私はなんとか大学院を出た。
院試を受け合格通知が来たときから修了後2年ほど経った現在でも、学位に見合った実力は自分にはないと思っている。院に受かったこと自体、今でも信じられない。
学生のときには自分が何をテーマに、何をしたいのか、自分のために考え、それなりに手も動かしてできる限りのことはやったつもりだった。
だが、いまだに自分がどうしたいのか、どんな思考によって創作という行為をしているのか、それによって何を期待しているのか、何もかもよくわからない。
とはいえまずは経済的に自立しなければならない。何をするにもお金は必要だ。生きていくにはお金を稼げなくてはいけない。
そして学生の期間が終了したら社会に出なければならない。社会生活を送らなければならない。私は自分の作品が金になるとは思えなかったので、なんでもいいから会社員になって安定した収入を得ることが第一だと思い、中途採用という形でなんとか就職することはできた。創作云々は、社会生活を送りながら時間をつくってやればいいのだ。
過去に様々なトラブルに遭遇し、それは自分にも非があることが多いからだ。
あのときちゃんと断っていれば、あのときちゃんと逃げていれば、あのとき本当のことを言っていれば、あのときちゃんと自分の考えを伝えていれば。
様々な後悔があり、その大半は十数年経ったいまでも引きずっている。ネットのどこかで見た表現だが、「宿題を終わらせていない夏休みの最終日が毎日続いている」ような感じだ。
すっきりしない。肩の荷が下りない。毎日何かに懺悔し、後悔し、罪悪感でいっぱいになり、無力感に襲われる。
過去の自分の判断力、行動力を、いつまでも責めている。そんなことしても無駄だとわかってても、過去の自分が許せない。いや、自分にしてはよくやったほうなのだとも思うが、それでももっと最善を尽くせたのではないか?
仕事自体は楽しい。職場環境も人間関係も悪くはない。そもそも正社員として会社に入れたことが恵まれていることをもっと感謝しなくてはいけないと思う。
現状にもっと感謝しなくては。私はまだまだ全然良いほうなのだと、もっとありがたみを持たなければ。
一体なにに不満があるというのか。なにが「しんどい」だ。そんなこと言える身じゃないだろ。甘ったれるな。
人から傷つけられたこともあったが、自分も知らないうちに人を傷つけているのだろうし、傷つけた自覚があることもある。
大学時代は楽しかったけど、その楽しい思い出を卒業後の自分の言動でどんどん壊していっている。崩壊しかけている。
自分で撒いた種だとわかっていても、やはりあのとき無理してでも、表面だけ取り繕ってでもやっていればよかった。
グループに居づらい。連絡を取り合うのは年に数回程度、誰かが結婚してその招待がきたときくらいしかしない。グループに向けて言葉を送っても、明らかに私に対してだけ返信がない。反応がないというのはこんなにつらいものなのか。
無視もつらいが、それに感づいて哀れんで別の子が返信してくれる、それもまたきつい。心のどこかで馬鹿にしてるんだろうな、「気を遣って返信してる自分」を大人だと思って悦に浸ってそうだなとか考えてしまい、そんな自分がまた嫌になる。
こんなことで悩んでても仕方ないのだが、心のどこかでずっと引っかかって、気持ちが悪い。こんなこと悩んでても仕方ないのに。詫びのプレゼントでも送ればいいんじゃない?行動に移せよ馬鹿。
なんでこんなことを書き、誰かに向けて発信したいのだろうか。
聞いてくれる人が周りにいないからだ。
人生辛くて大変そうですな。 文章から想像するに、自分が何をしたいかよりも、他人や周りから言われるままの人間に無理矢理なろうとして無意識では納得できてないし人生をつまらな...
無駄に考えて生きる癖を直したいよね。世の中論理より感覚だし反射的に動かなくちゃいけないことが多くてつらい。
単に過敏で傷つきやすいだけだぞ ギフトでもあるけど
そうなのか。今までかなり心であの人は感覚の人だから〜みたいな罵倒をしてたわ。ひまわりのように生きたい。何となく。
つながりがあるならまだ望みがある。うまいこといきますように。