はてなキーワード: ネグレクトとは
家庭環境や対人環境、具体的にいえばDV・ネグレクト・いじめetcそういった環境に育ちながらも
片や立ち直って「普通」に溶け込んで生きている人と、
所謂「メンヘラ」化や自殺をしてしまう人の違いってなんだろう?
一度だけでなく何度と他社への感情や希望を死のふちまでへし折られての、その先の分岐。
個人的に考えるに、周囲との対人関係が劣悪な状況下に置かれると、
愛情や信頼の度合いが正しく把握出来ない故に他人との関係を過剰な形で表したり、
虚無感で自分自身の存在意義や自分自身のしたいことへの関心が喪失したり、という状況になると思う。
そこから、正しく他人との関わり方や距離感をつかみ、自分自身の意義を見出し、自分自身の欲望をもてるようになるには
そうなれたつよいひとは、一体どうやって「強く」なれたのか?
結局のところ人間の生まれ持った素養が悲観的・楽観的の違いなのか、な気がした。
が、実際の所はわからない。
一つはやっぱり信頼できる人間と出会う、というありきたりなこと。
他者との適度な距離感をそこで回復させて漸く自分自身の尊厳というものに考える場面に出くわす。
そしてもう一つが、今まで環境のせいにしていたが(勿論現実は大いに関係するが)、
自覚したその時点以降は、環境が自分を変えるのではなく、自分が環境を変えればいいんだという思考回路のチェンジ。
他人に悪影響を受けたからこうなったという受身思考から、今後は自分が影響を受けたい物を選び、悪影響を与えるものは切ればいいだけじゃんという逆転の発想。
散々切られてきたのだし、切るべきものを切る覚悟は自殺しようとしたあの時の覚悟と比べたら簡単だろう。
最後は楽観的な思考を持つこと。
ニートじゃないが、いつかなんとかなるさと楽観的になる。
駄目元、元よりマイナスなのだから無くすものはなし、痛み耐性は普通以上に付いている。
かつてのメンヘラ時の悲劇のヒロイン気分が抜けてくれば、自分より劣悪な環境下の人間なんてまだまだいるのにと気がつく。
俺も先輩として書けるかな。
少なくとももう母からのネグレクト、兄からの精神的、身体的虐待の過去を持ちだしてわーわー言う必要はなくなった。
自分がACに気付けたのは良かった。ACであると自覚し、過去を振り返り、死にそうになりながらも自分の生き方、あり方を模索して、現在に至ってる。
でもACは生涯ついてまわるものではない、というかそうあるべきものではない。
自分がACであるということに固執すると、それを逃げ口上にして、免罪符にして傲慢に振る舞いたくなることがある。そうなると悪循環だ。
辛い気持ち、死ぬほどの絶望感にさいなまれるのは分かる。
他の人は家族の話題で盛り上がると一刻も早くその場から消えたくなるだろう。
昔の写真も、母子手帳もない… 語りたくない、語れない幼少期…
でも、ACであると自覚している限り、そうした免罪符・逃げ口上を使い続ける。AC的視点で自分を捉え続ける。
早く捨てるべきだ。
ACの人のblogの主旨の多くは「ACなんだけど、ちゃんと生きてる… ちゃんと生きていこう…」と言ったもの。
違うんだ。ACは早く捨て去るべきなんだ。
捨て去れないから困ってるという気持ちも分かる。俺にそのための技術的なノウハウがあるわけではないからそこはフォロー出来ない。申し訳ないけど。
でも、一言いうなら、まず泣きまくるんだよ。そして自分を慰めてあげる。その上で自分を満足させてあげる。インナーチャイルドに出会おうとしたこと、意識の奥を垣間見れたことは+になった。
バカにしないでやるべきだと思う。
あとは徹底的に過去を分析する。感受性がなくても、虚無感に襲われててもそれは出来る。
紙に書いたり、パソコンに書いたりすれば、その記録は消さないから無駄にはならないよ。
最後になるけど、俺はサバイバーって呼称が好き。 一生懸命に生きようとする強い気持ちが宿されているから。
でもう一つ。 今辛い人は克服したって俺みたいな人間の言うことは話半分で聞いておいたほうがいい。
そういう人はどのような考えをもって、受け取れないのだろうか。
そういう考察
これが一般的じゃないかと思う。
ちょっと選択理論心理学的チックだなー、昨日そういうサイト見たからかなーと思ったり。
でもそうじゃない人もいる。てか居た。
先日その人(以下Mと呼ぶ)について共通の友人と話していて思った。
「好きと言ってくれる人の言う事を聞かなければいけない」と思っていて、それで自分の行動に制約がかかるのが苦痛なのではないかと。
そういう考えに至った原因はいくつかある。
→ たぶん本人には自覚がないのか、それを隠しているのかわからないが、積極的に虐待されたのではなく、消極的な虐待だと思われる。端的に言えばネグレクト。この件に関して言えばMの親自身も虐待されたようなので、家庭環境の縮小再生産されたのだろう。
→ ネグレクトされながら、期待だけは世間並みという酷い状態。でもいくら虐待されても子供は親が大好きだから期待に応えようとしちゃうんだよね。親が「お前は大切な子供だから○○しろ」、「(お前が好きだから)○○を期待している」と言われて育ったんだろうね。かわいそう。
→ 上の応用系で「親は私の事が好きだから私に命令してくる。だから私も好きな人に命令する。」になったのではないかと思う。
→ 相手の事を察知する能力が凄いから、少しでも期待されたら気づくし、その期待を実現することに向けて筋道をたてて考えるのも得意。まあこれも上の親の期待に応えようとして育ったから身についたのだろう。
→ 躁鬱なんだけど、躁状態のときは凄かったな。出かけまくりで、人に会いまくり。逆に鬱の時はもう何も反応無い。だから行動の邪魔ってすごい嫌がってた。
まあこんな感じかな。
好きだと言われてそれに応えるという辛い経験を重ねていった結果、「好意を受ける事が苦痛」になったんじゃないかな。
筋道をたてて考えるのが得意だから期待に応えるために何をするかがわかるし、どれくらい苦労するかも容易に想像できるし。
しかも「好意を受ける事が苦痛」で察しがいいから、友人で少しでも好意を持った異性をどんどん切っていくんだよね。
俺も切られた側だけどw
一体どっちが本来のありかたなのでしょうか?
というか、そもそも「罪」と言う概念がない。
そこに社会契約が発展、「所有物」や「権利」という考え方が発生する。
その時点で、他者の「所有物」や「権利」を犯した場合、「罪」になるという考えに至る。
生まれた時から社会契約に縛られる現代日本においては、教育によって「罪」という概念が教えられるはず。…なんだが。
まぁ、現在の教育がどのようになってしまっているかは察しの通りなわけで。
そういった人間は、
である訳だ。
一方、親のしつけや教育の甲斐もあって、きちんと「罪」という概念を持った人間は、
罪は軽くも本人の心身はズタボロ。
となる。
今の日本の裁判制度、社会保護制度は、前者である「罪の意識の希薄な存在」を無視しているシステムな訳で。
だから、「光市母子殺害事件」が問題化されたり、「生活保護」が悪用されたりするわけだ。
システム上、「罪の意識の希薄な存在」は存在しえないと言う訳。
なので、社会的には前者であればあるほど「悪」というよりは「得体の知れないモノ」「存在するはずの無いモノ」となる。
後者は後者であるほど、社会契約が保護し損ねた人となる。後者は大概社会が保護し損ねた結果として犯罪に走る。
まぁ、前者も大元を正せば、ネグレクト等が原因で後者であった可能性も否定は出来ない(永山則夫 等)が…。
本人の心身を最優先にしたら前者の方が心身の健康上には良いのかな。
前者の場合、本人に「罪」の意識が希薄なので、無理やり捕えられ裁かれるという状況であり、トラウマになりうる。
例えば、スピード違反。
路上喫煙禁止条例施行の頃に逆切れする女性の映像が流れていたりしたのもこういった類。
後者の場合は、本人に「罪」の意識があり、裁かれたのだから後は社会が庇護して行くべき。
というか、本当に後者しか居ない社会であるなら、フィンランドのような刑罰システムへ移行することも可能。
この場合は、ズタボロにはなるまいて。
結婚3年目。そろそろ子供が欲しいと夫に言われて、子供が欲しくないことに気付いた。
夫の子供が欲しくないのか、誰の子供であろうと欲しくないのかはわからない。
まず育児中の収入についての不安。半年間休職するとして、その間私の収入は給付金頼りで半分になる。
もし、未熟児や病気を抱えて生まれたりしてお金がかかることになったら…
私の独身時代の貯蓄に頼るしか無くなる。それで足りるかどうか。夫は趣味にお金を使うため、貯蓄は期待できない。
そして育児についての不安。ネグレクトは孤立した母親が起こすと言う。
私は仕事についての不満・愚痴は自己解決できるので夫を頼る必要が無いが、
しかも、乳児は昼夜関係なしに親を起こし授乳やおむつ交換をせがむものだが、
私は本当に残念なことに、毎日十分な睡眠をとらないとすぐ体調を崩すタイプだ。
さらに残念なことに、夫も似たタイプで十分な睡眠を必要とするし、一度寝ると本当に起きない。
もし私と夫が二人とも寝入っている間に、子供が突然死してしまったら…
一人の時間も少しは欲しい。結婚してからはいつも家に夫がいるので、河川敷を一人で走るようになった。
学生時代はバスケのような動きのある運動が好きで、走るだけなんてつまらなく感じていたが、
あの時間が私の精神安定を支えているので、大事にしたいと思っている。
妊娠中も、育児中も、ずっとその時間が作れないのだと思うと、それだけで追い詰められるような気持ちになる。
夫は人の話をあまり聞かない。何か悩み事とか無いの?と向こうから聞いてくるのはいいが、
最後まで聞かずに説教を始めるので、余計にストレスになる。結局、一人で熟考して決めたほうが上手くいく。
最近は色々と面倒になり、解決が簡単な"悩み事"をストックしておいて、
夫に聞かれたときに蔵出しし、二人で即効解決できるようにしている。
私が育児について悩んだら、そんな余裕も無くすぐにパンクすると思う。
夫は頼りにならない。子供を見ていてねと頼んでも、見てくれずに一人でPCか何かで遊んでいる姿しか想像できない。
全て私がやることになって、私がパンクし、何もかもが私のせいになることしか想像できない。
今日夫と一緒に行ったスーパーで、若いお父さんの足にくっついている小さい女の子を見かけた。
夫が「やっぱり子供かわいいよなあ」と言った。そう、もちろん子供は可愛い。
でも可愛いだけでなく大変なことも沢山ある。病気もする。経済的に苦しくもなる。
わが子が人に迷惑をかけることだってあり、その責任は子供が成人するまでは親が負うものだ。
わかった上で、欲しがっているんだろうか。
無邪気な夫を見ていると、捨て猫や犬を拾ってくる子供を思い出すのだ。
可愛いから飼いたい!絶対面倒見るから!そう言ってお母さんを説得し、しかし数週間で飽きて、
結局餌やりや散歩は全部お母さんの仕事になっていく。子供は気が向いたときに遊ぶだけ。
夫の年相応の横顔に宿る雰囲気は、年不相応な少年のそれだった。
やはり私たちに子供は無理だ。
いつ、夫に切り出そう。
うまく育たなかったら、ネグレクト?遺棄?
3歳男児、餓死。15キロ程あるはずの体重が5キロ。母親から聴取…千葉
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110608-00000009-mai-soci
ってゆう意見が多いと思うんだよねぇ・・・・
親には親の事情もあると思うのさ。
(てか、あって欲しいとゆうか・・・)
出産に関しては望まなくても産まないといけなくなったケースって
色々思いつくよね。
金銭的な問題や、精神的な問題・・・・旦那さんの虐待ってのも。
誰もが選択できる環境で生きている訳じゃないし、
そもそも産んでしまってるんやから、そこを責めたってなんにもならないでしょ。
問題は育てられなかった場合。
日本って国は倫理観が強いというか、型にはめたがるというか・・・
それに外れた人達を排除する(いわゆる村八分)傾向にあるような気がします。
産んだら責任もって育てろ・・・そりゃそうだ。それが正しい。
でも、それができない人が育てようとするから
こうゆう事件が起こっちゃうんやないかなぁ・・・
「できない」ものは「できない」んでしょ?
そこを無理しようとするから歪みが起きちゃう。
人には得手不得手、向き不向きがかならずあって
どうがんばってもできない事ってのが十人十色にあると思うんですよね・・・・
要はそれだけの事。
でも、それは周りの人には受け入れられない。
「できない」って言ってしまった時点でどんな目にあうか・・・・
(田舎なら尚更)
で、進むも戻るもできなくなった結果がネグレクト。って事かもしれませんよね。
素直に諦める勇気も必要なんじゃないのかな?
それはそれで仕方ないでしょ。
親が居なければ可哀そうかもしれない。
捨てられた傷は一生消えないかもしれない。
でも、自分が恥を忍んで手放し、誰かに託せば
少なくとも子供は生きられる。
非行に走るかもしれないし、
対人関係を築けずに引きこもりになるかもしれない。
でも生きてる。
生きてさえいれば、どうにでもなる。
産んだら育てなければいけない。そんな事ない。
でも産んだ責任として育てている訳じゃない。
この子達と一緒に生きていきたい。
そうでないなら育てなくていい。
子育てをやめるのは勝手だが、児童福祉施設でも他人の玄関の前でも
とにかく、子供を他の大人に託す。
それが、子供を産んだ事の責任であり、親として最低限の義務でしょう。
そして、子育てができなかった親を受け入れる。
そんな社会を作れれば、不幸な子供達が少しでも減るのではないでしょうか。
育てられない親の為でなく、
生まれてきた小さな命の為に。
こんな欺瞞を、すぐツッコミが入るネットで書いて意味があるのか?w お前はアホか?w
なにが「ゲームに高じる(「興じる」はキョウジルって読むから覚えとけ)楽しい時間を提供」だw
射幸心に突き動かされて判断力なくした人間が張り付いてるだけじゃねえか。
なにが「運のいい人は景品だってもらっている。」だw
そんなものが目当てじゃないことは誰でもわかってるよなあ~?
宝くじとおんなじにしたいならパチンコ潰して国営の賭場でも作ればいいじゃねえか。
もしくは更にギャンブル性を低く・興奮させないようにする指導を受けるか。
なに怒り狂って他人の趣味に口出ししているんだか。
これもシャブなり阿片なりを当てはめて読んでみりゃいかに隙だらけの擁護かわかるだろ。
駅前に賭場があって。
(これだけでも異常だが、人口比を考えりゃさらに異常なのがわかるだろ。)
そしてパチンコを擁護しようと思ったらそれほど嘘やデタラメ並べないといけないってのが
病理の全てをあらわしてるともいえる。
暴論だが、例えば23区とかの場合、区内に数十も小学校を抱えていて、
それで「学区の自由化」ということで「どの学校に通っても自由」としているのだから、
一校くらい「PTA活動で親の負担がない小学校」なんて、あってもいいのではないか?
PTAの親の負担というのは、親はなかなか言い出せないが、不満の最たるモノである。
であれば、「そういう負担は一切ありません」と公言する小学校があれば、
というか、こういう「ニッチで些細だが改善して欲しい点」をコツコツ改善していくのが
これは自省もこめて言うが、「PTAの負担が多い・・・」とブツブツ言うだけで
「何もしない」のではなく「PTAの負担がない小学校を作ります」と公約して
あるいは
イオンとかの量販店で売っている品物を学用品に使えるようにすべきだ」という主張を
掲げて区議を目指すのでもいい。
あの指定学用品制度、地域経済(零細商店)の維持というホンネが隠れている。
別の言い方をすれば、
「学齢期の親の経済力で以って、半強制的に零細商店の維持生存が図られている」
イオンで購入するより高い値段を強いられるのだから、その分親の経済負担が大きいわけで、
そういう有形無形の経済負担増が、教育費増大の一端を担っている。
もっとも、そのような地域零細店が潰れると、町内会活動とか民生委員とか、
それこそPTAの役員のなり手がいなくなってしまうので、それはそれで困るのかもしれないが。
教育というのは「親は子のために全精力を注ぐべし、そうでなきゃネグレクト」という
「聖域論」がとかく横行しているが、「PTAをもっと楽にして欲しい」という親のホンネは、
これはモンスターペアレンツじゃなく「真っ当な権利主張」じゃないのか?
というか、「親は子のために全精力を注ぐべし」というイデオロギーが、
「親になるための心理的ハードル」を引き上げ、結果として少子化を進行させている気がする。
以前どこかで
「親というのは土日休みの親だけじゃない。だから火水曜休み、という小学校があってもいい」
と書いたが、そういう主張して区議を目指す、というのもいい。
親が障害を持つ子供の権利を(過剰なまでに)求めるといった類のニュースが語られた時、近年になって定番のように貼られるコピペに、以下のようなものがある。
生まれついて重い障害を負って生まれた息子の為に、親は「サリドマイド児の親の会」を立ち上げて、休日は全て会の活動。
「障害者に理解のある社会=息子の為」との強い信念のもと、息子を連れて積極的にマスコミにも出たり、講演活動も行った。
さらに、息子を普通学級に進学させた。息子は重い障害を負いながらも大学に進学。一時は、マスコミにもてはやされた。
が、大学卒業後、障害を負った息子は何処にも就職できなかった。ここで、息子は生まれて初めて本音をぶっちゃける。
「子供の頃から、人前でさらし者にされて辛かった」「休みの日くらい、家族だけで過ごしたかった。家族だけで遊園地や旅行に行きたかったのに」
「普通学級になんて行きたくなかった。手の無い俺が、普通学級でどれだけ不自由で辛く、孤独だったか。
どれだけ、危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)な思いをしたか!」と、延々と恨み言を言い出した。
で、親が「何で言ってくれなかったんだ!」と反論したら「言ったが、全て“お前のためだ”で済まされた。
一度だけ、同じ障害を持つ子供たちがいる養護学校に行きたいと言ったら“負けるな”と説教された」
「俺みたいな障害を持った子供が、親に見捨てられたら生きていけない。だから、言いなりになっていた」
「お前たちは“俺の為”と言っていたが、結局は自分たちが社会から注目されてチヤホヤされたかったダケだろう。
養護学校に進学した同じ障害を持った連中は、職業訓練を受けて就職して自立しているのに、親の見栄で、普通学級に進学させられた俺は、就職できなかった」
「俺の障害を受け入れてくれない、見栄っぱりな親のせいで、俺の人生はメチャクチャにさせられた!」
結局、息子さんは親に対する恨みつらみの遺書を残して自殺。最後に親御さんは「もっと息子の気持ちを考えてやれば良かった」
「健常児と同じようにする事が、息子の為だと思っていたが、間違いだった」と嘆いていたな。
【サリドマイド児】と冠してしまったことで、(主にサリドマイド禍にあわれた方々が、大卒の年齢に達するのが今から30年程度前であることから※)全体に無理が生じてしまったこと、にもかかわらずドキュメンタリーなどと真実味を付加してしまったことで、決して少なくない数の「嘘を嘘であると見抜けない」方々が、あたかも現実の出来事であるかのように喧伝してしまうことがもったいないほどである。
既に
http://ameblo.jp/rosexxxkasumi/entry-10613422332.html
といった記事で述べられているように、このコピペが真実であると誤解した方々が、出典として挙げる書籍に『青い鳥はいなかった―薬害をめぐる一人の親のモノローグ(飯田 進)』というものがある。
上記のサイトを見ていただければ、このコピペが=『青い鳥はいなかった』著者の息子、伸一氏ではなかったことや、コピペの状況自体に矛盾が生じることは容易に理解出来ると思う。
にもかかわらず、相変わらずコピペ=伸一氏であるとされる方々は一向に減らないし、さらには「俺はこの本を読んだけどこのコピペの内容が書いてあったよ」などとする者もいる。
ここではその誤解をはっきりと解くために、『青い鳥はいなかった』本文からの引用を交えてネット上に残しておきたい。
なお、本来『青い鳥はいなかった』という書籍は伸一氏との関係についてを主たる題材として扱っているわけではないため、これから取り上げる部分がこの本の限定的な一部分からの抜粋になることを付記しておく。
この本を紹介したアマゾンのページである。目次に注目していただきたい。
目次
わが内なる罪
父母の会創設
国際的な連帯を求めて
噴出する矛盾と内部対立
集団訴訟をめぐって
親の止まり木を目指して
裁判有利の展開のかげに
疑惑の根源
裁判の終結
和解の落とし穴
父母の会の解散
息子伸一の死
実際は「わが内なる罪」を序章とした一二章構成になっており、ここに前書きと終章が加わる。
『青い鳥はいなかった』を誤解している方の殆どは、この目次と、飯田進氏がサリドマイド児の親たちを中心にした「子どもたちの未来をひらく父母の会」発起人であり会長であったことのみをもって判断しているのではないかと想像するが、どうだろうか。
「わが内なる罪」で始まり「息子伸一の死」などと締めてあっては、いかにもコピペの親が飯田進氏であるかのように錯覚できるのは否定しない。
しかし実際「わが内なる罪」で語られている進氏の心情はこうだ。
まぎれもなく私は、重大な過ちを犯した。大倉医師の指摘したとおり、私は充分な統計的調査をすることなく、不用意にも息子伸一の誕生が、あたかも「被爆者に奇形児が生まれると、それをすぐに原爆の影響だと考える」思い込みを前提とした投書をしたのであった。(37頁38頁)
たしかに息子がうまれたときには、その障害の原因がサリドマイド系薬品にあったことを知っている者は、だれもいなかった。その罪意識は、それから私の心理と行動に支配的な影響をもたらすことになった。(41頁)
「息子伸一の死」ではより具体的にコピペとの差違を指摘できる。
知人が主催する公益法人に、伸一を就職させたことがある(268頁)
彼は結婚前もその後も、しばしばタイ、インド、ネパール、チベットなどへ旅行をしている。いわゆるバックパッカーである。いくら貧乏旅行とはいえ、それだけの経済的余裕があったのである。(269頁)
いわゆる不審死である(274頁)そして死因は急性肝不全(274頁)
さらに終章では
伸一は母子感染でC型肝肝炎になったのにちがいない。当時の輸血用血液は、アメリカなどからの輸入に頼っていた。その血液には、しばしばC型肝炎のウイルスが混入していたのである。(312頁)
もちろん伸一は、妻が入院中、連日のように病院を訪れている。見る影もなくやせ衰え、苦痛に耐えつつ死んでいった妻の姿を見ている。だから彼は、おのれが直面させられている運命を、知っていたのに違いない。(312頁)
事実上医療をこばみ、緩慢な自死にひとしい成り行きをたどった秘密もまた、そこに潜んでいたのか。なんたることか。(313頁)
『青い鳥はいなかった』で語られるのは父母の会の設立運営や、その後の訴訟に関して「こうするべきだった、こうあるべきだった、でも現実にはそうではなかった」という筆者の悔恨である。そして息子の死が「私が行ってきた行動を、全否定しているかのよう」に感じた筆者が死後の伸一氏へ当てた手紙のようでもある。
飯田氏の行ってきたことを少しでも知ったなら、あのようなコピペの元ネタとして扱うことがいかに礼を失する行為であるかは理解してしかるべきであると思う。
障害をもった親の権利を(過剰なまでに)求める親や、その親を反差別だネグレクトだと叩く行為の是非まで問うつもりはないが、それを叩く材料として上記のコピペを「真実」であるかのように貼り付けたり、『青い鳥はいなかった』と結びつけて語ったとき、その行為は誹謗中傷であり、いいかえればそれこそが”差別”である。
最後に、コピペにある「遺書」と似て非なる伸一氏が「遺した書簡」が、筆者にとって「お前は肝心なところはわかっていてくれたんだな」と言わせる、筆者と伸一氏の間に決定的な断絶があったわあけではないことの証左であるし、また筆者がこの本でいいたかったことの半分程度を言いあらわす例ともなりうるので、全文を引用してこの日記を閉じる。
「サリドマイドの裁判は、親である第三者が闘った裁判であるのが特徴であった。かなり特殊な裁判であると言える。当事者である被害者は、幼児であったからだ。障害者である本人は、自分の被害をほとんど知らぬままに保証金をもらって和解したのが、サリドマイド裁判の実態であると言って差し支えないであろう。その裁判においてサリドマイド以外の障害者については、何もしなかったのも事実だ」(中略)[注、本文ママ]
「つまりサリドマイド裁判は薬害と言いながら、サリドマイド障害者の救済しかしなかったし、一緒に闘ったはずのサリドマイドとは認定されなかった他の障害者の救済は何もしなかった。いまだにその認識は、サリドマイド障害者にはほとんどない。」(290頁)
※に関する追記
サリドマイド禍はその時期がそれほど広範ではなく、「サリドマイド禍にあわれた方々」が大学を卒業する時期もある程度類推が可能である。コピペの記述などから考えても、「30年前」という時期をそれほど外してはいないと思う。
30年前といえば、時はバブル前夜。「大卒」という肩書きが十二分に武器となった時代。今とは違い、大卒で「就職できない」という事態はそれなりにレアケースである。「親の活動そのもの」が反社会的とされ、企業に嫌われた可能性もないではないが、コピペの記述からはどうもそんな雰囲気ではない。少なくとも、職業訓練よりは大卒の肩書きのほうがはるかに就職に有利であった時代に「普通学級で大学にいかされたせいで」就職できない、という記述には矛盾が生じている。
コピペに「危険で屈辱的(同級生による排泄介護等)」という記述があることから、その障害が日常生活や就業に支障をもたらすものであった場合は上記の限りではないが、そうであった場合、時はバリアフリーのバの字もなかった時代である。そういう時代に重度障害者が大学に通い、卒業する、ということがどれだけ大きな事態であったことか。それこそ大学始まって以来というレベルの出来事である。本人の確固たる意志に、親をはじめ、周囲の身を削るような協力があっても難しいような行為。にもかかわらず、本人に大学に行きたい、卒業したいという意志はかけらもなく、親も見栄が先行しているのを子供に見透かされるような程度の熱の入れようなのだそうだ。ここにもやはり矛盾がある
うちの場合
同棲から結婚した専業サラリーマン(30前半年収700万)と専業主婦、子供1人(5歳)は
結婚する前に
・子供ができたら朝食夕食を強制し、夕食は月に20日以上調理したモノを提供
という条件を出した。
・収入の問題で嫁がパートに出る必要が出た場合は、その分は家事を嫁の指示の元行う
・合理的な理由なく、これらの条件が破綻した場合、離婚することが可能
という条件にした。
こういう条件にしたのは
1.同棲中に共働きしてて隔週で家事を分担したら、その方針で喧嘩に何度かなった(調理手順、食器洗いの仕方、雑さなど)
2.労働時間が同じなのに、嫁と年収がどんどん離れて行って途中でダブルスコアとなり、逆に家事は嫁の方が最初から最後までうまかった。
3.子供の食生活についてリサーチした時の結果を見て衝撃を受けた。(給食以外、スナック菓子で済ます子供など)
今のところうまくいってる
ぶっちゃけ、どんな女でもこの条件をのめない女とは結婚するなら
負債を抱えるだけだから人生のパートナーとして必要ないと思ってる。
夫婦はパートナーである以上、相互互助関係が確立されないなら単なる寄生虫だろ。
http://anond.hatelabo.jp/20101229031540 について
それがこれまでの既婚女性が築いてきた評価だから。私は違いますと言われても会社だってリスクは背負いたくない。
旦那がいるならもう生活も安定。昇進させる必要もないだろうという目線で見られ、自然とキャリア構築のコースから外されていくことがある。
苗字を変えることからくるアイデンティティの問題。仕事上、旧姓を通称で使える職場もすっかり増えたが、例えば幼い頃からずっと苗字からくるニックネームで友人に呼ばれてきたような場合、苗字を変えることが自分が自分でなくなる感覚に繋がることがある。
「上記のような問題(人によっては他にもいろいろあるだろう)に直面させられ、苦しむ場合があるのだ」
「「既婚女性」になることによる、社会の壁に苦しんでいるのだ。」とありますが、
結婚を嫌がる男性の心情も既婚男性の苦しみも少しは理解してあげてくださいね。
http://b.hatena.ne.jp/entry/anond.hatelabo.jp/20101229031540 へ。
nannimonai リストラの時「ご主人がいらっしゃる方」「ご両親と同居の方」は「食べさせて貰える」のだから辞めてほしいと言っていた。病気で働けない両親と同居の人もいるのにな。夫がいることで諸手当が無くなったりもする。
ぶっちゃけ要らない人を辞めさせることができれば理由は何でもいいので。
未婚女性が退職を余儀なくされて所得の糧がないから夜の商売に行くケースと比べると、
やっぱり生活保障の意味で結婚はしておいたほうがいいでしょう。
reirei 仕事, 人生, 日本, 社会, 生活, 結婚, 女性, 増田 専業主婦より働く女性が多い世の中だけど、なかなか管理職オジサン連中の意識って変わらないものなんですね…。正直、子供は働く女性の足枷になりますしね…。
足枷と思うなら出産しないほうがいいです。子供をどこかに預けたり、ネグレクトできないなら仕事辞めた方がいい。
管理職オジサン連中は女性だけじゃなく男性のことも嘱託で雇った高齢者のことも関係会社のこともまとめて面倒見ないといけないので。
小さい子どもの育児と仕事の両立が問題なく出来てる女性は育児休暇など設けられない中小企業では殆どおらず、
負担が増えすぎて千切れそうなゴムのような状態になってる女性を目にする事があります。
ご存知の通り、全企業数のうち中小企業が占める割合は99.7%です。
http://www.chusho.meti.go.jp/faq/faq26.html
全体像を見て、他の利害関係者とのバランスとご自身の有限なエネルギーをどこに分配するかという考え方をしていただきたい。
あれもしたいこれもしたい、できないのは社会のせい、と言われて付き合ってられるほど余裕がありません。
Exactly.
全体の事を考えた意見が言える賢い女性ほど寿退社。私が私がとミーイズムの権化なタイプほど会社で不良債権化。
http://twitter.com/pukuma/status/20666557940105216
いや、言ってることは正しい。皆、言葉だけ先走ってて生の人間が見えていない。
水泳が得意な人も短距離走が得意な人も全員野球をやれ!って言ってるのが今の男女平等だから。
「わたしがかんがえただんじょびょうどう」のアピール大会に意気揚々と参加する痛い女に
何でそんな考え方をするようになったのか突っ込んで聞いたら
職業人として貴賎はないんじゃない?
本人が堂々とそう思ってるなら。
でもはてなには確か自分でキャバ嬢やりながらキャバクラに来る男を批判したり憎んだりしてるキチ○がいた気がする。
ああいうのはキ○フェミとしか言いようがない。
「うちの店にも小さい子を家に残して深夜まで飲んでる男が大勢いる(キリッ)」って言いながら出てきて
「おいおい、通報しなさいよ」「知っててやってるなら店も共犯でしょう」「客怖いならこっちで通報してあげます」「店どこ」
なんて声が殺到したら
ゴニョゴニョ誤魔化しながら逃走してた。
男を叩きたいから持ち出しただけの話であって
20才を越えた大人と久しぶりにあった
遅刻してきた
小学生のころと同じ服を着てきた
最近はどうだったか聞くと、自分をなだめてた(精神的な意味で)といった
子供のころに親にされたひどいことをあげて親が悪いといった
嫌がらせされてその八つ当たりを関係ない人にしたという話を淡々と語る
友達がどんどん離れたけど戻ってきて嬉しいそうだ、よかったね
また誘ってと言われたけど誘わない。
まともな人だと思ってたがなんかネジがとんだようだった
確かにその人の親はネグレクトしてたりひどい親だ
でも大人になると“親のせい”は通用しない。元は親のせいでもそれを解決できない自分のせいの割合がどんどん高くなる
いじめもそう。今現在のいじめならともかく、昔のいじめはつらくても自分で折り合いつけなくちゃならないんだ
関係ない人に八つ当たりしたのは分かったけど、それは君をいじめた人とある意味で同じなのだよね
そういうの黙っておけばいいのに
こういうのって元は環境と運が悪かったのだと思うけど、スタートで差があっても年をとるとともに本人のせいって思う
だれでも嫌な目にあってるとかつらいめにあってる、とかは嘘だ。
成功した人は、こんなひどい環境から頑張ったって賞賛される。
でも理不尽な話だけど失敗した人はお前が駄目だった話になる。
「休む」というのは、いちいち目標設定しなくても安心して過ごせる
(ご飯と清潔な寝床の心配をしなくていい)状態に身を置くことで、
そういう甘えさせてくれる居場所があることが重要。
ちゃんと認識してる人は少ないのかな。
生まれながらそれが無い日本人も居るんだ。
屋根があって服があってご飯があるから外見はそう見えないけれども
ネグレクトってやつは心の安全が無い状態とも言える。
誰か人に甘えてみたいよー
大人だから無理ですが。
人がそばに居て、あまたをちゃんとなでてくれて
「私(僕)が居るから安心してお休み」といってくれる空間が欲しい
目が覚めたら一人ぼっち
起きたときお母さんが居なくて、そしてずっと居ないそれを何度も何度も思い知らされた幼少の朝を思い出す
朝起きるととたんにこいつを思い出して空しくなる