はてなキーワード: デッサンとは
同義ならやっぱり「デッサン力なんて言葉使う必要はなくねー?」っていう俺の最初の疑問に戻るわけだけど。
定義しただけましだけど
そんなふんわりした定義ならば君の主張はほぼトートロジーでないかい?
「絵には描くものの形を立体や空間として破綻なく描く力が必要」
当たり前やないか?
逆にそれが必要ない絵ってなんなのよ?
ラスコーの壁画の牛ですらその力は見てとれるが。
お前らオタク系アートの人間がいう「デッサン」ってそもそもなんのことなの?
答えられないっしょ?
自分勝手な定義ででもカッチリ答えられた奴見たことないんだわ。
デッサンデッサンうるせえわりに、デッサンの必要性議論とかはかまびすしいわりに、
「デッサンってなんのこと言ってるのか」をきちんと定義出来たやつがいない。
問題点を整理するね。
1.まずアカデミックな意味での「デッサン」(これは意味明確)をよく知らず、なんとなく憧れている。
2.オタクアートの世界での自分達の用法での「デッサン」もきちんと定義せず、雰囲気で連呼している。
これな。
デッサンという言葉の定義を非常に曖昧なまま使っていたので全文を取り下げる。
詳しくはツリー参照。
必要。以上。
だけだとアレなので少し付け加える。
ものを正確に観る力、立体を把握する力、絵の完成図を想像する力などが鍛えられる。
どれも萌え絵を描く際にも役立つ力だ。
そして萌え絵にもデッサンが必要な一番の理由は、今萌え絵の最前線を走っている絵師達がちゃんとデッサン力を身につけているからだ。
逆に言えば、デッサン力がない萌え絵絵師はどんどん仕事を無くしている。
具体名は上げないが、初期の絵師100人展にいた人をチェックしてみるといい。手足の細部がちゃんと描けていなかったり、不思議な人体を描いていた人たちはもう仕事をしていないはずだ。
今の時代にもし萌え絵描きとして成長を望むなら、デッサンは必須である。
デッサン力があることは前提として、発想力、ドラマの作り方、色による演出、そういうところで戦っている。
20年前だったらデッサン力が多少足りなくても勝負は出来ていた。が、その頃のデッサン不要論を今でも真に受けているのは絵を技術的に観る力が足りてない。
ちゃんと技術的に絵を観れるのならば、現代のプロ前線で描いている人たちにデッサン力が備わっていることが分かるはず。
そして、絵を技術的に観る力を鍛えるには、自分も技術を身につけることが一番の近道なのだ。
デッサン初心者ならまずは「脳の右側で描け」を履修することをお勧めする。
これ一冊やるだけでもだいぶ違うはずだ。
今年もいろいろ買ったね。
定価20000円前後のところAmazonのタイムセールで14000円くらい。
主にスプラトゥーン2のプレイを録画して自分の立ち回りを省みる用途に使っている。
PCゲームはGeforce Experience(NVIDIA製GPUの付属ソフト)で録画できるし、PS4は本体に録画機能があるので苦労していないが、Nintendo Switchに関してはその辺が期待できないので購入。
付属ソフトのGame Capture for Windowsは録画する分には設定も簡単で動作も安定しており機械オンチにはありがたい。配信や実況動画を撮るとなるともう少し勉強が要りそうだが。(for Macもあるよ ※USB3.0必須)
パススルー機能も付いているのでスプラトゥーン2のようなシューターも問題なく録画できる。そもそもの遅延もさほど大きくないのでADVやSLGならそのままでも。
自分のプレイングをX上位勢の動画と見比べて改善したらS+の数字が安定して増えるようになった。目指せウデマエX
自分の粗がよく分かるけど味方の粗もそれなりに分かるのでもどかしさが更に募る。
ゲーム内スタッツも本体の録画機能も貧弱なのでそりゃ野良プレイヤーのレベルは上がらんわなと改めて思った。
ソフトウェアエンコード方式なのでそこそこつよつよPCが必要。よわよわPCの人はハードウェアエンコード方式のものを買おう。
元々音楽が好きでiPod classic 120GBをずっと愛用してきたが、生産終了を機に10年間にわたる酷使から解放してあげようと思った次第。
ストレージはどのみちmicroSDで拡張するので本体16GBで十分。
Bluetoothレシーバー機能が搭載されているので、手元にない音源をストリーミングサービス経由でiPhoneにダウンロードして、iPhone→ウォークマン→イヤホン・ヘッドホンというルートでiPhone内の音楽を聴けるのが便利。
あの忌々しい変換アダプタを持ち歩く手間を省きながらイヤホン・ヘッドホン選択の自由度を担保できる。有線/無線ありきでオーディオ選びたくないんですよね。
SONY純正の音楽管理・転送アプリケーションMusic Center for PCがクソ。
数百円で売ってるので何でもいい
買いもしない(買えない)建売住宅やら怪しいセミナーやらのチラシを毎日のように入れられてさすがにうんざりしたので購入。なんで今までやらなかったんだろうレベルで郵便受けがすっきりした。
PC用に使っていた古スピーカーが限界を迎えていたので5000円弱で購入。
この価格帯にしてはなかなか良い音で鳴る。1000~2000円台のスピーカーや内蔵スピーカーからの乗り換えなら明確に違いが分かると思われる。
良く言えばコストパフォーマンスが高く、非オーディオマニアには十分な性能
見た目に高級感はないが、さほど安っぽさもない
悪く言えば値段なりの音
低音がややこもる
最安値ではなかった
下手の横好きで将棋が趣味なのだが、安い駒しか持ってなかったのでせっかくならと某フリマアプリで中古の黄楊駒を購入。15000円ほど。
将棋の駒は主に材質と彫り方の組み合わせで値段が変わる。
安価← | →高価 | ||
---|---|---|---|
プラスチック | カエデ・ツバキetc | シャム黄楊 | 本黄楊 |
書き駒 | 彫り駒 | 彫り埋め駒 | 盛り上げ駒 |
これに加えて書体の違いがあって、これは好み。楷書体の他に錦旗、水無瀬、巻菱湖、源兵衛清安などなど。
更に美しい木目が入っていたり著名な駒師の号が入っていたりすると値段が跳ね上がる。プロのタイトル戦で使われるような駒は付加価値もあってかマジで高い。
今回は無銘・本黄楊の彫り駒という高級駒へのエントリーモデル的なポジションのものを購入。これは豆知識なんですけど指す時にプロ棋士の手つきを真似ると超ハッタリかませますよ。私はこれで大会全敗しました。
いい音がする
見た目が美しい
気分がアガる
将棋はうまくならない
Razer社のゲーミングヘッドセット。
締め付けがさほど強くなく、イヤークッションも大きく柔らかいので眼鏡常用者におすすめ。眼鏡をかけたまま長時間プレイしてもこめかみが殆ど痛くならない。
サウンドも十分ゲームプレイの向上に寄与してくれるが、エイジングしないとやや高音が痛いかも。マイクの性能については分かりません。なぜなら通話する友達がいないので…
自他共に認めるインドア派なのでアウトドアブランドには興味がなかったのだが、アウトドア使用に堪えるものが街中で無能なわけがない!と思いいろいろ手を出してみたところ完全にハマッた。
モンベルのアンダーウェア。L.W.(ライトウエイト)・M.W.(ミドルウエイト)・EXP.(エクスペディション)の順に厚く暖かくなる。
都市部ならL.W.で十分暖かい。屋内に入って多少汗ばんでもすぐ乾くので汗冷えしにくくて良い。
いわゆるインナーダウンというやつ。こんな薄っぺらいダウンで何ができる!あと見た目だせえ!と思ったがアウター下に着込んだらまあ暖かいこと。
あまり嵩張らないので暖かい日はくるっと丸めて鞄に入れておけばいい。(こういうことができるのもアウトドア用だからこそやなという気がする)
本当はユニクロのインナーダウンを買おうとしたのだが、「悪いこと言わんからもう4000円出してモンベルの買え」というディープウェブの声に従って購入。
古着屋で購入。オムニヒートというアルミニウムがプリントされた裏地に遮熱効果がある…らしい。そう言われてみると暖かい…ような気がしないでもない。
防風性能はそこそこあるのでこの下にインナーダウンやニットを着込めば都会の冬は結構いける。見た目も良いしね。
今話題のワークマンにも似たような加工のジャケットあるからファッションに拘りがなければそっちでもいいかも。
いろいろ見て回った結果、mont-bellやColumbiaあたりは比較的安価で手が出しやすいな~という印象。でもそのうち雪山全然関係ない東京の電車でMAMMUTやArc'teryxを着てイキり倒してみたいね。冗談です。
あったけえ…
高垣楓を、いやアイドルマスターを愛する人は皆これを購入するべきだ。
我々はこのようなクオリティのフィギュアを2000円以下で購入できる世界に生きているのだから。
良い
無い
漫画家・弐瓶勉氏の作品にスターシステム的に登場する巨大企業・東亜重工が開発した合成人間…という設定のフィギュア。
自分は元々弐瓶ファンだが、Twitterで検索すると弐瓶作品を知らない人もデッサン人形的に購入しているらしい。それほどまでに可動域が広く、自立能力も高いので動かしているだけで楽しい良いフィギュア。正座もできるよ!
品薄気味
御託は不要。
良い
あまりにも良すぎて体調崩した
・
デッサンがきっちりとれることも
神経質なくらい細かな書き込みが得意なことも
みたいな万能信仰を持ってる人がいる
いやこれはだいたい本人は違うつもりなんだけど
一番なんだかなーと困るのは「絵が上手くなりたい」って言うオタクの学生さんね
よく言われるようにラフ描きなんかを見せられて感想を聞かれても困るけど
逆にきっちり丁寧に仕上げてあるのを持ってこられても「もう良いんじゃないの?」ってなる
「完成作品と認められる絵を描き」かつ「その絵がウケる」かどうかでしかない
絵の上手い下手がきっちり言えるのって
まあその過程を経てる人はそつなく技術が鍛えられてる傾向はあるけど
普通多くの絵描きは上手い下手よりももっと複雑で水物な世界で戦ってる
一体どういう世界観で勝負したいのかもわからなければ意味がないし
逆に世界観がはっきりしてたら「その世界でウケるように頑張ってね」という他ない
「上手い」かどうかなんて同じ世界観の別の絵とでも比較しないと
そしてもちろん、じゃあそこでその道の大家と比較して下手とか言っても…ね
「絵が上手い」ということを
漠然とした才能とか第六感でも働くようになると考えている人にはいつも考えさせられる
自分の描きたい絵を自分の描きたいクオリティで仕上げることに必要なのは
才能とかそういうものではない
はてな匿名ダイアリーなる物を見つけ見てみたらなんと結構人々のホンネがカキコされていて驚きΣ(´∀`;)ナントォ!!
特に印象に残ったのは同人を辞められない人の話。自分の創作物を楽しんでもらった快感から同人が辞められないとか。
書く云うワタシも同人をやりたい(そして副収入にしたい)が為に5ヶ月ほどデッサン教室に通っているクチだが、如何せんいつになったら人物が上手く描けるのか見通しが一切立たない始末。
コレハスゴイ ヮ(゚д゚)ォ!
だって同人って儲からないって聞くじゃない?( ´゚д゚)(゚д゚` )ネー
だから道の途中にいる(そして金の亡者である)ワタシ的には結構な勇気を頂いたワケだ。
何よりも、同人という趣味に理解が無かった恋人から4年間かけて理解を得る事ができるようになったとかとても凄いことだと思う。
そんなワケで はてな匿名ダイアリー anonymous diary 別名"増田" (どうでもいいけどこういう呼び方ってカッコイイよネ)
そして、時折見返しては
(;'A`)ウワァァ!!
ってなったり
ε-(´∀`*)プッ
ってなりたいと思うのさ。
ってことで、一つよろしく。
( ´Д`)ノ~シクヨロー
英語200点、数学200点、国語200点、理科100点、社会200点で計900点あるとして、
最低720点ないと東大は厳しい訳でしょ?
漠然と「自分はよく優しいって言われるから大丈夫だろう」と思ってると、単に自己評価やお世辞、または面倒臭い奴を避けるための方便だったりして、社会だけ5割得点でした、あとは大体1割得点で、計190点、これじゃあFランも厳しいね、専門学校行く?みたいな。さよなら婚活市場、みたいな。
数値化されてないから努力しようにも難しいよ。対策も計画も立てられないし。
美大にしたって、デッサンなり色彩構成なり、めっちゃやったやつ or できるやつだけが合格できるでしょ。
だから、顔面、清潔度、学歴、コミュ力などなど、数値化していこうぜ。
俺たちの天王山は始まったばかりだ!
紙と鉛筆さえ与えれば、大人しくしている子だったと母から教えて貰った。
そのまま小学生になっても絵を描き続けた。漫画家になることをぼんやり夢見つつ、父に買ってもらった原稿用紙に、Gペンで少女漫画の模写をし続けた。
絵画系は毎年何かしら賞を取っていた。小さな小学校の中で一番絵が上手かった。
中学に入った頃、初めてネットの世界に触れて、自分は全国的にも絵が上手い方なんじゃないかと言うことに気がついた。
当時はお絵かき掲示板やお絵かきチャットが全盛期で、ありとあらゆる場所で「同年代とは思えない!」と褒められた。
たまに信じられないぐらい上手い人を見つけると、こなくそ、と必死でデッサンや着彩を勉強した。
負けたくなかった、絵が上手な私でいたかった。
高校2年生の頃、絵を描く機会がパタリと減った。
隠れオタクになったので、年相応にファッションや恋愛、生徒会や学業に打ち込んだ。
ある時、ふとネットの世界に戻ったら、当時絶賛してくれていたお絵描き仲間の絵のレベルが相当に上がっており、オリジナリティに溢れた素敵な絵が毎日上げられていることに気付いてしまった。
同時期に、美大専攻コースの授業を受けていたところ、普通の男子生徒だと思っていた人たちの凄まじい画力にうちのめされた。
彼らは今、広告最大手の会社でデザイナーやってたり、某有名デザイン事務所に勤めていたりする。
毎日描くことを怠らなかった本物がそこにいた。
愕然とした、うちのめされた。途端に描く手が止まって、もうどうでもよくなった。
美大は諦めた。私には写実力しかないことに随分前から気付いていた。
そんなことを言い訳にしたけれど、本当は恥ずかしくて悔しくてどうにかなりそうだった。
私の方が上手かったのに!
そんな行き場のない悔しさだけが湧き上がってきた。
その頃には、もう滅多に絵は描かなくなっていた。
当たり前の結果に納得出来ず、絵を描くことをやめた。
あのまま描き続けていたら…と考えることもある。
結局表現したいものなんてなくて、賞賛が欲しかったのかなとも思うことすらある。
周りに差をつけられるのが怖くて逃げた井の中の蛙。
あれから10余年。絵にまつわる仕事をしている。描かないけど。
この人たちは、周りの人に打ちひしがれることもなく、毎日書き続けていたんだなと思うと頭が下がる。