はてなキーワード: 一周忌とは
日本漫画史上最も重要な漫画10選 anond:20241027145010 で参照したもの
『進撃の巨人』の原点 諫山創×川窪慎太郎 ロング対談 | Febri
諫山氏が、担当編集者川窪慎太郎と一緒にインタビューを受けた対談。
『進撃の巨人』すべてはこの男の脳内で始まった――『ダ・ヴィンチ』2014年10月号
世代が完全に切り替わった感じがビシビシ伝わってくるぞ。
【メビウス一周忌企画】インタビュー:大友克洋が語るメビウス(前編)|BDfile
【メビウス一周忌企画】インタビュー:大友克洋が語るメビウス(後編)|BDfile
大友克洋がメビウスを褒めまくるインタビュー。大友克洋は話が本当にスラっとしていて面白いぞ。
他にも、NHKが制作した、往時の大友が秋元治や藤子・F・不二雄の元に手塚治虫を語りに行く「アトムとAKIRA」という最高すぎる番組もあるぞ。
メビウス&宮崎駿対談動画:文字おこしと全和訳1 : メビウス・ラビリンス
メビウス&宮崎駿対談動画:文字おこしと全和訳2 : メビウス・ラビリンス
宮崎駿はメビウスは「流れ星が当たった」のだという最高の賛辞を贈って大絶賛しているし、メビウスは尋常じゃないくらい宮崎駿を褒めているぞ。
その後、49日→初盆にもそれぞれ出席したのだが…
正直めちゃくちゃめんどくさかったし、喪主がやってることはこれの数百倍めんどくさいのが
見ててよくわかった
おまけに金もそれなりにかかってる
今後、自分の親族だけで考えると両祖父母、両親、叔父叔母だけで6回は同様のプロセスを経るのが確定している
結婚式ならまだいい、金払ってその日だけ出席しとけば終わるから
でも葬儀ってなると時間の無い中でいろいろ手配しないといけないし、
そもそも三親等以上の親族の連絡先とか知らないし、葬儀屋に高い金払わないといけないしで
ホントめんどくさいんだよなぁ~~~~あぁ~~~~~~
今まで親族に世話になってきたのは重々承知してるし、彼らの助けが無ければここまで来ることは出来なかったとわかってはいるけどめんどくさい!
こういうやつのことを人でなしだとか言うんだろう
でも、できれば天災とかで親族全員一気に亡くなって面倒をひと手間で片付けられないかと夢想してしまう
49日とか一周忌とか三周忌とか定期的に金を巻き上げるシステム作ったやつ、
マジで死んでほしいわ~~~死んでるだろうけどな!!
亡くなったことは幸せではないし悲しく感じるのは当たり前のことですが、出会えなかったことと比べたら、出会って亡くなるまで一緒に時を過ごせたことは比べようもなく幸せなんです。あなたにとっても犬さんにとっても。
だから、少しの間悲しみを味わったら(例えば一周忌までは悲しんで悲しんで悲しむぞ、と決めてはどうでしょう)、出会えたことの幸せの方にまた戻って、何度でも何度でも、その幸せをかみしめて、そして同じように目の前にあるたくさんの幸せをかみしめてみませんか。
あなたと出会えたことが、犬さんにとって一番の幸せだったことでしょう。そして今は、今日あなたが笑顔で幸せに暮らしていることが、犬さんにとって一番の幸せなんですよ。
お骨、亡き人への愛着だったり尊敬だったりで、お墓に納めずに一部持っておく、みたいな人いるよね
でも、お骨が手元にある事で、亡くなった人と過去に囚われて前に進めない、ということはあるのだと思う
自分は父親がなくなった時に、納骨するのが嫌だと思ったんだよね
冷たいお墓に入れるなんてと
けど叔母さんに諭された
一周忌を過ぎたらちゃんと納骨すべき、ずっと置いておくと気持ちがいつまでも亡くなった悲しい気持ちに引きずられる、残った家族が生きていくために区切りをつけるのが良いと
遺骨を手元に起き持ち続けることで、亡くなった奥さんの死から立ち直れないのなら、今からでもきちんと納骨するのが良いのではないかな
お寺などでやってくれるのでは
去年の夏、がんが発覚し 即抗がん剤治療が始まり 怒涛の治療期間半年が終わった。
ということで、先日 夫の両親、自分の親を呼んで 親族全員の記念撮影をした。
(親にはわざわざ「治療終了記念」とは言っていないけれど)
子どもは一人っ子。第二子などいると親族集まったりもするんだろうけど、下の子いないしそういう機会もなかった。
七五三にも親は呼んでいなかったので、両家の親族が集まるのは子のお食い初め以降初めてだった。
良かった。
私が亡くなると、お葬式・四十九日・一周忌などちょこちょこと集まることになるんだろうけど、私がいないじゃん!
愛犬と愛猫が1周忌を迎えるにあたって、私の部屋で私だけで供養したいと思った。
詳細は避けるけど、愛犬が亡くなったのは、母に責任の一端がある。
母は、自分に都合のいいように自分の記憶を改ざんして、同日の朝亡くなった愛猫が愛犬を連れて行ったと宣っていた。
この人は、いつもそういうことを悪気無くする。
人を傷つけたことも忘れて、自分がいつも悲劇のヒロインだという顔をする。
てか、2匹の命日すら覚えてないかもだけど、念のため、遠ざけておきたかった。
別に母を恨んでない。
愛犬もそれを望んでいないし。
ただ、事実を捻じ曲げたのでなく、本気で自分がやったことを忘れている母の人間性にドン引きしたし、もうこの人と関わって傷つくのが嫌になったのだ。
母のことは好きだ。
いいところも思い出もある。
でも、そういうところが、大嫌いだ。
まるで自分が2匹を一番愛してお世話してきたかのような顔をして、一周忌を取り仕切られるのは我慢ならなかった。
(命日すら覚えていない可能性のほうが高いけど)
そういう、スタンドプレーがイタくて、恥ずかしくて、消えたくなる。
祖母の葬式で、私を含めて全員が静かに悲しみを抱えていたのに、自分が世界で一番悲しんでいるみたいな顔をして、構ってアピールが激しかった。
極めつけは、葬儀の終盤、出棺の音楽が鳴った瞬間、大声を上げて泣き出す始末。
それを同じスタンドプレー大好き継父が「大丈夫か!」と大げさに泣きじゃくる母の肩を抱いて退席する一幕。
私と弟、泣くのも忘れて白眼。
隣の席のいとこも白け切ってるのが気配でわかったし、親戚にも
「お父さんたち、仲がいいわねぇ(失笑)」
と言われて、穴を掘ってでも入りたかった。
私の中で、あの二人はすごくお似合いな「劇場型」カップルだと思ってる。
全てが大げさで、わざとらしくて、見る人が見たら、失笑するレベルなのに、本人らはいたって真面目で、周りは分かってくれないと思ってる。
父は血がつながってないけど、母と同じ血が流れてるのかと思うと、泣きたくなる。
私も感情がすぐ顔に出ることは子供のころから指摘されてきて、周りから浮きがちだったのは母の影響があったからではないかと思うとほんと辛い。
人のせいにできる年齢ではないし、意識して気をつけてるけど。
劇場型なだけならまだしも、すべてを自分に都合のいいように、悪気なく記憶を改ざんするから私はもう関わりたくないんだ。
そもそも、命日だって忘れてる可能性があるのに、たまたま思い出したくせに、まるで一番悲しんでるかのような顔で供養に来るのは許せない。
描いた絵とか見せ合うのすごい流行ってて
私はpixivで見た緑間の絵を一生懸命模写して描いてた で、たまに自分で描いてみたりもした
写しただけだよ〜って予防線張ってても、仲いい子は皆上手い!とか天才!とか褒めてくれて すごい気持ちよかった
でも美術部の中に全然オタクじゃない(普通に漫画は読んでたと思うけど)子も一人いて、その子は多分絵を描くのが好きで美術部に入った子で
描いた絵とかたまに見せてもらったら、いつもめちゃくちゃ上手だったの覚えてる 美術の授業でもよく先生に褒められてて、廊下にクラス全員分の作品飾るときも皆〇〇ちゃんすごい!って言ってて 当然成績は5で
でもオタクじゃないから美術部の中ではちょっと浮いてて、仲間内では私の描いた絵の方が褒められてた
なんでだよってずっと思ってたけど、やっぱ仲の良い身内が描いたオタクっぽい絵の方が受けが良かったんだろうね
大人しいけど明るくて、普段は運動部の子とも仲良くしてるような子だったし
その子も私の絵のこと褒めてくれててさ 二人っきりのときに私が「〇〇ちゃんの方がすごい」みたいなこと言ったら、「いやなんでなの、すごい上手だよ、この緑間イケメンだよ」って
目がでかくて首が細くてアンバランスな緑間の絵を褒めてくれた 優しい子だった
学校ではよく喋るけど遊びに行くほどの仲ではなかった
でも高校のときも通学路が途中まで同じで、たまに朝会うとすごい嬉しかった お互い高校の話とかして、ちょっと話足りないなって思いながらまたねって別れてた
自分は高校では帰宅部で、そのときにはアニメも然程見なくなって絵も描かなくなってた
中学時代に買ったコピックを見るとあの子の絵を思い出して嬉しくなった なんか美大とか行ってすごい人になるんだろうなって勝手に思ってた
坊さんがお経を読んでる間に周りの墓石を見てたら、その子の名前が書いてあるお墓があった
名字も下の名前も珍しい子だったから、あの子の墓だとすぐに分かった
母の墓に線香を立てるとき、自分の母のことよりもその子のことで頭がいっぱいだった 手を合わせるのも忘れていて父におい、と言われた
遊びに行ったこともない仲なのに、あの子のことで頭がいっぱいで今かなり苦しい
昔、とても素晴らしい人と付き合っていた時期があったんです。
その時が。私の一番輝いていた頃といっていいでしょうね。
でも、付き合っているうちに「私なんかがこの人と付き合っていていいのかな?」
「この人が私に束縛されるようなことがあってはいけないんじゃないか?」
あの人の重荷になることが耐えられなかったんですね(笑)
別れた後に、奥居香さんが
「キョンちゃん、詞書きな。あんなに素晴らしい人と出会った想い出を、曲として残すんだよ」
今でも「Mって誰なんですか?」とよく聞かれます。
私はただ「皆さん、よくご存知の人ですよ」とだけ答えるようにしてますけど(笑)
彼との想い出は、私の一生の宝物ですよ
我が子がもうすぐ1歳を迎える。
辛いことや苦しいことは笑顔を見れば吹き飛び、生きる活力をもらえた。
だが、どうしてもひとつだけモヤモヤが残る。どうしてもかき消すことができないのだ。
私の心が狭いのかもしれない、私の常識が、私の感覚がおかしいのかもしれない。それでも、モヤモヤがどうしてもなくならない。
私には弟がおり、弟にも子が生まれた。私と3日違いでの出産。両親は嬉しい悲鳴をあげていた。もちろん、私もとても嬉しかった。
私はおしるしがあった日に、車で30分の実家へと戻った。ほどなくして陣痛が始まった。
陣痛が7分感覚になった頃、弟が仕事から帰宅し「大丈夫?いきみのがしとか、YouTubeとかで予習してる?」と聞いてきた。予定日より1週間も早かったため、正直全く予習なんてしていなかった。夫も仕事で立ち会えない可能性があり、不安だった。そう答えると、弟は「こんな感じだよ。俺ナイスサポートだって誉められたんだよ」と言いながら携帯の画面を見せてきた。それは、義妹の出産に弟が立ち会う姿だった。もちろん細部やデリケートな部分は見えておらず、引きで撮影されているため義妹と弟の声が聞こえるくらいだった。1分ほど見たが、陣痛でそれどころではなく「ありがとう」と切り上げた。頭のどこかに「この動画見ていいのかな?」という疑問が浮かんだが、弟には聞かなかった。その日の深夜に入院し、午前中に出産した。
出産した3時間後、義妹からおめでとう!とメッセージがきた。先に出産した同じ病院に入院していて、少し心強くも感じていた。
私は産後の高揚したテンションのまま義妹に返信を打った。純粋な尊敬の意味で「弟があなたの出産の動画を見せてくれてレクチャーを受けた、私はあなたのように冷静でいられなくて、たくさん叫んでしまって恥ずかしかった」という文言を打ってしまった。義妹からは普通に返信がきて、お互い休み休み行きましょうね、というようなところでメッセージのやり取りは終わった。
これが全ての始まりだった。
産後、私は実家に戻った。少し落ち着いてきて、産後2週間が経った頃だった。
母の携帯に、弟から電話がかかってきた。電話に出た母の様子が明らかにおかしい。ただごとではなさそうに思えた。話していたのは2時間くらいだろうか。げっそりした顔で戻ってきた母は、ものすごく困惑していた。
弟からの電話は、出産の動画を見た私と母に怒っているという内容だった。あとで聞くと、母もその動画を少し弟から見せられていたらしい。
電話を代わると、義妹と、義妹の母が劣化の如く怒っていると、憔悴しきった声で弟は言った。義妹の怒りは主に私に向いているようで、「夫から見せたもので、いくら陣痛中とはいえ、そんなセンシティブな動画を見せられたら『それは私に見せるべき動画じゃないでしょう』と止めるべきではないか?私なら止める。そして、産後ハイとはいえ、メッセージで私本人にそんなことを言うなんて信じられない。」というものだった。
なんてことをしてしまったんだ。絶望感に襲われ、涙が止まらなくなった。必要なら直接謝りに行くと言った。
その夜は自分の行動を悔やんで眠れなかった。
次の日、弟が1人で話をしに実家へ帰ってきた。開口一番、離婚してもいいと言われている、と、憔悴しきった顔で弟は言った。
この際だから、義妹は私たち家族に言いたいことがあったという。特に私には、少し気を遣えない人だなと思っていたが今回のことで全てが繋がってしまい不信感しかないと。
これはどうあっても謝罪に行かなくては、今後の弟夫婦の関係に響く。この段階では、謝りに行くのも辞さない気持ちだった。
以下の内容を聞くまでは。義妹の言い分はこうだった。
①弟夫婦の結婚式が仮で決まった日程が、義母母の命日で一周忌の日だったため、私が母にどうしようかと相談したこと。
→この件について、私が相談したことで母が「まだ日程は本決まりしてないなら変えられないか」と打診してくれました。結局義妹が友達に日程を告げてしまったということでそのままになり、時間がズレていたため私たち夫婦は一周忌に参加した後式に出た。
慶事なのに、弔事を理由に日にち変更の打診をしてくる神経が分からない、私ならしない。ということだった。
→私たちの2年前に弟夫婦は入籍。良い日の重なった日だったので入籍。
これについても、私ならわざわざ同じ日を選びません。とのことだった。
弟には「同じ日にしてもいいか」と事前に相談済。弟はどうぞと言ってくれたので、そのまま入籍した。
③私の娘と義姉夫婦の息子が同じ学年になるように産んだこと。
→「普通は姉弟で話し合って子ども同士の学年がかぶらないようにしませんか?私の母は叔母さんと話し合ってイトコ同士で学年がかぶらないようにしたそうです。比べられたりして嫌な気分になると思いませんか?」
ここで、私は謝る気が失せてしまった。
我が子の誕生にケチをつけられたようで、悲しく、情けなく、こんな考え方の人もいるのかと衝撃を受けた。どうしてそんなこと、言われないといけないの?と、人生でいちばん悲しくなった。
→弟夫婦は実家の敷地に家を建てて住んでいる。確かに、私たち夫婦も余っている敷地に家を建てるという話が出たことがあった。
子どもの学年がかぶっているし、学校が一緒になると比べられたりするし、気も遣うので絶対に嫌だと。私たちの近くには住まないでほしいですとのことだった。
元々近くに住む気はもうなかったし、私にも実家の土地をもらう権利は当然あるのに、どうしてそこまで言われなくてはいけないのか分からなかった。
⑤義姉息子への育児や行事など(写真撮影など)について。私たちが娘にしていることを参考にされたくない。
→同じ写真館を使われたり、同じものを使われたりするのが嫌。義両親が遊びに来た際に、娘のバウンサーを見て「○○ちゃん(義姉息子)にもこういうのあったらいいよね」と言っていましたが、真似されるのも嫌ですし、私の娘の前でそんな話をされたくなかったですとのこと。
真似する予定も、育児を参考にする予定も、一切なかったし、今後することも絶対にない。
→夫は水商売をしており、私も会社員だということは知っているが何の仕事をしているか弟も義妹もよく知らない。
普通話しませんか?不信感しかありません、とのこと。これも聞かれなかったからわざわざ話さなかっただけのこと。そしてその時夫のことを「あの人大丈夫なのか?」とまで言われ、私の悲しい気持ちは怒りの感情へと変わってしまった。
産後、まさかこんなことを言われるとは思っておらずメンタルはボロボロ。自分の感覚がおかしいのかもしれないと思い、新生児期の我が子を抱いて、涙する日々を過ごした。
①-⑥まで、まさに青天の霹靂で、①②については配慮が足りなかったと思っていたけれど、③④⑤と続いて謝る気も引っ込んだ。
③については特に、授かり物である子どもに対してそういう感覚を持つという感覚が理解できず、ショックしかなかった。
弟には、他のことはまだしも、娘の出生のことまでそんな風に思われるとは思っていなかった。動画を見てしまった件と失礼なメッセージを送ったことについては直接会って謝罪するが、それ以外には全く触れないでおくと伝えた。
後日、義妹の父親が実家へ来て私たちに「本当に失礼なことをして申し訳ない」と頭を下げた。その後、弟夫婦は2人で実家へ来て、夫婦で解決すべきことを大きな騒ぎにしたと謝った。
私も、動画を見たことで辛い思いをさせてしまったことは誠心誠意謝った。
動画を見たのは陣痛中でとてもそんなことに気付けなかったことや、産後数時間でのメッセージのやりとりだったため、産後ハイのようになっていて気が遣えなかったことなどを伝えた。
今、全く普通の顔をして弟と義妹は過ごしている。実家にも普通に出入りしているし、4ヶ月の頃に会った我が子を見れば「かわいい〜抱っこしていいですか?」と言い抱いた。
私は、かわいいはずの弟の子をかわいいと思えず、抱くことが恐ろしくて抱かなかった。
いつまでも終わったことを考え続けている私の心は狭いのかと何度も自問自答している。
情けないけれど、あの時弟の口を通して伝えられた言葉の全てを、じきに産後1年が経とうとしている今も、どうしても忘れることができず、モヤモヤとした感情を捨てられないままでいる。
うちの娘はとっくに成人してるがとにかくネチネチと過去のしょーもない出来事を根に持ってて呆れる。
娘が小学生の頃、家族旅行に行ったときにちょうど昼食を食べようと道の駅に車を停めたときに娘が寝てしまった。
寝ている所を起こすのも悪いかなって思って娘を車に寝かせたまま主人と息子と昼食を食べに行った。
しばらくして昼食を食べ終わりそうな時に娘が車から降りて店に入ってきた。その時の娘は「起きたらみんながいなかったしご飯食べれなかった」って怒った。
その怒りは数年間続いて、あまりにも怒りを引きずるものだから仕方なくあの時の店に行って私達が食べたものと同じものを食べさせてチャラにした。
でも、娘は今でも子供が車に放置されて亡くなったニュースを見ると「あの時私だけ昼ごはんを食べれなかった事に怒ってたんじゃなくて、黙って置いてかれた事に怒ってたんだよ。分かってる?」「もしあの時真夏だったら私も死んでたかもね」ってネチネチ言ってくる。もう10年以上も前の事だし謝ったんだから許して他の事に目を向けてほしい。
それだけじゃない。去年義祖母の一周忌があった時、娘はシフト休でその日が仕事だと思って一周忌の事を伝えずにいたら、たまたま休みで後から一周忌の事を言ったらそれも未だに根に持たれてる。
「仕事かもって思っても普通とりあえず声かけとくもんでしょ?ひいばあちゃんの一周忌出たかったのに酷過ぎる。」って。
息子も県外にいて呼んでないし葬式には出れたんだから別にそこまで重要なことじゃないのにこれもネチネチ言って、しかも義母にチクったみたいで少し気まずくなった。
最近帰ってこなくなったし連絡も無いからすごい快適だけど、あのネチネチっぷりを職場やお友達に発揮して迷惑かけてないかが心配。子供の頃から苛められてて学校の先生に迷惑かけて謝りに行ったこともあるから似たようにならないか心配で。
妻の実家に来ている。妻の母親の一周忌に合わせて、妻の実家に泊まる形である。
妻の母親が亡くなって以来、妻の父がボッチ気味だなぁという感じがあったので、こちらに到着次第、妻の父と差し飲みのような形で妻の父親と話をずっとしてた。嫁はその間、嫁の友達と他のところで話をしてた。
妻の父の気分を盛り上げるためにも、「みんなで麻雀しましょうか」と言ったのがあんまり良くなかったようで、妻の父に怒られてしまった。
その場はこっちが謝るような感じで収めたが、正直やってらんないね。怒られたことを妻に共有すると、余計ボッチが進行してしまうから、俺の胸の中に留めるしかない。正直やってらんないね。
悪いけどさあ、おれも仕事でクソ忙しいところで泊まりで妻の実家に来てんだわ。妻とかその兄弟の冷たさがわかってるから、残された妻の父親のボッチ具合もわかるから、飲みに付き合ってたわけよ。
で、ぶっちゃけ、そこに自分の娘のむこが訳知り顔で、飲みに付き合ってます的なことにむかつくのもわかるわけよ。だから、こっちも表面上は謝るわけよ。で、この後も、毎年の盆と正月の年2回ぐらいは愚痴に付き合ってやろうという気持ちはこっちはあるわけよ。で、ほぼそういう付き合ってやる的なものにムカつくのもわかるわけよ。で、ムカつかれてもこっちはとことん付き合ってやろうという気はある訳よ。でも、そこら辺のを、嫁含めて、誰にも打ち明けられない未来がこの瞬間に決まったわけよ。やってらんないね。
なんか寝れないから吐き出し。
本当は良くないの知ってたんだけど、元野良猫なのもあり好き勝手外に出れるようにしてた(避妊済み)
私のことを子供と思ってるのか、夜に学校から帰ってくると必ず家の前で待ってた。
何時だろうが必ず迎えにきた。
近づくと玄関まで誘導してくれるんだけど、止まったり隠れたりすると「ちゃんとついてこい」と言わんばかりに戻ってきて、私が動き出すまでじっとこちらを見てた。
名前を呼ぶと絶対返事をするし、離れていても様子を見にきてくれた。会話のできる猫だった。
尻尾が短くて不器用で、なぜか人のコップで水を飲むのが大好き。でも飲むの下手くそなのでまわりびしょびしょにした。ご飯食べるの遅くて、弟分の猫にとられてた。喧嘩弱いのに私が外にいると偉そうに野良猫の前を歩いた。なんなら自分から煽りに行くイキリ野郎だった。年をとってもなお紐で遊ぶのが好きだった。腹がいつも禿げてて、病院に行ったけど治らず原因不明だった。お腹が弱い子だったのかもしれない。
去年の今頃、すでに私は家を出ていたが、家の大掃除をするとのことで久しぶりに家に帰った。といっても隣の県でよく帰ってるので1ヶ月ぶりという感じ。
実家に着くと猫が風呂場の水を飲ませろとずっと大きな鳴くようになったと家族に言われた。本当にすごい大きな声だった。
もともと流水が好きで、お風呂場の蛇口の味を覚えたか…と思った。大きな声なのは祖父母が耳が遠くなっていて、普通にないても気づかれないからだろうと思った。それで、なき癖について調べたら要求に応えるとさらに悪化すると書いてあったので、大声で泣き出したらお風呂場に入れて水あげてたけどやめようと家族と話をした。いつもの飲み水あるし。その日は大型家具を一掃して家に帰った。
その次の日にご飯を食べなくなったらしく、その翌日に実家から電話が来た。様子を見てたが全然ご飯を食べないしずっと寝てて反応が薄いと。明日の朝病院に行くと。すでに16歳なので、無理に病院には行かないと言われた。天命に任せると言われた。
色々思うところはあったが確かに最近はよろよろで老衰と言われても不思議はなかった。明日の朝1番に連れて行ってくれると言われたので判断は任せた。そのまま明け方に亡くなった。「一瞬おかしくなっちゃって、その後動かなくなった」と言っていた。死ぬ前の痙攣のことだと思った。それでも朝病院に連れて行ってくれて、老衰だと診断された。
その日、私は朝から入院してる家族の病院で先生の話を聞かないといけなくて。始発で行くべきかなとおもったけど、朝病院連れて行ってくれるなら昼過ぎでも大丈夫かなと思ってて。病院の最寄りに着いた時に電話がきて、病院に着いた時はまだ暖かかったけどダメだったと言われた。
あの時、お風呂場の水を飲みたいと言ってたのは、ワガママじゃなくて本当に喉が乾いてたんだと思った。好きなだけ飲ませてあげればよかった。しかも大掃除で大きな環境の変化もあったから寿命を早めてしまったんだと思った。
次の日に火葬にすることになり、一晩一緒に過ごした。最後だからとお供え用のいい刺身を買ったらおばあちゃんがほぼ食べたのを見てマジで殴ろうかと思った。全部猫のやつに決まってんだろ。でも、おばあちゃんはその頃には愛猫を失った可哀想な私モードで、会話にならんかったので諦めた。ていうか、家に着いて猫を抱いて泣いてる私の横で「病院で火葬手配をしてくれた。この病院はいい病院で、私はこんな世話をした。私もピンピンコロリで死にたい、死に際を教えられた」という話を15回くらいはしてたし、最終的に火葬の手配なんて1ミリもされてないしで発狂しそうだった。猫の刺身も「いい刺身が食える」程度にしか思ってなさそうだった。家を出て猫の世話を一任してた身としてはあまり文句をつけないつもりだが、刺身の件だけは一生許さないと思ってる。
火葬用の段ボールに大好きな麻紐と手紙とご飯を入れて送り出した。入院中の家族が退院したときに何もないのは辛いかと思い、共同墓地に入れずに骨を返してもらった。ちなみに、入院中の家族を不安にさせないために猫の死は言うなと言ってたが速攻でおばあちゃんがバラした。速攻で私に言い訳電話してきたのでボケてんのかボケてないのかわからなかった。正直言っちゃうだろうと思ってたが1週間も持たなくて草だった。
今週で猫の一周忌を迎えるので、これを機に骨壷の片付けをしようと思う。ペット用共同墓地は行きづらいので、骨を少しだけもらって、亡くなったペットの骨を入れる用のペンダントとかに入れたいと思う。
祖母は昨年亡くなった。
一年は年寄りたちにとっては短くなくて、葬式には来ていたひとたちが痴呆を発症したりなんだりで今回は殆ど来れないらしい。
順当に行けば、私以外の全員を見送って終えるための人生である。
祖母の一周忌に参加するために、ここ最近はめいっぱい残業をしていた。2日休むので、最低16時間は前倒しで作業しないと間に合わないからだ。
最近は夜遅くまで残業を頑張ると体のあちこちが痛くて、とくに心臓あたりが痛い。息苦しい。
そんな夜は、ずっと仕事にかまけていたから、もしかしたら順当にはいかないかもなと考えたりもする。
何はともあれ、明日は朝から部屋の片付けをして、終わり次第出掛けないといけない。
結婚もせず、当然子供を産まなかった私をおばあちゃんは責めなかった。ありがたかった。せっかく長生きしたのに、申し訳ない気持ちはあったけど。
おばあちゃんのお墓に行って、会えたなら、いつものように謝って、そして、順当を目指せるよう頑張るよと報告するつもりだ。
明日の朝までに、胸の苦しさが納まってくれてばいいなと思う。