はてなキーワード: 失言とは
私は世間で叩かれるほどの大物ではない。一介のエンタメ作家で、しかもキャリアも浅い素人みたいなもの。ただ、日本がいつまでも平和で、人々が安全に暮らしていける国であってほしいと願っているだけ。そのためには何が最善かを考えて発言しているにすぎない。— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2014, 5月 20
彼が海外における日本のイメージをどれだけ毀損しているか知らない日本人が多い。
なぜか。
日本人にとっては、彼は単なる探偵ナイトスクープの放送作家上がりの思想的に右よりの売れっ子作家であって、
彼がいくら「南京虐殺は存在しない」(数じゃなくて存在の否定!)だの「人間のクズ」だの、他国を馬鹿にする発言をしようと「また、百田尚樹が変なこと言ってるな」と捉えて終わりだ。
彼自身「私は世間で叩かれるほどの大物ではない。一介のエンタメ作家で、しかもキャリアも浅い素人みたいなもの」と言っているように。
「Naoki Hyakuta」なんて知らないし伝わらない。「一介のエンタメ作家で、しかもキャリアも浅い素人みたいなもの」と伝える訳がない。
当然見出しは「日本のBBCの放送局の委員が~」「安倍の側近が~」をしたという風に書かれる。
つまり、率直に、"NHK Governor: Nanjing Massacre 'Never Happened'と書かれる。当然だ。これを見た海外の人はどう思うだろうか。
http://thediplomat.com/2014/02/nhk-governor-nanjing-massacre-never-happened/
http://www.bbc.com/news/world-asia-26029614
”Japan's conservative government has made a series of right wing appointments to the board of NHK, one of the world's biggest public broadcasters.”
これは「BBCの委員がホロコーストを否定し、何のお咎めもない」に相当するものであって、
百田や籾井が失言をする度に、このような表現で報じられるので、もはや日本の国営放送は完全に偏向的で、日本人は過去の歴史を否定するようBrainwashedされてると思われている。
当然のように、このHyakutaなる人気作家はAbeのお気に入りでメンバーに選ばれたとの説明("handpicked by Prime Minister Shinzo Abe ")がされることが多く、それは実際正しい。
安倍首相も似たような思想を持っていると当然海外では思われているし、政府の抗議を受け修正したものの今年の3月に、NY Timesが
""He and other nationalists still claim that the Nanjing massacre by Japanese troops in 1937 never happened.""と書いたように、これが海外での共通認識となりつつある。
これは単なる漫画家であり、何の公的委員でもない、美味しんぼの作者が毀損する日本のイメージに比べても悪質だ。
結局のところ、百田尚樹がNHK経営委員であり続ける限り、この問題は続く。彼が「失言」をやめるはずがないからだ。
その度に、「JapanのBBCの委員でAbeの側近」があれこれした、こんな酷いことを言った、日本はどれだけ右傾化しているんだ、という記事が止むことはない。
海外の人は百田尚樹のことを単なる面白発言する関西弁の右よりのおじさんとは見ない。また「百田か」などと思わない。これは籾井に関しても同じだが。
日本の公共放送の代表の発言として見る。海外メディアは彼を公的な存在として報じるほかない。これを忘れてはいけない。
引退したら政治家になって、中国に行ってハニートラップにかかりたい!中国4000年の秘術を尽くした性技を堪能する。しかし国は売らない(キリッ)。で、恥ずかしいビデオを暴露されて、嘲笑の中で晩年を過ごす。RT @KAORIng117: 引退したら何して過ごすおつもりですか?— 百田尚樹 (@hyakutanaoki) 2014, 5月 17
インターネット上では、失言やスキャンダルを追及すると、追及した側にも失言やスキャンダルが発覚し、
しかし、ここでいうブーメラン効果は心理学の効果についてです。
ある人が、他の人を説得しようとした結果、その相手が説得する側の意図する意見と
そのブーメラン効果を利用した情報操作の手法が、ソ連共産党の手法としてWikipediaに取り上げられています。
つまり、官制マスコミの報道への不信感や反体制派への同情を逆手にとって、
逆説的に体制にとって都合のいい方向に誘導するという手法というわけです。
俺は遠隔操作ウイルス事件の片山祐輔被告の最近の動向を見て、この「ブーメラン効果」を思い浮かべたからだ。
「真犯人からのメール」が荒川の河川敷にスマートフォンを埋めた上での片山被告の自作自演だと報じられた。
それが警察の捏造だというなら堂々と反論すればいいはずなのに、片山被告は記者会見をすっぽかして逃げた。
俺も片山被告は冤罪だと信じていたけれども、以降はクロだったんじゃないかと疑い始めるようになった。
そしてその翌日、片山被告はあっさり遠隔操作ウイルス事件の真犯人だと認めてしまった。
さらに前日の会見で、河川敷のスマホを「味噌樽のズボン」と袴田事件を引き合いに出して警察による捏造だと
強く示唆したはずの弁護人でさえ、あっさりと無罪主張から手を引いてしまった。
その結果どうなったか!?
警察や検察の取り調べや捜査の手法に批判的な人が大勢釣られ、面目は丸つぶれだ。
もちろんこれで警察、検察の手法が正しいということにはならないが、
片山被告の冤罪を主張してきた人々の主張の信憑性に疑問符が付く印象が付くように操作される結果となった。
警察や検察は、まさにマスコミや警察、検察への不信感を逆手にとって、
まんまと多くのジャーナリスト、ネットユーザーらを釣ったことになる。まさに入れ食いだ。
青二才先生が天才である理由は自分の表現を普遍的なものだと考えており自分が思ったことを相手がそのまんま受け取ってくれるのが当然であるとしていることである
一般人であればたとえ書き手としての意図が「俺の言いたかったことは自炊してたら値段にビビって国産和牛なんか普通手を出さないってことだぞ」
であったとしてもその家庭で生活保護受給者に対しての無理解と侮蔑が含まれておりそれが意図したものであろうがなかろうがその点はまずかったと考えるものである
というより失言を意識してやっているバカはいないのであり何かの発言が失言だと言われたということはふつう意図せずやらかしたと反省するものなのであるが
青二才先生は失言というのは現象であり自分の才能がなせるわざだと考えており責任面に関しては彼自身にはそういう意図は全くなかった以上そこに責任はないと考えるのである
つまり彼は自分に悪気がなかったらたとえそれが相手に侮辱的に読めたとしてもそれは相手の内面の問題であり自分の責任ではないと考えているわけであり
当然彼は今回の発言についても周りからあなたの発言は意図してか意図せずしてか生活保護受給者にたいするプレッシャーになっているよというツッコミを受けても
知るかおれはこういう意図で書いたんだそれ以外の意図をよみとるんじゃないといって耳を傾けようとしないのだがそんな彼が他の人の記事やオタク作品については誤読しまくり
それをまた周りから指摘されても知るかおれはこういう意図で書いたんだそれ以外の読み方をするんじゃねえ俺が何を書こうが自由だといいはり些細な誤字脱字を除いては
自分が間違っているかもしれないとは認めないそもそもそのようなことを微塵も思わないのでありこの精神性こそが彼を天才たらしめており
彼はこれまでもこれからも絶対に自分が書いたことは自分が書いた意図の通り読まれるべきでありそれ以外の読み方はすべて読み手がアホだという立場を続けるであろう
ただし彼がこのルールを適用するのは彼自身についてのみであり彼以外の人間が彼と同じことを主張することはゆるさないという意味で彼は自分のみが神からその特権を与えられた天才であることを
自覚しているという意味でも並みの天才とは一線を隠しておりそんなわけで彼は未来永劫天才で在り続けるわけだがところで天才とは余の凡俗共にその才能を誰からも理解されずに
自分の才能を最後まで信じて野垂れ死にする人のことでありそんな彼は優しい優しい彼の親の庇護下に有る点が玉に瑕であるといえる親の庇護下のもとでゆうゆうと暮らしながら
彼は生活保護者を観るたびに自分自身が強制されたものではなく選択された趣味としての貧乏を楽しんでいることを自慢しその立場から真の貧困に陥っている貧乏人を糾弾するという
俗物的行為を働いているのでありこれは彼の天才性を損なうという声もあるが彼の行為は俗物的である以上に人間としてまさに外道としかいいようがない行為であり
天才とは往々にして人の道を外れたものが多いことを考えるとこの意味でも青二才先生がやはり天才であることは間違いなく青二才先生はやはり天才青二才先生は未来永劫天才
Twitter / nanatakamatsu: ネットワーク産業論授業にて。「twitterは炎上してなんぼ ...
いい歳してそれなりの地位もある大人が何を釣り師みたいなこと言ってんだろというか
(1/2) GREE役員の夏野氏「妖怪ウォッチ」批判 「レア感を煽っている」に「お前が言うな」と猛反発 : J-CASTニュース
いわゆる「ぼっち」ほど世に埋もれている存在は無いのではないか。
集団のなかで浮き、誰からも相手にされない私たちぼっちが、世間にさえも忘れ去られている情けなさ。
ぼっちの中にも小中高生ぼっち 会社ぼっち 年寄ぼっち等々いろいろな種類があろうが、ここでは学生ぼっちの生態について、自分の経験をもとに明らかにしたいと思う。
朝。
家の中に誰もいなくなったことを確認してからゆっくりと起床する。
窓から見える青空はこんなに清々しいのに、自分の心身はどっしりと重たい。
味気ない一日がまたやってくると思うと、学校へ行く気も失せて、このまま家で2ちゃんかハテナでもやろうかと考えるけれども、授業をサボっては学費を出してくれる親に申し訳ないし、単位を取れずに留年したらいよいよ先が真っ暗になる。
だから今朝も重い腰を上げるのだ。ただ、いつもと少し違うのは、今日が俺の誕生日であるということ。周りにだれもいない誕生日。
はぁーっとため息をついて、やや遅めの朝ごはんを食べながらテレビをつけると国会中継がやっている。
この人たちは、ぼっちの自分とは天と地ほどの差があり、お金も地位もこれ以上ないほど恵まれている。その境遇ゆえか時には図に乗って、不祥事を起こしたり失言したりして世間の人々から非難をあびるけれど、意地悪な質問に対しても根気よく答える仕事ぶりをみていると、ぶらぶらと安逸な生活をおくる自分などよりは、よほど真面目に努力しているじゃないか、と思ってまた自己嫌悪に陥る。
ほんとうは鈍行で行きたかったのに寝転んでいたら遅くなったので、しかたなく急行に乗ることにして駅へ走る。
おい、なにネガティヴになってるんだ、きょうも気楽な時間をすごせるのだ、自分は恵まれている、寂しくなんかない、寂しくなんかない、さびしくなんかないんだ。全身をなでる爽やかな風が気持ちを前向きにしてくれた。
電車の中はあまり人が多くなかった。サラリーマンはもうとっくに会社で仕事をしているのだろう。
昼。
席に座り、授業がはじまるまで本を読む、ふりをする。
「おれさー、けさ、抜いちゃったんだよねw」
「おまえ、汚いってw」
「そんなこと言うお前だって、まじめな顔して、実はエロそうだよなw」
「たしかにw こいつ、『授業レポート』とか適当な名前のフォルダつくって、その中にエロ画像とか入れてそうww」
「wwwww」
男子学生のくだらない会話を聞いておもわず吹き出しそうになるが、ぐっとこらえる。
「あっ、○○ちゃん、おつかれー」
「てか、きのうバイトでさー」
「じつは、きょうね、この下、あったかパンツなんだよねー あはは」
たわいのないお喋りをひそかに聞いて、若い女のうつくしい声に心酔してから、俺はなにげなくトイレへ行くふりをして席を立ち、楽しそうにする女子学生たちの姿をちらと拝見する。
ほんのりと染めた茶色や正統派の黒色ヘア、ワンピースからスーツまで十人十色の女の子ファッション、胸の大きさもまな板から爆弾まで多様だけれども、一生に一度の若さだけは共通しているので、匂やかな乙女の香りはだれの身体からも漂っている。
授業が始まると、先生が、「たまには出席とっておかないとねー。今日は出席カードを配ります。」と朗らかな声で言う。
今日も頑張って登校してよかった。先生からの出席カードが誕生日プレゼントだと思った。
昼下がり。
学校近くのだれもいない公園で、けさ自分でつくったサンドイッチを口に運ぶ。
いつもはそばにいるスズメも今日は忙しいのかどこにも見当たらない。
水色に澄みわたった空の下、かすかな風に揺れる木々の梢のどこかに、いつものスズメの巣があるのだろうと思いながら枝のあたりを観察していると、サンドイッチの具がぽろりと下に落ちてしまったので、スズメさんがあとで食べられるように、人の踏まないところへそっと置いておく。
ああ、きょう一日、まだ誰とも喋ってないなぁ。
バイトもサークルも何にもやっていない自分は、この生活をみずから選択したのだから、文句を言う資格はない、いや、願ったり叶ったりの生活を享受している分、俺はむしろ幸せ者なのだ。
人とかかわるのが苦手な為にえらんだ孤独道は、やがてやってくる就職という二文字をじわりじわりと重たいものにするけれども、今が安楽なかぎりは変化の意欲が沸くわけもなく、ただただ現状に甘んじ横着している。
しかしこの体たらくのままで社会へ飛び出たら、スキルも協調性も何もない俺は組織の中であぶれるか潰されるかしてしまうだろう。
社会に出るのは軍隊に入るのと同じこと。ああ、こわい、こわい、死にたくないよ。
余計なことを考えて思い余った俺は、次の授業までの時間がまだ残っているので図書館へ向かう。
手にとった数冊の本を机に置き、帰路につく学生を窓の内からじっと眺める。
心なしかその表情は嬉しそうにみえる。あたたかい家庭が待っているのか、バイトに楽しみなことでもあるのか、友達と遊びに行くのか、それとも、デートだろうか。
夜。
この日最後の授業がようやく終わり、いったんは帰ろうとするものの、電車内でトイレへ行きたくなったら困るから一応いまの内に、とおもう。
夜まで授業を受けている学生はあまり多くはないので、トイレの中には誰もいなかった。
しーんとしている。
まぶしすぎるほどの明かりがいっそう静けさを増すようだ。
俺はおもむろに個室の中に入った。
外ではできない性格だけど、今日は誕生日だし、まあいいか、と思ってズボンを下ろす。
スマホでアイドルの画像を探して、ふーっと深呼吸して、それから一気に動かした。
このアイドルは、俺と大して年齢が違わないのに、すでに社会に出て、一生懸命仕事をして、いっぱいお金を稼いで、多くの人から認められて、愛情で包まれて、前向きに生きているけれど、ここで彼女に世話になっている俺は、誰からも認められずひたすら孤独に苛まれ不安で満たされながら何の役にもたたない暮らしをしている。
なんなんだ、この差は、彼女と俺とは何でこんなにも違うんだ、不公平だ、不平等だ、不合理だ、不条理だ、ああもうどうにでもなれ、俺は知らない、俺は知らない、ままよどうにでもなっちまえばいいんだ、このやろう、このやろう、あああああぁぁぁ
常になく疲労がたまった帰り道はひとしお寂しく感じた。涙さえあふれてきた。街灯の光がその滴を反射させそうだったが、俺は人目もはばからずに哀しんだ。寂しい。寂しい。ほんとうは、さびしいんだ。
ここに書いた例は自分の体験に基づくが、むろん潤色しているところはあるし、これらがすべて同日に起きたのではない。種々の出来事を一日分に集約した。
自分の経験など足元にも及ばぬ凄絶なぼっちストーリーも世界のどこかにはあるかも知れない。
そういうぼっちに密着して、『THE BOCCHI』とか適当に名前をつけて映画化すれば反響を呼ばずにはおかないと思う。
ぼっち学生の就活以後の末路にまでスポットを当てればいよいよ涙を誘うことまちがいなしであろう。
まさかこんなに長くなるとは思わなかった。あまり知られていないぼっちの日常をテキトーに書こうかなぁくらいに思っていたら図らずも愚痴っぽくなり、しかも下手な小説みたいな形になってしまった。
休み中のまして孤独な今の時期に、文章にして吐き出したら心が落ちついた気がする。
フィギュアとか好きでも嫌いでもないんだが、久々にテレビを見て首をかしげざるを得なかった。
なんでたかだか六位入賞で「よくやった!」とか大騒ぎしてるんだ?
それを、「前の失敗を完璧な演技で巻き返した」だの、「自己ベスト」だの、そんなに褒められるような事なのか?
巻き返してないよな。メダル圏内まで巻き返せたら評価に値するけど。6位では。
金でも銀でも銅でも、メダル持って帰らない事には五輪の実績とは胸張って言いづらいし、そうなればただの自己満足に過ぎない。
二度目の挑戦でスコア上げた奴も他競技にも一杯いる。五輪の舞台で自己ベストを更新してる奴は他にも沢山いる。
チャンネルを変えても変えてもやっている内容がまったく変わらないのは、見ていて怖かった。
流れに乗ってばかりいないで、もう少し違う視点でも番組を構成してくれよ。
それと、6位が凄いとかそういう流れを作るな。凄くないから。
世界大会というなら、ここ一番でも失敗しない人間をこそ出場させるべきだし、森元総理の失言もあながち外れているとも思えない。
「まおちゃん6位おめでとう!失敗に挫けず頑張った!」とか、人気選手だろうが何だろうが、昔だったらメディアからでも投げかけられる言葉は違ってたよな。
13時間後 追記
前のエントリといいこのエントリといい、釣るつもりもなくただ単に思った事を書いただけでこのブクマ数とは。
河岸を変えれば釣果も変わるとは言うが、いやはやそれにしてもまあ。釣り神様でもついてるんかな?
ともあれ、絶対的評価では世界六位は確かに凄いけど、相対的評価ではそこいらを世界一位や二位や三位がメダル持ってうろうろしてるわけだし(選手村)、まったく凄くないわけだが。
素直にそれを認めようとしないメディアは、やっぱりあれかねえ。一種のドラマやストーリーというよりも、むしろ信仰を築き上げたいのかねえ。
仕事では信仰を守る側だから、オフでは信仰を破壊したくてたまらない。
というわけで釣り主でした。http://d.hatena.ne.jp/oramuda/20140218
お前だよ、お前。
分かっていても分かっていなくても、非公開でやるか、そろそろ黙れよ。
まだ続けるようならお前のことを有名にしてやるからな。
お前の昔のブログやはてブから失言・暴言をすべて掘り返してネタにしてホットエントリーになる記事を書いてやるからな。
覚えとけよ、お前のことだからな。
浅田真央批判でなければ無関心な人たち
http://anond.hatelabo.jp/20140221134632
森発言の全文を読んで、アイスダンスのリード姉弟組への中傷ともとれる発言部分を無視して、「浅田真央ちゃんへの悪口じゃないじゃん」と手のひら返しでマスコミ批判する人が出るのも、やっぱりマスコミ自身のせいでもあるんだ。
最初は「浅田選手は転ぶとわかっていた」という発言箇所しか報じられなかったから。
でも全文読めば、浅田選手への悪口ではないことがわかる。そこでコロッと「これはマスコミ批判をするターンだな」となってしまう。
よく読めば、いや普通に読むだけで浅田選手をダシにしてリード姉弟のことを無意味に中傷してると分かるんだけど、「マスコミが本来と違うことを報道した」という認識があるから、リード姉弟という馴染みのない選手を応援するよりもマスコミ批判に偏ってしまう。
最初からマスコミも浅田真央の名前を外して、「アイスダンスの代表選手に対する失言をした」という部分だけを強調して報じれば、こんなギャップも起きなかったのに。
浅田真央を持ち上げるばかりに、同じ日本代表選手のリード姉弟について「あいつら実力ないんだから団体でなければよかった」なんて言うのは明らかに失言だし、むしろ最初の報道より印象が悪化した。悪口以外の何ものでもないもん。
森元総理の発言報道について、最初は「またマスコミの揚げ足取りか」と思ってスルーしてたんですが、全文読んだら「これは本格的な失言じゃねーか」と東京五輪のトップとしての今後に非常に危機感を抱いてしまいました。
しかし、
はてなブックマーク - 森喜朗 元総理・東京五輪組織委員会会長の発言 書き起し - 荻上チキ・Session-22
http://www.tbsradio.jp/ss954/2014/02/post-259.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.tbsradio.jp/ss954/2014/02/post-259.html
↑こことか、
はてなブックマーク - 森元総理の発言報道に激怒して発言全文を読むと、ありゃりゃ??? | More Access! More Fun!
http://www.landerblue.co.jp/blog/?p=11065
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.landerblue.co.jp/blog/?p=11065
↑こことかを見てると、「失言ないやん」とか「やっぱりマスコミの切り貼りか」みたいなコメントが見られて唖然。
特に下の元記事なんかは、「森元総理の発言報道に激怒したけど全文読んだらそうでもなかった」だって。これこそ情報弱者というかマインドコントロールにかけられやすい人というか。テレビしか情報源のない人たち以上にチョロい人たちがネットには集まってるんだなぁと思いました。
森元総理は「フィギュア団体に日本が出場したのは間違いだった」と述べているわけです。団体出場の是非だけを述べるならまだしも、その理由として以下の2点をあげています。
1.浅田真央選手がシングルSPの演技で不調だったのは、団体の疲れのせいだろうから。
2.団体メンバーのリード姉弟組は五輪レベルの実力を持ってないので出場しても負け確定だから。
森元総理の発言について問題ないと言う人は、1だけ見て話を終わらせてしまっているんです。
「何、森元総理が浅田真央を馬鹿にした!?」→「なんだ、全文読んだらむしろ浅田真央を気遣ってるじゃん。問題ない」ってな具合に。
確かに森元総理の失言として最初に報じられたのは浅田真央選手についての部分のみでしたし、その点マスコミの書き方にも問題ありますけど、失言はそこだけじゃないですよね。
むしろ2のリード姉弟組についての発言ほうが大きな問題でしょう。自力で五輪出場を勝ち取った自国の代表選手について「五輪の実力ない」と腐し、浅田選手のために団体に出るべきではなかったと評する。
さらにリード姉弟について「帰化させて」と事実誤認を広めるとともに「させて」と妙に上から目線。
2人は生まれた時から日本国籍を持ち、団体出場のための貴重な戦力となってくれたのに。
バンクーバー五輪の時から多くのメディアで2人のことを紹介されて日本代表として知られているはずと思ったら、五輪のトップの人が外国人選手扱いで「弱いからお前ら日本には邪魔だ」というのに等しい発言。
しかし、ネット上では浅田真央選手への「転ぶ」発言の是非についての議論はあれど、リード姉弟組に対する発言の是非の議論は少ないようです。みんな浅田真央選手には興味あってもキャシー・リード選手、クリス・リード選手には無関心なんでしょう。こんなトップを支持する人ばかりしかいないなら、もう東京五輪は返上したほうがいい。
あのさ、「全文読めばそうではない、マスゴミの悪意ある抜き出しガー」って言っている人多いけどさ、
森ってその『マスゴミの悪意ある抜き出し』で総理の座を追われた人間だぜ?
その人間がそうやって追われた理由をいまだに繰り返しているってそれ学習能力が無いアホってことやん。
なんでそういう風にやられたことを繰り返すの?
「支持者とは実は外国の要人」とか「相当な理由があったに違いない」とか都合良く解釈しすぎだろ。
鳩山の奇行は実は…とか森の失言の裏には…とかいくらでも言えるじゃん。
「大雪で大変ですので」と延期してもらえば済む話じゃないか、
という批判はそれなりに妥当でしょ。
もちろん首相を辞めろとかそこまでの話でもないと思うがね。