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はてなキーワード: センセーショナリズムとは

2024-08-05

フィクションにおけるセンセーショナリズムがアホくさいと感じられるようになってしまった

エグい展開や露悪的な設定が売りの作品というのは下品タブロイドとたいして変わらないんである

2024-06-22

anond:20240622163020

表現の自由というより、報道の自由からなぁ

悲しい事に報道の自由は左右に広く嫌われている概念で、表現の自由センセーショナリズムに駆られたマスコミに脅かされることがままあったから、いわゆる表自は報道の自由制限されるべきだと考えているんじゃないか

2024-02-01

anond:20240201160549

今後もクリエイター10年か20年前の嫌韓嫌中発言が掘り返されて燃やされるし、

現在進行形トランス女性叩きしているあまり売れてない感じの女性作家も、将来ヒット作を出した時に今よりLGBTQ+フレンドリーになった社会過去のTERF発言を掘り返されて燃やされるのだろうな。

それをPV目当ての悪意のセンセーショナリズムバカが乗せられていると批判しても止められまい。

2023-12-29

anond:20231229101713

SNSを信用し過ぎるのが悪い

未だに、

逮捕→即「犯罪者め!」

訴え→即「大問題だ!」

オマエそれ自分の日々の生活と直接なんの関係もないだろ😩

ジャーナリズムではなくセンセーショナリズムに反応する社会嗜好に問題がある

2023-05-06

anond:20230506074203

差別問題に限らず、なんらかの問題社会規模で対処しようとしたら「利権」が生じるのは当り前のことだ。

原発問題もそうだ。コロナ問題もそうだ。防災問題もそうだ。途方もない規模のカネと権力が動く世界だ。なぜなら、社会問題解決にはまとまった予算必要からだ。

自助」で原発事故コロナ禍や大震災大津波や大噴火対処できるかといえば、それは無理である

したがって「利権」の存在自体ただちに悪いとは言えない。利権が悪いのではなく、利権悪用した犯罪行為が悪い。

コラボ会計問題では今のところ誰ひとり逮捕起訴されていないし有罪判決を受けていない。今後も多分そこまでは行かないんじゃないか

コラボ同和団体は「刑事罰対象となったかどうか」という点で根本的に違う。


鳥取ループあたりは「コラボ問題ネオ同和だ」と喧伝しているが、それは単なるセンセーショナリズムに過ぎない。

物事本質がよく見えていない有象無象イメージでワーワー騒いでいるだけだ。

鳥取ループや暇空あたりが何故そうやって騒ぐかといえば、彼らはそれで儲けている立場からだ。

いうなれば「反利権」を掲げた営利活動だ。「利権イコール悪」という表面的なイメージに便乗した金儲けだ。

そんな活動に利用されて鳥取ループや暇空の小遣い稼ぎに協力するのは愚の骨頂だ。


同じ商売の仕方で儲けていたのが立花孝志だ。

NHK放送利権をぶっ潰す」。そんなスローガンを掲げれば情弱からカネががばがば入ってくることに気づいたのは立花孝志の慧眼だ。

これぞ俗情との結託利権たたきはカネになるのだ。

このビジネスモデル嚆矢は「郵政利権をぶっ潰す」の小泉純一郎だったかもしれない。

勇ましいスローガンで胸がスカッとしたが、小泉改革の結果、本当に暮らしは良くなったか


いわゆる貧困ビジネスも「利権」の巣窟になっている。

生活困窮者アパートに住まわせて生活保護費を着服する行為では、たびたび逮捕起訴され有罪判決を受ける者が出ている。

しかし、こういう本物の社会悪としての「利権」には鳥取ループ(示現舎)は関心を持たない。なぜなのか?


なぜかといえば、彼らネオリベは貧困ビジネスで公金チューチューしている輩と同じ穴のムジナだから、というのが正解だろう。

彼らの行動の動機は、どんな立派そうな大義名分を掲げていようと「自分個人が儲けること」であって「社会を良くすること」ではないのだ。

良心の欠如

自分個人が儲けることにしか関心がない

社会のことはどうでもいい

その点で彼らは竹中平蔵とも話が合いそうだ。鳥取ループ、暇空茜、立花孝志、小泉純一郎竹中平蔵、みんな同じニオイがするだろう?


皮肉なのはこの「利権イコール悪」という思考停止的な図式の流布に一役買ったのが日本共産党ライター一ノ宮美成と寺園敦史)による『同和利権の真相シリーズだったことだ(※)。

かつて日本共産党解放同盟との縄張りいか俗情と結託して広めた図式が、回り回って日本共産党自身に跳ね返ってきたとも言える。

因果応報とはこのことだろう。


もっと解放同盟場合は本当に利権悪用して暗黒面に転落したのである

2020-09-04

anond:20200903235546

ブリーダーとかの商業的な倫理問題を、ぜんぶ消費者転嫁してこき下ろして見せるというのは、はっきり言って独善しかない正気と思えん言説だよ?

その論法だと、Apple製品を使う人は悪人Amazonを利用する人は悪人コーヒーを飲む人は悪人鶏肉を食べる人は悪人、なんでも誰でも悪人にできる。

目線問題ではないとか言ってたけど目線こそがそういう傲慢を招き、神の視点で非建設的なことを言っちゃう人を議論の場に招く結果となる。

重要なのは倫理的な問題解決できるように消費者を賢くすることであって、消費者経済自体への嫌悪を煽るセンセーショナリズムではない。

2019-09-10

教育委員会は嘘つき」か?

また一人が自殺という傷ましい結果に向かう出来事があった。その発端に「いじめ」があったことは、おおむね事実と考えたい。その上で、各社が見出しにしているこの文言、そして取扱方は全くフェアではなく、ハッキリ言って問題解決には何の役にも立たないどころか有害であると私は思う。

まず、記事引用

教育委員会は大ウソつき” 15歳男子生徒が自殺 埼玉 川口2019年9月9日 18時16分:NHKニュース

埼玉川口市の中学校に通っていた当時いじめを受けたとして、自殺未遂を繰り返していた15歳の男子生徒が、8日、自殺したことが分かりました。いじめについては、市の教育委員会調査を進めていましたが、生徒の部屋には、「教育委員会は大ウソつき」などと書かれたノートが残されていたということです。

関係者によりますと、8日の未明埼玉川口市の小松田辰乃輔さん(15)が市内のマンション敷地内で死亡しているのが見つかり、屋上から飛び降りたとみられるということです。

小松田さんは中学1年生だった3年前、部活動の先輩や同級生から悪口や仲間はずれなどのいじめを受けたと訴えましたが、学校対応失望し、自殺未遂を3回繰り返したということです。

その後、おととし11月になって、市の教育委員会第三者委員会を設置し、いじめ調査を進めていました。

中学校卒業した小松田さんは別の学校に通っていたということです。

自殺したあと、小松田さんの部屋から見つかったノートには、「教育委員会は大ウソつき。いじめた人を守ってウソばかりつかせる」と、教育委員会対応批判する内容が書かれていたということです。

川口教育委員会指導課の三浦伸之課長は、「本人への聞き取り要望していたが、話せる状況にないということで実現していませんでした。教育委員会への不信感を訴えて自殺したことを重く受け止め、対応問題がなかったか確認したい」と話しています

教育委員会は大ウソつき」

小松田辰乃輔さん(15)の自宅の部屋には、市の教育委員会対応への批判が書かれたノートが残されていました。

ノートには、「教育委員会は、大ウソつき。いじめた人を守ってウソばかりつかせる。いじめられたぼくがなぜこんなにもくるしまなきゃいけない。ぼくは、なんのためにいきているのか分らなくなった。ぼくをいじめた人は、守ってていじめられたぼくは、誰にも守ってくれない。くるしいくるしいくるしいくるしいつらいつらい。ぼくの味方は、家ぞくだけ。くるしいつらい」と書かれていました。



そう考える理由

まず、この生徒と教育委員会は直接面談できていない。

課長「本人への聞き取り要望していたが、話せる状況にないということで実現していませんでした」

どんないじめ事件であっても、片側の言い分だけで解決することは難しい。周囲から意見も、バイアスがかかるので参考程度にしかならない。あくまで「本人」から聞き取り必須の要素である。もちろん、保護者はしばしばそう考えない。それは「ウチの子が嘘を言うわけはない。それはずっと育ててきた私たちには分かる。この子には問題などない。実際いままでは問題なかった。なのに今この子がこんなに苦しんでいるからには、周囲に問題があるはずだ。」と、そう考えるからだ。

だが、教職員、あるいは教職員出身教育委員会事務局関係者はそうは考えない。どんな子も状況次第で嘘をつく可能性はある。その子をずっと育ててきてはいないとしても、何十年にわたって同年代の子供を千人以上見てきた経験からそれは言える。問題の無い子などいないし我が子を過信しない親というのもまずいない。これまで他との関係性の中では起きなかった本人自身問題が、別な関係性の中で発現することも充分あり得る。場合によっては、そのことを直視自己問題(それは保護者との関係性の問題である場合もある)に気づくことが本人の成長に必要なことさえある。だから、苦しんでいること自体はその子の非責任性(その子責任がないこと)の証明にはならないし、いずれにせよ、周囲に問題あるかないかも含めて本人への聞き取り必須だ、と考える。教育職のプロフェッショナルなら、誰しもそう考える。

そして、それを阻害していたのがおそらく保護者だ。

本人「ぼくの味方は、家ぞくだけ。」

この家族は、生徒本人に「味方」と認識されていたとのことだ。それ自体は間違っていない。結果として防げなかったとしても、味方がいると信じさせることが命を救うこともある。だが、「生徒から味方と認識されること」は重要だが、それは「自分たち以外の全てが敵だと認識させること」とイコールであってはならない。家族は、問題を適切に解決に導けるよう、教育委員会と協力して問題にあたることが必要であり、可能なら、自分たち利益に沿って動いてくれると信じられる適切な第三者(たとえば代理人としての弁護士)をたてて交渉した方がよかった。教育委員会立場上、加害者とされる生徒も含めて「両者の利益を最大化するように」動くのは当然であって、何ら問題ではない。教育委員会が、真理を解き明かす(捜査能力のある)機関でもなければ、罰を下す(司法機関でもなく、教育を通して社会全体の益を最大化するための機関である以上、それは当然のことだ。そのためには、当然「いじめた側」の話を聞き取る必要もある。当然ながら、それはあくまで「片側」の聞き取りに過ぎないから、話半分にしか聞かないし、「いじめられた側」に「~と言っているがどうですか」と聞くのは、単に双方に対する事実確認以上のなにものでもない。にも関わらず、

いじめた人を守ってウソばかりつかせる。

というような受け取り方をされるのはどういうことか。生徒本人と会えていない以上、これは、保護者がそういう伝え方をしたと考えるしかないわけだが、「いじめた側」の言い分を聞くことが「相手に味方することであり利敵行為だ」と捉えるような見方保護者がしていたのでは、事態解決に向けた健全な協力関係を作っていくこと自体が難しい。

そのような状況で、教育委員会への不信を連ねた(極めて一方的な言い分を)書き連ねた遺書見出しに掲げることに、一体どのような意味があるだろうか? 上記を踏まえれば、教育委員会が「嘘をつかせた」というのは明らかにおかしい上に、教育委員会はそんな嘘をそもそも「信じていない」可能性の方が高いだろう。問題は、あくまでそのような状況における教育委員会家族の協力を台無しにさせたそのような敵対的関係であり、ではそのような敵対的関係を作り上げたのは何かと言えば、このように不安を煽るマスコミセンセーショナリズムがその一因ではないのか。

もちろん、教育委員会の極めて「お役所対応」が保護者の不信感を買うことも、事態の一つの側面ではあろう。その点については、できることは重々反省した方がいい。しかし、この件で教育委員会対応に特段の問題があったようには自分は感じない。強いて言えば、なんとか家族を説得して、生徒本人と経験豊富指導主事なりが対話できればよかったが…という位だ(それができなかったからこうなったのだが)。それができたら生徒は死ななかったのか、と言われれば、私は「おそらく死ななかった」と答えよう。直接会えば、生徒も「教育委員会の人も敵ではない」ということを理解できた可能性はあるからだ。教育委員会の人も「僕を守る人」だということを理解できたかもしれないからだ。これは、家族批判しているのではない(そんな死体蹴りがしたいのではない)。家族(と本人?)をここまで頑なにさせてしまったのは何か、という話だ。

ぼくをいじめた人は、守ってていじめられたぼくは、誰にも守ってくれない。

そう思わせたのは何なのか? 学校教育委員会が100%悪? それでいいのか?

そもそも自殺した」ことをもって、その人を全肯定する理由とはならない。たとえばマスコミは、この生徒の「いじめられた」という主張が実はいくらか大げさであり、周囲の生徒から困惑コメントに対して「あいつらは嘘をついている」と意地を張りたい生徒があてつけで自殺未遂を繰り返した、みたいなケースについては想定したのか。そのような場合であっても、同じような見出しを付けて教育委員会問題を指摘するのが適切な報道と考えるのか。いずれにせよ私は、このような形で自殺した生徒について大げさな報道を繰り返すのは、そしてその後についてはまともな調査報道もしないというのは、ただのセンセーショナリズムでありゴシップ誌の発想でしかなく間違ってもジャーナリズムではないと考える。


事実というのは、そんな単純に善悪を切り分けで説明できるものではない。少なくとも、このような事件に絡んで「教育委員会が悪いから生徒が死んだ」という極めて単純なストーリーしか描けないとしたら(言い換えれば「教育委員会を罰すれば問題解決する!」とか思うのは)、それは単純な正義感を振りかざす危険人物であり報道だと思う。

2019-05-28

女児ら2人死亡

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45349560Y9A520C1MM0000/?nf=1

「うち小学6年の女児12)と男性(39)が死亡した。」

女児タイトルにするんだなぁ

センセーショナリズムだなぁ

こういうときおっさん価値は低いんだ

と思いました

2018-11-24

マスコミもどきになりたい人は、一定数いるのだと思う。

Togetterのまとめタイトルなんかを見てると、

タイトルにもうすでにセンセーショナリズム漏れている。

ブログにも、動画にも。

2016-06-24

村中氏の取材能力および発信の信頼性についての疑義

http://anond.hatelabo.jp/20160622195905

http://anond.hatelabo.jp/20160319223736

村中氏自身ジャーナリストとしての能力規範に大きな疑義がある点がスルーされているのが気になる。

医師を名乗りながらも身元を確認できないという根本的な問題もあるが、なによりも重大なのは以下の点であろう。

村中氏は子宮頸がんワクチン被害者未成年患者への取材を試みたのだが、その手法は明らかにジャーナリストおよび医師としての倫理的規範を踏み越えている。

村中氏は患者の通学先の教諭らに個人情報を探ることをたしなめられたにも関わらず、周囲の友人から患者個人情報不正に取得し、保護者同意も得ないまま立場を隠して未成年患者に接触し、強いストレスを与えている。

http://ameblo.jp/3fujiko/entry-12146291915.html

これに対して当然、保護者側は正式に抗議している。ウェッジ側は「村中氏の認識と相違があり」としているが、LINEデータ等の証拠を押さえられているため、どういう相違があったのかはまったく具体的に述べてない。

http://ameblo.jp/3fujiko/entry-12149998014.html

村中氏はこれに対し、謝罪するどころか自身の異常な取材行動を隠し、あろうことか抗議した保護者らに非があるかのように印象操作する記事を書いている。当然、患者保護者本人に対する取材存在せず、真偽不明の伝聞情報ばかりである

http://ameblo.jp/3fujiko/entry-12154916141.html

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20160424-00010001-wedge-soci

これらの経緯を見るかぎり、村中氏にはまともな取材能力ジャーナリストとしての規範が欠如していると判断せざるをえない。

自身に都合の悪い情報は隠し、思い込みにしたがってストーリーをつくりあげ記事にする行為常態化している。

今回の記事においてもやはり真偽不明の伝聞情報ばかりで、また「捏造」とのアジテーションも悪質なセンセーショナリズムのものである

基本的規範を身につけないままに目立つ舞台に上がってしまい、上役に望まれるままの都合のよいストーリーを作りあげていった結果とんでもないところに行ってしまうという、某事件類似事態が生じているのではないか

村中氏のジャーナリストとしての信頼性は著しく低く、立場に引きずられて氏の活動応援するのはまともな人にはお勧めできない。

2016-04-19

回答してみる:「テレビ局地震報道の後進性 どうしてアナクロな…

https://note.mu/enkykliospaideia/n/nc971ac77b96c

この話ね。まず、

1 技術が活かされてないと感じる

テレビというメディアは単純な受身型のメディアという面がありますが、最近地上波デジタル放送によって双方向対応したり、サブチャンネルによって各局複数情報を同時放送できるようになってます。でも、そういったことが災害報道では全く活かされないのはどうしてなんでしょう?

なっているのは規格だけ。双方向で送れるのは5つのボタンを押したかどうかだけだし、その情報インターネットがつながってないと送れない。停電しているところに「無事ですか?」ってアンケート送ってそれに対する返事があったりなかったりすることが災害報道で活かせるかというと、ないよりましな程度。

地上波デジタル放送になって、テレビチャンネル複数放送できるようになっているのに、それを活用しないのはどうしてなんでしょう?

複数放送できる規格になっている」だけ。

サブチャンネルは、リアルタイム動画エンコーダ複数持っていないと放送できない。MX複数チャンネル活用しているね。あとは、関東地区キー局関西地区準キー局、あとはプロ野球ホームチームが強いところだと複数エンコーダをもってる可能性があるけど、熊本微妙。使うかどうかわからないSD動画エンコーダを入れるってかなりの経営判断になるし、これを書いた人は2006年位に佐々木俊尚が「2011年新聞テレビ消滅」とまで煽っていたことを忘れているんじゃないかな。実際5年間の移行期間の出費とデジタルTVの普及率次第ではそうなる可能性もあってどこもなるべく安く導入しようと必死だったから。たぶん、双方向データ放送制作設備なんか、もってるところのほうが少ないと思う。

資料をその場でハンディカメラとかで写してくれてもいいんじゃないかと思うのです。

そのアイデア面白いHD化しているのでもしかしたら映るかもしれない。ただし、筆者はたぶんお役所が出している資料がどれだけ読みにくいもの認識の外にあるんじゃないかとも思う。資料PDF役所webサイトに公開されているし、それを再生紙印刷したら、手持ちのカメラを使って録画して見てみるといい。

ちなみに、「どのチャンネルも同じ絵を映している!もったいない」はたぶん担当者も同じことを思っていて、記者会見なんかは余裕のない地方局を中心に代表カメラを出してあとはそれを分配、なんてこともしているけど、これその代表者撮影に失敗しても泣かない、ということとトレードオフなので重要なところほど他に任せられなくなるという問題がある。

2 センセーショナリズムから抜け出していない

被災地悲惨な状況や、困窮、資源の不足を取材したのなら、そこにうまくそれを助けるために私たちが何ができるか、義援金のお願いや救援物資の送り先といったもの情報をうまくセットにして常に伝えるといった工夫が足らない

義援金のお願いは普通にしている。ニュースの〆に流れているカンガルー災害募金(今は別の名前になっているけど)とか、ドラえもん募金とか聞いたことないとは思わないけれど、それがセットになって伝わっていないとなるとちょっと厳しいかもしれない。

救援物資の送り先は基本的には流さない。なぜかというと、救援物資が足りない、と言われてから個人に用意されてもどうにもならないから。そもそも、困窮とか資源の不足の話、今回の熊本地震では、東日本大震災の時の教訓もあってかなり抑制的になっているというか「(届けてくれるところはあるけれど)それが来るまでの数日が足りない」っていう話とセットになっていたはずで、本当にこの人、災害報道見ているのかちょっと怪しいと思った。

3 リソースの配分がおかしいのではないか

延々テレビ局スタジオから放送しているのに、出てくるのは切迫した雰囲気で伝えるアナウンサーと、わずかな地震学者や地質学者系の専門家だけという感じなこと

バラエティ番組情報番組であれほどコメンテーターやら、何やら評論家やらをたくさんテレビ局に呼んで並べているくせに、こういう長時間放送の時にこの人の少なさはなんなんでしょう?

もっと役に立つ人がいるなら呼ぶから、こういうのはその役に立つ人の名前を出してほしい。ちなみに、エコノミークラス症候群とか、避難所がそもそも危ない場合もあるとか、そういう話については専門家を呼んで話してもらうまでもなく共有されている情報だったので、キャスターから直接語りかけられていたよ。

4 正確性が疎かになっていること

テレビはその速報性やリアル感といった部分での競争意識するあまりネットで流れる情報をあまり確認せずにテレビでも取り上げるという愚を犯すようになり、自ら信頼性を下げているのは嘆かわしいことといえるでしょう。

これ、具体的にはイオンモール火災の話だと思う(マンションの接合部はそこがもともと計算した上での設計であろうと今回の地震で壊れたことに変わりはないし、熊本城の瓦は加藤清正設計じゃないよね?)けど、そこは確かにどうにかしないといけない。

はいえ遠隔中継できるカメラを持っている人が山ほどいる時代にそれを使わないのは流石に微妙なので、誰を信用するか、みたいな部分で担保するしかないのだろう。

正直、正確性と速報性はどちらも求められることで、そのバランスは難しい。新聞テレビと比べると、テレビは若干速報性にバランスを振っているし、新聞は正確性にバランスを振っている面はあるので、そこは新聞と併用してほしいとも思う。

2015-12-24

http://anond.hatelabo.jp/20151224134058

男根メタファーかも?」と思うだけならまあセーフにしても、

それを「男根メタファーだった!」と断言したがる人がいるんだよな。

センセーショナリズム白人嫌悪の合わせ技みたいな。

2011-03-04

「6:4」を「10:0」にするインターネット

募集をかけていた求人採用が、やっと決まった。求人誌掲載・ハローワーク求人票掲載から1か月。条件だってほかと比べて特別に見劣りするわけでもないのに、応募が5通来るまで3週間、そこから面接して、ようやくのことだった。どんなに氷河期でも、中小が人余りになることは永遠に来ないように思える。

応募してきた5名のうち、3名はPCによる履歴書職務経歴書付きだった。採用選考の手続き中も、上の了解を取るときも、履歴書が手書きで文句付ける人なんてまったくいなかった。ちなみに、PC、手書きを評価の高い順に並べると、PCPC・手書き・PC・手書き。

うちみたい履歴書が手書きかどうかなんて気にしないところは、もちろんたくさんある。それが、ネットになるとどうして「企業はみんな手書き重視派! だから日本企業なんてみんなクズダメなんだ!」みたいなことになってしまうのか。いや、理由はわかる。センセーショナリズムで煽った方がみんなに見てもらえる仕組み、(Twitter|はてブ)で話題になったものしか見ないネットサーフィン…… 結果、ひいき目に見ても「6:4」ぐらいでしかないようなものが、ネットでは「10:0」であるかのような言説ばかりになってしまう。時には、「3:7」の「3」の方が「10」の椅子に座っているようなものも。

からなんだと言われたら困るけど、とりあえず就活しているみんなは、PCでもいいかバンバン履歴書を送ってほしい。ありきたりのセリフだけど、受けない試験には絶対合格しないから。

2010-02-03

有道出人「外国人参政権平沼赳夫政治から追い出そう」

http://search.japantimes.co.jp/cgi-bin/fl20100202ad.html

日本人参政権人種差別(Non-Japanese suffrage and the racist element)

By DEBITO ARUDOU

1月17日、平沼議員は同じ国会議員蓮舫議員について「言いたくないけれども、もともと日本人じゃない」と発言した。

相手のアイデンティティに対してこれほどまで厳しい非難をぶつけた所以ははたして何なのだろうか?

与党民主党蓮舫議員は、資金を要求するお偉方に対して「(コンピューター性能で)世界一を目指す理由は何か。2位ではだめなのか」という簡単な質問をした(それが彼女の役目である)。しかし、平沼議員はこれについて「政治家として不謹慎だ」と指摘。

はたして実際に不謹慎なのだろうか?他の政治家達がこれよりもよっぽど馬鹿らしい質問をしているのを私は見ている。また、財政の厳しい今のデフレ社会で、官僚に正当な理由を求める事は十分合理的と言えるだろう。

実際に不謹慎な質問をして晒し者にされるのは別だが(不謹慎か否かは個人の解釈にもよるが)、国に対して、そして代表者としての国民に対しての責任感を、非日本人ルーツ蓮舫議員台湾人の父と日本人の母を持ち、後に日本国籍を選択)を持つというだけで疑われる事が人種差別以外の何だというのか。それも国会議員からだ。

予想通り平沼議員は主張を撤回してきた。まず最初にマスコミセンセーショナリズムとして取り上げた事を批判し、また蓮舫議員日本人であるから人種差別には当らないと主張した。

誰か平沼議員に、自民党与党だった1996年日本政府が批准した国連条約に記されている公的な「人種差別」の定義を教えてやってくれないだろうか:「人種差別とは、人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するものをいう」(人種差別撤廃条約、第一条1)

つまり、蓮舫議員家系民族・生まれを取り上げて彼女の信用を疑う平沼議員は、どう転んでも「有罪」となるのである。

かしこの背景にはより大きな問題がある。平沼議員爆弾発言は日本極右が持つ不可解な権力の徴候とも言える。

彼は以前、2006年に「危ない!人権擁護法案:迫り来る先進国型値全体主義の恐怖」という本を通じて人権擁護法案を潰しにかかり、同署でも「人権擁護法案日本を滅ぼす」と主張している。また同じく2006年女性天皇は認めるべきではないとし、「仮に愛子様留学なさって、青い目の男性と恋に落ち、そのお子様が天皇になられることは断じてあってはならない」と、人種差別女性差別ダブルパンチを炸裂させた(何故女性天皇男性天皇よりも強欲な外国人に弱いと決めつけるのか?)。

2008年国籍法が改正され、その数ヶ月前に最高裁違憲判決した父親の認知に関する方の抜け穴が修復された時も、平沼議員は必死に止めようとしたが成功しなかった。彼は、両親が結婚していない子供日本国籍を与えてしまうと、「日本アイデンティティを弱めてしまう」と主張した。

しかし彼は今だこりていないらしい。今度は今年国会を通過する可能性のある、永住権取得者への地方参政権の授与に対して必死に抵抗している。

このコラムが永住者への参政権授与に関して賛成である事は言うまでもないだろう。在日韓国人中国人等、50万人近くの特別永住者日本で生まれ育ち、ずっと納税し続けてきただけでなく、彼らの祖先過去日帝国民だったという経歴があり、戦争のため日本に強制的に連れて来られ、国のために貢献し、中には死んでいった者達もいる。その子孫である彼らが日本国籍を得ていないなど、他のどの近代国家でもそんな事は絶対に有り得ない。少なくとも以前は所有していたのだから。

そして今度は更に50万人ほどいる通常永住者(いわゆる「ニューカマー」である)がいる。日本役人達の、妨害的とも言える裁量(Zeit Gist May 28, 2008)によって妨げられているにも関わらず、彼らは長く複雑な道をたどって(中には20もの年月をかけ)永住権を取得している。

これほどの年月と労力を費やして永住者として日本社会と同化した彼らに、選挙も含めたコミュニティ活動に参加する権利が与えられるのは当然の事ではないだろうか。少なくとも他36ヶ国では外国人参政権が認められており、それらの国は別に崩壊の危機に瀕してなどいない。

しかし、平沼議員を筆頭とした反参政権活動家はその逆を主張する。日本では政治的な話題は大抵温和なものだが、右翼が必死に行う排外活動が見せる黙示録ディストピアの幻影は強烈なものだ。

彼らが言うに、外国人参政権を与えると、日本釣り上げられたマグロのように切り刻まれ、沖縄中国領になり、日本政府北京に牛耳られ、また平沼議員韓国対馬を併合するだろうとまで言っている。日本にとって外の世界は敵だらけという訳だ。

彼らは、非日本人参政権が欲しいのなら帰化するべきだと言う。確かに正論だが、私自身の経験から言わせてもらうと、そんな簡単に帰化できるものではない。手続きはあまりにも専横で、場合によっては日本人ですら審査が通らないのではないかと思うほどである。理屈はよくわからないが、これで外国からの脅威は中和されるらしい。

しかし、蓮舫議員の非日本人としてのルーツを非難した事で、平沼議員はこの「帰化すればいい」という主張が嘘である事を自ら曝け出してしまった。

蓮舫議員日本国籍を選択しただけでなく、日本の一級大学を出ており、ニュースキャスタージャーナリストとして日本社会に貢献し、また国会議員として同じ日本人から表を得て当選までしている。

しかし平沼議員にとってそれらには何ら意味はなく、心が日本にあっても血統的には彼女外国人であり、これは永遠に変わる事はない。

ここで平沼一派の偏屈な主張が嘘である事が証明される。たとえ彼らが何をしようと、外国人は決して信用できるものではない。「真の日本人」の言う事に逆らう者達なら特に、だ。

何故日本ではこれほどまで露骨な人種差別的主張がまかり通るのか?それは、日本の政治マーケットにおいてマイノリティには主張権がろくに与えられていないからだ。商品であろうがアイディアであろうが、どのような市場であってもそこに壁を作ってしまうと極端で常識外れな価値観が発生してしまう。しかし市場オープンにすれば、問題は自然解決する。

熱狂者達が一番恐れている所は正にこれだ。「よそ者」を恐れているだけでなく、一般市民の恐怖心を煽る事で票を集める事が出来なくなってしまうという恐れ。「よそ者」を受け入れてしまうと、今まで横行されてきた極端なイデオロギーを持つ者達は、新しく生まれた有権者達と彼らが提供する多様な価値観を許容、もしくはそれに対してアピールできなければならない。

日本人の永住者に選挙権を与える一番の理由はそこにある:日本排外主義者から力を奪い、こういった差別者や偏屈者どもを政界から叩き出す事だ。次に平沼議員人種差別的な発言をした時に、それに影響された人々が次の選挙で彼を落選させられるだけの影響力がある、そんな仕組みがあるべきである。

 
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