はてなキーワード: ハッピーとは
脳の薬でハッピーになっててもらうのが一番だと思うけどなあ
人生辛くて大変そうですな。
文章から想像するに、自分が何をしたいかよりも、他人や周りから言われるままの人間に無理矢理なろうとして無意識では納得できてないし人生をつまらないと思ってる感じがした。
今どき珍しいと感じるくらいのレアな人で1960〜80年代くらいの謙虚すぎる日本人らしい日本人って感じ。
ただそれだとやっぱり人生苦しくてつまらなくないかなーって心配だね。
もっと自分勝手な思いを判断基準に生きた方が充実感あって自立できて自分の人生だって覚悟決まると思うなあ。
自分の素直な気持ちは何なのか、本能で体感して認識して、理性で言語化して、理性的かつ気持ちが報われ昇華できる行動を選択していく方法で現実との折り合いを付けた方が楽しくて周りに良い影響を与えられる人間にもなれて皆んなハッピーなんじゃねえかなーって思う。
めちゃくちゃ今更だが、宇崎のアレで献血行かなくなった
キモオタ絵に耐性はあったが「流石にこれは炎上するやろなあ」と思う側の人間だったので、ネットだと「これぐらい普通だ」みたいな声がデカくてすげえ気持ち悪かった
「いやあの絵は性的に描かれたものじゃん、そりゃ批判はされるだろ」という自分の認識について「じゃあ巨乳はエロってことですか差別ぅ」みたいなスタンスのやつが一番イラっときた
ただ事実を意図的に誤認する人間が嫌いだったのと、「着衣だからエロじゃない」の理屈を通されてこれ以上のものが通るようになったら嫌だなと思ったこと、嫌悪感の理由だった
更に、表現の自由を主張する人々が表現に関しては慣習や公共良俗を無視した「もの凄くリベラル」な主張をするにも関わらず、少子化を理由に女性の生き方の自由を否定する人間が多かったのも腹立たしかった
炎上を追いかけてていると、ともかく冷笑系、茶化す発言、ストローマン論法、行きすぎた個人攻撃が目につき不愉快であった
ともかく「表現の自由を主張する人々」にただならぬ嫌悪感を抱くようになった
そしてキモオタが赤十字の声を代弁し始めてから、その嫌悪感は赤十字のほうへ飛び火した
赤十字側は出版社との取り決めか担当の趣味かなにかで適当にコラボ先を決定し、提出されたイラストを何も考えずに使っただけだろう
それで炎上させたのはちょっと頭が足りない気もするが、始めは赤十字には特に悪感情はいだいてなかった
「オタクは献血によく行くから偉い。外野は黙ってろ」のような赤十字と自由側vs規制側のような分断を煽るような主張を多く目にして、しだいに表現の自由に抱くのと同じような嫌悪感を抱くようになった
自称献血関係者アカウントが女叩きに興じ、それにキモオタが群がるみたいなのも見つけてさらに嫌いになった
そうして、赤十字自体がなんだか嫌なものとして自分の中で認識されてしまった
また決定的なこととして、あるキモオタが「若くて健康な童貞の血が最高なんだ」みたいなこと言ってて、それにのっとればあのポスターを支持できない人間は献血の呼びかけは<not for you>ってことだよなあと思ってしまった
血もそんなに濃くなく200mlしか取れない自分はまあ要らんのかなと
宇崎炎上のあとも一度だけ献血に行ったが、モヤモヤしてあの微妙に優雅な空気やお菓子、優しい看護師さん、採血(採血が好きなのだ)を楽しめなかった
「表現を守るために献血に行こう」みたいな呼びかけも目にして、献血に行くことで間接的に支持を示す羽目になってしまうのも嫌だなと思って完全に行くのをやめた
ポスター自体の悪印象というよりは、炎上を通して差別的な発言、嘲笑、誹謗中傷、くだらない喧嘩、分断を煽る発言もろもろを目にしてしまって献血も赤十字も嫌になった
個人的には、普通はあんなポスター貼らないだろと思う。小学校に貼れないポスターを役所や駅に貼るべきじゃないと思うからだ。ただ、そういう個人的な考えが議論の場に引っ張り出されてイデオロギーに巻き込まれて批判非難の対象になるのはすごく疲れる。それはキモオタ側も同じだったろうけれど。
フェミだってキモオタに理解を求めてレスバなんかせずに無視し、粛々と自分のTLで意見表明すれば良かったし、キモオタも炎上しても無視、批判も表現の自由、ただポスターは貼り続け献血に通うみたいな対応もできたはずだ(実際そのほうが炎上は早く収まるだろう)。しかし、皆発言せずにはいられなかった。自分が「間違ってる」と思ったことに意見表明することをやめなかった。きっと人間はイデオロギーから逃れられない生き物なのだ。
ただ採血と優しさ目当てに通っていただけなのに、炎上が起きて性的消費だとかジェンダーだとか表現の自由だとか公共良俗だとか果てにはヘイトスピーチの自由にまで、社会の様々な問題について考えさせられるようになったのが嫌だ。献血という他意のなかった行為が、イデオロギーに巻き込まれてしまったのが嫌だ。
現代じゃ性別は生き方を大きく左右するし、男女が異なるものである以上、不平等に感じる人は必ず何処かに出てしまうだろう。だから誰しも自分の性のあり方について多少の思うところはあるのが当然だ。でも、仕方ないことだと目をつぶってやり過ごしてハッピーに生きたい。
表現の自由だって素晴らしいが、慣習に沿った社会で守られるものも沢山ある。自由にも不自由にも疑問を抱かずに生きられるならそれに越したことはない。自分の思い通りの社会になるに越したことはないが、完璧にコントロールするのなんて無理だから「そういうものだ」と諦めて無難に生きたい。
社会問題を刺激されることで、「無難に生きていた私たち」が実は異なる意見を持つ違う人間なのだと気付かされるのがめんどくさい。だから賛成か反対か、赤か白か問われたくない。献血は私にその問いを突きつけてくるものになってしまった。楽しい献血のために、炎上するようなポスターを使わないで欲しかった。(それに、環境型セクハラだと思うこともやめて欲しいし、不快に思うのもやめて欲しいし、感情をTwitterに書き込むのもやめて欲しいし、表現の自由を求めるのもやめて欲しいし、批判されるような絵を公開しないで欲しいし、表現に対する批判ぐらい我慢して欲しいし、表現規制も我慢して欲しいし、自分を論理的だと思い込むのも見苦しいからやめて欲しいし、フェミを不快に思うのもやめて欲しいし、炎上してると意見表明するのもやめて欲しかった。)
社会に問題提起するマーケティングなども世の中にあるし、それはあっていいと思う。が、献血はそういう問題を刺激しないで欲しかった。世の中必要以上にめんどくさくしないで欲しい。ともかくわたしの持つ赤十字のイメージは落ちた。
楽しく採血されたかっただけなのに最悪の出来事だった。「採血される!しかも褒められる!優しくされる!お菓子ももらえる!」という大人に唯一残された「お注射我慢できたえらいね(つ🍬)」の楽園を踏み荒らされてがっかりである。ヘアドネーションのめんどくささや骨髄バンクのハードルの高さなどを考えても見て欲しい。献血に勝るエキサイティングでお手軽なイベントはない。それがイデオロギーに汚されて手放しに楽しめなくなったのがなによりムカつく。
ところがどっこい
菅内閣がぱっとしなければしないほど
「やっぱり安倍さんじゃないと駄目だ」と安倍再任待望論が盛り上がる寸法
3期目の可能性は十分ある、というより狙ってやってるとしか思えない
そして北方領土失陥、拉致被害者失陥、竹島尖閣進展せずその他も全部
ハッピーそうに見えたかとかといえば、ちっともそう見えないんだよね
彼らいかに安倍政権が8年間続いてモリカケ桜その他は追求されずやり放題でも
常に一貫して
「日本は中国韓国と国内の左翼に脅かされる~このままでは日本滅亡だ~」
みたいな悲観的な愚痴ばっかり叫んでる
(左派もこれを綺麗にひっくり返して同じような態度だ)
どの行動取っても、あるいは現状維持でも、とにかく全部間違いしかなくて八方塞がりみたいな状況
一個でも崩そうと思えば全部崩れるみたいな状況
あるよね
現状についてメモ帳に小論文書いてみたけど、どうやっても詰んでる
___
でも正論で殴ってもお互いに傷つくだけ
せめてどうにかしようという気が自分以外にもあればいいが、そんなことはない
全部投げ出したい気分
___
振り返ってみれば人生ずっとそんな感じだった
頑張って取り繕うか、投げ出して逃げるかの二択をいつも迫られた
自分が取り繕ってるソレに対して一緒にケツモチしようって人が居ないんだけど、それって魅力が足りてないとかそういうのなんだろうか
例えば誰かが持ってきた仕事において、最終的になぜか自分がケツモチしてたり
例えば世の中を良くするサービスを作りたいと言われて、作ってあげた結果なぜか自分がケツモチしてたり
例えば勉強を教えてくれと言われて、教えてあげるんだけど本人の方が先に飽きていたり
せめて自分が言い出したことなら自分で選択するけど、いつも我慢するか投了するかの選択権をいつの間にか持っている
気づけば自分以外は飽きてる
取り繕っても投げ出しても気づけばまた孤独になる
今回はそれでも一生面倒を見る気で頑張ろうと思ったんだけど
やっぱり本人が飽きたら無理だよね
また無理やり取り繕うか投げ出すかの二択になってる
結構長いこと支えてきたけど、そろそろ破綻の足音が聞こえてきた
今回は投げ出す勇気がない、どうなるだろうなあ
大学も職業訓練校に転用したくて仕方がないみたいだし、学問そのものがもう国にとって不要だって事だよね。
わざわざ学者が貴重な時間を割いて提言まとめたって、「ゴミ袋有料化」とかいう糞みたいな政策の言い訳にしか使われないんじゃ無意味でしょ。
どうも世間の目には、既得権益に胡座をかいていた無能の上級国民様が、
政府から突然はしごを外されて大慌てしているのが、ざまあみろって感じで面白く溜飲が下がるらしい
学術会議やハンコの件でわかったように、菅政権はどうやら構造改革に力を入れる方針らしい
安倍政権の表向きの金融政策重視路線や、日本では久しく実現していない減税などの財政政策ではなく、
なんかどっかに悪者がいたり悪い制度があるので、それをやっつければ日本の経済は持ち直して、みんなハッピーという考え方らしい
みんなハッピーどころか一部のレントシーカーを除いて、みんなが貧しく不幸になりかねない
どうやら日本国民の大多数は、みんなで幸せになるよりみんなで不幸になるタイプの平等を望む心性が強いらしい
菅首相はそれを非常に熟知しており、それもあって学術会議に手を突っ込んだのだろう
好きな人とは一生分かり合えないと一線を引くし、嫌いな人とはビールジョッキで乾杯をして、「わかる!本当にあれはうんこ!」と言って楽しく飲み明かしたいくらいに嫌いだ
書店やコンビニで書影がちらつけば、回れ右をするし、ツイッターでわたしのタイムラインにこの異物を流し込む輩がいれば、すかさずミュートをするだろう
もうずっと嫌いなのだけれども、やつのいきおいはとまらず、部数を伸ばしている。
世も末だ
どうして、わたしはこんなにも嫌いなのか。
嫌い続けるにはエネルギーがいる。
1巻が出たばかりの時、買って読んで無理だと売っぱらった。
だから、わたしの知識は1巻止まりだし、記憶もあやふやだが、嫌いなところをあげる
主人公の女がムカつく
そんな女が楽勝プレイでチヤホヤされて、ハッピーな世界なのに、「難しい」とタイトルで銘打ってるのがムカつく
以上です。
恋は難しいと言われているが、オタクのそこそこイケメンの彼氏と速攻付き合い始める。
難しいとはなんなのか。著者の国語辞典は著しい乱丁をしている。取り替えてもらったほうがいい。
仕事もてきとー(若い女であることを利用し、やってもらう)、創作もしない(読み専)と、なんというか…美味しいとこ、楽なところだけ拾っていくのだ。
なに?これ?著者のハピハピ妄想か?
苦難もなにもない
そのくせ難しいという。
それは、親のコネ入社で、ほとんど働いてないくせに名ばかり役職で高給取り。そんな社員が平社員に「仕事って大変!」と言い出すようなものだ。
冬の吹きっさらしの中、一晩中ドブにハマっていてほしいと願ってもおかしくないだろう。
というわけで、わたしはこの作品が大嫌いだし、この作品を大好きっていう人も苦手だ。
近刊では違うよ!続きを読んでみて!という人もいるだろう。
でもあれを、わたしは視界にも、もう入れたくないのだ。