はてなキーワード: 禁酒とは
うちのお父さんがまだ中年だった頃、サントリーのオールドをたまの贅沢としてチビチビやっていた。
普段飲む酒はサントリーレッド。飲んだことはないけどおそらくウイスキー色をした何かだろう。
貧乏なので高い酒を飲むことも深酒もすることができなかったのが健康のためには良かった。
いつの頃からか、外国から輸入してきたウイスキーが国産ウイスキーより安い値段で売られるようになった。
お父さんは本当に嬉しそうに酒のディスカウントストアに買いに行った。
「ダルマ(サントリーオールドの愛称)よりジョニ赤の方が安い」と、本当に嬉しそうだった。
その頃まだ子供だった僕は、輸入ウイスキーとサントリーオールドの値打ちの比較なんかできなかったけど、
嬉しそうなお父さんを見てこっちも嬉しかった。
最近初めてオールドを飲んでみた。もちろん当時とは味は違うだろう。
たまの贅沢として飲むウイスキーとしてはイマイチな感じだが、きっとレッドに比べたら極上の味なんだろう。
お父さんは手術をして今は禁酒中。
体が癒えた頃に、美味しいウイスキーを持って行って、一緒に飲みたい。
当方社会人で、2005 年頃に発症したうつ病患者。今のところ休職経験なし。メンタル回復に効果があったものとなかったものを列記してみたい。
自分の抑うつ症状は睡眠不足に大きく起因しているようで、大変効果的。かつては深夜 0-1 時入眠 6 時前起床の 4-6 時間睡眠だったのだが、今は 22 時入眠 7 時間睡眠を目標にしている。それでもたまに睡眠不足に陥るが、以前のことを思えば随分良くなったように思う。以下は睡眠関連のコツ。
酒もクスリもやめた自分にとって (後述) セックスだけが即効性のある快楽として残ることになった。パートナーが病状理解してくれているのも幸いしている。効果はアルコールやベンゾジアゼピン系薬剤に近いように思う。大変効果的。だいたい 6-8 回/月。
自身の想いをぶつける場として大変有用。このエントリーも、まずは日記用の非公開ファイルに書き出してみて、自身の考えをまとめて、多少推敲を加え、それからポストした。今なら音声入力などを併用しても良さそう。非公開で絶対に人に見られないことがメンタルによい日記の秘訣かと思う。
大変効果的であったが健康問題により止めた。かつては連日飲酒し (ワインボトル 0.5-1 本/日)、かなりの頻度で出勤前にも飲酒していた。勤務中に飲酒することもしばしばあった。飲酒運転をすることはなかったものの、事件や事故にならなくて良かったと思う。γGTP 500 台というまあまあ重篤なアルコール性肝機能障害を来たして断酒。宴席では今でもたまに飲みたくなることもあるが、日常生活から二日酔いがなくなったメリットのほうが大きく、数年間禁酒継続できている。ちなみに最近人気のストロングゼロは頭痛必発なので好きではなかった。
こちらも大変効果的であったが健康問題により止めた。4-5 年ソラナックスとメイラックスを併用。どちらも確実に効果を実感できて大変良かったが、どんどん常用量が増えていき、ときどき OD することもあった。禁酒しても肝機能障害が遷延したため (γGTP 200 台) 勇気をもって投薬中止。ベンゾ離脱症状で 2 ヶ月ほど死にそうな気分で過ごした。残念ながら断薬後も γGTP は 3 桁高値が続いておりベンゾが悪かったとは断定できないが、離脱症状の辛さを考えるともう二度と内服したくない。
かつて 7 年間ほど常用していた。当時この手の薬剤は日中の眠気が必発で、内服時間を調整しても眠くて仕事にならなかった。世にいわれるような晴れ晴れとした気分にはならなったので、自分にはあまり効果的でなかったように思う。典型的なシャンビリ症状とインポ症状がでてきて内服中止。騒い離脱症状は出なかった。
朝 5-6 分のストレッチと自転車通勤を数年間、毎日 3 km 弱 / 20 分の室内トレッドミルを半年間、週 1 回 1 時間の水泳を 3 ヶ月続けてきたが、今のところ効果は微妙。ランニングを始めたきっかけは "脳を鍛えるには運動しかない!" という本に感化されたためだが *2、本に書いてあるほどには回復しなかった。しかし良い習慣ではあるので今後も続ける予定。
独学で始めたマインドフルネスにはほとんど効果はなかった。しばらくして臨床心理士のガイド付きマインドフルネスを 2 ヶ月ほどする機会があり、こちらは即時的な効果はあったように思う。ただ自身で再現性を得ることができず結局続いていない。そろそろ再開してみてもいいかもとは思っている。
セックスに比べると効果は弱いように感じる。安心ホルモンであるセロトニン (オキシトシン?) の分泌量に違いがあるのだそう *3。ちなみにオナ禁の経験はない。
*1 http://www.200kounen-training.com/entry/2018/01/10/223227
*2 https://www.amazon.co.jp/dp/B00JDLBEFW/
*3 https://ameblo.jp/kinyoku9/entry-12249634913.html
2018/02/03 16:18 追記コメント投稿しました。https://anond.hatelabo.jp/20180203161614
その上禁酒なら行けるようになるのだが
陰嚢湿疹てやつに1年半くらい前からなった。
最初の半年くらいはまぁ我慢できるレベルだった。ほんとに軽くだけど水虫持ちでもあったので、それが玉袋にうつった所謂インキンタムシだと思って薬塗ってたんだけど一向に良くならなかった。
今年の正月あたりになると保冷財で冷やさないと眠れないレベルになり、たまらず皮膚科へ。
事前にネットで検索したら、寝る前に痒さが増したり、袋がカサカサになって皮が剥がれ落ちたりという症状があったので疥癬とかいう寄生虫の病気なのかと思った。自分でペット飼ったりはして無いけども、他人のペット触ったり、動物触った子供に触った記憶とかはあったので。
受付は50代くらいのおばさんで、「今日はどういう症状で?」と聞かれたので「夜寝られないほど陰部が痒い」と正直に答えたら気のせいかもしれないけどふっって失笑された気がした。その時はそれどころじゃなかったけど後々考えるともし笑われてたなら腹がたつなぁと思った。隣にいた20代のお姉さんは無反応でありがたかった。(もしかすると反応が逆だったら嬉しかったのかもしれない)
受診にあたり、自分は陰毛が薄いほうでは無いのでハサミでかなり短くカットして行った。当日朝に風呂も入って身奇麗にした。
診察で玉袋が痒いというと見せて、といわれたのでズボンを脱いでパンツのスキマからちんちんを持ち上げて該当部を見せた。具体的に言うとちんちんの付け根と玉袋の境目あたりから玉袋側にかけてが痒かった。
診断は「陰嚢湿疹」。疥癬かと思いましたって言うと笑われて心当たりでもあるの?って言われた。ステロイド入りの軟膏と乾燥を防ぐ軟膏を処方され、化学繊維の下着はやめて木綿の下着にしなさいといわれた。陰嚢湿疹も事前にネットで調べたが、原因不明の事が多く、疥癬なら特効薬があるそうなので薬一発で治ると思ってたのになぁとガッカリして木綿のパンツを買って帰った。ちなみに医者はおじいちゃんだった。美人女医だとある意味嬉しかったかもしれない。
ステロイド入りの軟膏の効き目はバツグンで、とりあえず痒くなって塗ると治まる。インキンタムシの薬は少しだけかゆみが治まった気がしたが、ステロイド無しの市販のかゆみ止めはほぼ効き目がなかった。
とりあえずいいたいのは、これを読んだキンタマ痒い人は恥ずかしがらずに病院いきましょう。
なんで今頃こんな事書いたのかと言うと、原因が唐辛子の過剰摂取なんじゃないかって気がするから。これから唐辛子断ちをして様子を見るつもり。ぶっちゃけ唐辛子断ちって禁煙や禁酒よりよっぽどキツイ。マジで。
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追記
低刺激性のボディーシャンプーで、風呂上がる時にタマタマは念入りにシャワーでゆすいでるから多分大丈夫だと思うけど、念のために石鹸にしてみるわ。ありがとう。
父は貧しい個人商店の長男で、奨学金を貰いながら大学に通った。やがてお見合い結婚をし、母との間に私と妹が生まれた。妹が生まれる直前に、土地付きの家を買った。家族旅行にもよく連れて行ってくれた。私も妹も、名の通った私立大学を出ている。
専業主婦の母と娘二人を養ってくれた、世間的には平凡だが立派な父。
理屈ではそんな風に考えられるのに、私は父を愛することが出来ない。30歳になった今でもだ。
子供の頃、我が家には大きなピアノがあった。私がピアノ教室に通い始めてすぐ、音楽の心得のある父が付きっきりで練習を見てくれたことがある。幼稚園児だった私にとっては、トラウマと言ってもいいような記憶である。
私がうまく弾けないでいると、父は厳しく叱り付けた。正しい運指を見せて、この通りにやれ、と言う。殴られたわけではないが、涙が出る程度には恐ろしい口調だった。両手が塞がっているので、涙も鼻水も垂れるがまま、いつ間違ってしまうかと怯えながらピアノを弾いた。見せてもらったばかりのお手本の真似も出来ない自分は、きっと出来の悪い子供なのだと思った。
その後も父にはしばしば、「同じところで何度も間違うな」と注意されたことを覚えている。間違えると叱られる。私にとってのピアノとはそういうもので、演奏を楽しんだり、褒められた記憶はない。今でも鍵盤を前にすると、誰かに監視されているような気がする。弾くことは、もう一生ないと思う。
子供にも音楽をやらせたい、最初に正しい型を叩き込むのが肝心。それは父なりの愛情表現だったのだろう。ピアノは高価な買い物だったはずだし、月々の月謝も安くはなかったはずだ。何より、わざわざ時間を割いてくれた。練習の様子も気に掛けてくれてはいた。
家族で食卓を囲んでいても、父は原則として、人の話を聞いていない。「お父さんはどう思う?」と水を向けても、大抵は無反応である。
テレビを見ながらの大人同士の雑談なら、それでもいいかと思えるが、毎日の出来事を話したい盛りの子供には辛いものがあった。進路や学費といった相談事まで無視されるのには辟易した。仕方なく何度も話し掛けたり、大きめの声で注意を惹くと、ものすごく不機嫌になる。金は出してやるから好きにしろ、とだけ言って背を向けてしまうので、どのみち会話は成立しない。
そのくせ父の方は突然ウンチクを語り出したり、つまらぬオヤジギャグを飛ばし、望んだような反応が得られないと機嫌を損ねるのだ。
そんな壊滅的な父の対話能力は、酒が入ると完全に消滅する。自分語りやお説教を垂れ流すのはともかく、好意的な反応を返さないと拗ねたり怒鳴ったりするのが厄介である。
体のためにも酒量は控えて欲しいと、家族がどれだけ注意したところで、ネットショッピングで無尽蔵に取り寄せられてしまう。それでも家計に響かない程度に稼いでいるのは父自身なので、経済的な切り口から禁酒を勧めることも難しい。健康診断は既に要注意項目が複数あるのだが、どれも「危険」の一歩手前であるため、「これくらいは大丈夫ってことだろ」と言い張って毎日のように飲む。
酔った時の父について、私は子供の頃、まるで人語の通じない別の生き物みたいだと思っていた。大人になり自分自身が酒を嗜むようになった今でも、その印象は変わらない。お酒は楽しい時間を過ごすためのもので、酔って記憶も正体もなくすのでは本末転倒だと思う。
私は思春期を迎えると共に、夕食を食べ終えた後は子供部屋に引きこもるようになった。妹は部活動やアルバイトで、なかなか帰って来なくなった。
父の帰りが遅かったある日、嫌味を言われたことがある。
「俺の金で生活出来てるくせに、女同士でだけ楽しそうにしやがって」
何も言えなかった。父がいない日は妹も早く帰ってくるし、私だって居間で宿題をやった。
父はたぶん、精神的には幼児のまま、体と職能だけが立派になってしまった人だ。父方の親戚や祖父母の家を見れば、経済的にも精神的にも恵まれない育ちだろうと想像はつく。発達障害の特徴もある。それでも一家の大黒柱として、アルコール依存症気味になりながらも私たちを育ててくれた。
立派だね、頑張ったんだね、育ててくれてありがとう。
きっと、そう言えるのがいい娘であり、いい大人だ。
分かっていても、気持ちが追い付かない。虐待を受けたわけでもないのに、愛情を注がれてきたはずなのに、肉親を愛せない自分に失望する。
食卓に出された料理を、自分が欲しい分だけ取ってしまう父。一人二つずつだからね、と食べ始める時に母が釘を刺したにもかかわらず、無視して三つも四つも食べる。それが久しぶりに帰省して来た娘の好物であってもお構いなしだ。酒が入ると、もう手が付けられない。
だから小皿に分けてって、いつも言ってるのに。ごめん、大丈夫だと思ったんだけど。母とは目と目でそんな会話をして、肩をすくめた。
父は視野の狭い、ただの子供だ。悪気はないんだ。ならば歩み寄れる、愛せるようになるはずだ。
そう自分に言い聞かせようにも、欲のままに飲み食いする還暦過ぎの酔っ払いは視覚的インパクトがあり過ぎる。卑しい、醜悪だ、という感情を打ち消すことが出来ない。自分の血肉の半分がこの男から受け継いだものだと思うと、身の毛がよだつ。どうして母は、こんな男と一緒に暮らして正気を保っていられるのだろう。
私には、父を愛することが出来ない。
よく言われる禁酒時代のアルカポネと同列に扱える物じゃない。これも、大麻合法論者がよく使う勘違いに基づく例えだ。流通して既に嗜好品として定着してるものを禁止すれば、闇の市場に流れるのは当たり前。言うまでもなく大麻はまだまだ日本では嗜好品として定着するほど流通してない。ドラッグと同じ物だという誤解もあって一部のアウトローなやつらのものだ。市場規模も海外とは比べ物にならないくら小さい。大麻の流通を止めることはできないが、扱ってるのはヤクザだからヤクザさえ追っていれば良いという状態がベターなんだよ。
カナダ、オーストラリア、ウルグアイで麻薬組織の大きな抗争ってある?
今現在の海外の麻薬組織の抗争事情は知らんが、血塗られた歴史のない麻薬組織がないのは知ってる。逆に、無血の麻薬組織がこの世に存在してたら教えてくれ。麻薬で抗争が起きない可能性について認める。
アメリカのシアトル、ポートランド、コロラド、アラスカって治安悪い?
最初に言ったが、既に定着してる国では流通経路・縄張りが安定していることもあるだろう。それでも同じように抗争しないギャングがいないのは知ってる。大きな市場が既に出来上がってしまっている場合、それを国が取り上げるという意味での合法化はある意味合理的なのは俺も認めるところ。
あんたが勘違いしてるのは大麻を取り巻く状況を海外と同じ前提で考えてることだ。もし日本で大麻の潜在価値が顕在化してアメリカ並みの市場になったとしたら、日本の半グレ事情は一変するだろう。
当然、ヤクザだけじゃ供給は追いつかない。そして、大麻は覚せい剤と違って雑草だ。反社会的な連中が参入してこないわけがない。雑草が大きな市場価値を持てば、アメリカ建国以来のギャング抗争の黎明期が日本で始まる可能性すらある。というのは俺の妄想が入ってるが、治安が悪くなるのは想像に難くないだろう。