はてなキーワード: セルフネグレクトとは
アラフォー女。昨年の年末から年始にかけて、家に引きこもってたら鬱気味になって風呂に入れなくなり、だいたい1週間に1度+たまに人と会う前に入浴ってペースになった。人と会う時はメイクするけど、落とすき力もわかないから翌日から次に風呂入るまではやっぱりそのまま。
暖かくなって気持ちが復活して、久しぶりに美容室とエステに行ったところ、担当者に「どうしたんですか!髪質むちゃくちゃきれいになってますけど、なにか特別なトリートメントとかされたんですか?」「肌の数値がすごく良くなってるけど、どうされました?」って質問責めにあったわけよ。
それまで美容に手間もお金もかけてたけれど、鬱でセルフネグレクトになってる間は風呂にすら入ってないんだから本当になんにもしてない。
世間では「肌断食」とか言って、清潔に保つだけで何もしない美容法もあるけど、私にはあれは全然合わなかった。パッサパサのシワシワガサガサになるだけだった。でも、本当の意味で「何もしない」ってのは、洗うのも含めて何もしないんだなと実感した。
当然人にそれを教えるわけにいかないから「いやー、何もしてませんよー。家にこもっててストレスないからかもしれませんねえ」とかごまかしたけど、風呂に入らず何もしない美容法、もしかしたら最高かもしれない。
ちなみに歯磨きもサボってたけど、こっちはてきめんに歯に悪いらしく、定期検診にいったらむちゃくちゃ状態悪くなってて叱られた。歯磨きだけはやったほうがよさそう。
いきなり冷たく当たられたり謎の清潔感を強要されるのは外見が気持ち悪いからにすぎないので、外見を改善すれば負のスパイラルから抜け出せるというこれ以上ない救済措置なんだが
整形を「セルフネグレクト」とか言ってる時点で弱者を脱する気が皆無なことがわかる 病気にかかった時必要な手術も筋トレもセルフネグレクトで済ますのか?
主に異性から性的に忌避されて、恋愛経験はおろか、罰ゲームや金銭契約等の特別の理由がある場合を除いて女性と手を繋いだことさえもなく、ときに不特定多数からキモい等と罵倒された体験を負う被害者のこと。
彼らが暗い経験を他人に打ち明けると、共感されるでなく逆に落ち度を責められ、女性を人として見ていないせいだ、本当は女性に関心がないんだろ、などと人格をののしられ、「清潔感がない」という曖昧な基準によるアウト判定に基づいたアドバイスを実際の身なりの清潔さを鑑みられることなしに押し付けられ、一方で、みずからの意思で望んでいない整形等のセルフネグレクト行為を迫られる等の二次的加害が発生する。
多くは経済力を含む秀でた能力を持たないか、あるいは持っていたとしてもそれを利用して自己救済するビジョンを持てない。とりわけ、決定的に失われた社会への信頼を取り戻す希望を持てない。近づいてくる誰かに対して「僕のありのままの人間性を承認してくれてるんじゃなくて、能力の利用が目的だろう」のような疑念しか持てない状態にある。
社会の道徳および文化の歪みのせいで、家族形成の機会を生まれつき持てない彼らは、古くは “キモくて金のないおっさん” と呼ばれた。近年では見下しのニュアンスを脱臭したこの用語が好んで使われる傾向にある。現況から、特に男性を指す。
失うもん何もないだろ
フィクションを読んで救われるのは読書体験としては、とてもとても良くあること。
誰かを追い詰めているのは現実世界の理不尽だけじゃなくて、それに隠れて忍び寄る世間の価値観だ。
物語を読むことで知らずにインストールされた世界観から距離を置いて、それは打ち勝てるモノなのだと認識することができる。この意味で、フィクションには現実に影響する力がある。
しかし誰もがこの効能を求めているとは限らない。虚構はクスリじゃない。道具として利用できるほど底の浅い何かではない。受け手の相性もあるし、素養が必要だし、没頭しようとする積極的なコミットも不可欠だ。
この長さの日記から、「筆者は救いを求めてるのだ」などと決めつけ、無知蒙昧な見識をさらして他人の足を引っ張ろうとするお前に言いたい。なあ、こんなこと、読書にしても映像にしても、趣味でも何でも、娯楽にまともに関わってきたなら、小学生レベルで解っててもいいことだ。自分の愚かさに無自覚なら直ちに改めた方がいいし、気付いてて殴られ待ちでバカ晒してるならそれは承認欲求こじらせてるし、セルフネグレクトだからやめた方がいい。恥ずかしさを通り越して哀れにさえ思う。本当に救いがないのは—— お前だ!
大阪の放火犯ってもうセルフネグレクトで何もかもどうでも良くて暴れた感じだよね
きっと離婚してなきゃ妻子が犠牲になってこの犯人に飯を食わせ、身の回りの世話をし、イライラの捌け口になって彼の生活をなんとか維持してたんだろう
結婚制度って歳を食ってどうにもならなくなるやつを公で面倒みず、誰かに責任を押し付けてお前らの責任でなんとかしろよと押し付ける制度だよな
人格に問題があり、年取ってセルフネグレクトになりかねないようなやつは積極的に自分の福祉として結婚したほうがいいが、その犠牲者になりそうな人にとっては結婚なんてリスクでしかないんじゃないだろうか
相手が好きで結婚するならいいが、一人で生きていける精神の安定と収入があるのに、婚活とかでなんとか結婚結婚って無理くりペアを探す人は将来後悔するんじゃないだろうか
旦那の父母はそこそこ綺麗好きなんだけど、おじいちゃんがそういう感じで子供の頃の家から家が不衛生だったって。嫁に来たお母さんは最初アパートで暮らしてたんだけど、同居して不衛生さに病気になってしまったらしい...
これ、おじいちゃんに問題あると思うよ。いろいろ見る元気がないというか、軽いセルフネグレクトというか、たぶん若い頃と同じような生活ができてない。前行った時はひどくなかったってことは、おじいちゃんの老化が進行してるよ。やんわりでいいから絶対嫁と話した方がいいよ。
ちなみに自分の旦那の家は、おじいちゃんが死んで旦那の父母の管理下におかれるまで10年くらいずっと荒れ果ててた。おじいちゃんが入院したり介護施設に行くまで改善しない可能性が高いから、早めに嫁と危機感共有しといた方がいいよ。話しておけば早めに家事ヘルパーさん呼んだりできる。
https://news.careerconnection.jp/news/126157/
こういうことを書くと周りから怒られるんだろうけど、「独身っていいなぁ」って心から思う。好きなことに時間を避けて、仕事が終われば基本自由で、自分が行きたいときに飲みに出掛けることもできる。
むしろ年々、結婚願望自体がどんどんすり減っている。理由は簡単で、僕は現在37歳。周りも結婚をした友人ばっかりになってきたが、やっぱりどこか大変そうに見えるのだ。
奥さんが文句を言うからリモートでもなかなか一緒にゲームできないだとか。奥さんが文句を言うから洗い物をしないとならないとか。奥さんが文句を言うから子供の面倒をしっかり見ないとならないとか。
なまじ、小学生の頃からの付き合いの連中がそういうことを言っているのを見るたびに「うへえ、じゃあ結婚しなくていいよ俺は」となってしまう。また、結婚をした女性の知人友人なんかを見ていても、隙あらば旦那の文句だったり、不満だったりを吐露しがち。男女ともに、結婚という契約のせいで日々不愉快な思いをしているケースばかりが目についてしまうのだ。
「毎日お父さんが疲れて帰ってくるの見てるから、将来ボク仕事なんてやらない!」って言ってる幼稚園児並みの思考。
筆者が専門的な調査などの客観的な数値・指標を一切用いずに周囲の半径数mの人間観察のみで記事を一つ仕上げてるから、
俺も周囲の半径数mの人間観察のみで話をさせていただくけれど、皆40超えると自分自身を欺けなくなってきてるよ。
「趣味があるから平気w」とか宣ってた連中は、押し並べてその趣味に向き合う体力や感性が衰えてくる。
同世代の連中は子育て優先で相手してくれないし、基本的におっさんという生き物が嫌いな若者からは露骨に避けられる。
かといって自分達より年上の中高年(バブル世代・新人類・団塊)とは価値観が違いすぎるし、内心老害と見下してるので当然話が合わない。
その結果、孤独感を紛らわすために自分自身興味も失せてたいして面白いと思ってもいないような、一人で完結できる趣味に金と時間を無為に費やす。
緩やかなセルフネグレクトで生活そのものが疎かになっていき、頭が禿げて腹の出た、ものの見事にキモいおっさんに成り果てる。
気まずさから親兄弟や親類とは疎遠になるし、高齢独身は存在自体が不審者扱いなので新しいコミュニティや地域社会に溶け込むのもまず無理。
慈悲の心を持って、不幸極まりない高齢独身者達と酒を酌み交わしてやると半泣きで「結婚すればよかった」「家族が欲しかった」とこぼすよ。
酒飲んだ帰りに塾帰りの中学生とすれ違って「俺にもあれくらいの子が居てもおかしく無いんだよな・・・」とか泣き言を言われた時には
アラフォーにもなって、小学生以下のいじり倒しをされるだなんて。
小学生時代に容姿をいじられることはよくあったが、その時は「ブス」とか「ブスの癖に」だった。それはそれで辛かったけれど、知らないふりをしていればいつか過ぎ去る嵐でしかなかった。
今は「美人だ」といじられる。別に美人ではない。オシャレでもない。むしろ常によれたTシャツとジーンズを着ていて、しかも素っぴんである。白髪も放置している。数年前は意味もなく化粧をして出歩いていたけれど、今はもう顔のことを言及して欲しくない一心で、服飾のセルフネグレクト状態になっている。
見た目に構わなくなってボサボサのおばさんと化し、あまりにも何もしていないせいで、同年代の女性よりもだいぶ老けて見えると思う。
そんな格好で出歩いて、何か改善したかといえば、全く何も変わっていない。相変わらず、
「実は自分のこと美人だと思ってるよね? 思ってるでしょ? ねえねえ、思ってるんだよね!?」
と、執拗に絡まれる。うんと言わなきゃ許されないのだろうか、黙っていると肩パンされたり突き飛ばされたりするのだ。まるでコントでも演じているかのようなノリで、人前で。
ほどほど身綺麗にしていれば、「美人だからねー」で、ボサボサにしていれば「美人だって自覚があるから何もせずに出歩ける」と囃される。
実のところ、私の顔はいいのかといえば、正直褒め処のない顔だと思う。褒め処がないので「美人」といえばサザエさんの如くに大喜びをすると思われているんじゃないかと思う。
顔の美醜は同性の反応よりも異性の反応を見た方が分かりやすいが、男性の視界には私はまるで存在しないかのような無視のされっぷりなので、本当に箸にも棒にも引っ掛からないのは明らかだ。
こういういじり……いや、いじりというかこれはもはやイジメだと思うのだが、イジメなだけに、「美人だと思ってるでしょ?」「美人だって認めなよ」とか面と向かって言ってくる実行犯は少数で、私がそう言われて肩パンされているのを多数の人たちが「やめなよー」「リアクションに困ってんじゃん」とか言って笑いながら遠巻きに見ているという構図となっている。
もう四十路になるっていうのに、公衆の面前でこんな目に遭うなんて嫌すぎる。
ところで、私は子供の頃に教師もグルのイジメに遭ったことがある。その頃は主犯の担任教師に「姿勢が悪い!」と言われてイジメ女子集団の前で、背中を定規でひっぱたかれていた。女子集団は面白がって私の猫背を矯正しようとした。
そんなことがあってから、私は姿勢よく歩くように気を付けて、中学に上がってからは剣道部に入って正しい姿勢の指導を受けたり筋力を着けたりしたおかげで、姿勢がよくなった。小学生時代のイジメ主犯の担任のシゴキは、私のためというよりは嫌がらせで姿勢を直せと言っていただけだったが、姿勢がよくなると実際前ほどイジメられにくくなったのは確かだった。
以来、私は姿勢だけはいい。けれども、今では姿勢よく歩いているだけで、これがまた「美人だという自信が満々だからあんな風に歩く」という中傷に繋がるのではないかと思い、やるせない。
でも、顔のことでイジメを受けたからといって、もう昔みたいに項垂れて足をずるずる引きずるようにして歩くのは嫌だ。「遠目に見ても誰だかすぐわかるほどの怪獣の歩み」とか、昔言われてショックだったし。
うるせぇな、そんなら美人ですが何か? っておすましして、褒め処のない顔面で素っぴん白髪放置よれた服のまま堂々と胸張って歩いてやらぁ、くそが。(だらだら書いているうちに腹立ってきた)