2024-04-21

明日の朝、「市役所辞めます」と上司に言うつもりだ

「ねぇ、増田くん、『せっかく転職したのに、こんなはずじゃなかった』って思ってない?笑」

市役所転職した1年目、6月の半ば、午後11時過ぎの市役所の3階。終電のある上司PCの電源を切り、帰宅の準備を始めていた。

営業車で事故死しないだけマシだ、ってこないだ妻に言ったら笑ってましたよ」

ハハハ、と一笑いして、その日僕らは解散した。

新卒営業職を2年やって、ワークライフバランスやらなにやらを考え、地元市役所転職した。

営業時代終電、あるいは終電後に営業車に乗って帰宅する日ばかりだったので、市役所転職すれば憧れの9時5時だと思っていたが、わずか2か月でそれがかなわぬ夢だったということを悟った。

6月の残業時間は正確には66時間だったが、翌月、別室で新人研修中に管理職に呼び出され、廊下で「申し訳ないがこれは……」と言われた。

「わかりました」と答えた。給与明細確認すると、44時間になっていた。

僕はそれからその部署にいた3年間の間、平均で60時間程度時間外勤務をしていたが、時間外勤務手当は毎月10時間申請していた。

「えっ?俺、8時以降残ったこと今まで一度もないよ」

税金関係部署に配属になった新卒ストレート同期と偶然昼飯を一緒に食べに行くことになったときに、同期がそう言ったのを今でも覚えている。(この8時というのは、たまにやる夜間の納税相談業務が終わる時間のことだ)

4年目、2部署目では課長補佐からパワハラを受けて、常に胃痛を抱えて仕事をしていた。朝食を食べても吐くので食べなくなった。

課長補佐マイクロマネジメント攻撃してくるタイプで、係長時代から担当破壊しまくっており、前々任者も、前任者も病休に追い込まれていた。

1月ぐらいに人事課に相談し、人事課の用意したカウンセラーと話をした。

「こういう時、手に職でもあれば『やめてやる!』ってなるんですけどねぇ」と僕は話した。

結局、係長課長補佐課長の3人が人事課に呼ばれて何か指導をされて終わりで、課長補佐は年度替わりに異動していった。

電話だって何を言い出すのかわからいから聞いてるのに」課長補佐が対面に座る係長に向かって、僕に聞こえるようにそう言ったのを耳にしたとき、いささか僕は驚いた。

「そうですね……前の部署で一緒に仕事をしてた外部の方と電話した後に、「なんだ今の話し方は」って言われたんですよ。相手フランクに話すのも気に入らないんでしょうね」

どんな指導が辛かったですか? とカウンセラーに尋ねられた質問の答えを、本人の口から聞けるとは思ってもいなかったからだ。

係長とはもう一年一緒にやったのだが、「自身パワハラ消極的には加担していたこと」だったり、前年度のパワハラによるデバフのかかった自分評価基準だったので、ギクシャクしたまま一年を終えた。

6年目、新しい係長自分のことを前々から買ってくださっていた方で、「前任からお前の評価を聞いてはいるが全く信用していない、一緒にいい仕事していこう」と言ってくれた。

実際、温めていた企画提案して採用されたり、ワークライフバランスも最高に良くなった。仕事終わり、料理係長と一緒にスーパーに買い物に行き、日テレ夕方ニュース番組「every」がやっている時間帰宅し、妻の帰宅を待つ日も増えた。

6月の金曜日、突如課長に呼び出された。

「隣の係に異動してきたAが来週から病休に入ることになった。申し訳ないが、来週からAと配置変換してくれないだろうか」

Aはお察し枠の人間で、配属される部署毎に病休を取っていて、下馬評も最悪だったのだが、その災禍がまさか自分に降りかかってくるとは思ってもいなかった。

ちなみに、Aと同時に異動してきた隣の係長定評のあるお察し枠で、最終的にその係長自分配置転換後、すぐに病休に入った。

係長不在の中、Aの担当していた仕事、Aが残した爆弾(やり方がわからないので手を付けてません、と付箋を貼った4月受付文書)やAが戻ってくるまで、戻ってきた後も前の係の仕事……そして最後にはコロナ対策新規事業まで自分に回ってきた。

その日以降、帰宅すれば「every」はとっくに終わっていて、帰宅すれば「ニュースZERO」が始まっているようになった。

翌年度にはAが異動して、自分は元の配置に戻してもらえるもの係長自分も思っていたのだが、結局引き取り手がいなかったため、Aは残留することになった。

課長に呼び出され「申し訳ないが、今の状況を見ればAとお前の配置を元に戻すことはできない」と言われた。

「わかりました」と答えた。

明らかに怒りに震えながら自席に戻ってきた自分心配して、皆が集まってきた。

自分を活かそうとしてくれないこんなクソ職場、辞めてやりますよ……」と言う自分係長は諫めてくれた。

7年目は部署新卒新人が来て、自分教育係となった。これは大変いい経験だった。すぐに仕事を覚え、ミスも少ない優秀な後輩だったが、仕事ストレスの症状まで自分ミラーリングしてしまい、胃痛を抱えたまま出勤し、胃薬を分け与えて二人で飲んだこともあった。

この年もAは病休を取り、未練の残る仕事をまたやらされる羽目になった。

その年、異動の内示が出たのは係長自分で、Aだけが課に残ることになった。

「なんか馬鹿馬鹿しいよな。俺たちの2年間はなんだったんだろうな」と係長タバコを吸いながら僕に言った。

「本当ですね」と僕は言った。

8年目、3部署目は現場対応から政策的なことまでなんでも取り組む部署で、それまでやってこなかった議会関係議員の”オネガイ対応もやることになった。

数人の(あるいは1人の)支持者から陳情を持ってくる議員、やっていることは議員としては正しいかもしれないが、もう少し取捨選択してくれというか、まぁいい。

12月のある日、既にその係での年数が長く翌年度異動がカタい、仕事ものすごいできる先輩が、上司に「もう今の時点で既に100時間は土日出勤している」と言ってるのを聞いてしまった。

先輩が異動したら次に「土日100時間出勤する」のが誰か、それは火を見るより明らかだった。

それから転職活動をし始めた。リクルーターに言われるがまま何十社もエントリーし、面接には8社呼んでもらい、3社最終面接まで行ったがうまくいかなかった。

3月下旬に9年目の人事異動が発表された、できる先輩は異動が決まり自分が異動希望を出していた課にパワハラ課長補佐が異動になっていた。

「あ、もうこれはだめだ」と思った。

その日の夜に応募した企業から、この水曜日内定の連絡をもらった。

「はっきり言うと、毎日何十件も応募がある中で、増田さんが選ばれるとは思ってなかったんです。増田さんの年齢で異業種、しか希望年収よりアップするなんて奇跡ですよ」とリクルーターに言われた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/844018cccc955042ff8c014db3b721c90f662f3a

ちょうど昨日の土曜日に、Yahooニュースでこんな記事が出ていた。

上司もきっとこの休みのうちにこのニュースに目を通したことだろう。

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