はてなキーワード: そよ風とは
面白いって人がいるのはわかるけど、ゲームとか読書とか色々な趣味がある中でブクマカして上から目線でハテブでしか絶賛されないようなコメントして悦に浸るって感情はよくわからない
少なくとも俺の人生でそういうものが楽しかった思い出は皆無だから
レスバに発展し、馬鹿ばっかだなって思うのならぎりぎりわかるけど、はてぶでコメントしてスターもらえるってのは、オッサン同士の傷の舐めあい以外にないし、何をどう楽しめるんだろうか?
それとも高齢者になればなるほどさみしくなって、そんな辺境のそよ風にすら涙流すものなの?
ブクマカの居場所であるところのハテブのこと書いている人の大半が、気持ち悪い人間の巣窟って言ってるのだが
そんなに自虐が好きで好きで仕方ないのだろうか
ブクマも書いてるけど、ゲームとか読書とか色々な趣味も普通にあるだろ。趣味系の記事にも普通にブコメが付くし。なんでブクマだけしか趣味がないと思うのか。
こういう人が一番話し通じないんだよな
ブクマカが趣味の一つだとして、それしかしていないとか言ってないだろ
勝手に他人の意見を捻じ曲げて敵にしたがってる人はブクマカの典型
よくわからん
これは俺の偏見まみれなのだが、コメントするならきちんとその記事が公開しているコメントシステムを活用するのが一番いいんじゃない?その人に対して直接意見を言えるんだし
そうじゃなく「ちょっと外れた場所に変なことを書いている」ってのは、見方を変えるとイジメと同等なんだよね
夕日に影伸びる教室で ← 遅くまで残って練習してるってこと?こわない?
くたびれたスコアそよ風に踊る ← ボロボロになるまで練習してるってこと?こわない?
きらきら涙みたいなホコリが舞う ← ホコリが涙に見えてくるとか精神状態おかしくない?
あの日の私の世界 振り返るたび心震える ← 音楽の話だったのに世界や心にまで飛躍するのヤバない?
はじまりの音が聞こえる ← 音楽に触れるまで世界が存在しなかったみたいな言い方じゃない?こわない?
同じ音楽は二度と奏でられない ← 一瞬一瞬の音に対して緊張感を持ち過ぎじゃない?こわない?
春夏秋冬めぐってほら最後の曲へ行こう ← 最後の曲に人生を乗せすぎてて終わったあと死にそうじゃない?こわない?
響け今日というフレーズ ← 二度と帰れない今日という瞬間に対しての緊張感がやばない?
生きることに夢中になれた日々が ← 生命活動や人生が音楽と結びすぎてない?こわない?
今を生きている私へとつながっている ← 音楽に触れて生きてきたことが肯定されすぎてない?こわない?
365日 ← この単語が出てくるのがもう本当にこわない?
の軌跡で受け継がれる想い ← 受け継ごうとしたり受け継がせようとしているのがこわない?
次のあなたへと向けた ← 次のあたなまで巻き込もとしてきてるのマジでこわない・
終わらない夢を ← 終わらせる気がないのこわない?
鳴り止まぬ歌を ← やっぱ人生のすべてを音楽へと昇華しようとしてない?人生が音楽すぎてこわない?ミュージック・ライフ・バランスが滅茶苦茶じゃない?
https://www.youtube.com/watch?v=hw_YggVTZOk
毎年9月1日に行われている関東大震災のデマで殺された朝鮮人の告別式があるが
あれに東京都知事の小池百合子がそれまで歴代東京都知事が送ってた追悼文を拒否してるんだってな
こいつあまりにも屑過ぎねぇか?
これまでの追悼文ってのは日本人が行ったデマによる虐殺を反省する意味も含まれての行動だろ常識的に考えて
それを拒否するってのは過去の反省はしませんって事と同じだろうよ
日本は事あるごとにかつての戦争に対して反省します、過ちは繰り返しませんとか言ってんのに、その日本の首都である東京都の知事がこの態度じゃ
こいつらは内心では何も反省してないダブスタのクソ共と思われてもしかたないぞ
もっと異常だなと思うのはこの追悼式に対してリアルで嫌がらせする団体まであるって事
そよ風とかいう連中らしいが、朝鮮人の虐殺は嘘だの朝鮮人はゴミでクズだから祖国に帰れとか追悼式に来た人たちに直接いってんの
もうやべぇだろ普通に
あと最近じゃ自民党も朝鮮人虐殺についての資料は無いとか大嘘言ってたな
なんでこんな事が許されてんだ?デマで発生した虐殺を更にデマで否定するとか、もうあいつは最低でも議員辞職まで行かないとダメだろ
https://www.youtube.com/watch?v=hw_YggVTZOk
毎年9月1日に行われている関東大震災のデマで殺された朝鮮人の告別式があるが
あれに東京都知事の小池百合子がそれまで歴代東京都知事が送ってた追悼文を拒否してるんだってな
こいつあまりにも屑過ぎねぇか?
これまでの追悼文ってのは日本人が行ったデマによる虐殺を反省する意味も含まれての行動だろ常識的に考えて
それを拒否するってのは過去の反省はしませんって事と同じだろうよ
日本は事あるごとにかつての戦争に対して反省します、過ちは繰り返しませんとか言ってんのに、その日本の首都である東京都の知事がこの態度じゃ
こいつらは内心では何も反省してないダブスタのクソ共と思われてもしかたないぞ
もっと異常だなと思うのはこの追悼式に対してリアルで嫌がらせする団体まであるって事
そよ風とかいう連中らしいが、朝鮮人の虐殺は嘘だの朝鮮人はゴミでクズだから祖国に帰れとか追悼式に来た人たちに直接いってんの
もうやべぇだろ普通に
あと最近じゃ自民党も朝鮮人虐殺についての資料は無いとか大嘘言ってたな
なんでこんな事が許されてんだ?デマで発生した虐殺を更にデマで否定するとか、もうあいつは最低でも議員辞職まで行かないとダメだろ
肛門亭そよ風 (@TanTaiP)さんが0:17 午前 on 金, 5月 22, 2015にツイートしました。
私は「人に耳を傾けさせる力は、言葉の内容や順序より、その言葉を発する者の声質や仕草、リズムに左右される」と思っているのですが、そう思う根拠の一つが、このボブマーリイが超テキトーな理論で「大麻いいじゃん」って言ってるだけの映像です。
(https://twitter.com/TanTaiP/status/601406541267279872?s=09)
ジャニーズなんて聴くな、Bob Marley、Bob Dylan、The Beatles聴いて教養身につけろって言ってるおじさんには、この動画を見て欲しいね。
ダンスミュージックなんて、そもそもが享楽的なもんだろうし、そのダンスミュージックとして質の悪い物をジャニーズが提示してるとは思わないし、古いオリジナルからしか"教養"を得られないわけでもないだろうし、享楽的なもののさらに後継からだって得られる物はあるだろう。
たとえばハウスで踊って享楽にふけることだって、ある特定の箱の中でしか享楽にふけることが出来なかった人たちがいたわけだし、同じように今の時代の音楽の中でジャニーズでしか得られない何かを得ている人もいるのだろうし…
仕事にも慣れ、独り身の生活も寂しいのでクワズイモを買った。近所のスーパーのレジ前で、徒長した茎に小さな葉っぱをつけていた。日当たりの悪い棚で不自然に伸びた体を居心地悪そうにすくめてる、そんな姿が買い物のたびに気になって、とうとう連れ帰ってしまった。
生来のズボラさゆえに動物の世話は自信ないけれど、水やりくらいなら繁忙期でも何とかなるか、と思ったのも理由の一つである。が、ビニルポットから4号プランターに植え替えて1カ月ほど経った現在、倍ほどの葉が生えてきてるし、根っこの芋もところどころ緑の節がのぞいてきて、もっとゴツゴツ育つんじゃないかと期待してる。基本の世話は帰宅後の葉水と週一の水やりだけなのに、60cmぐらいの高さまで急成長するのは予想外だったが、成長が早いと帰宅するのも楽しみになる。いつ葉が飛び出て、開き始めるかわからないもんな。
こうなると人間の意識も変わってくるもので、埃がたまらないよう掃除の頻度が増えたし、水やりをしやすいように食器はすぐ洗って片付けるようになった。こないだの休日は、引っ越して以来のベランダ掃除と窓拭きをした。汚れが酷くて我ながら引いたが、網戸越しにそよ風を浴びて葉をツヤツヤさせるイモが気持ちよさそうだったので良しとする。
物言わぬ観葉植物といえどもペットなんだなと実感する。次はガジュマルを飼いたいがなかなかいい株と出会えないので、次点でゴムの木かカポック(シェフレラ)を考えている。奄美〜沖縄〜台湾あたりが原産の植物で集めると、イモ太郎も仲間が増えて嬉しいんじゃなかろうか。あとはうまく越冬させて死なせず育てていけたらいいな。
やぶ塚温泉よさそうね。
よろしければ「広くて開放感があり、他人に煩わされることがなく、景色が良く、できればそよそよ風なんかが吹いている、大きな風呂」のオススメをもっと教えてほしい。
自分は職場でも知り合いの間でも、温泉好きという認識をされている。それが今となっては居心地が絶妙に悪く、かと言ってその認識を訂正するにも微妙なニュアンス過ぎて言い出し難く、ここで匿名懺悔したいと思います。
社会人になって自由になるお金(別に大した額ではない)と時間が手に入る用になってから、なにか趣味的なものを見つけようとする数年があり、その後「これは大変気持ちよくて良いものだぞ!」と温泉(←もうここが間違いだったわけですが)を「発見」してから、日本全国の温泉宿だの日帰り温泉だのスーパー銭湯だのに出かけてきました。
30代後半がピークで年間に100箇所くらいは行っていたと思います。
しかし、あちこち行くと、当然、自分の中で評価軸みたいなのができていくじゃないですか? ここの宿は何点くらいだな、とか、こっちの日帰り温泉は何点くらいだな、とか。
その積み重ねの中で、自分が温泉になにを求めているのか? どういうポイントが加点要素なのか。そういうのが自己理解されていきますよね。
自分の場合、それが5年とかもう少しかかって蓄積体系化されてゆきました。
細かく言えば「広い風呂」「開放感がほしい」「人は少なければ少ないほどよい」「景色が良ければさらに良い」というのが評価軸でした。
そのころは山奥のマイナー秘湯系にも行っていて、温泉好きの中でもかなりガチ目な行動をしていたわけですが、別にそれはガチの温泉好きだからだったわけじゃなくて、単純に人の少ない開放感のある湯を求めていただけだったっぽいのです。
その自己認識に達してから過去の自分を詳しく検証してみると、自分は泉質とかには全然要求がないのです。もちろんあちこち行ったんで基礎知識みたいなのはあるし、入ってみればここは炭酸系だなとか油系だなとか理解は出来ます。その気になればうんちくっぽいことも多分言えます。
けれどそれに対する好みみたいなものがない。なんでも喜んで入れる、というよりもそこまで興味もこだわりもない。
自覚をしてから検証をしてみた結果、別段源泉どうこうとか泉質とかですらなく、人工ラジウム温泉でもちっとも減点を感じないのです。
広くて開放感がありひっそりしてれば「ええやんけ!」と大満足できちゃうのです。
自分でもちょっとショックでした。温泉好きじゃなかったんです。
自分が好きなのは「広くて開放感があり、他人に煩わされることがなく、景色が良く、できればそよそよ風なんかが吹いている、大きな風呂」でしかありません。
そういうふうに言語化してみると、人気の温泉だとかはむしろマイナスでしかなく、好みに合ってるのは寂れた温泉なのです。しかも、昔は人気だった温泉地の大きめの旅館だけど、いまは人気が落ちてガランとしてる。――鬼怒川だの湯本だのあたりのそれが居心地が良い。という感じなのです。やぶ塚温泉のホテルとか最高でした。
でもその好みって、温泉宿サイドに立ってみれば、人数入れてなんぼの客商売なのに、自分以外の客はむしろいないで欲しいっていう、とても嫌な客じゃないですか。それも微妙に自己嫌悪ですし、とても公言できる好みではないです。
空が、晴れていました。
雲ひとつない、青い空。
今すぐにでも、窓から飛び出したい気分。
けれど、ダメなのです。
無理なのです。
それに、今は目の前の作業に集中したくて、一心不乱に手を動かしています。
昼休みからコツコツと建造してきた私のお城を完成させなければならないのです。
硬くて、壊れにくい素材です。
おじいちゃんとおばあちゃんとひいおじいちゃんとひいおばあちゃんの合計四人にねだって、普通のおうちセットを合計四つ買ってもらいました。
老人のくそつまらない話に相槌を打っておねだりをするのは子供の私にとって拷問に近い所業でしたが、ママの財布からお金を抜いて後で物干し竿に吊るされるよりはマシだと判断しました。結果土日と引き換えに普通のおうちセットが合計四つ手に入ったので良しとしましょう。
しんと静まり返った教室で私は黙々とブロックを積み上げていきます。
これくらい空気が張りつめていた方が作業が捗るというものです。
残すは外壁の建設のみ。
煉瓦造りにするか。
どちらも魅力的な提案でしたが、昨日見たドラえもんの映画を思い出したので普通の石垣を作ることにしました。
「もうちょっとだ」
朝はランドセル一杯に詰まっていたレゴブロックも今や半分以下。
この分だと帰りの会でみんなに自慢できそうです。
きっと万の言葉を用いて私を褒めそやしてくれることでしょう。
そんな空想に耽っていた時でした。
がしゃああああん。
はじめ、何が起きたのか分かりませんでした。
視界の外から勢いよく何かが振り下ろされたかと思うと、私のおうちは粉砕されていました。
「……っ」
体からすーっと血の気が引いていきます。うんていから手を滑らせて後頭部から落下した時のように、視点が定まらず世界はぐわんぐわんと回っていました。
「あ、あ……」
おそるおそる視線を上げるとまきこ先生がしかめつらでこちらを睨んでいます。
「何か言いたい事があるようだな」
重く冷たい声色に少しおしっこを漏らしそうになりましたが、私は勇気を振り絞って立ち向かいます。
「……あの、おうち!」
私の訴えに先生の表情は微動だにしません。それがどうした、と言わんばかりです。
「壊れちゃったんですけど……」
おののき、震え(主に膀胱が)、尻すぼみになりながらも私は抗議の意を表し続けます。しかし、鷹のごとき双眸は依然として私のこめかみを射抜いているようでした。
「その、保険とかってききませんよね……」
パァン、と軽快な破裂音が響きます。
揉み手をしてはにかむ私の頭に、丸めた教科書が振り下ろされました。
「……あうぅ」
「片づけとけよ」
心無い笑い声に包まれる中、私は一人お城の破片を拾い集めていました。
小さな私の手ではそう多くのブロックを拾うことはできません。また、隣の席のタカユキくんが足でブロックを散らしてきたりするので、私はなかなか片付けられずにいました。
粉砕されたおうちが頭の中で何度もフラッシュバックしています。
何も完成間近のものを壊さずとも、私がレゴブロックを机に出した時点で注意すればよいはずです。
それなのに、わざわざ私が一番悲しむタイミングでおうちを壊したのです。
ストレスが、たまっていたのかもしれません。おおかた、彼氏とうまくいってないのでしょう。適齢期を過ぎて後のない先生が性急に入籍を迫ったことで時間をかけて育んでいた関係に亀裂が入ったに違いありません。きっとそうです。
幸せの象徴であるマイホームに鬱積した気持ちをぶつけたくなるのも無理からぬ話でしょう。
だからといって、許されることではありません。
悲しみを怒りに変えて誰かにぶつければ、それはまた別の新たな悲しみを生むことになるのです。
まして、いい大人が、立場の弱い子供に、あてつけのように暴力をふるうなど、あってはならないことです。
怒りが、ふつふつと沸いてきました。
私はかがんだまま教壇の方を見やります。ころすぞって気持ちを込めて、きっ、と目を見開いて。
しかし、先生が気付くことはありません。淡々と分数の問題の解説を進めています。まるで私など、歯牙にもかけないと言わんばかりに。
「くそっ……!」
やけくそになって手元のブロックを投擲してやろうと思いました。
体が、震えていました。
先生には勝てないという本能の働きに屈する自分が情けなくて、目頭が熱くなりました。
「いつまでやってんだよブス!」
タカユキくんが冗談交じりに私の背中を蹴りました。冗談とはいえ、サッカークラブの脚力です。とても痛いです。一瞬、呼吸ができなくなります。
体の痛みと心の痛みが合わさって、一層惨めな気持ちを助長しました。
どうして。
私ばかりがどうしてこんな目に遭うのでしょう。
天を仰ぐと、どこからか声が聞こえてきます。それは聖母のような声でした。
痛みは、分かち合うもの。
天の声の励ましを受けて立ち上がった私は、タカユキくんの方へ歩いていきます。
授業中だというのに、腹を抱え机をバンバン叩いているタカユキくん。
「うわっ、なんだよこいつ」
タカユキくんはとっさに手を振り払おうとしてきますが、放しません。
私は動揺するタカユキくんの手のひらを少しずつほどいていき、そっと机の表面に添えてあげます。
「ねえ、知ってる?」
「……な、何を?」
「神様が、言ってたんだよ」
「は? 神様?」
私は隣の席にある筆箱からからプリキュアの鉛筆を取り出すとタカユキくんの指の間に挟みました。
鉛筆を挟んだタカユキくんの手の甲へ、ひと思いに体重をかけました。
「痛ってぇぇ!!!!」
タカユキくんは大声を上げて痛がっています。しかし、タカユキくんは嘘つきです。こないだもサンタさんがいないなんて嘘をついて私を虚仮にしてくれました。そんなタカユキくんのことですから、きっとこれも演技なんです。第一、私はまだ体重の半分もかけていないのに、そんなに痛いはずがありません。
レゴブロックを蹴散らすタカユキくんにも物を大切にする心があったなんて……。
でも、どうせこれも嘘です。
「これは、蹴りの分」
「はぅあっ! おいてめえこのブス! 痛いっつってんだろうが!」
「これはブスって言った分」
「じ、事実だろうがああああ!」
「これは、おうちの分」
※
タカユキくんはさめざめと涙を流し、やめてよう、やめてよう、と言うだけの生き物になりました。教室は何やらざわついているようでしたが、先生は何も注意しなかったので、きっと問題ないはずです。
痛み、十分に分かち合えたと思います。
心なしか晴れやかな気分です。
さっきまでの怒りが嘘のように体が軽いです。
これが痛みを分かち合うってことなのでしょうか。
だとすればこんなに素晴らしいことはありません。
この行いが広がれば、世の中から争いが消える日は近いでしょう。
今にして思えば、先生は私にこのことを伝えたかったんじゃないかって気がしています。
すると、今度は目が合いました。やりました。心、つながりました。
「小梅、あとで職員室な」