はてなキーワード: リバースとは
スタックオーバーフローのユーザー会に行ってきた。Tシャツ目当てで。
メタな話は、正直あの界隈の人たち好きじゃないので興味なかったのだけど、
同じように一般参加した人がstackoverflowに質問した内容やそれを自己解決した経緯を聞くのは楽しかった。
エンジニアだったら、なんかの問題に躓いて、死ぬほどリファレンス読み込んで解決できなくて
神にもすがる思いで誰か…同僚だったり、SOだったり、GitHubに頼った経験はあると思う。
同僚に事象を説明していたら、環境差分に気づいてスルスルっと解決しちゃった体験。
サンドバッグになってありがとうといつも優しい同僚に言っていたが、最近ラバーダッキングというちゃんとした名前があることを知った。
長ったらしいエラーログから特徴的な文言を抜き出して、ググった先がGithubのissueで。
英語で続くよくわからない会話についた絵文字のGJを頼りにフィックスして結局直ってねーじゃんと失望するような体験。
kubernetesを見るがいい。よくわからないbotが90日後にやってきて勝手にissueをcloseしていくぞ。
そんな中で、技術者として真だなと思うのが技術的に解決方法を自分で見つけた人。隣の人から聞いたのはそんな話だ。
macのドック(下にあるアプリケーションのローンチバー)から消したアプリアイコンが、電源入れるたびにゾンビのように復活するので調べたら
osのバージョンアップ用プロセスがdockの配置を定義している静的ファイルを操作して勝手に元に戻していたことがわかったらしい。
osのバージョンアップ用プロセスがリブートで必ず動くことへの対応は見つけられなかったけど、事象と対症療法は何とか見つかったよとのこと。
正直かっこええなと思う。
システムのアーキテクチャがわかってて深い理解があって初めて可能になるような。
こんな方法はベンダーのマニュアルにも、どの教本にも載ってはいない。しかし、可能ではある。システム全体に対する深い知識と理解と応用力があれば。
EGFマダー?といつも呟いている自分は、EGコンバットでいつEMPバラージにあってもいいように備えている。
そんな中、CVE-2018-1002105 の issue を読んで kube-apiserver に詳しくなろう!
は今、「kubernetes the hard way on azure」をやってて最初のCIDRによるネットワークの分割は、lucidchartでお絵描きまでして頑張ったのに
kubeconfigファイルの作成あたりは無の境地になって、。。。はっと、なんか不安になってきた自分に強くささった。
「kube-apiserver がリバースプロキシとして動作する」こともあるというアーキテクチャの理解をベースに脆弱性情報がこうやって発展するのか...みたいな。
震えるほどかっこええなと思う。
知識の深堀のために、SOが発展していけたら。そんなことを思う。
2007年まではバンナム発表の出荷本数リストが存在している。
https://game.watch.impress.co.jp/docs/20071211/tales.htm
それ以降は、Wikipediaにも掲載されている国内の売上本数(おそらくDL販売は含まれていない)をベースに、別ソースの海外売上を括弧書きで示している。
追記。
各プラットフォームでの発売時期を書いてどれがリメイクか分かりやすくしたよ。
でも別ソースだから、単純に「累計から海外出荷本数をマイナスしたら国内出荷本数が出る」というものじゃないから注意してね。
出荷・世界
1995 SFC:21.2万本
1998 PS:76.9万本
出荷・世界
1997 PS:113.9万本
(累計出荷160万本との発表あり)
出荷・世界
出荷・世界
出荷・世界
出荷・世界
出荷・世界
(海外で14万本)
売上・世界
売上・国内
売上・国内
売上・国内
売上・国内
売上・国内
売上・国内
売上・国内
売上・国内
発売日 | タイトル | 合計 |
---|---|---|
1995年12月 | ファンタジア | 143.1万 |
1997年12月 | デスティニー | 160万 |
2000年11月 | エターニア | 127.1万 |
2002年11月 | デスティニー2 | 110.6万 |
2003年8月 | シンフォニア | 143.9万 |
2004年12月 | リバース | 60.5万+α |
2005年8月 | レジェンディア | 39.7万 |
2005年12月 | ジ アビス | 159.2万 |
2007年12月 | イノセンス | 32.3万 |
2008年8月 | ヴェスペリア | 122.5万+α |
2008年12月 | ハーツ | 62.5万 |
2009年12月 | グレイセス | 110.9万 |
2011年9月 | エクシリア | 116.8万 |
2012年11月 | エクシリア2 | 88.7万 |
2015年1月 | ゼスティリア | 126.8万+α |
2016年8月 | ベルセリア | 100万 |
国内では安定して30万〜40万本の売上を確保する一方、
海外でも根強い人気があり、累計ではたびたびミリオンを越えている。
いわゆるAAAタイトルではなく、またコテコテのJRPGでありながらも、
コアなファンを掴むことで、安定した成績を収めていると言えるだろう。
また、90年代に百花繚乱の様相を呈していたJRPGが2000年代に入って失速し、
この「安定感」こそがテイルズオブシリーズの最大の武器だと思う。
はたして「一発逆転」など狙う必要があるだろうか?
新年一発目にどうしようもないものを書く。今自宅のトイレに籠もって新年会の遺恨をリバースしてる。
どうしてこんなことになったのか。何も恨むことはない。ただ己の愚かさを恨む。どうしてここに書き記すだけの知能をのこひしながらこんなにも新年会で飲んでしまったのだろう。
気がつくとベッドだった。
胸苦しさに襲われて洗面所に行った。何度吐いても報われない。一年に一度あるやつだ、呑み過ぎた。昔は眼鏡のレンズをまるまる失ったが今年は失うものがなさそうだ。あるいは人としての尊厳んか。まだ垂れにも失礼がないことを祈る。
吐く。
よだれ以外ない。まるで昨年自分が何も残さなかったかのようだ。いっそ気持ちよく胃袋から嘔吐すればどれだけ気が楽か。
まわりには誰もいない。そうだ、一人だ。飲み会明けの嘔吐でしすってくれるパートナーがいるような幸せとは無縁だ。今後もない。叱っても、呆れられも、しない。これからもそう。
頑張って吐く。明日のために吐く。洗面台が詰まったらなんとかする。明日のことはわからない。これが社会人かと思うと泣ける。学生時代のみぅともなさを思って泣く。
もっとマシな大人になると思ってた。けれと何も変わらない。小さな大人は小さいみま。大きな子供は大きいまま。実家で祖母がみっともないと笑うだろう。
なぜこんなに苦しいのか。酒の飲み方を忘れたからか。なぜこんなに苦しいのか。つまらない大人になったからか。何故こんなに苦しいのか。吐き方を忘れたからか。。
昔はこんなのメモ帳にすら残さなかったんだけどな。匿名はてなは悪い文化だ。初めて書いた。きみらも限界をこらえて洗面台で書くといい。もどしたときが投稿だ。
泣くしなにたい
今年の夏頃に妊娠がわかって、その時は嬉しい反面今後に対する不安の方が大きかった。ただパートナーが大いに喜んでくれたのが良かった(一方で目一杯喜べない自分が少し嫌になったのもあった。)
ただ、原因不明の体調不良が何に起因しているかがわかってホッとしたのもあった。
不安いっぱいで両親には半分泣きながら電話で伝えた。こっちがこんなな調子なので親もちょっと困惑してた、でもめでたいことだから、と。
後々LINEで改めておめでとうと届いた。
父親はせめて丸々3〜4年は…と言ってた、ちょっと早いよ、と。
私もそう思う。
環境に慣れてきたものの全体はまだ見通せてない2年目、3年目になってこれから、というところで。
自分が風邪の諸症状だと思っていた、びみょーに高い微熱と身体のダルさはつわりだったのだ。
最初の3ヶ月ぐらいは貧血になりがちで通勤中にフラフラする事も多かった。
体も疲れやすく、仕事が終わった後はそのままソファに転がっていつのまにか寝てる…みたいな生活が続いた。
パートナーはそんな私をダラけていると感じている節があった。お皿を洗う気力も無いぐらいめちゃめちゃに眠たくて、寝転がる前に洗えばいいじゃんと言われるけど食後に10分も立ってられなくなってた。
これぐらいの時からブラの締め付けがキツく感じ、窮屈な服を着ると気分が悪くなった。
常に微熱状態みたいな頭のモヤモヤ感に、このまま働いていけるのか不安になった事もある。
吐き気もあったけど日中は我慢できる程度にマシだった。でも唾液が止まらなくて気持ち悪くてずっとガムやらハイチュウやらを食べて気を紛らわしていた。
晩御飯は梅干し茶漬けばっかり食べてた時期があった。お茶漬けを食べられればいい方で、だめな時は桃やプラム、梨を食べていた。
カルボナーラが好きで作ったのに、一口食べたらもう食べられない…ということもあった。飲み込めないし、なんか胃が拒否するのだ。
食べたあとどうしてもダメで全部リバースしてしまう事もあった。鍋物もうどんもダメなのか。
お寿司、生物だから食べない方がいいけど私はサーモンのお寿司が食べたくてたまらなかった。お寿司が食べたくてイライラした。
このあと1年はお寿司が食べられない。キレそうであった。
私の想像していたつわり、というかテレビやアニメ、漫画で知っていたつわり(妊娠)の知識って、
・登場人物がトイレで吐いてもしかして妊娠…となる(吐くのは1回だけ)
・酸っぱいものが無性に食べたくなる(食の好みが変わるだけで、食べられなくて辛いとかは無い)
だったので、
大きなギャップがあった。
親から出産が大変だったという話は何度か聞いたが、妊娠中が大変だった話は聞かなかった。
ほとんど同じ時期に妊娠した同級生は殆ど全くつわりが無いと言っていた。
気を遣って貰ったのか、仕事もスポットで入るような細かいものがほとんどで、量も少なかった。
なんなら仕事のない日も多かったので、これはこれで何か社内ニートみたいでちょっと嫌だった、ような気がする。
とにかく自分の体調がコントロールできず、ふだんの6割程度のパフォーマンスしか出ないことに苛立っていた。
秋ぐらいになって、一個案件を任せて貰えることになった。
つわりの諸症状は夏と比べると大分良くなってた。吐き気も無い。
でも、やっぱり日によって体調とメンタルが崩れてしまうことがあってぽつぽつと休む暇あった。
終わってから何週間か経ってだろうか、
朝、焼けるような腰?背中?の強い痛みで目が覚めて痛みで動けなかった。
その日はそのまま休んだ。おやすみの連絡を入れてからしばらく経って痛みは治まった。
そこからずるずる1週間休んだ。
夜中や早朝に身体がひどく痛む、のももちろんあったけど、出社してもどうせやる事無いしなあ、とか、苦手な人に会うの嫌だなあ、とか考えるうちに行かなくなってた。このまま産休に入ってしまいたいとも思ってた。
なんとか踏ん切りをつけて出社した。
最後だし、あと振り返りでもっとこう出来るといいね!と伝えられていたのもあったので、とにかく頑張ろうと思った。
引き継ぐものは引き継いだ。
最終出社日、お世話になった人にお菓子を配って、デスクを整理して、社内wikiを書いたりしながらのんびり過ごした。
ああこれで最後なんだなと思った。
何か気を緩めると涙が出てきそうなので、先日のセールで注文した液タブのことを考えた。コンビニで受け取って帰ろう。
家に着くとまたなんともさみしい気持ちがこみ上げてきた。
春夏ごろはむしろ会社に行きたくない行きたくないと言ってて、妊娠がわかった時解放されたような気持ちが少しあったのを覚えてる。会社辞めないにせよ他の部署に行けないかなぐらいには考えていた。
いまはただただ終わってしまったのが悲しい。
積んでいた本を毎日読もう、とか、
色々考えてはいたけど。
平日毎日同じ時間に起きて、同じ場所に行って、同じ空間で働いていたそのリズムが急に無くなる心許なさったら無い。
きっとまた別の楽しみがあるんだろうけど、今はただただ寂しい。
私はいつものようにロキソニン飲んで親の世話してた。愚痴る気力もなかった。それを自分の耳でまた訊くのさえつらい。
限界が来て倒れたときは、入院先で(痛み止め点滴しないとリバースしてしまうのでロキソ飲めなかったため)
先生は優しかった。あなたは優しいので無理してるんだとも言ってくださった。入院先で泣いた。
痛み止めはしょっちゅう通えないのでと、整形の先生に言って多めに出してもらってたので
たくさんあったけど毎日飲んだので、痛みは消えたけどフラフラだった。自分でも頭動いてないなと判る。痛み止めが効いてるんだから寝てればいいのにね。
私は愚痴らないので、勝手に嫉妬ばかりして嘘ばかり言いふらす人たちは
私をナマケモノみたいに言ってたのかもしれない。
痛み止めで眠いし頭が回らなかったので、脳にはブドウ糖必要だなと思って甘いものも食べてた。油は摂ってなかった。
そりゃふらふらになる。
見舞うといきなりふっと我に返った父は「お金ないだろう、大丈夫か、お金持ちの知り合いはいないのか」
借りたりしたら友情終るよ。お金持ちの友人なんてお金にキツイに決まってるでしょう。そうじゃないと貯まらないんだよ。
よっぽど立派な仕事が出来る人でもない限り。
でもリバースでやってる人のほうが多いでしょ。
あのな、肉は焼くんだよ。食うんじゃない。
表面を焼いて旨味を閉じ込めるというのは嘘だ。まず規定時間を低温でじっくり焼く。表面がだるっとした状態で煮えてくる。だがいつもは焼けて変形するはずの肉が切ったまま綺麗に平らな形を保っているはずだ。その状態で強火にかけ表面に焼き目をつける。煮えた刺身状態から一気にシャキッとステーキの顔になる。
焼き時間は普通のレシピと同じで良い。ミディアム・レアに仕上げよう。火から下ろしてしばらく保温し、皿に移すんだ。肉汁をかけても良い。ナイフを入れると、同じ肉でも普段より分厚く柔らかいのがすぐ分かる。口に入れれば味がずっと良く出ているのがすぐ分かる。
リバース・シアというんだ。是非やってみてほしい。