はてなキーワード: 事実婚とは
これ読んで思うのは、生活力のある人同士の結婚て、もはや法的な結婚にはメリットないのでは?
健保や年金や税みたいな扶養のメリットは受けられないし、なんか法的な婚姻の価値がわからない。
むしろ法的に未婚なら、母子(父子)家庭向けの公的補助や奨学金やら結構受けられる。
そう考えると、今の公的な婚姻制度やら補助制度は専業主婦やパート主婦を前提にしたものなんだなぁ、と。
それを(今の状況では)悪用というか歪んだ利用にはなるかもだけど、お互いの信頼関係がしっかりしてるなら、事実婚のほうがメリットある状況になっちゃってるような。
社会的な扱い(周りの目とか、親とかの捉え方とか)が気になるかもだけど、そういうことはもう気にしない(気にしたくない)時代にもなってきてるし
最初のほうが手慣れすぎてて釣りっぽいけど釣りじゃないならおもしろいんじゃない
女性2人目のほうはアセクシャルで単に女性1のことがすきだから同居、みたいな。(実際は3pかもしれんけど)
女性2人目は稼ぐのもそこそこ稼げてて二馬力で1人の妊婦をかまうみたいな感じだったし子育ても母親2人状態で楽そうだった。
その後の行方は杳として知れない。
いつか男性2が表れて女性2に「それは虐待だ!そこから救い出してあげるよ!」みたいなことになったかもしれないしそうではないかもしれない。
だがこの増田のほうがその後の話にもゆめがあっておもしろくはある。
妻が3人居るということへ対して多くの人は興味を持つだろう。
それは事実で職場とかでもよく聞かれるし、もしも俺が一夫一妻の結婚をしていたら気になるとは思う。
いや何でそもそもそうなったのか?と言えば中学生の頃3人同時に告白してきたからだ。
もともと友人だった彼女らは「抜け駆け禁止」という協定を結んでいて、中学卒業間近に周囲が誰に告白するだの何だのにアテられて告白したくなったが抜け駆け禁止だったので同時に告白するという斜め上の発想に至ったらしい。
俺自身も同級生、というか小学校からの幼馴染であり友人だったので関係性が壊れるのが嫌で「じゃあ同時に付き合おう」ということになった。
そして「誰かが心変わりしても友人に戻ろう」という約束をして交際をスタートしたが、結局今でもそれが続き、何なら3人との間に子供が複数居る。
おそらくは何か決定的な大きなことが起きない限り俺達は死ぬまで家族のままだろう。
別に俺自身はアラブの石油王でなければ由緒正しい家柄でもない単なる庶民だ。
社会人となった際ほぼ同時期に3人との同棲を始め、いわゆる4馬力状態で働いていたためその当時の新社会人にしては家計としては余裕がある状態にはなった。
これはもう計画的に結婚当初は子供を作らず夫婦2馬力で働いてお金を貯めようとするのとほぼ同じ状態であり、それへ更に2人加わっているだけ。
これは偶然にも子供が生まれた際に比較的メリットがある家庭となった。
子育てに参加できる大人が常に居る状態になっており、1人目のときそれへ気付いて妻たちと話し合って意図的に出産の時期をズラすと2人目以降は非常に子育てが楽になった。
実家帰省での支援もあったけれど、直近に出産経験者が居るというのは凄く頼りになるし、有給などを利用するタイミングをバラバラにしたり合わせたりすることで様々なシチュエーションへ対応できた。
女性にとっては気になるであろう「独占欲は無いのか?」と妻たちへ直接聞いたことがあるけれど「有るか無いかと言えば有るけど4人が一緒に入れる方が大事」なのだそうだ。これには俺も納得だ。
逆に俺へ「妻が浮気したら?」と聞きたい人も居るだろうけど、そのときは友人へ戻るだけ・・・と言いたいところだけど今は子供が居るし判断が難しいところ。平均的な家庭とこの辺の判断は変わらないのでは?
ちなみに結婚式は自分たちで稼いだ金で挙げた。
当然ながら俺達の両親は一般的に想像するような結婚形態を取っているので当初は賛成という姿勢を見せることがなく、一部の両親は「反対はしないが・・・」という感じであったし「馬鹿かお前らは!」と怒り狂う親父さんも居た。
色々あって「じゃあ私達だけでやろうか」となって結婚式を挙げたわけだ。
子供が生まれてからは「これも1つの結婚か」みたいな反応となり、今では普通にすべての実家へ行き来できる関係性を築けている。
この関係を続けて数十年経ってしまっており、むしろ一夫一妻なカップルが想像しにくくなっているけれど、年金とか相続とか法律周りで面倒なことが起きそうな気がするので可能であれば法令婚化させてくれないかなぁ?なんて思ってる。
この辺の議論は不健全扱いされて全く盛り上がりを見せないので出来れば真面目に考えて欲しいなぁと思わなくもない。
これでも自分自身では単なる親父だという認識なので。
この度、はあちゅうさんと事実婚の関係を解消し、別々の道を歩むことになりました。
今後は夫婦という形ではなく、パートナーとして協力しながら息子に対して深い愛情を注ぎ続けて行きます。
僕たち夫婦を応援して下さった皆様には心から感謝しております。
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僕たちは前を向いて、息子の明るい未来にわくわくしています。世間の言う"離婚"というネガティブなイメージとは違います。
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上手いなぁ・・・
https://ameblo.jp/mofu-everyday/entry-12766175051.html
自分でもぐぐってたわ。
こっちのほうが当然正確だし「事実婚の解消」って離婚ていうのか雰囲気的に殺伐としてはいないのでまあいいんじゃないですかね~
そうなんだけど、実際にはそのなんとかするための社会保障がないことをみんなが知っちゃってるんだよね。だからどうにもなんないって話じゃないの?
個人的にはもうこういうのって、それこそ中国みたいな完全情報規制社会にするしかないと思う
検閲してとにかく子どもを産まない層を増やすような情報は全部カット
実際問題昭和なんかはそういう空気&娯楽が楽にないからぽんぽこ子供増えたんでしょ
人権や倫理観を完全無視するなら情報統制して子供は最高!結婚が至高!親にならんやつは人でなし!趣味に生きるのはカス!ってずっと喧伝し続けるのが最効率だと思うよ
倫理観は一切ないけど、実際問題子どもを増やすという一点突破で考えるなら同性婚だの事実婚など認めずとにかくなんでもいいからガキを産ませる方向に社会全体を作り直すしかない
同性愛 不倫 で検索すりゃ、「夫婦としての生活を営む結合としての婚姻に準ずる関係にあった」として慰謝料の支払いが認められている。
異性愛者の結婚と同等とまではいかなくとも多少の権利は認められている事実婚すら否定って、「新しい家族の形」だの耳障りのいい事言って何も請求できないようにしてるだけじゃん。
要するに、同性愛でも異性愛でも当人が事実婚だと思えば事実婚は成立するがそうではない関係ということ。
お互いにセックスを求めていないなら他人がとやかく言うことじゃないよな。
でも、配偶者が求めているのに一切努力をしない人は普通に批判の対象だと思うぞ。
「変わらず愛してる」なら、何故わざわざ離婚する?
性の対象として見られなくてレスでも、夫婦でいることはできるのに、何故離婚する?
でも産後嫁を性的な目で見られなくなったから離婚って、そこらの身勝手な男と何が違うんだ?
結婚するかしないか、子供を産むか産まないか、事前に選択肢を与えられることなく、産後そうかもなーとは思ってたけどやっぱり夫は持続できなかったわごめん!って…普通に詐欺だろ。
妻に墓場まで持っていけと一瞬でも思わせるほどの嘘だぞ?
子供のことはさ、離婚して親権がぺこの方に行ったとしても、りゅうちぇるも親であることには変わりないし、今までちゃんと親やってたんなら今後も問題ないと思うよ。
でも、ぺこが何か重い病気になっちゃった場合とか、婚姻関係になく事実婚であることも否定しちゃうと、医者から病状の説明を受けたり、看病とか手術の同意書にサインとか、そういう事が出来なくなってしまわないのか? たかが紙一枚で縛られただけの関係性って馬鹿に出来ないから、大丈夫なのかな? って思う。
これまでりゅうちぇるがぺこにしてあげたこと・ぺこがりゅうちぇるにしてあげたことっていうのは、本人達の意思と努力だけで出来た訳じゃなくて、婚姻により社会の承認を得られたから出来たっていうこともあると思うんだよね。
広告代理店を早期退職したキョウコは、今にも倒れそうなボロアパート「れんげ荘」に住んでいる。生活費は月10万円と決めて倹しく暮らすキョウコの楽しみは、猫のぶっちゃんに逢う事くらいだったが、ぶっちゃんことアンディは飼い主の家から出して貰えなくなってしまう。
キョウコはあまり変化のない日常を送っているが、れんげ荘の若者達は人生にもまれて忙しそうにしている。コナツさんは事実婚相手の男性の連れ子の育児、チユキさんは田舎に住んでいる彼氏の所とれんげ荘を往復しつつ、他人に貸している分譲マンションのトラブル解決に追われていた。
そんな若者達に深入りし過ぎないよう愚痴の聞き役になっていたキョウコのもとに、実家から母の死が報じられ……。
若い人達のすることに上から目線でアドバイスや批判をしたい欲と内心で静かに闘うキョウコ。その心情が、今にもアウトな方へ傾きそうなギリギリのラインに立っている感じで、ちょっとハラハラした。心の裡だって理想と現実はかなり違うもんなあ。
一時流行った丁寧な暮らし系統だが、そういうのは結局豊かさの産物であり、現実の日本社会ではもはやリアリティーを喪っているように思う。だが、本作では相変わらずキョウコは節約を頑張れば働かなくても生きていけるという設定のままだ。
ところが、彼女が実家に戻れない最大の理由だった母親(他人にとってはいい人だがキョウコにだけは害悪って感じの毒親)が死亡したので、キョウコにはれんげ荘を出て兄夫婦とシェアハウスするように同居するという、新しい道が示される。だが、キョウコは全然乗り気ではない。そりゃ長年一人で暮らしてきた人が、いきなり独居の自由気ままさを手離すことはできないよね。
クマガイさんの生き方や考え方がカッコいいのだが、先のことは知らないなんて、キョウコよりもずっと年長者(敢えて言えば老い先短いともいう)だから言えること。確かに、人生を悩まなくてもいい事に悩んで浪費したら勿体無いとは思うけど。
他人には後ろ指を差されるかもしれないが理想的なキョウコの暮らしは、ずっと手放しで幸せとだけ言えるものではなくて、いつも後悔と不安がついてまわる。
作中の時間の流れがリアルタイムよりもだいぶ遅いのか、本作は2021年に出版されたのにコロナのコの字もない。現実世界はこの数年は酷い事続きだから、現在よりも少し昔を生きているらしいキョウコがいっそ羨ましいくらいだ。もし作中の時間が2022年に追い付いたとしたら、キョウコの心境はどう変わるのだろう。「先のことは知らない」という言葉の受け止め方は、どう変わるだろうか。私は先のことが知れない事に恐怖しかないけど。
ラストでぶっちゃんと再会して急に元気になり小躍りするキョウコ。やっぱあれだ……推しは世界を救う的な……。何があっても推しが元気でいてくれさえすれば生きれるってことか。
前に今読んでるとこって書いたけど、やっと読み終わった。半月以上かかってしまった。(他に色々読んでたのがいけなかっただけだが)
舞台は古代中国のような世界で、神の住む天界、人の住む下界、そして鬼の住む鬼界がある。
主人公の謝憐(シェ・リェン)はかつて大国だった仙楽国の王太子。彼は類い希なる才能を持ち、17歳の若さで天界に飛昇し神官(現代日本で言うところの神)となった。
だが、彼は自分のやらかしによって天界を二度も追放されてしまい、下界でガラクタ集めなどをして糊口をしのぐ暮らしにみをやつすことになった。
最初の飛昇から約八百年後、謝憐は三度目の飛昇を遂げ神官に返り咲くものの、飛昇した際の衝撃で他の神官達の住居などを壊してしまい、多額の負債を作ってしまった。
そこで謝憐はまた下界に降りて、人助けをしたり自分を奉る廟を作り信者を増やしたりなどして功徳を積むことで弁済をする事にしたが……。
読み終えるまでに半月もかけてしまった私が言うのもなんだが、かなりページターナーな作品。
ただの人間が修行をしたり功績をたてたりする事によって神となり、信者を増やして功徳を稼ぐことによってより強い法力を得るという設定が、ゲームっぽくも俗っぽくもあって面白いけど、中国のWeb小説ではあるあるな設定だったりするのか、それくらい解ってるよね? と言わんばかりにストーリーはサクサク進んでいく。でも文章が平易なので設定に振り回されて訳がわからなくなるなんてことはない。
同作者の『魔道祖師』もそうだったが、個々人の心情や集団心理の描写が巧み。謝憐の、お人好しなんだけどいつの間にか味方が誰もいなくなるのもやむを得ないような性格……簡潔に言えば空気を読めない独善的でアイタタタな性格とか、権力者のワガママに振り回される下々の人々の様子とか。
巨陽将軍(ジューヤン将軍。日本語にすると巨根将軍)の名付けエピソードなんかかなり風刺が利いていて、えぇ……意外と中国、表現の自由あるじゃん……(発禁になりませんように)……と思った。
ストーリーが面白いけどBL作品なので当たり前のようにボーイズがラブする。本作は『魔道祖師』のときみたいに男性同性愛の事を「ホモ」の意の古語で呼んで露骨に差別することもない(1巻時点では)。
メインカプの三郎(サンラン。攻め)と謝憐(受け)は前半くらいでもう出逢い、すぐに打ち解けて仲良く暮らしたり一緒に事件を解決しに行ったりする。三郎はなぜか謝憐に対してとても親切で優しく、謝憐は訳もなく親切にされることに戸惑いながらも、根っからお人好しのため受け入れる。
ところが、謝憐と普通の人間達以外の誰もが三郎のヤバすぎる正体を知っていて、でも三郎を怒らせたら事なので、誰も口を挟まない。謝憐と三郎が人目も憚らずに二人の世界に浸っているのを、第三者がドン引きで見てみぬふりを貫く様が滑稽で面白い。
本作ではまだ謝憐や三郎の来歴に語られていない部分が多く、楽しそうに交流しているだけなので萌え萌えでいいけど、きっとそのうち超弩級の不幸展開ややり過ぎて引くエロ展開が来るんだろうな……。
終盤の鬼市に潜入する話が好き。な、なんか鬼市の風景にデジャ・ビュが……『幽遊白書』と『ハリーポッターシリーズ』と『昭和元禄落語心中』と『千と千尋の神隠し』を足して4で割ったような雰囲気。厨二心に刺さる。
丁半賭博であからさまに謝憐が贔屓されるシーンの糖度が高くてほっこりした。