さっき、はてなブログを作ってみたんだけど外から見れるのに管理人でIN出来ないで困ってます
はてなブログのトップに飛んでも[新しくブログを作る]しか項目ないし
上のバーの利用中のサービスにも入ってない
タイ監督が抗議「これはショーだ」 遅延行為で2失点:朝日新聞デジタル
http://www.asahi.com/articles/ASJ5L7KZFJ5LUTQP03M.html
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJ5L7KZFJ5LUTQP03M.html
記録としてここに書いて残しておこう
こういうのに名前つけたいよね。
大学生の年下の彼女と同棲を始めウッキウキの楽しいラブラブ生活を送っている入社二年目のOLさんが、
自分は年上だから引っ張ってあげなきゃとか、女同士だから子供に頼れないとか、そういう他者からの圧力じゃなく、自分の中から出てくる「頑張りたい」という気持ちが、
いつの間にか「頑張らないと」になってしまい、必死に頑張って働いてしまい、
気付くと年下の彼女との距離感が離れて行ってしまい、なんだかギクシャクし始めるも、自分では我武者らに頑張ることしか出来ないとドンドン猛進を始める、
年下の彼女はどうしてあげたらいいのかわからず、彼女のためにも自分のためにも、まずは腰を据えて話し合うことが大切だ、でも会話をするためには彼女の興味を引かないと、と思い
深夜に帰ってきたOL彼女がベットに倒れ込んだ直後に「大丈夫ですか? おっぱい揉みますか?」と聞く場合、
みなさんのキャスティングをお待ちしておりまーす!
ここ数日、ウィジェットとアプリアイコンをあーでもないこーでもないと並べ直していた。
で、ちょっと満足できる出来になった今日、ホームアプリというものがあると知った…
なにそれ、もっと自由に変えれちゃうの?すごい楽しくない?Android。
今までiPod Touchは使ってたけど、こんな機能はなかったような。
設定するだけでずいぶんと良い退屈しのぎになってるわ。
瞑想はMマントラ(オーンナーム)、運動は一駅前で降りてのジョギング30分で、ある程度習慣化できた。
高ストレス社会を生き抜くための有益な情報を提供してくれた id:xevra 氏には感謝している。
オナ禁は、ネット上で「調子が良くなる」や「活力に満ちてくる」などの報告が多数ある。
挑戦してみたいとも思うのだが、どれほど効果があるのか不明なため、なかなか踏み出せずにいる。
xevra 氏が「高ストレスな人生を生き抜くうえで、オナ禁も効果がある」というような見解ならば一度挑戦してみようと思う。
逆に、「高ストレス社会を生き抜くためには適度なポルノと自慰行為は必須」というなら、オナ禁はしないつもりだ。
(その場合は、高ストレス社会を生き抜くために見ておくべきポルノがあれば知りたい)
xevra 氏の見解を教えてほしい。
振られたという増田さんがいた
あおむく
・熊本支援方言プロジェクト|福岡女学院大学・福岡女学院大学短期大学部
最近欧米では、移民政策に反対する”右派”と緊縮財政に反対する”左派”が台頭していると聞く。右派の例を挙げると、トランプやフランスの国民戦線。左派の例を挙げると、サンダースやスペインのポデモス。
でも経済的な観点でいえば、移民政策に反対するのも緊縮財政に反対するのも両方”左派”じゃないの?
だって移民政策って結局のところ、より安い労働力を国内に供給するための政策でしょう?
それってつまり、労働市場の価格破壊つまり賃金破壊を起こして、国民と移民の間で職の奪い合いをさせるってことだ。
労働供給が増えて労働者同士の競争が激化すると賃金は下がり、結果的に労働者全体が不利益を被る。逆に経営者は人件費を安く抑えて利益を得る。
つまり移民政策は、企業による労働者の搾取を悪化させるものだ。っていうか完全にネオリベ、つまり右派の政策だよねこれ。経営者にとってはまさにウハウハ(右派右派)
だからメディアがよく言う「移民政策に反対する極右〜」という表現は違和感を覚える。
経済的に見れば、明らかに移民政策が右派でそれに反対する労働者勢力が左派じゃないか。
だからそろそろ「移民政策と緊縮財政の両方に反対する左派政党」というのが現れても良い気がする。二つの潮流を独り占めできて労働者にとっては良いことづくめの勢力だ。
それな
四輪免許持つ人間の多くは自転車にも乗ったことがあるはずだし、自転車乗りだって日常のかなりの場面では歩行者になるはずなんだが
http://anond.hatelabo.jp/20160517114849
トラバ元を書いた方がよく見知っていた分野は、ニコニコの構造上廃れやすい分野だと思う。
一方で生き残る分野はどんなところか。それを書いてみたい。
生き残ると思しい分野に含まれる要素を先に述べておくと、「解説・説明・突っ込みを加えられる」と言うことに尽きる。
私は2006年が大学二年生で、暇だったわけだ。クラスが同じMという男からニコニコ動画の話を聴いてサイトを使い始めた。
http://nicovideo.g.hatena.ne.jp/myrmecoleon/20080527/1211907817
に詳しいような、「おっくせんまん」の成立過程もリアルタイムだったし、住宅街の人が初めて歌ったこともリアルタイムで見ていた。
その後東方の隆盛や音MAD、パンツレスリング、淫夢、歌ってみた踊ってみた、ゲーム実況やらなにやらがこの10年で興っては消えて行った。
10年見ていて思うことは、冒頭で書いた通り、「解説・説明・突っ込み」を入れられる動画が強いということだ。
例えば、先ほどの「おっくせんまん」は動画に歌詞を加えたことで大きなムーブメントになって行った。こうした部分がニコニコの固有性だ。
一方、そういうのが基礎になり生まれた「歌ってみた」は、あまり「解説・説明・突っ込み」を必要としない。動画を見て楽しむことがメインのコンテンツだ。
先に投稿した方が、もう誰もやってないと嘆いたのはこうした分野だからだろう。
ゲーム実況だと、初めは実況者の音声のみで、とにかくゲームをしていく、という内容が多かったように思う。
そのうち、ルールが細かいゲームや、難易度が高いゲームに「解説」しながら実況する人が多くなっていた。
ソウルシリーズやオブリビオンなんかがそう。この時期で覚えているのは「テクテク」さんの動画だ。
また、TAS・RTAなど速さや面白さを競うゲーム実況も生まれた。
こちらはマリオやFFドラクエなど比較的皆が知ってる、プレイしたことのあるゲームが好まれた。「魔界塔士」さんの一連の仕事が著名だろう。
どちらであっても、動画内で状況を「解説」する。そしてコメントでは、驚嘆を示すコメント・指摘や修正を加えようとするコメントが出てくる。これで動画が盛り上がる。
ゲーム実況では実況そのものが面白い人ももちろん多かった。しかしそれだけではニコニコ動画の固有性が発揮されなかったのではないか。
「解説」を投稿者もコメントを書き込む者も可能な点こそが、ニコニコの妙味なわけだ。そうした構造を持つジャンルは生き残っていく。
もう少しゲーム実況の話を続ける。RTA動画を多く投稿している「biim」兄貴と呼ばれる人が創始した「biimシステム」というゲーム実況のスタイルについて。
私はこのシステムこそがニコニコ動画におけるゲーム実況の成熟であると思う。
「biimシステム」は、ゲームプレイ動画本体を左上に据え、右に解説窓二つ、下部に解説窓一つの構造を持つゲーム解説スタイルだ。
下部の窓には、ゆっくり実況の音声が台詞として字幕表示される。右の解説窓ではクエストの確認や、敵やアイテムのステータス、チャートなどが示される。
このように「biimシステム」は、ゲーム実況を「解説」するに特化したもので、多くの追従者を生んだ。
こうした点を見ても、ゲーム解説実況は、分野として生き残っていきやすいと感じる。
次いで生き残りやすいと思う分野は、専門分野を解説する動画だ。たとえばナショジオとか。本当はアップしたら駄目なんだろうけど。
ニコニコ動画では、かなり以前から「メーデー!」という航空機事故を紹介・解説したナショジオのシリーズがアップされ続けている。
ここに、どこからともなくやたら航空機に詳しい奴が現れ、緑色でやたら細かい解説を加えて行く。
また、「メーデー民」と呼ばれる人々は、以前の動画で出てきた事故と、今回の事故とを比較しコメントする。初心者はさらに興味が広まる。
それと、軍事映画・戦争映画は盛り上がる。いやが王にも盛り上がる。兵器解説シリーズもそうだ。
軍事オタクが描写の正確性を論議し、また右寄り左寄りの意見で荒れることが頻繁だ。しかし活気がある。
あとは海外の翻訳系も強い。「AVGN」という古いクソゲー好きのアメリカ人がクソゲーに切れる動画がニコニコに輸入されていて、
英語に詳しい者もそうだし、古いクソゲーに詳しい者、日本とアメリカのゲーム事情に詳しい者が説明を相互にしている。
こうした専門分野系の動画は「解説・突っ込み」に馴染みやすい。生き残る。
あと地味にスポーツの放送が良い。野球とか相撲とか。夜中に再放送とかもしていて、疲れて帰ってきたら、西武対楽天とかがやっている。
ここでは多分俺と同じようなアラサーの人たちがのんびり書きこんでいる。
楽天って左打者が誰が誰だかファンでないと解りにくいのだが、動画でちょっとその選手について質問するとすぐ詳しい人が教えてくれる。
10年見ていて思うことは、こうした動画による双方向的な解説・やり取りこそが、ニコニコ動画が獲得した固有性だということだ。
2016年にもなってvimてwwwwwビwwwビマーwwwwwwwwプーッ
生きてて恥ずかしくないのかなあ
いっしょうけんめい秘伝のタレvimrc
もうね。死んで?
殺したくなっちゃうの
死んで?
まずは、お忙しい中貴重なお時間を割いていただき誠にありがとうございます。原価について色々な話が出来て大変うれしく思います。また複数のコメントを頂けましたので、思うところを書かせて頂きます。
受注生産品でも間接費の配賦はあるよね
勿論そうです。個別原価計算であっても、総合原価計算であっても、間接費の配賦は行います。例えば、電力使用量に応じて、電力の配賦処理等を行うとしましょう。個別原価計算では、明確に特定の単位、その代表例が指図書ごとに電力使用量を定める必要があります。一方、総合原価計算ではその単位がより大きな工程単位で集約を行います。
ここで『総合』『個別』というのは、明示的な基準があるというよりも、あくまで程度の問題と考えることが出来ます。工程の単位を限りなく小さくすれば個別原価計算に近づきますし、逆に指図の単位を限りなく大きくすれば総合原価計算に近づきます。
重要な点は、何をマネジメントの単位とし、コスト集計の単位とするのか?です。当然、細ければ細かいほど、当該製品の正確なコストを計算できますが、その一方で業務負荷はあがります。特に多段階の製造工程を持ち、それぞれで個別原価計算を行い、かつ後工程の指図への費用計上を実際原価で行うとなると、在庫管理も含めてたいへん煩雑になります。
と、いう話を書こうと思ったのですが、もしかして消されちゃいました?(更新ボタン押したら原文が見えなくなっちゃったのですが)
ご指摘頂いた箇所ですが、最終的な製品原価を計算する方法についてまとめたものです。製品原価の計算には、
の2点があるという点までは、認識は一致するかと存じます。ご指摘の内容は、『語の使い方』として『原価標準に生産量を掛けて標準原価を求める』作業を『標準原価計算』と言ってしまうところに疑問を抱かれているものかと思います。この辺りの語の用法は、文献や一般的な企業でも結構まちまちなところがあって、いつも現場でも苦労するポイントの1つです。。。例えば、多くの文献では、
は別物である!という記載がありますが、原価標準という語は基準の中には無かったかと思います。また、ご指摘頂いた
という意味の話、一連の標準原価による会計処理であれば、基準の中の語を使うと『標準原価計算』ではなく『標準原価計算制度』といったほうがいいような気がします。とはいえ、一番一般的な使い方としては、『原価標準の策定』を指して、標準原価計算と言っているような気もしなくも有りません。一般的な用法よりも正確な記載があれば、なるべくそちらに合わせたいのですが、はっきり決まった言い方も無いような気がします。一番良く見かけるのは、こういった書き方でしょうか。
http://kanauka.com/kakomon/ap/h22a/image/aph22a076.jpg
標準原価計算から標準原価の計算に書き換えるか・・・。うーむ。。。
実務上、使ったことはありませんが、存在自体は知っていますよw 確か、イクラとサケ、ナフサとガソリンとか、そういった例で学んだ記憶がありますねえ。実際に使ったことは無いので、ちょっと記憶が薄れておりますが、
といった際に、収益獲得能力で発生費用を按分せよ、とかいう話でしたっけ?(うろ覚え)文章の意図は、まさにご指摘頂いた『原価計算基準19、20』に『連産品』が入っていなかったので、ここを見ながら書き写したとも思えないので、敢えて意図的に入れたのかな?とすると、何かどこかで使っている連産品とは別の用語なのかしら?と思った次第です。多分、誤記ではあると思うのですが・・・。
なお原価計算基準は、今もファイリングしてデスクの上においております。直接参照することは殆ど無いのですが、短い中によくまとめたものですよね。自由度が高い分野ではありますが、その分、実務では色々と各社各様で面白いのが原価ですね。
聡明で才能のある友達がいた。
わたしには描けない絵を描き、わたしには書けない文章を書く友達だった。
わたしたちはpixivで知り合った。互いに絵を描き合って暮らした。
そのうちツイッターが流行ったのでツイッターで話すようになった。
京極夏彦とか、妖怪とか、伝説とか、そういうリア友とは出来ない話が出来てうれしかった。
ところで、わたしは性根はバンギャルであった。ライブ大好き、ロック大好きだった。
友達はお分かりの通り、創作畑の人で、しかもちょっとロックとかそういうのはピンとこないようだった。
とはいえ、まさか全てを解りあえるとは思っていなかったし、趣味も違う部分があるのは当然だと思っていた。
数年がたった。一緒に飲み歩くようになった。
会話は日常会話が増えた。もしくは友達の考えた物語を聞いたりした。わたしは楽しく聞いていた。
わたしはその間でも、絵を描いたり文章を書いたりした。ツイッターで流したりした。すっかり友達は反応しなくなった。
友達は言っていた。誘い受け……書いたの、でも誰も見てくれないよね、チラッチラッっていうのはキライだって。
だから、わたしは友達に面と向かって「新しいの書いたよ、見て!」と言えなかった。
友達はバンバン新しく考えた物語をわたしに聞かせた。それはとても魅力的な話だった。
わたしは、時折もののついで、というようにわたしの考えた物語についても端々に挟んで感想を返すが、友達が反応することは稀だった。
わたしはその内友だちの素敵な物語を聞くのが苦痛になってきた。
苦痛だったのは、本当にその物語は面白いのに、でも友達は私の物語には無反応だし、という思いだけで色褪せてしまうのが本当に苦痛だった。
友達ではなく、作者と読者という関係だったらこんなことにはならなかったのに。
しかし、ある日、わたしが愛してやまないロック映画のクライマックスシーンを、友達は馬鹿にした。
あんなCD一枚に命張ってる暇あったら逃げろよwwwwwwww
それがロックが好きだと公言してるわたしに言うことなのだろうか。
それが周りにCDだろうがフィギュアだろうがアニメだろうが命張ってる人がゴロゴロいる人が言うことだろうか。
思えば数年前と比べて、なんでもかんでも批判する事が友達は多くなっていた。
わたしは急速に友達と友達でいることが嫌になって、ある日ツイッターを消した。
一緒に遊びに行くほどだったのに、ケータイ番号もしってるのに、それだけで関係は切れた。
もしかしたら、友達もどこかで関係の終わりを悟っていたのかもしれない。
創作はひとりでやるべきだし、ひとりで読むべきだ。
基本アルバイトばかりなので、責任感もない、部活感覚で働いてる人も多い。一人で黙々と作業するイメージに釣られるらしくて、他人とのコミュニケーションが苦手な人も多い。人間関係も良くない。移動時間含めたら12時間労働スレスレどころか超過。正社員は拠点に2人居ればいいほう。アルバイトに丸投げ。他諸々。
まあ、ブラックですよね。
でも、他のブラック企業とは違うと思うところもあって、
やったらやっただけ、給料になる。
払ってくれるんです。アルバイトに。 アルバイトだから…かな。
正社員として働かない、低学歴でいつまでも夢を追ってる人間のクズのような私でも、かなりの額の収入を得ることが出来る都合のいい企業です。(低学歴ですが昼間で田舎で時給は4桁近く貰っています)
カネカネ言って心が貧しいとか、人生を無駄に過ごしているとか、私がおかしいと言う人もいるでしょうけど、
価値観は人それぞれなので。
数値でみたら違反なんでしょう。
びた一文残業代を払わない企業もたくさんある中ではまだ、マシなほうだと思います。
基準値を超えた残業時間も収入として受け入れているアルバイトもいるのです。
これをきっかけに残業時間を減らされて、収入が減って、辞める人間が増えて、作業が増えて、自分の時間が減って…なんて最悪の事態は避けたいのですが、どうなることやら。