はてなキーワード: 敬礼とは
「私、増田阿野太郎は!恥ずかしながら!戻ってまいりました!」
暗い気持ちを誤魔化すために、久しぶりにあった両親の前で冗談めかしてそう答えた。つもりだった。
わずかな沈黙のあとで父親が「随分怖い喋り方になったな」と半笑いで応えてくれた。
母が怯えた目をしていたことに気づいた。
嘘が多い。
私、増田阿野太郎が某実力組織への就職を決めたのは、大学を出て無職になった次の秋だった。
惰性で続けていた就活にもバイトにも嫌気がさしていた頃で、親の態度も少しずつ冷たくなっていた。
曰く「デスクワークもある」
なんとなくで、就職先を決めた。
そして、気づけば私は税金で寝食を得る身になった。
総員起こしの前に歯磨きや洗面を済ませる。
着替えを用意し、寝ている間にズレたベッドシーツをベッド下に潜って引っ張りなおす。
そうして、何事もなかったかのようにベッドに戻り、ずっと寝ていましたよというオーラを漂わせつつ喇叭を待つ。
朝の体操と点呼により貴重な血税を一斉にドブに捨てたあとは、朝の掃除である。
上官の靴を磨かせていだくことの喜びを噛み締め、靴墨をこれでもかと塗りたくる。
そうして塗りたくられた靴墨がそこかしかに染み付いた床を必死に擦るのも、下々の者達の公務である。
二度目の点呼、国旗への敬礼、朝の挨拶、行進、大事な大事な公務の時間。
蛆虫が羽ばたく権利を得るために求められる最大のモノ、それはベッドメイク。
人生と同じだ。
もしも明日、訓練中に死んだとして、親が死に目に会いに来ても恥ずかしくないベッドメイクを。
それをシーツに込められぬものが銃を持てば国民が不安になろう。
国民を信頼させろ。
敵国に威勢を見せよ。
それがベッドメイクに現れる。
完璧なベッドメイクをする軍隊を前に、その絶対の統率を前に攻め込もうとするものがあるだろうか?
否!
絶対の統率!
目の輝き!
輝く靴!
輝くバッジ!
無理だった。
「なぜこんな安定した仕事を辞める?」
「定年後も自衛隊員という立派な経歴でガードマンでもバス運転手でもよりどりみどりだぞ?」
役に立ちたいから、こんな所にいたくねえんだ!
その言葉は流石に飲み込んだ。
もう疲れた。
たとえばこれが私企業でキチガイ社長が「人生はベッドメイクと同じだ。シワクチャで生まれシワクチャで死ぬ。それを生きながらえさせることが人生だ」とか抜かすならどうぞご勝手に、社員や株主の理解得られるといいねーで終わりよ?
言っちゃえば国民が平和な暮らしを守るために雇ってるわけよね?
なに綺羅びやかで清潔に生活を着飾ろうとしてんの?
違うよね?
国民が雇ってる国家安全保障の職業軍人で、仕事はメンツを守ることではなく市民を守ることですよね?
あと毎日のよう国旗の前にポケーっと突っ立って「(残り……〇〇時間!今日も5時ポンかますぜ!!!)」とかやってんな。仕事しろ。テメーらの「敬礼!(`・ω・´)ゞ」に払う金なんぞ最小限でええんじゃ。
国民やぞ?
Nさんは愛想がよく会社内みんなに好かれてる。だれにもにこやかに話しかける。
理系のひとらしく1を尋ねたら10くらい説明してくれて結局1がよくわからなくなるほどいろいろと説明をしてくれる。
基本的にギャグセンは低いけどおもしろいことをいおうとがんばる姿はとてもらしい。
そんなNさんをみてるのがとても好きだ。
だが、ふとした拍子に全ての表情が消えるときがある。
なにかシリアスなやりとりをしているか疲れているかそれともどう反応してよいかわからないときになるようだ。
実はそれが案外と好き。レアポケモンをみつけたような気分になる。
Kさんがいた。彼は派遣社員であり、あからさまにひとによって態度を変える。
仕事ができるとはいえないが、それよりも失敗した仕事を隠蔽する癖がありみなには距離を置かれてる。
でも仕事ができてめんどうみのいいNさんのことはとても気に入っていた。
ところが誰にも愛想のいいNさんはKさんにはそうとわからないように距離をおいているように思えた。
ひととの距離を測ることが下手なKさんはグイグイとNさんに寄っていく。
そしてKさんはよく敬礼をする。「わかりました上等兵どの!」といいながら。
そのたびにNさんが紙の表情になるのを遠目でみるのが大好きだった。
Kさんは他の社員のパワハラで辞めていったのでしばらくそのやりとりをみていない。
部署も変わったこともあり(仕事の関係上頻繁に顔をみるが)Nさんの紙の表情は本当にレアになってしまった。
いっそおれがそうなるように「わかりました上等兵どの!」をやろうと思っているがその度胸はいまのところない。
Nさんに嫌われるのが怖いからだ。
は?
ふざけんなよ。
俺たちの税金はお前らを身内で讃え合わせるために払われてるわけじゃねえぞ?
こう言うこと言うと「でも、それが市長クラスの仕事だから〜」とか言い出すトンチンカンがいるけどよお、俺が聞いた内容が正しければ単に公務員同士が公務員同士で褒めあってるだけで町内会すら参加してねえらしいぞ。
つまり、ソイツらは俺たちが税金で雇ってやってる時間に「身内が身内に褒められるためのイベントに身内を駆り出して、そのあいだ仕事を止めていた」んだぜ?
許せるかよ。
許せねえよなあ?
アホかよ。
「おお、なんと羨ましい」
「そちたち、誠の忠臣よの。これからも励むが良いぞ」
「ビシッ!」
「ほほほ、そちたちこそ公僕の鏡であるぞ」
とかやってる間によお、公共事業の調整は遅れるんた。
市民が不便を被る時間が伸びても、お役所は「メンゴメンゴ(うっせーなー)」で済むんだぜ?
マジで糞だよなあ。
許せねえよ。
たまたま通った駅に貼ってあった、東京オリンピックのマスコットキャラのポスター。
それを見た時、不覚にもムラっとしてしまった。
どうしてこんな気持ちになったのか、自分でもまだ飲み込みきれていない。
内容は、オリンピックの期間中、テレワークや時差通勤を推奨します、とキャラクターが呼びかけるポスター。
二人いるキャラのうちの青い方、男の子っぽいキャラクターが、駅員の帽子をかぶって笑顔で敬礼するポーズを取っている、という何の変哲もないもの。
ポスターが目に飛び込んだ時、時間も無いのに思わず足を止めて、私は食い入るように見つめてしまった。
そして私の中に、沸々と湧いてきた衝動。
快楽に溺れて、あられもない表情になって行く、その様子を眺めてみたい。
なんなんだ。何が私を惹きつけた。こんな気持ちは初めてだ。
だが私は男なのだ。いわゆるショタモノ大好物、などと考えたりしたことは人生で一度も無かったし、
ましてやそんな衝撃が駅のポスターに潜んでいるなんて、思ってもみなかった。
何より恐ろしいのは今後の生活だ。
これから私は駅でそのポスターを見る度に、またムラムラした感情を抱いてしまうのだろうか。
フリーダムに書く。
「大体の人が好きなことは仕事にできない」
みたいな理屈をまあよく見るんだけどさ、
そういう考えはそれなり人生損してるなぁーと。
結論だけ言うと、仕事楽しくなくても、仕事していること自体を楽しめばいいのに。
人生の半分くらいの時間を使うものを楽しまないって・・・そりゃ勿体ねーわって思う。
何もね、今の会社から与えられた任務に心から真面目に取り組む必要無いし、
つかそれは洗脳だし、まあどこまでも行っても嘘よ。
仕事内容を楽しいと思い込むのではなくて、仕事する時間そのものにできるだけ多くの楽しみを見出すのよ。
重要なコツは、仕事で使う時間を「なにか自分の人生とは別の時間」のように考えないこと。
あのね、
どれだけやりたくないことだろうが、
それらに対して手を動かして考えるのは「自分」なのよ。
何が自由でどう楽しむかは人それぞれだけど。
例えば俺の場合は全ての数字を維持するゲームだと思って楽しんでる。
売上とか給料とか仕事の速度とかもちろん、後輩の機嫌とか、昼飯の旨さとか、
とにかく仕事行っている間の全ての事柄を数値化して、それをなるべく高く維持するゲームみたいに考えてる。
あと細かいことをいちいち楽しんでる。
タイピング早くなると楽しー。
電話に慣れると楽しー。
人を丸め込めると楽しー。
俺を怒ってる人を観察すると楽しー。
一番早く来るエレベータを的中させると楽しー。
あと、考え方として「楽しさ」と「仕事の内容」に直接的な関係がないっての重要。
会社の職種とか上司に依存しないんで、いつ職場を鞍替えしてもいい気楽さがある。
そもそも会社なんてどんな最悪なことが起きても、クビか倒産しかありません。
それがなんだっつうんでしょ?次の会社行けばいいだけじゃん?
そう気楽に構えれば上司のカミナリとか仕事上の大ミスとか、ゲームの臨時イベントクエストみたいなもんですよ。
まあこれは俺のやり方だけど、とにかくどんな楽しみ方も絶対にある。
「仕事内容がやりたいことではないので楽しめない」
って考えは間違いだし根拠がない、と俺は思う。
人は皿を落とさず回すという何の意味もない単純なことにすら楽しみを見いだせる。
人は災害や戦争などという意に反することの極致にすら楽しみを見いだせる。
銃弾も飛んでこないし、複雑さは皿回しの比ではない。
楽しみ方なんていくらでもあると思うんだ。
間違いなく言えるのは、
「仕事後と休日だけが自分の時間」みたいな考えで生きてたら人生あっという間に終わる。
か、人生つまらなすぎて20代で退職リタイアして労働が無意味にトラウマになる。
それか自殺。
実際そういう人らを見てきたし、
それは本当にもったいないと思う。
仕事に行くのも皿洗うのも風呂はいるのもシャンプー詰め替えるのも全部自分の人生の時間なんだから、
楽しみを見つけることはできるって。ゼッタイ。
逆に言うけど、
仕事(を含めた生活)に自分独自の楽しみを見つけようという姿勢もなく、
それである日突然「とくに自分がどうこうしなくても自動的に楽しくなれるようなこと」と出会える(それも仕事で!)、なんて思ってるほうがおめでたい。
「いまの職業や会社が楽しいかどうか」なんてどうでもいいんですよ。職業や会社なんて人生から見たら使い捨てなんですから。
「仕事している時間をどう楽しむか」を見つける(・・・というより作る)ことが超重要。
最後に、
人に与えられた楽しみに出口なんかない。
会社なんかは
みたいな感じで「こう楽しめ」と押し付けてくる。
まあそれはクソオブクソ。無視していい。
そしてそんな言葉の通り本当に「今の会社の自分の仕事」に対して心から取り組むようになったら、
「仕事を楽しめ」ではなくて、
そのためには「たとえ囚人ですら自分の意思で自由に動いていない時間など一秒もない」という事実に気づくことですなぁ。
※一応フォロー
以下の理由で、誰もがこれをできると俺も思っていません。
・俺は技術職なのでそもそも会社なんぞ使い捨ての乗り物であるという考えがあります
・俺は人間関係の状態や質にプラス/マイナスの影響を1mmも受けない人です
・俺は会社における立ち振舞(「お疲れさまです」とかね)はロールプレイだと考えることができます。軍隊の敬礼といっしょでしょあんなもん。
・全ての評価軸が自己満足なので、他人に怒られても全く心的ダメージ受けないですし、褒められても全く心的プラスはありません。
「うん。ボクが納得してるからいいんだ」
「しかし……」
「きみ、名前は」
眼の前で緊張している彼は、視線を下に落としたまま氏名を応えると、
「はっ」と私はノートに名前と所属、そして時刻を書き記す。そして「じゃ、このへんでいいかな」と促す。
「……失礼します」引き下がった。
「かれ、何回目だっけ」
「二回目かと」
「はい」所属長の名前を思い出しながら、“TEL 下げ”と追記する。
「春だねぇ」
「はい」
「今年はできないって。どうするか。地元でやるかな」
「入れておきます」
「うん」
「いかほど」
片手を上げて開いてみせるので、
「五百……」
「ちがうよぉ、四千五百ぅ」
「マルカンでね」
「はい」
「ところで、例の、そろそろチラホラと……」
「梅も咲いてるよねぇ」
「このままで、よろしいので」
「うん。彼も次期選挙で忙しいとこ、よく、よこしてくれたよね。おかげで、助かった」
「確かに」
「呼ぶ、って言ったら、あれこれ騒がれちゃって、あれぇ、やっぱりちょっとあざとかったかな、て」
「はい」
「だから、こういうのがあれば、まあ、納得してもらえるかな、って。ちょっと、いまはやめといたほうがいいかもよ、って、さ」
「はい」
「次の冬には挨拶に行かなきゃね」
私は11月のページ、既に決まっている当選祝勝会の直後に、その旨、記入する。ゴルフのコーチの手配は7月のページに。
「はい」
「午後は無しね」
「はい」
「新作のプライムが来たんだ」
* * *
午後来客なく、私邸で過ごす。