はてなキーワード: 昼夜逆転とは
昨日は9時間半寝たがそれでも昼過ぎは眠くなったのでコーヒーを飲んだ。
休みの日は8時間+2時間昼寝する。もちろん夜眠れなくなっちゃうなんてことはない。
怠け者だというのはごもっともだが、試しに睡眠時間を4~5時間にすると翌日の仕事に影響が出るため、仕事のために寝ているといっても過言ではない。
週1回くらいなら、翌日コーヒーキメてなんとか…って感じ。
ロングスリーパーは10時間以上らしいので、ギリギリロングスリーパーには該当しないかもしれないが、
ちなみに、寝具にはそれなりにこだわっているし、毎日睡眠アプリで睡眠を記録している。
最初に謝っておくと、収益ではなく収益構造と書くべきだった。すみません。
・約50棟のうち、10棟以上の作付けを諦めた
・2人来ないで売上1000万円の減少
ということなので、単純計算すると売上5000万円規模で雇用は10人ということになる
かなり大きい方だし、よくこんなにほうれん草をやろうと思うなぁとは思うけど
ここは確かレタスの産地でもあるので、周囲からすれば特段驚く規模の売上ではないと思う。
市場出荷の場合、野菜の値段は僕らに決められないのが辛いところ。
肥料費・農薬費・燃料費・種苗費全てが上がって行ってる皺寄せを全て食ってる気がする。
綺麗に作っているというより、綺麗に選別しているという方が正しい。
本当のところはわからないけど、農家が多かった時代には規模拡大したくてもできず、
利益(=単価)をとるために綺麗にすることを選んだ、その名残だと思っている
合わせないとと格下げされてしまうので、選別を綺麗にせざるを得ない。
本当に悪いものは除くとしても、それだけなら選別は倍くらい早いと思う。
当事者がこれをいうと甘えと取られかねないので言いたくないけど、
食料問題は命に直結するので、経済だけで語ることはできないと思う
白菜がなくなったら死ぬかと言われれば死なないわけだけど、コメなら死ぬ。
じゃあどうやって線引きするの?っていうとこれは政治判断になる。
融資が受けられれば生産性が上がる」はそりゃそうだけど、投資金額に見合うだけの生産性向上に繋がらないのでは投資した意味がない
例えばコメの刈取であれば当地であれば9/25頃から始まって10/20までに刈り終われば必要十分だ。
生産性が上がっても、その先の仕事がなければただ暇になるだけで意味がない。
もう一つはモミの受け入れの問題。刈り取ったモミは乾燥施設で水分15%を切るまで乾燥させるのだけど、これが大体一晩かかる。
乾燥施設の能力以上の刈取能力を持っても、これまた意味がない。
農機具への投資は生産性だけで語ることはできず、経営環境によるということ。
でも金融は返せるなら貸してくれるから、この2点を考えず買いたいから買うという機械投資している農家はかなり多い。
他国を知らないのでわからないけど、水田はもう固定資産税・土地改良区の賦課金の合計を割ってくるレベルまで来ていて、
当地では高いのは土地改良区の方で、でもこれは水田である以上水路整備は必要なのでしょうがない。
畑はわからないけど、大規模産地ではかなり高いと聞いているし
あと高知のように施設園芸が中心だとさらに高いと聞いた。こちらは真偽不明。
人手不足は収穫期だけの話だったような
ホウレンソウの場合は収穫箱詰めが作業時間全体の8割を占めると記憶している。当然収穫期だけ人が足りない。
作業効率だけを考えれば外国人はほぼ収穫箱詰めをし続けることになるはずだ。
収穫を中心に作付け計画を立てるのはどの品目も共通かな。いや水稲は別か。
ちなみに、当地の農協のルールではホウレンソウの収穫は出荷前日午後5時以降に行い、
出荷は午前9時までという鬼のルール。いやどうしろと。昼夜逆転?
そこを除けばできる人とできない人の差は10%くらいで、稀に飛び抜けてる人がいるくらい。
できない人も他の作業であればできたりするので、稀を期待しなければ一人当たりの売上という考えは妥当でしょう。
しているところはあるが、まともに給与を払うためには
露地野菜であれば一人の従業員あたり1ha=3000坪ほど、水稲であれば8ha=24000坪ほど農地が必要になると思うから
農地集めに全ての成否がかかっている。
これを集約できるかといえば、外部から来た人間ではほぼ不可能だし、農家というより不動産屋みたいな・・・
話は逸れるけど、一人でこれだけ広大な面積を必要とするのだから、
「農業が基幹産業であれば過疎化が進むのは避けられない」という秋田県知事の発言は的を射ている。
あとは集落営農という方法があって。集落で法人を作るということだけど、これがうまく行っている例は少なかったと思う。
ああ、一個言い忘れた。
1000万の売上が消えたら、満額加入していれば800万、
種代肥料代農薬代引いても700万以上がまるまる”純利益で”出るはずだ。
RSSが下火になり、ほとんどの人が大手サイトしか見ない時代になっている。
そして、その大手サイトでもPV数のノルマに抗えず、ディレクションが崩れてきている。
ネットのどこかで炎上したり、スゲーと持ち上げたりといったのをいち早く見つけて記事を書く。
AIなどで個人の関心事項に合わせてニュースをカスタマイズとなっているところも、PV稼げるのは何かを入れ込んでくる。
好きな物を見ればというが、コンテンツに関する興味は減っているように感じる。
動画だと2倍速で見るとか、見どころだけシークバーで見ておさえるとか。
大学生くらいだと「それって見る価値がある?」とそれなりの人が気にする。
スゲーという空気が流れ手入ればスゲーと言えばいいし、そこから詳細な内容に触れるのは禁忌なのだ。
コンテンツの興味は下がっていってるが、人かお金かには興味上がっている。
人生はそこかしこに失敗につながる道が転がっており、失敗する選択肢は選びたくない。
生存者バイアスだろうが、なんだろうが、失敗する確率を下げないといけない。
ひろゆきなどのインフルエンサーが持て囃されるのは、そんなところからだろう。
一時期、ネットは社会不適合者のような人でも息がしていられたと思う。
昼夜逆転している、時間を守れない、生活能力が著しく欠落しているなど、そういった生き方も許容するのが社会かという流れも一時期あったかと思う。
ただ時代が進むと、アウトプットとプロセスは分離出来ずどちらも正しくないといけないとか、落ちるのはヤバいとなった。
さらに悪いことに顔出しが普通になった。社会的に抹殺されるリスクが高くなっている。
趣味友と集まってゲームや漫画の話をずっとしていたい、というのも叶わなくなった。
インプット情報は先に述べたように見たくない情報を挟んでくるメディアばかりになったし、
好きなものだけ次々新作を出してくれるほど社会は豊かではない。
漠然とした不安を忘れさせてくれるものは少なく、希望のない未来をどうサバイブするかという現実を突きつけてくる。
かつてリアルはクソゲーでもゲームや漫画の世界に引きこもればリアルを忘れられる存在だったが、ゲームや漫画の中に希望の無い未来が描かれる。
いま修士一年の理系院生だけど、むしょうに不安になる時がある。
この専門分野で職につけるんだろうかとか、自分の力量で務まるんだろうかとか、今考えてもしゃーないようなことがすごく不安に思えて夜も眠れなくなる。今なんか特にそう。
でも全然不安じゃない時もあって、そういう時は博士取得する気満々で、教授や周りの人間にだってそう言っちゃってる自分がいる。
こんな感じで両極端な気持ちが交互に押し寄せてくるんで、ほんとつらい。
わけもなくやたら不安になるのを、将来への不安だと決めつけてさらに不安になってるのかなとも思う。もしかしたら何かの病気とさえ思えてくる。
1〜2週間くらい普通に過ごしてても、ちょっと嫌なことがあったりすると、急に不安スイッチが入って、そこから1ヶ月は夜に寝れなくなって昼夜逆転生活になる。コロナでほとんどテレワークやってるので昼に寝てても滅多なことではバレないのは幸いかも。
精神科に診てもらおうと思い立つことも何度もあった。不眠用の薬くらいはもらえると思うし。
でもいかんせん昼夜逆転かつ気力がないので中々足が動かず、そうこうしてるうちに急に吹っ切れて元に戻って、すると行かなくていいかと思い直す。
これからずっとこんな感じの不安定な精神でやってかないといけないんだろか。
それならいっそ研究職なんか捨てて普通にさっさと就職して気楽に生きた方がよっぽど幸せじゃないのか。
とか思うけど、こんな考えも元気な時の自分は否定するんだろな。
周りのアドバイスを聞く限り、今のうちからそんなに焦ることはないらしいけど、じゃあなんでこんな不安になるのか誰かおしえてくれ。
長いこと親友だった子と距離を置くようになった。その子と喧嘩したとかではなく、言動に違和感を感じるようになったというか。
私も彼女もそんなに社交的な方ではなく、趣味が絡めば外に出るが、そうでなければ家にこもりがちだ。友達も多くない。
彼女の言動に違和感を感じるようになったといっても大したことではない。きちんと整理して書けるか分からないけど、モヤモヤして仕方ないので書いてみようと思う。
これまで彼女はしきりに「一人は寂しい」「出会いがほしい」「理解者がほしい」「どんな人でもいい、安心できる人なら」と言うので、それならばと私の知り合いや私の夫の友達を紹介してきたのだけど、自分よりも賢くないと無理と言う(単に大卒じゃなく誰が聞いてもわかるような良い学校を出ていないとダメとのこと)ので、話がまとまることがなかった。全然「どんな人でもいい」ではない。
紹介できる人も尽きたので、アプリなどを使って出会えばよいのでは?と提案すると「でも......ちょっとねぇ」「怖いじゃない、アプリなんて」「婚活がしたいわけじゃない」と尻込みをする。私はアプリを使って出会ったことがないので、マッチングアプリのどの辺りが怖いのかが分からないまま勧めたことは悪かったと反省したのだけど、恋人や結婚相手をアプリで見つけることは、このご時世そんな特別怖がることでもないんじゃないか?やたら広告を見かけるし、もうみんな当たり前に人と出会うための手段として使用しているものだろうと思っていた。というか、コロナ禍で気軽に出かけられない状態でどうやって人と出会うかといったら、アプリを利用するくらいしか思いつかない。
私も彼女ももう40代なので、彼女のお眼鏡にかなうような良い男性が独身のままでいるとは思えず、付き合う付き合わないの前に、条件を並べて「これらをクリアしなきゃダメだよね」というのは流石に無理があるような気がする。
どこかで妥協しなきゃというか......妥協という言い方がダメなら、他人に条件をつけるのなら、逆に自分がかなり磨き上げられていないと相手に求められないんじゃないかと思う。彼女は仕事で体を壊して、ここ3年くらい働いていない。果たして、現在進行形で無職の人はパートナーを見つけられるのだろうか。また、働いていないから昼夜逆転の生活を送っているそうなので、いよいよ人と出会うのは難しいような気がする。
で、私が彼女と距離を置こうかなと思ったきっかけがなんなのかというと、結局、
私「アプリとかどうかな。それか、インターネットで趣味の会合みたいなの見つけるとか。外に出ないと難しいんじゃないかな」
彼女「うーん......でも......ちょっとねぇ......」
というやりとりを、ここ数年もう何万回もやってる、ってところ。何の進歩も無さ過ぎて、面倒くさくなってしまった。歳をとると同じようなことしか言わなくなるのかもしれない。共通の趣味など他の話をしようとしても、結局パートナー不在の話に持っていかれるのだ。自分からは何の行動もしないのに、ずっと同じことばかり言っている彼女。
流石にもうだいぶしんどい。
そんな訳で、こちらからはもう連絡しなくなっていたのだけど、昨日久しぶりに『コロナで気軽に外に出られないから困っている。あなたは家族がいるから話し相手がいていいわね。ワクチン打った方がいいかしら?こういう時、パートナーがいればいいなって思うんだけど、どうしたらいいと思う?』と連絡がきた。
決して私が普段から昼夜逆転の生活をしているのではなく、なんなら規則正しく生活してきたし、むしろ徹夜なんてこれまでの人生で初めての経験になる。
自分は試験のストレスにはめっぽう強いタイプだと思い込んでいた。
学部入試の時も、適度に勉強して旧帝大の理系学部に現役合格することができた。
親や友人から、誰々は受験のストレスで病んでいる、とか、浪人して発狂した、という話を話半分に聞いていた。
自分とは縁遠すぎて、へー、そんな奴もいるんだな。としか思わなかったし、浪人したらあと一年のんびりできて最高だなとも思っていた。
そんな私が、世間的には通って当たり前のような風潮がある大学院入試が不安すぎて夜も眠れない。
学部入試の際は、高校の校風もあって、ある種浪人しても当たり前のような風潮があった。
浪人という逃げ道があったからこそ、そこまで追い込まれることなく、伸び伸びと勉強・受験ができたのだろうと今になって気づいた。
それに対し、院試、ましてや内部進学の者にとっては通って当たり前の試験である。落ちるなんて考えられない。
という世間的な評価に対し、私の志望する大学院は倍率1.5倍の完全一発試験勝負である。
さらに、学部も合格最低点ギリギリで通った私は、優秀な同期たちと競い合わねばならない。
決して同期たちに勉強時間で遅れをとっているとは思わないが、あまり勉強してない彼らが、私よりもはるかに簡潔で明瞭な解答を作っているのをみると地力の差に打ちのめされそうになる。