はてなキーワード: 男系とは
途中までは楽しく見てたんですよ、いきなりのティ・チャラの死の喪失感から始まってタロカン帝国の壮大さ、シュリをはじめとして活躍するのはほぼ女性キャラ、こんなに充実していていいの?というくらいのフェミニズム描写
キルモンガーの登場や、復讐心を乗り越えて前に進もうとするシュリには感動した
それがずっこけたのはスタッフロールの途中で唐突に出てきたナキアの息子
最初は養子の可能性も考えたが、残念ながらティ・チャラの実子で間違いないらしい
まさか「女の王は中継ぎ!男系男子こそが正当な後継者!」なんて話をフィクションの中でまで見せ付けられるとは…
つい先日イギリスのエリザベス女王が惜しまれつつも亡くなった記憶が新しいのに、なんで映画の中で今更こんな古臭い描写?
作中でも女性が王になる事への反対意見とかがあった訳でもなく、みんな当たり前のように女王を受け入れていたのに
スタッフロールをぶった切ってこの唐突な男系男子至上主義描写。
ていうかナキアがティ・チャラの子供を産んで、ティ・チャラもそれを承知でハイチでナキア一人で育ててましたって
父親が甥を見捨てた事に憤ったティ・チャラとも思えぬ無責任さ。
育児放棄のクソ親じゃん…
恋人に子育てを全部任せて、母親や妹には王位の面倒なところを押し付けて、自分と同じ名前の息子が正当な王位継承者ですって?
ティ・チャラ役のチャドウィック・ボーズマンって確か、結婚はしてても子供はいなかったと思うけれど、彼に対してもあまりに失礼じゃないだろうか?
ラストの「ブラックパンサーは帰ってくる」って、ティ・チャラの息子を指しているとしか思えないし
要はシュリは正式なブラックパンサーじゃなくて女王は中継ぎに過ぎないって事だよね?
アフリカ系の人達ってなんだかんだで異性愛至上主義かつ男尊女卑の保守的な人が多そうだから、その辺の人達に受け入れられるようにした結果なのかね。
異性愛なら普通にリリのポジションを年頃の男性キャラにして、シュリの婿として迎えられて二人の子供が後継…みたいな感じじゃいけなかったのかねえ
とにかく絶対に男系に拘りますとでも言いたげな製作陣の態度に、秋篠宮妃が突然第三子を妊娠した時の事を思い出したわ
もうシュリはネイモアと組めばいいんじゃないかな…ネイモアの言う通り、マジでシュリが孤独で気の毒になった
対等な友達になれそうだったリリも結局出て行っちゃうし、愛する兄は自分達に内緒で子供を作っていた事が明らかになるし。
こりゃあ闇落ちしても仕方がないわ
あまり言いたくはないが、立憲民主党に入れるしかないでしょう。
女性・女系天皇を公認する政治家は立憲民主党の中にしかいないんだから、立憲に入れるしかないんだよ。
もういいかげんに「少数安定政党」の乱立を終わらせなければならない。
自民党ばっかりが得をするんだ。
何もしなければ自民党が大勝する、それが「少数安定政党」乱立のカラクリだ。
保守系の政党も、「男系」と言いさえすれば、頑迷ホシュから票が取れると思っていて、なんと国民民主党は「男系」に転向してしまった。
山尾(菅野)志桜里がいたときは「女性・女系公認」だったのに、裏切りやがった。
結局、二大政党制なんだから、自民党か立憲民主党で権力の奪い合いをするしかない。
キャスティングボードを握ろうとか、卑しい夢を抱くのは馬鹿馬鹿しい。
『三体』って有名なSF小説で、未来の社会が描かれてるんだが、それによると、男は皆女みたいな外見・立ち振る舞いになっているんだそうだ。
線が細く、髪も長く、繊細な感じ。
性格もガハハみたいな粗野な男は一人もおらず、総女化しているのだという。
小説全体の描写のワンシーンに過ぎないんだが、これは印象に残った。
今の現実をみても、あらゆるものの志向が女性化していっているのを感じる。
女が好むのも女顔の男だし、若い男はメンズメイクとか美容に力を入れてどんどん女を目指してってる。
広告やコンテンツなんかも男性向け女性向け両方ともマスコットとかは女だよな。
マジで100年後の男は中性的なやつの割合がどんどん増えるんじゃないかな。
なんて思ったのさ
疲れたのでこの辺にしておく
ヒトがもともと血縁に関して持ってた概念において男系女系の区別はなかっただろう。
同じ血をわけたものかどうかは顔の類似性によって教育を受けてない幼児でもわかるかもしれない。
だけど血をわけているというところから男系かどうかを区別するのは俺でも難しい。少なくとも俺にして見れば下手な脳トレより論理パズルしてる難問だ。
たとえば王朝の始祖が女だったとしよう。これが同じ王朝を維持するには近親相姦によって子を儲けるしかない。
一番手っ取り早い(理解しやすい)のは父親と相姦して男児をもうけるよう励むことだ。
でもできれば同年代がいいだろう。兄弟がいなきゃいとこが次善だが、単に父方のいとこというのでは条件を満たしているとは限らないっぽいのだ。はとこも同様。
炭素のトレースと同じような感覚で、同じ精子を共有する男を見極めなければならない。
なんかもう自分で言ってることすらよくわからなくなってきたので。
血とかにもこだわらず意志を継ぐものなら誰でも天皇になる権利を有することにしちゃえばいいんじゃないっすか。
鬼殺隊の当主だって単なる役割にすぎないそうだから血が途絶えたら躊躇なく別の人から当主を選ぶだろうね。
そもそも歴史的な話として封建時代の「男系長子相続の社会」みたいなモデルを「男子優遇社会」だと社会学者なんかが判断したのが始まりっしょ。それはそれで間違ってない、なぜならこの社会において女性は財産の相続権がないわけだから。
んで、この社会は「男子優遇社会」なのはそれはそれでいいんだけど、じゃあすべての男子がそうなのかといえば違う。具体的には長子以外の男子は相続権がないし、長子のスペアとして自由やら権利やらが制限されてきた。つまり「男子優遇社会」の中で相対的に弱者だった。これが前近代の封建社会における弱者男性だよ。
上記の話は歴史上の話であって直接的には現代社会には関係ない。のだけど、現代の自由主義社会を作るに当たって、その恋愛観や男女観を形作るときに、騎士道物語的なロマンチック・ラブイデオロギーを利用したってのはある。女性の人権なんざ薄っぺらい封建主義から人道人権が重要な近代主義に移行する仮定で、女性を尊重するに当たっての「物語」として男性は女性を守るべしみたいな価値観が挿入された。
でもそれって「物語」であって「価値観」だから色んなものがごっちゃになって濁って導入するしかなかった。物語って多面的なものだから仕方ない。
「男は女を守るべきだ、それが男の甲斐性なのだ」みたいな価値観。日本で言えば文明開化から戦後昭和に至るまで、そういうのが繰り返されてきた。ジャンプ漫画にだってその影響は強くある。それは細かく精査すれば、男性側の労力的精神力的あるいは財産的な「持ち出し」にあたる行動規範だ。
しかし、前述したように封建的だった時代から男性は女性よりも優遇されてきた。最終的には優遇をなくして同権社会を作ればいいんだけど、一足飛びにそこにはいけない。社会が混乱するし下手したら壊れる。なので、男性優遇社会の優遇分を「再配分」するために、男性側が持ち出して女性を遇するという文化が要請された。
時代が進み現代になっても、この文化はあちこちに根付いている。卑近な話で言えばデート料金をどっちが持つかって話にもなるだろうし、専業主夫にたいする風当たりの問題もあるだろうし。
現代社会においては「男系長子相続」が強要されているわけではない(※日本でも一部田舎の家系ではそういう文化が残っていたりして話を面倒くさくしてるんだが)。だからそういう意味でもう僕らの社会は個人主義自由主義の社会だ。
にもかかわらず、再配分文化の名残で、男性がその男性の能力や財産とは無関係に、何らかの持ち出しを続けなければならないとすれば、それは再配分を超えた搾取であるのだから、弱者搾取ではないか? これが現代の弱者男性でしょ。
別に難しい話じゃないし、明快な話なのに、なんでこんなに混乱してるんだ。
血の繋がった男女間では、元々他人同士だった男女のケースとは異なり、二人の間に不思議な権力関係が働く。
兄と妹。
父と娘。
叔父と姪。
あるいは、姉と弟、母と息子、叔母と甥の間柄ですら、男系親族が性的に暴走し、圧力をかけながら手に負えなくなる。
あと親族間で障害の遺伝子があると遺伝しやすくなって劣等な子孫の生まれる確率が通常より高まり、生まれた子が生きづらくなり、リベラルではなくなり、下手をすれば優生主義社会の到来を助長する。
これが成人間の同性婚を異性婚に連ねて称揚しつつ、異類婚・少年婚並びに近親婚、多数婚を忌避する人権主義自由派の論理なのだが、同意していただけるか。