はてなキーワード: 春休みとは
長文、乱文注意。
私には1人大阪に友達がいる。小学生時代、大阪に住んでいたのでその時に出来た友達が。私も彼女もアニメが好きな「アニメオタク」であるため話が合い、昔はとても仲が良かった。今も私の父が未だに大阪に住んでいるため、私はよく大阪に行く。そのため、年に数回は彼女と会う。今回はその彼女と会うときに起こったことを書く。
春休みに1人で大阪に行く予定だった私は、フォローし合っている彼女のTwitterのリア垢にDMを送った。「〇日から〇日までそっちに行きます!遊べるかな?」こんな感じに。彼女から返信は無かった。彼女のTwitterは呟き続けているけど。三日待っても返信は来なかったが別に私は気にしていなかった。彼女は昔からそう言う子なのだ。返信がめちゃくちゃ遅い。遅れてくる返信にも謝罪の言葉が一つもないのにも慣れていた。最初はイライラしていたが長い付き合いの中で彼女が根から悪い子ではないことを知っていたので「この子はそういう子なんだ。限界が来るまで我慢して付き合おう。限界が来れば縁を切ればいい」と考えていた。私は人見知りで友達が少ないため少ない一人一人の友達との縁を大切にしたかったのだ。LINEも知ってはいるが、大阪に行くまでにまだ日にちはある。催促するような内容でもないし、何かアクションを起こさず彼女が「ひま」と呟いてるのを見ながらTwitterを閉じた。
五日後、返信が来た。「金がない」と。それに対して「そっか。じゃあ、仕方ないね」と私は答えた。お金がないのか。それじゃあ、仕方ない。バイト禁止の学校なのにその規則を破ってまでバイトしてるけど、ゲームに課金したり、舞台を観に行ったりするお金はあるようだけど、お金がないなら仕方ないね。私は彼女にとって課金よりも舞台よりも下の存在ということだ。それは仕方ない。
彼女とはその後、連絡を取ることは無く、彼女の愚痴ツイートをたまにTLで目にしながらも私は大阪を楽しんでいた。京都や奈良に観光に行った。1人で行動するのが好きなためとても楽しい思い出となった。
とある日、私は明日何するかを考えながらTwitterを見ていた。すると、例の彼女が「今日は忙しいけど明日ひま。誰か明日あそぼ」と呟いていた。一回断られたわけだし悩んだが、一応誘ってみる。「明日あーそーぼー!」返信は無かった。彼女は相変わらず暇だと呟き続けている。私がこの誘いのDMを送ったのが朝の11時だった。
10時間後である21時。返事が来た。「何する?」まさかのOKっぽい返事。断ったのは何だったのだ。「特に何も…何がしたい?」「べつに」ぶっきらぼうな返事。これにも慣れていた私は続ける「ユニバとか行っちゃう?w」軽い気持ちで言ったこの言葉を後に後悔することになる。
まぁ、わかっていたことなので「だよね〜w」と私。この間のやりとりも彼女の返信が遅かったため、この時点で12時を回っていた。私は眠くなり、寝る準備をする。「まぁ、多分何を言っても金がないで断られるだろうし、もし本当に遊ぶ意思があるとするなら明日また決めよう」そう思いながら「今日はもう寝るね」と送り、眠りについた。
何だか眠れず、4時に目が覚めた。スマホを見ると彼女からの返信が深夜の2時に来ていた。「年パス買うからユニバ行ける。7時には着きたいから6時半に〇〇駅に集合。6時に起きる」と。
いやいや、ちょっと待って欲しい。早く目が覚めたため、行けなくもないがこれはあまりにも非常識というか、唐突すぎやしないだろうか。それに、彼女の最寄りの駅から〇〇駅にはすんなり行けるが私の最寄りの駅からは〇〇駅に行くにはあまりにも遠回りである。お金も時間もかかるのだ。
他にも困る点を挙げるならいっぱいある。出かける時、今寝ている父に一応報告しなければならない。しかし、この時間では父を叩き起こさないといけなくなってしまう。毎日仕事で忙しくあまり睡眠を取れていない父にそんなことはできない。私と父は事情があってメールなども出来ない。
私は彼女に「ちょっとその時間とその駅に集合は厳しいかも…」と送った。その返事は約2時間後、6時に来た。「は?」それだけだった。
その後はもう酷かった。リア垢でボロボロと私の悪口を呟くのだ。彼女のリア垢は彼女の高校の友達にばかりフォローされており、私の知り合いは誰1人いないので正直に言うと痛くも痒くもないのだが気分が悪い。「年パスは日付を越えたら申請の準備が難しくて〜」とか「金がないから寝ようとしてた母にお願いして〜」とか。挙げ句の果てには「準備してた時間返せやボケ」と。それを言うならこっちだって彼女の返信を待っていた時間を返して欲しい。金がない、と断られた後に「課金したのに〇〇出なかった。しね」や「舞台当たった〜楽しみだけど、ヒロインの奴マジでブサイクやな。私は生の〇〇(有名声優が出る舞台だったらしい)」という呟きを見た私の精神的疲労を返して欲しい。今まで仲良くしていた自分がバカらしくなりアカウントを変えた。元より一年近く呟いておらず、見るだけだったので支障はなかった。
今思えば前々から彼女の呟きに対して「ん?」と思うことがあった。彼女はとても口が悪い。ネットでもリアルでも。最近では「死ね」と文字数いっぱいにして呟いたり「電車で前に座ってるババアくそキモい死ね」など攻撃的な発言が多く、彼女と繋がってるアカウントで呟いていなかったのも彼女と少し距離を置くためだった。その時点でもう何もかも縁を切るべきだったのかもしれない。
今回の件では確かに私にとっては冗談交じりだったとはいえ、いきなり「ユニバに行こう」といきなり言ってしまったこと、その子の返信が遅いのを知ってながらも諦めて催促をしなかったことなどを踏まえると私も悪い。けれども、彼女は普通に呟いていたのだ。返信する時間は十分あったはず。彼女がもう少し早く返事をくれ、早い時間に明日することを決めることが出来たならこんなことは起きなかったのだ。
私も今回の件を踏まえて、日常会話はまだしも、急を要することにはキチンと素早く対応しなければならないなと強く感じた。また、友達との付き合い方もだ。少しでも「ん?」と思ったのなら少しと言わず縁を切るギリギリまで距離おいた方が良いかもしれないと思った。
去年の春休みに丸丸さんのこどもが塾に通ってたのは知ってた。中受したのかな、とは思ってた。
今日、丸丸さんと久々にばったり会って、お子さん元気?という話になり、
かなり上位の私立中に合格したという話をきいて、さすが丸丸さんの子だなと思った。
お金だけじゃなくて素質もあったろうが、色々持ってる人のところに生まれたこどもはもつように育っていくのかなと思った。
老親への仕送りなどもあり経済的には余裕なく、私立中なんて子の成績はもとより金時間の面からして無理。
ただもうちょっとこどもと向き合った時間を増やした方がいいよなと思った。
そんな丸丸さんの話をきいた後に、
外国人だけど働けなくなって生保を受けてる話(池上さんの番組)を思い出したり、ネットで貧困家庭の話を読んだりするとやるせない。
丸丸さんは何にも悪いことしてないし、税金もたくさん払ってるだろう。
8億円値引きとか将来負の遺産になるオリンピック施設つくるとか
そういうことしなきゃ救われるこどもが何人いるんだろうか。
青春18切符で旅をしている。
車窓を見ていると、とても長い編成の貨物列車とすれ違っている。
そしたら、ちょっと前は意識していなかった気がするが、「宅急便」と書かれたコンテナがたくさん積まれていた。
「環境に優しい鉄道貨物」と書かれた、JRFコンテナも積まれていた。
この風景を見てて思った。もはや、環境云々言ってる場合でもない。
環境とは無関係に、トラック運転手が足りてなくて、鉄道貨物でどんどん代替していくべき時代なのではないか。
鉄道貨物を推すと、もはや時代遅れの手段を持ち出す鉄オタは数多がおかしいと言われるのが定番だが、
旧態依然としたヤード輸送方式と、スト権ストによる不安定な輸送というのは解消されているし
現実として、さっき見たように専用列車でもないコンテナ貨物に、普通にヤマトのコンテナが積まれていた。
カンガルー便のもあった。
これらを考えてみると、昔のように「チッキ」が復活すればなあ、と思った。
もう普通に駅で発送して、列車で輸送して、駅で受け取る。もちろん小口貨物輸送は様々な需要形態があるから
けれども、都市間、都市内の鉄道を有効活用しやすい区間だけでも
鉄道や駅を活用していけば、少しでもトラックへの負担を減らせるし、渋滞の軽減などにも資するのではないだろうかと思った。
島尾敏雄の「死の棘」という小説を読んだ。浪人時代に予備校講師に勧められて買ったものの文庫で600ページと長く、ずっと読めずにいたが、春休みを使って読破することができた。簡単に紹介するなら、「死の棘」は作者の代表的私小説で、夫の浮気の発覚から始まる妻の不調と家族の崩壊を記録した作品である。
読み進めていくと、妻の精神異常を和らげるためにと、「私」はこんなようなことを考える。
『相馬に帰ろう』
紹介され偶然手に取ったこの本のこの文章を読んだ時、私は名状し難い不思議な感じに襲われた。
私は、相馬地区で生まれ育った。島尾敏雄も相馬地区がふるさとだったのだ。
正直言って、私はふるさとがあまり好きではなかった。自然はたくさんあって、野馬追という伝統も素晴らしいが、若者が志を高く持つには小さすぎる街だと思った。私はどうしたらなんとも言えない閉塞感を打破できるかを考えては、多分無理だろうなと半ば諦めの感情を胸に秘めていた。
東日本大震災が起きた。
私は生き残った。住んでいる地域は原発避難指示区域には入らなかったものの、鉄道などインフラは寸断され、私たちは転居した。都会に。
それからの私の生活は非常に充実したものとなった。幸い、福島出身と明かしても白い目で見られることはなく、田舎にありがちなデキる人の足を引っ張る風潮もなかった。意欲ある人が存分に学び体験できる施設があり、尊敬できる人がいた。若者がより広い世界へ飛び立とうとする意欲を持つには充分だった。
東日本大震災が起こって6年になる今、私は東京で高いレベルの教育を受けられている。あの地震でおぞましい数の人が亡くなり、今も苦しんでいる人が大勢いるが、私にとって6年前の地震は人生を大きく変えた分岐点であったように思える。あの地震がなければ、私はここにはいない。
しかし、本当にそれでいいのだろうか。嫌だったふるさとから、私は逃げるようにしていなくなってしまった。どうすればいいかわからなかった。何か違うのではないか、という気持ちが渦を巻いていたが、田舎を離れられる開放感でそれを押さえつけてしまった。大震災を美化してしまった私の思考が正常なものなのか、若さゆえの過ちなのかは未だにわからない。
小説の中で島尾敏雄が相馬に帰ったのは、崩壊してゆく家族とのギリギリの人生をやり直す力を、故郷に感じたからだと思う。多くの人が、故郷を自分の人生の原点にして、そこの原風景を大事にしているように。私が捨てた故郷のそばには、未だに立ち入りが禁じられ、人々が帰ることすらできない場所がある。彼の郷里も最近、立ち入りが許可されたばかりで、復旧・復興とは程遠い。故郷に帰ることさえ一生叶わない忸怩たる思い、悩み苦しんだ時に自分が生まれ育った場所が変わり果ててしまった悲しみ、いわれのない差別に苦しみ、福島出身ということに引け目を感じている子どもたちの心情にどうやって接したらいいか分からない。故郷を追われ苦しんでいる人に少しでも助けになるように日々研鑽を積んで、その人たちを助ける力、次に世界を揺るがす大事件が起きた時に多くの人を助けられるような力を養うことが、震災をチャンスと捉え故郷を捨て去った自分の贖罪だ。
自戒として、ここに記しておく。
先生は一回り以上年の離れた、けれどそんなことは感じさせない、お茶目で可愛らしくて、取っつきやすくて優しくて、それでいてどこか陰のある女性でした。
いわゆる百合やBLにも触れてきたオタクなわたしは、だからそういう、同性への恋心に対する嫌悪感のようなものはありませんでしたが、戸惑いもあまりなかったのですが、苦しみはありました。
世間の「当たり前」から大きく外れることが、存外、孤独で辛かったのです。
相手が先生というのもまた、その恋の認められなさに拍車をかけ、わたしの心を暗く染めていきました。
授業などで会えるうちは、むしろ好条件でもあったのですが、学年が変わり、担当教員が変わってしまうと、必然的に会う機会はほぼ消滅し、相手の迷惑も顧みずに会いに行くことなど出来ないわたしは、せいぜい廊下や駅前で偶然すれ違うことを願って、行動パターンに多少の工夫を加えるくらいで、あとはただ、行き場のない思いを抱えながら、一人鬱々とするばかりの日々を送っていました。
暗い青春でした。
三年生になり、今の恋とこれからの人生と、そして大学受験までが心にのしかかり始めた頃には、正直何度も死にたいと思っていました。それでもそれを実行に移さなかったのには、いくつも理由があったのでしょうが、そこに先生の存在があったことは間違いありません。
オタクなわたしは受験中も、なんだかんだでアニメを見ていました。
その中で出会った『美男高校地球防衛部LOVE!』は、随所にBL的要素を含むギャグ作品で、疲弊しきった精神も手伝ってか、あっという間にどっぷりとのめり込みました。
のちに特に好きな話数となった八話の録画を、朝に見た日の昼に第一志望の合格発表があったのですが、無事合格したことよりも、八話の内容のほうに興奮していた一日だったことは、今でもよく覚えています。
受験に追われる日々にも、受験を終えた空虚な日々にも、迫りくる卒業に怯える日々にも、防衛部を見ていました。進路は決まってもまだ、先生への想いという問題を抱えていたわたしにとって、防衛部は恰好の逃げ場所でした。
ギャグアニメとして面白かったという点のほかに、作中における「愛」の描かれ方に、知らぬ間に精神を救われていた点が作品にはまった理由なのだろうと、後になって思いました。
タイトルにも「LOVE!」とあり、メインの五人は「愛の王位継承者・バトルラヴァーズ」として変身ヒロインまがいの格好で敵と戦い、そして物語の主軸にはキャラクター(男)からキャラクター(男)への特別な思いが関わっていて、その特別な思いのことを、作品のすべての楽曲の詞を手掛けた作詞家の方が二期の放映中にブログで「恋」と表現されていたので、それは恋だというのが公式見解と言っても過言ではないのですが、その「恋」が、この作品では良くも悪くも特別視されていなかったのです。ただの一つの愛の形であって、それ以上でもそれ以下でもなかったのです。
同性同士だからといって貶めることもなく、かといって無闇に美化したり祭り上げることもないその姿勢が、まさにその同性同士の恋の渦中にあった自分を受け入れてくれているようで、その心地良さにきっと、当時のわたしは救われていました。
そして今でも救われているのでしょう。
先生への恋は当然成就していません。卒業の日に勇気を出して手紙を渡したわたしは、その後幸福なことに返事を貰い、振られ、そしてまたその辛さを掻き消すように、防衛部に深くはまっていきました。
あの頃防衛部に出会っていなかったら、と考えると恐ろしくなります。自分で自分を肯定することの出来ないまま過ごして、卒業して、そして特にのめり込めるものもなくただ漠然とした悲しみや苦しみを抱きながら春休みを経て大学生になって、キャンパスライフを過ごして。……過ごせていたでしょうか。それすらも不確かです――というのは言い過ぎかもしれませんが、少なくとも今、大学二年生の春休みを過ごしている今、ここまで日々が充実してはいなかっただろうというのは、それなりの確信を持って言うことが出来ます。
ファンがそれぞれ思い思いの言葉で作品を人に推そうと努めるそんなジャンルですが、わたしはこんな言葉で、それが刺さるかもしれない誰かに向けてこの作品を推したいです。
様々な愛の形を温かく描いている、美男高校地球防衛部LOVE!と、その続編の美男高校地球防衛部LOVE!LOVE!を是非見てください。
今月13日と14日にはニコ生で一挙放送があります。18日には両国国技館でイベントがあり、チケットは各プレイガイドにて一般販売中です。
ニコニコアニメスペシャル「美男高校地球防衛部LOVE!」全12話一挙放送 http://live.nicovideo.jp/gate/lv292218619
ニコニコアニメスペシャル「美男高校地球防衛部LOVE! LOVE!」全12話一挙放送 http://live.nicovideo.jp/gate/lv292217383
美男高校地球防衛部LOVE!LOVE!ALL STAR!チケット
・ぴあ http://t.pia.jp/pia/event/event.do?eventBundleCd=b1755041
・ローソン http://l-tike.com/search/?lcd=73256
・e+ http://eplus.jp/sys/main.jsp?prm=U=14:P1=0402:P2=218276:P5=0001:P6=001
先生はすごい
日曜日も大抵いる
祝日もいる
夏休みもいる
冬休みもいる
春休みもいる
今年の正月三が日は教育委員会から学校を閉めろって言われたから
誰も職員室にいなかったらしい。
今年は。
いつも手足がむくんでる
転任の挨拶のあの日から、たいして経ってもいないのに随分と老け込んだ先生
どんどん減っていく毛量
今日は化粧のノリ悪いなあとか。
クマが隠しきれてないなあとか。
忙しい時期に合わせて、太ったり痩せたり
たくさん課題を出す分
たくさんチェックしなくてはならないのですね
土曜日は課外授業
自由参加という建前でしたね
みんな不平は言うけれど先生の方がずっと大変だったでしょう。
いつか三年生になると土日と平日いう概念はなくなると先生はおっしゃいましたね
予備校にも塾にも行かなくていい
うちが面倒を見る、という先生
ほんとうにありがとうございます。
でもいいんです
僕は予備校がいいんです
でもずっと同じ環境に身を置くのは気が滅入るのです
学校と予備校の二重生活になるとしても、それはそれで気分の転換に良いのです
ですから先生方はいつも予備校のぶんまで僕たちを指導してくださりましたね
結構です
遠慮させていただきます
先生方は休んでください
労働基準法について授業しながら笑わないでください
予備校の課題と学校の課題で手一杯になるから行くなと先生は言うけれど
そんな学校のせいで有名予備校が進出していないのではないでしょうか
東大志望だった子が出願したくないと言った時、今までの先生方の東大対策を無駄にする気かと、不安定な時期に責めましたね
センター対策をすると二次で取れないからと直前まで対策をしませんでしたね
部活のOBも年上の兄弟も異口同音にセンター対策は必要と言っていましたが
僕は高校が大好きでした
卒業した今でも大好きです
先生が僕らのことをすごく大切にしてくださったことも知っています
ですが先生も生徒も、毎日学校にいることが当たり前という生活に疑問を感じていました
今までお世話になりました。