はてなキーワード: 上方とは
(ひとりの女性が何人産むか)合計特殊出生率は1970年代半ばからあまり変わってません(最近、初産年齢もあがって更に減ってはきていますが)
ただこれ、仕方がないんですよね。女性には上方婚という「自分より収入が多い男性と結婚する傾向」があり、女性の年収があがると少子化が進みます。これをクリアした国は見たことがありません。どの先進国も移民を除くと合計特殊出生率は低いのです。
私元増田
まだ専業主婦志望の女性がいるのと同様、旧ロールから脱却できない男性がいてもおかしくない。
というより、女性が旧ロールの都合のいいところを維持しようとしている(上方婚志向など)以上、男性側にそういう動きがある事も当然許容すべき。
最終的には両方無くなって行く筈。
「男女平等」が正しければ。
女性がこの分業を外れたのに、男性に外れるのを許さないことを非難しているだけ。
これは見方による。「体(命)をかけるものしか国の舵をとるに値しない」という価値観の元では、妥当。
そして、その価値観を脱して選挙権を得たのが、女性の性別役割分業からの離脱の第一歩だったと思う。
なぜ省くのか不明。
あと、「男女平等」の社会において、「力仕事など女性に向かないから」などという理由が許される訳がない。
それは「軍事」「政治」であるとか或いは「仕事」全般を「女性に向かないから」といって男性が占拠してた時代のロジックにほかならない。
都合がいい部分だけ「女性には向かないから」は許されない。力仕事するべき。
これは気になる。例えばどんな現場?
見ていたらご教授頂きたい。私にはそれこそ性産業くらいしか思いつかない。
これからは変わっていくと思うよ。
女性の上方婚指向が今以て続いていることを考えると、これからも変わらないと思う。
「お年寄り」「子供」は基本的に誰もがそうであった存在だったり、そうなる存在だが、
女性が「体力がない」理由で優先されるべきではない。それは女性が放棄したロールに含まれると思う。
これらの部分に関しては、「男性は守ってきていない。寝言をいうな」と寝言を言われたので返しただけであります。
以下が本題。
私も女性にはもうすでに社会的強者と弱者が存在しているから、女性という理由で一辺倒に守られてしまうと、強者女性はフリーライドということになると思う。
ただいかんせん、腕力ということでは女性は弱者寄りの存在であるし、犯罪は腕力でもってするものだから、
女性が男性と同程度の腕力を持つようにならない以上、犯罪や暴力などからは弱者として、子供やお年寄りなど、女性より弱い者の次に守られなければならない場合が多いだろうと思うよ。
しかし、フリーライドしているのは強者女性のみならず、弱者女性も弱者男性にフリーライドしているのだ。
その理由として用いられているのが、ここにも書いてある「腕力」。
確かに、犯罪の多くは腕力を持ってなされるだろうが、犯罪者に非ざる大半の男性は人に腕力など向けずに一生を終える。
そのあっても使わない「腕力」をまるで男性の原罪であるかのように振りかざすことこそ、女性からの暴力。加害。
女性はその「腕力」によって守られるロールを自ら脱した。にも拘らず、その「腕力」を逆手にとってすべて男性に自分を守ることを強いる。
性差を考慮した性別役割分業を放棄した以上、性差に甘えることは許されない。
女性は、「腕力」をつけるべき。無理だとしても、それが「男女平等」。
痴漢に関しては、正直私はそれなりに対処できるし、私自身には女性専用車両は必要ないと思ってる。
けれども恐ろしくて声を上げられない女性、高校生などまだ効果的な対処ができないかもしれない年齢の者、そういう人たちのためには心強いことだろうと思う。
「恐ろしくて声を上げられない女性」は「声を上げられる女性」に代わるべき。さもなくば泣き寝入りするほかない。
「声を上げられない男性」が現状そうである以上、「声を上げられない女性」だけが保護されるべき理由は何もない。
ただし、「高校生などまだ効果的な対処ができないかもしれない年齢の者」はまた別の問題で、保護の必要はあるかもしれない。
男女問わず、「高校生などまだ効果的な対処ができないかもしれない年齢の者」である時期は存在するので。
その際は「未成年者専用車両」等が妥当であろう。間違っても「未成年女性専用車両」であってはならない。
社会側の立場から、というのであれば一定の必要性は理解できるが、それでもやはり女性だけを守る理由もない。
それと私としては、男性には私の父や夫、友人に会社の上司や同僚が含まれるので、それらの男性には本当にお世話になっているし感謝しているし、
もっと言えばその他にも色々な方にお世話になっているから、男性というよりお世話になっている方々として、していただくことは何も当然だと思うことはないよ。
先にも述べたが、私は「感謝せよ」とは言ってないんですよ。
ただ、「もう男性に甘えるな」といっているだけ。「守られる存在」ではないと自覚せよと言っているだけ。
だから、世話になっている男性にだけ感謝するというあなたのスタンスは正しい。
腕力や暴力を持って男性に庇護を求めることの暴力性は、上に述べた通り。
生きていくのは可能だよ。子供を作るのも可能。ただどういう生活をするかの選択が狭められるが。
女性には上方婚傾向、というものがあって「自分より下の年収の男性に魅力を感じない」という傾向がある。これを解決した国はまだ存在しない。男女の賃金格差が無くなったノルウェーですら存在する。
君は「男の稼ぎ」って捕らえてるから、パートナーは得ようと思ってるんだね、女性の年収が高くなるとマッチングが難しくなって結婚の総数は減る。まぁ、独身でも別にいいけどさ。
最初に戻るけど、私が女性側のやる気、みたいな話を出したのは、君の題名、女性はそもそも男性同様に働きたい、という前提は正しいの、という疑問があったので。
「老人語」はずっと昔に成立したやつだよ
江戸に日本の中心が移っても、もとは日本の中心は京の都だったので、知識人や権威階級(当然年齢の高い人が多い)などに上方出身の人が少なくなかったし、
東国出身の知識階級も真似して上方風の言葉を使うことが多かった
江戸時代はフィクションの創作が盛んだったけど、そこで老人・知識人キャラクターをあらわす言葉使いとして上方風の言葉を使わせることも増え、こうして知識人や老人の言葉というイメージが庶民まで完全に浸透した
老人語を使うキャラクターに「○○博士」みたいな人が多いのもここから来ている
江戸や明治の頃から「一部地方の方言以外では実際に老人が使っているわけでもないけど、フィクションの老人といえばこんな言葉」という状態のままずっと使われ続けている。
女性口調のいわゆるてよだわ言葉も似たような成立事情。ある時期に確かに使われてたことがあって、フィクションの記号的キャラクター表現として使われるようになって、そういう属性の人物の使う言葉のイメージとして定着・浸透してしまったもの。
外出先でトイレを利用することがよくある。
そのときに小の方なら便座を跳ね上げて用を足すだけだから問題ないのだが、大の場合、たまに便座が汚れていることがある。
そんなときはオレは別の個室に移動する。他人のうんこなんて見るのもいやだ。
しかし、別の個室がないとかふさがってるという場合、あきらめてその汚れた便座をきれいにして、改めてそこでうんこをするということになる。
トイレットペーパーをぬらしてきれいにうんこを拭き取るのだ。どうしてこんなことまでしないといけないのか。
そこでオレは不思議に思うのだ。そもそもどうしてうんこが便座に付着するのだろうか。
普通に便座に座った場合、うんこはそのまま直下に落下するわけで、便座が汚れる要素は全くない。
便座を汚すためにはわざと後ろにずれて座って、肛門が便座に付くようにしないといけない。
そんな状態でうんこを出せば、うんこは便座に付着するだけではなくて、肛門周囲のお尻も汚れるのではないか。
極端な後ろに座ってしまった場合、うんこは行き場を失って上方にはみ出てしまい、背中や服を汚すことになってしまうのではないか。
もしも仮に便座をうんこで汚してしまったとして、その時に座る位置が後ろ過ぎることに気がついたら次からは修正すればいいのである。
人生において人は数え切れない回数のうんこをするわけで、まともな人間なら正しいケツの位置くらいわかるものだ。
もしも子どもなら、ちゃんとトイレを使えないということもあるだろう。
しかし、大人がちゃんとトイレを使えないということはオレは断じて許せないのだ。
基本的に自動ケツ洗い機が装備されていて快適に使用することができる。
なんでおまえのケツは曲がってるのか。
どうしておまえはうんこひとつまともにできないのかとオレは腹が立つのである。
コンビニのトイレがふさがっていて、空くまで待ってから入った時に便座にうんこが付着していることがある。
次に待ってる人がいるような状況でうんこを付着させているということは、これは後から使う人へのいやがらせとしか考えられないのだ。
どうしておまえはわざとうんこを付けるのか。
正しくトイレを使えない情けない人間をどうやって撲滅すればいいのか。
コンビニでトイレから出てきたヤツに向かって、「てめえ、うんこ拭けよ!」と抗議すればいいのか。
そこでオレからの提案である。これはぜひとも洗浄便座を作ってるメーカーに開発してもらいたいのである。
使い方が悪くて便座にうんこが付着した場合、警告音が鳴って教えてくれるという仕組みを導入してもらいたい。
とやさしい女性の声でアナウンスが流れ、そのままトイレを出ようとすると音量が大きくなって店内にその音が響く。
うんこを付着させた客はとっても恥ずかしい思いをする。
こういう機械を設置したら、100%うんこ付着問題は解決するし、コンビニの店員のトイレ掃除の労力も緩和されると思うのである。
それにしても不思議である。どうして便座にうんこを付ける人がいるのか。
オレは過去に一度、便座全体がペースト状のうんこで覆われているという悲惨な状況に出くわしてあわてて扉を閉じて逃げたことがあった。
これは私個人の考えです。
ゲームが下手な人がゲームバランスに疑問を持つようなら、そのゲームはゲームバランスがかなり悪い部分があると言っていいと思います。
ゲームが下手な人はゲームバランスが良くても悪くても気づきません。自分にとって攻略できるかできないかだけです。(所謂上方互換のような、比較が容易な要素ならともかく)
なのにゲームバランスが悪いと気づくということは、それだけゲームバランスが悪い部分があると言っていいと思います。
例えば。
スマッシュブラザーズのマリオとカービィでは技が違います。
ですから、マリオとカービィのどちらかが強くてもう片方が弱くても、ゲームが下手な人は気がつきません。
しかし、スマブラ WiiUのベヨネッタは、ゲームが下手な私でも「このキャラは強すぎる。おかしい」と気づきました。
とあるアーティストのライブを観に行ってきた。クラシックのコンサートはそれなりに行くことがあるのだけど、ライブは過去に2, 3回行ったことがあるくらい。この度は10年ぶりくらいのライブ参加であった。
というのも、そのアーティストの生の声や演奏を聴きたいから会場に赴くのであって、自分が手を振りかざしたり体を動かしたり声を出したりするのにかなりの抵抗があるから、ライブは苦手意識があった。できればずっと座って音に耳を研ぎ澄ませ、演者の姿を目に焼き付けることに集中したい。
今回は、その苦手意識を超える程にそのアーティストが好きだったので、一念発起してチケットを取ったのだった。
そしてライブ開演。演奏が始まった瞬間に周りの皆が立った。そういうものなのかと釣られて立つも、曲の盛り上がりに応じて行われる手の振りや体を動かす気にはなれない。結局立っただけで(あとは曲の後の拍手くらい)、観客としてのパフォーマンスは特に何もしないで終わった。
こういうライブ会場で観客としての統率された動きをしない人は、他のライブ参加者からすると内心迷惑だろうか、ノリが悪いと思われるだろうか。空気を壊すことに加担したくもないが、自分にとっては黙ってじっと聴いていることがライブを最大限に楽しむ方法なのだが…。
余談だが、ふと皆の手の振り方にもクセがあることに気付いた。忘れないうちに気付きをこちらにまとめる。
※なお、ここでいう「手の振り」とは、肘を曲げて手を頭の側面ないし上方に構えてから肘を伸ばして手を前に突き出す動きのことをいう。
■上段突きタイプ
拳をまっすぐ突き出す、オーソドックスな形。
最初は拳を握っているが、肘を伸ばしきったタイミングで指を開く動き。開く指もそれぞれで、人差し指のみ(鼻くそ飛ばし方式)が多数だが、親指・人差し指・中指の三本(フレミング方式)、全部の指(水飛ばし方式/三重の極み方式)など色々あった。
厳密にはアレの動きの「心」に相当する部分を繰り返す「心心心心心」の動き。拳の状態から空気を鷲掴みにする素振りで、力強さを感じる。
手のひらを上に向け拳を緩めて突き出す要領。
突き出すというより曲線的なしなやかな動きをする。見ていて拍が非常に取りづらかった。
そうなんだよね。意外とみなさんダブスタがありで好きなものには甘い。
面白いなー、と思ったのは、こないだの宝塚の黒塗りの件、ブコメが「全てをポリコレで判断するのはおかしい」とか「ラテン系のメイクをすると金色の衣装が映える」とか、単純に「自分の気に入らないものを叩く」ってだけなんだよね。
他には女性向け性的コンテンツもある。中年女性向けのハードな奴やBLの一部には政治的な正しさが無い。ので衝くと一旦、政治的な正しさへの議論が止まるんだよね。
あとは専業主婦も同じ構図がある。専業主婦も仕事はしてるし大変だが政治的には正しくない。そして(全てでは無いが)進んで専業主婦を希望する女性もいる。
男性から専業主婦叩きや上方婚叩きが強くなると、一定数、そういったフリーライダーを擁護する意見が女性から出始める。徐々に保守によってくんだよね。
元増田の「どうやって正義マン(あるいはウーマン)を黙らせるか」だけど「お前の正義でお前の好きなものを殺せるか」って言い続ける事かなー、とも思った。
賃金の下方硬直性というが、サービス残業やらブラック労働が蔓延してる日本で下方硬直性は限りなく低く、かつ労使交渉ができない環境ではむしろ上方に硬直性がある
またリフレ派はインフレ期待で消費が活発化するという主張を中心にしていたが、これは完全に妄想であることが安倍政権で立証された
女は男の経済力に依存して生きざるを得ないことに直面する。同時に子供が欲しいと思ったら、子供を作るにも男が必要(生殖細胞的な意味で)。そして女から男に主体的にアプローチすることがはしたない事だとされている男社会では、男が女を主導することが求められる。童貞の存在は、男社会の規範そのものを揺るがしかねないものになっているのだ。だからこそ、女性だけではなく強者男性さえも童貞を批判し続ける。童貞いじりで男達に責任感を自覚させつつ追い詰めることによって、男社会の規範が維持されている側面もある。
このように考えてみると、今の男女間問題の要素全てが童貞問題に宿っていないか。男性の草食化と女性の肉食化。イケメン童貞は許すという容姿差別。女性の社会進出と女の上方婚問題。いじられる童貞と、いじられないブス処女の対比。男に過度の責任が集中している問題。
童貞問題を解決するためには、答えは一つしかない。今以上に女性の社会進出を推し進め、男社会そのものを壊すしかないのだ。女たちは、童貞こそ自分たちの味方につけるくらいの度量を持ち合わせなければならないだろう。自分たちが社会的強者になるとは、そういうことである。
女性が上方婚傾向を残したまま賃金が上昇すると、男女のマッチングが難しくなって、非婚化が止まらなくなりますよ。
https://crossacross.org/ky/Tradeoffs+among+gender+equality+and+birth+rate
「女性内でのランク」みたいな考えだと、弱者男性はずっと救済されないままなんだよな。。。
そこそこ給与を得ている女性は自分についてついた「弱者女性ってラベル」を使って正当化するのはやめてほしいなー。
せめて中流女性ないし上流女性が、弱者男性と結婚するべきみたいなスタンスにならないと、パートナー形成して安定化するみたいなのには結婚は使えなくなる。
弱者男性観点だと、女性の社会進出に賛成するインセンティブが消えてしまう。
限られた牌を奪い合うと考えると、男性自身の困窮を訴えて、女性への支援を削るアプローチが魅力的に見えてしまうんじゃないかな。