はてなキーワード: 放送禁止とは
クレヨンしんちゃんはLGBTを蔑視している偏見に満ちた作品です。
とんねるずの保毛尾田保毛が駄目でクレヨンしんちゃんが良いというのはダブルスタンダードです。
クレしんオタが必死に擁護していますが、それはただ「クレヨンしんちゃんが馬鹿にされるのが許せない」というだけです。
クレしんオタの擁護は「クレヨンしんちゃんが馬鹿にされるのが許せない」というだけで、「クレヨンしんちゃんはLGBT蔑視が無い」という意味ではありません。
それでは本末転倒です。
クレしんオタが「クレしんが馬鹿にされるのが許せない」なら、僕は「クレヨンしんちゃんでLGBTが馬鹿にされるのが許せない」です。
それに加えて、クレヨンしんちゃんは家庭内暴力(DV)を茶化す描写をしており、大変不愉快です。
家庭内暴力は立派な犯罪です。みさえのDV・モラハラは見るに堪えません。
ただし、クレヨンしんちゃんのような低俗なアニメのせいで他のアニメまでもがとばっちりを受けるのには賛成しかねます。
クレヨンしんちゃんだけをピンポイントに規制し、他のアニメの表現の自由は保障するべきです。
保毛尾田保毛男でぎゃーぎゃー言ってる人はクソフェミニストと同じだと思います。
で、今回またぎゃーぎゃー騒ぐ人は自ら生き辛く、生き辛いままにしようとしているのだと思います。
主に怒ってる人は自分がゲイで、そのゲイであることがコンプレックスで、
それが笑いの対象になってるのが気に入らないのかなと思うんですが、
(ゲイじゃない、中立的な?正義的な?人もいるかと思いますが。)
人のコンプレックスが笑いになってるものなんて世の中にいくらでもあると思うんですよ。
デブであれハゲであれ出っ歯であれ運動音痴であれみんなそうだと思うんです。
だから、ゲイが真に世間に馴染むにはこれらと同じ道を行くしかないと思うんです。
それ以外の道は望むべくもない特別扱いだと思うんです。そういう意味でくそフェミニストと同じだなと。
そんなにあちこちに過剰に配慮する世界になったら、拒食症の人の事を考えたらグルメ番組なんてできないし、
貧乏な人の事を考えたら車とか旅行とかの番組もできないですし、有名大学なんて放送禁止になると思うんです。
で、今回ぎゃーぎゃー言ってる人も、普段の行動から全人類を相手に考えてるかというと、そうじゃないと思うんです。
じゃないと何か食べておいしいとも言えないですし、旅行行って楽しーとも言えないですし、
生きてるだけで幸せとかすら言えないんじゃないかと思うんですよ。極論ですけど。
だから、怒ってもいいんですよ、怒るなとは言わないんですけど、怒れば怒るだけ、
ハゲとかデブとかチビを過剰に気にしてるみたいな、扱いにくい冗談通じない人にしかならないと思うんです。
気持ちはわかるけど相手にすんなよ無視しとけよって言いたいんです。
他愛ない、ありふれたもの、っていうところまで世間の意識を持っていくべきだと思うんです。
うざい女定員とか、バイトリーダーとか、気持ち悪いオタクとか、すぐキレる教師とか、
そういうお笑い芸人のネタになるようなのと同列に保毛尾田保毛男を扱うべきだと思うんですよ。
ゲイだかLGBTにおける一種のステレオタイプとしての保毛尾田保毛男として扱うべきだと思うんです。
じゃないと、いつまで経っても世間的に異物で、普通の人から距離があって、物珍しい存在から脱却できないと思うんです。
「こんないかにもな奴いねーよwww」って笑えるくらいじゃないと、
ゲイであるという事が一個性であるというところまで永遠に辿り着けないのではないかと思うんです。
そりゃ人が嫌がることをする奴は怒られるべきだっていうのはわかります。
でもそれは理想論というか、一般論というか、あくまでも「論」を出ないわけで。
現実的に暮らしやすい世界を作ろうとするなら、ぎゃーぎゃー騒いで謝罪させるみたいな対応は頭悪いなと思うんです。
今回はその機会を無駄にしたなとすら思うんです。
「おんな城主直虎」を見ているんだけど、ポリコレ的に正しくない表現が多すぎる。
↑これらを美しく、しかも肯定的に描いているドラマだった。放送禁止にしろとは言わないが、時間帯を深夜にするなど、ゾーニングをしなくていいのだろうか。
浜松駅に立ち寄ってみたとき、ポスターがたくさん貼ってあった。ファン同士で楽しむのは否定しないけれど、街中に広めるのはちょっと自粛してほしい。
そういえば昨年のドラマ「真田丸」にも、最終回には、主人公の真田信繁がヒロイン(きり)にキスをするシーンがあった。
内容はと言うと、男が女に唐突に抱きついて、女はそのことに驚いて固まってしまう。男はそれに無理やりキスをしたのである。これって性暴力だよね?
もし現実だとすれば、男女がキスをするときは、たとえ口頭で許可を得ないとしても、まずは体を寄り添わせたり、相手の気持ちを確認するためのステップを踏む。いきなり抱きついたり、強引なキスをするのは性暴力だろう。
ドラマのストーリーでは、事後承諾でこれを相手が受けいれてくれたからよかったものの、子供とか、一部のバカな大人がこのマネをしたらどうするんだろうか? 当時、私はこのシーンを問題視していなかったが、先般に少年ジャンプの「ゆらぎ荘の幽奈さん」という漫画が炎上していたのを見て、ハッとした。子供も見るようなTV番組では、性暴力を肯定的に描写することを許してはいけなかったのだ。
私はかつての不見識を反省するとともに、NHKの配慮のなさが許せなくなってきた。
こういうものを平然と受容しているドラマ視聴者のことも許せない。漫画のように叩きやすいものだけに目くじらを立てる、インターネットのリベラル勢力に対しても怒りがわいた。
言うまでもなく、ポリコレに反しているものであっても、表現の自由はある。だからゾーニングすればいいのだが、それが十分に行われているとは言いがたい。
私はリベラル勢力にすこしは良識があると信じていたが、大河ドラマのような大衆文化に対しては、彼ら・彼女らもロクに反応を見せないようだった。これが日本の現状だ。
私は憤懣やる方なくて、頭がおかしくなりそうだ。
「ポリコレなんか知ったことじゃねーよw」「フィクションだから自由だろw」という態度で、まっとうな人権感覚を捨てないかぎり、この世界で娯楽作品を楽しむことは難しい。そして、それができる普通の人たちがうらやましい。
別に違和感というほど大したものではないのだけど、自分の中にはあげまん、さげまんに対する「え、それ使っちゃっていいの?」的な感覚がある。
あげまん、さげまんの後ろの「まん」は「ウルトラマン」の「マン」ではないし「まんじゅう」の「まん」でもない。
「まんこ」の「まん」だ。
Wikipediaによると「まんこ」の「まん」以外に「間」が転化したものと書いてあるが、世間の大半の人間は「まんこ」の「まん」だと思っているだろう。
検索してもWikipedia以外は「まんこ」の「まん」ということになっている。
まんこというのは世間的にあまり触れてはいけない話題、あまり言葉に出してはいけないことになっている。
放送禁止用語になっているし、ちんこと口にするよりも、まんこと口にすることにはためらいがある。
ちんこと書くのはいくらでも手が勝手に動くが、まんこは少しだけ意識して書かないとといけない。不用意に書けない。
女性器の洗い方が分からない、習わない的な記事も何年か前にはてなで話題になっていた。
そういう意味で、まんこというのは日本においてなかなかカジュアルに触れにくい話題であると思う。
こいつらはまんこだ。
おまんこの半分だ。
まんこ度高いにも関わらず、めちゃくちゃカジュアルに使われている言葉ではないか。
なんだかもうわけわからない。
サザンのマンピーのG SPOTみたいに、全部言わなければOKみたいな、多少隠れていればOKみたいな、モザイクが入っていればOK的な、そんな感じなのだろうか。
どうなんだそれは。
ねえ。見せて。
http://anond.hatelabo.jp/20161018224703
この続き。主にブコメへの返信など。
表現の自由は憲法とかの法的な枠組みだけじゃなくて価値観・思想の一つだと思うんだが。法的に保障された権利かどうかという問題と、表現の自由という価値観を守りたいという話は別だろうに。
法的な枠組みとは異なる価値観・思想とのことであれば良いのですが、辞書には載ってない程度には特殊な用法なのではないかと思います。そのような意味で使いたいのであれば注記をするなどしないと誤解を生みやすいのではないかと思います。
一般条項があれば間接適用が可能なので、具体的に表現の自由に関する規定がある必要はないですね。
これ。ほんとこれ。表現の自由は政府による検閲などからの自由であって、絶対的に保障されなくてはならないが、表現内容による刑事処罰・社会的制裁もまったく別物。
絶対的に保障されるか否かでは、検閲からの自由と後二者とは区別されますが、国家からの自由という観点だと、検閲・刑事処罰と社会的制裁に区別されることになりますね
それはその通りです。
表現の自由の問題であるかと、問題であるかとは別だけどな。民主主義のシステム的には何らかの意見が表明されにくくなることは全般的によろしくない。
その通りだと思います。ただ、その問題を論じるに当たって、直接関係のない表現の自由という言葉を使って欲しくないというのが元記事の主眼です。
基本的には私人間の問題なので表現の自由の問題にはなりにくいと思います。場合によっては国家行為の理論などが使われる余地はあるのかもしれません。下手なことを書くと憲法警察が来そうなのでやめておきます。
"取り締まりたい"<こういう向きの言説に対し差異に基づく権利の主張をもって法に働きかけてきたフェミニズムと親しい方が肯定的なのフェミのひとりとして残念。反差別の声もたんなるポジショントークと化してしまう。
男女平等、間接適用というと日産自動車事件というのがありますね。
そういう考えがあるなであれば誤りでしょうね。
なれない。
それは数字を見ればわかる。
マック赤坂が5万票。NHKをぶっ壊すが2万票。放送禁止候補が0.7万票。
この圧倒的な差。
最初から勝てない。だから報道する意味なんてない。マスコミは始まる前からここまで分かってる。だから三強しか報道しない。
ポンコツジャーナリストでも推薦があれば130万票入る。それは決して実力じゃない。
番組の尺には限りある。NHKニュースの貴重な10分を絶対落ちる候補にあてるわけにはいかない。
小池が取り上げられた理由は事前の世論調査で勝てそうだったから。
それでも善戦したと思うけど。野党は担ぐジャーナリストを間違えたんじゃない?
そうすれば事前の世論調査での偏りが減る。
他の候補も取り上げられるようになる。
常々、バーバレラみたいなセックスができればいいのにって思ってる。
洋服脱がなくていいし、無駄毛の処理もしなくていいし、相手が性病を持っているかどうか見極めなくてもいいし、時間にも場所にも囚われない。
特定の相手がいない人でもセックス自体の敷居が低くなるから風俗や出会い系にいかなくてもちょっとした知り合いとカジュアルにセックスが出来ていいことばかりのような気がする。
そろそろそういうエンドルフィン放出系アプリも出るんじゃないの?って期待してる。
でもさ、よくよく考えてみるといいことばかりじゃないよね。
このセックス法が確立したら、アイドルの握手会なんて卑猥すぎて放送禁止だし、
電車の中で痴漢に手を合わせられただけでセックス成立だもんね。
危なすぎるよね。