聡明で才能のある友達がいた。
わたしには描けない絵を描き、わたしには書けない文章を書く友達だった。
わたしたちはpixivで知り合った。互いに絵を描き合って暮らした。
そのうちツイッターが流行ったのでツイッターで話すようになった。
京極夏彦とか、妖怪とか、伝説とか、そういうリア友とは出来ない話が出来てうれしかった。
ところで、わたしは性根はバンギャルであった。ライブ大好き、ロック大好きだった。
友達はお分かりの通り、創作畑の人で、しかもちょっとロックとかそういうのはピンとこないようだった。
とはいえ、まさか全てを解りあえるとは思っていなかったし、趣味も違う部分があるのは当然だと思っていた。
数年がたった。一緒に飲み歩くようになった。
会話は日常会話が増えた。もしくは友達の考えた物語を聞いたりした。わたしは楽しく聞いていた。
わたしはその間でも、絵を描いたり文章を書いたりした。ツイッターで流したりした。すっかり友達は反応しなくなった。
友達は言っていた。誘い受け……書いたの、でも誰も見てくれないよね、チラッチラッっていうのはキライだって。
だから、わたしは友達に面と向かって「新しいの書いたよ、見て!」と言えなかった。
友達はバンバン新しく考えた物語をわたしに聞かせた。それはとても魅力的な話だった。
わたしは、時折もののついで、というようにわたしの考えた物語についても端々に挟んで感想を返すが、友達が反応することは稀だった。
わたしはその内友だちの素敵な物語を聞くのが苦痛になってきた。
苦痛だったのは、本当にその物語は面白いのに、でも友達は私の物語には無反応だし、という思いだけで色褪せてしまうのが本当に苦痛だった。
友達ではなく、作者と読者という関係だったらこんなことにはならなかったのに。
しかし、ある日、わたしが愛してやまないロック映画のクライマックスシーンを、友達は馬鹿にした。
あんなCD一枚に命張ってる暇あったら逃げろよwwwwwwww
それがロックが好きだと公言してるわたしに言うことなのだろうか。
それが周りにCDだろうがフィギュアだろうがアニメだろうが命張ってる人がゴロゴロいる人が言うことだろうか。
思えば数年前と比べて、なんでもかんでも批判する事が友達は多くなっていた。
わたしは急速に友達と友達でいることが嫌になって、ある日ツイッターを消した。
一緒に遊びに行くほどだったのに、ケータイ番号もしってるのに、それだけで関係は切れた。
もしかしたら、友達もどこかで関係の終わりを悟っていたのかもしれない。
創作はひとりでやるべきだし、ひとりで読むべきだ。