はてなキーワード: 箸にも棒にもかからないとは
トラバ先のはてブで立候補者数にそもそも男女差があるって言われていて、それは確かにそうなんだけど、
だからこそ数少ない女性候補者達は本来圧倒的に有利で全員当選してもおかしくないはずなんだよね。
だって1つの小選挙区に女性が複数立候補することはほとんどないから、
女性候補は女性の支持を集めるだけで過半数楽々ゲットなのに対して、他の男性候補者達は票の奪い合いをしなければいけないんだから。
でも、そうはならない。実際は女性候補の当選率はせいぜい数十パーセントくらい。
箸にも棒にもかからないような泡沫候補ならまだしも、
進次郎「私のことを箸にも棒にもかからないって増田さんは言いますけどね、箸も棒も木を伐採して作ってるんですよ!環境破壊だと思いませんか?」
現ジャンルに参入して、2ヶ月が経とうとしている。
小さいジャンルだからフォロワーは少ないけど、以前のジャンルより絵の感想をいっぱいもらえるし、いいねもRTもしてもらえる。
調子が良ければ、1日2枚は簡単なイラストを描けるし、どんなに空いても2・3日に1枚はコンスタントにアップしてる。
自称落書きだけどフルカラーだし、とても他人には落書きに見えないらしい。
キャラクターがかっこいいとか可愛いとか言ってもらえると、嬉しい。
学生だろうと、みんな一所懸命絵を描いて色を塗って、作品をアップしてる。
スマホで描いてるのかな。
私はiPad Proだから、指でちまちま描くという苦労が理解できるには程遠い。
ポケモンGOがサービス開始した頃、ボールを投げすぎて人差し指が痛くなってしまったのを思い出した。
あんな感じ。
いいねだけつけてくれる人、
ずっと見ていたけど、恥ずかしくてなかなかコメント出来なかったから、ようやく感想を送れた、と言ってくれた人もいた。
いろんな人がいて、対立してる人もいないし、心地いいなと思った。
恥ずかしくて感想が送れなかったなんて私に言ってくれる人、本当にいたんだと思った。
私も、以前にいたジャンルでずっと閲覧していた人がいた。
見ていたけど、BL表現は苦手で、顔をしかめる表現も多かった。
でも、その人はとにかく毎日のように、日記に添える簡単なカットを描いてはアップしていた。
すらすらと描いているみたいに感じて、
数年前のイラストよりもだんだん上手くなっているのが一目瞭然だった。
至ってシンプルなのだけど、男の子が華奢で小綺麗で可憐だった。
ちょっと間の抜けた表情のイラストは、本人が何か思い立った時くらいしか見たことがない。
ギャグみたいな豊かな表情は苦手らしい。
多分、その人は、私にとって神絵師だった。
アナログ線画デジタル塗りのその人は、つけペンの線一本一本が綺麗だった。
同人誌を買いに行ったけど、一般向けのものを2・3冊しか買えなかった。
他はBL色が濃くて、どうにも買う気になれなかった。
少ない同人誌を何回も見返して、
と思った。
「この人の作風は、こんなにスカスカでも物語が成立してうらやましいな、1ページのペン入れにかかる時間は30分か1時間だろうか」
と思った。
結局はBL作家も、少女漫画のようなモノローグの多いコマ割りを好むんだと思った。
対する自分はどうだろう。
あの人に比べたら、キャラだけでも6倍は描いていると思う。
少しでも緻密さをあの人に近づきたいから、
あの人みたいに、描写をシンプルに出来るところは少しでもないか、描き込みとデフォルメの間でずっと悩んでいた。
多分小綺麗な絵柄に寄せていけば、今までBL本目当てで買っていた人も、私の同人誌を目に留めてくれるかもしれない。
そんなことを暴露しても、誰が気付くだろうか。
漫画が上達するのは、アマチュアであろうと漫画家の当然であり義務みたいなものか。
原作は、絵柄が独特だった。
みんな大体、二次創作でも原作の絵柄に忠実に描く人が多かった。
その人は、どうにも原作に寄せ切ることは出来ないらしい。
心ばかりの原作に寄せた顔のパーツはあったけど、
それでも、サークルの前に足を止めて同人誌を買っていく人は多かった。
50冊くらい売れたのか、早々に切り上げて14時頃にはいつも撤収していた。
でも、私にだって私の絵柄がある。
自分の絵柄で物語が描けたら、こんなストレスを感じなくていいしどんなに気楽だろう。
あの人みたいに、自分の絵柄を尊重して、最初から原作に似せずに描く方法もあったか。
色んな後悔が押し寄せる。
不満はどんどん溜まっていった。
ある時、新刊用に書いていたシナリオと、別の同人作家の新刊告知とが
「ネタ被りした」気がした。
かなり長いこと悩んだ結果、
と割り切って、描き切ることにした。
作品は無事仕上がったし、パクリを疑われるようなこともなかった。
私がこの作品の二次創作をするために書いたシナリオは、きちんと私が原作を考察して書き上げたものに間違いなかった。
ある時、別のジャンルにハマった。
まったく別のベクトルのセンスを求められるファンアートを描く必要があった。
しかもそこには、プロの漫画家もファンアートを投稿しているらしい。
ここも小さいジャンルなのに、友達になれたら、イラストをお互いに描き合ったり出来て楽しそう。
私は、箸にも棒にもかからない。
またたく間に飛ぶように売れた。
次の日、友達になってくれた子が、サークルに私の本を数冊置いてくれた。
「いない間に飛ぶように売れて、完売しちゃったらどうしようかと思った」
と言われた。
あの人もまた、新しい作品と巡り逢って、サイトを閉じて、名前も変えて、別ジャンルの同人誌をせっせと描き始めた。
現在、私は新型感染症のとばっちりで、コミケに参加できていない。
でも、今いるジャンルはもうたくさんの同人誌を描き上げたし、あの飛ぶように同人誌が売れた時代も一瞬で終わった。
ファンは見切りをつけるのがとても早い。
そんな風に、ファンと購買層を分けて考えられる余裕があるのは、二次創作にあまりに慣れすぎたせいか。
私は筆が速いので、ファンアートを描き上げるのもあっという間になってしまった。
あの人に憧れて、もっと上手にとか、もっと速くとか思い悩むことも今はない。
自分の思い通りの品質で絵が描けるようになったから、あとは何枚もイラストを描いて、何人も私の作品に目を留めてくれたらいい。
絵が上手だと思われているかもしれない。
可愛いとか、かっこいいとか、思ってもらえてるかもしれない。
「原作の絵柄」なんて前提も取り払われたので、私は現在、無敵状態だ。
その中で、私は感じた。
誰か私に憧れているのだろうか。
私の絵を見て悔しいと思っているだろうか。
自分の執筆の手が止まってしまうくらい、私に嫉妬しているだろうか。
そう考えたら、私はあの人のことを思い出した。
あの人は、あの時の私にとって神絵師だった。
どんな気持ちで日々絵を描いているのか、
よく澄ました感じで絵を描き続けられるものだと悔しくもなった。
だって、自分はここまで憧れて悔しくて苦しんで、原作と自分の絵柄との間に苦しんで、逃げるようにジャンルからいなくなったのに。
苦しんでいる私を、神絵師は知らない。
知恵熱を出そうが、ガリガリに痩せようが、神絵師はそんなことをいちいち聞かされないんだもの。
今の私は、誰かから「よく澄ました感じで絵を描き続けられるものだ」と思われているのだろうか。
あれほど苦しんだことを度々思い返しながら、
私は今日も黙々と絵を描き続けている。
誰の苦しみもいちいち聞かされないから。
>応援してる政党に投票しても箸にも棒にもかからない感じ
選挙ボランティアとか議員さんのために出来ることは沢山あるのに投票だけして「応援してた政党が通らなかった!」ってアホちゃうか
なんとなくうまくいかないような気がしてたし、テレビなんかがオリンピック一色になるであろうことが嫌だった
そんで、暑さ問題とか競技場問題が出てきたところで、もうマジでやめてくれよという気分になっていて、コロナでトドメだ
マジでやるの?っていうのが正直な感想で、7月頭くらいまではなんやかんや中止になるだろうと思ってたくらいだ
まわりの人がみんなオリンピックに肯定的で、やるぞやるぞ!楽しみー!って雰囲気だったんなら、まあ俺が異常なんだろうと思ってそれなりに流せてたと思うんだけど、今回違うんだよな
少なくとも、今年の5月以降くらいでオリンピックの話題が出た時、ただ楽しみだなんて言ってる人はいなかった
中止にしろとまではいかずとも、延期はしたほうがいいっすよねえ、って雰囲気だった
なのにやってんだよなあ!!
俺なんて、地方在住だし、オリンピック誘致に関してはマジでなんの責任もねえ
しかも、たぶん、その東京の人たちですら、そんなにガッツリやりたかった層は少なそう 開催都市決定前の選挙、主要候補は全員誘致前提だったって話も聞くしな
なんか、こう、なんていうんですかね
参加すらしてない選挙でデカい話が決まって、応援してる政党に投票しても箸にも棒にもかからない感じで、全然歓迎したくないクソみたいなイベントが国民的行事みたいな雰囲気で挙行される
俺、この国に参加してる感じがしねえよ
なんなんじゃこりゃあ!
SFが好きなので妄想が激しい(SFマニアは皆そう)。妄想が興じてそれをネットに書くようになった。絵が描けないので文章で。
設定はすぐに思いつく。監視社会、第三次世界大戦で荒廃して…100万回擦られた設定だがその分磨き上げられていて、捗る。
よーしお気に入りのディストピアができたぞ、さぁ主人公は…うーんどうしよう。どんな奴?管理社会に組み込まれてて、なんかの偶然で自由意志を持って…100万回聞いたことあるけどいいか。
で、そいつはどこで何すんの?と言われると筆が止まる(実際にはスマホポチポチしてた指が止まっている)。人が動かせね〜。他人の感情なんか知らね〜。SFの世界になんか行ったことないからなんも分かんね〜。ずっと建物とか機械とか仕組みの説明文を、貧民街に少しだけ残っている自然や自由と対比しながら並べてぇ〜。
あ~やっぱ俺、サイコパスだからなぁw○○ラーと同じで建物とか無機質なものしか描けねぇっすwと思ってサイコパス診断受けたら箸にも棒にもかからない30点くらいだった。逆に0点とかなら偽装型のサイコパスっぽくてカッコいいんだけど…
https://comic-days.com/episode/3269754496332558422
別段書くこともないような薄い漫画かな、と読後は思ったけど、よくよく考えてみると案外深いかもしれないと思い直し、ブコメじゃ書ききれないから増田に書く
内容は、まずは増田読むより上のリンクから漫画読んできて欲しい
読んだか?
読んだな?
よし、書こう
高校の仲良かった同級生の男の子をずっと思い続けていたが、再会したら彼は女になっていた
再会後、女の子の彼と仲良くなってきていたが、主人公は彼を思ったまま踏み出せず
というプロット
が、物語のプロットからトランスジェンダー要素を省くと途端に箸にも棒にもかからない漫画となる
シス版で書き直すとこうだ
高校の仲良かった同級生の男の子をずっと思い続けていたが、再会した
再会後、彼と仲良くなってきていたが、主人公は彼を思ったまま踏み出せず
どうだろうか
「なんだよ、LGBT要素をスパイスとしてまぶしておけば、なんでもないクソストーリーも斬新と言われるとでも思ったか?」が、読後すぐの感想だった
「あなたが男性だから好きになったのではない」が作中で語られる重要なセリフだが、作者自身は、登場人物のトランスの生まれもった性が男だから漫画にしたわけでしょう、と思うと、マイノリティを自然に扱うようでいて、最も性別にこだわったのは作者だ
性別が変われば漫画として成立しないのに、性別は関係ないと主張するのは矛盾だ、と最初は考えた
だが、それこそが狙いなのではないか、という考えが次第にわいてきた
我々人間は、生き物として生まれてきた以上、自分の身体性を捨て去ることはできない
彼女は恋愛対象に性別を重要視しないとしても、彼女自身は女性の体を持っている
彼は自分の性別を表面上変えることができたとしても、彼は恋愛対象に男性の身体性を求めている
つまり、LGBTの人はいわゆるノーマルの人に比べれば性による区分が緩いように思われがちだが、実は誰もがガチガチに性に縛られている、という表現なのではないか?
他者の性、自己の性のふたつがあり、それぞれ、気になる・気にならない・気にした上で異なる性が相応しいと考える、の計9パターンがあり得るし、さらに他者が無限にいる以上、自分が性的に見られることから解放されることはない
他者から性的に見られることからの解放が、彼が高校卒業後にしたような人間関係の断絶である
それ以降の彼に現れたふたつの人間関係(主人公と思い人の店長)はどちらも性的なものなので、これは人と関わる以上、性の要素は排除できない描写だろう
冒頭の飲み会のシーンで彼女の恋愛関係について尋ねる場面も、他者から自分が性的にどう見られているかの表明であり、自己の性認識を答えさせる強要でもある
いくら自分が他者の性から解放されていたとしても、自分が人間の体で生きている以上、他者から見える性での評価から逃れることはない
また、ラストで彼の性的対象に悲しむことになった彼女も、彼から自己の性を称賛されることで自尊心を満たされており、彼女は自己の性に大きなアイデンティティを持っていることから、彼女は自己の性に疑いは持っていないこともわかる
つまり、LGBT運動でただただ容認こそが正しい、のような浅い風潮に一石投じようとしたのではないか?
どうやったって切り捨てられない性への苦しみこそが本来描きたかったものではないか?
と思ったら評価が上がってきた
女流棋士って男女混合で争わせると弱すぎて箸にも棒にもかからないレベルだから救済措置として分けているんでしょ
注:タイトル・本文における機会損失はビジネス用語においての意味ではなく、本来得られるはずの機会を失ったことという意味合いで使っています。(ご指摘があったので)
"人生における機会損失って大きいんだよね。コロナ禍に人生のターニングポイントが(たまたま)来ちゃった人に対して「みんな自粛してるから」って言っても公平じゃないよ。"
https://twitter.com/chiku0520/status/1348604137311596544?s=21
いろいろと思うところがありました。
実は私は、ミュージカル女優を目指す20代前半女性。コロナが流行る少し前に上京してきました。
そんな、「コロナ禍において人生のターニングポイントがたまたま来ちゃった」私から、若者の「人生における機会損失」について、考えたことをお話ししたいと思います。
★前半はミュージカルに関する内容も多いので、一般的な主張だけ読みたい方は真ん中あたりまでとばしてください。
【1番大変だし優先すべきは医療現場、自粛に協力しなければいけないということは頭では理解しているし、実際に、行政に求められている水準に基づいて自粛はしている。ということを念頭に読んでいただくようお願いいたします。】
上京した頃は、まさかこんな世の中になるとは想像していませんでした。そして、コロナが流行り出した当初は、こんなにも長引くものだとは思ってもいませんでした。
去年1年で舞台に立てたのは、コロナが流行る前の1本だけ。出演予定だったライブ、コンサート、ミュージカルは続々と延期・中止が決まり、オーディションもリモートになったりなくなったり、残念な一年でした。
数年後、コロナが収束して、舞台も芸術も元通りになったころに頑張ればいいじゃん!と思われるかもしれません。
経験を積めずに歳だけとってしまった俳優に、市場価値はありません。
新人を起用するなら新しく台頭してきた若い世代を使うでしょう。
本来だったらチャンスを掴む機会があったかもしれない、貴重な経験をたくさん積めたかもしれない大切な期間は、コロナによって空白になってしまいました。
自己犠牲払って自粛に協力して、コロナが収まったとしても、コロナ禍で若い時代を過ごした私達に、損失した何かを補填してくれるわけじゃないですよね。
むしろ、社会が動き出した頃には、もとに戻ったー!!よかったーー!!と言う雰囲気にのまれて、コロナの影に隠れていろんな人の人生の選択肢が消えていったことなんて忘れられると思う。
マイナスからのスタートを強いられるのに、配慮も補償も当然ありません。
つまり、「コロナのせいで」たくさんの犠牲を払ったとしても、社会からは、実質的に「コロナのせいにするな」という扱いを受けるということです。
そして、そんな人生を、自分の力でどうにかしていかなければなりません。
感情だけでしゃべると、「自分のことしか考えてない」「共感性、想像力がない」迷惑な若者っていうけど、感染拡大防止のためにわたしの人生を犠牲にしたとしても、だれも責任とってくれないでしょ?っていうところです。極論かもしれませんが。
どんなに辛いことがあっても、「仕方ない」「我慢するしかない」で済まされてしまうことに疲れました。そして、世の中にはもっと大変な人がいるんだから!みんな大変なんだから!と、贅沢な悩み扱いされることにも疲れました。
非常時だから、権利なんか主張しちゃいけない!って、まるで戦時中みたいだと思ってしまいます(政治的イデオロギーに基づいた発言ではないです)。
国としてホイホイ補償できるわけではないのも分かるし、そもそも、機会損失はお金で解決できるようなことではありません。
せめて、今、自分のことは自分で責任とれるように考えさせてほしい、行動させてほしいというのが正直な願いです。
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もし、投稿をご覧になった俳優の先輩方がいらっしゃいましたら、こんなことを思われるかもしれません。
・俳優という道を選んだ以上、どんなことがおこっても動揺しない覚悟ができていないのが悪い
→全くその通りです。その点については私の考えが甘かったです。申し訳ございません。
・そんな年齢で諦めていたらどうせ大成しない
→ごもっともです。どんなに売れなくても、お芝居をやりたいと言う気持ちがある限り、頑張るつもりでいます。しかし、上京1年目にこのような状況になったことはとても苦しかったし、20代前半の大切な1年がほぼ空白になってしまったのは大きな損失であると考えています。
・コロナ禍でもできることはたくさんあったはず。その過ごし方次第で人生は変えられる。
→まさにその通りだと思います。私も、自分で歌動画を配信したり、複数人での配信企画に積極的に参加したり、オンラインレッスンを受けたり、取り組めることはたくさんありました。しかし、コロナがなかった場合と同程度のものを得られたかというと、そうは思えません。
・コロナがなかったとしてもチャンス掴めてたか分からないようなレベルのやつが、コロナのせいにしてごちゃごちゃ言うな
→実際に私は商業の作品には出演したことがないですし、箸にも棒にもかからないやつかもしれません。しかし、チャンスがあった上でダメだったのと、チャンスすらなかったのでは、意味が大きく違うと考えています。
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最後まで読んでくださった方、ありがとうございました。わたしの考えも、未熟なところが多々あると自覚しておりますので、賛否両論あると思います。お叱りの声でもなんでも甘んじて受け入れますので、是非コメント頂けると嬉しいです。
追記:
厳しいコメントをくださった方も、温かいコメントをくださった方もありがとうございます。ひとつひとつ目を通させていただきました。若者の甘ったれたお気持ち表明にこんなにも反響を頂けて涙目です( ; ; )
本当はひとつひとつのご意見に返信させていただきたいのですが、難しそうです、申し訳ありません。
私はここに投稿するのが初めてで、普段から見ているわけでもないのですが、匿名で、自分の感じていることを何か発信できないかと思い、この場を選びました。
そのため、この場における文化などを理解しておらず、不快な思いをさせてしまい申し訳ありませんでした。ハッシュタグは削除し、ご指摘があった表現に関しては訂正しました。転載ではありません。
また、今回は、コロナ禍における若者という自分の立場から、当事者性をもった発信ができればと考えておりました。わたしが今回主張したような世の中の変容による理不尽は、コメントしていただいた通り、過去にもあったことは十分存じています(就職氷河期、震災、豪雨による災害など)。また、若者だけが辛い思いをしているわけではないということも理解しています。しかし、それらの事実によって、私の主張は妨げられないと考えています。
昔はこうだったから今も我慢しろ。みんな辛いんだからお前も我慢しろ。という足の引っ張り合いでは世の中は良くならないと思いますし、みんなで不幸になるだけです。コロナで辛い思いをしている人はたくさんいるはずなんだから、むしろ、多様な立場から多様な主張がなされるべきです。私もいろんな方の置かれている状況について、詳細に理解しているわけではありません。今回は、わたしの立場から、コロナ禍の若者がどのような状況に置かれているのか、どのような想いを抱いているのかについて、異なる層の方にも知っていただきく、書かせていただきました。もちろん、わたしの意見が若者の代表というわけではないですし、一個人として感じていることにすぎませんが。どうにもならないことだったとしても、せめて、想いを発信することは許されるべきだと考えています。
また、従来の天災や金融危機と異なる点としては、新型コロナウィルスそのものによる影響というより、新型コロナウィルスへの向き合い方(感染対策に関する政策・世間の風潮等)による影響が及ぼす力が非常に大きいと言う点です。よって、従来の場合よりも、柔軟に対応できる幅は大きいのではないかと考えています。
今回の件に関しては補償や配慮を求めても仕方ないのは分かっているので、せめて、根拠に基づいた工夫がなされた感染対策が行われ、少しでも生活の安心感が向上し、世の中が寛容になることによって、若者が自己決定できる幅や行動を起こせる幅が広がればいいなと思います。
また、「YouTubeや SNSなど、ネット上に活動の場がある時代においてこんなことを言っているのは甘えである。」というご意見もいただきました。これについては非常に難しい点で、皆さんが想像する以上に、インパクトがあってクオリティの高いものを、役者個人の予算、技術力で作ることは困難です。
昨年の緊急事態宣言以降、役者もアーティストも、皆が、いまできること、自分にできることをやろう!と、多くの発信をするあまり、ネットメディア上の芸術は飽和状態となりました。リモートで歌ってみた・踊ってみた、インスタライブ、配信アプリによる配信、等々…。対して、今お客様の口からきかれるのは、「生のエンターテイメント」「生の芸術」を感じたい、映像配信は代替にはならない。ということです。このような状況で、高い評価を得る作品を残すには、相当なクオリティを必要とされます。実際に、本当に自己満にすぎないものや、応援しているファンの方がみて満足する程度にとどまるものがほとんどで、第三者の立場から見たら、無価値なものが多いです。
また、舞台俳優はアイドルと違い、自身の存在そのものに対する価値があるというよりも、役者がもつ持つ技に価値を置かれている場合の方が多いです。よって、お客様の立場からすると、「この人のためならなんでもみる!!」っていうようなもんでもないので、当然、要求されるクオリティは上がります。
わたしが客観的にみて、価値があると思えたもので、かつ素人が出演者の大多数を占めている公式の企画でないものの1つである作品のリンクを貼っておきますが、この規模の作品を個々人で作るのは不可能だと思います。
(西野さんアレルギーらしき方にコメントされたので一応…笑。この作品はとあるダンスラボ主宰で制作されたもので、プペルの本家スタッフや西野さんの息のかかったものではありません。風評被害を避けるためにも書いておきます。また、私は西野さんファンでもなんでもありません。ただ、この作品が、「原作の世界をダンスを用いて表現し、映像作品としても高いクオリティでアウトプットしている」という点で、優れていると思ったこと、また、原作が映画なので、どのようなものが原作となっているのかという雰囲気は一般の方にも分かりやすいと思ったことから、例に挙げさせていただきました。)
しかし、ネットメディアにおける芸術表現が飽和状態となっている中、芸術価値のあるものを発信し、インパクトを残すには、これくらいのクオリティが必要だと思います。
これは、自分が動画の配信などに挑戦した上で感じたこと、周りの役者達の活動を見ていて感じたこと、また、SNSで見受けられるお客様の意見を見ていて感じたことを含め、総合的に検討した結果です。逃げていると捉えられるかもしれませんが、事実でもあります。
こんなに愚痴っといてなんですが、筆者は出来る限り前向きに、今できることを一生懸命考えて活動中です!価値だなんだに関わらず、できることをやるしか道はないので、なんとかもがいています。あきらめたくはないですから!!(まあ、人生そんなもんと諦めて別の幸せを探して生きた方がいいのかもしれないけど…笑)
このお話は駆け出し底辺女優のわたし個人の意見ではありますが、CAを目指していたけど採用がなかった人、テーマパークダンサーを目指していたけどオーディション自体がなかった人、コロナで就職しようと思っていた業界が潰れ、進路変更をせざるを得なくなり、就活がうまくいかなかった人…同じおもいをしている人が、もしかしたら、あなたの周りにもいるかもしれません。そんな、コロナによって人生の選択が大きく変わってしまった人や、コロナによって状況が変わって苦しんでいる人がいたら、温かく応援してあげてほしいです!
ありがとうございました!
1月に入ってから1週間以上が過ぎもう成人の日の連休中だが昨年自分が書いた増田の中で気になったものをまとめておきたい。
僕は他人に自分の話を聞いてもらいたくて増田を書くことが多い。
聞いてもらいたいといっても大層な主張ではなくてくだらない話が常だ。
しかしくだらない話題であっても小難しく単純明快とはいかなかったり重箱の隅をつつくような珍妙な話題だったりで、雑談の中に織り込むのは憚られるような自論や疑問である。
そういう特定の人間には面白いかもしれないが一般的な感覚ではつまらない話を増田に投下している。そして何らかの反応があることを期待している。
ブクマカやトラバ増田は玉石混淆だが、たまに自分では思いつかない気づきがあってそういうことは強く印象に残る。
そして傲慢といえばそうかもしれないが期待したものの全く箸にも棒にもかからないことも当然多い。
印象深い増田も惜しい気持ちがある増田も毎年溢れるほどあるが、読み返して募った気持ちを供養したいので、この場を借りて列挙し読み返して思ったことを書き連ねておく。
いわゆる腐女子長文にぶらさげたトラバ。当時はけっこうウケると思った。その気持ちが寒い。
"前田建設ファンタジー営業部という映画がオススメ "(https://anond.hatelabo.jp/20200213214854)という増田に下げたトラバ。
まごうことなきクソリプ。のちのち有名になるがあの豪邸の大部分はCGという事実を省みるとアイロニカルな気持ちになる。
いまでも何してんだって思うよ。
ものすごーく湾曲的に現在連載中の作品Mを揶揄してるんだけど、書いてあることが馬鹿すぎて誰にも相手にされなかった。
「筋トレで自己肯定感が上がる」とかいうの、結局自己満足じゃないですか。ある程度絞れた体見て主観で「オレスゴイ」って言ってるわけで、それができる奴はもともと自己肯定感高いはずなんですよね。
俺からすれば漫画のキャラになりきって周りにお構いなく生活してるのと変わらない気がする。自分がそうだと信じて憚らない人いるでしょ?右手に邪神が宿った奴とかヒーローとか魔法少女とか猫の化身とか…
そういう痛い奴、中二病、精神病者たちとどう違うんだってどうしても考えちゃう。
多分、自分のフィジカルを客観的に評価する視点があればトレーニングも尊敬できるんだと思う。明確な数値目標があったり試合とか大会とか結果が問われる環境に身を置いたり。
実際に俺はボディビルダーとかすげえなって思ってるし、オリンピックとかも存在意義はあると思うタイプ。
でも筋トレで精神面がー生活の質がーとか言い出す人ってだいたいはちょっとランニングしたりストレッチしたりって程度でしょ?個人でやる分にはいいけどそれをアピールしたり人に勧めたりされると鬱陶しい限りで、それでお前より人間が出来てるって調子でマウント取り始めたときなんてもう耐えられないね。
暇つぶしで体動かしてるって次元じゃなくて、意義のあって何らかを生み出すレベルに達してる筋トレって絶対何かが犠牲になってると思うんだよね。
それに費やした金銭や時間を別に回せばあり得た未来を惜しんだり、鍛えすぎて却って体に負荷がかかったり精神的に追い詰められたり。
そんなこと考えずお気楽にやってる程度なら、ラーメン味わったりゲームしてケタケタ笑ってんのと何が違うんだろう。
やってほしくないとかやるのはおかしいとか思わないけど所詮個人の趣味なんだから、正義面したり他人からの賛美や協調を無理強いしたりは辞めてほしい。だまって粛々とやっててほしい。
今のアイコンになってからちょっと苦手になったのって俺だけかな。
純粋にWikipedia見てて気になった。和泉元彌ってみんなにとってどういう人だったの?
あらすじ紹介系Youtuber
語り口調がなんかやらかしてるな。2か月くらいまえにネットニュースとかでこの話題ちょっとバズってて、やっぱりみんなそう思ってたんだってちょっとホッとした。
言いたいことが元増田の内容と少しずれてたり、ブクマカ受けを意識して変に煽り口調や極端な断言をしたせいでやや支離滅裂になってしまった。
要は「カラオケの精密採点で競い合うバラエティ番組みたいな評価軸が海外の文化にはなくて、それよりもアドリブで尺を埋めたり即座にハモったりする様な表現力が評価される」
「これがオリジナリティでもあるけどJ-popはコード進行に対する拘りが強すぎて曲に拡張性がない。今は二次創作的なリミックスでヒットを広げる時代で、その都合上全世界的にポップスがアレンジしやすいループミュージック主体に変わってきてて日本もいずれそういう流れになるかも」
「『メロディを考えること=作曲』『メロディを考えてからアレンジャーが細部を考える』という認識が変わってきてて、ビート(バックトラック)ありきでメロディを考えるというヒップホップのやり方で他ジャンルの歌ものも制作されるようになってきてる」
ってことが書きたかった。
反対にお洒落のつもりでMegan thee stallionの下ネタな曲流してる服屋とか見かけるとちょっと笑っちゃう。
Megan thee stallionはヒロアカのミルコっぽくて好き。
無駄に長いし書くのが遅い。
吹き替え版TENET観たいなー。
これも煽ってやらかしてるやつ。なんとなくあの時ノイタミナと幾原作品についてちょっと書きたくなったんだと思う。
当たり前だが三文ゴシップ誌に書いてあるような、作風がどうだとかそんなんで企画が通ったり製作に関わったりが決まるほどテレビ局の事情は単純な話ではない。
はてなの、それも増田でジャニーズアイドルの話をしてもせせら笑われるのがいいほうで、「カイト」にしても増田では米津玄師に幻滅したというファンのエモい心情が何回か吐露されただけだった。
俺は「カイト」という曲が好きで、それはオリンピックやアイドルの活動休止といった一市民の生活に直接は関係のないことを意識的に取り扱いながらも、あらゆる人にとって共感できる曲として昇華されているからだ。
そしてあの「パプリカ」と通底するポイントがありこの二曲を同一世界だと捉えることでイマジネーションが広がる壮大なストーリーに一人感動した。
禍福は糾える縄の如しとはよく言ったものだ。
現在28歳、男、独身サラリーマン。箸にも棒にもかからないような平凡な人生を送ってきたが、周囲を見回すと、つくづくと至言の至言たる所以に思いを馳せてしまうことがある。
大学を中退して行方不明になった高校の同級生は起業して成功した。東大に現役で合格した別の同級生は大学院で心を病んでしまった。早くして結婚して子供を作った女の子は2度の離婚を経てシングルマザーとして3人の子を育てている。米国留学を控えていた同僚はコロナで留学がなくなり、現職に見切りをつけて転職しようとしている。
人の噂話をしていると無意識にマウンティングのような目線が入ることがよくあるが、数年もしたら下に見ていた人が天の上に登り、逆に憧れていた人が意外と苦労していたりする。
大学進学で東京に出てきてからはそんな話をより多く聞くようになった。本当に人生というのは、この世というのは、何が起きるかわからないものだ。