はてなキーワード: デッサンとは
頭が異様に大きく丸い
目が大きい
鼻が未発達
唇が薄い
散々デッサンが変だとか異様だと言われていることだけれど。
これらは乳幼児の特徴であり、これに眉毛を足し、セクシャルな胸や尻を付け加えたものが萌え絵だ。
それが故に萌え絵が愛される、というのも理解できるし、萌え絵愛好家が全て異常だとは思わない。
だが、正直、「小児性愛画を見たら気分が悪くなる」という意見もわかってほしい。
要するにあなたたちには見えないかもしれないけれど、私には異様なポルノに見えるということ。
「嫌いだから見たくない」にもそれぞれ理由があるし、真剣に見たくない人もいるのだから公共の場に置かないで欲しいという声も少しは考えて、TPOをわきまえてというのはそういうこと
萌え絵の話とか性的だなんだ言われるの、「みんな絵がうまくなったからじゃないの」と思っている。
ボディラインとか、デッサンが昔のデフォルメより本物に近くなった。
極端な例えをするけど、00年代くらいまでの絵柄は浮世絵、最近の絵柄は西洋美術。
顔ではなく、体のデフォルメ。
昔のアニメなんかは割と極端にかかれていた気がする。
そこに比べると、最近の絵柄は本来の比率に近いものが多いと思う。
時代劇見てて浮世絵の美人絵に大して、なんて美人なんだ!!っていう感覚は
西洋美術の写実性はどの時代の人がみてもわかりやすく美人は美人に見えるはず。
春画と西洋美術の裸婦並べてどっちが性的に見えますかって聞いたら多分西洋美術…いや、どうかな…さすがに春画かな…
特にまとまらなかったんだけど、つまりはみんな絵がうまくなって
現実の人間を想像しやすくなったってことなんじゃないかな!!ってことなんですけどね。
同じように目の大きいアニメ系絵だと、いのまたむつみの存在は大きかった。
「生物っぽさがないじゃん!」という、思春期リアリティのこだわりで。
体臭のする絵、しない絵という軸だと、抹香臭いという天野喜孝の特異点もあった。
記号的快感のある華やかで人気の絵と、デッサンのちゃんととれた地味絵の対決感があったのは
ことぶきつかさの頃か。
虎柄ビキニ鬼、パッツンセーラー服、白衣保健女医、フリフリ女子……などなど。
ただ、高橋留美子の絵が「萌え絵」かというと、わりと微妙なエリアになる。
とちらかというと絵柄は水木しげるのとなりにある気もする。
そこに描かれた絵は確かに「萌え」の記号なのだが、絵柄として「萌え」かというと微妙である。
朝起きたら、「高橋留美子みたいな絵柄になっていたらいいな」とアニメオタクが思うかというと
微妙だ。
当時のオタク(アニメ)は「好きな絵柄」という自意識が強くあって
特に「A先生とB先生を合わせて2で割ったような絵柄になりたい」みたいなのが良くあった。
それは、これまでにない新しい絵柄というものが、ティーンエイジャーの心をむんずと掴んだのだ。
その意味でいうと高橋留美子の絵は、ティーンエイジャーにとっては新しいものではなかった。
ただ、うる星やつらで見つかった、オタク好みの絵の流れというのもある。
森山ゆうじのプロジェクトA子とか土器手司のダーティーペアとかへ繋がるあのへんのアニメ絵の流れ。
描く人が憧れる要素がある。
かつて少年漫画の絵はGペンの太い線。一方少女漫画は丸ペンの細い線だった。
そういう守るべきルールがあると子供は思っていた時代があった。
この細い丸ペンによる線。
「丸ペンは繊細な人間にしか描けない!」と、実際に紙にペンで描いてみようとした男子は思うものだった。
壊れやすい砂糖菓子のような絵。アニメのセル画塗りに対し、淡い水彩が似合う。
「終末の過ごし方」とか多少それっぽい。
この2つのDNAが、混ざり合って、オタクが憧れる絵柄は色々変わっていく。
デッサンはポンコツだが、雰囲気やカラー処理などこだわる部分が魅力的な絵が多く出てきた気がする。
雫とか。
そういう時代を経て、経て、経て、今はとにかくみんな上手い。
断絶の壁がある気がする。
PCでフォトショからSAIの塗りを経て、経て、経て、2018年だしな。
「じゃあ今から英単語を100個覚えて下さい」って言われたら「ええ~~~???」ってなるよね。
いいじゃん、英単語。100個覚えてても損はないでしょ。使う時があるかもしれないじゃん。
でも、「ええ~~~???」なんだよね。嫌なんだよね。面倒臭いんだよね。
これが例えば、「英単語のテストを明日行う。このテストは成績に大きく影響する。」「30点以下の者は夏休み無しだ」「10点以下の者は指の爪を全部剥ぐ」
こんな事を言われたら「ええ~~~~~???」も正しい。理不尽だし、指の爪はがされたくないし。
でも、これらのペナルティなしだとしたら。失うものは「時間」くらい。あとはちょっと疲れるくらいかな。
それでもやりたくない。英単語100個覚えたくない。
「何で覚えなきゃいけないの?」という疑問が浮かび上がってくる。「いま覚えても、使わなかったら忘れるよ。意味ないじゃん」
役に立つこと以外、覚えたくないんだ。強制されたくないんだ、勉強を。
その割に、「水素水はデマ」だの「フリーメイソンは裏で世界を牛耳っている」だのどうでもいいゴシップは覚えている。
役に立つか?水素水には騙されなくて済むかもしれないけど。フリーメイソンなんて覚えててどうすんだよ。
英単語100個覚えてる方がずっとずっと良い。外国人に道案内とか出来るようになるかもしれん。
話が少し逸れるが、俺はランニングが好きだ。
しかし、ランニングはめっちゃ疲れるし苦しいし、暑いし汗もかくし疲れるし、ダイエット目的でもないからあんまり意味のあるものでもない。でも好きだ。
デメリットだらけのランニングと、メリットまみれのお勉強ならば、俺はランニングを選ぶ。
よく分からない。こうして文章を打っている今も、「勉強ってランニングなんかよりめちゃくちゃいいじゃん」って思っているのに
感情のところで納得していない。
意味がなければ勉強してはいけないのか?忘れてしまうのなら勉強しても無駄なのか?
二次元の創作物の「萌えの作風」があまり好きでは無くなりました。
工画堂スタジオのエンジェリック=セレナーデとか、日本ファルコムのツヴァイのパッケージとか色々。
触ってみて好きになったという人は多くても、逆に、好きでなくなったという人はそんなにいないのではないだろうか。
今はどういう作風が好きかというと、割とあっさり目、ヒラタ リョウ著 キャラクターの基本デッサンのような絵柄が好き。
ヒラタ リョウも割と漫画チックかもしれないけど、美少女キャラクターよりは濃厚ではなく、あっさりした味と例えるべきでしょう。
ただ、一つだけ萌えの作風が未だ好きなジャンルがあってそれはエロ関係。つまりエロCG等。これだけは受け付ける。
逆に、そうでない分野はゲームであれイラストであれ萌えでないデザインが基本好きです。
この区別はなんだろうかという気もするけど。