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はてなキーワード: 作為的とは

2017-03-25

http://anond.hatelabo.jp/20170325175541

あ、そうなんだ。ガヴリール見てないけど。

それとなごみ理解できないんじゃなく、作為的なけもフレみたいな和みもどき理解できないだけなんだが。

あとけもフレ信者ってなんで冷静に話ができずに強い言葉を使いたがるの。

まったくフレンズ的ではないよね。

2017-03-17

オタク映画館SAOを見るよりモアナを見ろ

モアナ伝説の海、とにかく凄かった。

まりに凄すぎたので、とにかくこのホットな感動を伝えたいという衝動に突き動かされて今これを書いている。

もう本当に凄い。

クオリティという意味でもそうだし、面白さという意味でもそうであるし、何かもうこの映画の全てを総合して凄いとしか表現しようがない。

もう色々な人に出来る限り観に行って欲しいくらいに素晴らしい映画なのだが、その中でも特にオタク達に観に行って欲しいのだ、この映画を。

何故ならこの映画普段ディズニーアニメのメインターゲット層であるお子様達よりも、素敵なお姫様王子様とのラブストーリーに憧れる少女達よりも、大人になってもディズニーラブなお姉様方よりも、それらのどの層よりも、何より冒険と戦いと伝説勇者にいまだに憧れる馬鹿野郎共にこそ深々と心にぶっ刺さる熱い熱い熱い映画であるのだから

そう、この映画は大いに感動も出来るし、ハートフル気持ちにもなれるという普段ディズニー看板を全く偽ることなく、果てしなく広がる海を旅する冒険と、心を奮わせる激しい戦いと、熱き血潮と筋肉入れ墨をも同時に詰め込んだスーパーマッチョアクション巨編なのである


しかしこのまま熱く内容についても語り尽くしたいところではあるのだが、まだ公開して一週間も経っていない今そこまでネタバレしてしまうのは気が引けてしまう。

何よりこれを書いている目的はより多くの人にモアナを見て欲しいという気持ちからであるからして、そんな未視聴の人達から初見の感動を奪ってしまうのも忍びない。

なので、大筋のネタバレを避けつつ「モアナ伝説の海」という作品の魅力をいくつかピックアップして紹介していきたい。




1.ストーリーがいい

すでに巷では海のマッドマックスだのワイルドスピードだのと評判であるが、まずモアナは決してそんなインパクト重視な部分だけの映画ではないことを強く主張したい。

確かに途中から明らかにマッドマックスだし、終盤のセーリングバトルはまさしくワイルドスピードである

そういう面がモアナのわかりやすキャッチー面白であることは否定しないが、それらに劣らぬ魅力がそんな荒唐無稽描写を単なるパロディギャグで終わらせない骨太ストーリー展開にある。

序盤の展開を少しネタバレしてしまうことになるが、ここで軽くその一端を語らせて欲しい。



村長である両親や周囲の期待に応え、村を継ぐという自分の将来がすでに決まってしまっている少女モアナ

しかし同時に彼女は小さい頃から抱き続ける、海を越えて旅することへの憧れを捨てきれずにいた――。



ここまではディズニーでよくある抑圧されたプリンセスという構図であるが、モアナはここからが少し、いやかなりいつもと違う。



しかし、村長の娘として過ごす内に、彼女が暮らす島には徐々に異変が現れ始める。

・島の命が涸れていく――。

異変の原因は、今も口伝で伝わる神話の昔に起きたある伝説に原因があった。

伝説は嘘ではない。海へ出ることを夢見るモアナの唯一の味方である祖母は、島に危機が訪れた今こそ彼女真実を語る。

・島の先祖達の真なる歴史、そして島の中のとある場所封印された船達。そして幼少の頃より海に選ばれし者であった自分運命

・島に、いやこの世界全てに危機が迫る今こそ、少女は己の運命先祖から受け継いだ血に突き動かされて、封印された船を駆り、世界を救う旅へと出発する――!



これである。これがモアナの真の姿なのである

そう、もう完全に少年漫画なのだジャンプに連載されていても違和感がないほどに完全に少年漫画なのである

何だったら船をロボットに置き換えても通じる。

飄々とした老人が語る真実。選ばれし血筋運命。島に封印された兵器世界を救う旅に出る少女

まさしくロボットアニメ文法そのまんまである。そんな作品を見てみたいと思わないオタクがいるだろうか。

俺は見たい。そして実際に見た。凄い。この序盤以降も、もう本当に自分が望むままの血湧き肉躍る冒険活劇が繰り広げられるのである

そう、冒険活劇。まさしくモアナとはそれである

この時代ガッチリと、一分の隙も無く見事な、全く伝統的でブレることな王道を真っ直ぐ突き進む冒険活劇が見られるのだ。

それこそが、そんなストーリーこそがモアナ最大の魅力であると、自分はまず自信を持ってオススメしたい。




2.ラブストーリーじゃないバディものである

そして二つ目ポイントもそのストーリーに掛かってくる部分なのであるが、「この映画は全くラブストーリーではない」というところをそれとして挙げたい。

そうは言ってもディズニーで、一応プリンセス主人公なんだぜ? ラブストーリーじゃないなんてことあるの?、と思われるかもしれない。

しかし、安心して欲しい。

自分のようにモテない独身男が一人で観に行っても全く闇を抱えることがない程に、清々しいくらいにラブストーリー要素は一切ないのである。(一応カップリング的なものはあるが、あくまファンの受け取り方次第である)

前年度のディズニー映画ズートピア」も恋愛関係というよりはバディものに近い関係性であったが、モアナはそれよりも更にバディもの、なんだったら師弟もののような関係性となっている。

一応に一応を重ねて今作のプリンス立ち位置であるマウイというキャラクター存在するし、彼と二人でモアナは旅をすることになるのだが、映画全編通して二人の間には一切恋愛を匂わせるような心の交流存在しない。

しかしだからと言って二人の関係が薄いということは全くなく、冒険を通じてモアナという少女とマウイという英雄の間には友情のような、あるいは兄妹のような、あるいは師弟のような、固い固い絆が結ばれることになる。

そしてそこに恋愛というモチーフが一切入ってこないというのが、本当に爽やかで気持ちよく思えるのである

恋愛感情の一切無い男女のコンビというと「シュガーラッシュ」の例も存在するが、デフォルメの効いたキャラクター同士であるあちらよりも一人の人間としての形を色濃くデザインされた男女二人が恋には落ちないモアナはより珍しく映るだろう。

そしてそんな関係の二人だからこそ、シンプル恋愛だけでない複雑な魂の結びつきを感じる余地も生まれキャラクターとしての奥行きを生み出しているようにも感じられるのだ。

独身男の心を傷つけない優しさという点だけではなく、そういう作品的な深みを生んでいる意味としても、ラブストーリーでないということはかなりオススメ出来る点である個人的には考えている。




3.単純な悪役のいる物語ではない

これまたストーリーに掛かっているポイントであるが、個人的にもこのポイント独立したものとして強く推したかったので語らせて欲しい。

さて、ディズニー映画と言えば必ずわかりやすヴィラン(悪役)がいるというのが御約束である

時には極悪非道、時にはコミカルで憎めない、そんな多種多様ヴィランディズニー映画には登場するのだが、彼らはまた必ず物語最後には主人公達に打倒されるものでもある。

単純な小悪党というパターンも多いが、彼らは多かれ少なかれ作品内の歪みを体現した存在でもあり、彼らが単純に倒されるだけでいいのだろうかというモヤモヤを残していったりもする。

それをして作品に奥行きと考察余地を与えたり、現代における社会問題を反映させた構図としてみせたりするのがディズニー映画の一つの魅力ではある。

それは個人的にも長所ではあるとも思うのだが、やはり作品を見終えた後でいくらかの引っ掛かりや疑問を抱えたままになるし、それがあまり気持ちのいい感情ではないことも否定は出来ないだろう。

しかし、今回のモアナにはそれが一切存在しなかった(と、個人的には感じている)。

単純に歪みと闇を抱え、倒されるだけのヴィランというもの存在しないのである

確かにモアナ冒険の途中には、モアナ達を狙う敵達が登場したりはする。

しかし、いずれも己の信念、というよりは生き方に基づいて立ち塞がるのであり、憎み合う敵というよりは障害物に近いものとなっている。

そしてその全てが憎めなくてどこか面白い、魅力のあるキャラクター達となっているのだ。

からと言って、モアナという作品がそんなただ優しいだけの世界を描き、テーマ性の薄いものになっているのかというとそんなことも一切ない。

作品テーマ最後まで一本筋の通ったもの存在しているし、それは様々なことを深く考えさせられるものである

モアナを取り囲む世界も優しさに満ちていることは否定しないが、時にどうしようもない厳しさというのも十分に描かれている。

そして、この世界におけるこれまでのようなヴィラン体現する歪みというものは、モアナとマウイを含む全ての人物が己の心の中に持っているものとされている。

モアナとマウイは冒険を通じて自分の歪みと向き合うことでそれを打倒し、誰にも押しつけることなくそれを昇華する。

からこそ、明確なヴィラン存在しない物語というもの存在し得るのである

そして、そんな物語の迎える結末というものが、もう本当に、涙が出るほど清々しく、爽やかな気分にさせてくれるのだ。

何の引っ掛かりも疑問もなく、ただただ爽快感だけを残してモアナという作品は終わってくれるのである

単純なハッピーエンドではなく、みんながこれからも考え続けていかなければならない。確かにそういう作品大事だし、素晴らしいこともわかる。

しかし、たまにはここまで気持ちよく、優しい世界を描いた作品を讃えるのもいいではないか

さらに加えてこの作品プリンセスの不遇を描くに辺り、誰かしらや何かしらからの悪意が存在したりしないことも個人的には素晴らしいと思っている。

物語の序盤のモアナは抑圧された状況下にあることは確かなのだが、それは全て優しさと正当な理由があってのことなである

からこそ、モアナの旅立ちのシーンが本当に胸を打つものになっている。

そしてそれはプリンセスの生い立ちや状況だけでなく、マウイという存在や行く手を阻む様々な困難の全てに単純な意地悪や悪意だけで構成されているものがない。

そういった部分も、この作品の優しさと爽やかさと気持ちの良さを支えているように思う。

作為的な悪というもの存在しない点。それもまたこの作品における重要オススメポイントとさせていただきたい。




4.ディズニー渾身の映像

これについては今更自分のような者が語ることはないほど周知されていることだとは思うのだが、それでも今一度ここではモアナの魅力としてオススメさせて欲しい。

南洋の島々の楽園のような景色雰囲気

そして透き通るような美しさを持ちつつも精巧絵画のように鮮やかな色をも見せ、生き物のようにうねる、これがアニメーション可能なのかと驚愕しきりの海の表現

愛くるしくも時に凜々しいキャラクター達の活き活きとした表情と動き。

そして何より激しいアクション! グリグリと動きまくる格闘戦! ド迫力な神と英雄のバトル! 躍動する筋肉! 精緻美術設定によって作られた変態改造船舶

もう枚挙に暇がないし言葉も足りない程に美しくて活気に満ち溢れた、そして過激かつマッチョモアナ世界スクリーンの向こうには広がっているのだ。

なのでこれはもう是非ともディスク化を待たずに劇場へ足を運んで、ドデカスクリーンでこの映像美を拝んでいただきたい。

そのマッチョマッハアクションにはとてつもなく興奮することは間違いないし、そのあまりに美しい世界観に感動することもまた間違いがない。

特に予告編でも一部見ることが出来る夜の海を光る船団が行くシーンは本当に、本当に美しすぎて溜息が出るので絶対劇場で見て欲しい。

そして海のマッドマックスと呼ばれる所以たるシーンも併せて是非。いや、マジでスゲーのよ。




5.挿入歌の使い方が最高

これもまあ今更自分が語るようなことではないと思うのだが、それでもあまりに感動したので書かせて貰いたい。

とにかくこのモアナという作品劇中歌が強い。

劇中歌の強さで天下を取ったディズニー作品と言えば「アナと雪の女王」が記憶に新しいが、個人的にはモアナのそれはアナ雪に勝るとも劣らぬ力があると感じた。

その上で、更にアナ雪よりも強いモアナの要素として劇中歌が挿入されるタイミングがとにかく最高ということが個人的には挙げられると思っている。

アナ雪で一番有名かつ作品テーマソングともなっている「Let It Goであるが、実は劇中での使用は一度のみなのである

それもエルサが城から逃げ出して自身能力で氷の城を作り上げるという、映像的には圧巻の美しいシーンではあるのだがタイミングとしてはいまいちカタルシスを感じていいのか微妙な部分で使用される楽曲であった。

対してモアナにおけるメインテーマソングである「How Far I'll Go」は、作中で数回に渡って使用される。

そして、それは主人公であるモアナが悩む時、壁にぶつかった時に、己を慰めるように、あるいは鼓舞するかのように歌い上げるのだ。

この劇中歌の流れるタイミングと、ストーリー的なカタルシスの一致がとにかく素晴らしいのである。素晴らしいシンクロ具合を見せてくれるのだ。

そしてこのテーマソングが一度ならず幾度も使用されるというのもありがたい。

作中のシーンに合わせて幾つもの曲を書き下ろすディズニーにしては珍しいしそこを欠点に感じる人もいるかもしれないが、一つの曲を大事に使ってくれる今回の方が個人的にはより好みであった。

そして何より言うまでも無いこの「How Far I'll Go」という楽曲自体の素晴らしさ。

切なくも力強いこの曲のサビの部分は、何度も使用されてこの歌を覚えていくことで作品の後半に進む程により心を震わされ、感動させられる作りになっているように思える。

更にモアナ役の吹き替え声優である屋比久知奈さんの歌声もこれまた最高で、これがあってこそと思えるものであり、この歌声と曲が合わさる相乗効果は本当に言葉にならない。

そして無論、「How Far I'll Go」以外にもモアナには素晴らしい劇中歌の数々が存在しているし、それらの使い方も言うまでもなく素晴らしい。

特に「We Know The Way」という曲はこれまた複数回使用される曲なのだが、映像と力強いメロディーとを合わせて自分の中の冒険心というものをこれでもかとかき立てられる素晴らしい曲であった。

とまあ、とにかくモアナ劇中歌は「曲自体の素晴らしさ」、「それが使用されるタイミング」、「その曲を覚える程繰り返し使用してくれる演出」と三拍子揃ってとてつもない感動を与えてくれるものとなっているのだ。

そしてそれを劇場の迫力ある音響で堪能出来る至福といったらもう、是非とも映画館に足を運んで味わって貰いたい。それ程大きなオススメポイントである。というかモアナでも極上爆音上映とかないですかね……。




さて、以上が自分モアナという作品で素晴らしいと感じたポイントであり、オタク達にオススメするポイントである

いかがだろうか、正直書いてる内に止まらなくなって自分でもちょっと引くほど長くなってしまったが、それくらい情熱に任せて書いてしまえる程モアナという作品面白かったのだ。

なので、これを読んで少しでも食指を動かされた人には、本当に是非、すぐにでも劇場で観ていただきたい。

というか今すぐ観よう、今日レイトショーで観よう、明日レイトショーでもいい、休日は言うまでもなくモアナで予定を埋めよう。

自分もあと三回くらいは観るつもりである

誰に何を言われたからでも、観覧特典のような配布があるわけでも、ディズニーから金を貰ったからというわけでもない。

ただただあの優しくも熱い冒険世界をまた味わいに行きたいかである

そしてこれを読んでいる皆様にも、是非ともそれを味わっていただきたい。

純粋にそう願いながら、この文章をようやくここで終わらせることにしよう。

いや、やはり最後にもう一度。

オタクよ、モアナを観よう。絶対にハマるから





……


………


…………



……さて。おまけで、かなりネタバレになってしまうがもう一つのオススメポイントを書き残しておきたい。






6.特殊性


それは巨女巨女だ。

ディズニー渾身の映像クオリティで作られた巨女

巨女こそが女神の姿であり、自然であり、豊かな緑であり、巨女が島となり、大地となり、命を生む!

これこそまさしく地母神信仰の姿!!!

この映画は紛れもなく巨女信仰映画であり、子供達に巨女属性を幼い頃より刷り込ませ、更に一般的認知をも拡大せんとする目的で作られた映画であることは間違いがないだろう。

そう、巨女一般性癖!

みんなでモアナを観て巨女の素晴らしさを知ろう!

2017-03-15

沖縄を抑圧されたマイノリティにするのは誰だ。


香山リカ我那覇さんを「マイノリティに過剰に同化してしまった哀れな存在

として扱うけど、いち沖縄県民の私に言わせりゃハァ?だ。

基地反対派こそ本当はマイノリティで、今の沖縄は賛成とまではいかないけど「容認派」がほとんどだと思う。

日本の今の状態を考えたらしかたない」

自分たち基地によっていやな思いをしてないor恩恵を受けている」

「でも基地によっていやな思いをした(主に老人の)反対派を思いやって口には出さない」「というか沖縄ももめたくない」

みたいな考え方で、賛成とは言わないけど容認する人たち。

その中でニュース女子の件が報道されて、正直納得したよね。

ああ、あの野蛮な人たちは同じ日本人県民ではなかったのか。

なんらかの目的作為があってああいうことをしてたんだ。

思想の違う外国人がやってたことならそれの方がいい、ってね

普通に働くアメリカ軍人ヘイトつけまくったり

そのへんにゴミを捨てたり、下品に喚き散らしたり

近隣住民の「騒音を立てないで」の張り紙を不気味なカカシ?で隠したり

在日がどうとか、どうでもいいけどあれをやる人間たち全てがどうかしてると思う。

こういうこというとヘイトだとか差別だとか抑圧するマジョリティだとか言われそうだけど、もう笑ってしまう。

あれが同じ県民で、すべての沖縄県民がそれにくくられると思ったら、ものすごく嫌だった。

沖縄を離れて、報道されるのを見るたび、「みんながみんなこんなんじゃないのになぁ」と悲しくなった。

もしそれがなんらかの作為的な行動であれば、それを画策した人間に私は腹が立つ。

というか、沖縄県民でも直接いやな思いをしたこともない人間が何をしているのだ、あそこで。

我那覇さんは勇気があると思った。

沖縄県民の前に日本人であるというような言葉に、ああ、そうなんだよなぁと思った。

彼女応援している!という人も多いし、それを表明しなくても「よく言った」と思ってる県民は多いと思う。

沖縄メディアは、我那覇さんを取り上げないしなぜかそちらを少数派にしたがるけど、我那覇さんの主張、またはその一部に納得・同感する人は多いのだと思う。

マイノリティ集団には必ず抑圧するマジョリティに過剰に同化する人がいる。抑圧者にとってそういう人はたいへん都合がよく、一時はチヤホヤされる。「ほら、当事者だってこう言ってる」と使えるから。「アイヌ利権を主張するアイヌ」「在日叩きの在日」、そして沖縄にも。利用されてるだけの悲しい人。」

この香山リカ氏の主張に猛烈に腹が立ったのはなぜだろう。

お前が何を知っているのか。

というかマイノリティの過剰に同化チヤホヤされ利用されているのは自分ではないのか。反差別アイドル著名人として、利用されているのはないだろうか?

「私は違うわ。いけないことはいけないもの自分意思で主張し戦うわ。私は正しいの」か?

我那覇さんと何が違うのか?相手側の意見を聞く姿勢があるだけ我那覇さんのほうがよっぽど人としてできている。だからレッテル貼りをして逃げるくらいしかできないのか。

我々をストックホルム症候群被害者のようなものだと思っているのか?

沖縄は、マイノリティなのか。私たちはいつまで抑圧されたマイノリティであるべきなのか?

特に基地を憎んでいないのにそれに反対することが正しいことなのか?

自らの意思をもって基地容認・賛成し、主張することは哀れな被害者の成れの果てだともいうのだろうか。

沖縄を「抑圧されたマイノリティ」にしているのは、誰なのか?

私には、実際に目に見える障害がある。

たとえば、片脚がないと想像してほしい。それにほとんど近い障害だ。

自分人生をその状態で生きてきた私は、今やそれも自分個性ひとつだと思い、もはやチャームポイントだと思っている。コンプレックスはいまやなく、それを活かした仕事をしている。そんな自分を愛している。

片脚がない私たちは辛いんです!バリアフリーを!理解を!寄付を!と叫ぶ同じ障害をもった人もいる。それが悪いことだとは思わないが、自分と違う考えを持っているんだと思う。

そんな私に言う人がいるのだ

「片脚がないと不便だよね。かわいそうに」

「片脚がないことを嘆くことが普通なのに、大丈夫だなんて強がっちゃって。本当は大変でしょう?嫌でしょう?」

私がその時、どんな気持ちになるのかわかるだろうか。

こういうふうに言われたら、どう思うだろうか。

障害があることも受け入れる?そんな自分を愛する?まぁ、頭がどうかしてるんじゃないのかしら」

「私の知っている人は障害者人権向上のためにデモをしているわ。あなたはなぜしないの?」

「彼らの切断した脚を出して同情を買うパフォーマンスが嫌い?このレイシスト!彼らは闘っている弱者なのに!」

あなたみたいな人のせいで本当に困ってる障害者が言われるのよ。「あんな風に生きてる人もいるのに」って。その引き合いに出されてチヤホヤされて利用されて、かわいそうな人ね。あなたはかわいそうなマイノリティであるべきなのに」

あなた障害者の恥よ。もはや国賊よ。」

障害とともに生きた私は、どうしようもない気持ちになるのだ。

彼らは、自分たちがしていることがそういうことであるとは気づかないのか。

真っ当に自分なりの価値観で、自分を愛して生きていきたいだけなのに、言われるのだ。障害のない人に。何故か高いところから

差別はよくないわ。弱者へのヘイトはよくないわ。それをわからせるためなら(自分が決めた)レイシスト排外するわ。あなた弱者から喜んでくれるわよね」

バカじゃないだろうか。

今の沖縄を愛し、基地共存しようとしている人間を、迎合しようとしている人間を、

誰にそのように言う権利があるのか。

私は、沖縄が好きだ。基地があり、ステーキハンバーガーアメリカンファッション名物になり、休日にうろうろしている米軍人と笑顔挨拶を交わす。私が生きてきた沖縄は、そういう場所なのだ。そういうが沖縄は好きだ。そういう人間がたくさんいる。

一部の人からは「アメリカに染められ反対派を愚弄する国賊」だろうが、この多様化時代に私や、同じ考えの人の愛するもの・主張をなぜ鼻で笑われなければならないのか。

狭い良識と偏った考えで、己に正義があると思い込み弱者の味方ですというような顔をして良識人面している、本質を何も理解していない、理解しようともしない、自己愛にまみれた反差別の皮をかぶった差別主義者は、誰なのか。

どうせ彼らから見れば、この投稿も「ネトウヨ沖縄のふりをして書いたヘイト記事」「過剰にマジョリティ同化した哀れなマイノリティなのだろう。

そういう考えでいてもいいと思うが、真っ当に暮らす人間邪魔をしたり傷つけたりしないでほしいのだ。多分話通じないけどさぁ。

ぐちゃぐちゃになった。書捨て。

2017-01-31

http://anond.hatelabo.jp/20170131002745

こんな作為的インテリジェント不足感丸出しの文章で爆釣とか世も末だな。

2017-01-05

http://anond.hatelabo.jp/20170101192018

小売業限定してるあたり作為的ものを感じる

今こうして使ってるサーバ管理やらテレビやらガソリンスタンド従業員には何も言わないのね

正月営業やめろ論は人権派ぶってるけど所詮「俺は困らないからなくなってもいい」に過ぎない

2016-12-09

マーベル副社長発言日本コンテンツ海外進出について

https://oriver.style/cinema/tcc2016-cb/

日東コミコンが開催され、その中でマーベル副社長であるC.B.セブルスキーさんのトークショーがあったようだ。

該当の記事には多くのブックマークコメントもついており、皆様々な意見を言い合っている。


しかし、この記事で一つ大きな誤解が生まれており、いくつかのコメントはその誤解のために少し的外れな内容になってしまっているように思える。

というより少々作為的意図すら感じてしまう。

記事ではその点についての私見と他国日本コンテンツをどう広めるていくかについて書こうと思う。


マーベル副社長は「日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」などと言っていない。


まず、大きな誤解を招きかねない原因はこの記事タイトルに原因がある。

マーベル副社長日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」

と、でかでかと記事タイトルを掲げているが、記事の内容を見るとセブルスキーさんはそんなことを言っていないのがわかる。


日本コンテンツをどうグローバルなものにしていくか?

という部分は「世界を目指せ!日本映画産業は小さくまとまりすぎている」という段落の中でまとめられている。


日本映画産業は小さくまとまりすぎであるというところ。日本ファン日本の観客のことしか見ていなくて、海外の観客のことを全然考えていない。日本監督映画プロデューサー映画会社もっとグローバルにやっていくべきなんですよ。だって日本にはとても優れたストーリー・テリング伝統があり、日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから物事もっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」


ここでセブルスキーさんが言っていることをよく見るとわかるが

日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから物事もっと大きく考えるべき(Think Bigger)でしょう。」

まり日本映画アニメ文化的ものが受けないとは決して言っていない。

これはセブルスキーさんも言っているが、過去の実績からも明らかだ。

マジンガーZやグレンタイザがヨーロッパの一部で受けたり、セイントセイヤがラテンアメリカで受けたり、マッハGOGOGOアメリカマニアに受けたのは明らかだが、これらの作品果たして海外を強く意識した作品だっただろうか。

巨大ロボットに乗りながらも、強く苦悩したデュークフリードヨーロッパでの受けを狙ったとはとても思えない。


また、アニメに限らず実写映画でも同じだ。

海外で高名な黒澤明や小津の作品アメリカ風ヨーロッパ風、あるいは中国風の映画だっただろうか。

事実はその全く逆だ。

黒澤が作った作品で恐らく最も有名な作品である七人の侍」は時代劇ではないか

侍が出てきて日本刀百姓と一緒に戦う映画のどこに西洋らしさがあるのか。

小津の映画は全編が静謐としており日本人らしさに満ち満ちている。


明らかに日本人らしさに溢れているにもかかわらずこれらの映画はそのどれもが海外で受けた。

モチーフ西洋のものを使っていたとしてもその作品の根幹は日本人らしさで溢れている。


セブルスキーさんは現状存在する日本映画ストーリー・テリング伝統をそのまま貫けば良いといっているだけだ。

ここで注目すべきなのはしろ、前半の部分で海外の観客を見ろと言っている部分だ。

まりもっと単純に考えればいい。

海外の観客にコンテンツを届けたり、今現在既に存在する海外の観客が何を思っているのか良く考えろと言っているのだ。


それは、コンテンツの内容をアメリカ向けに変えろとかそういう話ではないはずだ。

例えばクランチロールアメリカカナダヨーロッパで受けている作品は何かの一覧を発表していた。

アメリカの多くで受けていたのは「ドリフターズ」だった。

なるほど、バイオレンスが好きなアメリカ人らしいと思うが、であればアメリカで物を売りたいのであれば今後そのような作品積極的に送り出せばいい。

しかし、そこでアメリカ人におもねって、不自然アメリカ要素を入れたりするべきではない。

我々日本人の考えるバイオレンスさと、ドリフターズで受けいれられた要素を真剣に考えるべきだ。


アメリカのような作品を作りたいと、アメリカコンテンツ適当にナメタような態度で作ってもアメリカ人の作った作品に敵うわけがない。

まれときからアメリカで育ち、アメリカのものの考え方をしている人のようなことを日本で育ち、日本生活をしているだけの人ができるわけがないのだ。

骨をうずめる覚悟で何年も生活すればまた別かもしれないが、そんな人がなぜ日本映画アニメ産業で物を作らねばならないのか。最早意味不明だ。


日本人日本人しかありえず、それ以上でもそれ以下でもない。

ましてや西洋人中国人では決してない。

それはつまり我々の作る作品日本人的でしかありえずその枠から出ることは決して出来ない。

かならずどこかに日本人的な部分が混じる。


アメリカ世界的なコンテンツを作ることが出来るのはある社会的な前提条件が存在するからだ。

それは文化的多様性をそもそも内包した社会からだ。

インディアン/ネイティブアメリカン生活していた文化ヨーロッパからやってきた文化

南アメリカ黒人文化日系人華僑などのアジア系文化

そのどれもが並立して存在しており、また映画製作現場でも多数の民族文化が交じり合う。

なぜならスタッフもまた多民族構成されるからだ。

このような状況を無理やり日本に作り上げたいなら東宝松竹社長アメリカ人にして、フランス映画監督でも引っ張ってくるしかない。そしてスタッフには多数の外国人スタッフを入れるべきだ。

しかし、残念ながら日本社会でそのような会社を作り上げるのは難しいだろう。

少なくとも主流にはなりえない。

であるなら、我々は逆に日本人であることを貫き続けるしかないのだ。


これは日本人文化SUGEEEEEEEEEEEEEとか日本最高!であるとかそういうことでは決してない。

日本で生まれ日本で育った日本人が「自分ストーリーを語る」とは一体なんなのか?

それを突き詰めると結局日本生活した人間目線から見た作品しかありえないのだ。

そういう意味多様性を語るのであれば

例えば、近年東京で増えてきた外国人日本人交流・衝突を描いた映画であるなら語れるだろう。

あるいは「シン・ゴジラ」のような日本ポリティクスを突き詰めた作品もっと作ってもいい。

最初はなかなか理解されない可能性も強い。

細部については理解やすいようにローカライズするのも構わないだろう。

しかし、将来を見据えるならそういったカルチャーの積み重ねによって理解してくれる人を増やすしかない。

海外では日本被れをweeeabooooといって揶揄する言葉存在する。

では、ハリウッド映画を毎年のようにバンバン見ている私たち日本人はなんなのだ

それこそまるで日本版weeeabooooではないか

日本スターウォーズが年間興行収入2位になる国なのだ

そこらじゅうweeeabooooだらけではないか

もし本当に日本コンテンツ海外に広めたいのであれば、文化的衝突を恐れてはならない。

日本進出したハリウッドがそうであったように。


海外の人が日本的ものを作って欲しいという要望を出しているのにもかかわらず

なぜか海外的なものをつくらなければならないと勘違いしてしまう事が日本では多発する。

この記事でもセブルスキーさんの言っている

日本にはとても優れたストーリー・テリング伝統があり、日本文化もっと世界に受け入れられるものなのだから

という発言を聞いておきながら

日本人よ、日本しか通用しないものばかりを創るな」

というタイトルをつけるのは雑すぎるだろう。

もっと日本人の観客の言っていること、海外の観客の言っていることを良く聞くという地道な

コミュニケーションを取る方法以外に解決策はないのだ。

そのキャッチボールを行うためにもっと流通網を整備し、海外意見を拝聴できる体制を整えるべきなのだと俺はそう思う。

つーか進撃の巨人実写版日本の客のことも考えてないだろ。

2016-11-20

顔を上気させて興奮気味に肯定する記事がよく新着に登るけど、作為的で嫌いです。

その手の記事で見られる増田的な口語の特徴が嫌いなのかもしれない。

あと能の記事みたいに上辺の知識豊富なのに、当人感覚から一切何も感じていないことがひしひし伝わる内容も嫌いです。

あんもの、能のトラバについていたコメントのほうが素直に見られましたし。知識人ぶってて臭くてかなわない。

ほぼ日なんかで糸井重里周辺がやたらハイソシンプル土鍋記事をやっていたあの感じに近い。

あれに関しては俺達文化人から、という無自覚なバブリー感に依拠してますけども、能増田プライドを何処かで意識してると思います

ともかくみんな構えていて記事シンプルさがないというか。

レアチーズケーキが食べたくても周囲を意識して二段重ねの豪奢なケーキに仕立て上げてしまう。そんなもの胸焼けします。

2016-11-15

恣意的誤用

追記

誤用ではありませんでした

恣意的誤用」という記事は誤りです

http://anond.hatelabo.jp/20161119102702

謹んでお詫び申し上げます

本文

最近恣意的」の本当の意味を知りました



恣意的 誤用」で検索すると非常に沢山の記事が出て来ます、もう何年も前から有名な話なんですね

こんな有名な誤用も知らずに自分は今の今まで、ドヤ顔で「恣意的に~」とか使っていたわけです

正しい意味を知っている人たちは誤用を見るたびに内心笑っていたことでしょう

本当に恥ずかしい……



以下正しい使用例です

はてなキーワード - 恣意

恣意的であるとは一貫した思想に基づかずその場限りの考えに基づいている点で、明確な目的をもった「意図的」とは区別されるべきである

ttp://d.hatena.ne.jp/keyword/%D7%F3%B0%D5

ニコニコ大百科 - 恣意的

恣意的』という言葉は、文中での登場の仕方が似ているせいか意図的作為的故意とという意味で使われることがあるが、恣意的には、無作為や定まった意図がないというニュアンスがあり、正しくない

http://dic.nicovideo.jp/a/%E6%81%A3%E6%84%8F%E7%9A%84

▼「恣意的」を「意図的」と同じ意味で使ってる人は低学歴 「恣意的」は「偶然に」という意味ですよ

http://engawa.2ch.net/test/read.cgi/poverty/1343400752/

▼「意図的」と「恣意的(しいてき)」の正しい使い分け方

自分や誰かの行動の理由説明できない(と思われる)ときに使います

https://nanapi.com/ja/105751

恣意的の読み方は?皆が誤用しているその意味とは?反対語は?

ランダム」と言い換えることもできます

http://rubeusu-trend.com/1709/

▼どうして意図的って書かないの?

勝手気ままに」「任意に」「ランダムに」「自分勝手に」「無作為に」「その場その場の思いつきで」

http://blogs.yahoo.co.jp/delightful_mikan/60763792.html

▼【誤字等の雑記帳 3】

深く考えず、でたらめに行動している様子

http://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/misc003.html

解釈記事によって少し揺れています

分かりやすく2点書き出すとすると

ということらしいです



まり意図的」という言葉に置き換えてもニュアンスこそ違えど意味が十分に伝わる文章や、"偶然に"といった意味が含意されていない文章誤用ということですね

ではここから誤用だということも知らずにドヤ顔で「恣意的に~」とか言ってる日本語の下手くそ馬鹿達を見ていきましょう

▼****さんのツイート

NHK恣意的編集にはうんざり

まずは個人です、まあ可哀想なので晒さないであますが、NHK批判の前に自分言葉を直してほしいですね、思いっき誤用しています



政府年金運用情報を開示へ…懸念払拭の狙い : 政治 : 読売新聞

運用信託銀行などに委託しているが、情報公開には恣意(しい)的な運用への懸念などを払拭する狙いがある。

http://www.yomiuri.co.jp/politics/20160307-OYT1T50167.html

次は世界最多の発行部数を誇る読売新聞、なんと振り仮名まで振って誤用しています、これは恥ずかしいですね、情報公開で偶然性を廃するなんて意味不明ですからこれは言い逃れできません



フェイスブックニュース表示 恣意的と指摘で調査 | NHKニュース

フェイスブック利用者の画面に表示するニュースについて共和党政治家話題を避けるなど恣意的(しいてき)に選ばれているとアメリカの一部のメディアが伝え、内部で調査が進められることになりました

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160514/k10010520761000.html

言葉遣いには厳しいはずのNHK、なんと表題誤用してます、相当恥ずかしいですね、しかもこれは"偶然に"という意味だったとは絶対言い逃れできない誤用です、NHKしっかりw



▼「哲學研究入門」小石川書房 - 1949(昭和24)年9月30日発行

併しこういう歴史的現實の把握は全く恣意的な直觀に訴えるわけにはいかないから、そこに類型了解ということが必要になって來る

京大名誉教授矢田部達郎先生1949年上梓した本の一節です、旧字体でカッコつけてる割には普通に誤用してます

場当たり的な直感っておかしいですし、明らかに「作為的な」という意味で使っています先生どんまい



▼「文芸」1940(昭和15)年1月

今度の問題は、素子がそれほど恣意的に振舞う筈のものだろうか。

宮本百合子という文壇の元天才少女小説家先生です

全文読めばわかりますが、明らかに偶然性など含んでいませんし、自分の思うままに~という典型的誤用例と同じ形で使っています



▼「文藝春秋 第二八巻第一号」 1950(昭和25)年1月1日発行

まことに二つながら恣意的で、こうワガママでは、どこまで行っても、同じくりかえしにすぎない。

皆さんご存知、坂口安吾文章です、文意にはまったくもって「ランダム性」など含まれていません、典型的誤用ですね



油脂の浪費は法度監視制を創設 : 帝国油糧重点統制要綱決る : 化学 日本産業経済新聞 1943.4.14

地方割当民需(雑工業油、食料油等)の割当を、地方官吏の低度観点、古めかしい実績主義業者請託による虞あるが如き恣意的割当等に委せない制度確立

戦中の新聞記事です、こんな古くから誤用してます



▼日支政府呼応す : 社説 - 大阪朝日新聞 1940.3.31

思うに、今般反共和平建国親日政府樹立の挙たるや、他国家のロボット政権として恣意的に駆使するていの意図によるものでもなくてさりとて戦争相手政府として講和談判の衝に当っているわけでもない

少し遡って戦前朝日新聞の社説です、誤用してます



政党ファッショ大阪時事新報 1933.1.1-1933.1.7

かれらは所謂議院内閣主義否認し、国王恣意的に任命した官僚内閣組織し、議会対立したのである

更に遡って昭和一桁の頃の新聞記事です、誤用してます



▼減債基金存廃問題 大阪朝日新聞 1916.11.22(大正5)

経常費とす可しというにあり、乍併這は既にシェフレーの言えるが如く国債償還費は恣意的に定む可き最可動的の臨時費として各年の予算状態に応じ国家余裕を考察し大小有無伸縮的に定めらる可く

大正新聞記事です、「ほしいままに~」という意味で使っています、偶然やランダム性などという意味は含まれていません誤用ですね



ちなみにこの大正5年の使用例が調べる限りでは最も古い「恣意的」の使用例となっています

まり恣意的」という言葉は一番最初に使われた時、生まれた瞬間から誤用されていたんですね



そしてこの大正5年から2000年頃まで、1世紀近くの間、ほぼ全ての使用例が誤用となっています

酷いですね



正しい使い方、本来意味で使われるのは2000年以降、ネットが普及してからになります

特に最近は親切な人達ネット上で

とか

とか言って正しい使い方を普及してくれています

ありがたいですね



皆さんも誤用には気を付けましょう

2016-11-11

http://anond.hatelabo.jp/20161111194624

何が言いたいのか全く分からんが、かろうじて分かるのは誤訳しても多めに見ろってこと?

突っ込みが入ってるのは訳の精度よりもそれを受け手側が感じる印象に余計なもの作為的ものが含まれいるか問題視されてるんだろ

日本人同士の日本語でも言い方ひとつ変えたら意味が変わってくるなんて日常茶飯事だろ

意訳することに常に危険性を伴うのは直訳した場合よりもニュアンスの変化が意訳側の手によって発生しやすいからだ

ナントカ言うよく叩かれてる翻訳者も意訳に自分感性をまぜすぎたり手抜きと思われかねないような訳し方をしてるから批判対象になってるわけで

訳すことの精度以前の問題

「奴の口に靴を突っ込んでケツにビール瓶をぶちこんでやれ!」→意訳:やってやれ! とかされたら普通にキレるだろ

「やってやれ!」は言いたいこととしては一致してるかもしれんが、センスニュアンスも大幅に変更されてるだろ

そんなの同じ作品を見てると言えるのか?アイヘイチュー!

単語意味を間違えているとかそういう意味で叩かれるのはむしろ殆どない

大体、納期に間に合わすために自分都合の意訳して、そのユニークユーモアの無さに失望されているだけ

まだ直訳のほうが感慨深かったのにっていうのは意訳のせいで物語への没入感じが損なわれてしまたか

それなら日本語的におかしくても直訳することで想像させた方がまだ作品への貢献度は高い

思いつかなかったから直訳しましたっていうのは一件翻訳者の敗北にも取れるが、

実際置き換える言葉がなければこの選択肢は限りなく正解

直訳は文化的背景さえ理解していれば受け手側は正確に消化できるが、

意訳ではちゃんとヒアリングで全部単語を拾い切れてないとその差異に気付く間もなく次のシーンへ移ってしまいある所で整合性が付かなくなったり伏線を回収しそこねたりする

それを選択できないのは単に個人的都合の保身に走ってプライドを守りたいがため

そんなもん視聴者からしたら知ったこっちゃない

から叩かれる

 

海外の本のタイトルもびっくりするくらい原題雰囲気を損ねるクソ以下のセンスに直されるのもある意味共通してる問題

2016-10-20

http://anond.hatelabo.jp/20161020112057

科学結構割合数字提示するよ。

操作されてたり、作為的に選別されてたりする数字を。

ターゲットに「科学っぽく」見せるために数字はとても有効から

2016-08-20

キーボードJK問題の俺的まとめ

雑魚ナメクジな俺が、

今日時間色々読んだ上で、俺の考えを整理してみた。

晴れた土曜になにやってんだ俺。




1.これは「子供貧困」の事例か否か→「子供貧困」事例である


経緯や家計の出費状態に関わらず、

経済的理由で進学がままならない状況自体が「子供貧困である

子供の散財は問わない。子供には正しい判断を求められない。

親の教育問題であればそれは子の責任ではなく、

それも含めての「子供貧困問題である

その背景として、

相対的貧困」や「貧困からこそ趣味を求める」指向

貧困判断力を鈍らせる」等が考えられる。

このような「子供貧困」に対して、

社会はどんな支援を行うべきかが、本来番組が問おうとしていた問題




2.「キーボード」の件→作為的である可能性が高く、だとすればやり過ぎ。


子供貧困問題運動への主体的な参加、

twitter普通に使えている点、

趣味のことはしっかり情報収集できている点などを考えると、

PCが3万円で買えることを知らないという「情報格差」説は支持しにくい。

キーボードだけでも買って覚えようとする程度にPCを重視しているなら、

最低でも一度はググってると考えるほうがしっくりくる。(仮定

以上から作為的である可能性の方が高いと考える。


作為的であるとすれば、

ショッキング映像問題実態以上のものに見せて関心を引こうとする手法はいただけない。

このような事態で「子供貧困問題に対する社会視線懐疑的になることこそがもっとも憂慮すべきこと。

高校生の発案なら大人が止めるべきだったし、

彼女の背後で大人が発案しているならNHK取材を通して見抜くべきだった。

NHKの発案なら、BPO問題

2016-08-12

おれにとって「シン・ゴジラ」は死霊の盆踊り

シン・ゴジラ」を見終わった直後の感想は「おもろいけど、説教くさくてめんどくせー」だったが、

疑問点を検討した結果、「シン・ゴジラ」はおれの中で「死者たちが地獄ゴジラと戦い続ける映画」と結論づけられ、さらにめんどくさいこととなった。

以下、映画内容についての妄想があり

  

まず、最初になんじゃこりゃと仰け反ったのが、官邸に海底トンネル崩落の死者が0人と報告されるところ

車両が何台も走行しているトンネル天井抜けて、海水が流れこんでんのに死者がいないってありえんやろ。奇跡か!

海水瓦礫やらで満たされたトンネル、どうやって被害状況確認したん?

崩落の原因もわからず、2次被害も当然想定されるなか現場確認したんか?

道路カメラ映像避難者照らし合わせたら、誰も死んでないってことだろうか。それにしても報告早すぎだろ。AI使えば楽勝なんだろか?

しかも、「死者0」報告に誰も疑問を呈さない。官僚機構はクソだけど現場は優秀だから信用してるということか

おれが観た限りこれ以降も、死者の存在映画に現れることはない。

  

つぎ、ゴジラが再上陸して防衛相首相自衛隊の発砲許可を求めるとこ

ここ観ながら「なる、ここは時間軸が前後してるんだな」と勝手にきめつけてたら、そんなことなくて愕然とした

おれは「ゴジラへの発砲許可下りず、ゴジラ上陸を許す」って描写だと決めつけてたんだけど

実際は「ゴジラが再上陸してから市街地での自衛隊の発砲許可をだす」ってところでした。

ゴジラ上陸が予見されるなか、至上命題ゴジラ上陸阻止だろって考えたおれがバカでした

ゴジラ発見直ちに空自スクランブル。くらい事前に立案されてると予想したおれが浅はかでした

多摩川防衛線での攻撃を観ながら、これって焦土作戦だろか。人的・物的損害、上陸させたメリットってなんだろ?って考えてたのもむなしい

市街地ドンパチのほうが、海上のゴジラ攻撃より見栄えがよいからだろか?空自スクランブルって平成ガメラに似た場面あったし

おれの予見は外れたが「ゴジラの再上陸政府絶対敗北」というのはおれの妄想ではないはずだ

作中の危機管理はその起点となるべき認識において、致命的な欠落を抱えていることになるとおれは考えるが、これは作為的ものだろう。

現実ヌークリア原子力・核)政策における危機管理がそうであった、もしくはそうでありつづけるように

  

最後クライマックスの対ゴジラ作戦

無人機攻撃は狙い通りの効果を上げるし、電車爆弾は狙い通りの効果を上げるし、

ビル爆破も、凝固剤の経口注入も狙い通りだ

指揮所本部ゴジラを直接視認可能立川自衛隊で、視認可能ということはゴジラのレーザの射線にあることと同義であるが、指揮所からみる対ゴジラ作戦あくまでも遠景に過ぎず、およそ現実感がない

蛇足だが、第1ポンプ隊と第2ポンプ隊との間にはきっと通信回線はないんだろうな。あるのは指揮所と各隊との縦の通信回線のみだろう。横の通信回線はない。決死隊だからね。第2が第1が壊滅したことを知れば士気に関わるし。と想像すると指揮所の主人公の泰然とした姿に戦慄をおぼえる)

ゴジラ事案」収束可能にするモノ・知識が積み上がっていく様で、かつて読んだ直木賞作家高橋克彦氏の「総門谷」をおれは想起した。

現実福島原発事故は本作戦使用されているコンクリートポンプ車による放水により収束したのだったか。注水作業従事された方々への尊敬の念は禁じ得ない。が、しかし、注水作業メルトダウン後であったと理解している。現実では手遅れだったポンプ車が本作で活躍しているのをみておれはこう思う。

人間ゴジラ活動停止させるにはファンタジー必要だと。逆に言えばゴジラ人間が止めることな現実では不可能であると。

  

以上をテキトーにまとめたおれの結論を改めて記す

  

シン・ゴジラ」は、ヌークリアで死んで亡者になった者たちがヌークリア消滅させるという不可能な願望を延々と繰り返す地獄絵図の一幕である。実にお盆映画にふさわしい。んでもってこの地獄絵図はおれに問いかけるのだ。それでもヌークリアを存続されるのなら、あとは好きにしろよと。

2016-08-05

ポケモンGOやってないけど

https://mobile.twitter.com/five_island/status/761399221077495809

http://mainichi.jp/articles/20160805/k00/00m/010/122000c

・ド平日に

固定電話のある

・18歳以上のいる世帯に(電話に出るなら親世代以上)

電話調査をして

・73%がポケモンGO規制すべきと回答

っていくらなんでも作為的すぎやしませんか?



誰に頼まれた?毎日新聞よ…

ポケモンGO視聴者を奪われたテレビ業界か?

それともポケモンGOクリック収入を減らされた広告業界か?

あるいは両方か、全く別のそれ以外か?


怒らないから正直に名乗りなさい。

2016-07-23

最近週刊文春は明らかにターゲットを殺しに来ているよね?

鳥越俊太郎が文春を事実無根だ、訴えるとか言っていて、ああ、終わったなと思った。

最近の文春を見ていればわかるとおり、これ1回で記事が終わるはずがない。

第二弾、第三弾と小分けにして、ターゲットを追い詰めていく。

昔のスキャンダル報道の仕方とは明らかに変わってきている。

昔は写真一発、証拠一発で単発の記事にして終わりにしていた。

から別に致命傷には成り得なかった。無視謝罪をして、ほとぼりが冷めるのを待てばよかったから。

最近の文春は違う。証拠を小分けにする。

しろ、第一段目は脇が甘い記事を出す。

それで今回の鳥越のように「事実無根だ」と言ったところで第二弾に決定的なものを出す。

過去スキャンダルだけではなく、現状の「うかつな行動」を誘い出すように作っている。

おそらく、次週の文春で言い訳できない証拠提示して、鳥越は本当に終わるだろう。

週刊文春編集長は「自分らは報じているだけ」とうそぶいているけれど、

明らかに作為的戦略的ターゲットが潰れるように報じている。騒動が大きくなるように作っている。

あんたら、何がしたいんだよ。

2016-07-18

菅野完さんへのお詫びと週刊金曜日に関する政治的駆け引きの詳細

菅野完さんから暴力被害を受けたというXさんからの依頼で、7月14日に「菅野完 noiehoie の性暴力」というエントリーを上げました。

http://c71.hatenablog.com/entry/2016/07/14/153922

これは自発的に書いたものではなく、一部の人の思惑に沿って書いた作為的エントリーでした。善意からはい係争中の案件を裏取りもせず、頼まれるまま無責任に書いてしまったことを関係者の方々、ならびに読者のみなさまにお詫びしたいと思います

 

この件には私が知る限りでも週刊金曜日編集者の方、係争事件弁護士の方、濁山ディグ太郎さん、中島岳志さん、山口智美さん、いとうせいこうさん、朝日女性問題を多く取り上げている林美子記者始め多くの方が水面下で結束しています。私はこの繋がりが純粋に性暴力被害者を救済し、再発を防止するためものなのか、菅野完さんの日本会議批判関係があるのか、疑問を持っています

 

以下長文になりますが、顛末です。

 

7月14日Twitterフォロワーであるfさんから暴力事件についてのエントリー被害者を助けるために書いてほしいという連絡があり、被害者を名乗るXさんとグループチャットお話しました。私は自分自身が性暴力被害者であるため、そこで聞いた話と発売前の週刊金曜日キャプチャの内容に強い衝撃を受け、フラッシュバックで正常な判断力を失ってしまいました。Xさんとも菅野完さんとも面識がないにも関わらず、被害に遭ったというXさんとかつての自分が重なり、無条件で力にならなければならないと思い込んでしまったのです。

 

見ず知らずの方の係争中の案件に関わることは軽率なのではないか、発売前の雑誌の紙面を大きく掲載したキャプチャ使用著作権侵害に当たる場合、その責任は誰が取ることになるのか、そういったことについてさえ十分に話し合うことなく、とにかく発売までにエントリーをアップして拡散させなければと必死記事を書きあげました。

 

パートナーは私が本業の準備、食事や持病のための休息時間犠牲にし、フラッシュバックでふらふらになりながら、ひたすらテキストの加筆修正を繰り返す様子を見て、とても心配しました。彼は当初から先方がこれだけの依頼を出しておきながら、執筆料の申し出を一切しようとしないことにも疑問を持っていたようです。

 

長文のテキストであることに加え、Xさんと彼女支援者を名乗る人たち、また弁護士週刊金曜日編集部から要望が後からいくつも追加され、私はその度に細かい修正に応じました。加筆修正の度、何度も何度もおぞましい性暴力のについて読み返すことで自分自身の性暴力被害が蘇り、吐き気と動悸と冷や汗でとても苦しかったです。でもそのときは「性暴力被害を許してはならない」「被害者自責の念を持たせてはならない」ということしか考えられませんでした。

 

ようやくOKをもらったエントリーはXさんの支援者ではなく、紹介者のfさんを通じてリツイートしてほしいと頼まれました。私と同様事件無関係のfさんがなぜ?と疑問思いましたが「被害者探しを避けるため」といわれ、「被害者危険晒す気ですか?」と脅されているように感じ、何も言えませんでした。

 

また「フェミのお仲間を通じてリツイートしてほしい」「互助会互助会のノリで、お願いします!」という言葉には(フェミの仲間なんていません。一人一人が自分の考えで発言しているんです)(互助会なんてありません)と思わずにいられませんでしたが、言い返すだけの気力もなく、上手く言葉にすることができませんでした。

 

パートナーはXさん、濁山ディグ太郎さんらに新規はてなidを取得してブログを書いたり、増田を使って匿名エントリーを上げてみたりしてはどうかとすすめましたが、誰一人それに応じた人はいませんでした。憔悴している私を傍で見ていた彼は私一人が矢面に立たされることに強い憤りを感じており、それを見ているうちにようやく私も「これは何かおかしい」と自分感覚の異常に気付くことが出来ました。

 

私は自己評価が低く、記事作成を依頼されたときも「なぜ私が?」という思いがありました。そのことについてXさん、naeさんらから自己評価が低いからこそ被害者によりそういい記事が書けた」といわれたとき限界が来ました。私自身は自己評価の低さと戦うため、これまで命を削ってきたからです。個人差はあると思いますが、性暴力被害者自分を無価値であると考えるのは謙虚さとは違います。この苦しさは「だからよかった」といえるものではありません。

 

記事を書いている間の緊張とエントリー反響、そして休息や食事を後回しにしていたこと、何よりフラッシュバック普通状態でなかったことが重なり、私はXさんの支援者の皆さんに感情的な反応を返してしまいました。そのことはお詫びしたいと思います

 

しかしようやく少しだけ判断力を取り戻したいま、パートナーをはじめ友人たちに話を聞いてもらい、この件を伏せておくことは良心的に出来ないという結論に達しました。私は知らずに政治的駆け引きに加担し、証拠不十分な係争中の事件について、言われるままに一方的宣伝をしてしまいました。裏で糸を引く大勢の人たちの思惑に従い、とても公正とはいえないやり方で日本会議批判攻撃する立場に立っていました。

 

このような事情によってあのエントリーを書いたことを読者のみなさんに知っていただきたいと思います。このような結果になったのはひとえに私の迂闊さと甘さによるもの反省しています。今後は利用できそうな人間は誰彼かまわず利用する人の餌食として踊らされないよう健全自尊心を持ち、自分他人の心の境界責任所在を明確にしていきたいです。他人回復の前に自分自身安全を守ることが、私を大切に思うパートナーや友人たちへの愛情だということを忘れないでいたい。またXさん、菅野完さん、そして日本会議に対する思想立場について、感情的思い入れに流されない視点を持ちたい。都合よく踊らされるのはもうたくさんです。

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って書くな、自分だったら。そして拡散済のエントリー最初最後に追記として、こっちのリンクを貼る。

相手が悪いと攻撃するよりよっぽど効率的だぜ。

http://c71.hatenablog.com/entry/2016/07/17/224429

2016-06-06

http://anond.hatelabo.jp/20160606144837

何年も投稿して反応が返ってくるのを経験してると

最近のヒット作はこれでそこまで盛り上がるの?っていう不自然作為的な感じはする

2016-04-13

anond:20160413023627

富士通入社5年目の自分だが、ちょっと会社庇護をさせてほしい。彼の求める仕事会社存在しなかったわけではない。



弊社、ここ数年、OSS利活用に猛烈に注力している。有名どころではCloud Foundry参画の話http://www.publickey1.jp/blog/15/26_paas.htmlOpenStackへのコントビュートリンク先は作為的抽出なので注意)http://stackalytics.com/?release=all&metric=commits&module=api-site



彼の求める仕事はおそらくあったはずで、彼がその仕事をできなかったのは運(縁)がなかったという話で同情するし、彼の上司はクソだという点にも同意する。(彼の心象にも、富士通への風評的にも、それ以前に人としてよろしくない)



Excel某の話は自分経験があって、弊社開発の闇。1年目は彼と似たつらい思いもした。そういったことも全部自動化できればよいが、マンパワーで解決してしまいがち。ただ、2年目からは新製品の開発を含めガッツリ開発できたし、今はSI上流工程担当させてもらって(苦戦はしてるけど)充実してると感じる。



彼の境遇から辞めたことを批判できないが、面白い未来もあったかもしれないというお話



今後の彼に幸あらんことを。



# ところで弊社、2016年入社であれば絶賛研修中のはずだけど、2015年度以前入社?あるいはグループ会社

2016-03-18

http://anond.hatelabo.jp/20160318165013

ヒント:「絡まれた」のではなく、それは増田によくある怪異一種に遭遇しただけの事。人為的もしくは作為的ものを感じたら負け。自然体で対応できるようになってこそ一人前の増田

2016-03-16

F6は六つ子本体真逆性格設定?

「爽やかジャスティス松野おそ松」

おそ松は全然爽やかじゃないし、ジャスティスって感じも一切しない。

合コンオーディション回のトド松へのアレもゲスしか言いようがない。

 

肉食系肉、松野カラ松」

肉食系じゃない。逆ナン待ちしてるし、メンヘラデブスの言いなりだし。

一松にやりたい放題されても抗議が弱すぎ。肉食系でありたいんだろうな、という感じ。

 

「ビューティジーニアス松野チョロ松」

頭脳担当やれるほど勉強出来てないと思う。履歴書英検6級って書いてるし。

意識高い横文字を乱用した回で、言ってることが意味不明だった。

(花の精が横文字を使ったとき意味が通っていたので、チョロ松の横文字の使い方がやっぱりおかしい)

 

ミステリアスクール松野一松」

動じやすいというか打たれ弱いというか幼いというか、とにかくクールではないと思う。

突然の脱糞ミステリアスとするかは保留。

 

スイートプリンス松野十四松」

うるさいとか寒いとか、身体的な不快に激弱なことが判明した最新話で、全然プリンスではないよなと。

自殺しそうな女の子を助けようとか、ダヨーンに丸呑みされた兄を助けようとか、

献身的なところはあるけどスイートプリンスではなくもっと雄って感じがする。

 

「ビューティフェアリー松野トド松」

末っ子だけど兄たちに少しも可愛がられてないし、可愛がられるために外の世界を目指してる打算的な子だと思う。

自然大事にされるフェアリー存在では全然無くて、作為的

トド松が好きな人は、その作為的なところが好きなんだろうけど。

 

F6性質は六つ子のルックスを良くしただけのものではなくて、むしろ性質を逆にしたものだと思う。

「こうだったらモテたかもしれないのに」というifかなとか思う。

2016-03-05

ネットの反応では」と称してツイッター丸コピペする糞メディア

J-CASTとかあの辺が常にやってるああいうやつね。



あれって書き手が思ってる事を「ネットの反応」とやらに大便じゃなかった代弁させてるだけだよね。

んなもんてめえの腹の内でどうとでも印象操作できちまうだろうが。

まりにも作為的すぎて吐き気がする。下衆のやり口だ。




せめて要約ぐらいにしとけよ、ネットスラング混じりの汚え文章載せんじゃねえよ。

まさかコピペなら何かあっても「ネットの反応そのまま載せただけですから記者の本意ではないですからw」って言い訳残せるとでも思ってんのか。




あいうのどうにかして絶滅できねえの?

2016-02-17

作為的」な意識高い系反語としての意識低い系

意識高い系が嫌いなので、私は意識低い系について考えてみたい。

高知某氏意識低い系とは、頑張っていることが嫌いな、ヤンキー的、で足を引っ張る人というのを想定していたが、私の言う意識低い系とは少し違う。

意識低い系を考える前に意識高い系の傾向について少し言っておきたい。

意識高い系(時にfacebookにいる)の何が嫌いかといえば、あいつらやること為すことが、「作為的」なのである

この投稿をすることで人からよく見られたいだとか、頭良く見られたいだとか、頑張っていると思われたい、そういった作為が透けて見えて反吐が出るのだ。

糞喰らえ!

そこから考えて意識低い系というのは、作為を廃したいわゆる「無為自然」な人の事を指すのではないだろうか?

うんこなう」とか「おうろん食べたい」とか投稿しているそこの君だ!!!

いいぞ!もっとそういう無為自然なまるで意味のない投稿もっとしたまえ!僕はそういう投稿もっと読みたいのだ!!

からこう思われたいだとか、この投稿成り上がりたいみたいなギトギトした投稿を見るよりは、もっと素敵だ。

人間発言からつくられるのではなく習慣からつくられると思っている私は、大言壮語な人でなくてボソッっと呟く人にも素晴らしい人はいると思っているので意識の低い人の中にも素晴らしい人はいると考えている。

かいことは言わなくても黙々とやればいいのだ。

こうした良き意識の低い人がインターネット世界で一隅を照らしてくれればいいなと思うばかりである

2015-09-03

五輪エンブレム問題についての純丘曜彰氏(大阪芸術大学教授)の発言


五輪エンブレム白紙に戻った。

この一連の騒動の中で気になったのが、大阪芸術大学教授純丘曜彰である

反「佐野エンブレム」の急先鋒としてメディアで派手に〝活躍〟した人物だ。

エンブレム問題の経過をつぶさに見てきた者、デザイン周辺の知識をもっている者で

純丘氏の発言に疑問を持った人も少なくないのではないだろうか。

筆者の感じた純丘氏への疑問とは、

「明らかなデマの流布」「度の過ぎた個人的感情の表出」

そして「独りよがりデザイン論」「デザインに関する知識不足である



明らかなデマの流布


東京オリンピックエンブレムはもう無理筋8月10日

http://www.insightnow.jp/article/8591


瞬く間にメディアのあちこちに取り上げられ、反「佐野エンブレム」への動きを活気づけた記事である

デザインに関して識者といえる人物がここまであからさまにエンブレム下ろしを唱えたのは初めてであり、

純丘氏が五輪エンブレム問題の御用コメンテーターになるきっかけともなっている。

以下は、佐野氏のデザインしたトートバッグに関する部分である


ニーチェの独文の警句英文引用して、名前綴りコピー元のままに間違っていたり

(page:2 より)


Pinterest に一枚の画像として存在していたニーチェの一節、

その最後名前部分に綴り間違いがあり、佐野氏が孫引きしたために同じ箇所で間違えている、

すなわち佐野氏が Pinterest を利用していた証拠である、という論旨だ。


このニーチェの脱字の件は、丸ごと事実誤認なのである

Pinterest綴り間違いの画像などなく、佐野氏のほうだけがたまたま書き間違えていたのだ。

ここで問題なのは佐野氏が Pinterest を利用していたかどうか」ではない。

事実誤認、それも2ちゃんねるが発信源である単純なデマを、

純丘氏はのまま引き写して記事構成しているのである


この純丘氏の記事が出たころにはもう2ちゃんねるの当該スレは自らその事実誤認に気づいており、

ニーチェの一件は「佐野氏が Pinterest を利用した証拠」としては除外の方向へ向かっていた。

純丘氏は、佐野エンブレム下ろしに使えるものはなんの検証もなく使っていたのである

最低でもその誤字があるとされる Pinterest の元画像をその目で確認してから記事を書くべきだろう。


このような杜撰情報収集と決めつけで書かれた文章

大阪芸術大学教授」の肩書きで公にされてしまえば、何も知らずに読んだ人は事実と思い込んでしまう。

論文というのは人文科学であろうと事実を積み重ねなければならないものだが

こんなお粗末な方法文章を書いている人物が学生論文指導をしているのはいかがなものだろう。



度の過ぎた個人的感情の表出


オリンピックに潜り込んだゴキブリたち」8月20日

http://ironna.jp/article/1881


あんな黒いゴキブリ印は、生理的に無理。とても嫌な感じがする。汚らしい。穢らわしい。なにより不潔だ。あまりに不吉で、自分まで不幸に呪われそうな黒いゴキブリ。金と銀の足が夜中にカサコソと動き出して、きみの手の上に登り、パジャマの中にまで入り込んで来る。きみに、多種多様の救いがたい病原菌をなすりつけ、触覚をピロピロさせる。おまけに、突然に羽を広げて飛び上がり、きみの顔をめがけて襲い掛かる。考えただけでも寒気がする。あまりに気味が悪い。


この記事の、黒い生き物の比喩を用いた執拗レトリック

およびそこに貼られた画像は、読む者をいやな気分にさせる。

まるでいやな気分にさせること自体目的ひとつにもなってしまっているようだ。

純丘氏の「佐野エンブレムが嫌いだ」「黒が嫌いだ」という気持ちはよく伝わってくる。

だがそれは個人的感情であり、公にするにしてもせいぜい個人のブログにとどめるべきだ。

大学教授美術博士という肩書き付きでオピニオン系サイトに開陳するようなものとは思えない。

識者なら事実を元に冷静に分析し、問題を明らかにする役割を担うべきだろう。

騒動の中、感情ほとばしる文章で純丘氏は何を訴えようとしたのか。

これ以降、掲示板でもエンブレムゴキブリ呼ばわりする人が一気に増えていった。



独りよがりデザイン


佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」8月26日

http://www.insightnow.jp/article/8644


もはやリエージュロゴからの盗用かどうかは関係なく、

ひたすら駄作である、見るに堪えない、と力説している。

疑惑があるとはいえ、多くの人が関わって世に送り出されたもの

超弩級の駄作」「ゴキブレム」「梅干」と品なく形容する姿勢にもあきれてしまうが、

この他者制作物に対する容赦ない物言いは、おそらく氏の、

デザイン制作とは無関係な経歴(専門は哲学)と関係あるように思う。

むろんそれ自体問題ではないが、次章の「デザインに関する知識不足」も含め、

己の手にあまるデザインに関する解説を、あたかも〝識者〟として発表するのは

それこそ「無理筋」ではないか、と言葉を返しておきたい。


孤の中心がロゴの中心にある限り、この2つのパーツは、このロゴの四隅以外に配置することは不可能である

(1. 形態問題:パーツの寄せ集め より)


この一文の含まれ段落を「デザイン論」として理解できた人がいたら

ぜひ翻訳してほしい(もちろん逐語的な理解はしている)。

「9分割を元にフレキシブルな組み替えが可能」というアイデア否定するのが目的のようだが

なぜそこに「無理と矛盾」(純丘氏)があるのかわからない。

9分割の真ん中に必ず弧の中心が来なければならないデザイン上の理由とは?

さまざまな大きさ・形でさまざまな場所に弧が立ち現れていた、

あのアニメーションのどこに無理と矛盾があるというのだろう。


黒は、ほとんどすべての文化で、死や悪、権力、固着、腐敗、を意味する。同様に、赤は、血のシンボルであり、命や致命傷だ。それに金銀を加えるなど、まさに軍事配色のナチス悪趣味

(2. 配色の問題ナチスフラッグ色 より)


ここは純丘氏お得意の表象である

解釈はさまざま可能なのでナチスフラッグとみる者がいてもいい。

エンブレムを仮に芸術ひとつとするなら、芸術はさまざまな解釈に向けて開かれたものだ。

しかし、これは誰もが知っているようにオリンピックのために施された「デザインである

デザインとは、提示された課題を〝解決〟するものであって、

アートのように何ものからも束縛されない自由意志構成、配色したものではない。

見る者も「日本」で開かれる「五輪」の「エンブレムであるという情報とともに接する、

そのような場、コンテクストにおいて機能するようにあつらえたものだ。

解釈といっても常識的範囲がある。


佐野エンブレムスポーツを感じさせないとか、祝祭感が足りないとかいった批評は可能だ。

が、「ナチスフラッグである、「ゴキブリ」「致命傷」であるなどというのは

エンブレム出自コンテクスト無視した悪意のあるミスリードしかない。

ゴキブリ画像同様、ナチスの絵まで用意して独りよがり解釈

強くイメージとして植え付けていこうとする純丘氏の手法には疑問を禁じえない。



デザインに関する知識不足


どんな媒体でも、ほぼ同じような発色になるように考えておかないといけないのに、全体が印刷物無視RGBベースで出来ていて一般フルカラー印刷YMCKの四色のインクでは出せない「特色」の金銀が入っていたり

(上掲「佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」page:3 より)


デザイン生業としている人、その周辺に詳しい人で

この部分を読んで頭の中が「?」でいっぱいにならない人がいるだろうか。

この2行だけでも純丘氏が自分の手にあまること、自分のよく知らないことを

結論ありき、佐野下ろしを目的に書いていることが明らかである


CMYK を「YMCK」としているところはご愛敬だが、

純丘氏のこの不案内な言説はさまざまな場所で〝プロ〟のそれとして引用されてしまっている。

発表されたエンブレムRGB ベースでできていて、CMYK ベースではないらしい、

色指定の要領を知らず、特色を用いてしまっているらしい、

佐野研二郎氏は、デザイナーとしてはひどく低いスキルのまま今のボジションに祭り上げられ、

あたわない五輪エンブレム設計者の大役もしくは影武者の役を任されたようだ……


RGB ベースというのはモニターなど映像における混合方式であり

CMYK ベースというのは紙媒体など印刷で用いられる混合方式である

RGBCMYK は、媒体に応じてふさわしいデータを用いる、ただそれだけである

RGB ベースでできている」もなにもない。

ウェブでの使用に向けてロゴを配布するならば RGB だし、

ポスタープログラム印刷するなら CMYKデータを用意する。

純丘氏の中で佐野氏は、この知識としても初歩の初歩、

デザイン業務上、日々出くわしてはそれに従って作業している単純なことをまるで知らないという設定らしい。


ここに、さら意味不明な特色のくだりが加わる。

特色というのは印刷インクの一種で、

通常のプロセスカラーCMYK インク)で表現できない色をカバーするためのものである

エンブレムに特色の指定がしてあったというのはどこから情報かわからないが

(筆者は見たことがないので、まずはそのソース問題である)、

それだけをとれば、企業ロゴなどにおいては珍しいことではない。

RGBCMYK と同様、特色を用いるかどうかは運用現場に応じて「自然に」決まるのであって

雑誌カラーページなら金は4色分解(CMYK)で表現されるだけである

媒体や場面によっては、予算や仕上がりを考慮した上で

金や銀を特色にすることも、黒や赤を特色にすることも可能だ。

もちろんそのために CI マニュアルのようなものがあり、

特色で刷るならばここはこの色(PANTONE 、DICなどの番号)、

4色で表現する場合はこの CMYK 値、

そしてディスプレイ用にはこの RGB 値というように、列記されているのがふつうだ。


・特色番号(印刷用)

CMYK 値(印刷用)

RGB 値(映像用)


純丘氏の言葉を再掲する。

以下のような色指定を同一の紙の上に記すデザイナー想像できるだろうか。

すなわち、これが「ワンセット」になっていて、それ以外の指定CMYK 値)のない、

そのような色指定が本当に存在するだろうか。

純丘氏の作為産物か、氏がまたネットかどこかで拾ってきてしまったデマではないのか。

むろん常識的デザインの知識さえあれば、

このような「物理的に」とすら言っていいほど存在しえない〝キャラ設定〟をすることも

デマを拾ってきて書き写すとこともありえないのだが。


RGBベースでできていて(略)「特色」の金銀が入っている



最後


大阪芸術大学教授純丘曜彰氏の言葉は、目くらましのように効果を発揮してきた。

佐野五輪エンブレム超弩級の駄作!」での、ルネッサンスからフラットデザインへ至るくだりなど

エンブレムとはデザイン論において爪の先ほども関係ないが(ゴール地点のフラットデザイン自体なんの関係もない)、

このペダンティック解説や周辺タームは、氏の肩書きと一緒になって人々の目にもっともらしく映り、

エンブレム白紙化の力のひとつになったと考える。

芸術デザインの「専門家」(日刊ゲンダイ)と目される社会的影響力のある人物が、

この混乱の中で、明らかに事実に反すること、半可通なことを、

己の求める結論佐野エンブレム下ろし」に向かって品のない言葉作為的イメージを用いて

流布してきたことには、疑問を通り越してあきれてしまった。


ここには、筆者の知る事実デザインとその周辺に携わる者なら誰でも知っているような知識から

明らかにおかしいと思われるものについてだけ論じた。

五輪エンブレム騒動の中で交わされた、デザインに関する言葉への理解一助となれば幸いである。

2015-08-27

http://anond.hatelabo.jp/20150827131030

政治的発言自体はして構わないと思う

が、その内容が失笑ものの誤認や勘違い場合によっては作為的な錯誤をさせるポジショントークから問題になる

2015-08-03

http://anond.hatelabo.jp/20150803121052

爺さんは現在95くらいで学徒動員戦地に行ってた

いまでも天皇様々だし皇族写真集とか持ってる

戦争は良くないとは言うけど日本が悪かったとか、天皇とか軍部を悪く言ったりはしない

多分自民党支持でどちらかというと右寄り

政治の話も戦争の話も聞かれない限り自分から話したりしないけどね

あの世代にはそういう人が多いと思うけど、語り部は左寄りの人ばかり

それは爺さんをないがしろにしてるようで嫌だなあ

語り部という存在作為的だと思う

どんな考え方でも語り部にふさわしいわけじゃなく、利用されるだけならいない方がいい

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