はてなキーワード: ストローとは
夏の始まりは不器用な着こなしの僕を少しだけいらつかせる。特有の湿度と暑さはコンクリートの上、うだるような空気をたゆたわせる。ポケットの片方を重たくさせる携帯電話を手探りで取り出すと、ガラス面に付着した手汗を拭う。太陽の光に照らされた画面はスライドひとつ上手く反応してくれない。嫌な季節、そう考えて仕方ないはず。それなのに弱った電波で検索するキーワード、「夏 花火」を入力する。蝉の声も届かないビル街に無数の電波が放射され、希望や期待を込めた言葉をインターネットに届ける。微弱な電波であっても、ゆっくりとした速度であってもいずれ提示される結果。検索していたのはキーワードの先にあるもの。
清涼飲料水のCMのような恋を画面の外、カメラ越しに見ている。ひとつの季節が始まるたびに彼女の手を引く誰かは僕ではない誰か。色鮮やかに進化していく画質と裏腹に荒くなる現実のピクセル。色彩の足りない画素。鈍色の海としずかに揺れる波。湿ったイメージを打ち消すために、理想的な夏を形容するための言葉をいくつもいくつも検索する。
打ち上げられた花火にそれほど多くの彩色が施されていなくとも、暗闇の中で灯る光ならば見上げるほどに美しい。荒々しい音は光の後に遅れて響き、それはどこか恐ろしくもある稲光とは違う心地よさを生み出す。ふたりの周りで零れる感嘆とため息が疲れた日々の毒素を含んで昇華される。濁った空気と火薬の匂いと白い煙とが混ざり合い、月の表面を濁らせると、いつもよりも淡くぼんやりとした月明かりの下で夏の終わりが動き始める。
お洒落な彼女にはきっとストローの刺さったプラスチックのシャーベットが似合う。僕は缶ビールを飲もう。上目遣いで花火を見る彼女の隣で、抱えた下心が見透かされてしまわないように。見上げた先に広がる花びらを自然な装いで見つめていられるように。
駅前の交差点、横断歩道の手前で彼女のIDを見つめながら生み出された妄想は、青色に切り替わるサインと動き始めた群衆の中で散り散りになる。すれ違いざまにぶつかる肩が痛かった。
ジューン・ブライドの季節になった。
ネットの情報を漁っても、30代男の婚活事情についての情報が案外少ないことが気になった。
私は33歳から婚活を始めて35歳で何とか無事婚約し、結婚した。
現在婚活に勤しむ男性諸氏(女性も?)に向けて、少しでもお役に立てる情報をお送りできれば幸いである。
30代始め頃になれば周りの友人達も次々に結婚し、自分も結婚したくなる時期である。
このまま生涯独身であり続けるのか?それは絶対に嫌だ。伴侶が欲しい。子供も欲しい。そう思い立ってまずは某大手結婚情報サービスの門を叩いた。
こういうところは何せ初めてだったので、特に他の業者と比較することも無くとりあえずそこに入会した。
ただ当時は、結婚情報サービスならぬ結婚相談所というところに対しては成婚料というものが何10万円もかかるというし、釣書、お見合いというのがどうも古風に感じられて嫌厭していた。
そこの結婚情報サービスは入会金100,000円、月謝15,000円くらいだったと思う。基本ネットを使ってお申込みをし、双方OKであればあとは双方で連絡を取り合い、待ち合わせをして会う。
最初は喫茶店とかでお茶しながら1時間ほど会話をする。馬が合えば次に続く。合わなければそのままフェードアウト。
ちょっと待て、これじゃあ結婚情報サービスって独身女性を紹介してくれるだけじゃないか??私はすぐにこのサービスに疑問を持った。
しかしちょうどその頃、運良く出会えた3歳程年下のお相手と少しだけお付き合いできていた時期で、少しだけ浮ついていた。
しかしその女性も、1ヶ月ほどお食事~ドライブなどを繰り返す内にどうも性格的に合わないのが明らかとなり、最後は向こうからのメールであっけなくお付き合いは終わった。屈辱だった。
程なくして私はその結婚情報サービスを退会した。
結論、結婚情報サービスで結婚できる人なら、合コンや紹介でも十分相手を探せる、ということだ。
初めてこういう世界を真剣に検索したが、日本にはいくつか仲人連盟があって、その連盟に周りの相談所が登録しているという仕組みになっていた。
私は近所の連盟に問い合わせをし、紹介してもらった2件の相談所と数回の面談を重ね、最終的にここと決めた相談所に入会した。
そこの結婚相談所の料金体系は入会・登録に70,000円ほど、月会費6,000円、お見合い1件につき3,000円だった。これは比較的お安い方だそうだ。
しかし、成婚すれば最後に成婚料300,000円を支払う必要がある。痛い出費だが、結婚相談所はお見合い成立後もお見合い日程の調整や、交際のお断りをする際の中立ちなど、結婚情報サービスにはないケアを一杯してくれる。
そこから考えればありえない金額では無いかもしれないが、100,000円くらいでも良いのではないかというのが正直な感想である。
さて、お見合いの仕組みは、専用サイト上で年齢や出身地、職業などの検索条件を入力し、条件に引っかかった女性の中から気になる人に申し込みをするというもの。
今回はもう後には引けないので、20,000円ほどかけてプロに撮影してもらった。我ながら良い写真だと思えるほど良い写真だった。
結果、当初は面白いように向こうからもお見合いのお申込みが来た。勿論私からも申し込みをしたが、申し込みをOKしてくれる確率は1割に満たないほどだろうか。
当然、容姿、年収、居住地、年齢などの条件が良い男性には沢山のお申込みが入るらしいし、申し込みのOK確率も高いらしいが、私のように並の人間であればだいたいこのくらいの確率もあれば良い方らしい。
当時のカレンダーを振り返ってみると、最後の相手を見つけるまで実に20名ほどの女性とお見合いをしていた。
色んな人がいた。
一緒に食事をした時の代金を奢ってくれないからという理由でお断りされた。
何となく合わないという理由でお断りされた。
小さなことの積み重ねという曖昧な理由でお断りされた。
バツイチの気持ちが分からない人はダメという理由でお断りされた。
私の写真を見てどうしても会いたいと申し込んで来たのに、お見合い後にお断りされた。
良い感じで数回デートを重ねていたハズなのに、ある日突然連絡が途絶えたと思っていたらお断りされた。
反対に、私からもお見合いの時に目を見て話さない人はお断りした。
コーヒーをご馳走してもお礼を言わない人はお断りした。
写真では綺麗だったのに会ってみたら歯並びがとてつもない人がいてお断りした。
飲み物を手で持たずにテーブルに置いたままストローで飲むような人はお断りした。
そんな日々を1年あまり過ごした。
多くの週末がお見合いや交際に費やされ、お金もそれなりにかかり、上記のような理不尽な理由で断られ、それはつらい日々だった。
早く良い相手に出会ってこんな世界をとっとと抜け出したい、そう考えていた。
そうやって数々のお見合いを重ねた末に、今の妻にようやっと出会えた。
出会った当初は一切ピンと来るものは無かったが、交際を続ける内に段々とこういう人と結婚したいと思えるようになってきた。
今の妻に会って良い人だと思えたのも、私がそれまで20人ほどの女性とお見合い経験を積んでいたからだと思う。
もし最初にお見合いした人が今の妻だったとしたら、私はもしかしてお断りしていたかもしれない。
そう思えるくらい、数々のお見合い経験は私の女性を見る目を大きく変えてくれた。
かくして婚約し、結婚相談所に300,000円の成婚料を支払って無事私の婚活は卒業を迎えたのである。
そうやって素敵な相手と出会えれば、必ずや結婚して本当に良かったと思える日々があなたを待っているであろう。
ご健闘をお祈りする。
http://lovelykin-kin.seesaa.net/article/360376876.html
ようはペットボトル飲料に直接口を付けて飲むと、口腔の雑菌がペットボトルに入ってしまって
しかも高栄養状況下だから、雑菌が繁殖してしまって気持ち悪いという話だ。
ブコメをみると、口つけなければいいじゃん的な意見が出ている。自分も同感だ。そうしてる。
でも。たまにこぼすんだよな。勢いあまって。牛乳なんかを襟元あたりまでぶちまけると気力が著しくそがれる。
そこで考えた。
口にクチバシみたいなのを固定して、そのうえにペットボトルの入り口をのせて流し込めばいいのでは?と。
やってみた。
牛乳パックの入り口あたりを切り抜いて自分の口でくわえる。そこにペットボトルをのせて飲む。
できた。
悪くない。
でも問題にすぐ気づく。
このクチバシを洗うのが面倒。
そもそもコップを洗うのが面倒なので直飲みしているんだからクチバシを洗うんだったら本末転倒。
クチバシを洗わないとそれはそれで不衛生だ。
そこでもう一度思いついた。
クチバシを作って、クチバシは使うたびに食べちゃえばいい。材質はローかろりーな奴で。
おれ天才!
というわけで、だれかつくって。
まとめ。
ペットボトル直飲みで菌ウヨウヨ問題は、唇とペットボトルのあいだを
食べられる素材の導水管でわたしてしまえば解決。
数年前、まだサラリーマンをやっていた頃、そこの社長が「デルモン!お前も商いのイロハと根性を学べ」と派遣されたのが、ある経営診断士の講演でした。そのセンセイは午前と午後の六時間をひとしきり語りくさった後「それでは、この映画を観て商人の心を学びましょう」と見せてくれたのが確か「こぶしプロ」製作の「てんびんの詩」というメンソレータムでお馴染みの近江商人の物語でした。年端もいかぬ子供が丁稚に出されて朝も早よから廊下をヌカ入り袋でピカピカに磨き上げ、そこの主人や先輩に玉毛を剃られるようなシゴキを受けながらも「これが商人や、商人の心や」とジコマンな解釈をして目をキラキラさせるという歯車社員養成ギブスのようなものでした。僕はランゲルハンス島の辺りが痛くなりましたが、他の参加者は皆一様に感動したようで、ウンウンと頷きながら小鼻をふくらませたり、前立腺を硬くさせたりしているようでした。このように心の持ちようによっては同じ作品が素晴らしかったり、ローゲだったりするわけですが、
ここではなるだけ、みなさんの賛同を得られる作品を紹介したいと思います。
たぶん全ての人が潰れる作品ではないでしょうか?小人や奇形がうじゃうじゃと登場して女を犯したり殺したりしますが、目玉を掘ったり頭蓋に穴を開けてストローチュルチュルするところなんぞは強烈!何の啓蒙テイストもない東映エログロ路線の母親のような作品。
キ過ぎ。
http://anond.hatelabo.jp/20130121055413
https://twitter.com/hibiki2s/status/293425559881535489
松下 響 @hibiki2s
多数に非難されるほど間違った主張を意地でも曲げないような人を助けるのは正義なのか。すごいな。 http://anond.hatelabo.jp/20130121055413
魔女狩りの心境ですね。
表だって他人を批難するにしろ、度を越えればイジメとの境界が曖昧になる。
明らかに、中傷に近いような発言をして叩いている人も居る上に、自分達に苦言を言う者=無断転載擁護だとストローマンを使う人まで存在する。
こういう風景を見て松下氏達の味方に加わりたい・賛同したいと思う人と近寄りたくないと思う人のどちらが多いか?
そういうマナーの悪さと下衆さ、品の悪さが鼻につくと言われているのがわからないのだろうか?
活動が注目されれば、されただけ品格が求められるのがわからないのだろうか。
無断転載を無くそうとする活動は正義かも知れないけど、それを嵩にかかって何もかもが許されるわけでは無い。
ある意味では、著作権を守ろうとする活動や意識を汚しているのは彼らではないか?
無断転載をすると面倒くさいことになると思わせるのが勝利条件と言っていた人が居るけど、無断転載批判をする人に関わるのが面倒くさいと思われているのではないか?
ならば、誰か無断転載の被害者が彼らに助けを求めるハードルは上がるのではないだろうか?
それはあの人たちの理念に反しないのだろうか?
無断転載批判を積極的に行う人の人数は然程、多く無い。
っていうか、敵味方に完全に塗り分ける姿勢が不気味。
まず、今回の東日本大震災でお亡くなりになった方々のご冥福をお祈りするとともに、被災された方々のお見舞いを心から申し上げます。
次に、僕のスペックです。都内の大学に通う学生(新二年生—ちなみに一浪—)です。所属学部のカリキュラムによって、ほとんどの授業を英語で行って、レポートも英語でたくさん書きました。といっても、僕の英語の能力はだいたいTOEIC700点前後だと思います(TOEICはうけたことがありませんが、学校で受けさせられたテストなどで換算するとこのくらいです)。700点前後なので、あまり大したことは言えた身ではないのですが、英語については昨年度かなり自分でも悩み、考えたし、また、TOEICなどのスコアだけで英語の実力のすべてが測れるとも思っていないので、僭越ながらも英語についての意見を述べさせてもらいます。(ちなみに未だ日本から出たこと無いです)
最後に、書こうと思った動機について。主に二つ。ひとつは、日本人の英語熱が、去年のユニクロ、楽天の英語公用語方針表明から、加熱の一途を辿っていることを受けて、自分—英語が公用語の学部で学んでいる自分—が何か良い意見を述べることができればいいなと思ったから。あとひとつは、自分の英語に関する考えを今の時点で言語化して整理しておきたいという考えがあるからです。
英語学習者の多くは「英語ができるようになりたい」や「英語上達!」などと言います。が、少し待って下さい。その宣言って少し漠然としすぎではないでしょうか。ここで、試しにあなたが今思っているその「英語」に修飾語を二つ付けてみて下さい。例えば、ある会社員の場合は、practicalと businessを足して、”Practical business English” (実践的ビジネス英語) となります。こうすることで、あなたが必要な英語がもっと鮮明になるでしょう。さらに対策だって立てやすくなると思います。子供が語学を身に着けながら成長するときの様に、日常の様々な場面での遍く英語表現を身に着けることは大人には困難です。しかし、範囲をうまく絞れば、そこに特化して勉強することで仕事で困ることが少なくなると思います。
僕は昨年度、英語を話す日本人を数十人ですが見てきましたが、およそ二つのグループに分けることができます。それは、日本語を話すときと同じ感覚で英語を話している人と、英語を話すときは全く別の口の開け方や筋肉の動かし方、さらには呼吸法までする人たちです(帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます)。タピオカドリンクを飲むときは、コーラを飲む時に使うストローじゃ飲めないように、英語を話すときも日本語用の発声方法を脇に置いて、英語用の発声フォーマットで話さなくてはならないのです。先に示した前者の人々はだいたい、声が小さいぼそぼそとしたしゃべり方をします(もちろん発音は滅茶苦茶チョッピーです)。これは、はっきりいって意識の問題だと思います。発音やアクセントの前に態度(attitude)の問題だと思います。
これは上とだいぶ関連があるのですが、英語を真剣に話そうとすると多かれ少なかれ「欧米人っぽさ」や、悪く言えば「ネイティブかぶれ」が現れてしまいます。だが、これらに対して嘲笑したり、からかったりしてはいけないと思うのです。日本人の間で「かぶれ」に見えてしまうことも、英語話者同士では普通の事なのです。だから、間違っても日本人によるつまらない価値観から、その人の外国語に向かおうとする態度を軽蔑してはならないと思います。お互いにとってマイナスにしかなりません。
英語がわからないから話が理解できない、と思ったことがある方。それは本当に英語が問題でしょうか?例えば、去年流行った「ハーバード白熱教室」。この番組はiTunesやYouTubeで無料で見ることができます。僕も、視聴していて三周目も終わろうとしている頃ですが、まだよく理解できているとは思えないです。『これからの「正義」の話をしよう』も、その原著である”Justice-what’s the right thing to do-”も持っていて一通り読みましたが、未だ理解できたという確信がありません。なるほど、「テメエがアホなんだよm9(^Д^)プギャ―」という意見もあるでしょう。しかし、サンデルの授業内容がそれなりに高度なことも事実ではないでしょうか。日本語で聞いたとしてもそれなりに高度なことには変わりません。それをさらに外国語でとなると余計に理解が難しくなってしまいます。自分の英語読解/聴解能力を疑う前に、言語に拘わらずそれを理解できる知的基盤が備わっているか。それをただ「英語が分からない」と悲観する前に、確認する必要があると思います。
某経済評論家などを「達人」と見做している英語学習者は、いつまでたっても英語ができるようにならないと思います、失礼ながら(インタビューもそんなにあてにしちゃいけない)。そもそも、本当に英語できる人間は、日常のほぼ全てのタスクを英語でこなしているような人たちではないでしょうか。論文であれ、企画書であれ、会議であれ、学術発表会であれ。そういう本当の「達人」らは、われわれ一般人に指南するような立場を超越していらっしゃいます。さらに、そういう人たちはあまり表に出ない人たちです。なぜなら、一流のビジネスパーソンは週刊誌の英語特集に顔だすくらい給料安くないし、言語学など学問分野の一流たちもそんなところに出て自分の株をさげるようなことをしないでしょうから。
では誰をロールモデルにするのか。はっきりいってツールである英語にロールモデルが必要であるとは思わないのですが。強いて言うなら、『英語達人列伝』の中から探すといいと思います。これを読めば、「日本人は英語ができない」といった言説が神話であると思え、すこし勇気が湧いてくると思います。
英語学習において、発音を磨くことは何かと批判の対象になります。恐らく、それは英語学習における贅沢品と受け取られるからでしょう。目玉焼きも焼けない人間が高級イタリア料理「カルパッチョソースのデミグラス和え 地中海の新鮮な貝の奏でるムースとともに」(※こんな料理はありません)を作ろうとするように捉えられてしまうのかもしれません。
しかし、僕は発音も大切だと思います。磨けるなら磨いた方がいい。じゃあ、どのくらいまで磨くか。もちろんネイティブレベルとは言いません(発音向上批判がネイティブ信仰批判と結びつけられることも多い)。が、強いて言うなら「自分の発音に自分で酔えるくらいまで」としておきます。英語を話している時の自分がいつもと少し雰囲気違うな、とか仕事できそうだな、くらいに思えるくらいです。語学学習は基本的に孤独な作業であると思います。周囲に誰も人がいない部屋で黙々と音読…そんな状況で心を支えるものが、わずかながらのナルシシズムだと思うのです。ここで注意しておきたいのは、自分の発言を瞬時に考えて話す「スピーキング」と音読教材を見ながら話す「スプリクト読み」の際の発音能力は個人の中でも違いがあるということです(ここでは詳述しません)。
昔NHKで「英語会話」の講師をしていた東後勝明氏はこう言っています。
「発音が大切だ」と言えば、すぐに、「本国人のような発音の必要はない。日本人なのだから日本人の発音で十分」と反論が返ってくる。「単語を覚えたほうがいい」と言えば、「単語だけを覚えても何もならない。その使い方を覚えなければ駄目」と言われてしまう。うっかり「会話ができなければ」などと言おうものならたちどころに「ただペラペラしゃべれるようになるだけではかえって人間が軽薄に見えて困る」と一蹴され、「それより、内容のあるものが読めることだ」とか「話す内容が大切」ということで会話の重要性は影をひそめてしまう。
「文法をしっかりやりなさい」と言えば、「文法に頼る英語力には限界がある」とか「文法を教えすぎるから、英語が使えなくなっている」と、これにもまた反論が出る。それでは「実際にありそうな自然な対話をそのまま暗記してみれば」と言えば、「会話はそんなに準備されたせりふ通りにはいかない。そんなものをいくら暗記しても役には立たない」と誰かが言う。… ( 東後勝明 「聞き、覚え、使う」 現代新書編集部 『外国語をどう学んだか』 講談社 1992)
要するに、唯一絶対の方法なんてありませんよ、ということであり、たとえ少し間違った勉強法をしてしまっても、それほど差はないですよ、ということ。やりかたで戸惑って学習不安なんて愚かだと思いませんか。ネットで情報収集だけに一生懸命になっている方、とりあえずブクマして満足している方。
世界に飛び出ていく為のツールである英語を、日本の企業や学校の基準に合わせてどうするのでしょうか。会社や学校の要求に応えることが重要であることは言うまでもないですが、これから英語を勉強して身に着けるということは必要不可欠であるということ。すなわち、グローバル化によってかつては「あった方が有利」だった英語から「ないとダメ」というように変化してしまったのです。だから、これから英語学習する人――特にビジネス面の方々――は、外国、とくに韓国、中国にライバル意識を持って外国語を学ばなければならないのではないでしょうか。
英語に関することで今問題だな、(というか、もったいないな)と思うのが巷の「英語学習」と、学問としての「英語教育」との乖離です。この春休みに入ったころに、集中して現在刊行中の「英語教育学大系」シリーズ(大修館)を読んだのだが、個人的に得るところが結構あった。そういった学問分野での研究成果をうまく巷の「英語学習」に反映させればいいと思うのだけれど、実際「英語学習」者たちの間でウケてしまうのはTOEIC900点をとった人たちのアドバイス記事。もったいない。
これ500B!超えたらblog再開させようかな…なんてw
訂正
帰国子女の方々は生まれつき後者の姿勢が備わっているきがします→帰国子女の方々は幼いころの海外経験の中でこれを自然に身に着けているように思われます
それでも最近はチャレンジャブルな新型オペやってるだろーが。成長基盤オペやってるだろーが。
お金ジャンジャン流してるの、でも詰まるの。それは金融機関の貸し渋りもあるけど
要するに個人消費がクソ以下だから。もっと言えば、富の世代間移転が起こってないから。
増田にいるような世代にどーこー言ってもどーにもならんのだが。それでもなんかもー「日本円刷れ」って
言われても困るっつの。どうやって流すんだ。ストロー詰まり放題なんだぞ今。
確かに、国債を幾ら発行してもインフレにならない→夢の無税国家じゃね?
の道理が通らない以上、カネを市場に流せばいつかはインフレ来るだろーよ。いつかはな。
もう嫌だ。
何考えてんのかさっぱり分からん。
これをどう対処するかが「大人」かどうかなんだろうけど、
ごめんなさい。
最悪だねまったく。
上手く行かないよ。
どうしたもんかね、まったく。
仕事向いていないってことなのかもね。かもではなく、そうなのだろうね。
まったく。
嫌になっちゃうね。
こうも周りの状況に左右されていては、ぐだぐだにな人生になってしまうね。
もうなってるか。
guhe・・・・・。
帰りたいけど帰れない〜♪
あれを見ていた時はこんなふうになってるなんて思いもしなかったね。まったく。
なんか上手くいかないなぁ。
一生こんな感じで上手くいかないのかなぁ。
人生ってなんだろう。
どうせ死ぬよね、最期には。
それなら頑張るのに。
けどきっと天国にはそれを知らなくても、頑張った人がいくんだろうね。
困った。
分け分からなくなって来た。
ぼーーーーん。
なんだか、やたら手に汗をかく。
不思議。
生きるって不思議。
聖徳太子もヒットラーもチェも坂本龍馬も曹操もガンジーもケネディーもガガーリンもアインシュタインも犬もじいちゃんもばあちゃんもみんな生まれて死んだ。
シャボン玉もストローから押し出されて、屋根にあたって割れた。
どんどん生まれて。どんどん死ぬ。
50年くらい早く死んでも誰も困らない。と思う。
誰かが悲しむかもしれない。けど困らない。
その人が有用でなかればないほど困らない。
ストローから出てすぐに割れたシャボン玉は存在すら気が付かない。
そっと。自分でも気が付かないくらいにそっと割れてしまいたい。
それって
我が儘ですか。
情けないですか。
恥ですか。
はぁ・・・・。
シャボン玉って割れる時
「ぱっ」
って音がする。
聞いた事ある?
その音が聞けると、長く飛んだシャボン玉でも悲しくなかった気がする。
不思議だね。
http://anond.hatelabo.jp/20100919234848
聞けよ
http://anond.hatelabo.jp/20100919235912
だから聞けよ
「ストロー入ってます?」「スプーン入れちゃいました?」と聞けよ
http://anond.hatelabo.jp/20100920000424
それは怒っていい
http://anond.hatelabo.jp/20100715105846
トピ主です。
>普通に麻疹にかかったら、「えー?うちの下の子遊びに行かせていい?」なんてあるよ?
そうそう、そんな感じの「ノリ」です。
まあ、ウチの場合ははしかじゃなくて水疱瘡だったような気がする。
あと「パーティー」てほど大げさなものじゃなくて、
「病気から治った子供のところに1~2人が遊びにいく」程度なので、
なんか麻疹じゃなく「(10名程度の)麻薬パーティー」みたいなのを
あと「ウイメンズパーク」というのは「もののたとえ」で、
具体的にウイメンズパークでそのような会話があった、というわけじゃないですよ。
まあ、時間があったらウイメンズパーク会員向けにアンケートしてみても面白いですが。
遊びに行かせますか?」って。
>育児してなくて知らないか、目の前で展開されてても鼻で笑って信じてないんだよ。
>そういう輩にどうこう言っても意味ないよー。
これが「超えがたい壁」なんです。