はてなキーワード: マイノリティとは
発達障害とか不細工とか貧困とかキモいおじさんとか高齢者とかではなくて、女性を排除したワードをわざわざ使うことで
「俺こそが弱者で俺にこそ福祉を手厚くするべきだ、女がマイノリティなんて嘘だ、俺の方がマイノリティだ(男性のマジョリティ性?見たことないね〜すっとぼけ)」
って言うために開発された語だからね
「マイノリティは出てくるな」という意図であることを認めたら、クズとしてリベラル界隈から糾弾されるし
世の中では希少種である「ASD傾向のある高齢童貞」が当たり前みたいにマジョリティになっちゃうんだよな、こういう場は。
そら話にならんて
この質問は、元の発言が「マイノリティは表に出てこないでほしい」という意思を表すものかどうか、またその意思は高齢童貞以外のマイノリティにも適用するつもりかどうかを確認するために発せられたものであると考えられます。
ゲイは身体女性入店禁止の店がいくらでもあるのに、レズビアンは月1身体女性のみのイベントをやるだけで差別主義者として吊るし上げられる。
男性だけで集まるのを誰にも叩かれず、トランス男性のヴァギナは男穴だ受け入れないのは差別だと押し付けられない安全圏からトランス差別するなと上から目線で叩いている。
ゲイと身体女性入店禁止の店を叩き続けて身体女性(トランス男性)も受け入れさせればいいのでは?
レズビアンを叩いて身体男性(トランス女性)を受け入れるように考えを改めさせたように。
トランスアライ男性も風俗でトランス女性が来たらチェンジといっても誰にも叩かれないし、それを言った口で差別するなと女を叩く。
好みじゃないキャストが来たら店のルールの範囲でチェンジするのは客の自由だろう。
誰と恋人になるか、誰とセックスするかは極めて私的なことなので個人の自由が最大限尊重されるべきだろう。
黒人からのセックスの誘いを断ったら人種差別主義者と叩かれる社会がお望みでなければ。
ひたすらに女を叩きまくってるのがグロいなと思う。
総じて身体男性(ゲイやトランス女性)と比べて身体女性が戦わない(権利主張をしない)から不利な立場に追いやられている現象に見える。
ヤマトやガンダム、アニメの代表的なシリーズがSFの時代があったんだよな
昔は人類が宇宙開発に夢を見ていたからこのまま宇宙開発が発展していけば、
外国に行くみたいな気分で宇宙旅行したり外の星から資源を取ってきたりできるかも、それでもっともっと地球は発展するかもとみんな思っていた
90年代ぐらいから宇宙開発が大して成果出せなくなってきて、更に宇宙ってリスクとコストの割にリターンがないことがわかってきたので、
宇宙とかどうでもよくなった、科学技術も大して発展しないしできることが限られていることがわかってきた
子供の頃の私は親の知り合いや親族の中にいる「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」がとても好きだった。かなり懐いていたように思うし、その人物たちはほかの子供たちにも大人気だった覚えがある。
私は結婚する予定が現在なく、自分がそのルートに乗っかっていく可能性も一応検討しておいた方が、後々のためにも幸福かもしれないと思い、最近つらつらと考えているのだが、意外とハードルが高いのかもしれないと気づきつつあり、怯えている。
まず、子供のそばに置いてもよいという判断を親からもらえるレベルの社会性や身分の保証が必要である。
次に、友人や親族が続々と結婚や妊娠・出産のラッシュを迎えていても同調圧力や社会規範に屈することなく、あくまで朗らかに緩やかかつしっかりとした関係性を築く。
そして、子供たちの流行やその世代におけるなんとなくの暗黙の了解、社会的なルールやタブーをアップデートし続けることで、頭の固い親とは違った唯一無二のポジションを獲得する。
意外とステップも多い。その上、実は二つ目の、社会規範に流されない、卑屈にならずにちゃんと接しやすく親しみやすい己を整えておくことで好かれるように努力する、という手順。実はこれこそが曲者で、みんな自分ならできるだろうと軽んじているのに、最も難しく、乗り越えがたいハードルなのかもしれない、と薄ら理解し始めてしまった、という話である。
人手不足の時代である。一つ目の、定量化できる身分の保証が一応の定職があるということを指すならば、そこまで実現は難しくない。ちゃんと食い扶持さえ稼いでいて、そこそこやっているように見せられればある程度はよさそうだ。
三つ目の子供たちの暗黙の了解の獲得はとりあえず、ちゃんと相手の話を聞くことと独身ゆえの身軽さを利用して、インターネットなど社会に広く開かれた窓口を往復しておくことが重要だろう。また、自分が若い頃の文化について体系的に話せたら、おそらくそれなりにはおもしろがってもらえるのではないだろうか。よほど話が下手で聞いていられないほどではない限り、親というものは権威があるので、子供と同じ目線に降りて自分の若い頃の情熱や失態を話せないから、親と同世代の自分がきっと楽にかっさらっていけるのだ。
じゃあ、自分のケアをして愉快な接しやすい人格を保っていられるか。ここがどうやら思っていた以上の難関なのだ。
というのも、現在アラサーの私の友人や知り合いの動き方を眺めるにつけ、人間というのはかくも一貫性を保つのが難しいのかと実感するからである。
彼氏を作った友だちに呪詛を吐き、結婚式を唾棄していた女性がいつのまにか結婚する。ポップな女嫌いをつぶやきまくっていた男が唐突に結婚相談所に登録する。恋愛がわからない、自分はひとを好きになれないと悩んでいた友人が、その悩みがどこにいったか、なぜ解決したのかの経緯を説明することなく嬉しそうに同棲中の部屋の写真を見せてくる。こういった流れに対して、なぜか私と同じ身分の者たちがどんどん卑屈になっていき、他者との関わりを絶ってしまうのだ。
私は先述の通り、愉快なおもしろおじさん・おばさんポジションが欲しい。まぁ、実際に得られるかはわからないが可能性はとりあえず残しておきたい。なので、上述した人々はまさに格好の獲物である。「あなたのお母さん、昔は彼氏持ちのひとを心底羨んでてね……」「お父さん、若い頃は結構おもしろい荒れ方してたんだよ!」「好きになることわからないとか言ってたけど幸せそうでなによりと思ってるわ〜」など、密やかな秘密の話としてポップに子供に吹き込む、毒にも薬にもならない存在を目指すのに楽だからだ。当人たちは自分の子供にそのような話は決してしないだろうし。「お父さん/お母さんには内緒ね!」と告げたときの相手のきらきらとした目が見たい。
でも、仲間がどんどん消えていってしまう。なんなら消えている期間に自分もパートナーを見つけて、何事もなかったように戻ってきて、私の次の獲物に変貌するひともいる。それはそれで構わないのだが、帰ってこなかった「おもしろおじさん・おばさん」候補はどこへ消えてしまったのだ。というか、なぜ消えたのか。これではどんどん私がマイノリティになっていってしまうではないか。
と、ここまで至ってなるほど、自分自身のケアをして揺るがない自我を築いていくという作業は思っているよりも難しいのだ、という結論を得た。周囲の「結婚ラッシュ」に焦る気持ち、自分は出来損ないなのではないかという劣等感、現実が見えなくなり狭窄になっていく感覚、なんとなく慢性的に存在する不安感。こういったものに抗うのは、意識的でなければ、人間は全員ちっぽけなので、不可能に近いのだった。
いまの私は、まぁたぶん、まだこのビッグウェーブに呑まれていない。そう信じたい。なので、一応おもしろおじさん・おばさんポジションの候補にはなれていることだろう。未来のことはわからないので、もしかしたら文字通り「闇落ち」を迎え、候補者リストから外れるかもしれないが。それは考えても仕方のないことだ。
最近は休日にひとりでドライブをしたり、写経をやっている。また、ジムにも通い出した。そして、編み物にも手を出している。映画も観るし、若いアイドルたちにもおそらくほかの友人よりは詳しい。こんなことを続けながら、自分自身の心のケアをしておくくらいしか、おもしろおじさん・おばさんルートは開かれないのだとしたら、それはまるでライトな修行僧のようではないか。実際に結婚や妊娠・出産とも縁遠かった結果として開かれるルートではある気がするので思っているよりか近い存在なのかもしれない。
幼少期に懐いていた「独身の、おもしろい、話が通じる、頭の柔らかな大人」にもこんな苦悩があったのかもしれないと思うとなかなかの感慨である。そして、だからこそ、わりと寛容な人格者だけが残り、子供からちやほやされていたのだなぁ、と思う。結果だけを見たらお気楽そうにも見えるが、努力をしたからこそ得られたボーナスポイントで若い世代からの支持を得られるのだろう。
自分や他人の理解について、それで済むならあまり説明的な言葉を使いたくないと考えてしまいがちだ。既存の言葉で説明しようとすると、端っこを捨てたり、体の肉の形を変えたり、捻じ曲げたりしなくてはならないところが少なからず出てくる。辞書に載っている言葉は対象そのものを表すためのものではなくて、指し示しているものがなんであるか理解するための補助線だと思う。その言葉ひとつですっかり代替できる人間の性質などなく、強いて言えばその言葉に近いかも、という感情や状態があるだけ。だから小説というものが、言葉でまるごとをそのまま表そうとする試みとしてあるのだろう。
でもマイノリティに関わる言葉については、説明的な言葉を使いたくないという動機だけで特定の言葉を避けるのでは取り漏らしてしまうものが多すぎる。その使い方自体に政治性や歴史的背景が帯びてくる。その言葉を意図的に使うこと自体が抵抗になったり、その言葉を避けて使わないこと自体が、その人たちをなかったことにする流れに与したことになったり、できるだけフラットに使おうとすること自体が確実にいまある差別を見て見ぬ振りすることや、既存の差別構造の再生産に与したことになったりする。
言葉を使えば私はノンバイナリであるしエイセクシャルであるなどと言うことができるが、そう言ったそばからそれを言うために捨てたもののほうが気になってしまって、眼の前の話に集中できなくなる。だから私はそういう言葉は使わない。カミングアウトなどということもしっくりこないからしない。ただ話している相手の目の前に、なんとなく性別の規範から外れた感じの私がいるだけだ。それだけでいいと思うのに、自分が選ばないことでどういうフリーライドをしているのか、私は計算することもしていない。私は先人の努力に甘えているのだろうか。あるいは私がなんとも言わずにこういう自分であることで、誰かを励ますことになっていたりしないか。
以前、仁藤夢乃とトランスジェンダー問題についてはこのような考察がされていた。
仁藤夢乃さんはトランスジェンダー問題についてとてもクレバーである
https://anond.hatelabo.jp/20231025162923
https://anond.hatelabo.jp/20231213143122
その仁藤が、先日男子高校生が「心は女」と主張する男子高校生を問題視するツイートを行った。
https://twitter.com/colabo_yumeno/status/1784357665558429714
仁藤自身は自らがトランス女性を「女性」として扱うかどうかについては未だ明言していないが、トランスジェンダー問題を「マイノリティ差別」として捉えているあたり、トランスアライ側についていると判断していいだろう。
これに対し、TERFの反応は様々だ。まずこのように、直接的にトランスアライ側についたことを非難するのがある。
https://twitter.com/hNW7xLv4NwOcOIn/status/1784582222798098768
https://twitter.com/Shibakiberry/status/1784534758825083129
一方で、「この男子高校生の性自認を否定するのは、トランスアライの理屈だとトランス差別になる、このようなことを差別にさせてしまうジェンダーイデオロギーとトランス活動家が悪い」という、かなりアクロバットに仁藤を批判せず「トランス活動家」を非難する物がある。
https://twitter.com/4zoP8/status/1784890982062039521
https://twitter.com/catnapcomai/status/1784527699647856934
https://twitter.com/tempalayer/status/1784844882877788340
https://twitter.com/souryu_nonukes/status/1785151531064676362
仁藤は批判したくないが、トランスは排除したいというTERFの涙ぐましい努力は理解するが、仁藤の現在の周りにいる人々の関係から、仁藤がTERFと完全に縁を切るのはそう遠くはないだろう。
多分嘘だろうね
でもマイノリティ盾にして他社キャラ持ち込みNGのディズニーに等身大ミク連れ込もうとして、ぬいぐるみならオーケーですって言ってもらえたのに理解がないとブチギレたり、オタク達と組んでフィクトセクシャルという性的マイノリティを弾圧するなって表現の自由界隈の盾にしたりとか、やることなすことやべえんだよな。
表現の自由オタクも元々は現実と妄想の区別はついてるつってたのに、いつの間にかオタクは現実の女のように2次元を愛しているマイノリティだと主張始めていてドン引きよ。
今朝ワイドショーで、マイノリティのフィクトセクシャルとして紹介されていた初音ミク等身大人形と結婚した男オタクが、朝からお茶の間に初音ミクのネガティブイメージをばら撒いていた。
Twitterで検索してみると、フィクトセクシャルの女オタクが、自分も取材申し込みを受けたが、推しに迷惑をかけたくないのでキャラを伏せて下さるならと条件を出したらそれでは弱いからと取材が消えた話をしていた。
痛い女オタクも当然居るが、推しに迷惑をかけるのは結構な重罪だ、学級会が始まり吊るし上げられる。
対して男オタクはごちうさリプトンのように、リプトンに印刷されたキャラの股間にストローを差し検尿カップに入れて推しの尿だの、赤いから生理中の推しの尿だの、胸から出して母乳だの、よりにもよって紅茶に尿イメージをつけるような、公式とコラボした企業のイメージまで損なうようなことでも、躊躇いなく大人数でやる。
女オタクは推しと共に笑いものにされるキモいと言われるのを嫌うが、男オタクは積極的にそれをやる人が結構いる。
隠れるばかりが良いとも思えんが、推しの等身大人形と結婚してテレビに出たり飲尿とかやってる男オタクと結構生態が違うのは何でだろう。
今テレビ見ていたら、ミクと結婚したオタクなどを出して、キャラクターに恋をするフィクトセクシャルについて説明をしていた。
https://twitter.com/palettalk_/status/1301462336981446656?t=xmhOU6-eTvsDQS65M6jM9w&s=19
この漫画によると、二次元にパートナーが居て、精神的に性的関係も持っているので、処女ではない、マイノリティも認めろ的な奴らしい。
これ二次元だからまだ不快なのはキャラの作り手だけで済むけど、アイドルやスポーツ選手を一方的に自分のパートナーにして脳内でセックスしてるオタクもたくさん居ると思うのだが、勝手に世間様に認められたマイノリティの性的なパートナーにされるのきっついのでは。
ついでに最近はオタクが、オタエロを買うのはフィクトセクシャルである可能性が高い、フェミがオタエロを攻撃するのはマイノリティへの弾圧である的に利用し始めているようだ。
オタクはフィギュアを飾ってるだけで、二次元キャラをパートナーにして脳内セックスしているマイノリティである可能性が高いと思われるのキツくないのだろうか。
https://twitter.com/ymils_y/status/1779423939011428468?t=3CDwErKX8PxZ_Bz2rWObSA&s=19