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2022-10-29

新興宗教Sへのウッカリ入会からスピード退会まで

■はじめに

気づかないうちに宗教団体Sの信徒になっていたので退会しました。

ネット見てたらそう珍しいことではない(Sにとっては常套手段)だけど個人的には初めてだったし、

知恵袋とかで自分と同様の状況にある方から質問を見かけたりもしたので、せっかくなので書いておこうといった程度の忘備録です。

若干のフェイクも含めてぼかしつつ書いていますが、困っている人がいたとして

検索に多少でも引っかかることが出来ればとも思い、いくつかの固有名詞は生かしました。

増田作法をよく知らないので、馴染まないところがあったらごめんなさい。




宗教団体Sを知る

遠方に住んでいる友人から連絡があった。

私が転職したこと友達伝いに知って数年振りに連絡をくれた。嬉しかった。

近況報告をする中で、通っているという宗教団体Sについて熱く教えてくれた。

電話で何十分と教義を語る友人の熱意には驚いたが、私は宗教全般にそこそこ興味があったので、

その時点でSという団体名すら知らなったものの、友人の話をフンフンと聞いていた。

関心といっても、あくまで観察対象としての関心である

■友人と会う

しばらくして、友人が私の暮らす地方に遊びに来るという。

たまには日常を離れたいだろうし、そうした先に私の暮らす場所を選んでくれたのが嬉しかった。ここは良いところなのだ

友人がこちらに滞在している間、ちょうどSで盛大に護摩を焚く行事があるので、

ぜひ当地にある分院に立ち寄って参加したいという。

てっきり護摩を見られると思った私は賛成し同行。護摩大好き。

集会に参加する

久しぶりに対面した友人と施設に向かう。

清潔感のある施設の中に入るやいなや、教団の建物教祖一家写真彫像が各所にあり、友人がいろいろ解説してくれる。

集まる人も多かった。心持ちは完全に社会科見学

集会ができるようなスペースに通された。祭壇などがある空間スクリーンがかかっている。……スクリーン

じきに、スクリーンに中継映像が映る。

結局、護摩とは本拠地で焚くもので、そこから離れた当地ではネット中継を見守るということだった。

てっきり生の護摩を見られるものかと…。

私は周囲の人々がそうするように正座して中継映像を見守る。

しかし思いのほか、この中継映像がすごかった。

複数ドローン含め10台はあるか)のカメラ効果的に切り替わって飽きさせない。

世界各国から本拠地へと集まった何人もの信徒名前テロップが即座に入る。

めくるめくこなされる儀式名目テロップで分かる。

離れたところにいるらしい合唱隊やオーケストラ生演奏も映る。

かに登場した教祖の姿に、故人である始祖の過去映像が重なる。始祖の生前スピーチ流れる

大きなスクリーン投影された映像は常に高精細で、乱れることが一切ない。

中継でありながらも綿密かつ予定調和的に作りこまれ映像にどことなく「ゆく年くる年」感を覚えながら、

リハーサルにどれだけ時間かけているんだろうとか、

音楽隊はどんなメンバー構成されているのか(職員一般信徒?)とか、ボンヤリ考えながら、

厳粛にこなされる儀式の数々を相席食堂千鳥気持ちで見守っていた。

■お浄めを受ける

儀式が終わった後、友人に「お浄め受ける?」と聞かれる。

Sについてネットで軽く予習していたがこれについてはよく分からなかったので尋ねると、

短冊形の用紙と黄色い用紙を棚から持ってきてくれた。

短冊形の用紙にお願いする内容を記入する。

浄めが結局何なのかよくわからなかったけれど、一つのお願いを500円で聞き入れてくれるというなら、

賽銭社会科見学のお礼のつもりで浄化してもらおう。ついでに知人の商売繁盛の祈願もしておこう。

友人も短冊形の用紙に色々書き込んでいた。

黄色複写式の用紙には自分名前、住所、電話番号を書く。

寺社で御祈祷を受ける時も同じような内容を書くので、こんなもんだろう。

友人の名前やSでの所属情報などを書く欄もあったのでそこは友人に記入をお願いした。

カウンターで用紙を渡し、お浄め商売繫盛の祈願代として1000円を払う。それとは別に1400円かかるという。

ん?聞いていなかったけれど、お金を払うカウンターで突っかかるのも嫌なのでとりあえず払っておいた。

友人は「ご先祖様も喜ぶね」とニコニコしていた。

対応してくれた職員さんは気のいい人でお菓子をくれた。今はこの地域に勤務しているが全世界に転勤があるらしい。大変だ。

ご老人もいたが若い世代も多く、公民館的な空気感だった。

施設に入ったときに「お帰りなさい」と言われたのも、そういうアットホーム雰囲気づくりに一役買っているのだろうか。

帰宅する

帰宅後、控えの用紙を改めて見てみる。

精進願い」と書かれたその控えを見ると、追加で払った1400円の内訳が「登録費」と年度末までの「会費」だということが分かった。

え、私、登録されてる?会費、払ってる?つまり信徒になったんか??ここで初めて気づいたのだ。

友人に連絡を取って確認してみると「この用紙を提出したことあなた信徒になった。説明足りてなくてごめんね、退会はいつでもできる」とのこと。

本人確認もなく、押印もなく、教団の教義ルール説明も、意思表示の機会もないままに、どうやら私は信徒カウントされる存在になっていたらしい。

私は「こうした大事なことは、まず家族との話し合いが必要」「自分スタンスとは合わない」とそれとなく退会の意思を伝えるも、

友人からの返事は要約すると「あなた気持ちは分かった。けれど、ここは様々な考えの人を受け入れるから大丈夫」と。

……もう何を言っても通じないと思うから、説得や議論はやめて、ほとぼりが冷めてから退会しようと決意した。

自分一人で解決しても良かったが、万一後から家庭内トラブルが勃発しても嫌なので家族顛末を話すと「ちょっとそれはどうかと思う、賛同できない」と。そりゃそうだ。

しばらくしてから友人に退会すると伝えたところ、すぐに退会に必要手続きを教えてくれた。

■退会する

精進届けの提出から半月後、退会届を提出しに行った。

先日お菓子をくれた気のいい職員が居たらちょっと気まずいので、その人と会いませんようにと思いながら向かった。

施設に入ると、数名の信徒が談笑していた。こちらをちらりとも見ず、挨拶もせずといった感じで、こんなもんかと思った。

平日の昼間という時間帯のせいかもしれないが、初めて行った日のように「お帰りなさい」と言ってくれる人もいなかった。

前回友人が精進届けを取ったのと同じ棚から退会届を出し、書けるところだけ書いた(ID部会名などは空欄。氏名や住所のみ)。

望みも空しく対応してくれたのはあの気のいい職員だったので、なんかごめんよ、と内心思いつつ提出すると、

職員は退会届に受領印を押し、「はい大丈夫ですよ~」と控えを渡してくれた。

こんなもんかと思った。施設に入ってから出るまで5分と掛からなかった。

あとがき

結果、入会もあっけなければ、退会も超あっけなくできた。

信徒職員にとって、こうした形で入会・退会する人の存在は珍しくもないのかもしれない。もう少し引き留められるものかと覚悟していたのに。

新興宗教では珍しく信徒が増えているというS。個々の宗教バックボーン否定しない(他宗教行事参加OKなど)教義

信徒を増やしているのかと思っていたけれど、こりゃ増えますな。

それにしても、入会させた人数で信徒としてのランクも上がっていくらしいのに、すぐ退会してもノーカンにはならないのだろうか?

入会~退会の渦中にいた時は正常性バイアスが働いて

「友人だって騙そうと思って私を入会させた訳ではないのだ」と信じていたけれど、

時間が経った今、友人の態度は誠実なものではなかったと思うようになった。

施設に行く前に「こんな田舎護摩が直接見れるのは楽しみ」と言った私に

「直接じゃなくてリモート」と言ってくれなかったこととか。

そもそも一緒に施設へ行かなきゃ良かったのにと思うけれど、

「友人がわざわざ私の居住地に来る(当地はお互いの出身地ではないので、私以外に知人も居ない)」、

「私の運転観光地をまわる予定」という中で「お寺に行きたい」と言われたら断りにくく。


友人には「退会届け出したよ」との事後報告もしていないし、

「退会届け出したんだね」との連絡も来ていない(知らないはずもないと思うんだけど)。

今後、よほどのことが無い限り、私から連絡を取ることはないと思う。


入会~退会の間の約半月、Sからの連絡(郵送物、電話集会への参加呼びかけなど)が

一切無かったことにはほっとした。もしかすると、もうしばらく経っていればIDカード等が届いたのかもしれない。

ネット情報によると、退会届けを出さずともフェードアウトしてSに関与しないことは可能だが、

導き親(今回のケースでは友人)が自分費用も年度ごとに払うのであれば会員は継続されるらしい。

もし私のように意思とは関係なく入会してしまった人は、モヤモヤするくらいなら退会届けを出しても良いかもしれない。拍子抜けするくらいあっさり退会できる。

ただ、導き親と頻繁に会う仲だったり、悩みを抱えていたりしたら私も退会を躊躇ったかもしれない。

でも、なーにがお救け、導き親じゃ。救けてくれとも導いてくれとも頼んでなんかないんじゃ。

2022-10-14

anond:20221014160202

例えば、音楽業界ってのは打ち込み技術によって生演奏価値駄々落ちしたし、

現代でも配信によって不景気が叫ばれて久しいが、

音楽演奏が無くなるってのは想像できないわけだ。

なぜならば演奏楽しいからだ。職人は金がもらえるからではなく、演奏楽しいから演奏をやっている。

 

絵かきも同じだよ。楽しいからやっている。

から創作を人々がしなくなる、だとか想像するのは的外れが過ぎるね。

 

3度目の嵐は確かに来ているが、その実態をつかむための考察もっと深めるべき。

2022-08-22

Vtuber配信ライブを見て、配信ライブ意味って何だろうと思った話

先日Vtuber配信ライブを見た。特に隠す意味もないので言ってしまうが、星街すいせい×TAKU INOUEのユニットMidnight Grand Orchestraの1stライブOverture」だ。

大変満足した。

したのだが、配信ライブ意味って何だろうと思ってしまった。

このご時勢もあり無観客ライブだったんだけど、そもそもヴァーチャル空間ライブ人間演者も合成で参加してるみたいなスタイルだったので無観客/有観客とかいうのがそもそも当てはまらないのかもしれない。

で、ライブ配信視聴者コメント演者には伝わらない(と思う。スタジオモニタコメント映っていたのかもしれないが、少なくとも反応は無かった)もんだから

ライブ配信意味ある?って思ってしまった。

言うなれば歌ってみたの同時視聴と変わらんわけなんだよね。

生演奏で一発撮りっていうのは価値があるのかもしれないけど、実際一発撮りしてたのかは証明しようがない。

しろ一発撮りよりも、何テイクも重ねて編集して、最高のライブ映像演出したほうがいいのかもしれない。

重ねて言うけどライブ自体には大変満足した。ので全然文句をいうつもりはない。

ライブ配信意味って、ライブ配信価値って何なんだろう…って思ったという話。

ライブ冒頭部分はYouTube無料配信されてるので、興味のある方は是非見ていただきたい

2022-08-05

スクエニさんはリメイクの仕方が熟練してきたな

レトロゲームリメイクは、FFピクセルリマスターで一つの完成を見たと思う。

「これでいいんだよ、これで」という、肩肘を貼らないリメイク

オールゲーマーが満足しつつ、新規ユーザーの敷居も低い方法が採られるようになったと感じる。

具体的には、

2Dには手を入れないでそのままスケールアップ。

・背景は美麗グラで書き直す。

エフェクトやは総テコ入れ3D現代風にする。

音楽には生演奏でカネをかける。可能ならオリジナル作曲家に参画してもらう。

・フルボイス化。

システムは、不評だったところだけを直す。追加要素は最小限。

UIゲームスピードは手を入れる。ユーザーが楽になるように全振りする。

と、リメイクビジネスの到達点とも呼べるようなレベルに達していると感じる。

Steamにも打って出たことで、海外ユーザーはじめ多くのユーザボイスを聴けたことが功を奏したのかもしれない。

今後はスクエニリメイクビジネス経営教科書に載ることになるだろう。

https://automaton-media.com/articles/newsjp/20220804-213187/

2022-08-01

みんな芳一の生演奏を楽しみにしてたのに

見つからなくて耳だけ持って帰った時の場の盛り下がりっぷり半端なかっただろうな

本当かわいそう

2022-07-16

anond:20220716094741

月並みだけど俺は車輪の唄が好き。

BUMPデビュー年数同じアーティストを追っかけてるけどファンの規模が10倍くらい違うので増田みたいなファンが生まれ続けてることが心底羨ましいよ。FCチケット取れないのが難ありで生演奏聞くハードルは高そうだけど本当に良いバンドだと思う。あと俺もコロナ禍で唐突スピッツにハマったか気持ちわかる。

2022-05-16

演奏不可能作品

演奏不可能作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏不可能、あるいは困難な音楽作品のことである

概説

クラシック音楽世界では、演奏不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易無視できない存在となっている。巨大編成の作品演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。

現代ポピュラー音楽場合には、作曲家作詞家編曲家といった独立した職能存在するものの、作品演奏との一体性が強く、コンサートライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品コンサートライブにおいて生演奏する際には、自動演奏テープなどを用いてレコーディングされた作品再現するか、生演奏可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。

歴史

バロックから古典

歴史は長く、J.S.バッハの諸作品モーツァルトオペラフィガロの結婚魔笛ベートーヴェンピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。

ロマン派

ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルト魔王交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏不可能と宣告されたブルックナー交響曲第2番、ブラームスピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品マーラー交響曲ラフマニノフピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。

近代

近代ではストラヴィンスキー春の祭典シェーンベルクピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的作曲された例としてアイヴズの歌曲義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオ演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオ演奏する者もいる。ラフマニノフピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージ身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストテクニック不自由したピアニスト左手の音をずらして演奏することが慣例化している。

現代音楽

演奏不可能作品という概念現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能概念は、今日例えばパソコンシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から人間演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食強要していると言う点で事実上演奏不可能作品である

今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモスアルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例であるクセナキス自身テレビインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。

しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単作品人間演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である

ポピュラー音楽

前述の通りポピュラー音楽クラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。

特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞作曲 桑田佳祐アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏事実上不可能となっている。ソフトウェアマスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である

演奏史上で演奏困難とみなされた曲

作曲家演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさら作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのもの今日では演奏レコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。

ベートーヴェンピアノソナタ第29番(ハンマークラヴィアのための大ソナタ)

指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽大家作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストベートーヴェン交響曲ピアノの為に編曲したもの存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタ比較的易しい。

パガニーニ24の奇想曲

超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニ作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。

リスト超絶技巧練習曲第2版

タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲であるピアノパガニーニを目指したリスト代表曲である一般演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リスト超絶技巧極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーレスリーハワードが録音を残している。

チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲

演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品しか現在では、早熟ヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。

ドヴォルザークチェロ協奏曲

第一楽章オクターヴの速い動きで事実上演奏不可能作品である解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。

プロコフィエフピアノ協奏曲第4番(左手のための)

パウルヴィトゲンシュタイン委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフ最高傑作だ」と称え、ピアノ吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。

シェーンベルクヴァイオリン協奏曲 Op.36

十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイスクラスナー独奏ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲自身生演奏を聴いていないとされる。

フォルカー・ハインの「フェッロ・カント

1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエ作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会一般公開され、色々な同僚作曲家意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。

ケージフリーマンエチュード

チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキー意見対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。

関連項目

2022-04-02

ライブは音悪い

録音技術進歩した結果、今や生演奏より録音の方が音が良いという転倒した事態が起こっている

エジソンが録音を発明して以来、録音物とは生演奏代用品だった

カニカマみたいなもの

しか最近では録音に比べて、ライブ演奏ノイズ反響音だらけで録音よりも音が悪いと感じる

もはやライブ演奏は録音された曲の出来損ないの再現しかない

2022-03-23

anond:20220321134039

最近見てないけどNHKのど自慢ってそんな感じの編成の生演奏じゃないっけ。

2022-03-12

大日本の憧れる乗り物サービス

飛行機ビジネスクラスファーストクラス(足を伸ばして寝られる、CAさんが付く、一蘭ラーメン食べ放題、昼夕食が豪華)

寝台列車1等席(スイートルーム葉加瀬太郎とか有名演奏家生演奏が聴ける)

・豪華客船最上階(ジャグジーとか付いてる、お酒ジュース飲み放題カジノや娯楽に顔パス入場できる)

あと何かある?

2022-02-23

anond:20220223164151

だいたいの楽器の音は電子的に再現可能だ。

の話でしょ

サンプリング音を「電子的に再現」だと定義するなら生演奏Youtube配信だってライブ電子的に再現」していることになるが、それでいいのか?

2022-02-20

楽器の方でなんとかしてくれよ

甘く、柔らかい音が唯一無二な魅力の金管楽器ホルン

この楽器指導時に絶対言ってはいけない禁句がある。

それは「音を外すな」である

それくらいホルンは、音が外れやす楽器として世界的に有名なのだ

それも「プルッ」という耳障りな音とともに、全音とか半音とか平気で外す。しかしょっちゅう外す。

これは学校吹奏楽部出身アマチュアだけでなく、プロでさえ高頻度で外すため、純粋クラシックCDなど、OKテイクの継ぎ接ぎで作られるのが当たり前。

生演奏ホルンソロとか来た日には、他の演奏者はもちろん指揮者も観客も、揃って「外すなよ…」と神仏に祈ることになる。

というか「祈らせる」という意味では神父や坊さん以上に「良い仕事」してるので、これには神様も仏様もニッコリ?知らんけど。

ついには「世界一難しい金管楽器」としてギネス登録され、更にホルンで音を外すこと=「キークス」という名詞が用意されてしまった。

ではなぜホルンはそんなに音が外れやすいのか?可能な限り端的に言うと

「低い音が得意な楽器で、非常に高い音を常に吹かされているから」

ということになる。

もう少し詳しく言うなら

ヘ音記号の音域が得意な楽器で、いつもト音記号の音域を吹いてます

と書けばわかるだろうか。

まりホルンの美点である「甘く柔らかい音」は「低音楽器で超高音を吹く」という無茶振りによって成り立っていると、こういうわけなのだ

なので「管の長さを短くして音を当てやすくする」のは、音色的な意味であまり良い解決法じゃなかったり。

これはフルートを半分の長さにしたピッコロが、フルートと同じ音なのに全く違う音色に聞こえることと、ほぼ一緒の理由と言っていい。

とはいえプロでも音を外しまくる楽器なんて、これもう普通に楽器の欠陥じゃね?と思うわけ。

実際、上に書いた事情を知ってもなお、ホルンで音を外されるのは非常に不愉快だし。

なので、そろそろ現代ハイテクとやらで「管を短くする」以外の解決法を発明してほしいのだが、一向にそんな気配はない。

困ったもんだ。

おまけ

世界一難しい」とか書くと必ず「尺八はどんくらい難しいの?」などと愚にもつかない事を訊いてくるアホがいるけど、

世界的に無名日本民族楽器なんて、誰も難易度とか問題しません。尺八を吹く虚無僧世界中の街角で当たり前になってから、もう一度おいで下さい」

で終わりなんで、そこんとこよろしく

おまけ2

そもそも尺八発音原理フルートと同じ。

更にフルートが取り立てて難しい楽器とされていないどころか、本邦ではアマチュアフルート奏者が多数存在することを踏まえれば、自ずと難易度は把握できるわけで。

…なんて予防線のために書いたら、尺八吹き?の増田から思わぬツッコミが来たので↓に反論を書いておく。

anond:20220223144330

2022-01-01

藤井風とYOASOBI

昨年の紅白2021、サプライズ枠で追加出場が発表された藤井風がまさにサプライズ紅白話題をかっさらっていった。

紅白サプライズ追加出場といえば、2019年米津玄師2020年はYOASOBIだった。

今年のYOASOBIは藤井風の直後に歌唱し、NHKは「ネット動画でバズった枠」として並べていたが、全然同じ枠ではないよな

YOASOBIも今では生バンド演奏に生歌唱で表に出ているけどイメージとしては

YOASOBIはボカロアニメニコニコ動画歌い手の枠、藤井風は生演奏、顔出し生コミュニケーションYouTube歌手の枠

米津玄師もYOASOBIと同じ枠に入る

2021-07-26

開会式で脇役に徹していたゲーム音楽の使われ方は、決して雑ではなかった。

オリンピック開会式から時間が経ち、ネットでは批判の声も見られるようになってきた。

中でも話題になった各国選手団入場時でのゲーム音楽に対し、「使い方が雑」「ゲームへのリスペクトがない」といった意見かあったが、これに反論したい。

まずはNHKサイト開会式のフル動画掲載されているので、見ていないで批判する人は見てほしい。

動画を見たら分かると思うのだが、あの場面での主役は、これまで血のにじむような努力をし、この日を待ちわび、各国の特色を出すようなオシャレをして、笑顔で手を振りながら入場する選手たちにほかならない。

勘違いしないでほしい。決して主役はゲームなんかじゃないのだ。

無観客で、拍手や声援は一部の関係者だけ。そんな中を、ゲーム音楽音楽だけの力で選手たちを称え、迎え、勇気づけ、盛り上げたのだ。

ゲームを盛り上げてくれた素晴らしい音楽を、オリンピック開会式でも使って盛り上げたい。これのどこにリスペクトがないというのだろう。

ゲームに関連した演出しろ」っていう意見もあったが、一体それは何をするというのだろう。曲に合わせたコスプレキャラを出せばよかったのだろうか?

少なくとも選手団入場時にゲーム関係の装飾を加えたとしたら、それは主役がボケてしまうのではないか

既存音源ばかりで、生演奏でもなく専用のアレンジではないという意見も見た。しかし、選手入場は2時間近く続いており現実的ではない。

そういうのは、ゲーム音楽が“主役”になる単独コンサートたっぷりとやるべきなのだ


東京オリンピック開会式でのゲーム音楽は、脇役に徹しつつも、存在感を示し、少ないコストで最高の仕事をした。

そして選曲されたタイトルクリエイターは、各SNS歓喜した。一体この事実のどこに批判するところがあるのだろうか。

選曲をした組織委員会関係者に、最大限の賞賛を送りたい。

2021-07-24

オリンピック開会式ゲーム音楽が使われたことの凄さを語りたい。

時は90年代小室ブームまっただ中、オリコンランキング音楽番組クラス話題として幅を効かせていた。

CDショップではゲームサントラは奥の隅の方にひっそりと置かれ、流通量も少なく、まさにマニア向けの商品だった。

好きな音楽は何?」なんて問いに「ゲーム音楽」なんて言ったら鼻で笑われる。そんな時代だった。

たまにリリースされるアレンジバージョンだったり、メディアCD-ROM媒体に変わることで、生演奏が取り入れられるようになっても、

まだミュージシャンから音楽と思われていなかったり、馬鹿にされて悔しい思いをした、なんてクリエイターインタビューを目にしたこともあった。

インターネットが発達し、ニコニコ動画あたりでゲーム音楽を身近に楽しむようになってきたぐらいから、風向きが変わってきたように思う。

オーケストラコンサートも多く開かれるようになってきた。聴きに来る人、そして音楽家が「ゲーム音楽が好き」という人が増えていった。

そして今回の開会式で、20曲近くの曲が入場BGMとして採用された。

安易だ、なんて批判的な意見もあると思うが、開会式を見た多くのゲームクリエイター特に作曲者自身が、心から喜びの書き込みをしているのが全てだと思う。

おめでとうゲーム音楽。これから世界中の人たちに愛されますように。

2021-05-27

ドラクエ愚痴

ドラクエ最近やらなくなったけど、今日映像見てやっぱり俺の思うドラクエとはもう違うなってなったのでしばらく引退する

まずさ、すぎやんはもう引退させようよ。枯れちゃってるじゃん、完全に。これは9ではっきりと感じ取れたし、スクエニもそう思ってるはずなんだけどさ。

そこで後継者育成を放置した(させてきた)スクエニが全部悪い。反省してほしい。

よく「堀井鳥山、すぎやまの3人誰かが欠けたらもうドラクエじゃない」なんてガキの反論があるんだけど。

鳥山は欠けたようなもんじゃん、実質的に。

すぎやんは枯れてるじゃん、完全に。使いまわしじゃん、音楽

堀井方針はよくわからないじゃん。もうシナリオも書いてないだろうし。

この三人を抜きにしてドラクエを成立させることがスクエニ企業としての使命だと思うんだけど、小銭稼ぎで忙しいのか知らんけど刹那に生きてるのかな、この会社

そんな中HD-2Dリメイクドラクエ3ですよ。

いや、これね、グラは良いんです。UIもたぶん悪くないんですよ。ドラクエから。情けない手抜き移植するぐらいなら思い切ったリメイクは大歓迎。

ただ不安要素があってね。音楽

ぶっちゃけると私がドラクエをしばらく引退しようと思っている理由の8割が音楽のやる気のなさ。

まさかあのムービー東京都交響楽団演奏流すなんて言わないよね。まさかね。

都響には悪いんだけど、あのグラでフルオケはない。ゲームフィットしてない。

SFCの6をプレイした人ならよく分かってくれると思うんだけど、あのグラでフルオケ流されても困るじゃん?そういう感じ。

グラにはそれにあった音楽が当てられるべきで、そこを手抜きされそうな不安がある。

というか制作側が音楽で手抜いてるよね。「生演奏!」ってスゴそうなこと言ってるけど、実は手抜きの手法なんだよアレ。上手い手抜きの仕方だから文句は少ないけどさ。

とにかくグラが良い。あのグラなら4のリメイクも映える。ただし、ゲームって五感で楽しむ総合芸術なので、他の要素で台無しにされる可能性が大いにあり、そこだけが本当に不安

12はよく分からんはいはいって言いたくなるムービーとよく分からんボイスだけ見せられてもね。

そんなわけでしばらく引退します。


==================以下 追記============================

いくつかのブコメに返信。

htnmiki 明日ドラクエコンサートに行きます

いってらっしゃい。ドラクエに限った話じゃないが、音楽は生が一番。CDとかMP3とかFLACかに拘るよりも大事なところ。


ohchidani 個人的には、ドラクエオープンワールド化するのが一番いいと以前から思ってて、ドラクエビルダーズでその可能性を示してくれた事はオールファンとして涙が出るぐらい嬉しかった。ドラクエ、やるじゃんと。

それめっちゃ分かる。私はビルダーズ路線は当初否定的だったんだけど、実際プレイしてみて脱帽した。

これ近い例としてゼルダBotwがあるんだけど、こういう上手いリライトというか、既存の「らしさ」に寄り添ってなお昇華する作品進歩的でありながらも過去との連続性を残せていていいもの


KAN3 11ドラクエシリーズの集大成で、エンディングドラクエシリーズ第一部完!って感じだったか12は色々と変えてくると思う。

ダークであるとか大人向けであるかい声明はあったわけだけど、それがすなわち成功に結びつくかっていうのとはちょっと違うよね。

例えば仮面ライダーアマゾンズっていう作品があったんだけど、あれ「今の平成ライダーじゃ表現できない過激ものも取り入れた」っていうことで楽しみにしていたんだけど、

実際視聴してみたら「いや、方向性はわかるけどそれ初期平成ライダーもやってなかったよね?というか仮面ライダーじゃなくても良くない?」みたいな感想になって。

かにあの表現仮面ライダーを見るのは新鮮だったけど、ファンが求めてた表現ってああいうのだったの?みたいな。

個人的にはもっとドロドロした感じなのかなあと。良くも悪くもスプラッシュだよね、アマゾンズは。その場の興奮優位で、後世まで語られるような持続性に欠けるな、と。

こういう視聴体験があるので、ダークすなわち手放し称賛というほどでもないんだよね。

これからFF差別化していくにあたってドラクエには克服していく課題が多いし、その模索としては評価できる。


luege_traum 既に移植作では2Dにフルオケやってるので、むしろここまでリッチ2Dになるなら合ってると感じるけどな。つーか最近やらなくなってるなら既に引退してるじゃん。こういうのも引退詐欺というのだろうか。

carl_s リメイクDQ4の不満点の一つが『海図を広げて』(船の曲)にイントロ追加されて曲本体部分に到達するのに40秒くらい必要なっちゃった点(4章終盤の演出も変更)なので、「ゲームフィット」の不満はちょっとわかる。

あれはヒドかった。ちょうどあの頃からフルオケ垂れ流しとゲーム音楽境界曖昧になってきたかなと。

補足しておくと、フルオケが悪いわけではなく、あくまで「フルオケならお前ら満足だろ?(垂れ流し)」みたいなやり口がクソだって話ね。

もちろんこれを解決するには相応のコストかかるから判断として垂れ流しにしたい気持ちはよく分かる。

でも看板タイトルでそれやっちゃうんだ、っていう。


evans7 勝手に人を枯れたことにするなw

枯れてんだよ、残念ながらな。

人は老いる。老いては枯れる。この当たり前から目を逸らさずに、お前もやりたいことあるんなら若いうちにやっときな。若くないなら受け入れろ。


klaps ぱふぱふとか寒すぎるんで本当に辞めてほしい

あれが寒いのは、「ぱふぱふかと思った?残念!実は違いました~、いかがでしたか?」みたいなのを面白いと思って実装してしまうのが寒いのであって本当のぱふぱふは温かいぞ(真顔)


c_shiika 12の発売と同時に復帰しそう

できればしたい


monopole すぎやまには松尾隼人という後継者がいる。シレンサントラ聴いてみ?

知ってるけど、彼にドラクエの後継が勤まるかはよくわからない。ドラクエ音楽にはドラクエらしさである以前に「すぎやん節」と呼ばれるすぎやんの「様式」があるの。

ただ場面場面に合わせた曲が作れれば良いわけじゃない。

そういう個人のクセまで模倣できるならいいんじゃない?

言っちゃ悪いけど、オケなら「ドラクエっぽい」とか思われちゃうなら、作曲家ネームバリューに拘る理由もなく、そこらへんの音大出た新卒に曲書かせりゃいいと思うよ。(一定クオリティさえ保証できていれば誰でもいいって意味ね)

そういう個人の「様式」を他の作曲家模倣できたとしても、それを馴染ませずに放置させてきたことに不満があるの。

すぎやんって割とクセの強い、個性の隠せない作曲家で、そういうところが余人を持って代えがたいところがあったの。

からこそ後継者は誰でもいいわけではなく、次に繋ぐ襲名披露をしなければならなかった。

他にやり方があったとしても、ここまで放置したスクエニ自身企業価値IP価値を損ねている。


lady_joker 私はドラクエほとんどやってないのだが「ドラクエ11 名曲」で検索するといい曲がヒットし、これを名曲だと評価するコメントも山ほどあるからすぎやまさんが枯れたというのは増田勘違いだろう

33件で山ほどのコメントって言って良いのかは知らんが、枯れたっていうのはそういう話じゃないんだよ。


以下、特に生ゴミコメント

norinorisan42 自分が飽きた、に他人を巻き込むタイプの人いるよな、という感じの増田

巻き込んでないし。自分から巻き込まれてきておきながらこういうバカバカしいブコメつけるバカを見るにつけ匿名って素晴らしいなって思うわ。

あー言っておくけどあなた名誉の話だからな?

FutureIsWhatWeAre 「しばらく引退」とか留保可能性残してるのがダサい

はあ?おばけなめくじみたいな人生送ってるお前に言われたくはないわw

このブコメ無料星つけるおばけなめくじフォロワーidやばwえ、おばけなめくじのワナビーだったりする?w

こういうおばけなめくじのこうげきみたいなコメントが人気になっちゃうあたりがはてブオワコンっぷりを物語ってるよね。

ちなみに「留保可能性残してる」んじゃなくて現に留保してるんですよ。活動休止って言えば納得するか?そう書かないと納得できないか可能性の話ですらありませんね。人の話も読み取れないのにクソダサコメント。ダッサ。鳥肌立つわ。

後継作品が気に入れば再開するし気に入らなければ再開しない。

そういう話にダサいダサくないとかい基準を持ち出すところが最高にダサいメンツ重視なくせにリアルでは職場にも家庭にも居場所のない趣味に生きる()中年男性みたい。

2021-04-13

北欧交通機関面白いなあと思ったのは

バスとかの中で楽器演奏させてくれたりするんだよなあ

まあ、流石に何をどう演奏していいかというレギュレーションはあるだろうけど

北欧メタルゴス家族で観に行くぐらい緩いところもあるけど、流石にアウトだと思われる

環境音楽的にジャズやクラッシック生演奏流れるなら、まあ許せるのではないだろうか

日頃儲からないアーティストの人たちの収入にもなるし

2021-02-21

anond:20210220202618

「どんな音か」よりも「誰が奏でるか」に、観客の関心が向いているからでは。

 

リモート演奏ができるようになった今でも、観客にとって目の前での生演奏価値って高いんだろうな。

2021-02-20

anond:20210220212433

ああ、そういうことか。

そういう物なら既にいろいろ作られていて実在するよ。

デジタル技術以前のもので、からくり人形的なメカで作られたもの19世紀あたりからいろいろある。

時々テレビで取り上げられているし、俺自身海外で見たことがある。ピザ屋かなんかのレストランにあった。楽しかったけど、まあ、オルゴールの複雑なやつ的な位置付けであって、人間による楽器生演奏の替わりになるようなものでは全くない。

2021-01-15

キュレーターとは,現代美術文脈において展覧会企画運営等を総合的に指揮する人のことである。どんな作品を取り扱うのか,どんなタイトル展覧会にするのか,展示の順はどうするのか,ライティングは?解説は?チラシに掲載するキャッチフレーズは?等々。

今日クラシックにおける自主企画演奏会は,多くの場合プレイヤーがやりたい演目をやる」ということになっている。もちろんそこにコンセプトやテーマがあったりする場合もあるのだが,美術作品とお客さんをキュレーターという専門家架橋している美術市場と異なり,クラシック市場にはキュレーションを専門に勉強している人がいない。現状コンサートマネジメント演奏家がやっているわけだが,あまりに画一化しすぎているのではないかクラシック音楽にも,お客さんと作品キュレーション架橋する発想があってもいいのではないか。そのあたりのことが気になってのツイートだった。

ということで,このnoteではこの件についてもう少しだけ深堀してみようと思う。久々の投稿ですが,お付き合いください。

目次

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

3.キュレーション差別化手段になりうる

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

5.まとめ

1.現状は相変わらず「上手い人一強」の世界

繰り返しになるが,現状のクラシック自主企画コンサートは「演奏家がやりたい演目披露する場」として機能している。これ自体が悪いわけではないし,演奏家独りよがりだと批判するつもりもない。もちろん演奏家選曲プログラムノートに苦心しているし,そこには確かに工夫の痕跡がある。

でもね,正直クラシックコンサート演目って似たり寄ったりじゃないですか。

コンサートに「一度も聞いたことのない楽曲」が含まれていることは稀だし,大体定番曲が並んでたまに新曲初演があるくらい。クラシックサックスなんかはまさにそうだ。クラシック音楽が「過去音楽再現する」文化である以上,演目の重複は避けられない。まぁこれは仕方のないことではある。

ただそうすると,当然誰しもが「同じ曲を聴くなら上手い人の演奏聴きたいよね」と思うようになる。つまり技術で劣る演奏家演奏会に行く理由がなくなってしまうのである

このnoteでも何度も言っていることだが,クラシック音楽特に文化的に醸成された良さや美しさの基準」が強烈に機能するジャンルで,「この人あんま上手くないけど個性的で好き!」とか「この若手は下手だけどトッププロにはない魅力があるなぁ」みたいな評価が生じにくい。また,特にクラシックサックスのように難しい近現代曲が必須レパートリーになっているジャンルは,必須とされる技術レベル結構高い。例えば音色がめちゃくちゃ魅力的だったとしても「指が回らない人は使えない」「スラップタンギングできない人はコンクールの一次予選の課題曲が吹けない」みたいな悲しい評価が下される。

結果的に,クラシック演奏家市場では「楽器の上手さ」が保障されているプレイヤーしか人が集まらない状況が生まれやすいのである。これは,ブルーハーツ東京事変がどちらもCDになって成功できるポピュラー音楽とは事情が全く違う。ブルーハーツみたいなパンクロックって,演奏したり作曲したりするのに必要西洋音楽技術結構低いんですよ。川谷絵音東京事変King Gnuの曲とは複雑さが全然違うわけです。それでもブルーハーツとかモンゴル800とかが世間に認められてCDを出しているという事実は,「ポップスクラシックに比べて多角的評価されている」ということの証左だろう。個人的にはとても健全だと思う。一方のクラシック演奏家市場は,「楽器の上手さ」がほぼ唯一の評価観点として強烈に幅を利かせているのである

2.運営さん,ゲームバランスの調整まだですか?

プロ世界なんてそんなもんだよ」というかもしれない。でも,僕はこの「楽器の上手さというパラメーターが最強の世界」が気にくわないんですよね。

例えばこれが「クラシック演奏家育成」をテーマとするソーシャルゲームだったら,と思って考えてみてほしい。

このゲームでは,プレイヤー最初ガチャで引いたキャラを「一流のクラシック演奏家」に育て上げることが目標とされている。当然キャラクターには「楽器の上手さ」というパラメーター以外にも「音楽史についての知識」とか「自身活動への俯瞰的視座」とか「個性的音色」とかのパラメータもあるわけで,キャラによっては「音楽史についての知識」が先天的に強い,みたいなやつもいる。当然プレイヤーもその辺をコツコツ育てたりするわけだ。なのに,「音大卒業」というチュートリアルイベント以降,ゲームで勝っているのは「楽器の上手さ」のパラメータに全振りしてキャラ育成をしたプレイヤーのみ。もっといろんな勝ち方があるとおもってたよ…最初キャラガチャで「音楽史についての知識」が強いキャラを引いた人はどうしたらいいの…運営しっかりしてくれよ…

まともなゲーム運営なら「これだと勝ち筋がひとつしかないゲームになってしまうな。よし,他のパラメータを育成した人が勝てるようなイベントを投下するか!」などといった対応がなされるはずだ。しかし,このゲームにおいて運営がそのような神対応をすることはない。いつになったら修正はいるの?まだなの??もう勝てそうにないし…リセマラするかゲームやめるかどっちかだな…。

…まぁでも現実世界にはゲーム運営はいないし当然リセマラもできない。だれもゲームバランスの調整をしてくれないのだ。結果的に,「楽器の上手さ」が一定値を超えていない人は今後も仕事がないし,今仕事がある人でさえもそれを上回るパラメータをもった若手が現れた瞬間に仕事を取られる世界になっている。多様性とは程遠い市場が出来上がってしまっているのである

3.キュレーション差別化手段になりうる

そこで,「せめて僕の周りにいる音楽家には幸せになってほしい(そして一生楽しい飲み会に付き合ってほしい)」と考えている僕は,「演奏会プログラミングやプログラムノート等に拘りまくってお客さんの聴取経験を素敵なものデザインできれば,技術トッププロに勝てない演奏家にもファンがつくのでは?これってつまりキュレーションでは?」と考えた。

モナリザ」みたいな超有名絵画を目当てに美術館に行く場合を除き,僕たちは「特定の絵」を見にいくというより「その展覧会デザインされている体験」に価値を感じて美術館に足を運ぶ。例えば僕は以前「ベルギー奇想展」という展覧会にいったのだが,一つ一つの絵のクオリティというよりも,複数の絵の鑑賞を通して得られたその展覧会全体の印象のようなものに興味を覚えた。「作品価値」ではなく「作品群を総体として経験することの価値」に感動したのである。まさにキュレーションの賜物だったのだろう。

また,「ベルギー奇想展」というタイトルやチラシに載せられていたペストマスクみたいなデザインキャラクターにも強烈に惹かれた。頻繁に美術館にいくタイプではない僕でさえ,「行ってみたい」と思えたのである。そして,この辺のこと全てを把握し,「美術館での体験」をデザインする人がキュレーターなのである(と僕は思っているんですがあってますかね。もしかしたら広報にはそこまでコミットしないキュレーターもいるのかもしれない)。

一方,クラシック音楽演奏会はどうだろうか。そこに「体験デザイン」という発想が見て取れる場合は少ない。もちろん選曲や曲順にこだわりが詰め込まれていることはわかっている。それでも,普段美術館に行かない僕に足を運ばせたような,「作品群を総体として経験することの価値」を際立たせるようなコンサートってなかなかないんじゃないかな。少なくとも,多くのプレイヤーは,「コンテンツ演奏楽曲)のクオリティ,そのほかはあくま付属品」だと考えているし,むしろ演奏クオリティのみでガチンコ勝負することが美徳だとされている感さえある。でも先ほども指摘したように,この土俵で戦って勝てるのは「楽器の上手さ」というパラメータが抜きん出ている人だけだ。

キュレーター自分作品を作れない。その代わりに,個別作品の羅列に「作品群を総体として経験することの価値」を付与する。演奏家も,キュレーターのように体験デザインすることができれば,お客さんを呼べるのではないか,というのが冒頭で引用したツイート意図だった。つまり,「楽器の上手さ」以外のパラメータを活かせる場はありますよ,ということだ。

具体的には,音楽史や楽曲分析に関わるパラメータを磨いてきた人は,それを用いてMCや曲目解説選曲で魅せることができるだろう。その場合,チラシやSNS広報のあり方も抜本的に考え直さなければならない。このへんについては別途記事を書こうかな。とにかく,僕は「楽器の上手さ」のパラメータが高い上位5%の演奏家しか生き残れない現状を打破する手段として,キュレーションの発想を生かさない手はない,と考えている。

4.プレイヤーキュレーターorプレイヤークリエイター

はいっても,「そんなことできねーよ」という声も聞こえてきそうだ。キュレーションそれ自体仕事にする人がいるんだから,「作品に対する俯瞰的視座をもって聴取体験デザインする」とかめちゃくちゃ高度じゃん。自分たちは演奏家なんだよ,演奏以外やりたくねぇ!

…まぁもちろん気持ちはわかるんですが,今の僕が「楽器の上手さ」のパラメータで勝てない人にできるアドバイスは,①プレイヤーキュレーターになれ,もしくは②プレイヤークリエイターになれ,くらいしか思いつかないのが現状だ。すいません。

クラシック演奏家って特殊立場なんですよね。CDスピーカーがなかった昔のヨーロッパなら,演奏家はまさに一家に一台欲しい人材だったはずだ。演奏家がいないと音楽聴くことすらできなかったのである。そのような時代背景とパトロンがいてこそ演奏家という仕事は成立していた。でも現代ではbluetoothスピーカーとAppleMusicがあればいくらでも自宅で音楽を聴けてしまう。馬車や人力車自家用車にとって変わられたように,そして今後タクシー運転手自動運転にとって変わられるように,中途半端演奏家オーディオ機器および音源の中の一流プレイヤーにとって変わられるだろう。個人的には,オーディオ機器音楽サブスクリプションサービスの発達は,演奏家という職種に対する破壊イノベーションだと思っている。

からこそ,演奏家は「他者作品再現」以外の価値を作らなければならないのだ。

こういうと,「演奏家だって生演奏という価値を生み出している!!」という反論が聞こえてきそうだ。もちろんわかってます。僕はクラシック音楽愛好家なので,生演奏に魅力を感じています。でも「生演奏は素晴らしいのでサブスクで聴かずに演奏会に来てください!」という売り方をしたとしても,多くの人は,「わざわざホールまでいって中の上くらいの生演奏聴くより,自宅のスピーカートッププロ演奏聴く方が楽だよな…」と考えるのではないだろうか。コンサートホールまで往復2時間かかるし,演奏会って夜ご飯時間丸かぶりだし,拍手するタイミングとかマナーとかよくわからないし…だったら家で聞けばいいや,「楽器の上手さ」ならこのCD中の人の方が上でしょ?…これが一般人残酷本音のような気がする。だからこそ,「作品群の連続体験デザインする」というキュレーターとしてのスキルを磨いてはどうか,という提案をしているというわけだ。

また,オリジナル作品を作れる演奏家も強いと思う。むしろこっちの方がわかりやす価値提示でき,周りと差別化できるような気もする。「他者作品再現」や「生演奏」以外の価値を生み出す上で手っ取り早いのは作品を作ってしまうことだ。もちろん,他の作曲専業の人々と張り合うような作品を作るのは難しいしむしろ得策ではないので,毎回演奏するアンコーピースだけ作るとか,曲間に即興演奏を入れるとか,そんなことから始めてもいいかもしれない。

ちなみに,「自分作品を持った方がいい」と言っているクラシックサックス演奏家出身の僕自身作品を作っていないのはなんか説得力がないと思ったので,最近気が向いた時に曲を作っています

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latin.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-wonder-woman-pelicula-completa-en-espanol-latin.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-Los-Croods-pelicula-completa-en-espanol-latino1.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-Mujer-Maravilla-1984-pelicula-completa-en-espanol-latino1.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-Mujer-Maravilla-1984-pelicula-completa-en-espanol-latino2.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latino.pdf

https://content-calpoly-edu.s3.amazonaws.com/english/1/webform/gratis-hd-soul-pelicula-completa-en-espanol-latino2.pdf

2020-12-15

リアル声優からVTuber推し変してしまい、禁忌に悩まされるオタクの雑

私は20になりかけの学生オタクである


以前は声優推しだったが、推し引退や新たな推し担当しているコンテンツに飽きてしまい、じわじわ声優オタクから離れてしまった。

流れ着いた先はここ数年話題となっているVTuber業界。あえて個人名は出さないが歌に惹かれたり、話に惹かれたり、ゲームスキルに惹かれたり……

推し始めるのに時間はかからなかった。


つい先日、推していたVTuberライブを行った。

私は運よく現地のチケットが当たり、さらに発券してみるとステージの間近の座席に座ることができた。


私は声優推しの頃からライブに行く人物であったが、今回初めてVTuberライブに参戦することになった。

元々配信等で歌唱力に定評のあった人物であり、当日の生歌にとても期待をしていたし、不安もしていなかった。

メタい話にはなるが、VTuberステージ上にどのように表れるのか、バンドメンバーや観客とどのようにコミュニケーションを取っていくか……等々、技術的な演出面もとても興味があった。


当日は歌こそ主眼ではあったものの、上記技術的な面も垣間見ようと思いながら現地に向かった。

そしていざ本番、ステージ上の高画質・大型スクリーン上には圧倒的な歌唱力披露する推しの姿があった。


まさに圧巻の歌唱力であり、生歌と生演奏、声が出せないとはいえ盛り上がった会場の雰囲気も相まり、この世界の全てに感謝したくなるほどの感動を覚えることができた。


本番も終わり、終演放送も入り、いざ会場を後にしようという頃には、「VTuber?まぁ軽く推してる感じかなぁ~」という気持ちは「○○さん最高、私の最推しですわ」という強い”推し”の気持ちに変わっていた。

その後当日参加していた他のVTuberを含め、複数感想配信を聞いていく上で、この気持ちにある考えが混じってきてしまう。



私は「VTuberというキャラクター」を推しているのか?それとも「VTuberを演じる中の人」を推しているのか?



という考えである


VTuberには「担当声優」や「中の人」というのは基本的存在しないし、無いもの公表されない(一部例外アリ)。

おおよそその存在を醸し出すことはあれど、明言はされないものである


しかし私が元々いた声優オタ界隈は、基本的に”キャラクター”を演じている”声優”、つまり中の人”を推している界隈であった。

声優さんが演じるキャラクター自体が好きなこともあったが、根本には”推し声優”そのものを推す心があった。

そのため演者名前公表されるし、お渡し会等のリアルイベントも頻繁に開催されていた。

この「中の人」を意識し「中の人のもの」を推す界隈にいたこともあり、私は上記の考えに至ってしまった。


また、私の専門は情報工学であり、「VTuber」という存在を形作る技術はほぼすべて頭の中に入っている。

まり、どのようなスタッフが、どのように協力をして、どのようなソフトハードを用いて、どのような行動を取ればVTuberとなるのか、ということがおおよそ分かってしまうのである

かくいう私も自らソフトウェアを自作しており(未出未完)、VTuberになってみようかな?と考える程度には、「中の人」について理解をしている。


表立って話すことは滅多になくなった「中の人」論であるが、「完全な無」から「声が出て動きもできるキャラクター」を生成する技術が無い現代では、「キャラクター」には確実に「演者」が存在する。

明日になって唐突技術的特異点にでも到達しない限り、「中の人」は切っても切れない存在である


また、大きな事務所所属しているVTuberは、だいたいの人物は以前に生配信動画投稿を行っていた人物である。要するにVTuberになる前に活動していた「前世」が存在する。

中の人」はバーチャルでない前世から輪廻転生し、VTuberになっているのである


ここまで話しておいて、「いや!推しの○○ちゃん中の人とか前世とかないから! ○○ちゃんは今画面上にいる○○ちゃんだけだから!!」という純粋強火オタクはいるだろうか。

正直、様々なコンテンツを疑ったり背景を考えることなく、ストレートに受け取れる人物を、私は尊敬するし、もはやそうなりたいレベルである

しかしそのように受け取るには、私は様々なことを知りすぎてしまったのである


知ってしまった以上後戻りすることはできず、VTuberを推すときには、常に”前世”のことについて考えてしまう。

配信画面の向こう側、配信スマホの向こう側には、私たち視聴者と何も変わらない、血の通った人間がいることを想像してしまう。


あの歌声を持つ推しは、前世で振るわなかったからここにいるのだろうか。

前世で振るわなかったのに今更話題になって、悲しんだりはしないのだろうか。

VTuberで売れても自分の顔や名前は一切売れないことに辛さはないだろうか。


その答えを得ることは一切できないと分かりながら、活動の裏にある悲しみを想像してしまっている自分がいる。

知れたところで何かできる行動はないのだろうが。


推しに対して辛さを抱えるならば、推さなければいい話だという意見もあるだろう。

しかオタクというものは、一度推し始めたら生半可な辛さでは推しの炎は消えないのである

それが中の人推していようが、バーチャルキャラクター推していようが、表面上の”推し方”には、恐らく変わりはないのである


私の不安や思いとは裏腹に、今日推しは生配信をし、コメ欄の皆と笑いあっている。

恐らく中と外どちらを推しいるか、という問いに答えは出ないだろう。


からこそ私は、様々な思いも胸に抱きつつも、推しの笑い声を聞きながら秀逸なコメをする1人の視聴者になるのである

2020-11-08

エレクトーン存在意義ってなに

楽器エレクトーンって存在してる理由がよくわからないんだけど

なんか大抵オーケストラとかの曲を一人で弾いてたりするけど

オーケストラ生演奏でいいよね

もしくはCDでいいよね

エレクトーンの良さって何

2020-07-29

anond:20200727231331

医療に関してはそうかもな

でもいい料理や酒は昔も今も値が張るよ

音楽生演奏にはやっぱり金が要る

対人承認は比べるまでもなく貴族が上だな

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