はてなキーワード: 作為的とは
確か埼玉県でエスカレーターの歩行を禁じる条例が可決された(ただしまだ施行されていない)。
これについてはてブでもエスカレーター歩行弾圧主義者が絶賛していた。しかし私は釈然としない。その理由を以下に述べよう。
エスカレーターの片側を立つ人、もう片側を歩く人と分ける事の良い点は、多様性が認められている事である。つまり、急ぎたい人は急ぐことができ、のんびりゆきたい人はのんびりと立って行くことができるという点である。これは高速道路で通常車線と追越車線があるのと同じだ。
これに対して、「急ぎたい奴は階段を歩け」とかいう妄言を放つ馬鹿がいる。しかし、階段を普通に歩いた場合は、エスカレーターに立った場合と速度はほとんど変わらない。そこに多様性は無いのである。しかし、エスカレーターを歩行、または走行した場合、人間の脚力に電力によるエスカレーターの速度が加わることで素晴らしい効率的速度が生まれるのである。ここに本当の多様性、選択の自由が生まれる。
これは簡単に論破できる。実際に歩いても事故は起きない。つまり、エスカレーターは設計段階で歩くことを想定していなかったが、実際歩いてみても故障や破損といった問題は起きないのである。これに対してエスカレーター歩行反対派が出してくる例は常に的外れで、ヨーロッパでチームの勝利に歓喜したサポーターがエスカレーターの上でバンバン飛び跳ねて起きた事故の映像を示したり、そもそも整備不良だったエスカレーターの両側に人をギッチリ立たせたことで起きた事故(誰も歩いていない)の例を出してくるが、どちらも歩いたことで起きた事故ではない。エスカレータを歩行したことが原因であると明確に定められた事故は世界に存在しないのである。
私が知っている例では、例えばJR赤羽駅では上野東京ライン、埼京線、京浜東北線などの乗り換えで時間が1〜2分の場合、エスカレータを沢山の人たちが轟音を立てながら駆け降りたり駆け上がったりしているが、それが原因で大事故が起きたことは無い。実際のエスカレーターは強靭であり、勝利に酔いしれるサッカーのサポーターが飛び跳ねると言った異常事態は別として、通常の紳士淑女の皆様が通勤通学で駆け降りたり駆け上がったりした程度ではビクともしないのである。
これもエスカレーター歩行否定派がよく出してくる馬鹿げた主張である。この主張のもとになったシミュレーションが最初から作為的で悪意に満ちている。このシミュレーションでは、「歩行しない場合」では両側にギッチリと人が立っており、「歩行する場合」では「片側にギッチリと人が立ち、もう片側をパラパラと人が歩く」という想定をしている。この想定自体がエスカレーター歩行否定派に都合の良い想定であることは言うまでもない。なぜ歩かない場合は両側にギッチリ人がいるのに、歩く場合はパラパラにしているのか?
ちょっと頭の良い人は気づくだろう。ただ単に「輸送効率」だけを考えるなら、もっと効率が良いのは両側が歩くことであり、最も輸送効率が良いのは両側にギッチリ詰まった人々がエスカレーターを走ることである。もちろんそのような状況は想定し難いが、「輸送効率」を理由にした「エスカレター歩行否定論」が馬鹿げた妄言なのは明白である。
エスカレーターの一段は通常の階段の一段よりも大きい。なのでエスカレーターを歩いたり走ったりすることは階段を歩いたり走ったりするよりも脚力を鍛える効果がある。足腰を鍛えることは健康の基本である。
大矛盾してるだろ、延期もなし
オリンピックはバッサリやめて、改憲して、厳密なロックダウンやって、行動の自由を制限して、国民に金を配れよ
国民に行動の自由を制限しておきながら、政府がスポーツの祭典という不要不急を優先するなんてアホだろw
でも、オリンピックどうせやりたいんだろうし、延期してもやるとか言い出すんだろうし、
だったらやっぱり改憲はなしだ
というか、こんな国や政治家や軍隊でこの国の主権を守っていけるとは完全にもう思えない
国難になったら仮病で逃げる首相とか、同じ島国の英国でもそんなアホなことはない
そもそも、メイ○マは出羽守になったのに英国への愛国心、忠誠心が足らない
ティーカップを持ちながらドイツやロシアと血みどろで塹壕で戦えよ
そもそも、メイ○マは夫の影響なのか知らんがメタル好きだろ、Iron Maden大好きなはずだろ
Trooperだよ!
(Aces Highのチャーチル演説は作為的なところでカットしてるから良くない
日本にもクイーン・エリザベスのような空母が必要に思うが、あと最長6年でそんな知見は集められない
実戦に近い訓練を繰り返して、思わぬ事態への対応を塗り潰していく必要がある
そうやって集めた知見、教訓をこれからの米国に対応しうる巨大艦隊の運用に活かしていく目論見がある
オカルトに染まった右、理想論の平和主義という中身は事なかれ主義の左、
foxconみたいに台湾企業でありながら中国企業になる方が企業としては正しいんじゃないか?
いずれにせよ、理系とか科学技術に少しでも携われる仕事なら自分は政治信条はないんで、
自分は基本的にはフォン・ブラウンやロックスミス側の人間なんで、どうでもいいといえばどうでもいいんだけど、
まあ、でも、あそこまでサイコパスでも天才でも自分はないんでな
戦争であれ外交であれ、最後はガッツが勝つと俺は信じたいんでな
今の状況だと中国の方がどんなに卑劣な手段だろうがチートだろうが、
国民でさえ過労死が当たり前の過酷な独自の資本主義を国内に形成した
いやパクリでは勝てないと独創的な製品を打ち出して投資を回収できず失敗し自殺する起業家、経営者、
そんな蠱毒な市場を作り出した中国という国家に勝てる気がまったくしなくなった
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どうも。Appleが新しく発表したAirTag、すでにお買い求めになった方も多いのではないでしょうか?
私はそのAirTagと目下同じ領域の製品となるMAMORIOという紛失防止タグを開発・販売する日本のスタートアップをしています。
AirTagが発表され、様々なことがわかってきましたので現在のところの見解をまとめておきたいと思っております。今後変わる可能性はありますが。
Appleにとっても相当危険な賭けだろうなという認識です。ニッチ領域としてスタートアップがやるのと、世界一の企業がやるのとではユーザーから求められる水準や期待値がかなり違うはずです。現在の紛失防止タグという製品が抱えるそういった課題点をどれくらいクリアできているのか、あるいは今後向き合うつもりなのかが問われていると思います。
現在の多くの紛失防止タグが抱える課題点は大きく分けて3つあります。
探知精度、プライバシー、利用者の情報リテラシーです。それぞれについて解説します。
電波距離数十メートルのBluetoothを用いて追跡を行う場合、BTの範囲外においては第三者のスマートフォン端末の位置情報を活用してトラッキングを行う仕組み(弊社ではクラウドトラッキングと呼んでいる)があります。
MAMORIOではMAMORIOのアプリをDLして登録しているiPhoneとAndroidのユーザーのネットワークを通じてトラッキングを行っています。AirTagではこれをOSレベルで実装し世界中の全iOS端末で匿名でトラッキングで実施する仕組みだと説明されています。Appleではこれを何億人のユーザーが探してくれると表現していますが 、では果たしてこれは具体的に何%の確率で見つかるのでしょうか? 今現在アクティブな端末数は?見つかっている数は? ユーザーにとってはそれが真っ先に知りたいはずです。しかし、AppleはAirTagを探す手伝いをしたデバイスが誰のものか、Appleですらも知ることはできないと言っています。つまり見つかるかどうかはわからないし統計も取れないということです。あくまで探してくれる「かも」、見つかる「かも」、という仕組みの話を言っているだけになります。 Appleの製品であれば利用者も圧倒的に多いはずですが、それでも仕組み上 、人が訪れないエリアや電波が遮断された状況などでは見つけることは不可能です。つまるところAppleのいう「探す」ネットワークが果たして本当にどれくらい有効に機能しているのかは誰にもわかりません。あなたの想像の中にだけあります。
MAMORIOでは日々ユーザー間のすれ違いの数をアプリで誰にでも見れるように公開し改善をおこなっています。また端末間のすれ違いだけではなく、より確実に忘れ物や落とし物が見つかるよう全国鉄道会社700路線の遺失物センターに専用の受信機を設置し、設置場所をウェブサイト上に公開、地点名での位置情報を登録し落とし物が届けられたら見つかる仕組み構築しています。当然、AirTagの仕組みに比べたら遥かにユーザー数は少ないですし、100%落とし物忘れ物が見つかるわけではありません。だからこそ可能な限り真摯に事実を伝えることが大事だと思ってやっています。
Appleのやり方はこうした製品の前提となる説明を飛ばし、非常に作為的で不誠実な伝え方ではないかと思います。
また、位置情報の誤差の問題もあります。「探す」アプリで自分のiPhoneの端末の位置情報を見てもらえばわかると思いますが、自ら通信するiPhoneですら誤差が生じていてずれているのがわかると思います。屋内ではGPSの精度はかなり落ちるのです。ましてやAirTagは第三者とのすれ違いを活用する以上どうしても誤差が発生するはずです。また拾った人がAirTagの電池を抜いてしまった以降は当然追跡はできません。最後にあったはずの場所をここだと思って探していたら、とっくに持ち去られてしまっていて見つからない、という可能性は大いにあります。
また、GPSを組み合わせて位置情報を特定する以上、数メートル〜数十メートルの誤差は発生します。住宅密度の高い場所であれば実際の場所とは異なる隣りの家やビルを指し示す可能性はかなりあります。AirTagが入った自分の盗まれた財布がここにあると思い怒鳴り込んで入っていったら実は違っていてトラブルになった、ということが起こりうる可能性は非常に高いです。日本ではすいませんでした!の笑い話ですむかもしれませんが、海外であればそのまま不法侵入で射殺されてもおかしくありません。このようなリスクについてAppleはきちんと利用者に説明を行っているのでしょうか?
この問題はMAMORIOにももちろんついてまわりますが、事前に仕組みや機能についてある程度理解をしていただいた上で購入する層を対象としているMAMORIOと違い、AppleブランドであるAirTagではユーザー層も多岐に渡るはずです。 当然利用者が多くなればなるほど、見つからなかった、そんなことは知らなかったという声や事例も多いはずです。その際のネガティブな声でAppleのブランドを毀損してしまう可能性はあります。そういったリスクを背負ってなおAirTagを出したという判断に対してただただ感服です。
また同じ問題はUWBを用いたトラッキング機能でもついてまわります。UWBの特徴は数センチ単位での位置特定が可能な指向性ではありますが、電波である以上遮蔽物や環境の影響は大きく受けます。どれくらいの近さだと見つかるのか、遮蔽物の影響はどれくらいか、利用する環境によって異なるため、実際にユーザーの期待値を下回る可能性も高いです。
それでも世界最高の企業であるApple社が手掛ける以上、既存の紛失防止タグよりも素晴らしいユーザー体験であることは間違いありません。見違えるような体験になるはずです。しかし大多数のユーザーにとって紛失防止タグというのは未だ未知の存在であることも事実で、はたしてAirTagを初めて触ったユーザーがそのユーザー体験を許容するか、紛失防止タグそのものへのネガティブな評価になりかねないか非常に懸念しています。
2つ目はプライバシーの問題です。物の場所を探せるということは、当然ストーキング行為などに使われるというリスクがあります。紛失防止タグ以外のGPSトラッカーにもこの問題はありましたが、GPSトラッカーがそこそこの大きさ(スマホサイズ)、短い電池寿命(3日程度)、通信回線契約の有無(通信キャリアへの契約が必要)といった形で、利用条件が限定されるのに対し、紛失防止タグは極小(小銭サイズ)、長寿命(1年程度)、通信契約不要(匿名利用可)といった特徴があります。
しかしながら、前述の通り紛失防止タグはBluetoothを用いている仕組みゆえ、第三者のスマートフォンとのすれ違いによってしか位置情報を特定することしかできません。そのためストーキングのために悪用するには対象が偶然タイミングよく他のユーザーの近くを通らなければ位置情報の特定はできません。今までの紛失防止タグは精度とプライバシーの絶妙なバランスがこうした問題の発生を防いでいたとも言えます。
しかし、Airtagは違います。iPhoneの普及率を考えると通信精度はGPSトラッカーを上回り、屋内でもかなりの精度がでる可能性が高く、小さく、長寿命で、匿名性の高い追跡デバイスとして猛威を振るう可能性があります。(またその普及度と知名度ゆえにそういった悪意を誘発してしまう可能性もあります)
もちろん、Appleはこの問題に対して様々な対処を行っていると述べています。
例えば、近くに第三者のAirTagがあれば手元のスマートフォンに通知を行う、また近くのAirTagを鳴らして探せるというものです。ストーカー目的の第三者のAirTagが近くにあれば、スマホがお知らせてしてくれる、探せるから安心といえば聞こえはいいですが、あくまでこれはiPhoneを持っているユーザーに限っての話しです。Androidユーザーは当然この恩恵には預かれません。つまるところAndroidユーザーは誰でもAirTagによって追跡されてしまう可能性があるということです。Appleの企業としてプライバシーを大切にする姿勢は称賛に値します。が、だからといってそれはiPhone製品を使っていなければ誰でも位置情報を追跡されるリスクを背負わされるということにはならないはずです。
またAppleは第三者のAirTagが近くにあるとき以外にも、登録者のスマートフォンからAirTagが一定期間(3日程度)離れた場合、音が鳴って周囲に存在を伝えると言っています。Androidであっても、NFCをかざせば音の止め方や詳細がわかるといいます。これでAndroidユーザーなら安心、、、となるのでしょうか?
今この時点でAirTagを知っているような情報感度の高い熱心なAppleファンにとってはAirTagやその仕様は常識かもしれませんが、Androidユーザーや多くの人にとってAirTagはまだまだ未知のプロダクトです。ましてやシニア層が多い日本ならなおさら。どこからもなくタグから音がなったときにそれに対して誰しもが第三者のAirTagと気づいて適切に対処することはできるのでしょうか? またそういったことへの啓蒙をAppleは行うのでしょうか? またAppleは「探す」ネットワークをサードパーティーに向けて開放しており、今後様々な形状や特徴を持ったデバイスが登場する可能性があります。AirTagであれば象徴的なデザインなので、すぐにそれと認識することができるかもしれませんが、それ以外のサードパーティーのデバイスを逐一見分けることは一般ユーザーには不可能です。なんだか見たことのないデバイスから音が鳴ってなにかの故障か電池切れかなと思っていたら、実はトラッキングされていた、という可能性が誰にでも起こりうる可能性があります。そのリスクにAndroidユーザーはさらされているのです。
また鳴るタイミングが周囲の人間にはコントロールできない以上様々な状況で鳴ることがありえます。大事なセンター試験中になり始めたら? 車の運転中にAirtagがいきなりなり始めたら? 静粛なコンサート中になり始めたら?
また、深夜の暗い家や屋外であればなり始めても見つけられないことも想定されます。深夜にゴキブリの影を見つけてそのまま見つけられなかったことを考えて見てください。ぞっとしますよね。
女性ならストーカーに使われる可能性もあるAirtagの音が自分の部屋で鳴るだけでそれを見つけるまでは恐怖でいっぱいになるはずです。あるいは誰かが嫌がらせでその音を鳴らすだけで相手を追い込むことも可能です。
そういった状況でも落ち着いて誰しもが適切に対応ができるようAppleは信者以外の全ユーザーにも啓蒙をご丁寧に行ってくれるのでしょうか? 本当にありがたい話ですね。
さらにAppleは「探す」ネットワークについては、匿名化を行いAppleでさえも一切のデータを持ち得ないとしています。
電気通信事業法では、公共の電波や通信を扱う事業者の責任として利用者の通信の秘密の保護は厳重に定められておりますが、一方で裁判官の令状による通信履歴等の 取得・提供や児童ポルノの閲覧に対するブロッキングなどの緊急避難は通信の秘密の侵害に当たらず状況に応じて適切な対応を行うことが求められます。
Appleはこういった犯罪や悪用リスクの可能性についても、仕組み上自分たちはデータを一切保有しておらずわからないから責任はないといっているのです。各種電気通信事業法を遵守し事業を展開している通信キャリアが構築した通信インフラ網やそれを利用する人々のスマートフォンのネットワークにフリーライドし、悪用にもされうる可能性のある新たな通信サービスを構築・提供しその責任を放棄しています。これは非常に危険なことだと思います。
もちろん当然、MAMORIOでも同じ問題は発生しえます。そのためMAMORIOでは製品の利用にあたっては各種法令を参照して運営するとともにサービスの登録にあたっては利用規約やプライバシーポリシーを明示し、データも厳重かつ適切に管理を行い取り扱っています。今後も必要な認証制度を適切に取得していくつもりです。また関係当局より打診があった際はそれが規約に合致する適切なものである限り、事業運営者として対応を真摯におこなっていくつもりです(現在のところそういった事例はおきていませんが)
こうした事業運営の責任の所在を明らかにせず、匿名化し、運営者自らがそれを知りえないからといってその責任は許されるものではないのではないでしょうか?
twitterでも増田でもブログでもよく見かけると思うんだけど
明らかに可笑しいとなると再検証を始める人も出てくると思われるけど
多くの場合には集計方法がわからないのと膨大な時間がかかると推測して行われない
そうすると嘘つき放題な気がしてくるんだよなぁ
集計結果で1位と2位を入れ替えるくらいのことは朝飯前で
集計すらしてないのに集計の結果こうなりましたと作為的にそういう記事を書くことすらできる
誰もしないようなニッチな統計なんかは一度書かれると何十年もその嘘が信じられる可能性もある
多くの人は善意と暇つぶしと探究心で行ってると思ってるけど嘘を付くことが生き甲斐な人も無双できるのがネット統計の怖さだと思う
その頃まだSNSは今ほど隆盛ではなくて、ネット上で匿名をたてに誰かを悪く言うといえば、定番のひとつとして掲示板サイトがあった。
当時、というかそれよりずっと以前からあったのを私が知らなかっただけなのだが、活動していたジャンルで、同じジャンル内で活動している人の中から誰かをピックアップして面白おかしく嘲笑うというスレッドがあった。
それを見つけた誰かがSNSにリンクつきで報告し、そこから、私のような地味担当にまで聞こえてくるほどの話題になった。
まだ(確か)若く、オタク活動の幸福で楽しい一面しか知らない私には衝撃的なほど、聞いたことくらいはあるあの方この方を名指しで、どこが悪い、ここが拙いと作品批判から始まり、本人の人間性について憶測で中傷し、笑い、あるいは敵意を隠さず罵るといった、その様相に愕然とし、それなりに長い間、その掲示板内スレッドに貼り付いて一言一言を脳に刻んでいた。
その内、社交的でそれなりに人気もあって、少々は目立つ部類であろう、私の友人がそのやり玉に挙げられ始めた。彼女の周囲の人物として、批判はないながらも自分の名が挙げられたのを見た時には、自分が何を感じたか認識するよりも早く、嘔吐した。
匿名で、明らかに誰か判らないから言うのだろうと思うような下衆な発言が繰り返される中、驚いたことに、友人は、明言しないながらも考えれば気づきそう、或いは違うとしても本人だと勘ぐられかねないほど、正面切ってその場で反論し始めたのだ。
その手の誹謗中傷なんていうものは、知っている人間から見れば明らかに根も葉もない内容で、しかし驚くほど、ちゃちなやり方ながら、雑な根拠といい加減なソースなんかを提示して、それらしく見せてくる。
現在のSNSほどでないとしても、企業の偽装、マスメディアのやらせ、作為的なフェイクニュースが話題になってまだ記憶に新しい頃で、見え見えながら悪い意味でよく見習い踏襲された話題の運びに感心するほどだった。
話題の刺激があれば充分で内容の虚実を必要としない目線からみれば、心を痛めるにも潤すにも、充分な燃料だろうと見えた。
それで私は、彼女のやろうとしてる反論は不利だと考え、彼女自身にもそう伝えた。黙っておけばどうせ話題の旬は過ぎて、深く考えていないように見える彼らは忘れてしまうだろうにと。
その時彼女が、恐らくは憤り混じりに言ったことを、きっと一生忘れないだろうと思う。
「匿名掲示板は、誰もが言いたいことを言っていい場所として提供されている。それなのに何故、間違ったことを言っているやつらが好き放題を許されて、間違っていない私が黙らなければならないのか」と。
私は一瞬言葉を失い、それから、ごもっとも…と彼女の言い分に白旗をあげ。けれど、陰口好きの類に彼女ほど詳しくも、弁舌巧みでもなく、参戦は恐らく足手まといであろうと考え、何かあれば、どんなことでもいつでも連絡して欲しいと告げるのみに留めた。
その騒ぎ自体は、長い間うんざりするような泥仕合を続け、繰り返して、予想に違わず話題は次々に変わり、もう追ってもいないので判らないながら、ご存知の通り、同じことが今も世界中で続けられている。
私は、彼女の言い分はもっともだと考える一方で、匿名を笠に着てよく知りもしない相手をあれほど悪し様に罵れる彼らは一体、何をどうしたのだろうということも非常に気に掛かった。
他者を攻撃しなければいけない状態にあることそのものが、地獄だ。と、言って意味が通じるかといえば、渦中にとっぷり身を浸し、その刺激に酔って何某かを得られる状態では、恐らくそう感じることもないだろうとも。
自分よりも弱い者をいじめることは快楽だとはよくいうし、その意味も分かる。そういう状態、そういう心理があることは、知るべき、認めるべきで、そこからでないと出発点に立てはしないが。
人を殴らなくても生きていける心安さは、人を殴って得られる快感よりもはるかに大きいと感じているし、知って欲しいと思う。
私達は誰も怪物ではなく、けれど生きていく中で味わう苦しさや弱さがいつでも私達をそのような姿に変え、けれど私達は誰も怪物ではないのだ。
誰かが指さして私を怪物だと決め、周りがそれを容易く認め、私に気づく者がいなくなれば、私はきっと死ぬまで怪物の姿から元には戻れない。
詮無いことではあるし、怪物の姿になってしまった者に近付くこと自体が、危険なことだというのも経験上から知っている。
それでも今も、危機回避について考えるたび、記憶の中の彼女が憤りを持って訴えてくる。
「何故、間違ったことを野放しにして、正しいことを言わないのか」と。
数多ある意見の1つに過ぎないかも知れませんが、この度の悲しいお知らせについて、とても重要なお願いがあります。ぜひご一読頂けると助かります。
今回のことについて、またそれについても様々なことをSNS上でみな好き放題言っています。我々はこういう風に対面で顔を合わせなくてもコミュニケーションができる時代になって、その最も身近なものであるSNSと、どういう風に付き合っていけばいいのかほとんどの人は困惑しています。顔を合わせなくていいということから、どんなことでも発信でき、また(SNSのない)日常生活では言われないようなことを言われたりするようになってから、SNS上で見えている相手はバーチャルな人間だと考えるようにし、自分(人間)vs相手(機械)のように接しています。しかも自分は普段の自分と違う人間のように、普段なら喉まで出かかって止めるような文言さえも、あっさりと指をなぞらせて全世界へと発信するのです。しかしその割に相手(機械)の言うことには感情を揺さぶられ、たびたび日常生活ではあるまじき過度な言葉で相手を責め立てることもあります。さらに、膨大な情報量。誰しもが発信できることから、必然的に日常生活ではわざわざ聞くことのない人の意見まで(要か不要かに限らず)目にせざるを得なくなりました。
と、ここまで書きましたが今回のことが、何が一因であったのかということについては、色々な人がこれもまた勝手な意見をいくらでも言ってくれています。しかし自分も正直それを精査していく、という気分にはなれません。一人の尊い命を失った悲しみもさることながら、何よりもうこの情報化社会の情報量に疲れてしまっていて、さらにはSNSの使い方についてあれこれ言われてしまうことは、何か自分の一番柔らかい部分に触られているようで気味が悪いような気もするからです。
ですから、この誹謗中傷がどうだとかについてこれ以上触れることはしません。今回自分がわざわざメッセージを送ろうと考えたのは、自分なりの考えを伝えお願いしたいことがあるからです。
人間は、というか自分のような人間は、どこからが台本なのか、ということを小さい頃から気にして見てしまいます。テラスハウスはもちろん、ラジオやお笑いや、とかくエンタメ全般的に。大人になればなるほど、その線引きの部分が段々と分かってきました。コンテンツを制作する上では、台本はなくせないということも。そうすることで、面白さが担保できる。その場で生まれるかわからない爆笑を待つよりも、安定的に面白い方が大事だというのが根源にある。
テラスハウスもずっと楽しみに見ていました。2020東京から過去の作品も遡ってほとんど見ました。このテラスハウスでも同様に、どこまでが台本なのか、と考えましたが、それについてネット上では正確な情報は開示されていませんでした。それでも、まぁいいかと楽しんでいました、所詮エンターテインメントなのだから。
しかし、その楽しい時間は実にあっけなく終わってしまいました。
台本があって、それに従って演技をする出演者の方々。すべてはただの操り人形であり、それを見る視聴者たちは騙されてあげて、楽しむ。騙されていながらも没入して、そこで同じように感情を揺さぶられて楽しむ。どんなエンタメもこうして楽しんでいるのに、現実で人が一人死んでしまうということは、そんな平和な世界で行われるエンタメの中には決して存在してはいけない概念です。
少し戻って、自分が引っかかるのは、そもそもこれが台本であったのかどうか、ということです。彼女が番組の指示通りに、また示唆されて作為的にあの「コスチューム事件」を起こしたのであれば、これが自殺につながったと言っても過言ではないのですから、テレビ局は殺人とも言えるでしょう。そうでなかったとしても、悪意のある編集があったという新野氏の証言があります。そうした番組を取り巻く諸々が、視聴者には何一つとして知らされていないのです。
これ以上は長くなってしまうので、簡潔にいたします。お願いというのは2つあります。1つは彼女がなぜ自殺しなければいけなかったのか、番組制作という面からそれを解明すること。テレビ局で働いている人々の大半はきっと善良な人達なのだろうけど、舵取りはいつも腐り切っているように感じます。この事件が闇に葬られてしまう前になんとか事実をすべて開示して欲しい。2つ目には、彼女の自殺以降おそらくひどく誹謗中傷を受けているであろう出演者の「彼」やその他の人々の精神的ケアです。頭の悪い人たちは「彼」があんなことをしなければ彼女が自殺することもなかったというでしょう。実際、死んだ人が責められることはほとんどありません。今後苦しい思いをするのはいつも、今、そしてこれから生きていく人たちなのです。
この2つを、出演者でありながら、一個人としては制作には関係のない貴方にお願いしたい。きっとこれを読まれても、お願いするところが間違っているのではないかと思われるかも知れません。しかし僕は、貴方の「一生をかけて考えたい」という言葉を信じたいのです。その覚悟があるならば、すべて自分のうちに閉じこもって考えるのではなくて、少しでも何か行動をして欲しい。山里亮太が、あの番組のマスコットのような立ち位置で、あの時間だけは番組の傀儡だったかも知れない。しかし世のSNS上の人々のように、貴方の本当のところは人間である、ということをどうか信じさせてください。そうしてこれからも、後ろめたい気持ちなしに、エンタメで傀儡となる貴方を楽しませて欲しいのです。
クソリプ送りまくってたひとや死ね消えろと呟いてたひとが彼女を死に至らせたのはもちろんだけど、両輪でテラスハウスが彼女への中傷を煽るような演出と編集をしたことについても考えてほしくて短い経験だが現場で働いていた身として書きたい。
私は2年程度バラエティのADをやっていたがメンタルがあれしてしまったので今は違う部署で仕事をしている(業界ではよくあることだ)。そんな短い期間で2つの番組にいたんだけど、片方はTHEお笑いバラエティで片方は生活に役立つ系番組だった。
お笑いバラエティの方は見ていた時の印象と同じく強烈な人たちが作っていて、酷い時は週に1人はADが飛ぶ(突如来なくなる。業界ではよくあることだ)みたいなレベルだったのでそれはそれで酷かった。
生活系の番組に来た時ここなら過酷なロケもないしと思ったら意外にもこちらのほうがやらせが多かった。
やっぱり日常系とか生活系だと淡白なものになりやすいので、そこに見ごたえをつけようとするとありもしない歴史を創成したり、極端な説を取り上げたり、片方を持ち上げる時にもう片方を過剰に貶すような表現を使わないといけなかった。でもどちらにも生産者とか関係者がいるわけでたまにクレームが入ったりするんだけど基本謝らない撤回しないが鉄則だった。(業界ではよくあることだ)
ただの生活情報や教養を当たり障りなくご紹介してもつまらないのと同じで若い男女を一つ屋根に済ませたところでそんな頻繁に面白いことが起こるとは思えない。というか人間の恋愛がそんなに面白かったら日常に転がってるんだからわざわざ番組で見る必要がない。
リアリティーショーでは時々「やらせがあった」「台本があった」なんて話が出てくるけどその度にうやむやになるのは
一般的に想像される台詞が書いてあるような「台本」は無いからだと思う。
別に何かを読ませてはいないけど、ゲームでいう「イベント」が起こるように「仕込み」をしているのが実情だと思う(業界ではよくあることだ)。
「仕込み」と「やらせ」って何が違うのと言われると線引きが非常に難しいんだけど、全員が把握してるわけではない細工とか、番組として美味しくなるように焚きつけておくとかその類を仕込みと呼んで、あくまで俺たちがやってるのは演出でその結果生まれた出演者たちの言動やリアクションはリアルなんだからやらせじゃない、みたいなとこだ。
スタッフにも当然「仕込み」をしている自覚はあるので作為的にやってる認識もあり、それが当たり前になっているんだけど、意外にも視聴者はマスゴミやらせと叩く割に目の前に流れている映像が結構「ガチ」だと思っているし、信じているなというのが辞めて視聴者に戻った今の印象。
本題に戻るが正直言って彼女は広く有名人でもないしデカい事務所に入ってるわけでもないし、プロレスを広めるためにこの番組に入ってきたという経緯がある。これをきっかけに新規層を切り開くという期待と責任があっただろう。
そして何より彼女はヒールとして、レスラーとして優秀だった。演出の意図を汲むことも難しく無かっただろう。スタッフからしたら立場的にも性質的にも1番使いやすい存在だ。
そしてバラエティの世界である程度生きているスタッフは例外なく不眠不休、(物質的精神的)暴力、驚くほど低いモラル(モラハラ、セクハラ)に耐えた、耐えたというか自分を麻痺させることでそれを消化したサバイバーだ。
これは私のいた番組で共通していた。ほのぼの系だろうが過激派だろうがお役立ち系だろうがベテランAD以上はみんなこれを経験している。
サンプルが少ないわ!一絡げにするな!と思うかもしれないが偉いひとであればあるほど過酷な経験をしているので、そこが受け入れられない新人は「面白くない」「面倒くさい」と毛嫌いされ、若ければ若いほど社会人になるまでに学んできたリテラシーとかモラルとのギャップの激しさ、あと純粋にブラックな環境に苦しみドロップアウトする(業界ではよくあることだ)。
更に局員・非局員というエグい格差も存在するのでここでは説明しないけど、とにかく「まともな奴から辞めていく」と口を揃えて言うのが番組制作の現場なのだ。
だから彼女のこと駒として重宝していたとしても、人間として大切にしていたひとがどれくらいいたのかと思ってしまう。
断言できる、編集1つ、演出1つで煽りは制御できた。スタジオで見守る芸人たちのコメントの切り取り方1つでも印象は絶対違ったはずだ。
一丁羅が滅茶苦茶になってキレたとはいえ、帽子を飛ばしたのはやり過ぎかもしれない、相手の男性を追い出したようなものかもしれない。
でもリアリティーショーとしてのイベントや面白みを残しつつ、ここまで叩かれないような編集をすることは可能だったと思う。
私はバイアスがかかっているのでもはやコスチュームを誤って縮めたこと自体、または派手に怒ること自体が「仕込み」だとしても驚かないんだけど。監視スタッフがこのまま一丁羅が縮むのを知っていて洗濯を止めなかったならそれもある種「仕込み」と言えるかもしれない。
テラハファンからは「でも番組として面白かった、楽しませてもらったよありがとう」みたいなコメントもあったが
番組の面白さのために人が死んでいいわけが無いし、番組を面白くしているのは間違いなく制作側の演出で、さじ加減1つで人は死ぬのだ。
誹謗中傷したひとたち、見てないと思って書いてしまう私たちへの戒めは必要だ。私刑ではなく。
ただ両輪で番組を面白くする演出のために人が死んだことについても議論されて欲しいと思う。人が死ぬという人権侵害が起こっているうえに他の出演者への誹謗中傷も広がっている状況を見るとBPOが番組の構造としての問題を探ることがあってもいいと思う(少なくとも警察や公的機関より先に動かないといけない)。
現場で働いていたときは色んなことに(業界ではよくあることだ)をつけて納得していたけど、辞めて時間が経った今、どう考えても業界でよくあることは一般的によくあることじゃないし、それを放置していい時代も終わっている。
演出1つ、編集1つで防げた事態だ。コメントや表情の切り貼りなんかしょっちゅうやってるんだから緩和させるように編集することもできたはず。仮にそこが譲れなかったとしてもAPとか演者フォローを手厚くするとかできたことはあったはずだ。
番組制作に携わる人たちにもネットは怖いね!で片付けないで向き合って欲しい。他局だが既に演出に触れず誹謗中傷についてのコメントだけしている制作者がいて強い危機感を覚える。
「ネットの闇」なんてワードで片付けないで、両輪でこの死に向き合いたい。
p.s.プロレス観戦が趣味だったので1回だけ新宿FACEで彼女を見たことがある。メインマッチとかでは無かったけど印象に残っていて、たまーにインスタとか覗いていた。だから名前を見たときに本当に驚いた。当時撮った写真を見返したらまだ現場で働いていた頃の試合で、確かにその日の自分を救ってくれた1人だった。レスラーとして愛されて、確実にスターへの階段を上っていた彼女。
バラエティの現場には年配を中心にプロレスファンも多い。もしかしたらプロレスのつもりでやっていたのかもしれない。でも結果として人が死んでいる。加減を知らない演出とショーと現実を知らない視聴者。リング禍でもない、誹謗中傷で人が死んでいる。これはプロレスじゃない。
彼女にはリングで、プロレスをして、プロレスラーとして、輝いてほしかった。
補足:彼女が誹謗中傷による自殺で亡くなったとは不明というブコメがあったので、私が投稿時で把握していた情報を並べます。今はスポーツ新聞とかで書かれているようだけど一応。
※追記(2020.05.27)各所で彼女の死について取り上げられており、詳細を提示する必要が無くなったと判断したため、投稿が削除されているものに関しては引用を取り下げます。
・彼女のインスタの最後の投稿に「(飼い猫に向けて?)愛してる。長生きしてね。ごめんね」
「時差でアメリカは昼過ぎだったから(日本時間は夜中)彼女のツイートにすぐ気付くことができて、イオさんと一緒に直ちにジャングル叫女とロッシー小川さんに電話しました。
きょうなは全力で向かいました。
間に合いませんでした」
他にも同じ所属団体のレスラーなど既に沢山のコメントが出ていたので、そこから判断して投稿しました。
公式の発表を待たずに書くのが好ましくないのはわかっていました。しかし彼女の元々の知名度もあってこの時すでにトップエントリに入っている記事も1つ2つ。発表を待っているとこの件が既に話題として流されてしまったり、ワイドショー等で「ネットの闇」的取り上げられ方ばかりされた後だと届かないかな…と思い、先走りですが投稿した次第です。すみません。
新R25の記事がfacebookのタイムラインにあがってきて、ふと思った。
該当記事:https://r25.jp/article/810409120572856971
この記事には「広告(PR)表記」はなく、人材エージェントの紹介を行われており、
記事内のエージェント紹介やランキングなどは、優良誤認を行うものでなく、作為的なものでもなさそうなので、
これがステマだの言うつもりはないのだが、少し違和感を感じた。
※上記している記事以外にも複数の記事にて同様のアフィリンクの掲載を確認している。
facebook上で、広告表記なく、通常の記事としてタイムラインにあがってきた。
ただし、読み進めたらアフィリエイトによる収益をあげるための広告目的の記事であった。
特に、新R25では「編集記事」と「広告(PR)記事」はしっかりと区別がつけられているため、
記事の本文が利益につながるもの(アドネットワーク等による収益を除くもの)には「広告表記」がついているものと思いこんでいた。
これは主観ではあるが、
新R25は、企業が運営する「編集記事」と「広告記事」が混在し、
商品やサービスを比較することを目的とし、その紹介料としてアフィリエイトを行っている比較サイトや
つまり、記事本文が広告(アフィリエイト)に誘導する目的なのであれば、
最初の方に述べた通り、
(読者が本記事を読んで、アフィリンクを踏んで、エージェント登録してもただちに不利益が発生するものではないし)
ただただ私にとっては違和感がある。
みなさんにも違和感があるか聞いてみたいだけ。
例えば2種類の防具がある。一方は物理防御力重視の鎧A、もう一方は魔法防御力重視の鎧B。
どちらにも長所と短所があり、この時点ではどちらがいいかの判断が難しいとしよう。
ここで鎧Aに軽い追加効果を加える。例えば敵のドロップするお金+3%とか。
するとあら不思議。鎧Aが強くなったはずなのに鎧Bの方が強く見えてくるのである。
これは2つの鎧の総合的な性能が同じであるというプレイヤーからゲームバランスへの信頼があり、
追加効果がプラスされて同じなら、追加効果抜きではBの方が強いはず!という心理が働くためである。
これならばまだいいのだが、この心理は全く理に合わない形で働く場合もある。
あるキャラクターの育成で、A、Bの2つのルートの中からプレイヤーがどちらかひとつを選べるとする。
そのキャラクターには終盤に専用の装備品が用意されていて、これはどちらのルートでも装備できるがAの方が相性が良いとする。
プレイヤーがA、Bのどちらがいいか考える時、専用装備との相性を根拠にAを選んでしまいがちになる。
つまりA、Bが等価であり、そこに専用装備という条件を加えた時にAが上回るからAが良い、という心理である。
しかしA、Bが等価であるというのは、そもそも二つの優劣を考えていたことと矛盾している。
専用装備との相性は実際は根拠のひとつにはなるだろうが、開発は専用装備との相性が悪い分Bを強めに調整するかもしれないのだ。
どうぶつの森をやっていたら、住民(NPC)が思いっきりこちらに向けてくしゃみをしてきた。映像効果としてでっかい飛沫が飛ぶ。
それは単に住民がリアクションを教えてくれるイベント(プレイヤーが利用できる動きが増える。このイベントを介してプレイヤーはくしゃみのアクションを獲得する。)なのだが、自分はこの時非常に強い不快感を覚えた。くしゃみを人の顔に向けて思い切り飛ばすなんてあり得ない。汚い。どうかしてる。と。
次の瞬間ハッとして、「あ、これはゲームの中の出来事だ」「現実ではないんだ」とそこまで目くじらを立てなくていいと気付く。
人の顔に向けてくしゃみは、平時でもやめといた方がいいしやっぱり汚いとは思うが、にしても神経質になりすぎていた。ビフォーコロナの世界では不快感はありつつ「きったねwやめろよw」とまだ笑顔を作ることができていたのに。
これだけではない。今テレビでは過去の再放送や再編が流れていることが多いが、「え?今こんな所に芸能人が行ったの!?」「こんなに人が外に出て集まってるの!?」「マスクもしてない」とつい目くじらを立ててしまう。
で画面のすみにふわっと表示された「※20××年×月に放送されたものを再編しています」みたいなテロップを見て、なんだ昔の映像かとホッとするのだ。
慣れてきてからはここがスムーズになって、「えっこんなに密集……いやこれきっと過去の映像だよな」というようにはなったが、最初に疑いの目を向けるフェーズがなかなか省略できない。自分のこのような"警察"感情にガッカリする。
ただ、自分はまだ自覚して踏みとどまれているだけ幸いというもので、世の中には思ったら秒で言葉や行動に出力されてしまう人や、自身の正義について一ミリも疑わない人が結構多い。
この前サザエさんの外出回にクレームがついたという話もある(作為的炎上とも聞くが)。
仮にコロナの終息が始まって、いろんなものが徐々に動き出したとき、本来の目的から切り離されなんとなくただ漠然と「マスクをしないこと」「集まること」「外出すること」が悪のように扱われはじめるようになるような気がする。
ただでさえ風評の悪い「パチンコ」「夜の街」「喫煙」はもっと風当たりが強くなりそうだ。例えコロナがなくなっても、本当にただ漠然と。