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はてなキーワード: 編曲家とは

2023-02-04

食べログ評価した数が多いユーザー得点が大きく反映されるやつ

あれ他のレコメンド使うサービスでもやってよ

動画サブスクだったら映像クリエイターの人が比重上がったり

音楽サブスク作詞家編曲家アナライズが重視されるようにしようよ

2022-05-16

演奏不可能作品

演奏不可能作品(えんそうふかのうのさくひん)とは、さまざまな理由により演奏不可能、あるいは困難な音楽作品のことである

概説

クラシック音楽世界では、演奏不可能(または困難)な作品が多数存在する。演奏不可能作品の中にも、仮に演奏されたとすれば傑作と評価され得るだけの芸術性を備えた作品は多く、これらは安易無視できない存在となっている。巨大編成の作品演奏時間の長い曲とも密接に関係があり、イギリスのソラブジの作品はその3要素が完全に組み合わさり、初演できないものも多数ある。

現代ポピュラー音楽場合には、作曲家作詞家編曲家といった独立した職能存在するものの、作品演奏との一体性が強く、コンサートライブでの生演奏や、演奏を収録した媒体CD等)という形で公表される点で、クラシック音楽とは様相が大きく異なる。このため、ポピュラー音楽においては、作品を聞くことができるという意味で、ほぼ全ての作品演奏可能であるといえる。その一方で、媒体への収録(すなわちレコーディング)に際しては多重録音をはじめとする種々の編集が行われるとともにに、演奏においてはシーケンサー等の自動演奏積極的に利用されるので、純粋に人のみによって演奏することが不可能あるいは困難である作品も多い。このような作品コンサートライブにおいて生演奏する際には、自動演奏テープなどを用いてレコーディングされた作品再現するか、生演奏可能なようにアレンジを変えることがよく行われる。また、一時期のXTCのように、高度なスタジオワークを行うミュージシャンの中にはライブを行わない者もいる。

歴史

バロックから古典

歴史は長く、J.S.バッハの諸作品モーツァルトオペラフィガロの結婚魔笛ベートーヴェンピアノソナタ第21番、第29番、ピアノ協奏曲第1番や交響曲第7番・第9番などが古典的な例とされる。

ロマン派

ロマン派では、ロッシーニの「セヴィリアの理髪師」の第19番のアリアは良く省略され、シューベルト魔王交響曲第9番「ザ・グレート」、パガニーニヴァイオリン曲、ロベルト・シューマンの交響的練習曲の第2変奏曲や2点へ以上の音域がある4本のホルンとオーケルトラの為の協奏曲作品86リストの一連のピアノ曲、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団演奏不可能と宣告されたブルックナー交響曲第2番、ブラームスピアノ協奏曲第2番やヴァイオリン協奏曲またピアノソナタ第3番の冒頭部、チャイコフスキーの諸作品マーラー交響曲ラフマニノフピアノ協奏曲第3番等があったが、それらは現在では演奏技術の発達により演奏不可能と見なされることはなくなった。しかし、プッチーニの「ラ・ボエーム第一幕のエンディンクは、未だに半音下げて歌われることが多い。

近代

近代ではストラヴィンスキー春の祭典シェーンベルクピアノ協奏曲ヴァイオリン協奏曲モーゼとアロンがあるが、「春の祭典」と「モーゼとアロン」は演奏技術の発達により現在では演奏会での一般的な曲目になっている。意図的作曲された例としてアイヴズの歌曲義務」があるが、今日では演奏家は内声などを省略するか、アルペジオ演奏するか、アシスタントを設けるかで解決されている。彼のピアノソナタ第2番等も同様であるが、本人は「間違った記譜もすべて正しい記譜である」と友人に説明している。プロコフィエフピアノ協奏曲第3番の第3楽章にも2度の音階的な走句があるが、「困難だ」と結論付けて全てアルペジオ演奏する者もいる。ラフマニノフピアノ協奏曲第三番第三楽章の冒頭のパッセージ身長が170cmないと物理的に不可能であり、体格の小さなピアニストテクニック不自由したピアニスト左手の音をずらして演奏することが慣例化している。

現代音楽

演奏不可能作品という概念現代では新しい複雑性と深く関係している。ファーニホウの諸作品は非常に高度な演奏技術を要するが、彼の音楽に要される困難は主に読譜に集中するため決して不可能音楽ではないとされる。しかし逆説的に言えば、演奏不可能概念は、今日例えばパソコンシーケンサーなどに自分で四分音符をメトロノームに合わせてキーボードで打ち込んでも決して4分音符や強弱が正しく出てこないという経験から人間演奏する限りにおいて全ての音楽に当てはまるという事も言える。その外シュトックハウゼンの「7つの日々からNr.26(1968)」の「金の塵」が奏者に演奏の前に4日間の断食強要していると言う点で事実上演奏不可能作品である

今日最も演奏の難しい現代音楽は、クセナキスの諸作品と言われている。第1曲目のピアノ協奏曲にあたる「シナファイ」、チェロ独奏の為の「ノモスアルファ」、ピアノ独奏曲の「エヴリアリ」、「ヘルマ」、「ミスツ」、ピアノ独奏重要な働きを担う「エオンタ」及び「パリンプセスト」等がその例であるクセナキス自身テレビインタビューで、これらは演奏困難にさせることを目的として作曲された作品であると語っている。

しかしこれらの作品群も、近年の若手演奏家の技術向上やCDリリースを参照する限り、徐々に不可能とは見なされなくなる日が近づいているのは確かであるが、逆にどんな簡単作品人間演奏する限り100%の完全なる再現は厳密には不可能である

ポピュラー音楽

前述の通りポピュラー音楽クラシック音楽とは事情を異にする。とは言え、カバー曲やカラオケなど、オリジナル以外の奏者による演奏がまったくないわけではない。

特筆される例としてはサザンオールスターズの「Computer Children」(作詞作曲 桑田佳祐アルバムKAMAKURA収録)が挙げられる。この曲は、マスター収録の後にエフェクトなどのデジタル編集を行い、その編集後の曲がオリジナルとされている。したがって、ライブ演奏事実上不可能となっている。ソフトウェアマスター作成においてデジタル編集を行うポピュラー音楽は近年珍しくはないが、この曲ほど大胆に使用している例は(リミックスを除けば)、稀有である

演奏史上で演奏困難とみなされた曲

作曲家演奏困難な作品を書くことによって、演奏技術が向上し、それがさら作曲技法を拡大させるいう面がある。以下の曲の多くのもの今日では演奏レコーディングの機会も多いが、作曲当時は「演奏困難」ないし「演奏不可能」とされたものである。参考までに掲げる。

ベートーヴェンピアノソナタ第29番(ハンマークラヴィアのための大ソナタ)

指定された速度で演奏するのはほぼ不可能であり、通常は指定よりもやや遅くして演奏される。また、曲が独奏曲にしては長大であるため、高度の精神力要求されるという点においても彼のソナタの中では最も演奏困難である演奏技術の発達した現在では、ロマン派以降のピアノ音楽大家作品群と比べれば特別難しい曲ではなくなっているが、それでもなお演奏は困難を極める。また、リストベートーヴェン交響曲ピアノの為に編曲したもの存在するが、それらと比べれば、このピアノソナタ比較的易しい。

パガニーニ24の奇想曲

超一流のヴァイオリン奏者、パガニーニ作曲したヴァイオリンの難曲として知られ、作曲当時はパガニーニ自身以外には演奏不可能であった。しかし、この作品の持つ魅力は多くの音楽家の心を捉え、さまざまな作曲家によって主題引用されている。この曲の存在によって、作曲技巧や演奏技巧が大きく開拓された面は否めない。現在でも超絶技巧の難曲として知られるが、一流の演奏家の中には完璧に弾きこなしている人もかなり多い。

リスト超絶技巧練習曲第2版

タイトルからもわかるように、超絶技巧を要することが目的となったピアノのための練習曲であるピアノパガニーニを目指したリスト代表曲である一般演奏家にも演奏できるように難易度を少し落とした第3版が現在では普及しているが、リスト超絶技巧極致を目指して作曲した第2版は特に演奏困難とされ、リスト以外には演奏不可能と言われた。現在ではジャニス・ウェッバーレスリーハワードが録音を残している。

チャイコフスキーヴァイオリン協奏曲

演奏不可能とのレッテルを貼られ、当時の第一線のヴァイオリン奏者に初演を断られた作品しか現在では、早熟ヴァイオリン奏者が10代で弾きこなしてしまうことも珍しくない。

ドヴォルザークチェロ協奏曲

第一楽章オクターヴの速い動きで事実上演奏不可能作品である解決譜としてのOssiaで多くのチェロ奏者が弾いている。

プロコフィエフピアノ協奏曲第4番(左手のための)

パウルヴィトゲンシュタイン委嘱で書かれたが、彼は「一音も理解できない」として取り上げなかったため、作曲家生前には一度も演奏されることは無かった。ただし実際には、様式上・技巧上ともに特に大きな困難があるわけではなく、演奏は十分可能である菅原明朗は「この曲こそプロコフィエフ最高傑作だ」と称え、ピアノ吹奏楽の為に編曲したヴァージョンを残している。

シェーンベルクヴァイオリン協奏曲 Op.36

十二音技法によって作曲されている。ただし、急-緩-急の3楽章から成り、両端楽章の終わり近くにカデンツァがあるなど、伝統的な協奏曲構成に従ってはいる。作曲者はヤッシャ・ハイフェッツに初演を依頼したが、ハイフェッツはこの曲を演奏するか否か散々考えた末、結局「研究しただけ無駄だった」として辞めてしまった。結局初演はルイスクラスナー独奏ストコフスキー指揮フィラデルフィア管弦楽団により行われた。作曲自身生演奏を聴いていないとされる。

フォルカー・ハインの「フェッロ・カント

1990年代初めドナウエッシンゲン現代音楽祭がカールスルーエ作曲家フォルカー・ハインに管弦楽の曲を委嘱したが、度重なるリハーサルにもかかわらず演奏困難ということでその年の公開演奏が中止になった。次の年もう一度だけ初演が試みられたが結局不可能で、またしても初演を断念させられた。その楽譜は当時の展示即売会一般公開され、色々な同僚作曲家意見が聞かれた。現在に至るまで演奏されていない。ブライトコップフ社によって出版されている。

ケージフリーマンエチュード

チャンスオペレーションを厳格かつ極度に徹底したヴァイオリンソロのための作品集で、「作曲するのも演奏するのもほぼ不可能に近い」音楽になることを前提に作曲された。しかし、第18曲目の演奏困難度をめぐって1-16曲目までの初演者ポール・ズーコフスキー意見対立し、作曲が中断された。その13年後にアーヴィン・アルディティの助力で作曲が再開されて、無事32曲の完成に至った。現在この作品の全曲演奏が出来るヴァイオリニストはヤノシュ・ネギーシーとアルディティの二人しかいない事から考えて、最も演奏不可能に近いヴァイオリン曲といえる。

関連項目

2022-04-06

anond:20220406222646

ほえ〜

シンガーソングライターは男女とも居るけれど、作曲家とか編曲家はたしかに偏りありそうで、どういう要因なんだろうな

2020-07-16

数多くのCM音楽映画音楽アニメサントラなどを手掛けるなど、作曲家編曲家ピアニストとして活躍した蒲池愛(かまちあい)が、2020年5月30日、満48歳で永眠いたしました。

ここに生前のご厚誼を深く感謝するとともに、謹んでお知らせ申し上げます

2019-11-29

裏方の方が仕事楽しい

作曲家よりも編曲家の方が楽しい。いろんな作曲家仕事できるから

漫画家よりも編集者の方が楽しい。いろんな漫画家仕事できるから

映画監督よりも映画プロデューサーの方が楽しい。いろんな映画監督仕事できるから

2019-04-09

国を相手どった裁判では国側の人は誰が出廷するのですか?

国を相手どった裁判では国側の人は誰が出廷するのですか?

という質問ヤフー知恵袋で見つけて回答が足りなかったので補足。

国が訴えられた場合法令により「法務大臣指定した職員」が国側の指定代理人として訴訟に参加することになります

個人民間企業と違って、弁護士ではなく法曹資格のない事務職員が代理人になることができます

(もちろん実際には法務大臣が直接指定するのではなく法務省内部の決済により役人レベルでの選定になる)

この指定代理人について、知恵袋では「法務省職員」「訟務検事」と回答されてましたが、回答が不足しています

法務省の訟務部門職員訴訟事務については専門家ですが、たとえば国道瑕疵について訴えられたとき道路知識はありません。

なので、訴えられた内容を所管する省庁の職員指定代理人として参加します。

空港国道なら国土交通省

医療行政労働基準生活保護基準なら厚労省

基地騒音なら防衛施設局環境省もかな?)、

指定区間外国道や二級河川といった国の財産だが法定受託事務として地方自治体管理しているものは、地方自治体担当職員が国指定代理人として出廷します。

法務省訟務部門職員は、国側の主張を取捨選択して整理したり、書面の形式を整えたり、相手側(原告代理人弁護士裁判進行についてやりとりする。いろいろ調査して準備書面の中身を作るのは各省庁の職員、というふうに役割分担してます作曲編曲家作詞家みたいな関係です。

その道何十年という専門知識をもった各省庁職員が、給料をもらいながら仕事として原告に対抗するために調査して資料を作って、さら訴訟の専門知識をもった法務職員が仕上げをするのだから手弁当活動する原告国民が勝てるわけないですね。ずるいですね。

(同じことは刑事裁判における警察検察VS被告弁護士にも言えますね)

私は地方自治体職員ですが、かつて里道の時効取得について訴えられたとき、国指定代理人として法務局訟務部門の方と一緒に出廷したり証拠資料集め・現地調査したりしてました。(今は里道水路市町村に譲与されたので国はタッチしない)

個人的には相手に同情したり、その主張するならあそこを探せば証拠があるかもしれないのに弁護士も知らないのかなぁ、と思うことがあっても、仕事なので相手には言えずつらかったです。

法曹である訟務検事は偉いさんなので、個別裁判には出廷しません。

法務省内部で職員に指示したり書面の決済審査をしてるのでしょう。

私は3年間で3件の国相手訴訟担当して法務職員とは裁判含めて30回以上顔を合わせましたが、訟務検事は一度も顔を見たことがありません。

地方自治体が訴えられた場合も、国と同じように自治体職員指定代理人として参加します。

地方自治体には訟務部門はないので、法務省職員がやってた役割顧問弁護士にお願いすることになります

地方自治体職員は3年ローテで全く畑違いの担当に異動するし、顧問弁護士行政訴訟専門家というわけではないので、国相手訴訟にくらべたら勝ちやすいかもしれない。)

2018-12-30

anond:20181230213247

売れてる音楽=いい音楽ってのは、間違いであって間違いじゃない。

予算があるから、実力のある編曲家作曲家スタジオミュージシャンがつく可能性が高いので。

それが趣味嗜好に合うかどうか?とか、芸術として優れてるかどうか?はまた別の話。

2018-06-30

anond:20180630195754

最後編曲家のくだりで答え出てるじゃん。

人それぞれ好きなもの興味のあるものは違うっていうだけの話。

声優に対して興味を持ちたいなら自分でも調べてみよう。

そこまでの熱量がないならそれまでっていうこと。

anond:20180630195754

この声好きだな→誰が演じてるんだろう?とか、この声よく聞いたことあるな→○○さんっていうのか、って感じで段々と声優名前覚えるかなあ、人気声優だと声を耳にする機会も増えるし。

あと周囲の人がよく名前挙げる人なんかはいつの間にかインプットされてたりする。

好みの声や演技をする人の、他の役での演技も聞いてみたいっていう理由が多いかも。自分場合はね。

増田編曲家さんに詳しいみたいだけど、その人の作風や特徴に興味を持って知った/覚えたって感じなのかな?もしそうだったら、理屈的には近いと思うのだけど、どうだろう。(違ったらごめん)

ていうか編曲家について語れるってすごいと思うから個人的にすごい興味ある

私は声優に関する知識がない

みなさん、ちょっとでも(アニメ~ソシャゲ)オタク的なコミュニティにいるとす~ぐ声優の話になったりしませんか?

いやそりゃ別にオタク/声優を貶すとかそういう意図はないですし、自分だって十年来の"嫁"もいますけど、

自分が持ってる声優知識なんて(アンパンマンの)チーズ=山寺宏一とかそのレベルのもの

今季のコレは誰々だとかこれまでイラストだけだったこキャラにに声がついたとか

全然ついていけなくてつらい。みんなどうしてそんな詳しいんだ。

逆に主題歌編曲家の話をすると高確率で引かれます。話す前から分かってますけど。

2018-02-23

anond:20180223131155

権利者次第ってのはその通りなんだけど、漫画村は「オレはいいよ!」って個人的に言っている漫画家はいるにしろ、全体としてはダメだと思うんだよね。色んな権利者は抗議もしているし。

youtubeは、一応、JASRACとの契約があって多少はお金払っているみたいだし。ただ、編曲家権利とかはJASRACあんまり守らないらしいので、無いよりはマシ程度みたいだけど。

2018-01-13

anond:20180113153655

作曲の話だね。

俺はまだ駆け出しだけど編曲家をやってて。

こないだ自称シンガーソングライターの子と付き合ってたんだけど、まあメンヘラで。

歌も下手、曲もなんとか音楽の形をしてるだけ、クソネガティブな割に自信過剰でな子だった。

共通話題音楽だったから、一緒に曲作ることになったんだけど、こっちは全然面白くないし、金にもならない割に要求だけは多い。

境界性人格障害だったらしく、よく分からんけど取り敢えずクソめんどかった。

別れ話切り出したら、睡眠薬100錠のんで倒れて、入院

彼女の親父さんには、お前が娘を殺しかけたとか言われて、5.6発顔面殴られ流血。

親父さんにはヤクザのお友達がいるらしい(笑)

なんとか破局

別れた後、彼女編曲家になりたいとか言い始めて、俺と全く同じ機材を100万円分くらい購入して、ツイッターで「苦境を乗り越えて私編曲家目指します」的な内容のつぶやきばっかしてる。

俺がツイッター見なきゃ良いんだけど、

消化し切れない気持ちが爆発しそうで、

バカにする為についつい見てしまうんよね笑

2017-08-31

好きな編曲家がいない奴は信用できない

※ただし好きなバンド作曲家そもそもいないな奴ならセーフとする

2012-08-29

追記:私の音楽

http://anond.hatelabo.jp/20120828200034

少しだけ書き足すつもりが長くなってしまった。

 

当初言いたかったことをより簡単にまとめていく。

彼の曲を聴いてすぐわかったのは「彼が満足に楽器演奏できる人間ではないだろうな」ということだ。

もちろん、せいぜい彼のシンプル自作曲くらいなら弾けるかもしれないが。

 

彼はおそらく生楽器ひとつだけで満足に作曲演奏もできないだろう。

演奏技術レベルを問いたいわけではなく、それ以前の程度で「演奏ができない」はずだ。

 

私はそういう作曲家がいてはいけない、などと主張するわけではない。

当初書いた通り、機械での様々な試行錯誤の果てに楽器演奏限界を越えた表現が提示される素晴らしさがデジタルミュージックにはある。

そういう音楽がもう四半世紀以上も私たち音楽の新しい楽しさや心地よさを提供しているのは言うまでもない。

 

しか現代は、機材だけ小手先だけで何となく音楽を作ることがあまりに簡単な時代になってしまった。

ジャンクフードみたいな音楽があっていい」とその種のファンから反論もいただいたが、それは勿論だ。

手軽に作られて気軽に聴ける音楽はいくつあってもいいと思う。なくなって欲しいなどと思わない。

(ジャンクフード表現したのは私ではなく、そのファンである。)

 

ただ、楽器演奏も満足にできないであろう彼の何が「才能も努力も一流の音楽家なのだろうか?

そんな人間が一流の音楽家自称して、美しい音楽を作るために試行錯誤するプロ侮辱する姿は

まりにおこがましいし、目に余ると感じた。

私が言いたかったのはそういう事である

 

彼が狭い井戸の中で自惚れるくらいなら別に構わなかった。

薄目で見ればきっと地獄のミサワキャラに見えてかわいいかもしれない。

 

 

 

尚、指摘や批判が多そうなところについて以下に補足を。

 

「なぜ曲を聴いただけで楽器が出来ないとわかるのか」

これは、わからない人にはずっとわからないだろうし、どれだけ説明しても納得されないかもしれない。

もし幼少の頃から楽器に親しんでるような人間あなたの近くにいたら何人か掴まえて尋ねてみるといい。

 

本当に耳がいい人間というのは、その曲がどの楽器を奏でて生まれたのかさえもある程度わかるし、

人の声や楽器の音がどの程度加工されているかも感じ取ることが出来る。

耳にある審美眼が優れているとでも言おうか。

編曲が凝っていて分析が難しいという事もあるにはあるが、

「小手先で何となく作られた曲」はそれと全く違うのでその判別はたやすい。

 

実は、耳を鍛えるためには必ずしも楽器演奏の習熟を要すというわけでもない。

私の知人にも、楽器殆ど弾けないけれど色んな楽器の特性を熟知していてDTM表現する耳の豊かな作曲/編曲家がいる。

 

豊かな耳をもつことは、音楽が作られた背景を読み解く力にそのままなる。

それは音楽にきちんと向き合っている者ならば当たり前にできるし、出来るようになることだと私は思っている。

仮に高い音がどれだけ聞こえても、何も読み解けないようでは音楽家としていい耳を持っているとは言えない。

 

 

ところで「音楽的な美しさ」や「響き」という一言であまりに乱暴に済ませた概念についても当然批判をいただいた。

わかる人には当然わかる前提で書いたので解説を目的としていないからだ。

が、これを説明し始めるとものすごく長くなるし本題から反れる。

 

これもまた、音楽に造詣の深い人にあなたが直接色々尋ねてみるのが一番納得できるだろうと思う。

例えばどういう音楽が美しく、どういう音楽は美しくないとされるのか。

歴史にずっと名を残しているような音楽家の作品は、素人のそれと何が違うのか。

普段どんな音楽BGMにして垂れ流しているような人間では、おそらくうまく答えられないだろう。 

 

 

では改めて、私の音楽観について述べる。

『綺麗な音色で音が鳴っているならそれが音楽だ』という人も世の中にはいるだろう。

ただそれでは同じ楽器を与えられれば誰でも音楽家になれるので私は違うと考える。

 

デジタル楽器による作曲では、同じ機材を同じ程度に使えれば

よほど素晴らしいアイディアや豊かな音楽下地がない限り、オリジナリティのある曲は生まれない。

前回問題にした彼の曲には下地を感じさせるような音楽の豊かさがあったか?全くなかった。

 

音楽下地とは、その人がどんな音楽をどのように聴いてきたかということである

 

私は、音楽は目先の消費のために小手先で生まれるものではなく、

連綿と流れる歴史から蓄積された文化を、次の世代に伝えていくために生まれて

そしてまた蓄積されていくものだと考えている。

 

それ以外を断じて音楽と認めない、などと言う気はない。

いろんな人にいろんな音楽の楽しみ方がある。どんな曲にお金を出すかもその人の自由だ。

 

ただ小手先で生まれ落ちたようなものは多くの人に蓄積などされず、身内にだけ持て囃されるだろう。

(これは何も音楽に限った話ではない。)

そうしたモノは、美しい作品として語る価値がないことのほうが多い。少なくともそれは一流などではない。

初めて作品に触れる人を一瞬で虜にするようなアーティストが真に一流といえる。

無知な人を小手先でそれっぽく騙すのは二流や三流、それ以下だ。

 

私は、小手先で生まれるような音の連なりを「美しい音楽作品」として語るべきではないと考えている。

もし楽器を弾く人なら、その人のルーツとなった音楽が蓄積されている身体の内から指先が動きだし

演奏をすることで音楽が紡がれていく。決して小手先とは違うのだ。

 

まり

「その人の内に豊かな音楽が溢れていて、それを自分の形にして他人に提示できる」のが作曲ということだ。

 

それはDTMでも勿論可能だし、実現している人だってたくさんいる。

(デジタル環境作曲をする前段階として、その人の内に豊かな音楽が溢れているならばの話だ。)

 

ただしDTMは小手先だけで簡単に「音が鳴っている状態の連続」を生み出すことも出来る。

その作業は作曲初心者にも容易である

ちょうど玩具ピアノを叩く幼児のように誰にでも出来るからだ。

 

私たちデジタル機材の普及や進化によって、誰でも簡単に作曲ごっこ・音楽家ごっこできるようになった。

 

しかし、ルーツの豊かさを感じさせるようなオリジナリティのある音楽こそが多くの人の心を揺さぶり、

愛されて残っていくことは今後も決して変わらないだろう。

2010-09-20

初音ミクと見せかけの魔法

 海外blog初音ミクについて熱い(長い)文章を書き込んでいるのを見かけたので試しに翻訳してみた。無断翻訳なので匿名で。urlは以下の通り。

http://deliciouscakeproject.wordpress.com/2010/09/20/hatsune-miku-and-the-magic-of-make-believe/

=====以下翻訳=====

 初音ミクと見せかけの魔法

 初音ミク歴史は18世紀のヘタリアイタリアに始まる。

 そこにはバルトロメオクリストフォリって名前のすげえヤツがいた。こいつの得意技は楽器を作ることだった。何でも作ったわけじゃない。当時はひどく弱々しいちっこいもので、しょぼい羽柄が並んだ弦を引っかいて金属的なチャリチャリした音を出すもの、つまり鍵盤楽器を作っていた。いわゆる「バロックミュージック」ってヤツだ。クリストフォリが音楽技師として、また機械技師としてやったのは、弦を異なる強さで叩くハンマーを使った仕組みづくりで、それによって演奏家は小さい音(ピアノ)や大きな音(フォルテ)で演奏できるようになった。だもんで皆それをイタリア語ピアノフォルテと呼んだ。もちろん、今ではお前も俺もそして誰もがクリストフォリの発明品をピアノと呼んでいる。

 イタリアピアノ発明することによって、日本初音ミク発明するための扉を開いた。

  ***

 俺は今、ここサン・フランシスコの150席しかない小さな映画館で、秋のアイドル公演を待っている。チケット完売した「39[ミク][[Sankyu!]] Giving Day」コンサートの上演を見るために、愚かな時間無駄遣いをする連中が集まっている。コンサートじゃ電子的に創造されたポップアイドルつまり緑の髪をした女神が、ゼップ東京コンサート会場で生演奏するバンドにあわせて踊り歌っている様子がスクリーンに映し出されている。それはまるで、一部はライブなんだが、本当はそうではなく、「本物」のボーカロイドコンサートでお目にかかれるのに近いものだった。言ってみればゴリラズを見に行くのとそれほど違いはない。伴奏は本物のミュージシャンが作り出しているが、客が見ているのはいわば巧妙なごまかしの表層であり、音楽に命を持たせるために使われる動くペルソナだ。これがミクの魔法である。それは見せかけの魔法だ。

  ***

 クリストフォリがピアノ発明した頃、J・S・バッハ平均律クラヴィーア曲集を書いた。そこでは要するに鍵盤楽器の各音程間で一通り数学的な調整をすれば、突然どのような調号でも十分演奏できるようになるということが言われている。言い換えれば、何か妙なことをしようとした際にいつも調子はずれの音を出すのではなく、初心者から中級までのピアノの生徒がやらかす糞を抑えるような5フラットとか7シャープとかそういったことが完全にできるようになる。これによって18世紀の鍵盤楽器は初めて、いちいちくそったれな調律をしなおすことなく新しい楽想を試すことができる原始的なワークステーションとなった。

 数十年後、ようやくピアノ価格が下がり十分なほど生産できるようになったことで、それは非常識なほどの大金持ちだけの特別な楽器ではなくなった。代わりにそれは有名な王族たちのような常識的な程度の金持ちが購入できるものとなり、彼らは好んで地元作曲家を雇い自分たち(とその客)を楽しませるために音楽を書かせた。こうした作曲家の一人があのヴォルフガング・A・モーツァルトであり、彼の特別な才能は主に下ネタ女性音楽生徒に対する性欲の面で発揮された。もちろん鍵盤楽器からふざけた音を引き出す才能もあり、その短い人生の間にモーツァルトは最も好きな楽器ピアノに決定した。彼が書いた27のピアノ協奏曲(本当に素晴らしいのは最後の10曲ほど。アニメシリーズのようにモーツァルトレパートリーは後半になるほど良くなった)は、単に協奏曲形態にとって画期的な礎石となっただけでなく、ピアノ音楽の基礎を築いた。モーツァルト協奏曲はこう言っているようなものだ。「これこそピアノにできることだ! ピアノだけでなく、オーケストラと一緒でもいい! まさか今更ハープシコードに戻ろうってんじゃなかろうな?!」

 モーツァルトより後の時代の人間は皆彼に同意した。ひとたび音量の大小を調整できる鍵盤楽器を手に入れてしまえば、弱々しいチャリチャリした機械になぞ戻れっこない。これが230年ほど前の出来事だ。ミクへの道は一日にして成らず。

  ***

 ミクの公演にやって来たファンの男女はいろんな連中の寄せ集めだ。彼らの5分の1ほどは当然ながらボーカロイドコスプレをしている。何人かはケミカルライトまで持ち込んでいる。コンサート全長1080ピクセルの巨大なスクリーンで始まり、全劇場サウンド・システムが炸裂し、観衆は最初はためらいがちに見ていたが、最初のいくつかの歌の後は雰囲気が盛り上がってきた。彼らはスクリーンの中の群衆と一緒にリズムに合わせてケミカルライトを振り、曲が変わると歓声を上げ、各ナンバーが終わると拍手をした。単なる録音と録画じゃねえか、などというたわ言は知ったこっちゃない。理論的にはゼップ東京の群衆だって同じように録画を見ていたんだ。本当に「ライブ」で演奏される音楽など、現代においてはクラシックオーケストラ民族音楽演奏くらいしかないし、それにシンフォニーホールですら今日ではマイクが使われている。誰もが電子的な助けを借りて音楽を聴いている。ひとたび電子機器楽器として受け入れることを覚えてしまえば、ミクを愛するのは簡単だ。彼女モーツァルト魔笛アリアを歌っている動画を聞いてみよう。

http://www.youtube.com/watch?v=gr9fbQzNpqA

  ***

 19世紀欧州で、もしお前がピアノ演奏ができない作曲家だったとしたら、お前は存在していなかっただろう。それはもはや単に大小の音量で演奏できる楽器にとどまらず、巨大な和音構造物であり、多音パッセージワークであり、一人の演奏家の手で「あらゆる音符を見ることができる」ものとなっていた。もしピアノがなければきっと「2人のバイオリニストビオラ及びチェロ奏者各1人をかき集めて旋律が上手く行くかどうか調べにゃならん」てなことが起きていただろう。そしてもちろんチェリストは、ある音符について「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」と演奏するようお前が何度も何度も何度もお願いするのにうんざりして1時間後にはそこを立ち去ったことだろう。

 少なくともピアノがあれば、お前の小さな指以外に迷惑をかけることなく「どぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅんどぅん」とやることができる。

 かくして1800年代においてピアノは中心的な作曲道具となった。そして同時に社会中産階級が暇と屑な時間を持つところまで進化し、そしてもし彼らがスポーツゲーム発明しなければ、彼らは音楽その他を演奏したいと望み、そんでもって家に持ち込むためピアノを注文できるようになった。欧州だけでなく日本でも、少なくともウィリアムペリーが彼らを開国して西洋化が始まった後には、同じことが生じた。基本的にピアノ文明化の証と見なされ、そして有名な山葉寅楠ってヤツがイケてる連中のため日本製ピアノを作り始めた。

 19世紀末20世紀音楽制作にとって黄金時代だった。楽譜を買って他人の歌を演奏する方法で「音楽を作る」こともできたし、あるいは作曲理論について十分に学び自分の曲を創造するというやり方で「音楽を作る」こともできた。そうした取り組みの多くはピアノの周辺で起きた。ピアニストが力を得た。鍵盤があれば、お前はスターになることができた。

 そして、とんでもないことが起きた。

  ***

 ミクだけじゃない。巡音ルカとリンとレンも公演に出てきたぜ! 全ボーカロイドパーティだ。彼らの異なる声質と、ミクと組む様々なやり方は、見事な音の見本集になっている。他のキャラクターが登場するのを見た観客たちは熱狂している。異なるシンセサイザープログラムマスコットに過ぎないにもかかわらず、彼らはまるで我々の友であり家族であるかのようだ。ようつべニコ動を使って彼らを我が家へ招待しよう。彼らの声を我らの生活のサントラにしよう。電子的に作られたアニメキャラが本当のミュージシャンになれるのかって? おk、ならお前に聞いてみよう。魂のない箱がお前の周囲の空気を震わせているけど、それは本当の音楽なのかい?

  ***

 それこそが実際に起きたとんでもないことだ。録音された音楽。録音された音楽こそ、音楽史の中で起きた最悪の出来事だ。

 ひとたび蓄音機を、ラジオを、レコードプレイヤーを、カセットプレイヤーを、CDプレイヤーを持ってしまえば、音楽を楽しむのに「音楽を作る」必要はない。コンサートホールチケットを手に入れる必要もない。単に座って、電気を使った箱にお前を楽しませればいい。ピアノ専門家のための道具に成り下がった。それは淑女が結婚に必要な才能を覚えるためのものに、あるいは子供が(1)それを憎んでいることに気づく(2)両親が子供に才能があることに気づいてプレッシャーを積み上げ始める――まで稽古を受けるものとなった。もし(2)の現象が起きたなら、最後にはピアノを本当の演奏楽器あるいは作曲用の道具として使うようになるだろう。しかしそれはもはや「音楽制作」の中心にはない。

 さらに悪いことにロックギターをポピュラーにしてしまった。ギターが人気になり、ピアノは役立たずとなった。お前が鍵盤楽器を学ぶのは、ビートルズにしてくれるものを持てずバッハベートーベンにしがみつくしかないある種の意気地なしだからだ。誰が決めたルールか知らねえが最低だ。10代のころ、俺はピアノを使ってランキング上位40の曲を弾けたおかげで女の子たちに「いくらか」いい印象を与えられた。けど、結局はクラスの野郎どものうちその曲をギターで弾けるヤツがいつも勝ちやがった。くそったれ。

 だがここで思い出してくれ。俺は、イタリアピアノ発明したことが日本初音ミク発明への扉を開いたと言ってきただろ? ピアノ21世紀に飛び込むときに今一度変革に見舞われたんだ。

http://www.youtube.com/watch?v=-7EAQJStWso

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 もし音楽を生み出す小さな電気の箱が「本物」であるなら、録音済みのコンサートに向かって「アンコール! アンコール! アンコール!」と叫ぶのは極めて正常だ。その音楽はお前を感動させたんじゃないのか? もっと聞きたいと思わないのか? というわけで映画館の観衆はもっともっとと叫び、そして彼らはアンコールを聞けることが分かっていた。なぜならそういう風に録音されていたから。ミクが公演を終わらせるため最後舞台に出てきた時、もう一度鑑賞力のある人々から歓声が上がった。それは人工的なものだが、とことん楽しむため我々はそれを本物だと見なした。まるでドン・コッブが[ネタバレ注意!!]インセプションラストで回転するコマから歩み去るかのように。ミクは夢のような存在だ。サウンド・エンジニアCGアーティスト音楽家が作り上げた美しい夢であり、決して卒業することも年を取ることもスキャンダルを起こすことも業界から追放されることも惑星上から姿を消すこともない完璧アイドルだ。彼女は実際、いくつもの「映像」を持っている。我々は皆、この音楽的見せかけの共犯者だ。過去の聴衆がモーツァルトオペラを、ガーシュウィンミュージカルを、あるいはかのすさまじいレ・ミゼラブルを本物であると信じたように。我々は十分深く信じられるようになるまで偽りの世界を本物だと信じるふりをする。その世界を感じるまで、見せかけの魔法を感じられるようになるまで。

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 ピアノ最後の変革とは、もちろん電子化のことだ。

 真空管からトランジスタを経て迷宮のような電子回路まで。もしピアノの鍵盤が「あらゆる音符を見る」ことのできるインターフェイスだとしたら、それは作曲家に最も未来を感じさせるインターフェイスだ。そして我々にはシンセサイザーキーボードとMIDIコントローラーワークステーション世界が与えられており、そこでは遂にピアノが単なる「楽想を試す場所」から超越した。ちょっとした波形の調整によって、ハンマーと弦の機構に制限されることなくこれらの楽想を正確に響かせることができる。新しい音を作り上げることもできる。楽想の断片を記録し、他の楽想をその上に並べて電子キーボードを個人的な架空オーケストラに仕立てることもできる。ピアノピアノを超えた。それは作曲家の手の延長どころか、作曲家の心の延長となったのだ。

 一つだけ欠けているものがあった。声だ。

 そして、ご存知の通り、日本日本であり、彼らはやってのけた。彼らは人工物を誰よりも巧みに操った。彼らは本物の料理だと見栄えが悪くなるからという理由でプラスチック製の小さな食品サンプルを作った。本物の労働者は間違いを犯しがちだから製造ライン用のロボットを作った。本物の音楽家を家に入れるのは大変だから編曲家のために電子キーボードを作った。そして、人間の声を合成する技術が十分に発達した時、そしてそれが人工音声のためのペルソナ創造するというアイデアと衝突した時、ミクが見せかけの音楽における21世紀スーパースターになるのは当然のことだった。

 中にはボーカロイドというアイデア音楽家の全てを破壊するという人もいるだろう。全ての仕事ソフトウエアがやってくれるのに、誰が人間を必要とするんだ? 俺が思うに、ボーカロイドってのは偉大なる民主化の旗手であり、音楽家のために沢山の扉を開いてくれるカギなんだ。過去において、もしお前が作曲家編曲家あるいはプロデューサーなりたければ、まず自分の曲を書いてそれから演奏家を探し見つけ出すしかなかった。何しろお前の傑作に生命を吹き込みたければ、5人編成のバンド、20人編成のオーケストラ、そして3オクターブ半の音域を持つ歌い手がいないとどうしようもなかったのだから。マジ悲惨。だがミクがいれば誰もが作曲家になれる。誰もが自宅のスタジオで曲を作り、正しい機材があれば、電子機器を使った完全なポピュラーソングを生み出せる。ボーカロイド音楽家仕事を奪うわけじゃない。それまでミュージシャンには決してなれないと思っていた人々の中からミュージシャンを作り出すんだ。動画投稿サイトで毎日そうしたことが起こっているし、こうしたコンサートではそれまで決して聞いたことのないような人々が突然電子王国の宮廷音楽家になれる。非常識なほどの大金持ちだった王家の人々の手にあった手製の楽器から、平民たちの手に握られた緑の髪の女神へ。それがこの大きな3世紀の違いだ。

 何であれ多くの人々が音楽を作ることは、単に大人しく聞いているだけよりもいいことだと俺は信じる。俺は魔法を、ボーカロイドを、ミクを信じている。

=====以上翻訳終了=====

 誤訳は当然あると思う。でも面倒なので修正はしない。

2008-12-02

くそキーボードが自在に弾けるようになりたい。俺の好きな作・編曲家、サウンドクリエイターの類の方々は皆弾けるんだもんな。なんだかんだで。やっぱり必須の技能なのかぁ、曲作るには。ギターもあるけどいつまでもよそよそしい。

2007-12-14

菅野よう子器用貧乏という批評がついたこともあるという文章を見た。

確かに彼女中途半端な印象も否めないな。

すごくいい楽曲もあればなんだこりゃというのもあるし。もちろん俺の感受性の幅の問題もある。

ただポピュラー音楽がポップじゃないのはどうなんだろう。作りこまれすぎている曲もあるのでは。ロック調の曲もロックしてない感じがする。

しかし総合的に見て、やっぱりいい作曲家編曲家なんだろうな。

2007-11-13

著作権者側の意識ってこんなもんなんだね。

今こんなこと著作権者側はやってるんだってさ。

mixi著作権コミュからの甜菜だけど、広報してもらいたいみたいだからいいよねっ。

管理者様不適切であれば、削除ください。

MPNからのお願い!

(MPNとは、演奏家権利処理合同機構/Music people's nestの略です。) http://www.mpn.jp/index.html

これは演奏家のみならず、原盤権保持者、作曲家作詞家編曲家、歌唱者、映像権保持者他にも当てはまる権利だと思いますので、宜しくお願い致します。

皆さんは「私的録音録画補償金制度」という物をご存知でしょうか?

日常、普通音楽映画などを家庭内で録音録画し個人的に楽しんでいますが、そのすべての作品には著作権という物があります。

近年の録音録画機器のデジタル化により、著作権利者の許諾を得ない

大量の録音録画が行われている事態が生じ、この状況が権利者の経済的利益を害しているのではないか、、という事から器機メーカーより一定の補償金を徴収する制度が発足されたのが 「私的録音録画補償金制度」です。

海外では広く補償されているこの制度が今、廃止も含めた見直しを行うという検討がされている、という事で、文化庁では国民からの意見を募集しています。

音楽を愛するために、そして芸術家を守るために、

この制度は是非存続させていかなければいけない事と思います。

是非、皆さんにも下記記入例に基づいて文化庁意見書送信のご協力お願い致します。 期限は11月15日まで(もう直ぐだ)

    ?? 記入例 ??

件名 「私的録音録画小委員会中間整理に関する意見

1 個人 (、と書いてください)

2 お名前

3 ご住所

4 電話番号 及び メールアドレス

5 全体 (、と書いてください)

6 ご意見

  例)補償金制度の維持に賛成です。(、とか、、)

    補償金制度をちゃんとした制度に立て直して存続させるべきです。(、とか、、)

送信先 keiyaku@bunka.go.jp

この署名にて、今後どうなるか?も決定されると言っても過言ではありません。

ご協力お願い致します。

 
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