はてなキーワード: イタいとは
はてブを見たら相変わらず非モテの叫び的なものにブクマがついていて、既視感を覚えた。いつも同じ話題で盛り上がってらあって感じ。
モテってなんだろうな。俺は学校でぼっちで話す相手が親しかいなかった時は、とにかく話す相手が欲しかった。理想の友達、理想の彼女像を思い描いていた。
いろいろイタいことをしながら周りに適応していって、友達もできるようになって、女の人とも話せるようになった。
誰とも話せなかった頃に想像していた世界と現実の世界は全然違った。みんながみんな友達や彼女がいるわけではないし、いても別になんとなく一緒にいるだけのことも全然あるし。
誰とも話してなかったから、知らなかったけど。
人は嫌ってくるわけではなくて、関心がないだけで、挨拶したり普通にしてればそんなに悪い人はいない。田舎や公立中学校的なワイルドな世界だといるかもしれないが・・・。社会人の世界だと、少なくとも表面上で最初はみんないい人するんじゃないか。
ホストを女の子が好きになるのも、ホストの本当の人格を見てのものというよりは、顔と演じられたキャラなどを見てのもので、アイドルを好きになるのと一緒だと思うんだよな。
本物志向の女の人もまあいるんじゃないかと、女の人と話すうちに思えるようにはなったよ。そこまで人のことを偏見で見たり見くびったりしちゃいけないんだと思う。
大多数はいい人のふりしてるだけでも、中には自分の好きなものを一緒に面白がってくれる人もいるよ。それが男か女かの違いはそんなに重要じゃないさ。知らんけど。
こういうの毎回出てくる逃げ口上だけど
じゃあツイフェミやミサンドリーではない「本当のフェミニズム」ってなんなの?
っていうと答えらんないじゃん?
ツイフェミやミサンドリーではない「本当のフェミニスト」って誰なの?
っていうと答えらんないじゃん?
これはもうインチキだと思うんよ。
我々が実際に目にするフェミニストってツイフェミかミサンドリーかその両方じゃん。
もっと高尚で強く正しく美しいフェミニストがどこかにいるって示唆するけど
具体的には言えないんだよね。
なんなら「私こそ強く正しく美しいフェミニストだから私を見ろ!」でいいと思うんだけど
脱村したトイアンナに早速そういう攻撃するのもまさにフェミニストって感じがするんよ。
元フェミニストからのフェミニズム批判に対し、論に対する論ではなく
発言者個人の生身の話に持ち込んで「イタい」「太ってる」「10は老けて見えた」「いい子なんだけどね笑」みたいな攻撃するその感じなんよ。
発言者の女の部分にこういうせせら笑いをぶつけて論を無効化しようとする試み。
もう何度も見てるから驚きもしないんよ。
現在、noteで脱フェミニスト宣言をして燃え上がっているトイアンナが嫌いだ。
いや、もともとは好きだった。彼女がまだ外資系に勤めるバリキャリ(って設定だったのか?)だった頃のブログは楽しく読んでいたし、彼女がおすすめする店なんかも好きでいくつかは食べに行った。明快なものの考え方と聡明さと都会派っぽい振る舞いに憧れていた。
彼女のロンドンでの暮らしぶりにもうっとりしていたし、その後の離婚もまあ色々あるのね、と思った。突然の性被害者であることのカミングアウトにも、辛かったんだな、と心を痛めた。
2年くらい前に、トイアンナがファシリテーターのイベントに参加した。私はトイアンナのファンだったので実際に会うのを楽しみにしていた。
トイアンナはまだその頃イラストアイコンを使っていたので、私は勝手にイラスト通りの華奢な美人を思い浮かべていたが、会場にいたのはやけにまるまるした、垢抜けない普通の女だった。当時31歳だか32歳だかと言っていた気がするが、下手すると10歳は年上に見えた。酒飲み特有の、全身にくまなく肉がついた感じで、そういう意味ではスナックで働いていそうな風貌だった。アイコンの美人と、全然イメージが違った。
イベントの趣旨は女性のライフプランセミナーみたいなやつなので、キャリアの積み方やら婚活やら幅広に話してくれた。トイアンナは話はうまかった。ただ、「ハイスペ男を狙いたいなら男しかやらない趣味(彼女が勧めていたのは葉巻だった)をはじめろ」とか、自分が当時付き合っていた年下の彼氏がどれだけ優しくて自分を好きかとかなど、割と香ばしい発言が多かった。全然憧れるような相手ではなかった。友達の中にいたら「イタいけど悪い子じゃないからさ(笑)」って言われるタイプだと思った。私はすっかり気持ちが萎えて、この女に会いに来た自分を恥ずかしく思った。
トイアンナはその後、顔出しを始め、謎の起業をし、はあちゅうに訴えられ、浅すきるフェミ観に基づく(なお、トイアンナが嫌悪しているのはいわゆるツイフェミ、ミサンドリーでフェミニズムではないと思う)脱フェミ発言をして燃えている。憧れていたことはもはや抹消したい過去なのに、定期的に燃えるもんだから忘れるに忘れられない。だからトイアンナは嫌いだ。
記者会見を批判した後心の病だったと、後出しじゃんけんのように批難されている大坂。そして黒人女性活動家のキャンディスオーウェン氏からも「大金を稼ぎながら中途半端な活動をして心の病とほざくのは鬱陶しい」と一喝された。
私はなぜそこまで彼女がテニス界とマスコミ、活動家からの双方向の批難を受けなければならないのか疑問だ。なぜなら彼女自身、「流行だから」や「なんとなく共感できたから」といった理由で一番最初のBLMに参加した訳ではなく、信念を持って参加したのではないかと感じ、それを考慮しないで批判する風潮があるのは危険だと思ったからだ。そこで今回の件だけではなく、私が勝手に思っている彼女の「居場所」について検討したい。
私は調子が出ないときラケットを投げ物に当たる大坂の姿は正直イタいと思った。それで会見拒否って気分屋すぎるだろとも思った。確かに批難される理由はよくわかる。それでも彼女は一人の人間だ。そこで彼女のバックグラウンドを考慮し、黒人女性活動家の喝と記者会見に刃向かっていく。
彼女が注目され始めた2018年あたり、英語はペラペラでいかにもアメリカンな風貌が印象に残ったが彼女が日本国籍だと聞き、私は正直「海外で修行した選手を日本人として出場させるなんて日本もいいとこ取りだな」とか「日本国籍の便利さをかったのだろう」と思った。さらに少々過激な人の間で、これを日本人として認めるのはいかがなものかという言説が飛び交っていた。またぎこちない日本語で会見をした時、メディアは愛らしいと評価し話題になったが、もしなおみが誠心誠意を込めて覚えた日本語だったとしたら、本人は傷ついたのではないだろうか。そう、彼女は最初からテニスしか居場所がなかったのだ。そんな背景を考えると、BLMに参加したくなる気持ちも理解できる。BLMに関して私は浅学だが、彼女は「黒人」であり「日本人」であり「テニス選手」。そんな複雑なバックグラウンドより、居場所の悪さに共感し信念を持って参加していたと私は感じた。
大坂を批判した米活動家は、「大金を稼いでいるくせに」や「フルタイムの活動家になれば」と言ったが、大金を稼ぐことがなぜそこまで白い目で見られないといけないのだろうか。大坂がプロとして食っていくためにした努力は考慮しないのだろうか。乱暴だし全く論点がずれているように感じる。そして「テニスなんてやめてフルタイムで活動家にでもなれ」というのは、彼女が有名だからこそできたBLMの影響も大きい点を考慮すると、テニスか活動家という二項対立に当てはめるのは横暴だ。活動家にとって土足で踏み入られたという気分になったかもしれないため、是非活動家の気持ちを知りたいのだが、どちらか選べというのはあまりにも感情的だ。
そもそも記者会見しないことがそんなにいけないことなのだろうか。
●記者会見
テニスを取材したことのある記者が、記者会見の不備や疑問を発信していた。記者はテニスコートが複数あり同時に試合が行われているため全員の試合を見ることができない。そのため注目の試合が終わったら、勝敗がわからないままでも駆けつけ取材を始めるという。選手が疲れている中で「あのプレーがよかったがどうか」などテニスの試合に関する質問は少なく、他の話題に質問しがちになるため、会見のレベルが低いことが問題と指摘していた。
負け試合を取材されたくなければ、とんちんかんな事を質問されるため、大坂がここまで勝ち気に出る気持ちも理解出来る。
何が言いたいかというと、「大坂には国籍と見た目や環境のアイデンティティが一致しない苦悩、注目されることのストレスがあったのではないかと思うため、後出しじゃんけんを責めるのではなく、バックグラウンドを見て、双方向的に考慮した良いのでは」と言いたい。そしてさらに問題を激化させないため、彼女の名誉のために「外野(twitterや2ちゃんねる)がとやかく言わないほうが良いと思う」ということ。
参照
https://twitter.com/RealCandaceO/status/1399210325153660932
https://www.facebook.com/kenichi.maeda/posts/10223267188295606
先月読んだ記事がずっと心に引っかかっている。
https://news.yahoo.co.jp/articles/6a4bc7075ab428abc050f8f9393a74909fa2bd27
どんなに頭からっぽなモデルあがりの芸能人にも、誰とでも寝ると有名だった中学時代の同級生にも、子供がいる。なのに、私にはいない。今まで下に見ていた、自分よりイタい人生だと思っていた人たちが、自分には絶対持てないものを持っている。でも私は持ってない。
私はこれから、Facebookによくいる、子供はいないけど夫婦ふたりで大人ライフを満喫してますよ、私たちはささやかな幸せを味わってますよ、足りてますよって、日々自己催眠みたいに投稿する人たちと、同じ“側”の人間になるんだって。これからは“そっち側”の人間として扱われるんだって。そう言って、オンオン泣きました
ヤバすぎる。価値観の違う他人への攻撃性や不寛容性が滲み出ていてあまりにグロテスクだ。
妻は普段はそんなことを言う人ではないとフォローしているが、落ち込んでいるときに他人に対して攻撃的になることはあったとしても普段から内面化していないとここまでのことは言えないのではないか。
不妊治療に失敗したからいいものの、順調に子をもうけて家庭を築いたらこの他人を迫害するような価値観を持ち続けていたと思うとぞっとする。
望んだ結果が得られなかったことには同情するが、本人がここまで苦しんでいる要因のほとんどが他人を見下してきた価値観のせいだと思われる。
どうせ、悲しみを象徴する雨、みたいなあっさいあっさい演出意図でやってんだろ、カス!と思うようになってしまった
だいたいの場合、傘ささずに雨に濡れてるキャラとかがいて、それも腹立つ リアルな話、雨に濡れるのはどんな状況だろうと嫌じゃん
悲しくても傘くらいさしますよ
葬式で傘ささずにズブ濡れになってる人間みて伝わってくるのは、痛々しい哀しさじゃなく、イタい自己憐憫だけなんだよな
そんで、ホントに浅いんだ、雨!!
悲しくても晴れるし、嬉しくても雨降るじゃん
そういうところで演出とか脚本みたいなのを感じさせないで欲しいんだよなあ
ビミョーな薄曇りとかならまだわかる
雨、雨ねえ……
まあ降らんことはないだろうけど、やっぱ降りすぎですよ
だれか統計とってたりせんのかな
俺は、登場人物の心を語るべきは、登場人物の動きだけだと思うんだ
悲しいときにウロウロしたからって、偶然背後に「悲しみ」が花言葉の花が咲いてたりはしねえ
父を亡くしたからって土砂降りの雨にはならん
人の心を表すのは人の心だけであってほしいんだ
ボカロの歴史についてはドにわか…というのもおこがましい、ドシラソファミレドにわかだ。
初めて聞いたボカロは覚えていないが姉がイカサマライフゲームを聞いていたのが最後の記憶
昔、学校でミクが流行っていたから初音ミクプロジェクトミライを買ってもらった。
今思えばこの頃の環境が一番オタクに優しかったな、カースト上位が全員オタクだったから
やってみて好みだなって思ったのがささくれPとピノキオPだった。これが出会いだな。
母親に頼んでスマホを貸してもらって、ピノキオピーのマイリスを見たそのときの最新投稿が頓珍漢の宴だったのをよく覚えている。
ピノキオピーは曲が多いから、アルバムのクロスフェードで大体の位置を記憶していた。
個人的には漫画が好きだ。comic and cosmicの発売がすごく嬉しかったのを覚えている
引っ越しで環境がかなり変わったことがあって、そのときは、ちょっと周りにトゲをばら撒くような歌詞が自分の心を守ってくれるような気がした。
だからはっぴーべりーはっぴーとか、人間なんか大嫌いが好きになった。
このあたりの曲は言葉を選んで強いことを言っているから、言ってやった!感が強くて、歌っていて気分が良い。
うっせぇわが流行ってるのってそういうところあるんだろうなって思う。
関係ないけどadoはマジで歌が上手いから消費される歌い手にならないでほしいし、語彙がちゃんとしている上で言葉の強い歌を歌ってほしい
それからしばらくして、生活に少し慣れてきたときには何気ない歌に励まされた。
あと本当に辛いことがあったとき、今でもネガポジを歌ってしまう。
最初期ピノキオPの何気ない素朴な歌詞がすごく好きだ。今も。それが強い気はする。
ピノキオピーの好きなところはやっぱり歌詞だ。曲調も好きだが。
いろいろあるんだけどレアノの毎分毎秒毎時間感動してられないものとかブラックホールヶ丘商店街のアイスの棒のあたりとかの素朴さが好きなんだ。
そういう歌詞の身近さが、最近のピノキオピーでは少なくなってるきがしてさみしい
どうしてちゃんのテーマとかどうなのって言われそうだが最近のピノキオピーの歌詞のリフレイン率はヤバい 体感だけど
404もリアルにぶっとばすも愛されなくても君がいるもちょっとキャッチーじゃなくリフレインしている、その隙間にもっと、もっと自我をさらけ出してほしいと思っちゃうのはオタクのキモくてイタい欲求なんだとは思う
でも正直言ってさんさーら!では感動した、ARuFaを表現する言葉の巧みさに脱帽した
全部好きだけど、友達百人できる?できないのところが彼らしくてやっぱり好きだなと思った。
彼の夢と希望と少しの諦めと内輪ノリがないまぜになったような言葉遣いは沁みる。
インターネット上の元気いっぱいバカ真面目バカARuFaを体現した歌が良かった。
MeiMeiみたいなユルさとはじめまして地球人さんを聴いたときのワクワクが同時にきて、ちょっと嬉しかった。
俺としては一番ピノキオピーがとっつきやすいキャッチーさとひねくれ感と共感を上手く歌にできているのがはじめまして地球人さんだと思ってて、本音を言うとこの時期にコンパスの楽曲提供を依頼されて欲しかった この欲求は無茶すぎるけど
でしゃピノもよかったピノキオピーが調整する声が好きだがね、可愛くて聞き取りやすくて
今ちょっとマイリス見に行ってらリアルにぶっとばすが99作目だった、マジ!?100作目は祝いたい
散文すぎるが次100作目ってわかったらもう言いたいことなくなった、とにかく大好きだピノキオピー…アンタのポップな曲調、内面に迫ろうとしたり、どうでもいいことを急に言ったり、たまに説教臭いことも言う、距離が近いけど頼れる先生みたいな歌詞が好きだ。これからも作曲していってくれ…頼む…生きて作曲してくれてありがとう
競馬オタクが二次元オタクより高尚だと思ってるイタいおっさんがおってワロタw。
某競走馬擬人化で存在抹消されて怒り心頭の自分が通りますよっとま、所詮二次元オタ向けのコンテンツなんてあの程度だろうけどさ
オフサイドを出すと彼を勝たせないわけにはいかなくなるし、それだとエルコンやグラスを寄せ付けなかったスズカの栄光に傷がつく。色々と面倒だから存在抹消されたのでしょう。
@百山浩太郎 結局どう言葉を並べてもウマ娘公式は”オフサイドトラップの勝利並びに1998年秋の天皇賞のレースそのものに価値無し”と断じたも同じよ。実名使うのが無理でもブロワイエやキンイロリョテイみたくやり様はあった
@阿井宇恵男 その通りですね。アニメではレース結果はほぼ史実通りにやってたのに、何故かこのレースだけ史実と違う。どうやら公式は“サイレンススズカが無事ならオフサイドトラップが勝てる訳ない”と決めつけた感があります。
サイレンススズカの為なら、オフサイドトラップの名誉なんてどうでも良かったんでしょうね(怒りというより失望)
@百山浩太郎 自分も最初は腹が立ったけど、オツムの弱い二次元オタ向けの感動ポルノに腹を立ててもしゃーないと気付いてからは失望すら抱かなかったな
@阿井宇恵男 オフサイドトラップの名前を使う権利がとれなかったとかないんですか?
@かさかさ 同じ馬主のエルコンドルパサーが実名で出てるからその線は薄いかと。それに実名が出せなくても架空の名前に変えて出したのがいるんだから、”出せない”なんて言い分は通らない
俺はオフサイドトラップをむしろ擬人化させないで欲しいと思ってたからあの扱いに不満はありつつもどこか安心してた
@シュウト 今となっては同感だね。それにあの公式なら柴田騎手のインタビューを悪意を持って引用したセリフを言わせてヘイトキャラにしかねないと思う
「ウマ娘を楽しんでるやつはオフサイドトラップのことなんか知らない。俺のような通だけがオフサイドトラップのことを知ってる」みたいな思い上がりでこういう強気な発言をしちゃうやつ。
このタイプの競馬オタクはウマ娘楽しんでるやつを甘く見てケンカを吹っかけて、そいつの方が知識が上だったりすると脳がバグって発狂する。
「ウマ娘はオツムの弱い二次元オタ向けの感動ポルノ」であることは特に否定しないが、競馬趣味も褒められたもんじゃないだろうに選民意識出ちゃうんだよね。
拡散やめてください!! RT @zzzz 更に晒上げw RT @yyyy 晒上げ RT @xxxx 社会の窓開けっ放しだったのに今気づいた
RTといえばこういう感じの、イタい身内ノリを自分たち盛り上がってますよと言わんばかりにTLに垂れ流すものだった
当時はRT邪魔(身内ノリも、何度も同じツイートを見させられるのも)という声が大きかったけど、今となってはあの頃が懐かしい
公式RTが実装されてさらにいわゆるパンピーもTwitterもやるようになった今、
承認欲求に支配された人の嘘松拡散器、偏った意見のエコーチェンバー、トランプ氏に河野氏に今となってはRTが政治を左右するまである
Twitter社も読んでない記事を拡散させないよう「まず記事を読んでみませんか?」とアラートを出すようにして対策してるつもりなんだろうけど、あんまり意味はなさそう