はてなキーワード: ヒトラーとは
ぶっちゃけ配属されるころには社会学者だいたい嫌いになってて外と付き合いないから教授レベルはN=10ぐらい。
これマジ。
経済学部と間違えて入っただろお前って人ばっか。
経済学部って数字とか多くて難しそうだけど社会学ならまあ国語力でいけるだろみたいな感じの人も多かったね。
最初は世の中を良くしたいんです云々みたいな事言ってた人が、まあ異性の前でイキってたり教授の前だから真面目なこと言ってただけで、話を聞いてみると楽そうに感じたとか受験科目が少ない中では学歴になりそうだったとかが本音だとあとで知ること多し。
意識高い系は国際なんちゃら学部とかが多かったなあ、単にイキって意識高いこと言う人が多かっただけなのかもだが。
尊敬する人みたいな話になると芸能人やエジソンがよく出てくるしオイオイ社会学者じゃないのかってなるよ。
それが社会学部
でも同時に「口先やペン先だけ動かしてれば世の中が勝手に自分の思想が正しいと認めてくれるはず」みたいな謎の思い込みを持ってる人も多い。
ゾっとするレベルで「俺が言ってることこそが本当に正しいんだよな。馬鹿には理解できねーらしーけどー」みたいな考えの教授が多いね。
他の業界がどうなのかはよく分からんけど、少なくとも社会学の教授はそんなんばっかだよ。
表向きは「いろんな考えがあるよね。人間だもん」みたいな事言ってた人が酒呑んで豹変したら中身は結局「俺が正しいのに認めねえ奴が多いからさ、仕方なく表向きは考え押し付けてない感じにしてやってんだよ」みたいな事ガンガン言うもの。
本当に多様性を認めてる人はぶっちゃけいなくて、「現代において俺の思想は比較的マイナーだから一時的に多様性を認めることで生存を図るが、最終的には俺の思想に反するやつが消える社会が正しいんだよ」みたいな感じで多様性を認めていくと抜かしてる。
あと大体は強烈なコンプレックスを持ってるんだよなあ。
フロイトやユングに治療して貰ったほうがいいんじゃないですかねってレベルで色々拗らせてる。
拗らせきった自分を社会に合わせられないから、社会を自分に合わせるための力が欲しくて社会学者になったみたいな人ばっかだなあ。
日本は現在進行形で差別国家で倫理観が地に落ちた痴漢性犯罪天国なんだぞ
むしろヒトラーは娯楽対象としての地位を世界中でバッチリ確立しちゃった希有な独裁者だよ
東條英機もムッソリーニもスターリンも蒋介石も毛沢東もゲバラもカダフィも金正日もあれだけの地位は持ってない
彼らを匂わせる独裁者キャラとか、彼らをネタにしたコメディは散発的に出るけど、本人役でドドンと出て娯楽作品があれだけできるのはヒトラーだけ
JKローリングに出てくるハリーの父親がクズということが一部で定説だ。
その理由が作中人気キャラのスネイプを虐めていたということなんだけど、実際はスネイプもハリーの父親を嫌って呪いをかけたり、マグル生まれを虐めていたりどっちもどっちなんだよね。
それはともかく、何故ハリーの父親が聖人君子では無かったのかと言う理由に、「JKローリングが父と不仲のシンママで、離婚した元夫がクズだから」という人が居る。
しかしそれにしては、リーマスやウィーズリーの父親、マグルの父親など、「父親」というものに対して悪いイメージ自体はつけられていない。
それはJKローリングが「クズ男が好きだったから」のではないかと推測する。
ハリーの父親はヤンチャで自己肯定感が高く、アメリカのカーストで言えば「ジョック」のような人物だったと言える。そういうヤンチャな男が落ち着いて自分の夫になる、というストーリーを描く女性は一部にはいる。
つまり、JKローリングは「自分の理想の父親像」をハリーの父親に投影していただけで、別にハリーの父親を下げようとは思ってなかったのではないか?
スネイプに関しては、逆にJKローリングは彼のことを嫌っていたのではないかと思う。作中の「闇の組織」はヒトラーなどが元になっていると考えられ、JKローリングからしてみるとスネイプは
「一途な非モテで、ヒトラーを信仰している差別主義者」的な存在だ。JKローリングみたいなダメンズ好きは、スネイプのような「一途な非モテ」を毛嫌いする傾向にある。
作中のスネイプは、結局一途故にリリーに人生を捧げ、ボコボコにされて死んでいくという可哀想なキャラだ。あそこまで無慈悲に虐められるのは、JKローリングは恐らくスネイプは異性として嫌いだったからだろう。
作中でハリーの父親がスネイプを虐めていたシーンにショックを受けた人は多いが、しかしJKローリングにとってあのシーンは「そこまでの衝撃」では無かったのではないかと思う。
JKローリングは「いじめ」はいけない事だと認識していうるし、いじめをする人は好きではないが「いじめができるひと」は好きなのだ。
恐らく自分の恋人が過去のいじめを武勇伝のように語ったのにショックをうけた経験でもあるのだろう。しかし彼女が好きなのは、そんな「調子に乗って差別主義者を虐めてしまうが、改心するモテ男」なのだ。
ハリーの父親に関して悪いイメージを抱いてしまう人は多いかもしれないが、JKローリング自体はそこまでハリーの父親を嫌っている訳では無いと思うのだ。
ドイツとナチスが絡むと必ず出てくる言説で、ここでもやはり大量に見られる。
はてなブックマーク:欅坂46も立憲民主党議員も…「ナチスをもてあそぶ日本人」にドイツ人がドン引きする理由 | 文春オンライン
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/bunshun.jp/articles/-/50047
なんかズルいなあ。現ドイツはナチスとは別で第2次大戦は全てナチスが悪いっと言ってる感じ。昭和天皇は責任から逃げなかった。
コイツの祖父や祖祖父の世代がナチスを指示したからナチスがああなった。ナチスに全てをおっ被せているのは否定できないだろうよ。
ナチスこそが全ての原因で邪悪で悪魔で国民はその被害者という形にしないと成り立たないのがドイツ。想起するあらゆるものは排除っていうスタンスは、他のジェノサイド等の件では全く見られない特殊なもの
戦争責任をナチスに押し付けたからこそ、「我々一般のドイツ人とは違う狂信的な集団」として極端にタブー視する必要があるんじゃないかと穿った見方をしてしまう。
そりゃ「ナチス党を絶対悪においてドイツ人が悪い訳では無い」というスタンスだからな。だから謝罪も賠償もしない。外から見ると「ナチス⊂ドイツ」だけどな。
この言説の出元はズバリ西尾幹二である。といっても西尾が「西ドイツ(当時)はナチスを切断処理して反省を拒否している」と言ったのではない。
前年に西ドイツ大統領に選出されたヴァイツゼッカーは1985年連邦議会で後に有名となる演説を行った。西ドイツ大統領は米国や米国の政体をモデルにした韓国のようなものと違い、首相の上に立つが実権力は少なく元首のような役職だ。
この演説は「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となる」の節が有名で、要するにナチスの蛮行の責任を戦後のドイツ人は引き受けねばならない、蛮行に手を貸していないと言い張るのは許されないとの内容だ。
この演説を岩波の『世界』が取り上げて掲載し、後には数百円のリーフレットも発売した。「戦争への反省のモデルケース」としての評価であるのは言うまでもない。
因みに『世界』は敗戦後に相当な影響力を持った論壇誌だったが、経済成長や全共闘の進歩派攻撃などによって影響力は下がっていた。だがこのヴァイツゼッカー演説の掲載は反響を呼び、リベラル人士に挙って引用されるようになった。
ところで複数人で編集されるwikipediaのヴァイツゼッカーの項は、演説内容が「悪いのはヒトラーとナチズムであり、ドイツ国民・民族も被害者である」だったとの節と、「罪の有無、老幼いずれを問わず、われわれ全員が過去を引き受けねばなりません。」との引用文が併置されるという面白い状態になっている。
この盛り上がりに対し、ドイツ文学者の西尾幹二が文藝春秋社『諸君』で批判を加えた。
「演説文章をよく読んでみると、ドイツ国民の直接の罪は回避されている」「ナチスの罪はドイツ国民個人に無い事が前提となっている」という内容だ。
そして「日本の戦争犯罪と違ってナチスの罪は人道に対する罪であって国家そのものが犯罪国家で責任の取りようが無い」。
責任が取れない種類のものを引き受けると言っているのだから欺瞞だ、という事だ。
これは文章解釈であり、悪意を持てば文章は逆の意味に解釈する事も出来る。(「ナチスの手口に学べ」は反語だ、など)
それは言語的堕落だが、西尾がそう評価されなかったのはニーチェ思想を専攻とする文学者の実績があった為だ。例えば中央公論の『世界の名著』シリーズのニーチェの編纂、解説は西尾である。実態が無い〇〇総研勤務や過去論文が紀要に全くない文学研究者やバイト以外職歴不明の動画投稿者ばかりで構成される昨今の保守論壇と当時は全く違った。
それ故、西尾の批判は「無邪気な戦争責任論への懐疑」として評価されていた。ヴァイツゼッカー演説のリテラル(文字通り)の内容は、云わば民族原罪論のようなものなので、それに対してニーチェ的視点から欺瞞を突きつけたくなるのは無理もない。
但し、
一民族全体に罪がある、もしくは無実である、というようなことはありません。罪といい無実といい、集団的ではなく個人的なものであります。
の様な一文を持って「集団が免責されてる」という辺りはニーチェもへったくりもなく単に低質なデマだ。あとで触れるがこれをやり始めたのは小林よしのりだ。この文章は「当時にも残虐行為にタッチしていない人間は居たがその罪は国民は免れない」という意味だからだ。
だから西尾を哲学的文脈で好意的に評価する時、こういう所は無視して、ユダヤ・キリスト教の道徳に類似した欺瞞を指摘した、と評することが多い。
だが西尾はニーチェ専攻にも拘らずにルサンチマンに駆動させられやすく、「切断処理を表明する演説」論者にのせられてそう言っちゃうのよな。で、論壇が経歴不明なバカや宗教右翼で埋まってパージされると冷静さを取り戻す、というのをずっと繰り返している。
90年代前半までとその後の保守論壇というのは質が全く違って、例えば引用したブコメで言うと、
とかは今は普通に見られるが、当時ならあり得ない。何故といって日本は交戦相手の米英仏豪に謝って賠償金を払っただろうか?勿論していない。
フィリピン以外の賠償金は全てチャラにして貰った。特に米国は自国の民間企業に対しても対日債務は諦めるようにした。ドイツも同じスキームだ。
そして日本はそれら交戦相手の連合国にチャラにしてもらう代わりに戦場となった主に東南アジアに対して復興後の開発援助を約束した。これらの戦後処理を全てやったのは自民党であって、それ故保守論壇人士の方が戦後処理に詳しかった。だから「ドイツは交戦国に賠償していない」なんて事は相当のバカじゃなきゃ言わなかった。それはどこも一緒だから。
こういう訳で当初は「ニーチェ研究者の文章解釈」として評価されていた西尾言説が、「ドイツはナチスを切断処理して反省を拒否する立場である」という風に化けて行く。
この決定的な曲がり角は先にも言った小林よしのりなのだが、小林を論壇に引き込んだのは西尾なのだ。だから西尾は小林やそのフォロワーが後者の言説を流布して行くのを黙認していた。
その後西尾は宗教右翼に教科書運動を乗っ取られてパージされてしまい、「彼らの運動論は左翼のそれだ」と批判する羽目になるのだが、彼らを引き込んで論壇の真ん中で活動させたのも西尾だったのだな。
という訳で「ドイツはナチスを切断処理して反省しない立場」節の原初は西尾で、それが解釈ではなくて「表明したという事実」に化けていったのである。
2015年にメルケルが来日した際、朝日新聞で講演して安倍政権の歴史認識を批判する場面があった。
講演、インタビューに態々選んだのが朝日新聞というのは明確なメッセージだ。
これにネットの一部は沸騰してドイツ叩きが盛んになった、という事があった。
何故そんなに逆上したかと言えば、一部で「常識」となっているドイツナチス切断処理論と反対の立場から冷や水をぶっかけられたからだ。
仕舞にはメルケルは極左に振れているという噴飯ものの意見も多く見られた。メルケルの所属するCDUは保守政党である。
このナイーブな恐慌状態は集団で信じていた事を現実が裏切る事で起きていたので、これぞまさにルサンチマンだ。
ニーチェの思想に沿って生まれた解釈が30年経って反ニーチェ的なナイーブに転化していたというのは寓話的だと思う。
当たり前だが、メルケルもドイツもナチス切断処理なんて立場を表に出した事は無い。統一ドイツの成立条件見れば当たり前だ。
西ドイツはEC加盟国だったが東ドイツはそうではない。統一は他の加盟国の承認が必要だった。
そしてベルリンというのは統一の前日、最後まで連合国の占領下にあった。
ソ連は勝手に東ベルリンを自分の勢力下としてしまったが、米仏英はそんな事認めていない。法的には最後まで共同統治であった。
つまりベルリンの占領はこれら4国の承認が無い限り解けない。もしヴァイツゼッカーがナチスを切断処理してドイツに責任無しという演説をしたら、東西ドイツがその態度だったら、ベルリンを首都に出来ただろうか?
そしてEUの顔役が出来ただろうか?
当たり前すぎてバカらしい。