フィクションを読んで救われるのは読書体験としては、とてもとても良くあること。
誰かを追い詰めているのは現実世界の理不尽だけじゃなくて、それに隠れて忍び寄る世間の価値観だ。
物語を読むことで知らずにインストールされた世界観から距離を置いて、それは打ち勝てるモノなのだと認識することができる。この意味で、フィクションには現実に影響する力がある。
しかし誰もがこの効能を求めているとは限らない。虚構はクスリじゃない。道具として利用できるほど底の浅い何かではない。受け手の相性もあるし、素養が必要だし、没頭しようとする積極的なコミットも不可欠だ。
この長さの日記から、「筆者は救いを求めてるのだ」などと決めつけ、無知蒙昧な見識をさらして他人の足を引っ張ろうとするお前に言いたい。なあ、こんなこと、読書にしても映像にしても、趣味でも何でも、娯楽にまともに関わってきたなら、小学生レベルで解っててもいいことだ。自分の愚かさに無自覚なら直ちに改めた方がいいし、気付いてて殴られ待ちでバカ晒してるならそれは承認欲求こじらせてるし、セルフネグレクトだからやめた方がいい。恥ずかしさを通り越して哀れにさえ思う。本当に救いがないのは—— お前だ!
・おじさんはクズ度が低ければ低いほど良い ・おじさんはスタート時点ですげえ悲惨な状況であってほしい ・家族を失ってるとか、とてつもない悲劇をずっと引きずってるとか ・おじ...
空想のお話でおじさんが救われても、お前が救われるわけではない
空想のお話でおじさんが救われても、お前が救われるわけではない フィクションを読んで救われるのは読書体験としては、とてもとても良くあること。 誰かを追い詰めているのは現実...
空想のお話でおじさんが救われても、お前が救われるわけではない
空想のジョーカーに心を救われてジョーカーが沢山発生したことを忘れたのか?
空想のお話でおじさんが救われても、お前が救われるわけではない
アメリカンビューティ