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はてなキーワード: テレビ局とは

2024-02-11

メディアミックスのそれぞれの視点

矢印(⇒)の前に書いたのが担当視点

あとに書いたのが原作が改変される理由

原作

改変は最低限にとどめ、原作に忠実であってほしい。

原作ファンに喜んでほしい。

本業に影響が出ないようにしたい。

映像化で読者が増えるのは嬉しい。

編集者出版社

作品認知度を広めたい。

会社原作者の双方が大きな利益を得てほしい。

自分担当作品成功したい。

原作の「ここだけは変えたくない部分」を理解しているとは限らない。

原作者の手間を増やしたくないので代弁者にならざるをえない。

工数上、やりとりをそこまで増やせないので細部まで監修できない。

原作ファンはすでに原作を買っているため、映像化では原作ファン以外に見てほしい。

ライツ担当

原作者と編集部交渉先(この場合テレビ局)の意向潤滑油でありたい。

自分たちに決定権はないので伝書鳩につとめる。

前例を何より重視する。

権利交渉の窓口役ではあるが、個々のコンテンツには詳しくない。

⇒渉外役としては、交渉先寄りの意見を持ちやすい。前例、慣例を重視するため。

⇒橋渡し役がボトルネックになるわけにいかないので、時間のかかる交渉はしない。もめごと現場に投げる。

プロデューサー

一定ファンを持つ原作がほしい。

そのファンの数を最低ラインとして、映像化(映画orドラマorアニメ)で爆発させたい。

スポンサーを喜ばせたい(=マネタイズ成功したい)。

原作ファンは忠実でも改変でも「映像化で違うところ」を気にして間違い探しで視聴するので、原作ファンの声は気にしない。

⇒むしろ忠実だとわかると全部知っている原作ファンは離れる確率のほうが高い。

⇒完全新規視聴者の興味をひくため、ファン計算できるキャストスタッフを集める。

⇒集めたCMの本数と額で予算が決まるため、スポンサーを集めやすい仕込みを増やして商品設計を行う。

監督

与えられた材料原作演者、ほか脚本音響などのスタッフ)を調理して作品に仕上げたい。

現場は生き物なので撮影中にどんどん手を入れて作品クオリティを高めたい。

⇒何かやるたびにまわりの意向を聞いていたら一生撮影が進まないので現場判断重視。

ドラマアニメは毎話が勝負チャンネルを変えられたら終わりなのでメリハリを強烈にし、CMを見せるために引きを作り、エンドロール前にインパクトを作るのが必須

脚本

原作を叩き台として、映像用に最適化したい。

映像化してよかったと思われたい。

マンガ小説は必ず最初から最後まで読まれる前提なので、ベタ起こしだと単体では意味がわからないシーンや設定が増えすぎる。

⇒尺にあわせて削るだけだと成立しないため、10分15分単位で盛り上がるように脚色・構成する。

⇒「ここをおさえておけば原作の大切な部分は守れている」と判断したところ以外は映像向きに最適化するのが役目。

特に最初の3話、または各話冒頭3分インパクトをもってこないと継続視聴を切られてしまうので極端にしがち。

スポンサー

CMを見てほしい。

投資額に応じた宣伝効果を得たい。

⇒見込み客の人数は原作の部数に比例する。つまりすでに大ヒットした作品以外は、原作ファンより新規ファンのほうが多い。

⇒複雑な話、引きが弱い話はCMを観られない。

視聴者が自社CMに興味をもつ要素がほしい。

演者芸能プロダクション

自分をよく見せたい(=いい役、いい場面がほしい)。

売れっ子スケジュールは先まで埋まっているので、よほど条件がよくないかぎり受ける必要がない。

撮影が進むほど演者気持ちが入ってくるのでセリフ演出への意見が増える。

演者気持ち原作者と一致しているとは限らない。

プロダクション意向バーター条件がはびこっている。

メディアミックスのそれぞれの視点

矢印(⇒)の前に書いたのが担当視点

あとに書いたのが原作が改変される理由

原作

改変は最低限にとどめ、原作に忠実であってほしい。

原作ファンに喜んでほしい。

本業に影響が出ないようにしたい。

映像化で読者が増えるのは嬉しい。

編集者出版社

作品認知度を広めたい。

会社原作者の双方が大きな利益を得てほしい。

自分担当作品成功したい。

原作の「ここだけは変えたくない部分」を理解しているとは限らない。

原作者の手間を増やしたくないので代弁者にならざるをえない。

工数上、やりとりをそこまで増やせないので細部まで監修できない。

原作ファンはすでに原作を買っているため、映像化では原作ファン以外に見てほしい。

ライツ担当

原作者と編集部交渉先(この場合テレビ局)の意向潤滑油でありたい。

自分たちに決定権はないので伝書鳩につとめる。

前例を何より重視する。

権利交渉の窓口役ではあるが、個々のコンテンツには詳しくない。

⇒渉外役としては、交渉先寄りの意見を持ちやすい。前例、慣例を重視するため。

⇒橋渡し役がボトルネックになるわけにいかないので、時間のかかる交渉はしない。もめごと現場に投げる。

プロデューサー

一定ファンを持つ原作がほしい。

そのファンの数を最低ラインとして、映像化(映画orドラマorアニメ)で爆発させたい。

スポンサーを喜ばせたい(=マネタイズ成功したい)。

原作ファンは忠実でも改変でも「映像化で違うところ」を気にして間違い探しで視聴するので、原作ファンの声は気にしない。

⇒むしろ忠実だとわかると全部知っている原作ファンは離れる確率のほうが高い。

⇒完全新規視聴者の興味をひくため、ファン計算できるキャストスタッフを集める。

⇒集めたCMの本数と額で予算が決まるため、スポンサーを集めやすい仕込みを増やして商品設計を行う。

監督

与えられた材料原作演者、ほか脚本音響などのスタッフ)を調理して作品に仕上げたい。

現場は生き物なので撮影中にどんどん手を入れて作品クオリティを高めたい。

⇒何かやるたびにまわりの意向を聞いていたら一生撮影が進まないので現場判断重視。

ドラマアニメは毎話が勝負チャンネルを変えられたら終わりなのでメリハリを強烈にし、CMを見せるために引きを作り、エンドロール前にインパクトを作るのが必須

脚本

原作を叩き台として、映像用に最適化したい。

映像化してよかったと思われたい。

マンガ小説は必ず最初から最後まで読まれる前提なので、ベタ起こしだと単体では意味がわからないシーンや設定が増えすぎる。

⇒尺にあわせて削るだけだと成立しないため、10分15分単位で盛り上がるように脚色・構成する。

⇒「ここをおさえておけば原作の大切な部分は守れている」と判断したところ以外は映像向きに最適化するのが役目。

特に最初の3話、または各話冒頭3分インパクトをもってこないと継続視聴を切られてしまうので極端にしがち。

スポンサー

CMを見てほしい。

投資額に応じた宣伝効果を得たい。

⇒見込み客の人数は原作の部数に比例する。つまりすでに大ヒットした作品以外は、原作ファンより新規ファンのほうが多い。

⇒複雑な話、引きが弱い話はCMを観られない。

視聴者が自社CMに興味をもつ要素がほしい。

演者芸能プロダクション

自分をよく見せたい(=いい役、いい場面がほしい)。

売れっ子スケジュールは先まで埋まっているので、よほど条件がよくないかぎり受ける必要がない。

撮影が進むほど演者気持ちが入ってくるのでセリフ演出への意見が増える。

演者気持ち原作者と一致しているとは限らない。

プロダクション意向バーター条件がはびこっている。

2024-02-10

anond:20240209184339

原作者著作者人格権に基づき介入を行い実際に意向に反する映像化を防止できている」のはテレビ局相手

著作者人格権の不行使契約は締結」するのは(慣例上)出版社だよね

相手がちがえば違う契約が結べるんだよ

というかおそらく出版社テレビ局相手契約主体になってるだろな

そんなこともしらないのかよ 

anond:20240210161841

ChatGPTで要約しといた

----------

小学館第一コミック編集者一同の声明に対する批判的な見解提供しています問題文章は、作家、読者、関係者に宛てたものであり、著作者人格権問題時系列本質から逸らし、小学館自体責任隠蔽しようとする意図を持っていると批判されています文章は内容が曖昧で、著作者人格権に関する認識の不足を後悔するというスタンスを取りながら、その実、本質的な問題から目を逸らし、責任を逃れようとしていると指摘されています

批判の核心は、小学館ドラマ制作過程において、芦原氏(故人)の意向を適切に伝達・保護することに失敗し、その結果、彼女が心身ともに追い詰められる状況を招いたことにある。小学館声明は、このような状況を矮小化し、誤解を招くような内容であり、本質的な問題解決に対して何の寄与もしない虚妄に基づいていると非難されています

さらに、文章は芦原氏の言葉を捻じ曲げ、著作者人格権問題すり替えることで、小学館責任隠蔽しようとする不誠実さを示しており、このような姿勢が非常に問題であると強調されています。また、芦原氏への言及が、批判を避けるための手段として利用されていることも指摘されており、このような行為が非常に不適切である批判されています

最後に、この問題小学館だけのものではなく、メディア化の過程における構造的な問題テレビ局の体質的問題SNS問題など、さまざまな複雑な要因が絡み合っていることが指摘されています。それにもかかわらず、小学館がこの悲劇を防げた可能性があるにも関わらず、問題を避け、責任回避しようとした姿勢批判されるべきである結論づけられています

セクシー田中さん問題について考えたこ

色んな切り口があり議論錯綜するので自身の整理のために考えたことをまとめます

ネット民醜悪であり反省しない

今回の件では、本来外野であるはずのネット民攻撃しかけて炎上させることがなければ、原作者が追い詰められて自死を選ぶことはなかったでしょう。

にも関わらず「日テレが悪い」「小学館が悪い」「プロデューサーが悪い」と主張しているのは、自信の罪を自覚しながら、それを認めたくがないために、罪を押し付ける先を探しているようにさえ見えます。彼らは自信の振る舞いを反省する気はないのか。

誰がなんと言おうが、一番悪いのはお前らだよ。

原作ファンは何様なのか問題

漫画改悪されて実写化されると「原作レイプだ!」と騒ぐ方々が現れます

実写化により、原作に改変が加えられるのであれば「原作レイプ」という主張も分かります

でも、原作は、原作のままなんじゃないですか。原作実写化された作品は別物なのでは。

自分の愛しているものが陵辱されたら許せない」という気持ち理解できます

更に、原作をそこまでのレベルにしたのは、原作者および出版社努力なのでは。あなたたちは、その創作活動に対して何をしたんでしょうか。

その方たちが「自分たちの異議には正当な根拠がある」というのは無理があるでしょう。

実写化にたいする違和感を表明する権利侵害されないので、「原作レイプだ!」と述べるのは全く問題がありませんが、その主張に正当性はないです。

感情の昂ぶりは一時的もの

ネット民攻撃を仕掛けるのも、原作ファンが「原作レイプだ!」と叫ぶのも、感情に起因するものなので、止めようはありません。

そこに対して、理屈でさとすのも愚かなことでしょう。

ただ感情の昂ぶりは長続きしません。

海猿》《金色のジャッシュ》の問題について、長期にわたって主張をし続けた方がどれだけいるんでしょうか。

事態改善したいなら、一時の感情で叫ぶのではなく、問題の真因はどこにあり、どのような再発防止を打つことができるのか考えるべきでしょう。

第三者委員会を設置してどうするのか

何がおきたかを明らかにするために第三者委員会を設置して経緯を明らかにして欲しいという声があります

それして、どうするんでしょう。

経緯を明らかにしたいというよりは「どうせテレビの奴らは漫画を下にみて酷いことしたんだろう。それを認めて土下座しろよ」という主張が多いように見えます

醜悪テレビの奴らを土下座させて溜飲を下げたい以上の意味があるんでしょうか。

再発防止をどうするのか

実は簡単な再発防止策があります。「お好きなように改変して下さい」と言わない原作者作品実写化しないことです。

原作者の望まない実写化は公開しない」でもいいんですが、これだと、実写化作品が完成した後で原作者が「私はこの脚色は不満です」と述べると公開できなくなります。このリスクは流石に実写化サイドは呑めないでしょう。

どちらも極端だろうということであれば、

  1. ドラマ化するなら「必ず漫画に忠実に」
  2. 漫画に忠実でない場合はしっかりと加筆修正させていただく
  3. ドラマオリジナルの部分も「原作者があらすじからセリフまで」用意する
  4. 場合によっては、原作者脚本執筆する可能性もある

ということを事前に約束して進めるのも良いと思います

1.を約束しても醜悪テレビの奴らは「これが我々の考えた漫画に忠実な脚本です」と全く忠実でない脚本を出してくることは考えられるので、2., 3., 4.などは有効な策といえるでしょう。

誰か困る人がいるのか

「お好きなように改変して下さい」と言わない原作者作品実写化しないというのが、実は、現実的であり有効な策だと考えています

これで困る人がいるのかですが、原作者も、原作ファンも、困らないでしょう。

テレビ局は困るんじゃないか?」は、困ると思います。ただテレビ局は、漫画原作に頼らず、オリジナルで魅力的な作品が書ける脚本家を育てるという道があります

そしてそれが、本来テレビ局が進むべき道でしょう。

困るのは、出版社です。メディアミックス戦略が使えなくなります

しかしここは、原作者を守るために、「お好きなように改変して下さい」と言わない漫画家の作品実写化提供してはダメです。

それにより、メディアミックス戦略が使えなくなり、出版社収益は減るでしょう。いくつかの漫画雑誌も廃刊に追い込まれ、世の中に出ていたはずの作品が日の目を見ることがなくなるかも知れません。

でもそれが、漫画ファンが望んだことなんです。甘んじて引き受けましょうよ。

脚色は、そんなに簡単じゃない

漫画実写化するのは、そう簡単ではないです。

仮に原作者が脚色を担当したとしても「素人の私が見よう見まねで書かせて頂いたので、私の力不足が露呈する形となり反省しきりです」という状況に陥ることは充分にあり得ます

原作レイプはリスペクトがないから起きるのか

漫画に対するリスペクトがないから、こんな酷いことが起きるんだ」という主張がありますが、そうなんでしょうか。

実写化しようと思った時点で、原作に魅力があると感じているはずなのに、それでも原作蔑ろにしてるんでしょうか。

尺が合わない等で原作エピソードを取捨選択したり、逆に原作エピソードを足さなきゃいけないこともあるでしょう。

このときに、原作エッセンスを汲んで適切な取捨選択ができたり、原作エッセンスを活かしてエピソードを足せる脚本家もいるでしょう。

野木亜紀子さんは、それがうまくできる一人です。「全ての漫画原作実写化は、脚本野木亜紀子担当する」とすれば、今回のような事象は発生しないでしょう。

ただそれは非現実的です。野木亜紀子ほど技量が高くない脚本家も、実写化のための脚本を書きます

そのとき、うまく捌けずに、余計な恋愛要素を入れてしま脚本家もいるでしょう。

それは、リスペクトがないのではなく、技量の低さに起因しています。憎むべきは「リスペクトがない」といった心理的な要因ではなく、「脚本家の技量が低い」という問題なんじゃないでしょうか。

最後

色々と書いてきて結局なんなのという話ですが、最初に戻って、ネット民が悪いよ。反省しようって。

2024-02-09

anond:20240209074731

日テレ不祥事を起こした企業として、社長プロデューサーが表に出て記者会見すべきやと思っとる。

それがいままで彼ら自身要求してきたテレビ局流儀なんやし。

anond:20240209074731

俺さ違和感あるんだよね。

小学館編集側のコメントってめっちゃ意訳するけど

私たち意向を伝えた上で、原作者意向にそって脚本をしっかりと全編書き下ろしてもらいました。」

ドラマは全編、原作者の描き下ろしだよ。安心してね。」

違くない?

小学館側がドラマ制作に対してしっかりと原作者意向を伝えていれば、そもそもこんな事にならんでしょって具合で。

制作が持ってきた脚本原作者に何度も書き直しさせて、結果脚本原作者意向を反映させる事で100%仕事をしたんですって事でしょ。

でも、その書き直しが原作者疲弊させた訳で、それって小学館テレビ局同士のネゴシエーションの不備で発生した問題じゃん。

なんで、小学館側が私達は仕事をしたんです…みたいな空気感になってるのか、問題がどこなのかわかってなさそうでマジで怖いんだけど。

漫画家エージェント

漫画家などがある程度売れてきたら顧問弁護士を付けて映像化などの交渉事は任せるとして

単に法律に詳しいだけでなくそ漫画家作品性理解している必要があると思う

作家には担当編集者というのがつくと思うが、本来担当編集者が一番作家作品性を知っていると思うが

顧問弁護士もそのぐらい作家作品性理解していないといけないと思う

出版社テレビ局は金儲けのことしか考えていないが、漫画家は金儲け以前に、自分作品意図とは違うものを世に出したくないというのがあるだろう

映像化を任せる製作会社スタッフの選定はそうしたことを踏まえて選ぶ必要があるんだろう

芦原さん死をめぐるとんちんかんツイッター正義はどこに着地するのか

本来なら、脚本家がインスタで原作者著作者人格権毀損する投稿をした直後に小学館が抗議し、日テレが弊社の見解ではないと遺憾の意を表明し、脚本家が頭を下げて終わりなはずだったのに。未だに小学館は抗議しないし日テレは黙ってるし脚本家は逃げ出すし、原作者はもういないし。なんなんだこれ。」

https://x.com/sorachiakira/status/1755550581429805466?s=20

漫画家芦原妃名子さんの死去をめぐり、X民、ツイッター民は働いたことがないのだろうかと思えるほど、1つひとつのありえないロジックをもとに積み上げれた意見が、幅広く共感されているという正義感の迷走状態うんざりしている。

脚本家相沢友子さんに日テレが、真実を伝えたら仕事を引き受けてもらえなさそうな面倒くさそうな契約だったら、詳細を伝えると思うのだろうか?これからモチベーションを上げていい仕事をしてもらわなければいけない相手に。脚本家は、芦原さんの条件を知らずに、脚本を書き進めたのだろうと思われる。

そして、脚本家の動きをめぐり小学館日テレに苦言を言うと思うのだろうか?

ドラマ化するのは年に50ということで、その原作を勝ち取れるかどうかは、苦境すぎる紙媒体の版元はノドから手が出てもほしがっている。それがあるかないか経営明暗が分かれるだろう。

今回の最大の問題は、紙媒体だけでは坂を転がり落ちている経営状況の出版社は、試聴者に向かって発信力のあるテレビ局の動向に左右されてしまうという不況構造と、テレビ局もつ権力性にある。

日テレ側は、原作として使うことで、むしろ原作料を支払ってまで出版社宣伝に協力をしたのに迷惑をかけられたというスタンスがあるだろうし、小学館側はそれを否定できない、漫画家原作者の足並みをうまく揃えさせられなかったことをむしろ詫びねばならないような力関係想像される。

不遇な死をとげてしまった原作者が報われるためにはこの、権力構造を壊さないといけない。

anond:20240208184353

有耶無耶にして揉み消したい、というのが故人の遺志ではなかったの?

故人に対して誠実という意味では小学館上層部が最も誠実だと思うが

再発防止に関しては社内及び社と漫画家たちの間及び社とテレビ局などとの間で協議すればいい話で

公表しなければならない理由なんてない

現場公表したのも、今付き合ってる漫画家の方を向いてるだけであって

正義の鉄槌、気持ちイイッッ!」って炎上求め続ける外野のためではない

小学館上層部漫画家(直接仕事してる著作権者)に対してだけの声明を送付すればよかった

その上で「この内容についてはできれば公表しないでください、それが故人の遺志を尊重することだと思います」と書き添えてもよかった

セクシー田中さんの件、脚本家編集部小学館から声明が出たけど印象が悪くならないよう注意しながら根本的に責任自分にないって責任逃れしてるだけだな

脚本家 : 一切原作者要望は知らなかった(=普通にドラマ脚本家仕事をしただけ、自分は悪くない)

編集部小学館 : テレビ局には原作者希望は伝えた、なぜ死んだか原因は不明だがこのような事が起こらないように原因調べて対策していく(=死ぬ気になった原因なんて証明しようがないから死んだ事までこっちの責任じゃない)

って事言ってるだけだろあれ

anond:20240208215949

脚本家立場からしたら、ドラマ制作中は怒り心頭だったと思うんだよね。

脚本家として仕事の依頼を受けて、それなりの作品に仕上げてあげたのに、

原作者が我儘ばかり言ってきて、最後最後には自分で書くと言い出した挙句

最終2話は不出来な状態で終わった。

それを脚本家のせいにされたら、一言くらいSNS文句も言いたくなるもんでしょ。

世の中にはトンデモ原作者もいるものだ。

脚本家側としては、

プロデューサーテレビ局小学館も、あのキチガイをどうにか抑えられなかったの?って思ってたはず。

ところが真実が明らかになると、

原作者は困り苦しんでいて、プロデューサーテレビ局小学館グルになって、脚本家原作者を騙していたことがバレた。

あれ?

私がSNS文句言ったから、原作者自殺しちゃったの?

悪いのは私ってことになっちゃうの?

そりゃ頭が真っ白になるのも無理もないわ。

anond:20240208172253

最初は知らされて無くっても、自分脚本原作者に赤ペン入れられまくって返ってきた時点でどういうことかテレビ局なりプロデューサーに聞くだろ。ましてそれが繰り返されていたのなら。原作小学館テレビ局契約の詳細までは分からなくても何度も特定傾向の赤ペンが入れば先方の希望も分かるはず。

2024-02-08

ドラマ舞台で思うこと

https://x.com/yukayuka210/status/1754109602894107108?s=46&t=EN84guhfIZe-HuQnXLH7tA

この人の投稿を見て確かに…と思った。

ナタリー記事読んでるとあの作品舞台するの??!公演期間短かすぎない??!と思うことが多い。

同じことをドラマに対しても思っててこの前Xで試しに読んだ漫画ドラマ化するの??全12話もないの??ということがよくある。

私は元々地方在住でテレビ局も三代都市圏に比べたら少なかった街に住んでいたので今大阪に住んでて深夜ドラマの多さにびっくりする。

役者活躍の場がたくさんあるのはおそらくいいことなんだけど作り手大変そう…と思った。

芦原さんの件

自死の原因を「ドラマ化で原作蔑ろにされた」前提で話されているのがとても気になっている

最後コメント

攻撃たかったわけじゃなくて。ごめんなさい」

をそのまま汲み取ると

脚本家(テレビ局出版社)を攻撃たかったわけではないのにこんなに大事になってしまって申し訳ない」

であり、

攻撃になってしまった=SNS炎上してしまった件 であることは自明だよね

この件で死後も芦原さんの思いとは逆方向に動いているように思えてならないんだよね

まだまだ炎上はおさまらない

出版社テレビ局の体質は改善されて然るべきだと思う

けど、特定個人を多くの人々が責めることが可視化されてしまうこと

そしてX始め多くのSNSはそれを助長していること

これは何も変わってないし誰も反省していない

anond:20240207214637

あれ普通に読むと攻撃者側になってしまたことへの自責の念理解するんだけど、攻撃者たちが読むと小学館だかテレビ局かに火消しを強制させられたって読むらしいよ。

ブクマカども殺人罪でしょっ引かれねーかな。

2024-02-06

anond:20240205222956

これ結局は要テレビ局というかドラマ制班内部っていう店側の内輪もめでしかなくて、客って部外者である視聴者原作ファン、あとネット民的には「もっとチーム内で仲良くできないのか」「そら身内からそんな事言われたら愚痴りたくも」位の感想言っとくのが正しいんだよな

みんななんか立派なこと言おうとして話が大事になりすぎてる感はたしかにある

anond:20240206113831

半地下の家族は「金に困っている主人公少年が、金持ち少年自分の妹の家庭教師をさせてやって、主人公他人のふりして自分の妹を別のバイトとしてその家に送り込み、さらには自分の親までその家に送り込んで食糧庫で隠れて暮らしはじめて、善意家族全員殺してしまう」という話だろ。うろ覚えだが。教訓は「軒を貸して母屋を取られるから善意を向ける相手には気をつけろ」ということ。TBSNHK日本テレビ局朝鮮人ばっかりになったのは差別しないで雇ったら仲間しか引き入れなかったってのが原因だろ?

anond:20240206081709

ないよ

基本は映像化は映像化なので全部先方に任せましょうしか言わんよ

当たり前やけど編集1人が漫画家1人を受け持ってるわけじゃなくて、2桁人くらい持ってることもザラなので

ただでさえ映像化にまつわる出版社側のプロモーションの橋渡しも必要なのに

テレビ局とのゴリゴリのネゴなんかやってる暇ない

anond:20240206071418

脚本家コメントがクソなだけなのにテレビ局だの出版社だのの構造的な問題で幕を引こうとしてるのがおかしいってことじゃね

2024-02-05

anond:20240205192227

いま、めちゃくちゃ景気いいんだよね。

製造業建設業バブルにわいている。20代30代は人手が足りなくてお祭り状態よ。猫の手でもとはこのこと。

 

当然のことながら40代50代はこのお祭りとは無関係なんだけど。気付いてないひともおおいよな。

テレビを見ると「物価高!不景気物価高!不景気!」と連呼してるから不景気勘違いしがちだけど、テレビ局がオワコンなだけなんだよな。

お前らは脚本家のことを舐めすぎだと思います

普段脚本すら読んだことないであろう人たちが、脚本家を攻撃していて困惑している。

よく言われていることだけど、脚本とは映像のための設計図です。

漫画小説とは全くもって、似て非なるものです。

ここをほとんどの人は勘違いしているように見受けられます

脚本は何度も何度もプロデューサーに訂正され、さら現場では監督役者セリフも直されます

例えば何をやっても上手くいかない主人公が、恋人に振られたうえに雨に降られてずぶ濡れになるとします。

漫画では、雨に打たれるシーンはスクリーントーンと線を引けばいいのです。

小説では、雨が主人公の肩を濡らした。とか書けばいいのです。

しか映像作品では一回雨を降らすのに200万です。雨のシーンが続けばあっという間に予算オーバーです。

自身オリジナル作品で何度も映画化したことがある大物脚本家ですら、雨のシーンが実現されたことはないとボヤいていました。

そういった時に雨を降らさないでも、どうしたら雨が降っているような感情を伝えられるか?

そういったことを考えるのがプロデューサーの意を汲んだ脚本家です。

「ここちょっと予算的に雨降らせられないからなんかないかなぁ」

「じゃぁ、散水している工事現場の水がかかったことにしますか」

よくドラマとかで見るアレです。

これは原作にない脚色かもしれませんが、恋人に振られた主人公が惨めな気分であることを表現できで観客に伝わればいいのです。

さら帰宅してすぐにあったまろうと風呂に入ったことで、仕事上の大事電話に出られなかったって繋げればさらに惨めさが際立ちますね。

そうやって脚本では話を「コロガシ」て話を繋いで行きます

小説のようにいきなり章を分けたりするとドラマでは不自然さが強調されるからです。

仁義なき戦い」で有名な東映ヤクザ映画時代からあるコロガシという脚本用語です。

まり何が言いたいかというと原作脚本では本当に違う技術必要とされているのです。

そしてゼロからイチであろうがイチからヒャクであろうが、どちらも技術を磨くという点において努力の賜物なのです。

 

「グレート・ギャッツビー」を書いた、20世紀の偉大なアメリカ作家スコット・フィッツジェラルドでさえ脚本家としては三流でした。

「どうする家康」「リーガルハイ」の古沢良太はもともと漫画家をめざしていたが、挫折し、脚本家として売れっ子になりました。

早稲田映画を専攻し、学生時代映画脚本を読みふけっていたという村上春樹は、脚本はどうしても上手く書けなかったそうです。

自身作品映像化の条件について、こんな趣旨のことをエッセイで書いていました。

「私が小説で書いたセリフを、そのまま使わないで欲しい。あれは文章のための表現からそのまま映像にすると不自然になってしまう」

死者に鞭打つわけではないが、原作者も映像化については正直漫画的な表現でなんとかできると思っていたのではないだろうか。

その違いに対して普段から意識的である脚本家は、漫画小説をそのまま映像化しても全く面白くない作品が出来上がることを知っています

 

ネットの反応は「自分の大切な原作をいじられてしまたか自殺した」

という見方が大半だが、私はそれだけだとは思わない。

冷静に考えてほしい。

実はその考え方の方がかなりバイアスがかかっていると思う。

しろ自分の大切な原作を、自身脚本台無しにしてしまった自責の念

と「その後ブログにて舌禍を起こしてしまたことに対する責任

の方が強かったのではないかと思う。

から攻撃する意図はなかったとわざわざ書いたのだろう。

自分大事作品を楽しみにしてくれるファンに向けて「色々な事情があって上手く表現できなくてごめん。」

ただそう弁明したかっただけなのだと思う。

それを勝手拡大解釈したテレビ局憎しの人たちが、騒動を大きくしこの悲劇を生んでしまったといっても過言ではないと思う。

もちろん、本人にしかからないし、本人にもわからいかもしれないが。

ただ私もクリエイターの端くれとして、

もし自分の子供をいじめられたらなんとしてでも子供回復をしようと頑張るが、

もし周りを巻き込んだ挙句自分自分の子供を傷つけてしまったと考えたら自殺するかもしれない。

そんなふうに思ったからだ。

ご冥福をお祈りします

小学館が『セクシー田中さん』に関係する記事を削除したことについて

芦原妃名子先生が亡くなられて以降、漫画家脚本家から連日多くの発信がなされている。

一方でこの事件の鍵を握るプロデューサーなどテレビ局出版社からの発信はあっただろうか?

とりわけ当事者である小学館日テレ対応に注目が集まっているが、さっぱり音沙汰がない。

 

そんななか、小学館が先月こっそり削除した記事を見つけた。

https://adpocket.shogakukan.co.jp/adnews/7059/

 

アーカイブは以下である

大人女性の心をつかむ豊富で多彩な漫画が、タイアップにも活躍します。『プチコミック』須藤綾子編集長インタビュー | 小学館AD POCKET

 

セクシー田中さん掲載誌である姉系プチコミック」などを手掛ける、「プチコミック編集長によるインタビュー記事である

編集長就任に伴い昨年12月にUPされたPR記事のようだ。

このなかでは、渦中のメディアミックスについて触れられており『セクシー田中さん』も登場する。

セクシー田中さん』のように女性が自立して輝く設定だったり。あくま漫画として面白いことが第一ですが、メディアミックスは一番大きく読者をつかめるところなので、これからドラマ映画サイドに興味を持って頂ける作品をつくっていくことも一つの大きな目標です

 

小学館がこの記事を削除した意図や芦原先生の件との関係は分からない。

しかし、会社として編集部としてメディアミックスの推進に積極的方針であることは垣間見ることができた。

そこに作家を軽視しおざなりにする強引な手法はなかったか

この痛ましい事件の経緯と今後の対策について、小学館から説明を固唾をのんで待っている。

原作者脚本家とかの話

どっちかがリスペクトされてないという話ではなくて、クリエイターとしてリスペクトされ守られなければならないって意識出版社にもテレビ局にも「ありすぎる」のかも

両方が大事クリエイター様を矢面に立たせないように間に入った結果おかしなことになったように見える

っていうか、自分仕事でも、現場メンバー同士も交えて話し合えばちゃんとすり合わせられるのに、現場メンバーを守りたい管理職勝手コミュニケーションコストを巻き取ったせいで険悪になって遺恨が残ることって往々にしてあるよな、って反省した。

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