はてなキーワード: 味音痴とは
増田さんがもしHSPだったらのことを考えて、なるべく傷つけないように言うね。
まず、言葉遣いがかなり厳しすぎるね。人を非難するような言葉や、相手を見下すような表現は避けるべきだよ。具体的には、「親の仇のように憎んでる」、「普段からまともな物は食べてなさそうだけど」とか「味音痴レベルが酷すぎない?」などの表現はとても攻撃的で、読み手に対してとても失礼だよ。
1. **主題の明確性**:最初の一文から意図がわかりにくい。「中がピンクに仕上がった肉」を批判する理由について、具体的に説明を加えるべきだね。
2. **相手への共感の欠如**:文章全体に対して相手への共感が感じられない。対話のトーンをもっと柔らかくし、相手の気持ちを尊重することが大切だよ。
3. **批判の仕方**:批判をするなら、建設的な指摘を心掛けるべき。「中まで真っ白になるほど火を通したら肉が台無しになっちゃう」というのは一理あるかもしれないけど、その後の「味音痴」などの言い方は余計だよ。
4. **言葉の選び方**:攻撃的な言葉遣いは避けて、もっと穏やかな表現を心掛けてね。「生と区別がついてないのかな?」よりも、「違いがわかりにくくなってしまうこともあるかもね」というように言えば、相手も理解しやすくなるよ。
前から危ないと聞いていて、二月の頭に顔出しに行った。
その時は意識あったけど、もうないらしい。
叔母が一週間くらい休み取って準備や片付けに来なさい!と言ってきたけど、正直行く必要あるのか?が本音。
入院しないで家で死にたい母親のために実家は介護仕様になってる。
そんなとこ行っても今は何も出来ないと娘の私は思ってる。
そもそも物理的な距離も遠いし(実家は東北で現在九州住み)、亡くなって葬式や火葬の日程決まってからでいいのでは?
父親にも次の連絡があったら日程の連絡だから覚悟しておきなさいって言われてたのに。
それなのに今駆けつけなきゃ薄情者みたいなテンションで来られるときつい。
姉妹としては、母親は叔母から見て面倒見のいい素晴らしい姉だったんだと思う。
だから最後を惜しんだりしてるけど、全員同じだと思わないでほしい。
私には過干渉だったり放置したりの気まぐれ毒親で、私のステータスを自分の手柄みたいに思ってる嫌な母親だったんだよ。
味音痴の料理下手で掃除しないから家中ほこりだらけで清潔の概念が全く合わなかった。
実家にいる時は気が付かなかったけど、私だいぶ煙草臭かったと思う。
苦しくなかったでしょ。
一番ありうる病気じゃない。
あーー意味分かんない。
私はきっと帰りません。
下手の横好きの日本代表です。
しかしそもそもが食べ放題の焼き肉やしゃぶしゃぶにたれをつけない味音痴なので、味にこだわることができない。
昔お弁当に入っていた、たれで茶色になった主菜は鶏か魚かわからないままおいしく食べた。パスタはどんぶりに入れるくらいに見た目も考えない。食材はスーパーで値段と賞味期限だけ見てカゴに入れる。
味も見た目も健康もないので、動機は単純だ。惣菜を買わずに作りたい。多少面倒でも気になった料理をやってみたい。
揚げ出し豆腐とドーナツを作ったときは「本当に作れるんだ!」とかなり興奮した。
レシピがあるものは一回作れば満足してるので、今後はさくさく作れるようになることが目標。
これを趣味と言っていいのか。それに料理ができるといっていいのだろうか?
自分で作ると当然好きな材料しか使わないし、火を使う料理ってあっためると大体おいしい。
だけど自分の味覚が信用ならなくて、たまに他人に評価してもらうべきか悩むときがある。しょうもない病みだ。
家に呼ぶ友人や恋人などいないうえ、実家のキッチンは実家ルールで動いており自分は使えない。もちろん見ず知らずの人に料理を振る舞いたいほどの衝動も覚悟もない。
それに100%自分のための料理だから楽しめてる気がして、評価された途端に無根拠な自信が失われてしまうことが怖い。
今まで適当に作ってまずかったのは、ヨーグルトにインスタントコーヒー溶かしたもの(酸味と苦味でゲロの味)と、ビスケットを水で溶かしたもの(ゲロっぽかった)です。
何が東京は最低最悪だ。うるせえうるせえ、付け足したような最高で済まされると思うな。
以前から不思議に思っていた。何故地方出身者は東京生まれ東京育ちにわざわざ東京を貶めるようなことを言うのか。何か比較して突っかかってくる。もうそんな言うなら東京住むなよ、帰れよ故郷に。と言われるたびに思っていた。
何?何でそんなに突っかかるの?何で人の故郷をそんな言い方するんだよ。東京なら何言ってもいいと思ってるんだろ。
お前らの故郷が「汚い」「臭い」って言われたら全力で怒ってくるくせに。何なら人権侵害だ誹謗中傷だと言ってくるくせに。
やれ「お前の住んでるところの水まずくて臭くて飲めんわ」だ、やれ「町中が下水臭い」だ。お前の故郷の市町村で同じこと言ってやろうか。
こちとらてめーらがまずくて臭いって言った水をあっためたお湯でミルク溶かして飲んで乳児期過ごして、幼少期から今に至るまで水道から直接出るその水うまいうまいってガブガブ飲んでんだわ。クソが。まずいなんて思ったことねーよ。味音痴?うるせえうるせえ成城石井のミネラルウォーター大好きだよ普通に。でも水道水まずいって思ったことねーわ水だよ普通の。何なら蛇口から直で飲めるわ。
てめーらが下水臭いだのゲロ臭いだの言いやがった場所は小さい頃に行きまくってたわ。臭い?別に気にしたことねーよそんなもんだから。それが霞むほどにキラキラだったんだよ。アイス食ったり服買ったりして楽しい思い出なんだよ。お前らが臭いって馬鹿にしたその場所に思い出が詰まってるんだよ。クソが。
だいたい東京にも自然はあるわ、とか言ってちょっとでも高尾山だの等々力渓谷だの話をしようもんならお前らはほんっとーーーに嬉しそうな顔しながら
「あんなん自然じゃないよ〜空みてみ?ホントの自然は空がもーーっと広いんだから」
知らねええええええうるせええええええいいんだよこれで!満足してるんだよ!!!ふとした休日にふらっと行って、すこしブラブラして帰ってきて、3分に1本来る電車にさっさと乗って帰るんだよ。そのくらいでいいんだわ。
世の中は東京出身者に何を言ってもいいと思っている。その間柄が親しくなればなるほど。
こっちは言ってるじゃないか、お前らが故郷の名前を出す度にポジティブな印象を。名産品がおいしいだの海岸が素敵だの古き良き美しい街並みが美しいだの。それをことごとくお前らはネガティブな言葉で返しやがる。
東京がお前らに何をしたって言うんだ。
失礼にも程がある。本当に。
という趣旨のブクマに臆面もなく出張ってきて、まさに「化調を必要以上に嫌うコメント」をしていく人がいる。
「ああ、いいところに。今ちょうどあなたの話をしてたところですよ」みたいな(寄席では遅れて入ってきた客をこうやっていじる)。
反ワクとかに通ずるものがあるけど、この空気の読めなさがまさに宗教。
「化調=悪」を(たぶん本能的な不安を根拠に)信じてるから、そうでない意見が目に入らなくなってるんだね。
自分が化調を必要としないのは味覚がすぐれているからだ(=化調が好きなやつは味音痴だ)、という論調も目につく。もしそれが本当だとしたら化調を使っていない料理は多くの化調好きによって「不味い」と評価されているはずなのだが、実際にはそうはなっていない。普通の人は化調が入っていてもいなくてもきちんと料理を楽しめる舌を持っている。昆布だしの旨味、いりこだしの旨味もわかるし、それは別に化調の旨味もわかる、というだけのことだ。
あげく、わざわざだしをとらなくても旨味を足せる便利さが化調の存在意義なのに、「だしをとればいいじゃん」という本末転倒なことを言う。バス停に並んでる人に「なんで歩かないんですか?歩けば1時間で着きますよ」と言っているようなものだ。
宗教的信念で化調を口にしないのはご立派なことなのかよくわからないが、おそらく常識的な頻度で外食や買い食いをしていたら化調を口にしないことは不可能だろう。ハラルのように化調不使用を謳う食文化はないので、知らず知らずのうちに口にしてしまうはずだ。その精神的苦痛はいかばかりであろう。
「神戸のパン屋は東京に比べて圧倒的に美味い」みたいな話が盛り上がっているが、現状単なるオカルトであり信憑性は低い。
食べログで「神戸市 パン」と検索すると545店舗が引っかかる。「神戸のパン屋が東京より美味い」と言っている人は、この中の何店舗に行ったのだろう? 評判のいい店だけをピックアップしていたら美味いのは当たり前で、本当は
という手続きで検証しなければ「神戸のパン屋は東京よりも美味い」ことは証明できない。
また、人間の感覚というのは大変に曖昧なもので、先入観によっても味は変わる(参考 : https://agri.mynavi.jp/2019_03_12_62258/)。「神戸のパン屋は美味い」という先入観を持って食べると、それだけで美味く感じたりするということだ。
これは味覚に限らない話で、例えばクラシックの世界でも、ストラディバリウスやグァルネリといったオールドヴィンテージと現代の楽器に有意差がないことは、ブラインドテストにより何度も証明されている。一流の音楽家が聴き比べをしても差はないし、弾いても差はない。にもかかわらず、オールドヴィンテージはいまだにクラシックの業界ではありがたがられているのだ。神戸のパンも大規模ブラインドテストを実施してみたら同様の結果が出るだろうし、出ても「それでもやっぱり神戸のパンは、東京のパンより美味い」という説が唱えられ続けるであろう。
「神戸市 パン屋」で食べログを検索すると、各店舗に点数がつけられている。これを集計しスクレイピングして平均点をとったところ、3.2547点だった。
「東京都 パン屋」で検索すると5000件近くがヒットしてしまうので、先方のサーバーに迷惑をかけないためにもう少し細かいエリアで集計してみよう。
東京のエリアは私が思いつきで抽出しただけだが、一部足立区など低いエリアがあるものの、渋谷区、港区の平均点は神戸市を上回っており、優位な差がないことが分かる。
もちろん食べログの統計情報に高い信頼性がないのは言うまでもない。だがそれを言い出すと一個人の個人的な体験のほうがはるかに信頼はおけず、「食べログの点数で主張をするバカ現るwwww」的な反論をするのなら、より信頼性の低い個人の主観も否定されるか、食べログの統計情報よりも個人の主観が正しいことを証明しなければならないだろう。
こういう話法はまんま陰謀論的な話法であり、強弁されると論破することはできない。オカルトはこういうマウントの隙間に入り込んで勢力を拡大していく。
確たる証拠もない主張を行い、それを否定すると即座に「人間として瑕疵があるお前には理解できないのだ」という主張に切り替えてくる、これは論法として卑怯であり、真であると証明したいのなら、やはり統計的なテストを実施しなければならないのだ。
もっとも個人にここまでのことを求めるのは、実質的に不可能であることも事実だ。私の話法も「無理な要求を突きつけて相手の口を塞ごうとしている」と取られてもおかしくはない。
なのでデイリーポータルZさんあたり、どうですかね……? 検証記事、バズると思うのですが……!
riyanorie 京阪神のパンのレベルが高い話は昔から言われてたし、いきなり陰謀論や洗脳に結び付けるのは論理の飛躍では。データでいうなら都市別パン消費量は神戸と京都は上位で、こだわりが強いだろうとの推測は容易に成立する
2人以上世帯を対象としたパンの年間消費額は神戸市が38,435円、東京都市部が36,154円と、2,281円しかない。全家庭が2人世帯だと仮定しても、1人年間1,141円の差であって、神戸市民と東京都市部民は、月にパンをひとつ多く食べるかどうか程度の差しかない。この程度の差で「こだわりが強いだろうとの推測は容易に成立」などしないだろう(データはこちらを参照 : https://news.allabout.co.jp/articles/o/28209/)。
下手だと分かったうえで読んでいた場合ならまだ問題ないのだが、下手だとかつゆも思わず夢中で読んでしまっていた物に対して下手と書いてあるときがやばい。
下手な絵をまるで上手い絵を見ているかのように鑑賞してしまうようなことっていうのは恥ずべきことなんじゃないかと思うからだ。目が人より劣っているというか。
これって恥ずかしいことなのかと知恵袋で訊いたとき「身の丈に合った漫画を読めばいい」という回答があってグサッと来た。
やっぱ漫画あるいは絵には確かな上手さ下手さという点での上下があって、そして消費する側には上手さ下手さを見極める能力としての上下があるっていうのを「身の丈」って言葉が象徴しているように思える。
自分が「ああこいつ味音痴だから安い物食わせとけばいい」って言われるような存在なんだとしたらやはりショックを受ける。
自分の持論は矛盾めいているが、上手下手の上下がある一方で、何を上手か下手かとみなすかの受け手の受け取り方に上下は無い、と思ってる。
数学で言えば公理ごとに数の大小関係は定まるが、公理が変わればその大小関係は変わり得るもので、しかもその公理間に上下はないって感じか。
でもやっぱりこんなのは自分の目が肥えてないという事実に目を背ける方便のように感じてならない。
逆転裁判3のまずいフランス料理を食ったイトノコのように、「下手」というレビューを見て、いわれてみればそうだなと納得することも確かにある。
ただ最近とかだとなろうのコミカライズには自分には絵が似たり寄ったりに感じるものが多く、そのなかで自分が読んだ作品のうち片や一方には絵が上手いといったレビューがついてる傾向があって、片や一方には下手といったレビューがついてる傾向があるのを見つけたことがある場合なんかでは、何が違うっていうんだろうってしっくり来ない気持ちが強くなる。
下手と判断する根拠を並べ立ててるレビューもあるが、やっぱりしっくり来ないことがあるというか、善意に受け取ろうにも、それっぽく言って煙に巻いてるだけじゃねみたいに思うのがせいぜいなことがある。どうしてもそのレビューと首っ引きで漫画を読んでみるとかしても、レビューの通りである、レビューの通りにしか評価できないかどうかってことについては腑に落ちなくなるというか。パースのようなものなら定量的に評価できるかもしれないが、具体的にパースが何cm狂ってるみたいなのを図解付きで言ってるレビューにはさすがにあまりお目にかからないし。
そもそも絵の上手下手は多分アカデッミックな意味で定義規定されるものだと思うけど、こういうのは多分商業においては人に良く評価されるための、創作者が志すべき道標のようなものであって、目的ではないと思う。
目的はあくまで漫画を楽しく読んでもらえることにあるのであって、アカデミックな視点で見ればろくに絵の基礎を積んでないような漫画であっても、ある人に刺さってしまったなら、それが味音痴みたいな人間として取るに足らない存在だったとしても、そういう人がたくさんいる社会においてなら結局その漫画は売れてしまうし、結果オーライでしかないと思うし、誰も損してないと思うというか。
炎柱にぐるぐるまつわりついて「一生ついて行きます兄貴ぃ」とか言ってた三馬鹿の一コマは明らかに味だとか擁護できない下手さだと言ってる人がいるが、別に個人的にはギャグの一コマとして受け取ってた自分としては当時読んでた時全く下手とかみたいなことは思わなかったなーって。