はてなキーワード: 藁人形論法とは
「藁人形論法」って言葉を覚えたばかりで使いたがるのはわかるけど、この場合どこが藁人形で誰が何を叩こうとしているのかはっきり示してくれる?
できないでしょ?
藁人形論法使っておいて、大雑把なまとめをしたのはどちらなんですかねえ。
前川喜平氏が登場する議事録を発掘したエントリーが人気を博しています。
前川喜平氏 発掘された12年前の「笑ってはいけない議事録」が話題に
http://nots.hatenablog.com/entry/2017/07/26/120000
http://www8.cao.go.jp/kisei-kaikaku/old/minutes/wg/2005/0712/agenda.html
読んでいただければ分かりますが、前川氏はWGの民間議員からの質問に全く答えず堂々巡りをする香ばしい議事録となっています。
〇福井秀夫(政策研究大学院大学教授)専門委員「我々は日本の教育制度を議論しているわけだが、その養成制度や免許制度の効果測定について、実証的で科学的なものを一度も見聞きしたことがない。それは文科省の責任できちんと調べていただくべきものだと思う。」
次の質問ですが。
〇前川企画室長 ちょっとお待ちください。もし今の教員免許制度に意味がないとか、必要がないとおっしゃるのであれば、そちらの理由を挙げていただきたいと思います。
中略
このあと延々と堂々巡りをするのですが、まあ酷いものです。典型的なダメな議論です。誰が悪いって?もちろんWGメンバーです。
これ、WGメンバーがやっているのは藁人形論法です。詭弁の一つです。「免許制度の効果測定について、実証的で科学的なものを一度も見聞きしたことがない。」一見正しいことを言っているように見えますが、「免許制度の効果測定」という藁人形を持ち出しています。これは「免許制度における教育実習の回数について、多い場合と少ないで優位な差はあるのか?」などであれば妥当ですが、余りにも漠然としすぎていて妥当ではありません。
この手の要求は良くシステム開発で、「このシステムではこの数字が見れればいいよ」「この数字をだすなら帳票形式なのは当たり前だろ?」「帳票だすならグラフが見れるのは当然じゃないか」等と、要件定義の段階で「この数字が見れればいいよ」を詰めないせいでデスマーチするあれと一緒です。
明確に定義をしない「免許制度の効果測定」について永遠と要求を出し続けるわけです。「エビデンス」「エビデンス」と連呼するわけですが、明確に定義されていない効果測定のエビデンスなど出せるわけがないです。
いません?明確なゴールを決めずに新人に資料を作らせて、「これは思っているのと違うな」とか言って作り直しを連発してマウントとる上司。やり口が全く一緒です。
前川氏の蒟蒻問答を笑いどころですが、議論を重ねるのではなく、詭弁を弄してマウントを取りに行っているWGの腐臭も笑いどころの議事録です。
※先に自分自身の結論と立場を表明しておくと、いすみ鉄道の社長、鳥塚亮氏のブログ内容にほぼ全面同意するけど1箇所だけ、
「(木島氏は)あくまでもご自身をパイオニアだと考えているのかもしれませんが、こういうことは今回限りということにしましょうね。」という
抗議行動に苦言を呈す/釘を差す一言にだけは断固反対、という主張です。
netgeekのいつもの偏向記事に、id:fujippon氏が丁寧にツッコミ入れた以下の批評記事、そこに付いたブコメについて。
『バニラ・エア』の件で、netgeekの記事に「釣られてしまった」人たちへ - いつか電池がきれるまで
id:kirifuu 見事にnetgeekに釣られたのでここで謝罪申し上げます。/尚批判自体は取り下げない。/”これを機に正常化したのだから、結果的にプラスになったはず。” これがダメだと言ってんだよ。目的は手段を正当化しない。
さて。 "最強の弱者様"が対話を通さず、この手の強硬的な活動で是正を突きつけるのは善行とは言えない、目的は手段を正当化しないという至極ごもっともな感想だった。
その一方で「正規の窓口から穏便に問い合わせた結果、丁重にお断りされた」という声も上がった。母数がn=1であろうとも、差別されたもんは差別なのだから無視するわけにはいかない。
バニラ・エアに事前連絡したが乗れなかった車いす女性 | | まなナビ
バニラ・エアでは以前より、「お手伝いが必要なお客様」が搭乗する際には「5営業日前までに予約センターに」知らせるよう「ご利用ガイド」に明記しており、車いすの利用者もその対象となっている。今回の報道を受け、バニラ・エアは、車いすの方の搭乗には事前のFAXをお願いしていると述べた。ネットでは、その事前申告をしなかった車いす男性への非難も出ているようだ。では、事前申告すればよかったのかというと、事前申告すると断られてしまっていた。
ここでbuzzfeedの記事と、脳性まひ障害者運動団体「青い芝の会」に所属していたプロ障害者活動家・横田弘氏(1933年-2013年)を引き合いに出す。
障害者は「差別」に泣き寝入りしないといけないのか?伝説の運動が教えてくれること
当時、横田さんが展開した運動は、常に「過激」という表現がついてまわった。例えば車椅子の集団がバスに乗る、電車に乗る、路上でマイクを握る。
有名なのは1977年、障害者が車いすのままバスに乗ることを拒否した川崎市とバス会社への抗議だ。JR川崎駅前ロータリーに停車中のバスに、障害者が一斉に乗り込んで運行を28時間ストップさせた。
安易に問題解決はしないと宣言し、次々と問題提起をすることが自分たちの運動なのだ、という。「反対するのはわかったけど、では対案を出してください」という声に対する強烈な否定である。
木島英登氏は、もしかすると横田弘氏が過去にやってきた事を己の使命感に自己投影して、悦に浸ってるだけの英雄症候群だと、意地悪に言えばそうなのかもしれないね。
でも、正直に事前申告したり、現行法の範疇で正統なアプローチを試みた人が門前払いで馬鹿を見る一方で、横田氏や木島氏の様に屈せずに声を上げ続け、"強い弱者"がゴネ得を押し通したほうが
結果的に社会を手っ取り早く動かせるのは今も昔も変わってないという現実。あれから40年も経ってすっかり豊かになったはずなのに、日本社会と人の心は相変わらず当時水準と変わらぬ貧しさのまま。
この社会の非対称性を解消できない限り、木島氏はおそらく死ぬまで全世界で抗議活動を続けるだろうし、いすみ鉄道の社長が直々に諫言したって聞き入れられないだろうね。なぜなら、その方がずっと合理的だから。
横田氏は同時に、通称「太宰メソッド/藁人形論法/主語でか案件」といわれる詭弁に非常に敏感な詩人でもあったそうで。
横田さんは詩人でもある。だから、言葉、特に主語には敏感だった。
荒井さんは、横田さんからしばしば「君はどう思うの」と問いかけられた。そこで私たちは〜、一般的には〜、この社会は……といった大きな主語で答えようとすると、「それで君自身は……」と畳み掛けられたという。
範囲がどこまでかわからない「私たち」のような大きな主語からでてくる言葉は、どうしても責任の範囲があいまいになる。(中略)あなたはどう考えるのか。「小さな主語」で伝えてほしい、と横田さんは常に問いかけた。
id:bluerondo netgeekやいすみ鉄道の人の記事は見事な太宰メソッドだったよね。この件で「木島さんの行動で大勢の人に迷惑がかかる」とか言ってる人にも「『大勢の人』ではなく、あなたが迷惑と感じるんでしょう!?」と言いたい。
これな。ひとえにこれ。皆がじゃなくて、「突然の抗議活動でLCCの飛行機便が止まったら/値上がりしたら、"俺が"迷惑だから止めろ」「乗降や緊急避難時に"俺が"迷惑するから最初から乗るな」という本音を引き出した。
今回の一件は無意識下の差別感情を炙り出す優秀なリトマス試験紙だったと思う。
自分の意見、および横田氏、木島氏の戦い方と近しい結論を導いてた人の記事リンクを貼って〆とする。今のところ「ゲリラ戦」しか選択肢が無いよねって話。
【私的統括】バニラ・エア問題に見る「障害者の戦い方」はゲリラ戦に学べというお話
id:houjiT 問題点は認めるが「突撃」がなかったら御断りも、事前連絡の穴も公にならなかった可能性も考慮すべきでは。もっと「突撃」を、と言いたいのではなくて「突撃」の前に掬い上げる社会を我々が作る必要があると
id:carl_s 「障がいが不便なのは、障がいがあるからではなく、環境が障がいに対応しておらず、できないことがあるから」社会モデルのこの話、コスト削減優先で障害者排除環境を構築してきたことが一因なんだよな。
バニラエアで話題になった身障者が「営利目的のプロ障害者である」ということが批判されている。
http://netgeek.biz/archives/98767
http://b.hatena.ne.jp/entry/netgeek.biz/archives/98767
しかし、プロであることは悪ではない。ボランティアには、「有償ボランティア」と「無償ボランティア」とがある。普通の人がやるのは、「無償ボランティア」だが、実際になされているボランティア活動の圧倒的多数は、「有償ボランティア」によってなされている。
たとえば、ユニセフもそうだ。しばしば「日本ユニセフは事務手数料を 20% も取るので、けしからん」と批判されているが、この手数料を取ることで、募金活動をしているのだから、手数料を取らなくなったら、募金活動すべてが消滅してしまう。それでは意味がない。
「ボランティアは有償でなく無償であるべきだ」と思う人が多いようだが、それは根本的に勘違いなのだ。この件は、ネットで多く解説されているので、読むといいだろう。
営利目的であることは、何ら悪ではない。遊んで暮らせる貴族階級は別として、たいていの人はみな職業を持つ。だいたい、これを書いている当の netgeek ですら、営利目的でやっている。なのに、営利目的であることを批判するというのは、理屈が通らない。
記事では《 「バリアフリー研究所」という名前に反して 》というが、名前ぐらいは別に何の問題もない。NPO と記しているのならともかく、そうでもないようだ。ただの任意団体だろう。何の問題もあるまい。
ま、これは、「社会貢献を目的とする」と勝手に思い込んで、その思い込みが外れた、というだけだ。これを称して「藁人形論法」という。クソ論理による見当違いの悪口であるにすぎない。書き手の愚かさを示すだけだ。
要するに、筆者はこれが言いたかったのだろう。しかしこれが不当であることは、国交省の見解で明らかだ。
→ 障害者への差別的な対応しないよう航空会社に指示へ 国交省
これが正しいのだから、netgeek の主張は不当だ。(文句があるのなら、障害者個人を批判するのでなく、国交省を批判するべきだ。)
そもそも、今回の事例は「わがままな要求」なんかではない。単に「階段昇降機などを用意してほしい」というだけのことだ。コストアップ要因など、ごくわずかであるにすぎない。機体本体に比べれば圧倒的に低い額であり、ほとんど誤差レベルの額だ。
( ※ ちなみに 航空チケットの料金 は 8000~18000 円ぐらいの間で毎日変動する。それに比して、今回の対処によるコストアップは 10円以下だろう。誤差レベルであるにすぎない。)
……
これはおかしい。
第1に、私企業が自分で勝手に作ったルールなど、保護される価値はまったくない。記事の主張は、ブラック企業のエゴ論理であるにすぎない。
第2に、法律は「バリアフリーに努めるべき」というふうに定めている。今回の会社は、この法律に反する違法行為をしている。
換言すれば、「違法なルールを守るべきであり、そのためには違法行為をしてもいい」と言っているだけだ。netgeek は違法行為を是認する反社会団体となっている。
第3に、「事前連絡が必要」ということ自体が意味を持たない。「事前連絡をすれば拒否」と社内ルールで定めているからだ。バニラエアの公式回答( http://j.mp/2txlStX )はこうだ。
今回のケースでは……事前連絡があれば断っていたケースに当たるということです。
つまり、「事前連絡をすれば拒否」というルールを定めておきながら、「事前連絡をしなかったからルール違反となり、悪である」というのでは、(事前連絡をしてもしなくても)どっちにしても搭乗できなくなる。理屈として破綻している。自己矛盾。
それにしても、こんな滅茶苦茶なエゴ意見が賛同ブックマークを集めるとは、世も末だな。
変に目立ったのが「エロ漫画家に描かせたんだからエロいに決まってるから批判するのはおかしい」。
よくみるようなネトウヨ的藁人形論法でも、ここまでザルな理屈じゃない。
批判するような連中が、いつ漫画家に女子トイレのピクトグラムを依頼したんだ?批判に対する反論が典型的なネトウヨ的「一体誰と戦っているんだ」状態すぎる。
だいたいあれさあ、トイレの中に表示すんじゃなくて、外に表示するからお下品=先入観を持って粗探しされるってわけでさ。
それを仮にも擁護する気があるならば、まず最初、批判に耐えうるデザインかどうか考えたんだろうか?とりあえず強い言葉で罵れば勝ちとかいう、チンピラのアレか?
そもそも論で、ピクトグラムとしても理論が立ってない、いわゆる面白くないから批判されるとかいうやつで。
男性・女性両方を提示すれば「あーなるほど」が先に出るでしょ。
男性の場合は必ずしもパンツを脱ぐ必要が無い、それに対し女性の場合は脱ぐのが必然だからあのデザインになってる。エクスキューズが存在するんだよね。
そこら辺を考えると、まあ、編集部が女性トイレのみ依頼したのがおかしいんだよ。
ガチガチのフェミなら、そっからさらに、スカート強制男女差別文化を固定するとかそんな話になるんじゃあないの?って気もするが。
「エロ漫画家に描かせたんだからエロいに決まってるから批判するのはおかしい」は、二重におかしいっていうか、本当に1ミリも頭使ってない。
(1)甲の起こしたある事象Aに対し、それを批判してA'にすべきではないかと論じる乙(A→A')がいたとき、
(2)乙の立場に一定の理解を示しながらも、行き過ぎた部分があるとして甲を擁護する丙があらわれるのだが、
(3)丙が指摘する「行き過ぎた部分」は乙の議論(A→A')を宣言なく無視して丙の設定したもの(A→B)を前提としていて、
(4)丙による議論のすり替え(A'→B)によって乙に対する不当な印象操作が行われている
表面上は乙に理解を示しつつ、議論の前提をすり替えてしまうことで、
(A→B)という過大な要求を突きつけた、という濡衣を着せる論法である。
丙にとっては、悪意なく陥ってしまいがちな思考のワナという場合もあるが、
乙にとっては、感情のレベルでは肯定されつつも議論としては前提すら認められない、という
過酷なダブルバインドの状態に陥れられる、極めて破壊的な人格攻撃にもなりうる。
「隠し藁人形論法」とでも呼ぶべきか。
「男女平等」とか「ジェンダーフリー」とか「性差をなくす」とか「多様性」とか…ここらへん全部「恋愛」と相性が悪いんじゃないかと。
もうちょい具体的に言うと「相手が男/女性だからって、男/女らしさを求めるのはアウト」みたいな、アレ。
何で相性が悪いかというと、大昔は「男らしさ」「女らしさ」のフォーマットが強かったんじゃないですか。
だから異性と言う相手に対して「相手は男/女なんだから、こういうヤツだと判断していいんだな」と思うことができた。
要するに「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが、比較的少なかった。
…だが現代はどうだ?「相手が男だからって強く逞しいと思ってはいけない」「相手が女だからってお淑やかと思ってはいけない」
多すぎるんですよ、「相手を読み解くまでのコード」ってヤツが。
ってなって結局は「恋愛」ってヤツが「面倒」なものと化してしまったのではないか、と思うのですよ。
要するに大昔は「男らしさ、女らしさ」という保証があるからこそ、万人が「恋愛」というゲームへの参入障壁が低かった、のではないかと思うのですよ。
…いやいや、分かりますよ。
上記で言ってることは「無能の戯言」と断じられても致し方ないってことは。
「男らしさとか女らしさとかこだわらず行うのがこれからの恋愛だ!」とか言うんでしょう?ねえそうなんでしょ?
でもねえ、恐らく結局は「男女平等な恋愛」というものが「恋愛強者」しか不可能だと思うのですよ。
「だったら己を磨いて男女平等な恋愛ができる人間にになれ!」と仰るんですか?
でもねぇ…それってマチズモだなぁ、と思っちゃいけないのでしょうか?(あんま知られてないようだが、恋愛は体育会系マチズモとの親和性が非常に高い)
ココらへんになると藁人形論法入りますけど「そこまで努力したくねえよ!つうかおめえら男女平等とかポリコレ言う割に
恋愛弱者にひたすら努力を強いるてめえらの態度は非ポリコレじゃねぇのかぁ!?」…って気分になるのですよ…怠惰とか言われようが。
そんで、ここで「恋愛強者」を「男女平等な恋愛が可能な者」と設定するなら、
それ以外の「恋愛弱者」は以下のいずれかのメソッドを採るしかないのですよ。
②そもそも、恋愛しない
…で、①はポリコレだとかでアウトと指摘されやすいから、②に流れてる
これが昨今の「恋愛離れ」の正体だと思うのですよ。
いやいやいや、誤解せんでいただきたいのですが、
別に私は大昔を賛美するとか「男女平等はクソ!」とか保守主義者じみたことを言う気は無いですよ。
あと「別に恋愛する人が減ろうがいいじゃんッ」とか「世の中そこまで男女平等とか気を遣ってる人おらんよ!」とか仰るかも知れんが
そういうのは後の話で…
ただ言いたいのは「男女平等な恋愛というのは万人が行うの不可能なウルトラ高度技術」
「男女平等を推し進めよう!その上でみんな恋愛しまくろう!」な~んて無理くりな贅沢いいとこ取りなんじゃないの?ってお話。
A『男女平等を推し進めよう!そのせいで恋愛する人が減っても仕方ない!』か
「正しさハラスメント」という言葉にマサカリ被害者の会もモヒカン族も盛り上がってる今日この頃いかがお過ごしでしょうか。
「マサカリを投げられると萎縮する」とか「そんな言葉を出すと指摘する側が萎縮する」とかの発言や、
文章に書かれていない相手の意図や感情を推測して藁人形をせっせと作ってる姿が見受けられ、
SA☆TSU☆BA☆TSUとした感じがインターネッツって感じがして大変よろしいかと存じます。
そもそもどちらの立場も相手の話を聞かずにワーワー喚いてるんだから、そりゃ収まるわけないでしょ。
お互いに妥協点なり落とし所を探ろうとしないんだし。
なんでそう「0か1か」みたいに極端な考え方しかできないんかね。
他人と意見を交わすのであれば、色々な前提が相手と食い違っているのを覚悟しなきゃ。
それが分からずに、あーだこーだ説明して理解されずにただ怒鳴ったり、
言葉が足りないのだと勘違いしてひたすら説明を積み重ねて余計に相手を混乱させたり。
まったくどこの幼稚園児だよ。
まずは相手の信頼を掴みなさい。
見ず知らずの赤の他人にとやかく言われたって、門前払いにされるか、体よく遇われて言葉は右から左に聞き流すだろ?
だから最初に信頼を得て、最低限の人間関係を築き、その信頼関係に乗せて言葉を届けなけりゃいけない。
お前が本当に何かを伝えたいのであればね。
そしてお互いの前提を把握しろ。
相手が「何を大事にしているのか」「何を基準に善し悪しを測っているのか」を質問を投げ掛けつつ理解しろ。
特に「相手のプライドの根幹がどこなのか」ははっきり見定めないといけない。
相手のことをちゃんと知ろうぜ。お前が本当に何かを伝えたいのであればね。
すごく子供っぽいと思うのが、ストレート過ぎる否定の言葉を投げる迂闊さだね。
「バカ」と「アホ」が関東と関西でニュアンスが逆になるように、
冗談で言ったつもりの表現が相手には屈辱的な表現に聞こえることだってあるんだよ。
ちゃんと言葉は選ぼうね。
お前が本当に何かを伝えたいのであればね。
程度問題ってね、0か1かの結論がスパッと出ないから程度問題って言うんだよ。
そういう問題の性質を無視して「これはダメだ」とか「これでいいんだ」とか言ってても無意味だ。何の役にも立たん。
むしろ相手がそういう決め付けた主張をしているときに「具体的にはどんな場面を想像していますか?」くらいの質問ができなきゃ大人じゃないよね。
単純な基準で割り切れる話じゃないんだから、色んな立場、経験、人生を持つ多くの人が意見を公開して、
お互いの意見の違いを知った方がいい世の中になるよね。
最後に「自分の理屈は完璧で、相手は論破されているが、それに気付かず無駄な反論をしてくる」と思ってる輩へ。
バカかと。アホかと。
そのお前の理屈にも意識していない前提があってそれが正しいと思い込んでるから、そんなふうに思えるんだよ。
そこんとこ、よーく内省してご覧よ。
お前が本当に何かを伝えたいのであればね。
結局、相手に自分の意見を本当の意味で伝えて、相手に受け入れられなくても一意見として受け止めてもらえなければ、周囲を変えていくことなんてできない。
お前が今色々吠えているのは、周囲に無視されたいからじゃないんだろ? 話を聞いて欲しいんだろ? 何かしら自分の望む方へ変わって欲しいんだろ?
え、そうじゃない? 単にムカ付く主張を潰したいだけ?