと
「やっぱり何かあるんだね。うちのバカ息子がそこに肝試しに行ったら何かに見られてる気配がするっていうもんだから、お祓いしてもらってた。」
と話を続けて、何分が盛り上がった後、打ち合わせも終わり、帰路についた。
家に帰って、ふと気になって「もしかしたら有名な心霊スポットになってるのかな?」と検索をする。
すると、一発でHIT。
黒い背景の赤い文字が乱舞するページにたどり着く。○○県の心霊スポットというようなページだ。
そこにそのトンネルは
「危険度SSSS(命の保証はできません)」と書いてあるのだ。
自分は「うぉ!すげぇ!」と思いそのページをみる。
「このトンネルは、建設途中落盤事故で多くの人間が死んだらしいです。
また、女の霊が出て、カップルで入ると女の霊の嫉妬で女性に不幸が降り注ぐといわれており、
情報元の友人は彼女と入った後、交通事故にあいお亡くなりになったそうです。」
若干、自分がもってる情報とは違うがどうやらこのトンネルの事で間違いがない。てかもしかして最後って森本君の彼女の話?とか思いながら、画面をスクロールする。
そして、写真が現れた…
そして、そのサイトは多くの人から情報提供をいただくようで、多くの人間が体験談を書いて、いったという証拠に写真を載せていた…
他のサイトも周る。
そして出てくるわ出てくるわ
が。
そして、みんな口をそろえて言うのだ
「このトンネルには間違いなくなにかあります。霊感が強い友人が絶対に入りたがりませんでした。」「お祓いに行ったけど事故にあいました。」「このトンネルに入った後、家にかえったらうちの猫が怖がって寄ってきませんでした。」
新トンネルには「なにかある」と…
今年の夏もその新トンネルは心霊スポットのようで、夜になると結構人がいると田中から聞く。(なぜか田中は大笑いして報告をしてくる…なぜだろうか…)
俺みたいな中3でグロ見てる腐れ野郎、他に、いますかっていねーか、はは
あの流行りの曲かっこいい とか あの服ほしい とか
ま、それが普通ですわな
絵本で見た猫を欲しがった際にぬいぐるみの猫をプレゼントしたら拒否し悲しみを伝えて、死について語らせた際も、ゴリラのぬいぐるみを利用している。
でも子供を欲しがった時にぬいぐるみのゴリラを渡したら乳をやる真似をしていたらしい。
自分の子供を欲しがったら他人の子供の死体を渡されたような気分になったであろう事を思うと、よく一生人間に友好的だったなぁと思う。
「念を押しますよ、このゴリラ(ぬいぐるみを指し)は生きているの、それとも死んでいる?」
ココ
「死んでいる さようなら。」
「ゴリラは死ぬとき、どう感じるかしら?幸せ、悲しい、それとも怖い?」
ココ
「眠る。」
ココ
「苦労のない 穴に さようなら。」※
原文“Comfortable hole bye.”
ココ
「年とり 病気で。」
どこをどう読めば『「お前らは別だ」と叩く方に回」ってるんだ。それに体制側ー非体制側という構造は作っていない。マジョリティ ー マイノリティという構造はつくっているが。
ズーフィリアもペドフィリアもネクロフィリアも、そもそもの存在自体は認められるべき。
婚姻についても、動物と死体はそもそも自然人ではないから結婚できないでしょう。それが愛してるとしても。そしてそれは自ずと、動物と死体に人権を認めるか、というLGBTの議論とは別になる。ペドフィリアについては、何歳から結婚を認めるのかは、議論の余地はある。
異性愛でも同性愛でも同意を得ないセックスがレイプになるように、殺したり他人の死体を損壊すれば犯罪だし、判断能力のない子供とセックスをすれば犯罪になる。結婚同様に、何歳から認めるべきかは議論の余地あるし、真面目に付き合うならもっと若くてもいいだろう、という点も賛成できなくはない。
the expendables was so manly i fucked the shit out of the little pussy boy next to me! the boys are back in town!
確かにドン引きしてしまうツイートではあるけど、ディズニーで仕事するようになって少年性愛とレイプに関するジョークについて謝罪し、
何より現在はそういったツイートをしなくなって久しいのに、「そういう過去があるのでクビ」には希望を失ってしまう。
謝罪しても改善しても過去にやったことは一生許されずに職まで失うシステムって、正しさのレールから一度でも落っこちたら、
その後何を積み上げても終わりということで、村社会への回帰というか、しかもインターネットの拡散力のおかげでどこに逃げても
過去のやらかしに一生追いかけられて、旧型の村社会よりもハードになっているようにすら感じる。
ガン監督が問題ツイートを繰り返していたのは、仕事で認められていなかった時期だそうだけど、不遇な時期にも完全な正しさが要求され、
人生を通じてノーミスである義務を死ぬまで負い続けるのってきつすぎる。
ただ少年性愛とレイプにトラウマがある人にとって、それらを冗談にしてしまうのは侮辱的なことだし傷つくことだと思う。
多くの人が自分にとって不快なものを目にしない権利を欲しがる。駅のデジタルサイネージや中吊り広告に、
死体写真やゲイポルノが載っていたら嫌な人が多いだろう(ネクロフィリアやゲイであっても公共空間に引き出されることを望まない人が多いだろう)。
でも個人のSNSアカウントは、見た人が不快に感じる可能性が高い発信をしない義務をどれくらい負ってるんだろう。
商業目的で公共性のあるメディアが負っているポリティカル・コレクトネス検閲コストを、どこまでかける義務を負うんだろう。
例えば駅のデジタルサイネージや中吊り広告に死体写真やゲイポルノがある場合、通勤通学のために逃れられないけれども、
ガン監督の少年レイプジョークツイートの場合は、不快と感じたらアカウントをミュートできる。
その不快なコンテンツから逃れることが可能か、逃れながら生活することが不可能か、そこが基準になってくれれば良いのではないかと思うのだけど。
とにかく謝罪済みの過去の個人アカウントのツイートが原因でクビというのは本当に悲しい。