はてなキーワード: チャンネルとは
多チャンネルだった時代はそれはそれで嫁姑問題や親族のジジババのイビリで精神いわしたりしてたわけで、形が変わるだけでどうなっても人生は辛いという話。多チャンネルだとかネット保守連中が礼賛するマイルドヤンキー生活にしたら無条件に幸せになれるというわけではない。
ワンオペ育児で母親がわが子3人を手にかけた事件に対して、予想通り「母親の辛さ」がフィーチャーされている。
小児科医が人を殺したこの母親に同情し、すべての母親のためになんとかしようみたいな話をしているし、
育児垢が「私とこの母親は地続き。批判してる育児垢見たら実家住みだった、人生いろいろ育児もいろいろ」とか言ってる。
まるで母親の自己実現のために育児してるかのような言い草に失笑を禁じ得ない。人生いろいろだから生後数か月で親に殺されてもしょうがないってか。
法の下の平等に準じて我が子を手にかける所業には重きを置かないにしても、「そんなに辛けりゃ一人で勝手に死ね」と言われもおかしくないはずなのに。
そもそもワンオペになるのに3人も産むなとか、共助を拒否した結果だとかは白饅頭界隈にでも譲ります。
どんな事情があったにせよ、世の保護者に「私も我が子を殺すかも」なんて思ってほしくないので私はもうちょっと優しいアプローチをしたいと思い文章を書いてみます。
簡単に言えば、必要なのはリソースの適切な配分と多チャンネルの開設である。
親のリソースは有限である。よっぽど特殊な環境でない限り、一人の子どもに対してかけられる親の労働力は最大2人だろう。
一方で育児が要求する労働力は2人でも足りない、というのが私の過去の経験からの感覚である。
無論最低限の生存レベルではなく、「親としてしてあげたいこと」がこの要求を無限に引き上げていく。
清潔で快適な環境においてあげたい。たくさん眠らせてあげたい。写真を撮っておいてあげたい。たくさん食べさせてあげたい。
親として最初に考えないといけないことは、この全部を完全に達成することはほぼ不可能であるということだ。
何をしてあげないか決める。何を与えないか決める。何を切り捨てるか決める。これを明確にしておくだけで全然違う。
一度捨てたものには未練を残さない。再びそれに手を伸ばすことは禁忌とする。このルールを守るだけで育児の負担は確実に減る。
しかし往々にしてこれができない。特に母親は。これは善悪の問題ではなく、本能的なものだろう。
体力があろうとなかろうとリソースを延々と子供に注ぎ続け、判断力を失い、ときに鬱になり、最悪の場合子に手をかける。
自分がいかに寝不足でも泣いている子供を無視できない。これはもうそういうものとしか思えないから、無視せよと言っても無理なのだ。
かといってこれが美しいものかと言われれば全然そうは思えないのであって、これを美徳とすることは全く肯定できないのだが、
結局親と子供を引き離す他に親の労働力無限供給を解決する術はないのだ。
古い価値観ではこの役目を同居の祖父母等が担っていたのだが、現代人は他人の干渉を拒絶しているためそんなものは贅沢品扱いだ。
保育園だってパワーカップルのキャリア維持に使われて全員が入れるわけもなく、近所の人は顔も覚えていない。
カネも縁も知恵もない親だとあとはもう根性頼み、運頼みで闇雲に突っ込んでいくばかりなのだ。
だからもう自分で事前にやるしかない。自分は子育てを始めるとまともな思考はできなくなると予想して、安全装置を設置しておく。
それが多チャンネル化、平たく言えば外界と繋がりを複数持つということだ。
必要なのは自分の判断力が弱ってるときにそれを検出してくれる繋がりなので、理想的なのは昔からの友人や兄弟姉妹だ。
親とか義理親は母親自身より子のケアに寄る場合がほとんどだろうからあてにしてはいけない。
相手が独身だろうが不妊だろうが繋がっておく。子供の話はしない、自分の話をする。
ネタ画像を共有したり、腹が立った話をしたり、ふと思いついたときに声をかける相手がいればいいだけ。
そういう保険をかけられる相手との関係をメンテしておくことは普段からの心がけとしか言えないが。
ストレスを逃がし、自分と子を別の存在であることを認めてくれる相手が複数いれば最悪の事態に至るリスクはぐっとさがるだろう。
声のでかいやつがなんも言わないから原神は天才がオープンワールドゲームで重厚なライティングを実現させたとか、ゼルダの伝説は鬼才のサウンドデザイナーが世界観を作り上げた(以降RPGでは1小節ずつBGMを作ってどこからでも変調できるようにするのが当たり前になった)とか言われてないだけでね
いや言ってくれよ!
そういう話は十分な需要あるとから、もし連載記事とかyoutubeチャンネルになってたら見に行きたい人たくさん居ると思うぞ。
そういうくっさい政治系じゃなくてさ(いや政治系も別にいいんだけど)
なら普通のチャンネル、たとえば美容系とかvlogとか趣味系、モノ申す系なんでもいいけどそういうところでの雑談とかで自然とフェミニズムに裏打ちされた発言していくべきだろ
じゃなきゃ一生偏見なくならんよ
私にとって母親はいつも絶対の存在だった。私の人生はいつだって母親の意見が絶対であった。家庭のなかに逆らえる人間はいなかったし、「私が一番正しい」と家族に言うのが口癖だった。正しいのがなにより大事な人だった。朝は6時に起きて就寝は21時。家で観るチャンネルはいつもNHK。
そんな母が最近YouTubeのストリートピアノ動画にハマっている。
あのストリートピアノだ。ある一人のストリート奏者が好きらしく今日はライブだ、配信だなどと言って毎日のように夜10時過ぎまで居間で大音量で動画を流している。配信中にコメントもしているらしくコメント読まれたらどうしようなどと興奮気味に話す母親は見るに堪えなかった。みっともなかった。
母親にどう思われるかが気がかりで、学生の頃某アイドルがクラス中で流行っていたが話についていけなくなっても少しも興味のない振りをした。父親は音楽番組を鑑賞中に若い女性アイドルに少し目をやっただけで「気持ち悪い」と大罪を犯したかのごとく母から口汚く罵られていた。
なんであんな長いの?
推しだとしてもシンドクない??
1時間とか2時間以内なら分からんでも無いんだけど、それ以上って途中で抜けたりするのがやっぱり当たり前なの?
ただでさえチャンネル登録者数よりも再生数が少ない印象がVtuberにはあるけど、一人が複数回出入りしてるとなると、ユニークな視聴者って実はめっちゃ少なくない?
長い配信時間てどれほどの人間がついていけてるのかな?というのが素直な疑問。
疑問に思った発端は、
1.自分は見れて2時間。(リアルタイムで垂れ流し、アーカイブを分割で、アーカイブを一気見など、色々)
ただ、それ以上になると日を跨いでアーカイブを追う気が起きない。
2.Vtuberは登録者数は多いけど、その登録者に対してアーカイブの再生数の割合が随分と低い印象がある。
昔ながらの実況動画の方が、チャンネル登録者数と再生数の乖離が少ない例が多い印象。
例えば、チャンネル登録者数30万のゲーム実況者(A)とVtuber(B)が居た場合、
Aの平均再生数が15~20万なのに対して、Bのアーカイブの再生数は1~5万。というような傾向があるような印象を持ってる。
現状ではビジネスとして成立してるのかもしれないけど、ついていけない人間が増えたり、ついていける人間が増えないのであれば、
今後は衰退していくのかなと思ってしまう。
●コメントを見ての雑感
・さっさと切る理由が無い
個人的に、単純に見てる側の体力が信じられない。
聞き流してるとかなら分かるんだが、4時間の配信をずっと「見てる」となると飽きないのがスゴイなって思う。
・再生数って出入りで増えるの
出入りで増えると思ってたな。違うのかな。
・長時間にした方が儲かる
動画やアーカイブは特定の時間の区切りに広告が入るからその意図は分かるけど、4時間全部を見るユーザーってどれほど居るの?
統一意志じゃないのは分かるから、あなたのスタイルを一例として教えてくれると疑問が晴れる助けになりそう。
お気持ち表明。別に発信すらしてないクリエイターモドキのたわごとです。たぶん有名だろうから伏せても意味無いのわかってるけど、一応明言はしないでおく。
歌ってみたをメインに、時折可愛くて無垢そうな女の子にほんのり不穏な雰囲気を混ぜた、クオリティの高い3D、2Ⅾアニメーションが売りのチャンネルだった。可愛い歌声に魅了されて、すぐに登録したしコメントも送った。数千再生以下の時代にサブスクした古参と言えるリスナーだったと思う。
それが、久々にチャンネルを覗いたらスキンヘッドの男性とサイケデリックな動画が画面を占めるようになっていた。投稿しているコメントもTwitterも、製作者が心折れていたことを物語っている。私が好きだったあの子はもういないんだな、と一分ぐらい悩んで登録を解除した。
数十万人を相手に創作物を発表する気持ちなんてわからない。どれだけ重圧のかかることか、想像もできない。それでも作りあげたものを壊してほしくなかった。それってみんなに酷いことをしていると思う。あの世界観を作った製作者自身はもちろん、クラファンで「この作品だから」と支援した人にも、彼女を待って登録し続けた人にも。多少の差はあれど、鬱になっていろいろ処方されてた創作人だから、何もかも嫌になる気持ちはわかる。だけどこれは違う。金銭の授受以前の、何かを発表しているクリエイターとしてやってはいけないことだと思う。
言葉にするのがすごく難しい。とにかくショックだった。どうして自分の創作物を踏みにじることができるのだろう。せめて作者だけは愛してあげてほしい。あらため、こうと決められていたのだったら「これはまあ自分が好きなタイプじゃない」で遠ざけられたのに、予告なしで、こんなことをするのはあまりにもひどい。不意打ちだ。歌の動画も、もう健全な気持ちで見ることが出来ない。あんなに好きだったのに。
もちろんこれはお気持ち表明と書いたにふさわしい自分勝手なことなのはわかってるけど、裏切りにしか感じられなくて。あんなに「鳩〇ちゃんみたいなのみんな好きでしょ?」って雰囲気で売ってたのに、あそこまで徹底して世界観を構築してたのに…
NHKの訪問だったら時間外デスヨな時間にピンポンされたので居留守した。
めっちゃ明かり漏れてたので諦めない、ピンポン連打。ちょっとこの時点でアレなので通報したくなった。
ピンポンが煩くてアマプラさん(ネトフリさんでもいい)の音が聞こえないでしょーが!ってさせて玄関開けさせるのが手なのかもしれない。巻き戻した時間からして本当に数分はピンポンしてた。怖い。
しゃーないのでスマホ持って玄関あけた。チェーン的なアレは外さなかった。まあ、アレ外から外すコツがあるらしいけど相手の初動が遅れるので無いよりはマシかと。
一応会社名を名乗ったが、どこぞの不動産会社か建築会社のグループです的な体裁の工務店っぽいアレだった。
建売の訪問販売か近所で工事するのでお知らせ的なやつ、どっちかなっていう感じ。
しかし、あからさまにスマホ向けたままにしたら要件を言わない。
とか言い出したので玄関を閉めた。
いや、コッチは撮影してない、スマホ向けてただけ。どこも光って無いでしょうがスマホ。ってのは無茶だとして。
撮影機能のあるインターホンなんて世にいくらでもあるだろうが。
だから、この状況で家の中から撮影するぶんには、いちおう自衛のため判定される可能性が高いので法廷まで行かないと白黒付かない行為と社会通念上思われるわけでしてな。
やば目な人っぽい行為ではあるけれども。
でも賃貸とはいえ敷地内の玄関前まで侵入してきて、室内にいる人間を撮影しますとか、言い出すヤツの方がヤベーやつ度が高いわけでだな。
ヤベー度合いの対決になった。
我が事ながら笑える。
「まっとうな要件なら書面でもパンフでも郵便受けに入れといてくれ。必要ならこっちから連絡する」
とか言う余裕もなく決裂したわけだが。
結局なにもポスティングしていかなかったので、なんの用だったのか分からないままになった。
ちなんでおくと、
安い古い賃貸なのでインターホン無いから、玄関開けるか居留守の二択なわけだな、心当たりのない訪問には。
宅配とか郵便なら玄関前でそう叫ぶしな。郵便はそもそも、指定しないかぎりこんな時間に来ない。認知してない荷物も、そもそも来ない。
ケータイ持ってない知り合いは居ないし声出せば分かる。大家とか管理関係なら、書面か掲示板があるので居留守だろうが問題ない、というかケータイ番号知ってるだろうもん。
でもって。
ウチにテレビは無い。懐かしのワンセグも無い。地方なので元々テレビチャンネル少ないからネット配信系の何か契約した方が受信料より安い、NHKの番組は課金してまで見たいのが無い。災害情報はラジオでいい。
ほんと、なんの用事だったのか。