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はてなキーワード: 学問とは

2020-07-26

anond:20200726143312

そういうライターさんには大学でしっかり本来社会学勉強しろと言いたい。

ちゃん勉強すれば、批判対象先生達がいか学問の定石を大事にしているか分かるだろうに。

anond:20200726142138

古市しか知らないのにそれで一つの学問すべてを語られても…

ってかネットテレビによく出る有名人専門家は怪しい奴ばっか、ってのはどの分野でもそうじゃね?

まともな人は専門家世界ちゃんと業績認められてるからネットテレビ名前売る必要ないし

本業が忙しいからその暇もないしさ

コロナで山ほど出てきた自称専門家医者なんかもそうだけど

2020-07-25

どうやって「名刺の出し方」を学問昇華させるか考えよう

スーパーカリスマ経営者様の中では「名刺の出し方」が大学で教えるべき学問に分類されてるみたいなので、スーパーカリスマ経営者様のためにその方法を考えてあげよう。

というか、そのコマ用意したら学生は喜んで履修するんじゃね?

そんな楽なことで単位一つもらえるなら大人気になるよ

スーパーカリスマ経営者様も満足な学生が沢山生まれるよ!

大学で教えてる普通学問すら学生の頭に残らないのが問題なのに、大学名刺の出し方教えて卒業後も覚えてるかどうかは分からんけどな

植松人間非人間の線引きの意識があり、第三者同意なく(意思表示できなければ)殺して良いとする優生思想だが、

大久保山本は腐っても医師なので「全ての医療行為患者同意がいる」としており、終末医療の在り方と医療経済学的な問題意識だと思う。

欧米合法化されている終末期の安楽死尊厳死は、"命の選別"とか"優生思想"ではないのだが

マスメディア政治家がその辺りを混同してるのは意図的なのかバカなのか。

優生学(ゆうせいがく、英: eugenics)は、応用科学に分類される学問一種で、一般に「生物遺伝構造を改良する事で人類進歩を促そうとする科学社会改良運動」と定義される[2]。

 優生学とは,「人類遺伝的素質を改善することを目的とし,悪質の遺伝的形質を淘汰し,優良なものを保存することを研究する学問である(『広辞苑 第6版』岩波書店,2008)。

anond:20200725074504

話進まないからもう返信しないわ

お前違う学問の話してるから本当につまらない

2020-07-22

anond:20200721141645

学問のすすめを読んだことなかったら、読むといいよ。

学問はもとより実学大事で、独立心も大切で、いい企業に入ってとか、雇われるのが前提の考え方を変えさせてくれるよ。

実学があれば生きていける。

2020-07-21

不幸を自分らしさかいって内在化するな

不幸を自分らしさかいって内在化するな。

ただの不幸に対する「反応」を個性の発露だったと思うな。

不幸だったという点では確かにおまえは少数派で個性的だったかもしれんが、それを失ったところでおまえ自身は何も変わってない。

不幸だったが故に敏感だったアンテナが鈍ったと思っても、アンテナの性能自体が元からそうだったんだよ。

から幸せになることから逃げるな。頭から不幸に突撃して周囲に撒き散らすな。

貴方だって周りを巻き込んで幸福になろうとしてるから同列でしょ」とか論理的にだけ正しいクソの役にも立たねえこと言ってねえで悪縁を切れ。心療内科に行け。

普通人間になることを怖がるな。怖がってる時点で普通人間から心配すんな。


何らかのアウトプットのために自分幸福犠牲にするつもりなら、芸術でも学問でも社会運動でも何でもいいが本当に一生を捧げられるものだけにしとけ。

そんで周りを巻き込むな。

2020-07-17

虚数単位iの意味が分からないとか言ってる奴

学問進歩というのは、前の時代にはできなかったことが当たり前になっていくということだ。

Gaussの時代には複素数は明示的に使われていなかったが、今は使われるのだから、単に認めればよい。

頭の中で歴史を繰り返してる奴は無駄なことをしている。

2020-07-15

anond:20200715123105

教育学問に対してなんか適当なこといって

反論されたら「お前はバカ読解力がない」だけで粘る増田

2020-07-14

anond:20200714135211

なるほど、あなた記事を見て何となく理解できた気がします。

彼・彼女らにとって、欲しいのは議論による解決じゃなくて、「彼・彼女らの自治ルールへの共感」なんだろうな、と。

上で、

議論において「論理的整合性」は重要ではない

なんて書いてる人がいて正気を疑ったけど、議論じゃなくて共感が欲しいのであれば確かに整合性」なんていらない。

放課後教室で、「あいキモいよね~なんかエロいマンガ読んでるし、服もダサいし」とか言いてる集団に、

「そういういい方は良くないのでは?それにそういう基準ならあなた方の趣味も間違ってるのでは?」

なんて言ったら、そりゃ

キモっ、話しかけてくんな!」ってなるわな。

陰口を言ってる人間に「自治ルール外」の整合性なんて求めても無意味自治ルールによる共感しか受け付けない。

これが放課後教室で行われてるなら、整合的な話なんて求められてないってわかるんだけど、

曲がりなりにもジェンダー学・フェミニズム学と言った学問ベースにしていると主張され、かつ、政治的に正しいと主張され、ツイッターのようなだれでもアクセスできる場所でなされてるから、ついつい論理的整合的な話が求められてると思ってしまう。

でも実際に欲しいのは自治ルールによる共感だけ。

そして集団の中では確かに彼・彼女らの意見多数派なのだろう。(というか、異物は即排除するんだろう。)

そりゃ話がかみ合うわけがない。残念だけど。

山中先生コロナ対策で出てくるのはおかしいと思う

山中先生の専門は再生医学から感染症公衆衛生舞台である新型コロナ対策に上がってくるのはおかしいと思う。どれくらいおかしいかというと、イチローサッカー指導をするくらいおかしい。しかし、多くの人々はイチローサッカー指導をするのがおかしいことは理解できても、山中先生が新型コロナ対策に出しゃばってくるのがおかしいことは理解できないのだ。

これは、多くの人にとって医学スポーツに比べて身近でないこと、医学をひとまとまり認識していること、権威主義などの要素が関係している。

医学スポーツに比べて身近ではない。スポーツ特に野球サッカー相撲といった国民的なニュース毎日報道されるし、テレビでも毎日放送される。しかし、医学ニュースは大きな発見がされたときしか報道されない。このことによって、野球サッカーの違いは分かっても、再生医学感染症学の違いがわからない市民が出来上がる。

多くの人は再生医学感染症公衆衛生の違いがわからず、一塊で「医学」と認識しているのだ。だから山中先生が何かを言えば権威主義的にそれに従ってしまう。

しかしこれは当然のことであり、仕方のないことでもある。例えば、私は建築学文学ITの中にどんな学問があるのか知らないから、その分野の知識必要になったらとりあえず有名な人に意見してもらおうと考えるだろう。実家から古文書が出てきたときに、古文大学教授がいてくれたらなんと頼もしいことか。その古文書が例え漢文で書かれていたとしても。

から医学場合は、とりあえずノーベル賞で有名な山中先生意見をもらおうというのは、当然であると言えなくもない。

このことは一般の方々にも言える。医学だけで細かい発見をいちいちニュースにしていたらいくら時間があっても足りないし、医学だけ特別扱いするわけにもいかないし、そもそも市民医学の細々とした発見に興味がない。だから市民医学についての詳しい知識を持ち合わせていないのは当然のことなのだ。

問題点は、メディアなどが過剰に持ち上げることにある。ノーベル賞を受賞したといっても、山中先生感染症学の専門家ではない。さらに臨床での新興感染症対策経験もない。感染症対策については本質的には素人で、新興感染症について適切なアドバイスはできないということは本来なら理解できるはずだ。

から感染症を専門とする先生専門家として呼ぶのが正しいはずだ。しかノーベル賞という看板に惹かれたかそもそも感染症素人であることがわからないのか、山中先生を新型コロナ専門家という立場に据える番組などが後を絶たない。終いには山中先生自身が「山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信」というサイトを立ち上げ、専門家会議(分科会になったんだっけ?)のメンバーとして祭り上げられてしまう始末である

かにノーベル医学賞を受賞し、有名なインフルエンサーである山中教授新型コロナウイルスについての情報拡散するのは理にかなっているのかもしれない。しか短期的に見れば有効でも、長期的に見ると民衆馬鹿にしている(ダブルミーニング)ように思えてならない。

SNSで見た主張として、「山中先生は新型コロナが出てからそれについて一生懸命勉強した。だから新型コロナ対策知識は十分にある」というものがある。これに対して反論したい。

かに山中先生は新型コロナについて、それが発生してから懸命に勉強たかもしれない。しかし、高々数ヶ月の話だ。日本は何年何十年と懸命に感染症について研究してきた専門家をたくさん抱えている。高々数ヶ月の勉強とは、文字通り桁違いの経験を積んできた先生である。新型コロナに限らず、感染症対策に関する知識も、経験も、その言葉の重みも桁違いである。だから、「数ヶ月勉強たか知識は十分だ」という主張は、その分野で飯を食ってきた本物の専門家に対する侮辱にも等しいのではないかと思う。本来はそういった本物の専門家をお招きしてアドバイスをいただくのが正しい筋であるはずなのだ。だが、本物の専門家は往往にしてなかなか表舞台に出てこない。メディア学問専門性が高い分野を扱うとき特にそうだ。専門家は忙しいのか、恥ずかしがり屋なのか、報酬が割に合わないのか、はたまたメディアがそういった専門家を知らないのか・・・

ここまで散々ノーベル賞に乗っかる諸々をディスってきたが、私は権威主義否定しているのではない。むしろ迎合するくらいである。

最近は「誰が」主張したかよりも「何を」主張したかについて主眼が置かれる風潮がある。確かに主張の内容は重要であるし、自身の専門分野や興味のある分野については、主張が正しいかどうかを精査するのは極めて重要である

しかし一方で、我々のような一般大衆にとっては精査は仕事ではないのだと思う。自分の知らない分野に対してその主張が正しいかどうかを判断するのは難しいし、それに誰の主張についても考えていたらいくら時間があっても足りない。さらに、自分でどれが正しいかを考えると、自分の考えのバイアスがかかる。しかもそのバイアスがド素人バイアスなので余計にたちが悪い。だから自分が知らない分野については「何を」主張するのか考えるのはやめて、「誰が」主張するのかを考えた方が、幾ばくか合理的であるかもしれない。

そして私が最も強調したいのが、「その権威が正しい権威なのか」を考えることである

権威が正しいのかを考えるのは、主張の内容が正しいのかを確かめるよりも簡単だと思う。例えば、建築専門家建築の指示をするのは正しいが、コップ製造の指示をするのは正しくないだろう。全ての主張についてこれと同様に考えれば、自ずとどの言い分が「正しい」のかわかる。

もちろん、この方法では間違えるかもしれない。例えばニュートンは「光は粒子である」と主張した。しかし実際は「波と粒子両方の性質を併せ持つ」ことは高校物理でも学ぶ常識であるし、高校物理をとっていなくても知っている方が多いと思う。しかしそれは現代視点から見た話であり、1600年台後半の民衆にとっては光は粒子であることは「正し」かったのである

科学は日々進歩するものであり、現代の「正しい」が後世にわたって永遠に「正しい」というものはない。そして、その分野特有思考を持ち合わせない素人が、どれが正しいか判断するのは難しいものがある。ニュートンでさえ間違えたのだから、その分野の知識がなく、興味もない素人ではなおさらだ。そんな中でひとまずの妥協点を見つけるのが科学者や専門家仕事でもある。その仕事に乗っかるのもアリだろう。

自分の興味のない分野、わからない分野については専門家の言っていることに従う。しかし、その専門家は本当に「その分野の専門家」なのか、といったことをちょっと考えてみるのも重要だと思う。

anond:20200714161302

そりゃそうだ。

大学行けて、家庭教師とか塾とかからはじめて、長い年月やってきてもわからないことだらけ

どんだけそこの浅い学問だと思われてんだろ

AKBでもできるていどの教材を作る そのいみがわかるか?

2020-07-13

anond:20200713064449

それはお前の脳内定義だよね?

元増田にはどこにも「基礎学問は役に立たない」などと書いていないのだが。

お前が勝手

という文脈のつながりのない2つの文章を探してきて貼り合わせただけ。

これは、「この文書では環境学という言葉自然環境生態系に関する意味限定して用いる」という文書と「環境学という言葉人間生活も含んだ意味に用いる」という文書繋ぎ合わせて矛盾しているとか言ってるようなもん。

これが反論になってると思うのは、自分頭が悪いと言ってるようなもの

もういい加減に、ネット喧嘩したがりの中学生みたいなことはやめてくれ。

anond:20200712182441

学問価値は役に立つことである

よく、「学問は役に立つことが重要なのではない」などと言う人がいるが、これは間違っている。

俄に「教養」などに目覚めた高校生大学生などが、インテリぶってこういうことを言いたくなる気持ちは分かるが、事実に反する。時々、社会人でもこういうことを言っている人がいるが、本当に見苦しいと自覚すべきだ。

ここまで真正面に元増田が「学問価値は役に立つものである」といってて、一貫してグダグダ言ってて、かつ基礎研究が「 特別な応用、用途を直接に考慮することなく、(略)」

となってるのに、コンテクストでどうのこうのって言えるな。鹿を馬といえば馬になるというお方?

最近「基礎研究大事だ!」というのが叫ばれるようになったが、これは現在の「役に立たない学問不要」への反論だよ。つまりまさに元増田みたいなやつへの反論なの。

2020-07-12

anond:20200712124754

喩えるなら、そういうものがあることは知ってるが実際は誰も見たことないような伝統工芸について、それを保護するのが進歩的だと思ってるインテリ気取りがあれこれ騒いでて、当の職人は「現状、生活できてるから何も困ってない」と思ってるようなもの

教養だの学問だのと言ってる連中は、その中身を全く知らないし、そもそも社会を良くしようとして言っているのではなく、ただの政治的トレンドに便乗して言ってるだけ

anond:20200712130759

すぐに役に立たない学問というのが基礎研究からだよ。無論どんな技術最初は基礎研究だったがな。

学問価値は役に立つことである

よく、「学問は役に立つことが重要なのではない」などと言う人がいるが、これは間違っている。

俄に「教養」などに目覚めた高校生大学生などが、インテリぶってこういうことを言いたくなる気持ちは分かるが、事実に反する。時々、社会人でもこういうことを言っている人がいるが、本当に見苦しいと自覚すべきだ。

こういうことを言っている人の99.9%は、まともに学問をやったことがないし、想像力が足りてない。

まず、実際の研究活動では「役に立つ」ことは非常に重視される。実際、自身研究が他の研究とどのような関連を持っていて、どのように応用されるのかということは、説明する責任がある。それは、対外的にはもちろんそうだし、研究者の間でもそうだ。

そして、こんなことは別にある学問を深く研究したことがない人にでも、容易に想像がつくことである大学などの研究機関は、限られた予算の中で採用研究を行っているのであって、ボランティアではない。したがって、ある研究が「役に立つ」かどうかは重要だし、大学等は「役に立つ」研究ができてその研究価値をしっかり説明できる研究者を採用する。当たり前の話。

妄想の国の話をしている人には伝わらないかも知れないが、現実学問世界はこう動いているし、それで上手く回っている。

もし、自身研究の内容や価値を同業の研究者にさえ説明できないのなら、それは単なる実力不足である

よく、歴史上のパラダイムシフトを例に挙げて、「今役に立たなくても、将来重要になるかも知れない(からどんな研究でも認められるべき)」などと主張する人がいる。

しかし、先にも述べたように大学等はボランティア研究をしているのではない。研究者を雇うのには人件費がかかるし、分野によっては、実験に数百万円かかるようなものもある。無制限研究者を雇い、予算を出すなどということが不可能なことは、小学生でも分かることだ。

また、現代では世界中に非常に多くの研究機関があり、多くの研究者が様々な分野の研究をしている。そのような状況で、本当に価値のある研究がどこにも認められないということは考えにくい。もし、自身研究が「既存研究とはパラダイムが違うから、他の研究者に理解できない」のだと思っている研究者がいるとすれば、自惚れも甚だしいと言いたい。

世界中の研究者は彼らの基準で「役に立つ」ことを研究していて、それで世の中上手く回っているわけだから門外漢インテリぶって学問は役に立たなくても価値がある」などと言って要らぬ世話を焼く必要はない。

2020-07-07

anond:20200707032906

若者が目指すのはYouTuberVtuberといった「さらけ出す道のプロである自分自身コンテンツにすることが希望なのであるヤバいですね。

それな

演技・音楽・絵・文・学問スポーツ料理裁縫写真・・・などなどに加えて『自分』というコンテンツ

コンテンツ自分』の主戦場は、TwitterInstagramFacebookYouTubeTikTok などやろか

有名であればインフルエンサーとして商業活動ができると

無名であってもクリエーション一種として捉えるべきなのかもな

2020-07-05

民主主義はもう…

そもそも学問的には

1票による効用<正しい選択をするための情報収取コスト

から投票に行く方がおかしいっつー話にとっくになってる

情報化社会とグローバル化で、処理するべき情報量が昔の比じゃない。

最早国民判断を下す選挙やら民主主義なんてのはとっくに破綻している。

義務感だとか、「一人一人が政治に興味を持つの大事」なんてふわっとしたお題目で誤魔化すな。

2020-07-04

教養のない人たちが教養重要性を説く不思議

たとえば、大学勉強ものになっている人は、大学学者の0.1%もいないだろう。

東大のある学科に1学年40人在席しているとして、大学で習う内容をちゃんと修めているのはその内の4, 5人だ。それよりレベルの低い大学ではもっと少ない。その他99.9%はただ単位を取って卒業しているだけかそれ未満である

ところがネット上などでは、明らかにこの残り99.9%に属するだろう人たちが、すごく偉そうに教養重要性とか勉強に対する姿勢などを他人に説いている。

曰く、「学問は役に立つことが重要なのではない」だとか、「人生を豊かにするために幅広く教養を身につけるべき」だとか。傍から見ると、本当に恥ずかしい。地方自称進学校で平均よりちょっとできる人が勉強の仕方を説いているようなものだ。

彼らに最低限の教養があれば言えることは、「いろいろ勉強したが、よく分からなかった。しかし、大卒肩書就職活動などでは役立った」ということだけだろう。なぜ、自分にできないし、多くの人ができないことで、他人説教するのだろう?。まさか、彼らは自分が何か意味のあることを修めたつもりになっているのだろうか。

2020-06-29

学歴コンプレックスな人々

彼らは「受験で結果を出した(あるいは出せなかった)」ことを30歳近くなっても主張しがちである。そこに何らかのポテンシャルがあったことは否定しないが「就活で結果を出した」も別に変わらんだろうし(受験より頑張りにくいし結果も出にくいが、問題とは本来そういったものだ)、「仕事で結果を出した」はより直接的だ。

受験とは出自による違いをある程度是正するものであるが、同時にコスパの良いハックでもある。ハックがどこでも通用するわけではない。学歴封建時代における身分のように絶対的ものであるなら、その後の努力不要であるが、残念ながらそんなことはない。修士どころか博士要件とする仕事もあるが、それは自動車運転するのに免許が取れる程度の能力は当たり前に必要というだけの話だ。人生可能性が少し広がるが、達成が約束されることはない。

優越感は劣等感の裏返しであるいつまでも学歴なんて入り口の話をしてないで、今の学問仕事の話をしなさい。

2020-06-28

早慶って実際のレベル高いの?

長年高学歴ポジションに居るのは分かってるけどレベルが高いなっていう話が伝わってこない

美人が多いみたいな学問関係ない話題は聞くけども

教えて有識者

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